トップQs
タイムライン
チャット
視点
1975年の阪神タイガース
ウィキペディアから
Remove ads
1975年の阪神タイガース(1975ねんのはんしんタイガース)では、1975年の阪神タイガースの動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、吉田義男監督の1年目のシーズンである。
概要
優勝が期待されながらも4位転落の責任を取り金田正泰前監督が辞任すると、往年の名遊撃手・吉田義男がこの年から監督に就任。監督・コーチに加えてユニフォームも一新され、ビジター用はそれまでのグレーに変わってスカイブルーが採用され、袖とズボンのギザギザラインはデザイナーの永井一正が手掛けるなど「輝流ラインユニフォーム」」「新選組ユニフォーム」と言われた[2][3]。チームは優勝候補筆頭の巨人が開幕から最下位に低迷したこともあり、大洋も含めて5球団が5月まで首位を争う展開。6月に入ると大洋、8月に入るとヤクルトがそれぞれ脱落したこともあり前年優勝の中日・広島と優勝争いを展開したが、10月に入り9月終了時点で16勝5敗1分とお得意様にしていた巨人に4戦全敗を喫し、広島の初優勝を許し3位で終えた。投手陣は江夏豊(12勝12敗6セーブ、防御率3.07)や上田次朗(9勝9敗1セーブ、防御率3.76)などが1年通してローテーションを守り、リリーフではこの年移籍の安仁屋宗八(12勝5敗7セーブ、防御率1.91)が守護神となり、救援で140.2回を投げて規定投球回に到達して最優秀防御率を受賞。シーズン途中で阪急から移籍したベテラン米田哲也(8勝3敗1セーブ、防御率2.27)も堅実な投球でチームを支えた。打撃陣も4番の田淵幸一が本塁打王を獲得し、後半からは掛布雅之が三塁手のレギュラーを獲得するなど明るい話題もあった。
Remove ads
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 二 | 中村勝広 |
---|---|---|
2 | 右 | テーラー |
3 | 遊 | 藤田平 |
4 | 捕 | 田淵幸一 |
5 | 一 | アルトマン |
6 | 中 | 池辺巌 |
7 | 左 | 望月充 |
8 | 三 | 佐野仙好 |
9 | 投 | 江夏豊 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 広島東洋カープ | 72 | 47 | 11 | .605 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 69 | 53 | 8 | .566 | 4.5 |
3位 | 阪神タイガース | 68 | 55 | 7 | .553 | 6.0 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 57 | 64 | 9 | .471 | 16.0 |
5位 | 大洋ホエールズ | 51 | 69 | 10 | .425 | 21.5 |
6位 | 読売ジャイアンツ | 47 | 76 | 7 | .382 | 27.0 |
Remove ads
オールスターゲーム1975
→詳細は「1975年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
Remove ads
選手・スタッフ
試合結果
要約
視点
※日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
Remove ads
個人成績
要約
視点
投手成績
※色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字 はリーグ最高
Remove ads
表彰
達成記録・出来事
- 4月20日 - 江夏豊が巨人3回戦(後楽園)で先発し完投勝利をあげて通算150勝、史上27人目
- 5月9日 - 巨人4回戦(甲子園)で開催予定だったが鉄道ストライキにより中止になった
- 6月19日 - 田淵幸一が中日13回戦(中日)で7回に松本幸行から本塁打を放ち通算200本塁打、史上21人目
- 6月21日 - 阪急の米田哲也の移籍が決定[4]
- 7月6日 - ジョージ・アルトマンが中日15回戦(甲子園)で4回に星野仙一から本塁打を放ち通算200本塁打、史上22人目で外国人としては史上初
- 7月11日 - 田淵幸一が巨人9回戦(後楽園)で7回の第3打席の無死一、二塁で横山忠夫の投球に避けた際、バットに球が当たって捕手前に転がり2-5-4-3のトリリプルプレーを喫する。この日は第1打席に三振で第2打席も三ゴロ併殺打を喫しているのいるので、史上初のトリプルアウトを記録する
- 7月30日 - 中日17回戦(岡山)で勝利し球団通算2500勝
- 8月14日 - 安仁屋宗八が巨人16回戦(後楽園)でリードした状況で6回途中からリリーフし無失点で最後まで投げ切り、先発が5回投げてなく、リリーフした中で一番いい投球をしたと判断され勝利投手となったことにより通算100勝、史上65人目
- 8月20日 - 米田哲也が広島20回戦(広島市民)で先発登板して5回まで投げ、金田正一に次いでプロ野球史上2人目の通算5000投球回を達成[5]
- 8月23日 - この日から甲子園球場で対ヤクルト戦が予定されていたが、長雨の影響で全国高等学校野球選手権大会の日程消化が遅れたため、高校野球優先を理由にこの日と翌日の日程が取り消された - (雨天中止に準じた扱いとして、予備日に振替開催)
- 9月3日 - 池田祥浩がヤクルト21回戦(神宮)で先発出場し通算1000試合出場
- 11月17日 - 後藤和昭と日本ハムの東田正義とのトレードが成立したと両球団が発表[6]
ドラフト指名選手
→詳細は「1975年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads