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1976年の阪神タイガース
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1976年の阪神タイガース(1976ねんのはんしんタイガース)では、1976年の阪神タイガースの動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、吉田義男監督の2年目のシーズンである。
概要
吉田義男監督は2年目を迎えるにあたり投手コーチを小山正明から皆川睦雄に、守備コーチを安藤統男から一枝修平に交代させた。前年3位のチームはキャンプイン前に不動のエース・江夏豊を南海へ放出し、代わって江本孟紀を獲得。また打撃陣はハル・ブリーデンとマイク・ラインバックが加入し、日本ハムから東田正義をトレードで獲得するなど前年度より1/3の選手を入れ替え、既存戦力と新戦力の融合を図るチームは開幕から好調で7月まで巨人と首位争いを展開。7月終盤から9連敗を喫し、優勝戦線から脱落しかけたところに首位・巨人も7連敗、不調の上位2チームを喰って代わって2位に上がった広島は9月に11連敗を喫し脱落し、事実上巨人との一騎打ちになり10月初めまで熾烈に追い上げたが最終的には巨人に逃げ切られ2位に終わった。投手陣は江本がこの年15勝をあげて江夏の穴を埋め、それ以外の投手もまずまずの成績を残し、山本和行・安仁屋宗八のダブルストッパーも健闘。打撃陣では新外国人のブリーデン・ラインバックが1年目から打ちまくり、特にブリーデンは1試合2本塁打を5月に5度記録するなどの活躍を見せ、チーム本塁打193本とリーグ1位(2位・広島が169本)の本塁打数を記録したが、チーム安打数がリーグ最下位で、優勝してリーグ1位の安打数を記録した巨人と100安打以上差をつけられ得点数も50点以上差をつけられ優勝を逃す遠因となった。シーズン終了後、田淵幸一の処遇を巡って吉田義男監督と対立した辻佳紀ヘッドコーチが退任した[2]。この年からホーム用ユニフォームを一新。ホーム用はビジター用で先行採用された黒と黄色のギザギザラインが採用されて左袖に猛虎マークがつき、ビジター用の左袖が「Tigers」ロゴに変更された。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 二 | 中村勝広 |
---|---|---|
2 | 中 | 池辺巌 |
3 | 遊 | 藤田平 |
4 | 捕 | 田淵幸一 |
5 | 一 | ブリーデン |
6 | 左 | 東田正義 |
7 | 三 | 掛布雅之 |
8 | 右 | 池田純一 |
9 | 投 | 古沢憲司 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 76 | 45 | 9 | .628 | 優勝 |
2位 | 阪神タイガース | 72 | 45 | 13 | .615 | 2.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 61 | 58 | 11 | .513 | 14.0 |
4位 | 中日ドラゴンズ | 54 | 66 | 10 | .450 | 21.5 |
5位 | ヤクルトスワローズ | 52 | 68 | 10 | .433 | 23.5 |
6位 | 大洋ホエールズ | 45 | 78 | 7 | .366 | 32.0 |
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オールスターゲーム1976
→詳細は「1976年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
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選手・スタッフ
試合結果
要約
視点
※日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
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個人成績
要約
視点
投手成績
※色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字 はリーグ最高
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表彰
達成記録・出来事
- 4月3日 - プロ野球開幕を迎え前年3位であったため、本来なら当時のルール[注 1]に基づき、前年最下位の巨人と甲子園球場で開幕を迎えるのだが、甲子園球場がこの年開催の「第48回選抜高等学校野球大会」のために使えないので、4位のヤクルトと入れ替え、首位の広島と広島市民球場で開幕を迎えた
- 4月20日 - 中日4回戦(甲子園)が開催予定だったが鉄道ストライキにより中止になった
- 5月23日 - 藤田平がヤクルト8回戦(神宮)で8回に渡辺孝博から本塁打を放ち通算150本塁打、史上42人目
- 5月26日 - 江本孟紀が中日7回戦(甲子園)で先発し6回2死目に通算1000投球回
- 8月25日 - 田淵幸一が広島15回戦(甲子園)で6回に池谷公二郎、7回に金城基泰、8回に瀬戸和則から本塁打を放つ、1試合3本塁打は球団史上10度目、3イニング連続本塁打は史上4人目で、8回の3本目の本塁打はNPB通算100本目の甲子園球場での本塁打、史上初
- 9月14日 - 田淵幸一が巨人9回戦(後楽園)で1回に加藤初から本塁打を放ち通算250本塁打、史上12人目での896試合での達成はNPB史上最速(当時)
- 9月19日 - 広島20回戦(甲子園)で、6回に永本裕章から中村勝広ー掛布雅之ーマイク・ラインバックー田淵幸一が4者連続の本塁打、4者連続以上は史上3度目(3者連続以上で球団史上4度目)で、その試合で都合9本の本塁打を記録し、1951年の松竹ロビンスの8月2日の大阪9回戦(上田市営)以来のNPBタイ記録、なお松竹ロビンスは地方球場である上田市営球場で達成したので、フランチャイズで達成したのは最多記録
- 10月11日 - 山本和行が巨人23回戦(後楽園)で8回に王貞治にベーブ・ルースを抜く715号ホームランを打たれる
ドラフト指名選手
→詳細は「1976年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
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