トップQs
タイムライン
チャット
視点

大正大学

日本の私立大学 ウィキペディアから

大正大学map
Remove ads

大正大学(たいしょうだいがく、英語: Taisho University)は、東京都豊島区西巣鴨に本部を置く、日本の私立仏教系大学1885年明治18年)に天台宗大学が創立。1926年大正15年)大学設置[1]旧制大学の一つ。地域創生などの様々な分野で有名である。地域創生の分野では大正大学地域構想研究所などで研究が行われている。大学の略称大正大大正正大日本の仏教宗派の天台宗真言宗豊山派智山派)、浄土宗時宗が運営する仏教総合大学である。

概要 大正大学, 大学設置 ...
Remove ads

概観

要約
視点

大学全体

大正大学は1919年大正8年)、高楠順次郎姉崎正治前田慧雲村上専精澤柳政太郎仏教連合大学構想を提唱したことに始まる[2]。初代学長は文部官僚大正自由主義教育運動の中心人物であった教育者澤柳政太郎

旧制時代の大正大学は宗教大学でありながらも 単なる宗派教育の場にとどまらず 哲学 文学 社会科学といった幅広い学問分野の研究を重視していた。講義には仏教のみならず キリスト教や西洋哲学も扱われ 世界宗教的な視野をもって学生を育てようとした。当時の日本社会では宗教教育は保守的と見られがちであったが 大正大学の教授陣はむしろ開放的で 国際的な学問潮流を積極的に導入していた。澤柳政太郎の教育理念である人格教育の思想が大学運営にも深く影響し 教育の目的を単なる知識の習得ではなく 人間形成に置いていた。校舎は創立当初から池袋の地に建設され 都市化が進む東京の中で静かな学問の場として存在していた。戦前の学生たちは宗教者を目指す者ばかりでなく 教育者や思想家を志す者も多く 当時の知的雰囲気は非常に自由で討論が盛んであった。講義の合間には宗派を超えた僧侶学生たちが思想を語り合い 宗教の未来や社会のあり方について熱く議論する光景が見られた。第二次世界大戦の時期には国家による宗教統制が強まり 大正大学も例外ではなく 学問の自由は大きく制限された。しかしその中でも教授たちは学問の火を絶やさぬよう努力し 仏教を通して人間の尊厳や平和の理念を守ろうとした。空襲の被害や物資不足の中でも授業は続けられ 学生たちは質素な生活を送りながら学問への情熱を失わなかった。戦後になると教育制度の改革により旧制大学は新制大学へと転換される。大正大学もその流れの中で新しい大学制度に移行し 現代的な総合大学として再出発することになるが 旧制時代に築かれた精神的基盤は今も学風の根底に息づいている。つまり旧制大正大学は単なる仏教大学ではなく 近代日本において宗教と学問の共存を模索した知的実験の場であり 精神的な自由と学問的誠実さを追求した時代であった[3]

戦後の教育改革により、大正大学は1949年に新制大学として再出発した。旧制時代の宗教大学から総合的な学問体系を持つ大学へと転換し、新しい学制のもとで仏教学部、文学部、人間学部などを整備し、現代社会に対応する教育を展開していった。戦後日本が民主化と再建を進める中で、大正大学は宗教と人間教育を軸に据え、平和と倫理の再構築を目指す教育理念を掲げた。その根底には大正デモクラシー以来の精神が流れており、人間の尊厳と自由な思索を重視する姿勢が貫かれていた。1950年代から60年代にかけては仏教学や文学研究の学問的基盤を確立し、教員には日本の宗教学界や哲学界の重鎮が多く在籍した。同時に文学や社会学、心理学など新しい学問分野への取り組みも始まり、大正大学は宗教系大学でありながらも世俗的な学問との接点を積極的に広げた。1970年代に入ると学生運動や社会変動の影響を受けつつも、人間理解と社会貢献を重視する教育が発展し、宗派を超えた共生の精神が再び注目されるようになる。この頃から大学は地域社会との連携を強め、池袋という都市環境を生かした社会実践教育を展開していった。1990年代には情報化と国際化の時代に対応し、新しい学部や大学院を設置して教育の多様化を進めた。仏教の理念を基礎にしながらも、宗教的枠を超えて「人間とは何か」「社会の中でどう生きるか」という普遍的なテーマに取り組む姿勢が一貫していた。2000年代に入るとキャンパス整備が進み、新校舎の建設やデジタル設備の導入が進んだ。また地域連携センターやボランティア活動を通じて社会貢献教育が強化され、学生が地域社会や世界と関わりながら学ぶ実践的教育へとシフトしていった。東日本大震災以後は「共生と再生」を理念に掲げ、被災地支援や地域再建のプロジェクトにも積極的に関わった。このような流れの中で大正大学は仏教精神を軸に持ちながらも、現代社会の課題と向き合う総合大学としての姿を明確にしていった。創立百周年を迎えるにあたり、大学はその歴史を振り返りながら「共生のこころ」を教育理念として再確認し、学問と社会の架け橋となる大学を目指している。旧制時代に培われた人格教育と精神的探究の伝統は途切れることなく継承され、現代の教育の中に生き続けている。

1926年大正15年)に浄土宗、天台宗、真言宗豊山派の各宗が、それぞれの私学を合併する形で開学。その後、1944年昭和19年)に真言宗智山派の智山専門学校も合併された。2018年平成30年)には時宗が大学運営に参画し、現在は浄土宗、天台宗、真言宗豊山派、真言宗智山派、時宗の四宗五派の連合大学となった。天台宗と最澄教学を専門的に研究できる唯一の大学である。

巣鴨キャンパスは敷地面積23,629.37m2。地名にちなんで施設やここでの行事名に冠される「鴨台」は「おうだい」と読む[4]。本部棟、研究棟、体育棟、クラブ棟、教室棟、総合学修支援棟や、すがも鴨台観音堂などを備える。現在、キャンパス改革整備計画が施行され、各種施設の建設やランドスケープ整備が行われている。

建学の精神

建学の理念には大乗仏教の精神である「智慧慈悲実践」を掲げ、生涯を通して菩薩のように生きてほしいという願いが込められている[5]。また、ここから「慈悲」「自灯明」「中道」「共生」の4つを持つ「4つの人となる」という教育ビジョンを掲げる。また、新たに2026年に向け、それらを昇華した「新共生主義」を掲げている[6]

スローガンなど

現在は「MAKE YOUR UNIVERSE. 一緒だから作れる未来を。」を大学創立100周年に向けたビジョンとして使用している[7]

学風および特色

年間を通じて、「鴨台祭」と呼ばれる一般的な学園祭のほか、花祭り、仏陀会(釈迦降誕会成道会涅槃会の意義を合わせて名付けられた大正大学独自の仏教行事[8])、鴨台盆踊り成道会、水曜礼拝(設立四宗派合同の法要)などの仏教行事を実施しており[9]、入学式や修了式のような式典の際には職員が「簡易的な袈裟(宗派により呼称や形状は異なる)」のようなものを身に着けている姿が確認できる。また、公式キャラクター「T-Duck」のお守りや巣鴨キャンパス内にある「すがも鴨台観音堂」の絵馬を販売している。


伝統と学風

大正大学の学風は、仏教精神を基盤としつつ、近代的学問体系との調和を図る総合的教育理念に特徴がある。建学母体である天台宗真言宗智山派真言宗豊山派の三宗派が共有する宗教的伝統を背景に、人間理解、倫理観、精神的成熟を重視する姿勢が創立以来の基本方針として継承されている。これらの宗教的要素は宗教学仏教学に限られず、大学全体の教育姿勢に浸透しており、学生が自らの価値観を省察し、社会的責任を自覚するための基盤として機能している。また、創立期から掲げられる「知行合一」の理念は、学問と実践を不可分のものと捉える思想として学風の中心に位置付けられ、講義、演習、実地調査、地域活動など多様な学習過程において、獲得した知識を現実社会の文脈で活用する実践姿勢が求められている。少人数教育を重視する伝統は、教員と学生の距離が近い環境を形成し、対話的学修を通じて主体性、批判的思考力、研究遂行能力を涵養する基盤となっている。ゼミナールを中心とした教育体制では、資料読解、調査技法、フィールドワークなどの基礎的技能が重視され、学生が独自の研究課題を形成していく過程が学風の中に組み込まれている。さらに、地域社会との連携は大正大学の学風を特徴付ける重要な要素であり、東京都北区東京都豊島区を中心とした自治体や各種団体との協働により、学生が地域文化の理解、地域課題の調査、福祉実践などに直接関わる学習機会が提供されている。これらの取り組みは、社会的実践力と協働能力を育成する場として機能し、大学の教育理念と密接に結びついている。また、同大学は宗教大学でありながら現代的な学際研究を積極的に展開しており、文学歴史学社会学心理学社会福祉学メディア表現文化など多領域を横断する教育環境を整備している。この学際性は、多元的価値観を理解し、複雑化する現代社会の課題に柔軟に対応する能力を育てるものであり、宗教的伝統との融合を特徴とする教育姿勢として位置付けられている。加えて、大学の歴史的背景から、人格形成や精神修養を重視する雰囲気が学内文化として根付いており、礼節、共同性、相互理解といった価値が学生生活全体に反映されている。総じて、大正大学の学風は、宗教的伝統と現代的学問の融合によって、人間理解、社会貢献、実践的学修を重視する教育理念として確立されており、学生が専門知識の習得にとどまらず、自己の生き方や社会的役割を主体的に考える姿勢を育む点に独自性を示している。

また、大正大学の学風には、宗教的背景を持つ大学特有の精神文化が反映されており、学内には静謐な雰囲気を重んじる風土が形成されている。この精神文化は、仏教系大学としての伝統を尊重しつつも、特定宗派の宗義を強制するものではなく、むしろ学生が多様な価値観に触れ、自身の倫理観や思索の深まりを獲得するための環境として機能している。特に、学内で行われる講演会、宗教文化に関する公開講座、歴史的資料の展示などは、宗教的教養と文化的理解を広げる機会として位置付けられ、大学の教育理念を体現する活動の一部となっている。こうした取り組みは、現代社会における宗教間対話や多文化共生の重要性が増す中で、大正大学が果たす役割を拡張する要素ともなっている。

さらに、同大学は創立以来、研究活動の推進にも力を注いでおり、宗教研究に加えて、人文科学、社会科学、地域研究などの領域において学術的成果を蓄積してきた。特に、仏教文化日本思想史の研究は、大学の歴史的背景と結びつき、国内外の研究者との交流や学会活動を通じて発展を続けている。また、社会福祉学部・心理社会学部などの設置に伴い、現代の福祉課題や心理支援に関する実証的研究も進められ、地域福祉、児童福祉、障害者支援、高齢者支援など、社会的ニーズに即した研究領域が拡大している。これらの研究活動は、教育と実践の往還を重視する大学の学風と密接に結びつき、学生が研究成果を地域社会や実務に還元する姿勢を育てる役割を果たしている。

また、大学は学生の自主性と主体的活動を重視しており、多様な学生団体や自主的プロジェクトが学風の一部として定着している。宗教・文化・スポーツ・社会貢献などの分野における学生活動は、キャンパス内外で活発に行われ、学生が自己の関心を深める場として機能している。特に、地域と協働したまちづくり活動や文化イベントの運営に学生が積極的に関与する取り組みは、大正大学の学風における「地域貢献」理念を象徴する要素となっている。また、学生が主体となって企画・運営する行事や研究会活動を通じて、多様な意見交換や公開討論が行われ、自立した思考と社会参加への意欲が育まれている。

加えて、大正大学は国際的視野の育成にも努めており、留学プログラム、海外研修、国際交流イベントなどを通じて、学生が異文化理解を深める機会を提供している。仏教文化研究を軸とした海外大学との交流に加えて、一般的な国際教育の枠組みによる語学研修や海外ボランティアなども整備され、学生が国際社会における視野を広げるための環境が構築されている。これらの取り組みは、伝統的価値観と現代的国際感覚の両立を目指す大学の教育姿勢を反映し、学生がグローバルな課題に対して柔軟な対応力を備えることにつながっている。

総合的に見て、大正大学の学風は、宗教的伝統学問的探究社会的実践学際的教育、そして地域連携国際理解の要素が複合的に結びつくことで形成されている。この多層的な学風は、歴史的経緯に根ざした精神文化を基盤としつつ、現代社会の変化に応じて柔軟に進化しており、学生が知的・精神的・社会的成長を遂げるための独自の教育環境を提供している。

1930年代から1940年代には国家政策の影響を受けつつも内部では宗教的自覚と倫理的指導を重視する態度が維持された。当時掲げられた知行合一の理念はのちの学風に継続的な影響を与え大正大学の教育思想の核となったとされる要出典。戦時期にも宗教大学としての独自性を保持し精神的鍛錬と倫理教育を中心に据えた教育が行われたとされる。

戦後の新制大学移行期には教育理念の再構築が実施され民主主義的価値観と宗教的教養を両立させる方針が学風として明確になった。この時期に文学部人間学部社会学部などの学部構成が整えられ学際的視点と実証的研究態度が学風に取り入れられた。宗教学と仏教学を中心にした教育体制は強化され学生には宗教性に基づく人間理解の深化が求められた。

1960年代から1980年代には高度経済成長期の教育改革を背景として大学の学風は拡大し地域社会との協働や宗教者養成と一般教育の両立や学問成果の社会応用が重視された。学内では宗派を異にする学生の交流が活発となり宗派間対話が大学文化として根付いたとされる。

1990年代以降には少人数教育と個別指導を中心にする教育方針が明確化し地域連携と社会貢献が学風の柱として定着した。仏教精神に基づく倫理観を維持しつつ福祉学心理学メディア学などの領域が拡大し学風の現代化が加速した。

2000年代から2020年頃には大学理念として掲げられる共生と地域と実践が学風の中心概念となり地域創生に関する教育と社会連携事業が整備された。学生は地域社会の現場で学び課題の理解と対応力の育成を求められた。仏教的教養教育は現代的再構成が行われ宗教に基づく人間理解と他者へのまなざしが学風の中核となった。

2010年代後半から2020年頃には多文化共生とコミュニティ支援と実地型学習の割合が高まり宗教的伝統と現代社会の要請を統合する形で学風が成熟した。大学が掲げる地域に学び地域に奉仕するという理念と学風が結びつき実践参加型教育文化として確立された。

Remove ads

沿革

要約
視点

略歴

大正大学は1918年大正7年)の大学令制定後の翌1919年大正8年)に高楠順次郎澤柳政太郎など五博士が各宗官庁に「仏教連合大学」の創設を提唱したことにはじまる。その後、宗派間での協議が行われ1925年大正14年)には天台宗大学(天台宗)、豊山大学(真言宗新義派大学林:真言宗豊山派)、宗教大学(浄土宗)の3つの私学の学生を仏教連合大学に編入し、1926年(大正15年)に大学令による旧制の大正大学が設立された[10]

その後は1943年昭和18年)に智山専門学校(真言宗智山派)が合併、1949年(昭和24年)に現行の新学制により新制大学となり、2018年平成30年)に時宗が運営に参加したことで、現在は天台宗真言宗豊山派智山派)、浄土宗時宗の五宗派の仏教綜合大学となっている[10]

年表

前史(明治以前)

  • 1588年天正16年):真言宗豊山派の小池坊専誉長谷寺を再興。学徒を集めたことで、次第に新義の学山としての傾向を強める。
  • 江戸時代初期:浄土宗において関東の有力檀林18ヶ寺により自然発生的に関東十八檀林が成立。
  • 1602年慶長7年):真言宗智山派の玄宥智積院を再興。学山としての環境は智積院第3世・日誉の時代に整う。
  • 1624年1645年寛永年間):天台宗の上野寛永寺が「勧学寮」を設置(後に「勧学講院」と改称)。
  • 1694年元禄7年)
    • 真言宗豊山派の長谷寺山内にある寮舎や子院の数が64棟に増え、隆盛を極める。
    • 真言宗智山派においてもこの頃から宝永年間にかけて長谷寺山内の寮舎の数が60棟となり隆盛を極める。
  • 1716年1736年享保年間):天台宗の関東に8ヶ寺もしくは10ヶ寺から成る関東天台檀林が成立。

前史(明治以降)

  • 1868年明治元年)
  • 1872年(明治5年):勧学講院の管轄が寛永寺から天台宗へ移管され、「天台宗総黌」(東部総黌)に改称。
  • 1874年(明治7年):真言宗豊山派・智山派で、真言宗大教院により真言宗合一の「宗学林」を東京市小石川区(現:東京都文京区護国寺に設置。
  • 1875年(明治8年)10月:真言宗豊山派・智山派) 宗学林が愛宕真福寺へ移転。
  • 1876年(明治9年):(真言宗豊山派・智山派) 宗学林を真福寺から長谷寺・智積院・金剛峯寺の3ヶ寺へ分散し、名称を「真言宗専門学林」と改称し開校。
  • 1877年(明治10年)
    • (浄土宗) 勧学所を「宗学校東部本校」と改称し開校。
    • (真言宗豊山派・智山派) 宗学林から独立し両山それぞれ「東校」と「西校」を開校。
  • 1879年(明治12年):(真言宗豊山派) 豊山西校を「豊山大学林」と改称。
  • 1884年(明治17年):(浄土宗) 宗学校東部本校を「東部大学林」と改称。
  • 1885年(明治18年):(天台宗) 東京府東京市下谷区(現:東京都台東区)の寛永寺内の天台宗中学林(総黌)を改称して、「天台宗大学林支校」を開校。
  • 1886年(明治19年):(浄土宗) 西部大学林(京都知恩院)と東部大学林(増上寺)を合併し、増上寺山内の天光院に「浄土宗学本校」を開校。
  • 1887年(明治20年)
    • (真言宗豊山派・智山派)護国寺内に「新義派大学林」が開校。5月から授業開始。
    • (浄土宗)「宗教大学」設立。
  • 1890年(明治23年):(浄土宗) 浄土宗学本校が天光院から小石川区の伝通院裏に移転。
  • 1896年(明治29年): 浄土宗) 広島県佐伯郡厳島の光明院住職・荒谷隆徳氏が浄土宗学本校に対し阿弥陀如来坐像を(現在の大正大学の本尊国指定重要文化財)が寄贈される。
  • 1898年(明治31年)
    • (浄土宗)浄土宗学本校は「浄土宗高等学院」と「浄土宗専門学院」に分離。浄土宗専門学院は京都知恩院へ移転。
    • (天台宗)寛永寺内の天台宗大学林が「天台宗東部大学黌」となる。
  • 1900年(明治33年)
    • (真言宗豊山派・智山派) 真言宗各山独立別置管長制が認可。真言宗各派が分離独立したため、新義派大学林が閉校。
    • (真言宗豊山派) 護国寺内の旧新義派大学林校舎を継承し「豊山派東京中学林」が開校。後に「豊山派東京高等尋常中学林」と改称。上部教育機関として補習科を設置し、大学林の代替機関とする。
    • (真言宗智山派) 智積院に「智山派大学林」を開校。
  • 1901年(明治34年):(真言宗豊山派) 小石川区の護国寺内に「豊山派大学林」開校。
  • 1903年(明治36年)
    • (浄土宗) 私立浄土宗高等学院が専門学校令による学校として認可される。
    • (天台宗) 天台宗東部大学黌が寛永寺から東京市本郷区(現在の東京都文京区)の大保福寺(現:駒込学園の敷地)へ移転することが決定。
    • (真言宗豊山派) 豊山派東京高等尋常中学林が文部大臣の認可により「私立豊山中学校」と改称し、一般学生の入学を許可。
  • 1904年(明治37年)
    • (浄土宗) 浄土宗高等学院を「浄土宗教大学院」と改称。さらに浄土宗教大学院を「浄土宗大学」と改称。
    • (天台宗) 天台宗東部大学黌は改称して専門学校令による天台宗大学が認可。本郷区駒込の大保福寺にて開校。
    • (真言宗智山派) 智山派大学林を「智山勧学院」と改称。
  • 1906年(明治39年):(真言宗豊山派) 豊山派大学林を「豊山派高等学院」と改称。
  • 1907年(明治40年):(浄土宗) 浄土宗大学を「宗教大学」と改称。東京府下巣鴨町字庚申塚(現:大正大学所在地)に宗教大学新校舎の建設に着手。
  • 1908年(明治41年)
    • (浄土宗):新校舎(宗教大学本館)が落成。総工費4万5660余円[11]
    • (真言宗豊山派) - 豊山派高等学院を廃校とし、新たに護国寺内に専門学校令により「私立豊山大学」が開校。
  • 1910年(明治42年):(浄土宗) 宗教大学が小石川から巣鴨へ移転。
  • 1914年大正3年):(真言宗智山派) 京都府京都市下京区(後に東山区に分離)の智積院に専門学校令による「智山勧学院」を開校。
  • 1919年(大正8年):高楠順次郎姉崎正治前田慧雲村上専精澤柳政太郎が「各宗長老に呈す」という檄文を発し、仏教連合大学設立を呼びかけ[2]
  • 1921年(大正10年):(真言宗豊山派) 豊山大学内で真言宗合同大学の設立運動が展開され、後に真言宗新古合同大学期成連盟と名付けられる。この連盟は後の仏教連合大学構想に影響を及ぼす。
  • 1923年(大正12年):(浄土宗・天台宗・真言宗豊山派・智山派・古義真言宗) 各宗連合大学設立決議書が提出される。
  • 1924年(大正13年)
    • (古義真言宗) 単独での大学昇格を目指し、仏教連合大学協議から離脱[12]
    • (浄土宗・天台宗・真言宗豊山派) 仏教連合大学進展のために宗教大学・天台宗大学・豊山大学の各大学から代表委員が選定され、内容協議が開始される。真言宗智山派は設立に関して保留の状態となる。
  • 1925年(大正14年)
    • (天台宗・真言宗豊山派) 大保福寺内の天台宗大学及び護国寺内の豊山大学の学生は宗教大学に設置された仮教場において授業を開始。
    • (真言宗智山派) 仏教連合大学の設立に不参加と発表。

旧制大正大学

Thumb
大正大学認可を報じる『東京朝日新聞』朝刊(1926年4月8日付6面)
Thumb
往年の大正大学
  • 1926年(大正15年)4月5日:大正大学が旧学制により認可[13]。天台宗大学(天台宗)、豊山大学(真言宗豊山派)、宗教大学(浄土宗)が合併して、大学令による文学部予科、専門学校令による専門部を設置。
  • 1926年(大正15年)11月6日:大正大学新館(現:大正大学4号館)が落成を待って創立記念式典を挙行。
  • 1928年昭和3年):天台宗大学と、真言宗豊山派の豊山大学が、それぞれ閉学。
  • 1929年(昭和4年):(真言宗智山派) 智山勧学院を北豊島郡石神井村へ移転(現在は東京都練馬区にある早稲田大学高等学院・中学部の校地)。「智山専門学校」と改称して開校。
  • 1943年(昭和18年):(真言宗智山派) 智山専門学校を大正大学へ合併。ただし、在学生の都合により1944年(昭和19年)9月までは併置することに決定。文科系学生の徴兵猶予が停止。一部学生が明治神宮競技場での出陣学徒壮行会に応召。11月25日には、出陣学徒738名の壮行会を挙行[14]
  • 1944年(昭和19年):(真言宗智山派) 智山専門学校、閉校。

新制大正大学

  • 1948年(昭和23年):新制大学設立のため正大制度審議委員会を設置。大正大学高等学校を設置。
  • 1949年(昭和24年):大正大学、新制大学として設立認可。学部は仏教学部文学部の2学部制。旧制は昭和25年まで併置。5月30日に大学本尊・木造阿弥陀如来坐像が国宝(現:国指定重要文化財)に指定される。
  • 1950年(昭和25年)12月:旧制学部(第24回)の最後の卒業式を挙行。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月1日:旧制専門部仏教科(第24回)・旧制高等師範科(第25回)の最後の卒業式を挙行。これをもって旧制完了。
    • 日付不明:大学院修士課程の設置が認可される。文学研究科(仏教学・宗教学・国文学)設置。
  • 1956年(昭和31年):大学院博士課程の設置が認可される。文学研究科(仏教学・宗教学・国文学)設置。
  • 1957年(昭和32年)4月1日:大学内研究所として「綜合佛教研究所」を開設。
  • 1963年(昭和38年)5月13日:「大正大学カウンセリング研究所」を開設。初代所長に中村康隆が就任[15]
  • 1968年(昭和43年):旧館(旧宗教大学本館)、解体。
  • 1976年(昭和51年):開校50周年。記念誌として『大正大学五十年略史』を刊行。
  • 1978年(昭和53年):大学院修士課程・博士課程(史学)を設置。
  • 1979年(昭和54年):別科(仏教専修)を設置。
  • 1981年(昭和56年):文学部文学科国文学専攻、英語英文学専攻を設置。
  • 1982年(昭和57年):文学部社会福祉学科を設置。
  • 1988年(昭和63年):仏教学部に仏教文化コース設置。
  • 1989年平成元年):日本語教員養成講座を開設。
  • 1990年(平成2年):社会学科に生涯教育コース、社会福祉学科に福祉心理学コース、国文学専攻に日本語コースを開設。
  • 1993年(平成5年):仏教学部と文学部を改組し、人間学部と文学部を設置。大正大学高等学校廃止。
  • 1995年(平成7年):学生総合開発センターを開設。
  • 1996年(平成8年):大学院文学研究科比較文化専攻、社会福祉学専攻、臨床心理学専攻の修士課程開設。
  • 1999年(平成11年):大学院文学研究科人間科学専攻修士課程、大学院福祉・臨床心理学専攻、比較文化専攻博士課程を設置。全学部・全学科に昼間主・夜間主コースを開設。人間学部人間福祉学科生涯教育専攻募集停止。
  • 2000年(平成12年):新図書館が完成。社会学科を人間科学科に名称変更。
  • 2001年(平成13年):大学院仏教学研究科、人間学研究科設置。
  • 2003年(平成15年):文学部を再編し表現文化学科、歴史文化学科設置。
  • 2005年(平成17年):キャリアエデュケーションセンター(CEC)、ネクストコミュニケーションコース(NCC)を開設。
  • 2008年(平成20年):人間学部人間科学科人間科学専攻、教育人間学専攻設置。
  • 2009年(平成21年):人間福祉学科(社会福祉学専攻、臨床心理学専攻)を改組し、アーバン福祉学科、臨床心理学科を設置。夜間主コースを廃止。
  • 2010年(平成22年):仏教学部を再設置。表現学部を開設。文学部に人文学科を開設。新教育・研究棟竣工。
  • 2011年(平成23年):人間学部に人間環境学科、教育人間学科を開設。
  • 2012年(平成24年):新3号館完成。
  • 2013年(平成25年):アーバン福祉学科を社会福祉学科に名称変更。新5号館、新11号館(すがも鴨台観音堂)完成。
  • 2014年(平成26年)10月1日:地域構想研究所設立。
  • 2015年(平成27年):文学部に日本文学科を設置。
  • 2016年(平成28年):地域創生学部地域創成学科、心理社会学部人間科学科、臨床心理学科を設置。
  • 2017年(平成29年)
    • 10月1日:エンロールメント・マネジメント研究所を開設。
    • 日付不明:教職支援センターを開設。
  • 2018年(平成30年):時宗が運営に参画。
  • 2019年令和元年):総合学修支援機構DACを設置。
  • 2020年令和2年)
    • 4月:人間学部教育人間学科、社会福祉学科、人間環境学科を社会共生学部公共政策学科、社会福祉学科に改組。
    • 11月:文部科学省により、令和2年度「知識集約型社会を支える人材育成事業」採択校に指定される[16]
    • 9月:新8号館完成[17]
  • 2024年(令和6年)
    • 4月:社会共生学部(公共政策学科、社会福祉学科)、心理社会学部(人間科学科、臨床心理学科)を改組する。地域創生学部公共政策学科、人間学部(社会福祉学科、人間科学科)、臨床心理学部臨床心理学科を設置。また、新たに表現学部メディア表現学科を設置[10]
Remove ads

基礎データ

所在地

校章

校章には、釈迦の一代が表現されている。中央には菩提樹の実、実の中にある大小各々の八つの点は、八万の法蔵と八相を、又、三枚の菩提樹の葉は釈迦の誕生成道涅槃を現わすと共に、本学創立の三宗派、そして、釈尊が成道の時に敷かれたという吉祥草36本(仏教研究及び信仰の者を表現)を配することで、仏教研究の中心道場を象徴している。

スクールカラー

古代紫と蓮桃色をユニバーシティカラーとして使用している。古代紫(こだいむらさき)は赤みがかった紫色で、仏教では高貴な色として尊ばれていることから、大正大学の建学の理念「智慧と慈悲の実践」を表す。蓮桃色(はすももいろ)は蓮の花のピンクを表し、「泥中の蓮」というがあるように、どのような時代でも清く正しくあるべきという未来への決意を表す。

校歌・応援歌

マスコットキャラクター

大学の公式キャラクターは「T-Duck(ティーダック)」という鴨の女の子のキャラクターが使用されておりグッズの販売もされている。ベスト進学ネットが実施した「学校キャラ総選挙2017」では2位になった[18]

宗教大学時代の車寄

大正大学の前身である宗教大学の本館の車寄は登録有形文化財に登録され、現在は愛知県犬山市にある博物館明治村で展示されている[19]

教育および研究

教育

学部

  • 社会共生学部(2023年度入学生まで)
    • 公共政策学科(2024年4月より地域創生学部)
    • 社会福祉学科(2024年4月より人間学部)
  • 地域創生学部
  • 人間学部(2024年4月開設)
    • 人間科学科
      • 人間発達プログラム
      • 現代社会生活プログラム
    • 社会福祉学科
  • 表現学部
    • 表現文化学科
      • 情報文化デザインコース
      • 街文化プランニングコース(2024年度よりライフデザインコースへと名称変更)
      • 放送・映像メディアコース
      • アート&エンターテインメントワークコース
      • クリエイティブライティングコース
  • 心理社会学部(2023年度入学生まで)
    • 人間科学科(2024年4月より人間学部)
    • 臨床心理学科(2024年4月より臨床心理学部)
  • 臨床心理学部(2024年4月開設)
    • 臨床心理学科
  • 文学部
  • 仏教学部
    • 仏教学科
      • 仏教学コース
      • 国際教養コース
      • 宗学コース
  • 情報科学部(仮称):2026年4月設置予定[20]
    • グリーンデジタル情報学科(仮称)
    • デジタル文化財情報学科(仮称)

研究科

  • 仏教学研究科(修士・博士後期)
    • 仏教学専攻
      • 仏教学コース
      • 梵文学コース
      • 天台学コース
      • 真言学コース
      • 浄土学コース
  • 人間学研究科
    • 社会福祉学専攻(修士)
      • 社会福祉学コース
    • 臨床心理学専攻(修士)
      • 臨床心理学コース
    • 人間科学専攻(修士)
      • 人間科学コース
    • 福祉・臨床心理学専攻(博士後期)
      • 社会福祉学コース
      • 人間科学コース
      • 臨床心理学コース
  • 文学研究科(修士・博士後期)
    • 宗教学専攻
      • 宗教学コース
    • 史学専攻
      • 史学コース
    • 国文学専攻
      • 国文学コース
    • 比較文化専攻
      • 比較文化コース

教育開発推進センター

  • 教育開発推進センター

附属機関

  • 附属図書館
  • 綜合佛教研究所
  • カウンセリング研究所
  • 地域構想研究所

株式会社ティー・マップ

株式会社ティー・マップは学校法人大正大学の事業法人である。出版部門である「大正大学出版会」、エリアキャンパス(後述)がある宮城県南三陸町の「黄金の菊」を販売する「鴨台花壇」の運営、オープンカレッジ(公開講座)の実施、学生生活の総合サポートなどを行っている[21]

Remove ads

学生生活

部活動・クラブ活動・サークル活動

体育系部

文化系部

サークル・同好会

学祭

学祭は2013年(平成25年)より「鴨台祭」と名称を改めた。毎年11月上旬に2日間開催される。ただし、2022年(令和4年)は6月に開催された[22]。鴨台祭実行委員会が企画するイベントと、書道研究部が主催する全国書道展が人気。

鴨台盆踊り

「巣鴨三大盆踊り」の一つとして称される盆踊り。毎年7月上旬に2日間開催される。学生が授業の一環で実施しており、開催数を重ねるごとに来場者数は増え、1万人を超えた。当日は屋台も並び、地域の祭りの様相を呈している。これまでに大正大学校歌のほか、『ダンシング・ヒーロー』『東京音頭』といった曲が踊られており、『万博音頭』が関東で初披露された[23][24]

釈尊成道会

仏教学科の学生で行う成道会。毎年12月に開催される。法要やお練りのほか、来場者に対し、乳粥や大根焚きなどの提供が行われる[9](乳粥の故事については、釈迦に捧げたとされる女性スジャーターを参照)。

水曜礼拝

設立四宗派(天台宗真言宗豊山派真言宗智山派浄土宗)の学生によって行われる法要。開講期間中の水曜の昼休みに開催される。大学独自の「大正大学勤行式」を共通で用いる[9]

Remove ads

大学関係者と組織

大学関係者一覧

施設

要約
視点

キャンパス

巣鴨キャンパス

全ての学部と大学院研究科が使用している。

交通アクセス

各棟の詳細

  • Thumb
    4号館
    1号館:本部棟
  • 2号館:研究棟
  • 3号館:教育・研究棟
  • Thumb
    左から8号館、7号館、5号館
    4号館:教育棟
  • 5号館:教育・研究棟。最上階にレストラン「鴨台食堂(おうだいじきどう[4]後述)」が併設。
  • 6号館:体育棟。2010年(平成22年)6月15日に完成[25]。旧学生食堂
  • 7号館:教育・研究棟。2010年(平成22年)3月30日に8階建て約7,000m2規模の新教育・研究棟が完成した[26]
  • 8号館:総合学修支援施設。2020年(令和2年)9月、附属図書館を含む学修支援機能を備えた新施設としてオープン。4階に旧8号館の礼拝堂を移転し、礼拝ホールとして併設。
  • 9号館:部室棟
  • 10号館:教室棟。カフェテリア(学食)を1階に併設。
  • 11号館:すがも鴨台観音堂(鴨台さざえ堂後述
  • 13号館:教室・Academic Commons。附属図書館(8号館)の一部蔵書はこちらに所蔵されている。
  • 15号館:地域構想研究所

礼拝堂(らいはいどう)

創立60周年を記念して1985年(昭和60年)に造られた。2017年(平成29年)まで巣鴨校舎にあった。本尊として平安時代の作品とされる国指定重要文化財である木造阿弥陀如来坐像[注 2]が安置されていた[27]。しかし、キャンパス再開発に伴い解体。2020年(令和2年)9月、新8号館4階に礼拝ホールとしてオープンした。本尊の蓮台は新調された現代風のものに変更されている。礼拝堂で使用されていた宮殿と須弥壇は、埼玉県美里町の真言宗智山派真東寺に譲渡された。

すがも鴨台観音堂

Thumb
すがも鴨台観音堂(11号館)

南門近くにあり、安置されている「すがも鴨台観音」を誰でも参拝できる。高さは約18メートルで、地元住民が仏教に親しめる機会を増やそうと大林組施工で2013年(平成25年)に完成し、福島県にある会津さざえ堂を模して上りの往路と下りの復路が交わらない二重らせん構造になっている[28]。二重らせんは、仏の額にある白毫の象徴でもあるほか、屋根は会津さざえ堂が六角形であるのに対して八正道にちなんだ八角形とした[28]。上り階段の壁面には般若心経の真言が17の梵字で書かれており、上ると読経と同じ功徳が得られるとしている[28]。すがも鴨台観音の背後には千住博画伯が描いたの壁画があり、下り階段のガラスにも滝がデザインされ、昼間は陽光、夜は堂内からの照明の光を受けて様々な色彩を見せる[28]。拝観時間は9:00~17:00[9]

鴨台食堂(おうだいじきどう)

新5号館の完成に伴い、2013年(平成25年)に新しく完成したレストラン。完成当初はプリンスホテルが経営していたが、現在はプリンスホテル元料理長が腕を振るうレストランに変わった。主にステーキなどのメニューが提供されており、価格は1000円代~2000円代。以前まで大正大学の学生限定メニュー「カレーランチ」(550円)が提供されていたが、現在はランチ定食や週替わりのパスタが提供されている[29]

種子地蔵尊(たねじぞうそん)

南門近くに建立された地蔵菩薩の石像。手には植木鉢を持っている。これは南門前を通る旧中山道巣鴨滝野川のあたりでは種子屋が軒を連ねていたことから種子屋通りと言われており、その歴史の顕彰と街道・地域・大正大学の安泰と発展、野菜穀物の豊作を祈願しているためである[9]

巣鴨校舎備考

巣鴨校舎校地の9割以上の部分を学校法人佛教教育学園(旧学校法人浄土宗教育資団)から借り受けている[30]

埼玉校舎

Thumb
埼玉校舎

交通アクセス

寄宿舎紫雲館、体育館、グランド、テニスコート等がある[31]


エリアキャンパス、サテライトキャンパス

地域おこしへの参加など学生の実習やゼミ合宿などに活用されている。

すがも街なかキャンパス

産学官民連携事業として2018年から行われている「すがもオールキャンパス」の取組として運営されている店舗。[38]

  • ガモールマルシェ

巣鴨地蔵通り商店街にあるアンテナショップ。大正大学の連携自治体の特産物や「すがもプリン」などを販売している[39]

  • ガモール志學亭

巣鴨地蔵通り商店街にあるカフェ。地域構想研究所の研究員でもある立川流の落語家立川しらら氏による寄席が行われる。ステーキ丼などを提供している[40]

Remove ads

対外関係

要約
視点

姉妹校・大学

交流協定校・大学

他大学との協定・連携

仏教図書館協会東地区相互利用の協定に加盟しており、大正大学のほかに駒澤大学淑徳大学鶴見大学東洋大学身延山大学立正大学の図書館を大学院生、専任教職員、専任研究員・所員なら相互に利用することができる[42]

大学院文学研究科宗教学専攻では國學院大學東洋英和女学院大学駒澤大学聖心女子大学立教大学とともに「首都圏における大学院委託科目等履修生制度に関する協定」(「首都圏宗教単位互換協定」)を締結している[43]

また、地域構想研究所では、佛教大学静岡産業大学新潟産業大学島根大学和歌山大学東北公益文科大学、順正学園(吉備国際大学九州保健福祉大学)、村崎学園徳島文理大学徳島文理大学短期大学部)、種智院大学、昌平黌(東日本国際大学いわき短期大学)、淑徳大学追手門学院大学と連携している[44]

産官学連携

地方自治体との連携

大正大学地域構想研究所によると、次の自治体と連携している[44]

包括協定締結自治体

連携自治体

Remove ads

社会との関わり

バーチャルYouTuberのバーチャル学長就任式

2021年7月31日、バーチャルYouTuberキズナアイが「ひと夏だけのバーチャル学長」に就任するイベントを実施した。バーチャルSNS「cluster」を用いて実施され、大正大学8号館の再現のほか、参加者は大正大学公式キャラクター「T-Duck」に扮装して参加することができた[49]

ショートドラマ「僕は君にガーベラを贈る」

2021年12月、演出家平野眞氏と学生が共同で制作したショートドラマ。アントレプレナーシップ教育の一環として行われた。作品はYouTubeにて視聴することができる[50][51]

「スガモ消滅2026」

2021年、「スガモ消滅2026」と題し、窪田望招聘教授と学生が共同で制作したドラマの公開と謎解きARゲームを実施した[52]。大学の調査では1か月間で6,300万円の経済効果を生んだという[53]

「2026スガモ爆発〜AIスクールバスを食い止めろ〜」

2022年、前年(2021年)に実施した「スガモ消滅2026」に引き続き実施された謎解きイベント。窪田望招聘教授と学生に加え、株式会社謎組が共同制作した[53]

石川県珠洲市の災害復旧

2024年元日に発生した能登半島地震の災害復旧のため、同年6月5日から6月9日の間、学生と教職員を派遣した[54]

「バーチャル寺院」の運営

2024年8月16日の朝日新聞デジタルで、柏木正博理事長がデジタル技術で寺院の機能を強化することを目的とした「バーチャル寺院」を2024年秋から開発に着手することを明かした。同記事によると、2026年の大正大学100周年までに実現したいとしている[55]

参考文献

  • 大正大学編『大正大学十年史』(大正大学、1935年)
  • 大正大学五十年史編纂委員会編『大正大学五十年略史』(大正大学五十年史編纂委員会、1976年)
  • 星野英紀編『大正大学――回顧と展望』(大正大学まんだらライブラリー第10号別冊、大正大学発行、大正大学出版会発売、2010年)
  • 自校史ブックス編纂グループ編『大正大学』(自校史ブックス、日経BPコンサルティング発行、日経BPマーケティング発売、2012年)

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads