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羊文学

日本のロックバンド (2012-) ウィキペディアから

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羊文学(ひつじぶんがく、英語: Hitsujibungaku)は、日本オルタナティブ・ロックバンド。塩塚モエカ(ボーカル・ギター)、河西ゆりか(ベース・コーラス)、フクダヒロア(ドラムス)の3人から構成される[1][4]。所属事務所はソニー・ミュージックエンタテインメント傘下の次世代。レーベルはF.C.L.S.

概要 羊文学, 出身地 ...

2011年、塩塚モエカが中学3年の時に5人組のコピーバンドとして結成され、メンバーチェンジを経て2017年から現メンバー[1]の3人で活動開始。2017年EP『トンネルを抜けたら』で全国流通CDデビュー、2020年シングル『砂漠のきみへ/Girls』でメジャーデビュー[4]。2023年バンド初の海外単独公演、2024年バンド初の海外単独ツアーを敢行。

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バンド名の由来

英語でも日本語でも「羊」という言葉が入ってたら格好いい気がするのと、音楽だけでは無い大きな世界観を名前で表現するため「文学」を繋げたと塩塚はインタビューで答えている[5]。別のインタビューではS.R.Sが好きだったため「羊」とつけた[6]、「文学」はシガー・ロスの様な感じを表現したくて考えた中で字面が良かったからとも述べている[7]

メンバー

要約
視点

現メンバー

  • 塩塚 モエカ(しおつか もえか、1996年7月3日 - 、29歳、茨城県生まれ、東京都出身)
    • ボーカルギター担当。オリジナル曲の作詞・作曲全曲担当している[8]
    • 活動名は、本名を一部変更したもので、現体制前は「はいじ」と名乗っていた[6][9]。「はいじ」は中学生の頃からのあだ名である[6]。2016年からギター弾き語りでソロ活動をする機会が増えたが、20歳を過ぎて「はいじ」と自己紹介するのが恥ずかしくなり塩塚モエカに変えた[6]
    • メインのギターは大学1年の時に買ったローズ指板のFenderのAmerican Vintage Jaguar[10]で、当時はJazz Masterが欲しかったが楽器屋の店員の勧めでJaguarにした[11]。ボディカラーは限定のソニック・ブルーで、ボディにはヨ・ラ・テンゴのジェイムズ・マクニューのサインがあり、ヘッドのロゴはチューナーを挟んでいるうちに剥がれたところがあるのが特徴[12]。2023年フェンダーミュージック株式会社と“フェンダーアーティスト”パートナーシップを結んだ記念にローズ指板のFender Custom Shop/’66 Jaguar Deluxe Closet Classicを購入し、『III』での『マヨイガ』、それ以降は『Burning』でピンポイントで使用[13]。ナチュラルフィニッシュでメイプル指板のFender Jazz Masterも所有しておりMV『光るとき』や2022年の自宅からのインスタライブで使用している。ASIA TOUR 2024の追加公演と同年のハワイ公演では、『Burning』の1曲のみサンバーストのJaguarを使用しているが塩塚の所有しているものかは不明。中学生からFUJI ROCK FESTIVAL "ROOKIE A GO-GO"に出演した頃はFenderのStratocasterを愛用していた[14][15]
    • 作詞ではスマートフォンのメモアプリを使い、レポート用紙に手書きで仕上げることもある[16]
    • 幼少期にはピアノを習ったが馴染めずすぐやめた[17]。中学生になる時にリサイクルショップで5000円のクラシックギターを買ったが弦高が高すぎて弾けず[18]、すぐにアコースティックギターを買い直して[19]始め、後にStratocastorを買った[20][11]
    • 大人になってジャズギター教室で習っていた時がある[17]
    • 幼稚園の頃には音楽で生計を立てていこうと決めていたという[21]
    • 小学4年生の頃にオアシスをテレビで見て父親にCDをねだったところ、プログレッシブ・ロックが好きな父親はオアシスのCDを持っているにもかかわらずキング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』を与え、中学2年生でアヴリル・ラヴィーンに出会うまでロックがトラウマになった[11][22]。しかし、中学3年生になるとキング・クリムゾンは好きになった[11][23]
    • 女子学院中学校・高等学校出身であり、バンド名ができたのは中学時代、活動開始したのは高校時代である。ファーストEP「トンネルを抜けたら」のジャケットで着ているのは同校の制服である(ただし校章を消している)[24][25]
    • 中学生の頃は携帯とネットに熱中し、裏原宿[26]ミクシィアメブロで友達を作った。原宿に集まっては服を作ったり、ウォーキングの練習をしていた[26]。交流は続き、後にその時の友達と一緒に仕事をすることになる[25]。高校では軽音楽部に所属し、もうひとつバンドを掛け持ちしていた[25]。高校の選択教科ではパイプオルガンを専攻し、先生や上手な生徒の演奏を聴いた[25]
    • 大学は慶應義塾大学文学部[14]で、ギターのスキルを上げるためにコピーバンドサークルに入りボーカルはせずギターだけを弾いていた[27]。卒業論文は芸術家のマルセル・デュシャンに関するもの[28]
    • 学生時代に下高井戸シネマでアルバイトを5年くらいしていた[29]。他にはスープカレー屋、雑誌編集部の受付、フリーマーケットのスタッフもしたことがある[30]
    • 英語を勉強するために渡英したことがある[29]
    • 卒業後、会社員だった期間があり[31]、新橋に勤務していた[26]
    • 音楽以外で好きなこととしてコンテンポラリーダンスを挙げており[32]、『more than words』のMVで見ることができる。本当は大学でダンスサークルに入りたかった[27]。『若者たち』のMVには、塩塚のダンスの先生が出演している[33]
    • 「お風呂の換気扇を止める人」「ペットボトルやメイク道具がピシっと綺麗に並んでいない」などが嫌だが、潔癖症ではない、とも発言している。[34]
  • 河西 ゆりか(かさい ゆりか、1997年12月24日 - 、27歳、東京都出身[35]
    • ベースコーラスを担当。
    • メインのベースはMOMOSEのMPB2[10]、レコーディングのメインはGibson/EB-3[36]。羊文学と初めてのスタジオセッションではフェンダーの白いJazz Bassで、燃やしてレリック加工を施していた[20]
    • 幼少期にヤマハのエレクトーン教室に通い、譜面の読み方や手足がばらばらに弾くことを身につけた[17]。中学生になるとバンドをやりたいと思い祖母の家からアコースティックギターを借り、高校生になると軽音楽部に入ってギターとボーカルをやり、大学に入学して19歳の時にベースを始めた[20][6][23]。高校の軽音楽部でボーカルを務めた曲にSCANDALDOLLを挙げている[23]。ベースを始めた動機は羊文学には当時ベーシストがいなかったから[36]
    • ギターを弾いていた頃、やたらとエフェクターを買ってくれる叔父がいて、エフェクターボードがどんどん大きくなり挫けそうになった[20]
    • ベースを初めて数ヶ月[17]で羊文学のTwitterのメンバー募集に応募し、スタジオGourdisland Studio下北沢WESTでのセッションを経て2017年1月に加入した[6][37]。フクダヒロアが指弾きのベーシストを望んでいたことや、演奏スキルやアレンジのセンスに対する塩塚モエカの評価から決定した[38]
    • 羊文学加入前は、高校生の時に羊文学のライヴを一度観ている[38]
    • 10代の頃、プロになることは決めていなかった[21]
    • 敬愛するベーシストはクリームジャック・ブルースレッド・ツェッペリンジョン・ポール・ジョーンズ[22]
    • 経験したことがある"黙々とやるアルバイト"として古着屋のオンラインサイトに使う商品撮影をあげている[30]
    • 買い物が好きでよくネットで服を買う[39]
  • フクダ ヒロア(1997年9月14日 - 、27歳、神奈川県出身[35]
    • ドラムコーラス担当。
    • 唯一の男性メンバー。
    • メジャーデビュー前は「ふっくー」「福田ひろ」と名乗っていた時期がある[9][40][41]
    • CANOPUSのエンドーサー[42]で、ドラムセットは同社のものを愛用。全部ストレート・スタンドで、ライド・シンバルが1枚というようなシンプルなセットを好む[38]。また、手数を少なくドラムの3点で見せるというのをテーマでやっている[38]
    • 高校3年生[43]の時にリーガルリリーのサポートをした時の動画を見たメンバーにTwitterのDMで誘われ、新宿JAMのスタジオでのセッションを経て、2015年11月に加入した[6][37]。当初、フクダは加入に悩み1ヶ月ぐらい返事をしなかった[6]。スタジオで最初に合わせた曲は『トンネルを抜けたら』に収録されている「春」[37]
    • 初めて聞いた羊文学の楽曲は、後に『BiRTH.ep』に収録される「物語は、」[44]
    • ドラムを始めたきっかけは、中学生の頃に父親がバンドでドラムを担当しており家にドラムセットがあったから[6]。その頃にずっと音楽をやっていく覚悟を決めた[21]
    • 河西ゆりかは、フクダヒロアのドラミングについて「最初の印象は、音がめちゃくちゃデカイな」と述べている[38]
    • 2016年に羊文学と対バンをしたインディーズ時代のKing Gnu新井和輝は「しゃべると凄くいい子」と懐古している[34]
    • 特徴的な髪型は高校1年くらいから[6]。リーガルリリーのサポートの頃は「姫カットのロングだった」と本人が述べている[45]。本人によると髪型の動機は「ビジュアルで音楽を感じていただけたらいいなと思って」と述べている[46]。また、塩塚モエカによると加入してから少しずつ伸ばしており2023年12月のインタビュー時点で「今これで完成」と述べている[46]
    • わさび、コーヒー、ブラックのチョコレートなど苦いものが食べられない[37]

元メンバー

二人とも塩塚モエカと同じ高校出身で、メンバーの脱退理由については塩塚モエカはメンバーの進学、就職と述べている[21]

  • しの( - 2015年10月)[47]
    • ドラムとコーラスを担当していた。
  • わあこ[9][48]( - 2016年12月)[49]
    • ベースとコーラスを担当し、リーダー的な役割も担っていた。
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来歴

2011年
  • 9月、塩塚モエカが中学3年の時に10代の若者を対象にしたロックフェス「閃光ライオット」を見た帰りにメールでやりとりしてバンド名を決め[50]、5人組のコピーバンドとして活動を開始[1]。塩塚モエカは「最初のバンドは誘われた。」とIIIのMCで述べている。サイドボーカルとサイドギターを担当していた[44][51]チャットモンチー東京事変9mm Parabellum Bullet等の曲をコピーしていた[51]。「閃光ライオット」にはエントリーしたこともあると塩塚モエカは述べている[50]
2012年
  • 1月、ライブハウスで初めてのライブ。塩塚モエカは不参加[44]
  • 塩塚モエカ、中学を卒業し高校へ入学。
  • 4月、通算2回のライブでオリジナルメンバー2人が脱退、はいじ(塩塚モエカ)、しの、わあこのスリーピースバンドになる。塩塚モエカがオリジナル曲の制作を始める[44]
2013年
  • 3月、初のCD(1st demo)を会場限定で発売[52]
  • 8月、初めての自主企画「おやすみのアイロニー」を開催[53][54]
  • 8月29日より、大学受験のため活動休止[55]
2015年
  • 3月4日、活動再開。
  • 4月、はいじ(塩塚モエカ)、しの、わあこ、高校を卒業し大学に入学。
  • 9月、ドラム・しの10月脱退を発表[47]。10月7日のライブで脱退[56]
  • 11月1日、ドラマーの公募開始。条件はやる気だけで、年齢、性別不問。11月2日締切[57]。羊文学にTwitterのDMで誘われたフクダヒロア加入[6]
2016年
  • 4月、初のミュージックビデオ「春」を制作・公開[58]
  • 7月、FUJI ROCK FESTIVAL "ROOKIE A GO-GO"に出演[48]
  • 10月、初の海外公演「Next Music From Tokyo vol.9」に参加、カナダの3都市4会場に出演[59]
  • ベース・わあこの12月脱退を発表[49]
  • 11月5日、新しいベーシストが見つかるまで塩塚モエカのソロで活動することをアナウンス。はいじ、名前を塩塚モエカに変更。
  • 12月時点で、二十歳の塩塚モエカはまだ自身のことをプロのミュージシャンとは思っておらずそれは将来の夢だった[14]
2017年
  • 元旦から羊文学がベーシストをTwitterで公募。条件は19〜22歳くらい、女性、任意で演奏動画[60]。スタジオセッションを経て河西ゆりか加入[6]。この時、羊文学は河西ゆりか以外にも何人かとスタジオで試している[6]
  • 4月、河西ゆりかが羊文学のライブでデビュー。河西は1ステージ50分演奏するのはこの時が初めてだった[41]
  • 10月、初の全国流通CD『トンネルを抜けたら』をfelicityから発売[4]
2018年
  • 塩塚モエカ、大学を1年間休学[38]
  • 4月、初めてのワンマンライブ「オレンジチョコレートハウス」を開催[61][62]
  • 7月、初のフルアルバム『若者たちへ』を発売[4]
  • 8月、代官山でワンマンライブ「"わたしたち"へ」開催。
  • それまで所属していた事務所を辞める。
2019年
  • 塩塚モエカがボイストレーニングに行き始める。理由は、以前所属していた事務所のマネージャーに「ライブで何言ってるか分からないから、それだけは本当に何とかした方がいい」と言われて。講師の選び方がよくわからず、事務所の先輩が行っている中から選んだ[18]
  • 8月、東名阪ワンマンツアー「まばたき」開催。
2020年
  • 2020年よりも前のレコーディングではイメージと違っていたりピッチが少し違っていたりすると細かく編集していたが、2020年を境に流れを重視して編集が減り、編集するとしてもエンジニアにまかせるようになった[34]
  • 1月、東阪でワンマンツアー 「はばたき」開催
  • 塩塚モエカ、3月に舞踏家の梅川壱ノ介との対談の日に卒業が決定[63]し、大学を卒業して企業へ就職。卒業を機に、後に『our hope』のコンセプトとなる新宿で一人住まいを開始[35]。家を決める際は、内見をせず勢いで決めたが、暗くて狭くて寒かった[35]
  • 7月、初の沖縄ワンマン「羊文学 はばたき番外・沖縄編」がコロナ禍で中止。
  • 8月、メジャーレーベルのF.C.L.S.(ソニー・ミュージックレーベルズ)への移籍を発表[64]
  • 公式サイトがドメインを変更してリニューアル[65]
  • オンライン配信ワンマン「“優しさについて”」開催。
  • 12月、セカンドアルバム『POWERS』発売。塩塚モエカは会社員をやりながら土日に制作した[66]
2021年
  • 第13回CDショップ大賞2021入賞[67]
  • 羊文学がFender「FENDER NEXT」2021年度25組に世界中のアーティストから選出される[68]
  • フクダヒロアがCANOPUSのエンドーサーになる[42]
  • 3月、9月、東京で「羊文学 Tour 2021 “Hidden Place” online live」開催。
2022年
  • 4月、サードアルバム『our hope』発売。
  • 5-6月、初の全国ワンマンライブツアー「OOPARTS」開催。東京公演では、元メンバーのふたりが来場してくれた。
  • 9月、ファンクラブ『月刊 羊文学』開設。
2023年
この年から塩塚モエカと河西ゆりかのステージ衣装をワンピースからパンツスタイルに変更[69]。ヘアスタイルもショートボブで統一するのではなく、それぞれ自由なヘアスタイルになった。
  • 2月、『our hope』で初めてのバンドスコア発売。
  • 3月、『our hope』が第15回CDショップ大賞2023「大賞〈青〉」受賞[70]
  • 4月 塩塚モエカがフェンダーミュージック株式会社と「フェンダーアーティスト」パートナーシップを結ぶ。[71]
  • 6月、羊文学初の海外単独公演となる台湾公演を開催[29]
  • 9月-10月、全国10ヶ所12公演のツアー「if i were an angel,」を開催。
  • 12月、4枚目のアルバム『12 hugs (like butterflies)』発売
  • CanCam2月号「CanCam BUZZ AWARD」アーティスト部門を受賞[72]
2024年
  • 3月-4月、ワールドツアー『Hitsujibungaku ASIA TOUR 2024』を韓国、中国、台湾、タイで開催。
  • 4月21日、ワンマンでバンド初の大規模会場である横浜アリーナで公演。
  • 5月1日、話し合いの結果、フクダヒロア(ドラムス)がコンディション調整のための休養期間に入り、フクダの休養中はサポートメンバーを加えてバンド活動を継続することを発表した[73][74]
  • 5月、グラミー賞「10 Neo J-Pop Artists Breaking The Mold In 2024」(2024年注目のネオ・J-POP アーティスト10選)受賞
  • 7月、ワールドツアー『Hitsujibungaku ASIA TOUR 2024』の追加公演をシンガポール、マレーシア、フィリピン、香港で開催。
  • 8月7日、『more than words』が「オリコン週間ストリーミングランキング」で累積再生数(自身初の)1億回再生を突破[75]
  • 8月30日から10月3日まで、バンド史上最大規模となる全国ツアー『羊文学 TOUR 2024 "soft soul, prickly eyes"』を12都市で開催[76]
  • 9月、TNCアジアトレンドラボ「アジアのZ世代が注目する“日本のカルチャー”5選」受賞
  • 11月、2025年リリース予定の次作の制作に入ったことをラジオで公表した[39]
  • 12月14日、バンド初のハワイ公演。
2025年
  • 4月、バンド初の米国本土ツアー。
  • 5月、第1回MUSIC AWARDS JAPANにて、最優秀国内オルタナティブアーティスト賞最優秀国内オルタナティブ楽曲賞(「more than words」)の2部門を受賞[77]
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作品

要約
視点

シングル

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EP

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フルアルバム

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ライブアルバム

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参加作品

(塩塚モエカのみの参加作品を含む。)

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映像作品

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ミュージックビデオ

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ライブ映像

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タイアップ一覧

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その他起用

  • へちま×劇団てあとろ50' 新人企画公演『きょう、息をとめて』(2016年3月11~13日)。劇中の楽曲の提供と12日14:00には開演前にミニコンサートをした[149][150]。劇は学生バンドを題材にしている[151]
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出演番組

ラジオ

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出演イベント

要約
視点

入場SE

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ワンマンライブ

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自主企画

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インストアライブ

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ミュージックフェス

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さらに見る 2025年, 公演日 ...


ブッキングライブ等

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脚注

外部リンク

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