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UNICORN
日本のロックバンド ウィキペディアから
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UNICORN(ユニコーン)は、日本のロックバンド。1986年に広島県広島市にて結成し、1987年にメジャーデビュー。1993年解散。2009年に再結成し活動を再開した。
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概要
1987年、アルバム『BOOM』でデビュー。所属事務所はCSアーティスツ(現:ソニー・ミュージックアーティスツ)。契約レコード会社はCBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックレコーズ)。初期の音楽プロデューサーは笹路正徳。バンド名は、イギリスのロックバンドT・レックスのアルバム『ユニコーン』に由来している[3]。
デビュー当初はビートロックの一派とされていたが、笹路の弟子で当初はアシスタントとして参加していた阿部が、脱退した向井に代わり新メンバーとして加入後の3rdアルバム『服部』からは変化が現れた。音楽性の異なるメンバー全員が作詞・作曲・ボーカルを担当できることから[3]、作風の幅が広がり、それまでになかった語彙や題材を用いた歌詞、ジャンルを問わない音楽性を発揮[出典 1]。またライブにもメンバーのキャラクターを活かした寸劇が取り入れられるなど、バンドブームの中心的グループとして活躍した[出典 2]。当時のバンドの中でも抜きん出た演奏力を持つバンドとも評された。1990年には、4thアルバム『ケダモノの嵐』が第32回日本レコード大賞アルバム賞を受賞した。
1992年に5人それぞれのソロシングルリリースと、1993年1月「EBI奥田阿部西川手島」名義でミニ・アルバム『UNICORN』(形態は8cmシングル)をリリースののち、2月にリーダーの西川(現:川西)が脱退。解散前最後の作品となった8thアルバム『SPRINGMAN』リリースと全国ツアー「UNICORN TOUR 1993 “4946”」を経て、同年9月21日に解散を発表した。
解散後はソロや新たなバンドでの活動、他のミュージシャンのプロデュース等、各自が音楽活動を続けていた中、2009年1月に再始動を発表。同年リリースされたアルバム『シャンブル』はオリコン1位を記録した[注釈 1]。
2024年現在も継続的にリリース、ライブを展開している。特に再始動後は、各メンバーが担当パートに捉われずさまざまな楽器を演奏し、歌唱するメンバーも曲ごとに入れ替わり、全員がリードボーカルをとっている。
バンドリーダーは当初川西が務めていたものの、解散前に脱退。2009年川西を含めて活動再開したが、リーダーは阿部(現:ABEDON)となっている。
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メンバー
要約
視点
下記は基本パートであり、レコーディングやライブでは各メンバーが楽曲によってさまざまな楽器を担当している。また作詞・作曲も全員が手がける。
ABEDON:Key. & Vo. & Gt.
- 現バンドリーダー[7]。再始動プロジェクトの発起人。
- 1stアルバム『BOOM』、2ndアルバム『PANIC ATTACK』のレコーディングにサポートで参加し、『PANIC ATTACK』リリース前のTV出演にて正式加入が発表。
- 1991年1月8日、ライブ「嵐のケダモノ」ツアー宇都宮公演中に脱臼し救急車で運ばれる。
- 2014年1月7日、アーティスト名を“ABEDON”に改名した。
- 2016年、生誕50周年を記念して山形市総合スポーツセンターにて「ABEDON50祭 “サクランボー/祝いのアベドン”」を開催。
EBI:Bass &Vo.
- バンド活動中にソロデビュー(ソロ名義でアルバムをリリース)している。
- デビューから1993年までの作品においては、作詞、作曲の名義は本名の堀内一史で統一されている。
- 2015年 生誕50周年を記念してパシフィコ横浜で「海老乃大漁祭」を開催。
奥田民生:Vo.&Gt.
- 2度の勧誘を経てユニコーンに加入。自称「二期メンバー」。
- 2015年、5月に生誕50年記念ライブ「OT50祭 “もみじまんごじゅう”」公演を開催。
手島いさむ:Gt.&Vo.
川西幸一:Dr.&Vo.
- 旧メンバー
- 向井美音里(むかい みどり、1965年4月27日 - 、広島県出身)
- キーボード担当。
- 1988年、2度目のツアー終了後、健康上の理由で脱退。89年、EBIと結婚し2児の母となるが、98年に離婚。02年、音楽業界から離れる。[要出典]
- サポートメンバー
- 古田たかし(ふるた たかし、1958年7月6日 - 、東京都出身。当時・Dr.StrangeLoveメンバー)
- ドラム担当。川西脱退後、1993年のツアー「4946」にてサポートを務める。
- ユニコーン解散後、奥田のソロ活動時のサポートメンバーにもDr.StrangeLoveで参加することになる。2009年の再始動ライブ「蘇える勤労」にゲスト出演し、ツインドラムで川西と共演した。
- 橘あつや(SPARKS GO GO)
- 小畑ポンプ(すかんち)
メンバーの変遷

バンド内ユニット・企画
※メンバー2名以上で構成されるユニット
- 「民生くんとアベくん」 - 奥田・阿部(解散まで、 フジテレビ系『ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラー出演)
- 「しのコーン」 - 手島・EBI、篠原ともえ(1997年に結成され、ツアーをまわった)
- 「電大」 - 川西・手島・EBI(2012年に結成された広島電機大学出身の3人によるバンド)
- 「阿部民バンド」 - 奥田・阿部、八熊慎一(SPARKS GO GO)、YO-KING・桜井秀俊(真心ブラザーズ)、木内健(2013年「ワシモ半世紀」に出演したユニット)
- 「なにわンダーたこ虹バンド」 - 川西・手島、上野一郎、TACOS NAOMI(たこやきレインボーのバックバンド)
- 「ABEDON AND THE RINGSIDE」 - ABEDON・奥田、八熊慎一(SPARKS GO GO)、斎藤有太、木内健(2016年に結成されたユニット)
- 「むねきんトリオ」 - 奥田・ABEDON、斎藤有太(氣志團 presents企画「ア・ベストテン」から派生したアイドルユニット)
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略歴
結成から一時解散まで
- 1986年3月、川西、手島が中心となって「ユニコーン」を結成。手島が、ライブハウスの演奏で目をつけていたEBI(堀内)を勧誘し、川西が旧知の向井を誘って加入。2度の勧誘を経て最後に奥田が加入。12月、CBSソニーオーディション決勝にて合格。12月、CBSソニーオーディション決勝にて合格[出典 3]。
- 1987年10月21日、1stアルバム『BOOM』でデビュー[9]。
- 1988年1月、向井が健康上の理由から脱退。以後のレコーディングとライヴには、笹路正徳、阿部義晴がサポートメンバーとして参加。5月、阿部が正式加入。
- 1989年7月10日、初の日本武道館でのライヴを行う。
- 1990年、4thアルバム『ケダモノの嵐』が第32回日本レコード大賞アルバム賞を受賞する。
- 1991年8月23日、 EBIがアルバム『MUSEE』でソロデビュー。10月22日、ユニコーンでは最長のツアー「舞監なき戦い」開始(1992年3月19日まで)。
- 1992年8月から10月にかけて、EBI、奥田、阿部、西川、手島の順で5人がそれぞれソロシングルをリリース。
- 1993年1月21日、前年のツアー中からメンバーと自分の音楽性のずれに悩んだ結果の決断、として川西が脱退をファンクラブ号外にて発表。同年2月6日付で正式脱退。当時制作中だったアルバム『SPRINGMAN』のレコーディングには河合マイケルが、アルバムを受けたコンサートツアー「UNICORN TOUR 1993 “4946”」には古田たかしがサポートメンバーとして参加。
- 1993年9月21日、ニッポン放送「オールナイトニッポン」にて解散を発表。同番組内にて奥田は解散理由を『SPRINGMAN』制作で達成感があり、同バンドで次にやることが思い浮かばない、スポーツ新聞に書かれているように「力出し切った」ためであると述べた。 なお後年、奥田は2008年に後述する再結成決定の席[注釈 3]で「あの時解散したのは(メンバー間で)いざこざになるのが嫌だったから」、阿部は2021年に「僕らは実験をやろうとしたけど、若くてお互いの作品に抵抗感を感じることもあった。それが表に出てしまうこともあったから解散という結果になった」[11]と、川西が脱退時に挙げた理由が、最終的に解散に繋がったとの見解を示している。
活動再開について
- 2002年、結成15年を記念して刊行された書籍『GOLDIES but OLDIES 1987-1993』のインタビュー企画に5名がそれぞれ登場。再結成については手島は前向き、川西と阿部は後ろ向きなコメント[注釈 4]を残す。
- 2005年10月、雑誌『@BOOING』に掲載されていた、吉田豪によるバンドブーム時代のミュージシャンへのインタビュー[注釈 5]に、阿部が登場してユニコーン時代を回想。再結成は「(してもいいと思うが)今やりたいことかといえばそうではない」「誰かが声を掛けないとやらないと思うよ。たぶん俺は声掛けないけどね」と、2002年に比べてやや軟化したコメントを残す。
- 2006年9月、 阿部、誕生40周年記念ツアー「阿部義晴音楽祭〜仲間とノリノリ40祭〜」を開催し、ゲストとして奥田民生と、川西が在籍していたジェット機が登場。アンコールセッションでは奥田・川西・阿部らで「スターな男」などユニコーンの楽曲を披露。
- 2007年7月15日、「Jメン」の通称で知られるユニコーン時代からのスタッフの結婚パーティーの余興で、仕事のため披露宴を欠席した川西を除いたメンバー4人が、主賓の「ユニコーンがいい」との希望で揃って数曲を演奏。川西に代わってドラムを担当したのは、披露宴に出席していた古田たかし。EBIは「久しぶりに集まって、とても楽しくできた」と述べている[注釈 6]。この時点で阿部は、イベントでの共演などから「今現在の自分たちでやるユニコーンで曲をつくるのはどうか?」[注釈 7]という興味を感じるなど心境が変化しており、再結成に動き始める。
11月、阿部が川西に「今の5人で曲を作るのに興味がある」[12][注釈 8]と相談をもちかける。再結成という言葉は先に進むというイメージを持てず嫌い[注釈 9]として再結成に否定的なスタンスを崩していなかった川西も「話を聞いて、新しいバンドを始めるのと同じで面白そうだ」[12][注釈 10]と感じ承諾。二人に打診された奥田も承諾する。 - 2008年1月、阿部の提案により、当時のスタッフを含めたメンバー5人による新年会を開き、正式に再結成について話し合いが行われ、「とりあえず曲を書いて集まろう」と全員が快諾した[注釈 11]。 4月までに22曲のデモテープが集まり、5月から一部の関係者以外には完全シークレットによる新曲のレコーディングを開始し、10月に完成。結局12月末[注釈 12]までマスコミにバレることはなかった。
活動再開後
- 2009年元旦、公式サイトオープンと同時にメンバーによる新年の挨拶動画が公開された。1月5日、再始動とともに、シングルとアルバムのリリース及び全国ツアーの開催が発表された。
2月、再始動後初のシングル「WAO!」、アルバム『シャンブル』発売。3月5日 山形より、全国ツアー「蘇える勤労」スタート。 - 2011年10月25日・26日、19年振りにJUN SKY WALKER(S)との対バンをGolden Circleとして日本武道館にて開催。[13]
- 2012年2月、川西、手島、EBIの3人により新バンド「電大」が結成され、ミニアルバムの制作と全国ツアーの開催が発表される。
- 2014年、阿部がアーティスト名を「ABEDON(あべどん)」に改名。
- 2015年7月、川西が脳梗塞(ラクナ梗塞)と診断され、2か月ほど静養が必要なことが判明。このためユニコーンは、夏に予定されていたすべてのフェスおよびイベント出演をキャンセルした。同年10月2・3日にパシフィコ横浜で開催されたライブイベント「ユニコーン EBI50祭 “海老乃大漁祭”」にて復帰。
- 2017年10月にデビュー30周年を迎え、12月にABEDONによる全曲リマスタリングボックス「UC30 若返る勤労」をリリースし、同月より全国ツアー「UC30 若返る勤労」を開催。
- 2018年、ファンクラブ「UCFC ビジーファイブ」を発足。ファンクラブツアーを開催。
- 2019年は再始動10周年、現メンバーとなって初のアルバム『服部』リリースから30周年、川西の生誕60周年を迎えることから、これらの数字を足した“ユニコーン100周年”と銘打ち、「働き方改楽 −なぜ俺たちは楽しいんだろう−」のスローガンを掲げ、3月にアルバム『UC100V』を発売。4月から12月までに及ぶ全国ツアー「ユニコーン100周年ツアー“百が如く”」をスタート。ツアー中にアルバム『UC100W』を制作、10月に発売したため、ツアー後半はセットリストを変更して公演を行った。なお、このツアーは100周年にちなみ、1公演100分というルールを設けてライブが行われた。
- 再始動後は定期的にアルバムリリースとライブツアーを敢行。ツアーのない年はバンドとしての新曲リリースやイベント出演等と並行して、メンバー個々の活動を行っている。
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エピソード
結成の経緯
- 川西と手島は「THE STRIPPER」というバンドで一緒に活動していたが[出典 4]、音楽性の違いにより2人そろって脱退した。その後、手島はプロのミュージシャンになることを志し、ライブハウスでアルバイトをしつつ多数のバンドを掛け持ちする。一方で川西は音楽を一度やめ、就職する。
- バンドをやめサラリーマンとなった川西だったが、当時奥田の所属していたバンド「READY!」の解散ライヴのサポートドラマーを頼まれ参加。バンド熱が戻った川西は新たなバンドを結成すべく手島に声をかけたが「サラリーマンと組む気は無い」と言われたため脱サラし、勧誘に成功した。次に手島が目をつけていたベーシスト堀内(EBI)を勧誘。実は川西、手島の大学の後輩だった。
- READY!を解散した奥田は、友人のベーシストである山中真一と新たなバンドを作ることを約束していた。そのため、川西からの最初のオファーを断ったのだが、山中が別のバンド(後のレプリカ)を始めたため、2度目のオファーでユニコーンへの加入を決意した[15]。この奥田加入日は1986年3月23日で[9]、これがユニコーンとしての結成日となる[出典 5]。このメンバーでの初ライブは1986年5月22日[9]。手島がアルバイトをしていたライブハウス・広島ウッディストリート(田中町→立町)[出典 6]や、並木パラスト、広島県民文化センターなどでライブを行う[9]。
デビュー後
「バンド御三家」
- 「バンドブーム」の中心的グループ[出典 7]で、THE BLUE HEARTS、JUN SKY WALKER(S)と共に“バンド御三家”とも呼ばれた[5]。またルックスの良さからチェッカーズ、JUN SKY WALKER(S)と並んで、当時の音楽雑誌で最もグラビアページを組まれるバンドであった。特に“ロックバンドのアイドル化”を招いたと言われる『PATi PATi』では、チェッカーズの後、度々表紙や特集を組まれる同誌の看板スターとなった[出典 8]。
解散中の交流
- 阿部がMCを務める音楽番組「VIDEO JAM」に各メンバーがゲスト出演している。
- 1994年、阿部のアルバム「Ⓐ 」に川西が参加。
- 1994年、奥田のシングル「愛のために」に川西がドラムで、アルバム『29』では「tamitron」として阿部が参加。
- 1997年、手島・EBIと篠原ともえで「しのコーン」を結成。
- 1999年、阿部のアルバム「RAIN」に奥田、川西が参加し、3人での「忍者ロック」が新規収録されている。
- 2006年9月、 阿部、誕生40周年記念ツアー「阿部義晴音楽祭〜仲間とノリノリ40祭〜」に奥田と川西(「ジェット機」のメンバーとして)が参加。
- 2007年7月15日、 ユニコーン時代からのスタッフ(通称:Jメン)の結婚パーティーの余興に奥田、阿部、EBI、手島が参加。
- 2008年5月24日、Zepp NAGOYAで行われた星野楽器の創業100周年イベント『百年の鼓動』のアンコールで、奥田・川西・阿部が同じステージに立ち、ユニコーンの曲4曲と奥田民生の曲1曲、計5曲を演奏した。
再始動後
- アルバム『シャンブル』レコーディング中、川西が再始動にあたりバンド名を変えようと提案したところ、即却下された。ちなみに、バンド名候補として「ペガサス」「シリウス」「UNICoooooRN (GReeeeNのもじり)」などがあったという[22]。
- Yahoo!の インタビュー ではメンバーはユニコーンを存続させる旨の発言をしている。テレビ朝日「ドスペ2・復活記念特番 蘇えるユニコーン」(2月15日放送)では「もはや解散なんてことはないと思う。やったりやらなかったりしていいわけだから」(奥田)との発言があり、また、フジテレビ「僕らの音楽」2009年2月20日放送分では「誰かが『やってくれ』といったらやる」(奥田)とも発言している。
- 新たに完成したMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に1年間限定で「ユニコーーーーーーン」とかかれた40メートルの巨大看板を設置、それにちなんで4月26日の広島対阪神戦にてユニコーンのメンバーが始球式をすることが決定[23]。始球式をEBIが担当したが、EBIの投げたボールが当時、腰痛であった阪神・赤星憲広の腰に直撃、EBI・奥田が謝罪するという事態となった。
- 再始動後はライブ、メディア出演、アーティスト写真などにおいて基本的にメンバー全員が揃いの衣装に身を包んでいる。
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影響
- その後のロックバンド、ミュージシャンに与えた影響は大きく[出典 9]、ゆず[出典 10]や小渕健太郎[出典 11]、ROLLY[24]、ASIAN KUNG-FU GENERATION[出典 12]、BEAT CRUSADERS[35][注釈 13]、Janne Da Arc[36]、レミオロメン[出典 13]、SEAMO[出典 14]、志村正彦(フジファブリック)[出典 15]、綾小路翔(氣志團)[24]、小田井涼平(純烈)[41]、SPARKS GO GO[24]、和田唱(TRICERATOPS)[出典 16]、おのまきこ(花*花)[32]、キンモクセイ[出典 17]、aiko[44]、THE BACK HORN[出典 18]、スキマスイッチ[出典 19]、木村カエラ[24]、MONGOL800[出典 20]、マキシマムザホルモン[出典 21]、ファンキー加藤(FUNKY MONKEY BABYS)[51]、POLYSICS[出典 22]、DOES[26]、髭(HiGE)、SPECIAL OTHERS[出典 23]、monobright[出典 24]、アナログフィッシュ[54]、西村晋弥(シュノーケル)[55]、Ryoji(ケツメイシ)[24]、チャットモンチー[出典 25]、サカナクション[出典 26]、リヴァース・クオモ(スコット&リバース)[58]、岸田繁[27]、TAKURO(GLAY)[59]、フラワーカンパニーズ[24]、H ZETT M[24]、OKAMOTO'S[出典 27]、ファーストサマーウイカ(BiS)[49]、マカロニえんぴつ[61]、つじあやの[24]、フルカワユタカ(DOPING PANDA)[24]、星野源[26]、彩木咲良(たこやきレインボー)[24]等、近年活躍している多くのミュージシャンがその影響を公言している。Mr.Childrenの桜井和寿は、アマチュア時代(THE WALLS)にCBSソニーのオーディションを受けた時、ゲストで出演したユニコーンを観て「ああ、俺ら今みたいなことやってたら、売れないんだなぁ」と「ユニコーンの"華"を自分なりに研究した」「それまでの暗い音楽から、明るい音楽に方向転換した」等、特にアレンジ面で大きな影響を受けたことを話している[出典 28]。氷室京介は自身のラジオ番組『TOSHIBA PREMIA 3』(TOKYO FM)で、大ファンだとUNICORNの特集をしたことがある。当時UNICORNは解散を噂されていたため、「解散されたら俺の立場がない」などと話した。ミュージシャン以外では、木本武宏(TKO)、国生さゆり、桐谷健太、小山宙哉、篠原ともえ、千鳥らがUNICORNファン[24]。
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ディスコグラフィ
要約
視点
シングル
配信曲
オリジナル・アルバム
再発盤
ベスト・アルバム
ライブ・アルバム
その他のアルバム
映像作品
- 映像単体でのリリース
(ビデオクリップ集はタイトルに「1/2」が付く)
- CD初回特典の映像ディスク
- MOVIE 11 バンドやろうぜ 〜アルバム"シャンブル"ができるまで Part I・II (「WAO!」・『シャンブル』に付属)
- MOVIE 13 こーいちい散歩 呉編 (「半世紀少年」)
- MOVIE 14 勤労ロードショー “人生劇場” (「勤労ロードショー 〜LIVE IN JAPAN〜」)
- MOVIE 19 (「裸の太陽」)
- MOVIE 20 Uc Goes To Hollywood (「デジタルスープ/ぶたぶた)
- MOVIE 21 Uc Goes To Hollywood Part2 (『Z』)
- MOVIE 22 (『Z II』)
- MOVIE 24 最後の一口 〜Feel So Moonレコーディングドキュメント〜 (「Feel So Moon」)
- MOVIE 25 実働10年登場25年箱特典映像 (「Quarter Century Box」)
- MOVIE 27 2014 冬季ゴニンピック 〜13/14秋冬シーズンを観測、笑いの祭典!〜 (『イーガジャケジョロ』)
- MOVIE 31 「ゅ13-14」レコーディングドキュメント (『ゅ 13-14』)
- MOVIE 33 半世紀 No.5 Clips (『半世紀 No.5』)
- MOVIE 35 TOUR 2017 「UC30 若返る勤労」 (「OH! MY RADIO+Live Tracks [UC30 若返る勤労]」)
- MOVIE 36 働き方改楽 なぜ俺たちは楽しいんだろう (『UC100V』)
- MOVIE 37 「UC100V」 Recording Document (『UC100W』)
- MOVIE 39 ツイス島&シャウ島&ドキュメン島 (『ツイス島&シャウ島』)
- MOVIE 41 「クロスロード」 Recording Document (『クロスロード』)
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ミュージック・ビデオ
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タイアップ一覧
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ライブ・コンサートツアー
要約
視点
出演イベント
1988年 - 1993年
- 1988年07月16日 - "TVK PATI PATI TOMATO" よみうりランドEASTライヴ
- 1988年11月04日 - 早稲田大学 学園祭
- 1988年12月30日 - TVK PATI PATI TOMATP SPECIAL ROLL OVER IMITATION ACTⅢ
- 1989年07月30日 - POP ROCKET '89
- 1989年08月17日 - 青森ロックシティ・カーニバル
- 1990年07月29日 - POP ROCKETS'90
- 1990年08月11日 - KIRIN SOUND TOGETHER POP HILL '90
- 1990年11月02日 - 明治学院大学 学園祭
- 1990年12月31日 - ゆく年くる年とびきりバトルロック
- 1991年07月28日 - POP ROCKETS '91
- 1991年07月31日 - SOUND CONIFER 229
- 1991年08月10日 - SF ROCK STATION 5th ANNIVERSARY UNICORN and JUN SKY
- 1991年08月11日 - KIRIN SOUND TOGETHER POP HILL '91 WALKER(S)
- 1992年07月29日 - JR東日本 POP ROCKETS 92
- 1992年07月31日 - SOUND CONIFER 229 CSA vs BAD
- 1992年12月31日 - TVK PATi PATi TOMATO Vol.5
- 1993年08月01日 - サウンドコニファー229 CSA改めSMAちゃん祭り
- 1993年08月08日 - ロケンローラーはお熱いのがお好き?
2009年 -
- 2009年07月19日 - MUSIC ON! TV presents GG09
- 2009年07月20日 - ASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN FES.2009
- 2009年07月25日 - SETSTOCK'09
- 2009年08月02日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2009
- 2009年08月07日・09日 - SUMMER SONIC 2009
- 2009年08月14日 - J-WAVE LIVE 2000+9
- 2009年08月15日 - RISING SUN ROCK FESTIVAL 2009 in EZO
- 2009年08月22日 - ロックロックこんにちは! in 仙台 〜10th Anniversary Special〜
- 2009年08月28日 - SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2009
- 2009年08月29日 - 音楽と髭達 2009 -Way-
- 2009年09月05日 - OTODAMA'09 〜音泉魂〜
- 2009年12月25日 - ミュージックステーションスペシャル スーパーライブ2009
- 2009年12月28日 - COUNTDOWN JAPAN 09/10
- 2009年12月29日 - FM802 ROCK FESTIVAL RADIO CRAZY 2009
- 2010年07月24日 - HIGHER GROUND 2010
- 2010年07月31日 - SETSTOCK'10
- 2010年08月07日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2010
- 2010年08月14日 - J-WAVE LIVE 2000+10
- 2010年10月17日 - ベストヒット☆SMA「LIVE&RARE」
- 2011年05月28日 - ROCKS TOKYO 2011
- 2011年07月24日 - JOIN ALIVE 2011
- 2011年08月06日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2011
- 2011年08月19日 - 極東ROCK'N'ROLL HIGH SCHOOL 「前戯なき戦い」
- 2011年08月20日 - J-WAVE LIVE 2000+11
- 2011年09月17日 - LIVE福島 風とロックSUPER野馬追
- 2011年09月23日 - テレビ朝日ドリームフェスティバル 2011
- 2011年10月25日・26日 - Golden Circle Vol.16 "ジュンスカ×ユニコーン"
- 2011年10月28日 - SPARKS GO GO presents SHIBUYA JUNKTION 2011 "また倶知安じゃないジャン!"
- 2011年10月29日 - 東日本大震災復興祭2011〜子供たちの未来のために〜
- 2012年04月25日 - キューンレコード20周年記念イベント『キューン20 イヤーズ&デイズ』
- 2012年09月17日 - 氣志團万博2012 〜房総ロックンロール・オリンピック〜
- 2012年10月21日 - tvk 40th anniversary LIVE 2012〜カモンカモン!赤レンガへ tvkに映るんだ〜
- 2012年11月08日 - LIVE! TOWER RECORDS 「Zepp! Step! SMA!」
- 2014年04月19日 - SMA AWARDS 2014 〜輝く!日本エスエムエー大賞〜
- 2014年07月13日 - ASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN FES.2014
- 2014年08月10日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014
- 2014年08月15日 - RISING SUN ROCK FESTIVAL 2014 in EZO
- 2014年08月24日 - WILD BUNCH FEST. 2014
- 2014年09月07日 - OTODAMA'14 〜音泉魂〜
- 2015年04月25日 - ARABAKI ROCK FEST.15
- 2015年05月24日 - TOKYO METROPOLITAN ROCK FESTIVAL 2015
- 2015年06月07日 - SMA41st "SMAはヨコハマもお好き?"
- 2015年06月18日 - Zホールリニューアル記念 ユニコーン&SPARKS GO GO コンサート
- 2015年07月05日 - 京都大作戦2015〜いっ祭 がっ祭 感じな祭!〜
- 2017年05月07日 - POP HILL 2017 in 金沢
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関連項目
- SPARKS GO GO - CSA時代からの盟友。奥田と「THE BAND HAS NO NAME」、阿部と「ABEX GO GO」のユニットを組む等親交が深い。
- レピッシュ - メンバー同士音楽番組で共演するなど交流がある一方、奥田[69]、阿部[70] はレピッシュに対してライバル視していた面もあった。後に阿部とMAGUMIとの会話が再始動のきっかけのひとつとなった[71]。
- JUN SKY WALKER(S) - 音楽誌で度々合同取材や企画があり、再始動後も「ジュンスカ×ユニコーン」の企画を行った。また、川西と宮田和弥が中心となってバンド「ジェット機」を結成した。
- 井上陽水 - 陽水の長男がユニコーンの大ファンであり、長男が聴いていた「雪が降る町」を気に入ったことから、奥田と陽水の交流が始まった。バンド解散後、井上陽水奥田民生として2枚のアルバムを発表するに至る。
脚注
参考文献
外部リンク
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