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1995年の阪神タイガース

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1995年の阪神タイガース
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1995年の阪神タイガース(1995ねんのはんしんタイガース)では、1995年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...

1995年の阪神タイガースは、シーズン途中の7月23日に中村勝広監督が休養し、代わって藤田平が監督に就任したため、中村監督の6年目のシーズンであり、藤田監督の1年目のシーズンである。

概要

 2年連続4位に終わったチームは4年連続打率3割のトーマス・オマリーを解雇し、新たな4番候補としてMLBで6年連続20本塁打以上の実績を持つグレン・デービスを、さらに長打力を期待してスコット・クールボーを獲得し打線の強化を図った。しかし開幕からいきなり5連敗した上[1]亀山努がグレンと激突して腰椎骨折の重傷を負うアクシデントもあり、チームは早々と最下位に低迷する。5月中旬に4連勝をマークして以降チーム状態が上向き、中日に代わって5位に浮上。5月、6月は10勝11敗と健闘し7月以降の上昇に期待がかかったが、7月に入るとヤクルトに2連勝の後、新庄剛志の故障離脱が響き5連敗。1つ勝った後、本拠地・甲子園での連戦が続くゲームで8連敗を喫し前半戦が終了。中村監督は休養し、後半戦から藤田二軍監督が監督代行に就任。心機一転巻き返しを図るものの、低迷に歯止めをかけることができず、9月には中日に抜かれ再び最下位に転落。この年は上位3球団との相性が悪く(19勝59敗)、4位の横浜には14勝12敗と勝ち越し、中日には13勝13敗と健闘したが、上位陣の草刈り場となりシーズンを終えた。投手陣は湯舟敏郎藪恵壹の両輪に加えて竹内昌也郭李建夫、ルーキーの川尻哲郎などの先発陣が打線の援護に恵まれず、勝ち星が伸びない中で比較的安定してローテを守ることができたものの、救援陣は前年守護神を務めた古溝克之が9敗を喫するなど崩壊、多くの逆転負けを喫する原因となった。打撃陣では新外国人のグレンとクールボーが主軸を務めるも打率が伸びず、桧山進次郎の台頭など明るい話題もあったが亀山、新庄の故障離脱などもあり本塁打と打率はリーグ最下位に終わった。シーズン終了後に1985年のV戦士・真弓明信が現役を引退、また藤田監督との確執や師と仰ぐ柏原純一コーチ解任で球団に不信感を募らせた新庄が突然引退を宣言し、のちに撤回する騒動があった。

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チーム成績

レギュラーシーズン

さらに見る 開幕:4/7, 5/2 ...
さらに見る 順位, 4月終了時 ...
1995年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位ヤクルトスワローズ82480 .631優勝
2位広島東洋カープ74561 .5698.0
3位読売ジャイアンツ72581 .55410.0
4位横浜ベイスターズ66640 .50816.0
5位中日ドラゴンズ50800 .38532.0
6位阪神タイガース46840 .35436.0
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1995 サンヨー オールスターゲーム

さらに見る ポジション, 名前 ...
  • この年の阪神は監督推薦のよる選出のみであった。

入団・退団

本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。

さらに見る 選手名, 背番号 ...
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選手・スタッフ

試合結果

さらに見る 凡例, 勝利試合 ...
さらに見る 4月(6勝13敗 .316), # ...
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個人成績

投手成績

  • 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高。
さらに見る 選手, 登板 ...

打撃成績

  • 色付き規定打席(403打席)以上の選手
  • 太字はリーグ最高。
さらに見る 選手, 試合 ...
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表彰

達成記録・出来事

ドラフト指名選手

さらに見る 順位, 選手名 ...

出典

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