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三谷昇

日本の俳優(1932−2023) ウィキペディアから

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三谷 昇(みたに のぼる、1932年昭和7年〉4月9日[1][3][4] - 2023年令和5年〉1月15日)は、日本俳優声優芸術家[5]

概要 みたに のぼる 三谷 昇, 本名 ...

広島県[1]福山市出身。

来歴・人物

広島県立福山葦陽高等学校卒業[1]。「文学座」や「劇団雲」を経て、「演劇集団 円」に所属していた[1]。特技は広島弁[1]

高校時代から演劇活動を開始[6]1951年に高校を卒業後、画家を志望して東京藝術大学を受験するが失敗。郷里に帰るのが嫌で文学座に裏方として入団した[6]。4年後、役者へと転身した。

絵心は晩年まで持ち続け、舞台でピエロを演じた経験から「役者は道化」と思い定め、ピエロを描いた「道化石」を共演者らに送ったり、新美南吉の童話『いつのことだかどこのことだか』を紙芝居化したり、公演先でスケッチしたりしており、没後には遺作展も開かれた[5]

29歳の時に自動車事故で片目を失明した。

1963年芥川比呂志らと文学座を退団し、劇団雲の旗揚げに参加。

1970年黒澤明監督の映画『どですかでん』で浮浪者の父親役に起用され、映画やテレビドラマからの出演オファーが増えた[3][6]

1975年演劇集団 円に設立メンバーの一人として参加[3]別役実作や、蜷川幸雄演出の舞台作品に数多く出演した。

気の弱い男性役や不当に虐げられる役、詐欺師、道化などの役を幅広く担当。特異な風貌から悪役も数多く演じており、男性でありながら妖婆役を演じることもあった。

1970年代頃までは自身の演じる役を子供に言いにくかったが、『ウルトラマンタロウ』で二谷一美ZAT副隊長役のオファーを受けた際、初めて子供に言える役をもらえて嬉しかった、と回想している[6]

日活ロマンポルノにも多数出演し[6]、スケジュールが合う限り何でもオファーは断らなかったと話している[6]深作欣二監督に重用され、伊丹十三作品には常連出演した。

2004年名画座自由が丘武蔵野館」にて特集上映“大怪優 三谷昇”が開催され、『軍旗はためく下に』『野獣狩り』『夢野久作の少女地獄』などが上映された。その際のトークショーでは、自身が愛着のある出演作として『おろしや国酔夢譚』を挙げている。

2008年に演劇集団 円を退団後も、フリーとして舞台を中心に精力的な活動を続けた。

2015年、第50回紀伊國屋演劇賞・50回記念特別賞にて男優賞を受賞[7]

2023年1月15日、慢性心不全急性増悪のため死去[8][9]90歳没

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出演

テレビドラマ

映画

舞台

テレビアニメ

劇場アニメ

ゲーム

吹き替え

人形劇

ラジオドラマ

  • R62号の発明(1980年、NHKラジオ第1) - 高水
  • 少年アリス(1989年5月8日~5月12日、アドベンチャーロード、NHK-FM) - 夜の先生
  • 顔に降りかかる雨(1997年7月14日~7月25日、青春アドベンチャー、NHK-FM) - 耽美小説家 川添桂
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脚注

参考文献

外部リンク

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