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1983年の阪神タイガース
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1983年の阪神タイガースでは、1983年の阪神タイガースの動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、安藤統男監督の2年目のシーズンである。
概要
安藤監督の1年目を3位で終えたチームはアメリカからランディ・バースを、また大洋から2番手エースの野村収をトレードでそれぞれ獲得するなど開幕前はAクラス候補にあげられた(19年ぶりの優勝を期待する解説者もいた)。前評判の高いチームは4月を首位の巨人から3.5ゲーム差の2位で終えるが、5月の10勝15敗、6月の8勝14敗1分でBクラスに転落。夏場以降盛り返すものの、7月10日対広島戦で岡田彰布が試合中のケガで離脱するなど5割前後での苦しい戦いが続き、最後は大洋とのAクラス争いに敗れて4位となった。投手陣ではエース工藤一彦と小林繁が13勝をあげ移籍1年目の野村も12勝をあげて復活するなどベテランが活躍し、リリーフは守護神の山本和行をはじめ、池内豊・福間納が活躍するもののチーム防御率は4.22で4点台に転落。苦しい投手事情から福間は69試合に登板して規定投球回に到達し、最優秀防御率を獲得した[2]。打撃陣はバースが5月まで不振だったものの、日本の野球に慣れた6月から打棒が爆発しチームトップの35本塁打を記録。真弓明信が遊撃手から二塁手へポジションを転々としつつも首位打者に輝き、掛布雅之、佐野仙好なども例年通りの活躍を見せ、チーム打率.274はリーグ2位、本塁打は169本で1位、打点も573点で3位と健闘し、岡田の穴をバースが埋めた。岡田離脱後は平田勝男が遊撃手レギュラーとなり、守備で存在感を示した。シーズン終了後、小林が31歳の若さで引退した。投手層の補強が急務となり、ドラフトでは上位4名に投手を指名した。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 遊 | 真弓明信 |
---|---|---|
2 | 右 | 北村照文 |
3 | 左 | 佐野仙好 |
4 | 三 | 掛布雅之 |
5 | 二 | 岡田彰布 |
6 | 一 | 藤田平 |
7 | 中 | アレン |
8 | 捕 | 笠間雄二 |
9 | 投 | 小林繁 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 72 | 50 | 8 | .590 | 優勝 |
2位 | 広島東洋カープ | 65 | 55 | 10 | .542 | 6.0 |
3位 | 横浜大洋ホエールズ | 61 | 61 | 8 | .500 | 11.0 |
4位 | 阪神タイガース | 62 | 63 | 5 | .496 | 11.5 |
5位 | 中日ドラゴンズ | 54 | 69 | 7 | .439 | 18.5 |
6位 | ヤクルトスワローズ | 53 | 69 | 8 | .434 | 19.0 |
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オールスターゲーム1983
→詳細は「1983年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
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入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
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選手・スタッフ
試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
- 完封合計は継投も含む
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字 はリーグ最高
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表彰
達成記録・出来事
- 3月24日 - 前年の8月31日の大洋21回戦(横浜)で審判に対する暴行を働き無期限公式戦出場停止中の柴田猛、島野育夫の2名に対しセ・リーグの鈴木龍二会長が処分解除を発表
- 4月16日 - 掛布雅之が巨人2回戦(甲子園)で先発出場し通算1000試合、史上233人目
- 4月30日 - 広島4回戦(甲子園)で山本浩二にサイクル安打を喫する、相手チームの打者にサイクル安打を打たれるのは1978年5月20日の大洋10回戦(横浜)で長崎慶一に打たれて以来
- 5月3日 - 藤田平が巨人4回戦(後楽園)で9回に角三男から安打を放ち通算2000安打、史上15人目
- 5月15日 - 笠間雄二が大洋7回戦(甲子園)で2回に金沢次男から本塁打を放ち2リーグ分立以降の球団通算3500号、史上8球団目
- 5月15日 - 野村収が大洋7回戦(甲子園)で先発登板し勝利投手となったことで全12球団からの勝利を達成、史上初
- 7月13日 - 山本和行が巨人16回戦(甲子園)で9回に淡口憲治から三振を奪い通算1000奪三振、史上67人目
- 7月13日 - 巨人16回戦(甲子園)で引き分けて球団通算200試合目の引き分け、相手チームの巨人も同様の記録で史上8、9団目(2972勝2455敗200分)
- 8月9日 - 山本和行が広島14回戦(広島市民)で5回2死から救援登板し通算500登板、史上51人目
- 8月14日 - ヤクルト16回戦(平和台)で3回に井本隆から北村照文、掛布雅之、藤田平、永尾泰憲の4人が本塁打を放つ、1イニング4本塁打以上は史上13度目
- 9月6日 - 真弓明信が巨人22回戦(甲子園)で3回に江川卓から本塁打を放ち通算100本塁打、史上128人目
- 9月17日 - 佐野仙好が広島20回戦(甲子園)で先発出場し通算1000試合、史上239人目
- 9月15日 - 巨人25回戦(後楽園)で敗戦を喫し、2リーグ制移行での2000敗に到達(2321勝2000敗169分)史上11球団目
- 9月17日 - 掛布雅之が広島20回戦(甲子園)で3回に川口和久から本塁打を放ち、甲子園球場での通算100本塁打、史上2人目
- 9月23日 - 野村収が広島22回戦(広島市民)で山崎隆造から三振を奪い通算1000奪三振、史上68人目
- 10月10日 - 野村収が中日24回戦(ナゴヤ)で先発登板し通算500登板、史上53人目
- 10月10日 - 中日24回戦(ナゴヤ)で勝利し、球団通算3000勝、史上2球団目(3000勝2466敗202分)
- 10月14日 - ランディ・バースがヤクルト24回戦(甲子園)で1回に梶間健一から本塁打を放ち、1968年の藤井栄治が持っていた球団連続試合安打23を更新する24試合目を記録(その後25試合まで伸ばす)
- 10月20日 - ランディ・バースが大洋26回戦(横浜)で3回に遠藤一彦から本塁打を放ち球団通算4000本塁打、史上4球団目
- 10月23日 - 小林繁が今季限りの引退を表明
ドラフト指名選手
→詳細は「1983年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
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