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1984年の阪神タイガース
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1984年の阪神タイガースでは、1984年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
1984年の阪神タイガースは、安藤統男監督の3年目のシーズンである。
概要
前年4位に終わったチームはロッテから弘田澄男をトレードで獲得して打線の強化を図り、投手陣ではルーキーの池田親興がローテーション入りし工藤一彦・野村収・伊藤宏光とともに4本柱を形成。また弘田・真弓明信・北村照文といった俊足巧打の選手3人がスタメンに名を連ね、前年ケガで離脱の岡田彰布が5月19日対広島戦から復活して掛布雅之・ランディ・バースとクリーンナップを形成し、新戦力の投入と打線の強化により安藤監督の3年目はAクラス入りが期待された。ビジター用ユニフォームをグレー地の縦縞にモデルチェンジした[1]チームは7月まで巨人とともに3位争いを演じたものの、8月中旬の死のロード以降失速して巨人に突き放された。さらにバースの故障離脱などもあって9月も大きく負け越し、結局4位で全日程を終了し勝率5割復帰はならなかった。打撃陣では掛布は中日の宇野勝と本塁打王を争い、最後は敬遠合戦の末本塁打王を分け合った[2]。前年2000本安打を達成した藤田平はこのシーズン限りで引退し、コーチ就任の打診も断って退団した[3]。前年7月以降遊撃手レギュラーの平田勝男はこの年も攻守でチームを支え、8年連続受賞の名手山下大輔(大洋)に代わってダイヤモンドグラブ賞を受賞した。投手陣では池田があわや2ケタ勝利の活躍を見せたものの、工藤・伊藤が故障などで不調にあえぎなど先発投手陣が崩壊。チーム防御率も4.46でリーグ4位に終わり、11完投はリーグ最下位。正捕手は前年までの笠間雄二に代わり移籍2年目の山川猛が114試合出場、10本塁打と気を吐いた。9月には安藤監督の留任が一度は決定したものの、一部スポーツ紙が次期監督に村山実、吉田義男の名前を載せるなど監督問題が浮上。フロントへの不満が爆発した安藤監督は田中オーナーに辞表を提出し、長期政権を期待された安藤体制は3年で終焉した[4]。後任には吉田義男が8年ぶりに復帰し、久万俊二郎オーナー代行が新オーナーとなった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 右 | 吉竹春樹 |
---|---|---|
2 | 中 | 弘田澄男 |
3 | 二 | 真弓明信 |
4 | 三 | 掛布雅之 |
5 | 一 | バース |
6 | 左 | 佐野仙好 |
7 | 遊 | 平田勝男 |
8 | 捕 | 渡辺長助 |
9 | 投 | 野村収 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 広島東洋カープ | 75 | 45 | 10 | .625 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 73 | 49 | 8 | .598 | 3.0 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 67 | 54 | 9 | .554 | 8.5 |
4位 | 阪神タイガース | 53 | 69 | 8 | .434 | 23.0 |
5位 | ヤクルトスワローズ | 51 | 71 | 8 | .418 | 25.0 |
6位 | 横浜大洋ホエールズ | 46 | 77 | 7 | .374 | 30.5 |
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オールスターゲーム1984
→詳細は「1984年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- バースは故障により出場辞退
入団・退団
シーズン開幕前
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選手・スタッフ
試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字 はリーグ最高
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表彰
達成記録・出来事
- 4月12日 - 掛布雅之が大洋3回戦(甲子園)で4回に門田富昭から本塁打を放ち通算250本塁打、史上21人目
- 5月31日 - ランディ・バースが中日8回戦(ナゴヤ)で9回に牛島和彦から球団通算100本目の満塁本塁打を放つ、史上2球団目
- 6月13日 - 安藤統男監督が中日10回戦(甲子園)を体調不良で急遽休養する、代行監督は佐藤孝夫(復帰は6月16日のヤクルト13回戦(神宮))
- 6月28日 - 真弓明信がヤクルト16回戦(甲子園)で9回に代打出場して通算1000試合、史上247人目
- 7月16日 - 佐野仙好が広島16回戦(広島市民)、8回に白武佳久から本塁打を放ち通算100本塁打、史上133人目
- 7月17日 - 真弓明信が中日15回戦(甲子園)で都裕次郎から先頭打者本塁打を放つ、前日の広島16回戦(広島市民)でも大野豊から先頭打者本塁打を放っており、2試合連続本塁打は史上19度目で、1980年10月12日のダブルヘッダーの中日24、25回戦(ナゴヤ)でも放っており、複数回の達成は3人目
- 8月15日 - 巨人22回戦(後楽園)の試合前にのレジー・スミス(巨人)を阪神ファン数人が取り囲み、それに対しスミスが数人に暴行を加えたとして地元警察署に連行、後日書類送検される
- 8月19日 - 真弓明信が広島21回戦(広島市民)で6回に川口和久から安打を放ち通算1000安打、史上135人目
- 8月22日 - 佐野仙好が中日19回戦(ナゴヤ)で1回に都裕次郎から本塁打を放ち通算1000安打、史上136人目
- 8月25日 - 藤田平が大洋22回戦(甲子園)で9回に守備で一塁手として出場して通算2000試合、史上20人目
- 9月15日 - 真弓明信がヤクルト23回戦(甲子園)で高野光から先頭打者本塁打を放つ、12日の大洋24回戦(横浜)でも金沢次男から先頭打者本塁打を放っており、2試合連続本塁打は史上20度目で、上述の1980年と7月16、17日に次いで3回目で同一年度での複数回は史上初
- 10月5日 - 中日26回戦(甲子園)で掛布雅之が本塁打王を争う中日の宇野勝と10月3日の中日25回戦(ナゴヤ)に続いて敬遠合戦を展開、両者とも10打席連続敬遠を記録
- 10月15日 - 9月に続投が発表されていた監督の安藤統男が辞任[5]
- 10月23日 - 新監督に吉田義男が就任[5]
ドラフト指名選手
→詳細は「1984年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
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