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前川清

日本の歌手、タレント、俳優 (1948-) ウィキペディアから

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前川 清(まえかわ きよし、本名同じ、1948年8月19日 - )は、日本の歌手[4]長崎県北松浦郡鹿町町出身。

概要 前川 清, 出生名 ...

長男は歌手で俳優の紘毅で、次女は歌手の前川侑那Dire Wolf[5]。姪の義弟に元俳優の加勢大周がいる。

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来歴・人物

要約
視点

若き日

1948年、長崎県北松浦郡鹿町町大加勢の生まれ[6]。4人姉弟(姉2人、兄1人)の末っ子[7]。生後まもなく同県佐世保市に移る[6]。父は佐世保の米軍基地に船大工として勤務していたという[6]。1961年、佐世保市立山手小学校卒業[8]。小学3年生の時に変形性股関節症から1年間入院生活を送る[9]。少年時代は野球が好きで、米軍基地で働く日本人職員の子弟を集めてチームを作っていたことがあり、佐世保市立花園中学校[注釈 1]時代はエースピッチャーだった[9]長崎南山高校進学後の高校時代にも投手として野球部に在籍していた[9]。米軍の佐世保基地の兵舎から流れてきたジャズに衝撃を受け、中学・高校とジャズに熱中、ジャズ好きが高じて歌手への夢を抱くようになる。平浩二とは小・中学校の同級生である。

歌手デビュー

1968年、野球部を退部して野球を辞めるのと同時に、本人いわく「野球推薦での入学のような形だったので」高校を2年で中退後[6][10]、叔父の経営する名古屋・六番町の鉄工所に就職。しかし鉄工所は半年で辞めて長崎に戻り、フランスベッドに転職するも半年で退職[10]。休日は近所のパチンコ店や喫茶店で時間をつぶすなか、歌手への夢は諦められなかったという。その後ダスキンのセールスマンなどを経て、長崎市内のキャバレーで歌っていたところを小林正樹に見出され[11]、「内山田洋とクール・ファイブ」に参加。最初は楽器運びなどのバンドボーイとして付いていたが、東京パンチョスのリーダーで音楽プロデューサーのチャーリー石黒に見出され、リード・ヴォーカリストとして起用される[12]

1969年2月5日、『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビュー。同年の第20回NHK紅白歌合戦で紅白初出場。「噂の女」(1970年)、「そして、神戸」(1972年)、「中の島ブルース」(1975年)、「東京砂漠」(1976年)など多くのヒット曲を残した。紅白出場回数はクールファイブ時代とソロでの出場合わせて29回にも及び、歴代の白組で6番目に多い。

クール・ファイブの初期は、常に澄まし顔で斜に構え、ほとんど喋らないと言う冷たい二枚目キャラクターであった。しかし1970年代半ばにフジテレビ欽ちゃんのドンとやってみよう!」のレギュラーに起用されると個性を発揮し、笑いの才能も認められるようになった。のちに、初期のクールキャラも「欽ドン!」時代の朴訥な大ボケキャラも「演技だった」と告白している。

1971年に藤圭子と結婚したが翌年に離婚。一時期、アン・ルイスとの交際も噂された。

若い時期は演歌歌謡曲のみならず、欧米のポップスロックも好きで、コンサートなどでもよく歌っており、当時のライブ盤に多数収録されている。ソロ活動では、ソロデビュー曲の「雪列車」(作曲・坂本龍一)や、「フィクションのように」(作曲・井上大輔)など、ポップス色を出した曲も数多く歌っている。

以降、歌手のみならず「8時だョ!全員集合」「ドリフ大爆笑」や前述の「欽ドン!」といったバラエティ番組のコントでも活躍。「欽ドン!」では萩本欽一と“コント54号”を結成していた。1990年代からは梅沢富美男とのコンビでNHK総合テふるさと皆様劇場』や舞台でコントを見せていた。

ソロ歌手として

1980年9月27日に日本青年館で初のソロ・コンサートを開催[13]。1987年、クール・ファイブ脱退によりソロ活動を本格的に開始。

1997年、ニッポン放送福山雅治のオールナイトニッポン」に、前年の紅白歌合戦で歌った「抱きしめて」のリクエストが同番組あてに殺到したことがきっかけでゲスト出演。この時同郷(長崎出身)の福山雅治に曲制作を依頼、2002年発売の「ひまわり」でコラボレーションが実現した。なお、このCDのジャケット写真は福山が撮影している。同曲はヒットし、同年の紅白歌合戦で披露している。

マイクを片手に、一本立ちで歌唱する姿が特徴的であるが、Mr.Children桜井和寿は、「一本立ちであれだけの表現力を持っているところは尊敬に値する」とラジオ番組で語っていた。のちに雑誌のアンケートでも「自分の書いた曲を歌ってほしい人」という質問に対し「前川清さん」と答えている。

2007年3月11日のNHKのど自慢チャンピオン大会でゲスト歌唱の際、司会の宮本隆治が「氷川きよしさんで『一剣』、前川清さんで『せめて今夜だけは』」と言うところを「前川清さんで『一剣』、氷川きよしさんで『せめて今夜だけは』」と言い間違えたことを逆手に取り、歌唱後に「氷川きよしでした!」と言って笑いをとった。この手のネタは2005年の紅白歌合戦でも司会の山本耕史が前川を「山川、あっごめんなさい。前川清さんです」と言った際にも見せている。

自身の持ち馬であるコイウタが2007年にヴィクトリアマイルを優勝したことおよび、2006年紅白歌合戦にクール・ファイブを再結成して出場したことが契機となり、その後クールファイブのメンバーと共に20年ぶりにレコーディングを行い、「前川清&クール・ファイブ」として新曲を出すこととなった。以降、"前川清&クールファイブ"として、ソロ活動と並行しながら活動している。

2008年8月、60歳を前に小学3年生の頃から悩まされていたという変形性股関節症の手術を受けたことを明らかにした(8月5日に施術)[14]。2009年には加藤清史郎が出演するCMトヨタ自動車こども店長」CMオリジナル曲「こども店長のうた」を歌唱した。

2012年から放送が開始された、九州朝日放送の旅番組「前川清の笑顔まんてんタビ好キ」では、お笑い芸人のえとう窓口Wエンジン)とともに九州を中心とした日本各地の行き当たりばったりの旅を行い、九州地方では人気番組になっている。

レコード会社はクール・ファイブを脱退以後、RVC(1982年 - 1986年)ポニーキャニオン(1987年 - 1996年)、BMGビクター(1996年 - 1999年)、ガウスエンタテインメント(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)(1999年 - 2002年)を経て、2002年からはテイチクエンタテインメントに所属。

競走馬オーナーとして

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前川企画の勝負服

競馬好きで、競走馬オーナーでもある。中央競馬JRA)の所有馬は以下の通り

  • コイウタ
    • 前川企画名義、名前の由来は母馬の名前(ヴァイオレットラブ)と自身のヒット曲「恋唄」
    • 2006年のデイリー杯クイーンカップ(GIII)で勝利し、同年の桜花賞(GI)でも三着に入った。そして2007年5月13日、ヴィクトリアマイルを制し2007年度のJRA賞最優秀4歳以上牝馬に選出。これにより、前川は芸能人馬主としてグレード制施行後初のGI級(JpnI)レース優勝を飾った。グレード制施行前のGI級レース優勝を含めると高峰三枝子スウヰイスー:1952年 桜花賞優駿牝馬)以来2人目である。
    • 前川本人は競馬場で観戦すると所有馬が勝てないと言うジンクスから、「ゲンを担いで」北海道にある知人の牧場を訪問し、テレビ中継でレースを観戦していた。同馬の優勝の瞬間に興奮のあまり手で机を叩き、突き指してしまったという。なお、レースの表彰式には馬主代理として前川の長女が出席した。この後、前川は急遽帰京し、当日夜の関係者による祝勝会に出席し「(嬉しさで)立ちくらみがした。こんな経験は初めてです」と喜びを語った。
  • ケイティーボーン
  • ヒゼンホクショー

クリスチャン

カトリック信徒で、洗礼名「セバスチャン」を持っている[7]。進学した高校もカトリック系。コンサートなどで時折話のネタに使うことがある。

自宅の近所にある教会のパーティに「同じクリスチャンだから」とノーギャラで出演を快諾したこともある。また母親は前川の離婚・再婚問題で時の教皇パウロ6世に直談判したことがある。

長崎南山高校時代の同級生に、カトリック大阪大司教(2018年時点)のトマス・アクィナス前田万葉枢機卿がいる。

錦鯉育成

また前川は、自宅の庭に育成用のプールを作ってしまうほどに幼少期から錦鯉が好きである[15]。歌手デビュー間もない頃から、新潟県小千谷市の鯉の養魚場に通いはじめていたほどだった[15]

息子の紘毅はこの件について「プールが欲しいか?と突然清に聞かれ、欲しいと言うと、ほどなくして庭にプールが出来ていた。友人たちと毎日のように泳いで遊んでいたが、夏休みが終わったころには錦鯉が泳いでいた」と話している。また、清が子供よりも錦鯉を可愛がるため、父がいない時に釣りをして遊んでいたが、鯉の口に針の穴が開いているのを清が発見、「あんなに怒られたことはない」というほど激怒されたという。

2014年11月、全日本鱗友会が主催する第45回全国錦鯉品評会では、自身のブランド鯉「前川紅白」が全体総合優勝に選ばれている[15]

桑田佳祐との関係

サザンオールスターズ桑田佳祐は中学時代からクール・ファイブのファンであり、前川を意識した髪型で学校に通った時期もあったという[16]。また、掃除の時間で机をすべて後ろに下げた際に、教壇をステージに見立て黒板消しをマイク代わりにして前川のものまねを始めたエピソードを同級生の宮治淳一が証言している[17]

桑田はプロとして活躍して以降も前川のものまねを度々披露したこともあり、『昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦』(2008年)[18]、『桑田佳祐 ライブ in 神戸&横浜 2011〜年忘れ!! みんなで元気になろうぜ!!の会〜』(2011年)[19]、『昭和八十八年度! 第二回ひとり紅白歌合戦』(2013年)[20]では、クール・ファイブのメンバーに扮した映像がバックモニターに映され、全部で1人6役を演じる一面も見せている。また、サザンオールスターズの2016年のライブ・ビデオ『おいしい葡萄の旅ライブ –at DOME & 日本武道館-』では「エロティカ・セブン」を前川口調で歌うシーンが存在する。

前川も桑田の才能・楽曲を認め、これまでに「真夏の果実」「TSUNAMI」「SEA SIDE WOMAN BLUES」のカバーに挑戦しており、インタビューでは「サザンのを全部カバーしたいですね」「「勝手にシンドバッド」とか、僕とはかけ離れている曲も歌ってみたいです」といったことも述べている[21]

桑田のレギュラーラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」(TOKYO FM)2015年11月7日・14日放送分では「前川清特集」が行われた[22]。スタッフによると前川はこれに対して「桑田さんに感謝!感謝!感謝!」と言っていたという[23]

その他

血液型はO型。

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ディスコグラフィ

シングル

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  • 前川清&クール・ファイブ名義。
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デュエット・シングル

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アルバム

オリジナル・アルバム

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ベスト・アルバム

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カバー・アルバム

  • My Favorite Songsシリーズ
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ライブ・アルバム

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CD-BOX

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参加作品

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映像作品

ライブ

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ミュージック・ビデオ

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タイアップ曲

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出演

要約
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NHK紅白歌合戦出場歴

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  1. 「長崎は今日も雨だった」は、クール・ファイブ時代と通算して合計3回歌唱されている。
  2. 「東京砂漠」は、クール・ファイブ時代と通算して合計4回歌唱されている。

(注意点)

  • 備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。

映画

ドラマ

その他テレビ番組

舞台

  • 清&直美 気になるふたり(新橋演舞場、2010年)
  • 喜劇「極楽町一丁目 -嫁姑千年戦争-」(2016年、シアター1010 ほか) - 浄念 役 [27]
  • 新歌舞伎座開場65周年記念 前川清 藤山直美(2024年、新歌舞伎座[28]

CM

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著書

  • 『恋唄に恋して』2008年

脚注

外部リンク

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