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1978年の阪神タイガース
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1978年の阪神タイガース(1978ねんのはんしんタイガース)では、1978年の阪神タイガースの動向をまとめる。
概要
前年Bクラス転落の責任を取り吉田義男が辞任した事を受け、後藤次男が9年ぶりに監督復帰。さらにファンサービスの一環として、日本球界初のチアリーディングチームが結成された[2]。マイク・ラインバックが故障で出遅れたチームは開幕戦で江本孟紀が巨人の王貞治に満塁本塁打を浴びて敗れたものの、その後は勝率5割近くで踏ん張り、4月末にラインバックが復帰し5月反攻が期待された矢先、5月6日に前年37本塁打のハル・ブリーデンが故障で離脱するとチーム記録の9連敗を喫するなどして、5月25日に単独最下位に転落して以降、二度と上がることはなかった。打撃陣では掛布雅之が初めて30本塁打の大台に乗せ、9月からは田淵幸一に代わり4番を任された。また藤田平が当時の日本記録となる208打席連続無三振を記録したが、ブリーデンの抜けた打線はチーム打率リーグ5位、チーム本塁打数も50本近く減少した。さらに投手陣も山本和行の先発転向を受けて抑え投手不在となり、後藤監督の「全員リリーフ、全員先発」という起用方針が裏目に出て、江本が11勝11セーブ、防御率リーグ2位と孤軍奮闘したがチーム防御率はリーグ最下位に転落した[3]。これまでセ・リーグで唯一最下位がなかったチームは当時の球団ワーストとなる勝率.339で5位中日に9.5ゲーム差をつけられ初の最下位となり後藤はまたも1年で辞任、チアリーディングチームも「縁起が悪い」と1年で解散となり2014年まで復活しなかった。シーズン終了後、長年チームの顔として活躍した田淵が古沢憲司とともに新球団西武に放出され、チームは変革期を迎えることになる。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 二 | 中村勝広 |
---|---|---|
2 | 中 | 池辺巌 |
3 | 三 | 掛布雅之 |
4 | 捕 | 田淵幸一 |
5 | 遊 | 藤田平 |
6 | 左 | 池田純一 |
7 | 一 | 佐野仙好 |
8 | 右 | 島野育夫 |
9 | 投 | 江本孟紀 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | ヤクルトスワローズ | 68 | 46 | 16 | .596 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 65 | 49 | 16 | .570 | 3.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 62 | 50 | 18 | .554 | 5.0 |
4位 | 横浜大洋ホエールズ | 64 | 57 | 9 | .529 | 7.5 |
5位 | 中日ドラゴンズ | 53 | 71 | 6 | .427 | 20.0 |
6位 | 阪神タイガース | 41 | 80 | 9 | .339 | 30.5 |
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オールスターゲーム1978
→詳細は「1978年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
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選手・スタッフ
試合結果
- 日付の後の(a)はダブルヘッダー第1試合(b)はダブルヘッダー第2試合
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字 はリーグ最高
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表彰
- 掛布雅之
- ベストナイン 〈三〉(3年連続3度目)
- ダイヤモンドグラブ賞 〈三〉(初受賞)
達成記録・出来事
- 4月23日 - ヤクルト4回戦(甲子園)が開催の予定だったが鉄道ストライキの為中止
- 4月25日 - 藤田平が広島3回戦(広島市民)で9回に江夏豊から二塁打を放ち通算1500安打、史上34人目
- 6月5日 - 田淵幸一がヤクルト8回戦(神宮)で5回に井原慎一朗から本塁打を放ち通算300本塁打、史上10人目
- 7月5日 - 藤田平が中日15回戦(甲子園)で4回に佐藤政夫から三振を喫し、4月30日の中日4回戦(甲子園)の第3打席から続いていた連続無三振打席が208でストップ
- 7月25日 - 掛布雅之がオ-ルスター第3戦(後楽園)で4回の第2打席に佐伯和司(日本ハム)から、5回の第3打席に佐藤義則から、8回の第4打席に山口高志(阪急)から本塁打を放ち、オールスター史上初の3打席連続本塁打でMVPに選出される。阪神選手のMVPは1972年第3戦(甲子園)の池田祥浩以来6年ぶり
- 8月11日 - 中日11回戦(西京極)で球団通算5000試合(2683勝2155敗162分)
- 8月17日 - 田淵幸一が広島22回戦(広島市民)、9回に松原明夫からヒットを放ち通算1000安打、史上112人目
- 8月31日 - 掛布雅之が広島25回戦(甲子園)で2回と4回に高橋里志から6回に渡辺弘基から本塁打を放ち1試合3本塁打を記録、球団史上8人目(史上11度目)
- 9月9日 - 藤田平がヤクルト23回戦(甲子園)で先発出場し通算1500試合出場、史上59人目
- 11月4日 - 前広島のヘッドコーチのドン・ブレイザーが監督に就任したと正式に発表[4]
- 11月15日 - 田淵幸一に対し西武へのトレードを通告
- 11月22日 - ドラフト会議が開催され、前日に巨人が入団会見を行った江川卓の交渉権を4球団競合の末獲得
- 12月6日 - 田淵幸一、古沢憲司と西武の真弓明信、若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史の2対4のトレードを発表[5]
- 12月22日 - プロ野球実行委員会が開かれ、金子鋭コミッショナーは江川卓を巨人と阪神の間でキャンプインの1979年2月1日までにトレードして事態の現実的な解決を図るという要請を出す[6]
ドラフト指名選手
→詳細は「1978年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
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