座間市
神奈川県の市 ウィキペディアから
神奈川県の市 ウィキペディアから
座間市(ざまし)は、神奈川県の中部に位置する市。人口は約13.1万人。マスコットキャラクターは「ざまりん」[1]。
ざまし 座間市 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 神奈川県 | ||||
市町村コード | 14216-6 | ||||
法人番号 | 3000020142166 | ||||
面積 |
17.57km2 | ||||
総人口 |
131,818人 [編集] (推計人口、2024年8月1日) | ||||
人口密度 | 7,502人/km2 | ||||
隣接自治体 | 相模原市、大和市、厚木市、海老名市 | ||||
市の木 | モクセイ | ||||
市の花 | ヒマワリ | ||||
市の鳥 | シジュウカラ | ||||
座間市役所 | |||||
市長 | 佐藤弥斗 | ||||
所在地 |
〒252-8566 神奈川県座間市緑ケ丘一丁目1番1号 北緯35度29分19秒 東経139度24分27秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 市外局番 046,042(相模が丘の一部)、南端は綾瀬市境まで100m | ||||
ウィキプロジェクト |
古くより八王子街道[注釈 1]の宿場町として栄えることにより集落が形成され、現代に入り戦前は農村、戦中は陸軍士官学校及び高座海軍工廠の設置により軍都としての色合いを強めた。しかし戦後は米軍の進駐を経て、昭和30年代半ば頃からは大企業の誘致が行われ自動車産業中心とした企業城下町が形成された。更に昭和40年代の急激な人口の増加により農村から工業及び住宅都市へと変貌を遂げ、現在では県下33市町村中4位の人口密度をもつ市町村となる。
しかし、バブル景気崩壊後、市の基幹産業である自動車産業も不景気の煽りで日産自動車工場などが撤退したことから、税収入の低下を招き、市の財政状況が悪化した。現在でも周辺近隣自治体と比較すると財政的には劣っており回復は厳しいものの、人口においては県下でも比較的高い水準で増加しており、隣接する相模原市、大和市などと同様のベッドタウンとして現在に至っている。
県下では数少ない上水道に地下水(市内の8つの水源井)を用いる自治体であり、井戸水の特徴である夏は冷たく冬は温かい「座間の地下水」は知れ渡るようになってきた。しかしながら近年の人口増加及び地下水資源の減少等により県営水道を約15%含有する状況になっている。 また、当市を起点とする郵便番号の「252」は約96万人と全国で最大の人口を抱えている。
2000年代に入り在日米軍の再編等に伴う米国陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間移転問題が浮上し、これに反対する活動を行政でも行っていたが、2008年(平成20年)8月に防衛省との間で「米陸軍第一軍団新司令部のキャンプ座間移転に伴う基地対策に関する確認書」に市長が署名し移転容認へと転じた。
東京都心から約50km、横浜から約20kmの場所に位置する。市域を南北に縦断するJR東日本相模線の東側に沿って伸びる崖を境に、西部・相模川沿いの沖積低地と、東部の相模野台地(相模原台地)に属する高台に分かれる。相模野台地は河岸段丘であるが、当市域内では上段の相模原面が大部分を占め、広大な平坦面が広がる。その中で目久尻川とその支流が南流し、細長い谷戸を形成している。キャンプ座間付近から市域中央部にかけて南北に連なる座間丘陵は相模原面よりも古い時代に形成された一段高い堆積面であり、氷河期以来の侵食による開析が進んでいる。相模川沿いの沖積低地では水田が広がっている。
八王子街道沿いに形成された古くからの集落のうち、座間および座間入谷は低位段丘上に、新田宿および四ッ谷は沖積低地内に形成された自然堤防上に分布する。目久尻川沿いの谷戸にも水田が開かれ、谷戸の周辺に栗原地区の旧集落が分布する。広大な相模野台段上は近世以前は「相模野」と呼ばれる原野であり、当市域周辺は「座間野」「芝原・しばあら」と呼ばれる近隣農村の入会地であった。座間野は江戸時代後期、嘉永6年(1853年)に相模川沿いの座間宿、座間入谷、新田宿、四ッ谷各村の飛び地となり開墾され、明治以降は生糸産業の発展に合わせて桑畑が広がるようになった。1930年代に移転・新設された軍事施設のうち、高座海軍工廠の跡地に養鶏場(今の東中学校の場所にあった)・東芝機械・岡本理研ゴム。そして現在の広野台に日産自動車座間工場が誘致されると[2]、これを中心とした工業地区が市域東部に形成された。台地上の桑畑は戦後の生糸産業の衰退とともに野菜の生産に重心が移ったが、1960年代にはベッドタウン化の波が及び、小田急線沿いの区域で宅地化が進行した。1970年代には相鉄線沿いにも波及し、南東部の栗原地区でも宅地化が進行した。この結果1990年代までには、中央部の栗原地区を除き、低位段丘面も含めた台地上のほぼ全域が市街地化されるに至っている。
市内北西部(座間市座間)に米軍座間キャンプ及び陸上自衛隊施設部隊(第4施設群)が所在し、全体面積2,346,381.52m2(座間市分620,832.22m2、相模原市分1,725,549.30m2)であり市域の約3.5%を占有している。
在日米軍の再編成の日米最終合意に基き、米陸軍第1軍団司令部(ワシントン州)を改編し、新司令部(陸軍・海軍・空軍・海兵隊の4軍を指揮)を設置。また、2013年3月26日に陸上自衛隊中央即応集団司令部が朝霞駐屯地から移転、駐屯地に昇格する。なお、これに伴い駐屯地の所在地は座間市から相模原市に変更となる。
古東海道が通り、宿駅「夷参(いさま)」の駅があった。これが地名「座間」の発祥とされている。
座間市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 座間市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 座間市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
座間市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
座間市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。住居表示実施前の町名等欄で下線がある町名はその全部、それ以外はその一部であり、町名の末尾に数字がある場合には丁目を表す。
町名 | 町名の読み | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
栗原 | くりはら | 1948年9月1日 | 未実施 | ||
相模が丘一丁目 | さがみがおか | 1981年6月1日 | 1981年6月1日 | 大字相模台(1959年4月19日以前は大字座間字北広野、字元広野窪) | |
相模が丘二丁目 | 1981年6月1日 | 1981年6月1日 | 大字相模台(1959年4月19日以前は大字座間字北広野・中広野、字元広野窪) | ||
相模が丘三丁目 | 1981年6月1日 | 1981年6月1日 | 大字相模台(1959年4月19日以前は大字座間字中広野・字元広野窪) | ||
相模が丘四丁目 | 1981年6月1日 | 1981年6月1日 | 大字相模台(1959年4月19日以前は大字座間字南広野・字元広野・字元広野窪) | ||
相模が丘五丁目 | 1981年6月1日 | 1981年6月1日 | 大字相模台(1959年4月19日以前は大字新田宿字見分塚の大部分) | ||
相模が丘六丁目 | 1981年6月1日 | 1981年6月1日 | 大字相模台(1959年4月19日以前は大字新田宿字見分塚の残部・新畑、大字四ツ谷字二ツ塚の一部) | ||
四ツ谷 | よつや | 1948年9月1日 | 未実施 | ||
新田宿 | しんでんじゅく | 1948年9月1日 | 未実施 | ||
立野台一丁目 | たつのだい | 1993年11月1日 | 1993年11月1日 | 大字栗原字上谷・字西原・字中谷、立野台 | |
立野台二丁目 | 1993年11月1日 | 1993年11月1日 | 立野台 | ||
立野台三丁目 | 1993年11月1日 | 1993年11月1日 | 立野台、大字栗原字中原・字長谷・字西原、入谷5 | ||
緑ケ丘一丁目 | みどりがおか | 1992年12月16日[† 1] | 1992年12月16日 | 緑ケ丘、大字栗原字上谷・字西ノ原・字東原、入谷3 | |
緑ケ丘二丁目 | 1987年10月19日 | 1987年10月19日 | 緑ケ丘、大字栗原字上谷・字間ノ原 | ||
緑ケ丘三丁目 | 1987年10月19日 | 1987年10月19日 | 緑ケ丘、大字栗原字小池谷・字小池西原 | ||
緑ケ丘四丁目 | 1987年10月19日 | 1987年10月19日 | 緑ケ丘、相武台4 | ||
緑ケ丘五丁目 | 1987年10月19日 | 1987年10月19日 | 緑ケ丘 | ||
緑ケ丘六丁目 | 1987年10月19日 | 1987年10月19日 | 緑ケ丘、大字座間入谷字明王谷 | ||
明王 | みょうおう | 1970年11月1日[† 2] | 未実施[† 3] | ||
広野台一丁目 | ひろのだい | 1974年11月1日 | 1999年9月13日 | 広野台1(1974年10月31日以前は大字座間字元広野・元広野窪・字南広野、大字相模台の一部<1959年4月19日以前は大字座間字元広野窪>) | |
広野台二丁目 | 1974年11月1日 | 1999年9月13日 | 広野台2(1974年10月31日以前は大字座間字元広野・字南広野、大字座間入谷字向長窪西半分・字東長久保・字長久保・字長久保中通)
|
||
小松原一丁目 | こまつばら | 1974年11月1日 | 1997年10月20日 | 小松原1 | |
小松原二丁目 | 1974年11月1日 | 1997年10月20日 | 小松原2 | ||
座間1丁目 | ざま | 1975年11月1日 | 未実施 | ||
座間2丁目 | 1975年11月1日 | 未実施 | |||
相武台一丁目 | そうぶだい | 1974年1月1日 | 2013年10月15日 | 相武台1 | |
2016年3月1日 | 大字座間入谷、大字座間(キャンプ座間返還地) | ||||
相武台二丁目 | 1974年1月1日 | 2013年10月15日 | 相武台2 | ||
相武台三丁目 | 1974年1月1日 | 2013年10月15日 | 相武台3 | ||
相武台四丁目 | 1974年1月1日 | 2013年10月15日 | 相武台4 | ||
ひばりが丘一丁目 | ひばりがおか | 1977年11月1日 | 2002年9月17日 | ひばりが丘1 | |
ひばりが丘二丁目 | 1977年11月1日 | 2002年9月17日 | ひばりが丘2 | ||
ひばりが丘三丁目 | 1977年11月1日 | 2002年9月17日 | ひばりが丘3 | ||
ひばりが丘四丁目 | 1977年11月1日 | 2002年9月17日 | ひばりが丘4 | ||
ひばりが丘五丁目 | 1977年11月1日 | 2002年9月17日 | ひばりが丘5 | ||
東原一丁目 | ひがしはら | 1983年11月7日 | 1983年11月7日 | 大字栗原字東原 | |
東原二丁目 | 1983年11月7日 | 1983年11月7日 | 大字栗原字東原 | ||
東原三丁目 | 1983年11月7日 | 1983年11月7日 | 大字栗原字東原・字下谷 | ||
東原四丁目 | 1983年11月7日 | 1983年11月7日 | 大字栗原字東原 | ||
東原五丁目 | 1983年11月7日 | 1983年11月7日 | 大字栗原字東原 | ||
さがみ野一丁目 | さがみの | 1985年10月21日 | 1985年10月21日 | 大字栗原字東原 | |
さがみ野二丁目 | 1985年10月21日 | 1985年10月21日 | 大字栗原字東原 | ||
さがみ野三丁目 | 1985年10月21日 | 1985年10月21日 | 大字栗原字東原・字下谷 | ||
南栗原一丁目 | みなみくりはら | 1989年10月16日 | 1989年10月16日 | 大字栗原字西原・字下谷 | |
南栗原二丁目 | 1989年10月16日 | 1989年10月16日 | 大字栗原字下谷・字東原・字芹沢谷・字中谷 | ||
南栗原三丁目 | 1989年10月16日 | 1989年10月16日 | 大字栗原字下谷・字東原 | ||
南栗原四丁目 | 1989年10月16日 | 1989年10月16日 | 大字栗原字下谷・字東原 | ||
南栗原五丁目 | 1989年10月16日 | 1989年10月16日 | 大字栗原字下谷・字西原 | ||
南栗原六丁目 | 1989年10月16日 | 1989年10月16日 | 大字栗原字西原・字長谷・字中原 | ||
栗原中央一丁目 | くりはらちゅうおう | 1991年10月14日 | 1991年10月14日 | 大字栗原字上東原・字上谷・字中丸 | |
栗原中央二丁目 | 1991年10月14日 | 1991年10月14日 | 大字栗原字東原・字上谷・字西原 | ||
栗原中央三丁目 | 1991年10月14日 | 1991年10月14日 | 大字栗原字上東原・字上谷・字中谷 | ||
栗原中央四丁目 | 1991年10月14日 | 1991年10月14日 | 大字栗原字中谷・字西原・字上谷・字下谷 | ||
栗原中央五丁目 | 1991年10月14日 | 1991年10月14日 | 大字栗原字芹沢谷・字東原・字中谷・字下谷 | ||
栗原中央六丁目 | 1991年10月14日 | 1991年10月14日 | 大字栗原字上東原・字中谷・字芹沢谷・字芹沢 | ||
西栗原一丁目 | にしくりはら | 1993年11月1日 | 1993年11月1日 | 立野台、大字栗原字西原・字長谷・字中原 | |
西栗原二丁目 | 1993年11月1日 | 1993年11月1日 | 立野台、大字栗原字中原・字長谷 | ||
入谷東一丁目 | いりやひがし | 2019年2月12日 | 2019年2月12日 | 入谷3 | |
入谷東二丁目 | 2019年2月12日 | 2019年2月12日 | 入谷4 | ||
入谷東三丁目 | 2019年2月12日 | 2019年2月12日 | 入谷3、入谷4、入谷5 | ||
入谷東四丁目 | 2019年2月12日 | 2019年2月12日 | 入谷4、入谷5 | ||
入谷西一丁目 | いりやにし | 2020年2月3日 | 2020年2月3日 | 入谷3 | |
入谷西二丁目 | 2020年2月3日 | 2020年2月3日 | 入谷1 | ||
入谷西三丁目 | 2020年2月3日 | 2020年2月3日 | 入谷1、入谷3、入谷5 | ||
入谷西四丁目 | 2020年2月3日 | 2020年2月3日 | 入谷5 | ||
入谷西五丁目 | 2020年2月3日 | 2020年2月3日 | 入谷1、入谷2 | ||
座間 | ざま | 1948年9月1日 | 未実施 | ||
座間入谷 | ざまいりや | 1948年9月1日 | 未実施 |
町名の由来
以下は昭和30年代以降の開発に伴う町名変更によるもの(次項参照)。
町名整理
元は座間、座間入谷、座間新戸、栗原、四ツ谷、新田宿の6大字を編成していたが、座間および座間入谷の両大字は相互に多数の飛び地を持ち境界が錯綜していた。また、西部の相模川沿いを本来の領域とする四ッ谷、新田宿も東部境界沿いに飛び地を持っていた。そのため、特に相模線以東の区域での市街化の進行とともに救急や郵便等で該当地番を探すのが困難になってきたことから、1950年代以降相次いで新しい字・町名が設置されてきた。
相模が丘は、当初の大字名変更(1959年)で「相模台」として起立。同時に 新たに地番の付け直し(不動産登記法に基づく地番整理)を実施した。しかし、相模原市が隣接する区域で住居表示を実施した際に「相模台」という町名を新設した(1969年)ことから、座間市側では混乱を避けるため1981年の住居表示実施時に再度変更した。
郵便番号
市外局番等
1957年(昭和32年)頃より企業誘致を積極的に行い、昭和40年代には当時23町村の中でも財政的には常に上位にあり、周辺の市と同水準を目指す姿勢を示した。しかし、急激な人口増加に伴いインフラ等の整備を余儀なくされ、地方交付金の不交付団体であった期間はオイルショックの打撃を受けた1973年(昭和48年)までの8年間しかなかった。 ちなみに、当時座間町が誘致し町の成長を促した企業として、東洋ナイロンカラーファスナー、岡本理研、東芝機械、田谷精機、三共紙器、東京コスモス電機、日産自動車などがあげられる。
都市化の波と共に著しく農業等の産業は縮小し、以前は日産自動車の企業城下町だったことから、自動車工業に関連した企業が多い。1995年(平成7年)には日産自動車座間工場(当時・現在の座間事業所。その座間事業所敷地も座間工場稼働時代の30%以下に縮小されている)が閉鎖され、周辺の工業も縮小傾向にある。これゆえ、商業等の比率が高くなっているものの、相模原、厚木、大和、海老名等の近隣地域と商圏が大きく重なっており、市内商業(大型店及び商店街等の小売店)は衰退気味である。
(2000年国勢調査に基く)
昭和40年代の急激な人口増加に伴い毎年のように施設造営を繰り返したことから、校舎等の建造物の形状、規格等が非常に類似している。近年の児童・生徒数は少子化により減少したものの、現時点において座間市内の教育施設の統廃合は行われていない。
昨今の道路事情、利用者数の減少等により見直しが行われ、区間短縮及び減少傾向にある。かつては座間四ツ谷から鶴ヶ峰駅や横浜駅まで至る路線もあったが廃止されている。
例年5月4日 - 5日相模川河川敷の相模川グラウンドで開催。神奈川県のまつり50選に選ばれている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.