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1980年の阪神タイガース

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1980年の阪神タイガース
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1980年の阪神タイガースでは、1980年の阪神タイガースの動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...

1980年の阪神タイガースは、ドン・ブレイザー監督の2年目のシーズンである。

概要

前年のドラフト会議で6球団競合のくじ引きの末に入団した岡田彰布が、チームの話題の中心となった。大阪出身で東京六大学野球のスターだった岡田は入団時点で絶大な人気があり、ファンだけでなく球団も積極起用を望んでいた。しかし、ブレイザー監督は岡田をじっくり育成させる方針を立て、岡田の早期一軍起用を渋った。ブレイザーはヤクルトからデーブ・ヒルトンを獲得して一塁ヒルトン・三塁掛布雅之の布陣を組み、三塁が本職であった岡田を外野にコンバートさせたがファンや球団の怒りを買った。シーズンが始まるとヒルトンが成績不振に悩み、それでもブレイザー監督がヒルトンの起用を優先したことから、ファンからは「ヒルトンより地元のヒーローの岡田を使え」とブレイザーへの不満が噴出。その後も小津正次郎球団社長による岡田起用要求、ヒルトン解雇、ブレイザーに相談なしの新外国人の獲得が行われたことから、ブレイザー監督はチーム混乱の責任を取って5月15日に辞任した[2]。後任監督には、ヘッド兼打撃コーチの中西太が就任した。中西監督の下で内野で先発出場するようになった岡田は、打率.290、18本塁打の成績を残し、新人王に選ばれる活躍をした。

打線では前年本塁打王の掛布がひざの故障もあって成績不振に苦しんだが、前述の岡田や移籍2年目の真弓明信が掛布の穴を埋め、また投手陣でも前年22勝の小林繁江本孟紀、前年から先発転向の山本和行がローテを守るなどチームは8月上旬まではAクラスをキープするが、死のロードからズルズルと順位を下げ最後は5位でシーズンを終えた。また8月16日には、いわゆる空白の一日でトレードの当事者となった小林繁と江川卓の初の直接対決が実現し、話題となった[3]

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チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 真弓明信
2 加藤博一
3 ヒルトン
4 掛布雅之
5 ラインバック
6 佐野仙好
7 竹之内雅史
8 若菜嘉晴
9 小林繁
さらに見る 順位, 4月終了時 ...
1980年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位広島東洋カープ734413 .624優勝
2位ヤクルトスワローズ685210 .5676.5
3位読売ジャイアンツ61609 .50414.0
4位横浜大洋ホエールズ59629 .48816.0
5位阪神タイガース546610 .45020.5
6位中日ドラゴンズ45769 .37230.0
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オールスターゲーム1980

  • ファン投票
小林繁
若菜嘉晴
岡田彰布
掛布雅之
真弓明信
ラインバック
  • 監督推薦
山本和行

入団・退団

シーズン開幕前

本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。

さらに見る 選手名, 背番号 ...
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選手・スタッフ

[4]

試合結果

さらに見る 凡例, 勝利試合 ...
さらに見る 4月(6勝10敗1分 .375), # ...
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個人成績

投手成績

  • 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
  • 太字はリーグ最高。
さらに見る 選手, 登板 ...

打撃成績

  • 色付き規定打席(403打席)以上の選手
  • 太字 はリーグ最高
さらに見る 選手, 試合 ...
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表彰

達成記録・出来事

ドラフト指名選手

さらに見る 順位, 選手名 ...

出典

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