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清春

日本のミュージシャン (1968-) ウィキペディアから

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清春(きよはる、1968年10月30日[3] - )は、日本ミュージシャンである。ロックバンド黒夢SADSでの活動のほか、ソロのシンガーソングライターとしてのキャリアでも知られている。

概要 清春(きよはる), 生誕 ...
概要 清春, YouTube ...
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略歴

要約
視点

幼少/青年期

1968年10月30日、3人兄弟の長男として岐阜県岐阜市に生まれる。幼少期は父親に対する恐怖心があり、何らかの相談相手は、もっぱら母親であったという。中学生までは岐阜市に住み、その後は多治見市へ引っ越す。1984年4月、岐阜県立多治見工業高等学校に入学(入学理由は長髪が認められていたため)。在学中にTHE WILLARDコピーバンドに加入。高校2年時に初めてステージに立つ。同校のデザイン科を卒業し、父親が経営する建築板金工場(森建築板金)を継ぐための修行として、父親の知人が営む階段の手すりを造る工場へ就職する[4]。下宿から工場へ通い、8時から18時まで、残業あり週休1日の仕事と並行し活動をしていた。その仕事は2年間続けたのち退職し、森建築板金へと戻るがバンド活動に専念するため1年ほどで退職。

黒夢

黒夢以前に在籍したバンドはダブルベッド→SUS4→GARNET。

1991年、岐阜県を拠点に、ex.GARNETの清春とex.GERACEEのを中心としてGARNETで共に活動していた人時、鋭葵らと「黒夢」を結成する。

バンド名は「眠っていて視界が真っ暗になる状態」「夢を見ていないから真っ黒な夢」つまり「夢がない」「夢は叶わない」という意味である。これは黒夢結成当時、周囲のヴィジュアル系(当時は「化粧系」と呼ばれていた)バンドのほとんどが「幻想」「幻覚」「刹那」といったものをテーマとして取り上げていたことに対して「そういう事は全て御伽話なんだよ」「夢ばかり見てないで現実を見なよ」というアンチテーゼであった。また、当時のバンド名は英語やフランス語等を主に採用していた(清春曰く「ラ行が多い」)ことから、清春自身が戦略のため「絶対に漢字がいい」と、前身バンドGARNETの楽曲であった「黒夢」をバンド名に決めたとも語っている。

愛知県名古屋市名東区小池町ライブハウス「MUSIC FARM」を拠点としてインディーズでの活動を続け、地元のラブホテル(アマルハウト)、レンタルビデオ店、ビデオカメラの部品工場でアルバイトをしながらミュージシャンを目指していた[5]

8月3日、名古屋エンゼルパークで初ライブ。同月、1stデモテープ「黒夢」を名古屋MUSIC FARMにて100本限定販売。11月、名古屋MUSIC FARMで初ワンマン。

ミュージシャンへの道がついえた際は建築板金の実家を継ぐ予定であったが、1994年(25歳)に黒夢のボーカルとして東芝EMIからメジャー・デビューを飾った。

インディーズ時代から1990年代序盤までは、いわゆるヴィジュアル系にカテゴライズされる外観だったが、中盤に近づく頃からしだいに化粧を薄めカジュアルファッションへと舵を切り始めた。黒夢のボーカル活動の傍ら、ファッション・リーダーとしての人気を一身に集めてゆく。

1990年代後半には、クロムハーツのアクセサリーとラバーソールがトレードマークとなった。同アイテム人気の火付け役にもなり、清春のアイコンと呼べるものになっていく。

数多のファッション雑誌へ頻繁に登場。若年層、特に青年期の男性からカリスマ的な支持を受けつつ活動を続けた。

黒夢の終焉

1999年1月29日、突如として無期限活動停止を発表し、事実上の解散状態となった。その後、黒夢のサポートミュージシャンであった坂下たけともらと共にSADSを結成する。

無期限の活動停止から丸10年、2009年1月29日の日本武道館にて黒夢一夜限りの復活、解散ライブが行われた。

SADS

ソロ

2003年、SADSの活動を一旦停止(のちに自然消滅)し、同年夏からメジャー・デビュー10周年の一環としてソロ・プロジェクトが始動する。同年10月30日、ショートフィルムという形で「オーロラ」のPVを収録したDVDが発売。「清春」名義としては実質初のリリースであった。12月にはソロデビューとなる公演「第三の扉」(東京・大阪の二公演)が開催された。ソロ活動開始直後であり、新譜の発売がなかったため曲目は大半が未発表曲(後に『poetry』に収録)で占められた。また、「優しい悲劇」や「百合の花束」をはじめとした黒夢時代の楽曲が披露された。

2004年、デビュー10周年の日となる2月9日に1stシングル「EMILY」、4月9日に1stアルバム『poetry』を発売。同作は本人曰く「10周年のご褒美」ということで、L'Arc〜en〜CielのギタリストkenMORRIEらがレコーディングに参加。『poetry』は、これまでの激しい曲調とは一転してダークでゆったりとしたテンポの楽曲で構成されている。これは本人が「今までのバンドサウンドに対する「落差・対比」を意識的に表現した」と語っている。ツアー「ROOM OF MELANCHORY」終了後、同年後半は東京でのマンスリーライブを中心に活動を行う。当初の予定ではツアー終了後、『poetry』収録の「飛行船」をシングルでリリース予定であったが、所属先のユニバーサルミュージックの上層部が難色を示し、実現には至らなかった。のちに「輪廻」のカップリングとして「飛行船」が再録されている。

2005年、トーキョーリップス(後にバウンシーレコードに改名)へ移籍。「LAST SONG-最後の詞-」を皮切りにアルバム2枚、シングル5枚をリリースする多忙の一年となる。黒夢時代からサビのメロディーを温めていた「LAST SONG-最後の詞-」を収録し、またソロデビュー当初から「二枚目のアルバムが照準」として出来上がった2ndアルバム『MELLOW』は、『poetry』とは一転し、明と暗・光と影を表現する様々な楽曲が盛り込まれ、曲調も緩急がより鮮明となった。『MELLOW』発売を受けて開催されたツアーは、『天使の詩』と名づけられ、黒夢の代表曲である「Like @ Angel」が披露される。同ツアーでは過去のバンド(黒夢・SADS)の楽曲を新たなアレンジで演奏。これ以降、SADSの「SANDY」「HAPPY」がアンコールのセットリストに定番として組み込まれるようになった。『SOLOIST』収録の「海岸線」はこのころから披露されており、経年にともない歌詞やアレンジが少しずつ変容する楽曲となっている。

2005年後半は4thシングル「Layra」、DVDアルバム『MELLOW』、5thシングル「bask in art」、12月には3rdアルバム『官能ブギー』をリリース。これまで一年に一枚のペースでアルバムリリースしてきた清春にとって、同年に二枚のアルバム制作は過去にない経験であった。『官能ブギー』は "2006年型グラム・ロック" と銘打たれ、ギラギラした、艶やかなナンバーの多いコンセプチュアルな作品である。同アルバムについて清春は『MELLOW』のような自身の王道的なメロディーで構成されるアルバムと比較し「変化球的なアルバム」と表現している。なお、アルバムのジャケット写真は清春が虎に跨る姿であるが、これはグラム・ロックの代表的バンドであるT・レックスのアルバム『グレイト・ヒッツ』を模倣したもので、同バンドのフロントマンであるマーク・ボランへのオマージュが込められている。

2006年2月からの「TOUR 天使の詩 '06『官能ブギー』」を終えた清春は、4枚目のアルバムへと向けレコーディング活動に入る。この期間中、雑誌等によって報じられる清春の動静は音楽活動の引退を匂わすものが多かった。アルバム『VINNYBEACH 〜架空の海岸〜』に「bye bye」「この孤独な景色を与えたまえ」「君の事が」といった曲が収録され、インタビューでも”終わり”を予感させる発言をしていた。ちなみに、「VINNYBEACH」という単語は本人が長らく温めていたものである。「TOUR 天使の詩 '06『架空の海岸』」では、本編中の曲順がツアー期間中に大きく変更されることがなかった。これは清春のライブとしては稀である。ツアー終盤では黒夢の「NITE&DAY」が演奏された。追加公演も含めて最終日は12月30日。

2007年前半は、東京と大阪で毎月公演を行うマンスリーライブが開催され、この時点では発表前だった『FOREVER LOVE』(同年11月発売)収録楽曲の大半が披露された。同作品は「輪廻」をはじめ、家族に対する愛情や運命といった情感をテーマに歌詞が書かれており、清春個人のプライベートな想いが強く込められている。ツアー「天使の詩 '07-08 FOREVER LOVE」は年をまたいで開催。

2008年はメジャー・デビュー15周年を祝う様々な企画が行われた。当初はマンスリーライブを行い、アコースティックアルバムのリリースが予定されていた。しかし「歌を歌うという原点に立つ」という清春のスタンスから、バンド形態での演奏やアコースティックライブとも異なる、新たなスタイルで公演を行うことになる。「Monthly act - rhythmless & perspective live(当初のbase of melancholyから改称)」と銘打たれたそのライブは、編成からベースとドラムを外し、新たにヴァイオリンチェロマニピュレーター同期を加え、背景に映像を流す形でライブが行われた(月ごとに映像を外したり、楽器を入れ替えるなど変化が加えられていった)。既存のバンド演奏のような勢いや熱量でごまかしが利く雰囲気とは一線を画し、必然的に歌が際立つ構成となった。そのため、これまで以上に「歌うこと」へ注力せねばならず、本人も「(曲数は少ないが)いつもより疲れる」と語っている。マンスリー公演の傍ら、5月にはデビュー15周年記念シングル第一弾「五月雨」を4種同時リリース。9月には新曲とセルフカバーを加えたアルバム『light〜saw the light & shade〜』・『shade〜saw the light & shade〜』が同時発売された。一枚ごとの収録数は7曲とミニアルバム程度だが、一曲あたり7分前後あるため総収録時間の兼ね合いでこうした形態となった。2008年10月29日には30代ラストとなるデビュー15周年記念シングル第二弾「loved」を発売。翌日の10月30日、渋谷C.C.Lemonホールで行われた「40th birthday live」にて、一夜限りの黒夢復活および解散ライブを行うことを突如発表する。解散公演は2009年1月29日「清春 15th Anniversary Presents KUROYUME "the end" CORKSCREW A GO GO! FINAL」として日本武道館で行われることとなった。黒夢解散の理由として、黒夢の活動期間と並ぶ5年間をソロ活動で経験し黒夢の存在がようやく自身の中で軽くなり、その存在に決着をつけることでソロ6年目という未知数に向かうためであると清春は述べている。なお、この件は黒夢のメンバーである人時から2007年ごろ提案されたもので、当初は気が進まなかったが「一度限り」という条件で清春が承諾したとされる。

2009年1月28日(黒夢解散前日)、黒夢のセルフカバー・アルバム『MEDLEY』が発売。このときエイベックスに移籍している。2月に行われたFC LIVEのタイトルは、去年までの「REPLAY」からKUROYUME "the end" と対となる "endless" と名付けられた。

2010年1月リリースのシングル「LAW'S」が、『バイオハザード ダークサイド・クロニクルズ』(CAPCOM)のCMソングとして起用が決定した。バイオハザードのCMはこれまでアーティストとの楽曲タイアップはなく、これが初となった。

2012年、「the sun」のビデオクリップにINORANが参加[6][7]

2017年12月6日、SUGIZOの東京・Zepp Tokyoでライブツアー「SUGIZO TOUR 2017 Unity for Universal Truth」最終公演に、SUGIZOから「20年来の戦友」と紹介されゲスト出演し、清春とSUGIZOは肩を組んだり向かい合ったりしつつ、激しく濃厚なパフォーマンスで「VOICE」を披露した[8]

2019年1月、ポニーキャニオンへの移籍と、カバーアルバム『Covers (清春のアルバム)』をリリースすることが発表された[9]。10月、テレビ朝日開局60周年記念 テレビ朝日ドリームフェスティバル2019にてYOSHIKIとコラボレーション。YOSHIKI feat.Hyde名義の楽曲「Red Swan」の代役としてボーカルを披露した[10]

2020年10月30日、自身の52回目の誕生日に初の自叙伝を発売。記者会見にて「50歳の1年で出そうと思っていた。自叙伝を出せるようなミュージシャンは少ないのでその仲間に入りたい」と心情を吐露した。また「52年を振り返る作業は難しかったのでは?」という記者の質問に対し、「自分でもウィキペディアとか見てました――なんなら書き足しちゃおうかなと思いました(笑)」と冗談交じりに語っている[11]

黒夢とSADSの活動再開

2010年1月29日、清春の公式ブログにて黒夢とSADSの活動再開が発表された。また、両バンドの公式ホームページと、両バンドならびに清春のMySpaceが開設された。

2010年5月1日、SADSが東京・日本武道館で復活ライブを行った。

2011年2月26日、黒夢が「FUCK THE FAKE STAR」と題した復活ライブを代々木第一体育館で行った。

2018年、SADSが活動休止。

2024年、SADSが3日間のステージ限定で復活。2024年6月29日・30日Zepp Hanedaにて〈SADS 1999-2003〉、2024年7月7日GARDEN 新木場 FACTORYにて〈SADS 2010-2018〉を再結成。

2025年、黒夢がデビュー30周年イヤーを記念して「CORKSCREW A GO GO! SAINT MY FAKE STAR」公演を行う。2025年2月9日東京ガーデンシアター公演、即日完売[12]。追加公演で2025年2月11日横浜ぴあアリーナMM公演を発表。この9日東京ガーデンシアターと11日横浜ぴあアリーナMMのライブ会場で、能登半島地震の復興支援の一環で、被災地を何度も訪れていたコーヒー好きな清春が訪れて出会いオファーした能登町宇出津のコーヒー店「DOY COFFEE」のコーヒー豆が、パッケージ表面に黒夢と店のロゴを入れ、100グラム入りを計500袋販売される[13]。収益は災害ボランティアの滞在拠点などを運営する輪島市の団体「のと復耕ふっこうラボ」に寄付する[13]。横浜ぴあアリーナMM公演をDAIGO[14]鬼龍院翔(ゴールデンボンバー)[15]が鑑賞した。

2025年2月11日、横浜・ぴあアリーナMM公演[16][17]のアンコールで7月19日(東京・Zepp DiverCity)から「黒夢 Zepp TOUR CORKSCREW 2025」8都市10公演を巡る全国ツアーの開催を発表[18]したが、清春はMCで「これは本当に開催されるかどうかわかりません」とファンをざわつかせ、「今は仲いいですけど、二度あることは三度ありますから」と会場を笑わせたうえで「まあ多分やると思います」とした[19]。清春は「このツアーの後のことは決まっていない。でも、もう次は復活はないと思う。今やれることを2人で話し合って、良いと思えばやっていこうかな。それで死ねれば」[20]。「あのころは、これからの30代、40代をどう生きるかを考えながら、毎日あがいてもがいていた。今の僕らはどう死ぬか、どう死ぬために生きるかを毎日考えて、もがいています。楽しいこといっぱいしましょう、どうせ死ぬんだから。今そこにいる人を大事にしてください」と魂の叫びを残し、夢のステージを締めた[21]

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人物

要約
視点

身長171cm[22]

2020年時点で2女の父となっている[23][24]

若い時、名古屋のライブハウスMUSIC FARMで照明係をしていたことがある[25]

SADS時代、シルバーアクセサリーブランド SADISTIC AND DANGEROUS(S.A.D.)をプロデュースしていた。

Charm Cult(2004年-2009年[26])、Moonage Devilment[27]、MENTAL、レディース部門のJubilee & Mayhem(のちに消滅)といったファッションブランを自ら立ち上げている。2006年9月にはGLAM ADDICTION(以前の名称はDARK ROOM)を駒場にて開店。その後、代官山を経て渋谷で営業中。今もなおファッション雑誌にも数多く登場している。

シルバーアクセサリーのJustin Davisを愛用。同ブランドの日本における広告塔的な存在となっており、清春とのコラボレート作品も多数製作・販売されている[28]

2003年からのソロ活動では、それまでとは対照的にファンへの感謝の気持ちをMCやインタビューで口にするようになった。

SADSでは2003年のツアーをきっかけに黒夢の楽曲も披露するようになり、ソロになった現在もたびたび歌っている(自身が作曲していない楽曲も含まれる)。ライブは平均で3時間を超え、長時間化する傾向が強まっている。

音楽活動の節目ごとにタトゥーを入れている。右腕に鳳凰。左腕に、Sads The Rose God Gave Meの文字、ノーティカルスター、右胸に蝶、左首筋にノーティカルスターなど。

2016年、清春プロデュースのBar「BABYLON TOKYO」が六本木にオープン[29][30]

2019年10月14日、幕張メッセで開催された『テレビ朝日ドリームフェスティバル2019』に出演し、YOSHIKIX JAPAN)の演奏で「Red Swan」を歌唱した[31]。大トリで、LUNA SEAGLAYゴールデンボンバー、清春が緊急参戦した“無敵バンド”による「X」を披露し、ドリフェス史上に残る伝説の一夜が誕生した[31]。YOSHIKIから清春へのオファーは1週間前だった[31]

2023年(令和5年)12月31日「第74回NHK紅白歌合戦」に、YOSHIKIX JAPAN)による12人編成のコラボステージ出演[32]。紅白出場発表は直前の12月28日というサプライズだった[32]。YOSHIKIから清春へのオファーは27日だった[32]

2024年3月、初の海外ツアー(Borisと約1週間にわたるオーストラリア2マンツアー)を行った[33]。5都市(3月6日シドニー、3月7日ブリスベン、3月8日9日メルボルン、3月10日アデレード、3月12日フリーマントル)で開催[34]

清春は最終的には親友HYDE[35]の隣に住む考えである[36]

2024年4月30日放送『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ)で一緒になった同学年になる的場浩司と交友がある。ジャスティンデイビスとのコラボモデルペンダントを的場に贈った。

2024年から能登半島地震の被災地支援をしている[25]。2024年3月に金沢でチャリティーライブを開催、2024年7月に再訪し支援活動に従事した[25]。チャリティーで集まった義援金などでギターを購入し、珠洲市の全小中学校に寄贈した[25]

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音楽的影響

流動的に著しく音楽性・ファッションスタイルを変えている。その一方で、多感なころに衝撃を受けたミュージシャンに対する憧れとリスペクトの念は今も持ち続けている。DEAD ENDMORRIEはその一番の対象であり、デビュー時からセールス的な絶頂期においても様々な紙面でMORRIEに対する憧れと、その存在が自身をミュージシャンにさせるモチベーションであったことを各所で語っている[37]

昔は西城秀樹沢田研二に憧れていた[4]。高校生時代にTHE STREET SLIDERSのファンになり、ファッション面でも大きな影響を受けている[4]。また、GARNET活動時、目指す音楽性として人時に聴かせたバンドに、スージー・アンド・ザ・バンシーズASYLUMなどがある[38]。他にはZIGGYGASTUNKAUTO-MODGILLE'LOVESを愛聴していた。

黒夢ではJaco:necoの「ストローヘッド」、SHADY DOLLSの「奴隷」、ステッペンウルフの「Born to Be Wild」、ダムドの「NEW ROSE」をカバーしている[39]BUCK-TICKトリビュート・アルバムPARADE〜RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK〜』にて「JUST ONE MORE KISS」を、hideトリビュート・アルバムhide TRIBUTE SPIRITS』では「Beauty & Stupid」をカバーしている。ソロアーティストとして影響されたのは井上陽水であるとインタビューで語っている[40]

その他

好きな食べ物はイチゴエビカニタラコゼリーアイスクリーム[41]。辛い物が大の苦手。SADSの撮影で韓国を訪れた際は、キムチをはじめとする辛いご当地料理を楽しむことができなかった[42]キュウリスイカメロンなどの瓜系、ニンジンを苦手としている。また、「ロックじゃない」という理由からタマネギも苦手である[41][43]。ライブ中は「炭酸でイヤなものがシュワーって流れ落ちる気がするから[44]」という理由でコーラを愛飲。日本のラップヒップホップという文化については「あれは音楽というよりブタが念仏を唱えてるようなものだ」という趣旨の発言を雑誌のインタビューにおいてしており、否定的な立場であることを明かしている[45]クロムハーツのアクセサリーを愛用しており、1990年代から2000年代に起こったクロムハーツブームの火付け役とも言われている。メガネやサングラスの愛好家で、クロムハーツ、JACQUES MARIE MAGE(ジャックマリーマージュ)、DITA(ディータ)、GUCCI(グッチ)、TOM FORD(トムフォード)など、上質で個性あるアイウェアを数多く所有している。[要出典]

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ディスコグラフィ

概要 リリースリスト, ↙スタジオ・アルバム ...

シングル

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配信限定シングル

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オリジナル・アルバム

オリジナル・アルバム

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プラグレス・アルバム

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ベスト・アルバム

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セルフカバー・アルバム

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カバー・アルバム

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映像作品

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配布CD

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参加作品

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タイアップ一覧

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ヘビーローテーション/パワープレイ

テレビ

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ライヴ

要約
視点
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バンド遍歴

  • DOUBLE BED(? - ?)
  • SUS-4(? - 1990)
  • GARNET(1990 - 1991)
  • 黒夢(1991 - 1999、2009、2010 - 2015)
  • SADS(1999 - 2003、2010 - 2018)
  • 清春(ソロプロジェクト)(2003 - )

サポート・メンバー

プロデュース・楽曲提供

書籍

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メディア出演

要約
視点

黒夢』としての出演は『黒夢』を参照。

ラジオ

  • 黒夢・清春のKIKAナイト(→LONG VERSION)→KIKAナイト11エフエム富士
  • SATOKEN・清春のそんなことはどうでもいい(2003年4月 - 7月、東北放送、毎週日曜・深夜0:00 - 0:30)
  • K-9(ケーナイン)(2005年4月5日 - 9月27日、DateFM、毎週火曜・21:00 - 21:30)
  • mid night field(2007年4月 - 2009年3月、bay fm、毎週金曜・24:30 - 24:57)
  • Shakebeats〜清春と愉快な仙台仲間達〜(2009年10月 - 2012年9月、DateFM、毎週土曜・24:00 - 25:00) - 角田哲哉と共演
  • 清春と愉快な仙台仲間達 REVIVAL 2024(2024年5月26日、DateFM、20:00 - 20:55) - 角田哲哉、及川聡、井上崇と共演
  • 清春と愉快な仙台仲間達DX(2024年7月7日 - 9月29日 DateFM、毎週日曜・22:00 - 22:55)
  • 清春と愉快な仙台仲間達エクストラ(2024年10月7日 - DateFM、毎週日曜・22:00 - 22:55)
  • back to home(2024年10月4日 - ZIP-FM 毎週金曜・23:30 - 24:00)
  • 清春 ONE ON ONE(2024年9月4日 - Spotify

テレビ番組

  • ネコいぬワイドショー(2025年3月7日・14日 BS朝日)いぬコメンテーター[178][179]

Web番組

CM

脚注

関連項目

外部リンク

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