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椎名林檎

日本の女性シンガーソングライター (1978-) ウィキペディアから

椎名林檎
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椎名 林檎(しいな りんご、1978年11月25日 - [3])は、日本の女性シンガーソングライター。ロックバンド東京事変の主宰でボーカルを担当[4]

概要 椎名 林檎, 基本情報 ...

黒猫堂所属。レコードレーベルはEMI Records

2009年、平成20年度芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)受賞[5][6]。2017年12月、東京オリンピックの『4式典総合プランニングチーム』に選出[7]

アメリカ最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music」では、J-Rockジャンルにて最高評価を得ている[8][9]

2000年に弥吉淳二と結婚[10][11]。一男をもうけ、2002年に離婚した[11]

現時点で事実婚状態にあるのは映像ディレクターの児玉裕一[12]。児玉との間に二児を儲けた。2024年現在、3人の子を持つ母である[13]

兄はシンガーソングライターの椎名純平。伯父はイラストレーターブックデザイナー辰巳四郎[14][注 4]。またその娘であるイラストレーターの藤森玲子とは従姉妹にあたる。

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略歴

要約
視点

デビューまで

1978年、埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)生まれ[15][注 5]先天性食道閉鎖症を抱えて生まれたため、生後すぐに新宿区慶應義塾大学病院へ搬送され、2日間にわたる大手術を受ける[18][19]。外資系石油会社に勤める父親の転勤により2歳のとき静岡県清水市(現・静岡市清水区)に移住し、約10年間過ごす[18][20]。4歳のときに祖母に頼んでピアノを始める[18]。1990年、小学6年生のときに父親が福岡支店の勤務となり、福岡県福岡市早良区へ引越す[21][18][22][23][24]。高校中退後のフリーター時代までの約7年間を福岡で過ごす[24]。幼少時から10年以上ピアノクラシック・バレエを習っていたが、後述の通り生後まもなく手術を受けた際に体の左右均等に力が入らない後遺症が残り、これが徐々に悪化したため断念したという[25]

福岡市立百道中学校[26] 在学中に、友人とバンドを結成して学園祭などで何度か演奏するも解散[27]。体育祭では女子の応援団長を務めていた。女優山口紗弥加は中学の1学年下の後輩[28]福岡県立筑前高等学校[29] に進学すると軽音楽部に入部、いくつものバンドをかけ持ちしてさまざまな楽器を担当する。軽音部のバンドはコピー・バンドが多かったため、洋楽邦楽問わずコピーばかりを演奏していたが、次第に自分で曲を作るようになる[30]。そして学内だけでなく学外の友人ともバンドを組むようになり、ライブハウスでも演奏するようになる[31]

1994年、高校1年生のときに第19回ホリプロタレントスカウトキャラバン 放課後の決選〜カラオケ・バトルロイヤルに出場[注 6][注 7]

1995年、高校2年生のときに『Marvelous Marble(マーベラス・マーブル)』というバンドで「第9回 TEENS' MUSIC FESTIVAL」に出場[32]。福岡地区で1位となり全国大会に進出、奨励賞を受賞する[33]。このときのティーンズ大賞・文部大臣奨励賞(グランプリ)はaiko。同年秋、RKBラジオの家村裕之ディレクターの推薦で長崎歌謡祭に出場し、ファイナリストとなっている[34]。高校では学級委員を務め、成績も優秀だったが[29]、高校2年の3学期が終わると同時に高校を中退[15][35]ピザ屋や警備員などのバイトをしながらデモテープを作る日々を送る[36]

1996年、フリーター生活をしながら[15]The 5th MUSIC QUEST JAPAN」の福岡大会にふたたびバンドで出場するが、大会関係者にソロ転向を勧められて決勝の「MUSIC QUEST JAPAN FINAL」には「椎名林檎」として出場[注 8]、「ここでキスして。」を歌って優秀賞を獲得している[38]。地方予選の段階でいくつかのレーベルから声がかかり、その中から東芝EMI(現・ユニバーサルミュージック)を選んで契約する。また、この大会で同じく優秀賞を受賞したaikoやグランプリを受賞した谷口崇とは音楽活動やプライベートを通じて交流するようになる[注 9]

1997年の1月から3月までの間、知人の伝手を頼りイギリスで3か月間ホームステイするが、その時にEMI本部のスタッフと衝突。これを機に思い悩んだ末、日本でのデビューを決意して帰国する[39][40]

1998年 - 2003年:デビューからソロ活動休止まで

2004年 - 2007年:東京事変始動

2004年
2005年
2006年
2007年

2008年 - 2012年:デビュー10周年から東京事変解散まで

2008年
2009年
  • 3月6日、芸術選奨文部科学大臣新人賞の大衆芸能部門に選ばれる[5]
  • 3月11日、DVD『Ringo EXPO 08』を発売。
  • 5月2日と3日に開催された亀田誠治総指揮によるライブイベント「亀の恩返し」の1日目に出演[53]
  • 5月27日、純粋なソロ名義としては約5年半ぶりのシングル『ありあまる富』を発売。この楽曲はTBS系列のテレビドラマ『スマイル』の制作スタッフからの依頼と要望を受け、ドラマのために書き下ろされたもので、ソロ名義での連続ドラマのタイアップはこれが初である[54]
  • 6月24日、約6年4ヶ月ぶりに4作目のオリジナル・アルバム『三文ゴシップ』を発売[55]。オリコンアルバムチャート初登場1位を獲得[56]。このアルバム収録の「二人ぼっち時間」は、6月放送の『みんなのうた』で放送された。
  • 11月、江崎グリコの「ウォータリングキスミント」のイメージキャラクターに選ばれ、11月17日からは本人出演のCMの放送も開始された。椎名がCM出演するのはこれが初である[57]CMソングには東京事変の楽曲が採用され、それぞれ採用順に「能動的三分間」・「勝ち戦」・「ドーパミント!」・「空が鳴っている」が起用された。特に、第1弾CM内でムーンウォークを披露したシーンは大きな話題を呼び、のちに「能動的三分間」をシングル曲として発表した際、椎名本人がCM同様に同曲のミュージックビデオの映像中でムーンウォークを披露している。
2011年
2012年
  • 1月11日、東京事変の解散を発表。本人による解散声明文には「事変は来(きた)る閏日(うるうび)解散致します」とあり、2012年2月14日より最後のツアー「東京事変 Live Tour 2012 Domestique Bon Voyage」を開催した後、ツアー最終日となる2月29日をもって解散した。
  • 5月16日、解散後初となる楽曲「自由へ道連れ」を配信限定で発売。同曲はTBS系ドラマ『ATARU』の主題歌として書き下ろされた。
  • 8月8日に発売されたSMAPのアルバム『GIFT of SMAP』に楽曲「真夏の脱獄者」を提供。
  • 9月から10月にかけて東京芸術劇場のプレイハウスにて上演された野田秀樹の第17回公演NODA MAP『エッグ』で、野田の依頼により劇中の音楽を担当。また前月の8月31日には劇中で歌われた楽曲をアルバム『毒苺』(歌唱は深津絵里)としてリリース。

2013年 – 現在:デビュー15周年

2013年
2014年
  • 2月13日から16日にかけて東京劇術劇場シアターイーストで上演された野田秀樹作の一人芝居『ガラスの国のティンカーベル』に劇中曲を提供。
  • 5月27日、初のセルフカバー・アルバム『逆輸入 〜港湾局〜』を発売。
  • 6月11日、14枚目のシングルとして『NIPPON』を発売。本楽曲は2014年度NHKサッカー中継のテーマソングとして書き下ろされた。
  • 11月5日、約5年半ぶりとなるオリジナル・アルバム『日出処』を発売。それに先駆けてアルバム収録曲「ありきたりな女」を10月1日に先行配信。
  • 11月29日から12月21日まで、アリーナツアー「林檎博'14 -年女の逆襲-」を開催[58]
  • 12月31日、第65回NHK紅白歌合戦に2度目の出場。
2015年
2016年
2017年
  • おとなの掟』を発売。ドラマ「カルテット」の主題歌として書き下ろした。大ヒットを記録し、2017年度にもっとも売れた配信シングルとなった[63]
  • 目抜き通り』を発売。大型商業施設「GINZA SIX」のテーマソングとして、銀座の魅力を表現した新たなる銀座のテーマソング制作の依頼を受けて椎名林檎が書き下ろした。このCM作品で椎名は「2017 57th ACC CM FESTIVAL」において音楽賞を受賞している。
  • 12月6日、セルフカバーアルバム第二弾、『逆輸入 〜航空局〜』を発売[64]
  • 12月、2020年東京オリンピックの『4式典総合プランニングチーム』に選出される[7]
  • 12月31日、第68回NHK紅白歌合戦に5度目の出場。
2018年
2019年
  • 5月27日、約4年半ぶりとなるオリジナル・アルバム『三毒史』を発売[71]。それに先駆けてアルバム収録曲「鶏と蛇と豚」を4月23日[72]、「駆け落ち者」を5月2日[73]、「TOKYO」を5月17日[74] に先行配信。
  • 11月13日、自身初となるベスト・アルバム『ニュートンの林檎 〜初めてのベスト盤〜』を発売[75]。アルバム内には新曲として「公然の秘密」(9月30日に先行配信[76])、宇多田ヒカルとの「浪漫と算盤 LDN ver.」(11月2日に先行配信[77])を収録している。
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人物

要約
視点

埼玉生まれ、静岡福岡育ち。血液型O型。「椎名林檎」としてのプロフィール上は音楽活動を始めた福岡の出身となっている[21]。生後まもなく先天性食道閉鎖症と診断されて手術を受けたが、この際に右の肩甲骨付近にメスを入れられた影響で左右のバランスが取れない障害が残り、のちに始めたピアノクラシックバレエを途中で断念せざるを得ない原因になったという。

「椎名林檎」という芸名は高校生のとき、「ここでキスして。」「ギブス」「茜さす帰路照らされど…」「虚言症」などの作品を初めてJASRACへ著作者登録をする際に筆名が必要となり、あくまで一時的なつもりで使用したのが始まり。なぜ「林檎」と命名したかについては、自身のバンド活動もドラマーから始まったということもあってビートルズのドラマーだったリンゴ・スターの名前を借用したと語っている[14]。また名前が人の名前とは思えない、物体そのものを表すものだということについては、漫画家の吉田戦車ペンネームからの影響があると語っている[78]。もともとの由来は、子供のころはかなりの恥ずかしがり屋で、学校で先生に指されるとすぐほっぺたが真っ赤になってしまっていたから[79]

歌詞に旧仮名遣い旧字体を使用することから読書家だと思われることも多いが実はそうでもなく、本人曰く「よく読んでいるのは辞書」とのこと[80]。近年では音楽番組に出演した際に歌詞のテロップが縦書きのシネマフォントで表示されていることが多い。

デビューからしばらくの間標榜していた「新宿系」については、「取材などで常に『(ジャンルは)何系?』と聞かれるのが面倒くさいので口から出まかせを言った」[81] などと答え、またその定義についても「本当は意味などなかったが何か理由づけしないと相手に悪いと思って聞かれたことに対して一生懸命答えたのだろう」[82] と明かしている。

トレードマークだった左の口元のほくろについては、「小学校時代に女優の沢口靖子マドンナのように口元にほくろのある女性に憧れてペンで書いていたら本物になった」という噂を本人が肯定しており、また2003年に手術で除去したもののその後ふたたび近い場所に新しいほくろが出来てしまったとも語っている[14][49]

デビュー当時からすでにシーナ・リンゴ名義で広末涼子ともさかりえに楽曲提供を行っている(別項参照)。

吉岡里帆のラジオにゲスト出演した際、「鶏と蛇と豚」のPVについて、「(制作した)児玉監督は主人」であると自ら明かした。さらに、「独自の視点で提案してくれる。半分はケンカするが、半分は凄い凄いと言ってるから離婚しないでいる」と語っている[12]

デビューまでの経緯

東芝EMIの制作ディレクターだった篠木雅博[注 16]が九州エリアの宣伝マンの熱心な推薦とレコード会社内でマネジメントができるという理由によって契約を決め、実績のある外部ディレクターに楽曲制作の現場を任せることにした。しかし作品の大幅な手直しが必要だとするディレクターとそれを断固として拒否する椎名が激しく対立し、その体制は断念せざるを得なかった。作品に強烈な違和感を感じた篠木自身もディレクターと同意見だったが、年配者に受け入れられなかった吉田拓郎などの前例を踏まえ、それまで経験したことがないほどの違和感は大化けの予兆かもしれないとも思った。椎名の個性を生かすには旧来のディレクションは無視して自由にやらせるしかないと考えた篠木は、アレンジャーとしてベーシストの亀田誠治を紹介してすべてをその2人の作業に委ねた[84][85]

休業

2001年からの休業は一般的には産休だと思われていたが、実際は引退して家庭に入ろうとしていた。しかし契約やその他諸々の義務を果たすためにカバーアルバムを出したところ、周囲から音楽活動の継続を求められることになった。だが当人はそのままでは続けるモチベーションが見いだせなかったため、バンド・東京事変を結成することにした。未知の相手と仕事をすることである程度の縛りを自分に与えるためであった[86]

その当時、海外リリースの話も来ていてヴァージン・レコードのレーベルにも呼ばれたが、自分自身はやめようと思っているのに周りの人々が熱を帯びていく様子がいたたまれなかったという。ヴァージンのスタッフらは彼女がやっていることをストレートに受け取ってくれたが、当時の日本の状況ではどんな曲を作っても深読みされたり意図しない方向に受け取られたりしたため、それらのことに疲れて果てたのがやめようと思っていた理由であった[86]

リオ五輪閉会式フラッグハンドオーバーセレモニー

2016年のリオデジャネイロオリンピック/パラリンピックにおいて、フラッグハンドオーバーセレモニー(以下、FHO)のクリエイティブスーパーバイザーと音楽監督を務める。2015年末に電通のFHO制作チームのクリエイティブスーパーバイザーである佐々木宏から仕事を手伝ってほしいという話があり、まずは児玉裕一監督を推薦した。年を越す前に自身も佐々木の相談相手のような立場で参加することが決まり、それならばMIKIKO真鍋大度も呼びたいとリクエストしてそれが認められた。しかし2016年の6月前後までIOC(国際オリンピック委員会)との間でプロットの擦り合わせが続き、音楽監督としての仕事は初夏まで何もできていなかった。使用楽曲については、オリンピックの方では土壇場で許可申請が却下されるなどした一方、パラリンピックの方ではある程度自由に行うことができた[87]

2017年12月、東京2020 開会式・閉会式 4式典総合プランニングチームに就任。

交友関係

ともさかりえとはお互いが独身の時から交流があり、現在は会えば子供の話や子供の進路についてなどを語り合うママ友の関係である[88]

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音楽性

要約
視点

ボーカリストとしてはロックンロールからジャズヒップホップまでこなすジャンルを問わない柔軟さを持ち、それ以外にもギターや鍵盤などの各種楽器の演奏や作編曲までこなすなど、音楽家として高度な汎用性を誇る[89]

J-POPよりも阿久悠なかにし礼のような職業作詞家たちが書いていた昭和歌謡曲に慣れ親しんできたせいか、「歌には上手い下手などなくて『歌になっているかなっていないか』があるだけなのではないか」と思っている[90]

作家としては宇崎竜童阿木燿子夫妻のコンビに憧れており、その二人の形を1人2役でこなすのが一生の夢だという[90]

井上陽水チューリップ海援隊甲斐バンドらを見出した元RKB毎日放送の音楽プロデューサー野見山實[注 17]は、デビュー前の椎名の詩集を見てその発想と着眼点、展開が凡人とは異なると感じ、曲については作品の中にジャズシャンソンなどを取り入れた同年代の若い作家にはあまり例をみない発想があると評している[21]

楽曲制作

作曲について、自身では「自分は旋律(メロディ)と和声(ハーモニー)の関係性にこそ常に関心を持つべきだ」と思っている。アレンジが違っても成立するよう、例えばスーパーなどでかかるMIDI音源のインストのようにまっさらな状態で聴いたときにいかに光るものを書いておくかが自分にとっては大事だと思っているため、ビート音色に触発されてサウンドの方から組み立てていくアプローチは極力しないようにしている。デモを作る段階で編成のボリュームを決め込むため、レコーディングでそれを生楽器に置き換えたときにそれぞれのプレイヤーからのプラスアルファによって元の音数が減ることはあっても増えることはほとんどない。しかしあまり細かい部分まで決め込んでしまうとプレイヤーの演奏を縛ってしまうので、デモの段階では最低限のものを渡している。とはいえ、皆フレーズリフはデモのままやってくれることが多いという[91]

作詞の際は、まず曲のイメージを損なわない英語で仮の歌詞を書いてからデモを作り[注 18]、そのあとでメロディと母音子音との関係性で英語詞にするか日本語詞にするかを決める。歌詞は「思いつくのではなくあとから当てはめて行くという感じ」と述べている[92][93]

音楽的ルーツ

クラシックが好きでジャズポピュラー・ミュージックへの造詣も深い父親と古い歌謡曲が好きでバレエ経験のある母親の間に生まれ、音楽的な環境に恵まれた家庭に育つ[94]。音楽的原体験はドビュッシーピアノ[95]バレエやピアノを習っていた影響で幼少期にはクラシック音楽を好んでいたが、ピアノ曲以外はあまり好きではなく、管弦楽曲でもバレエ音楽ばかりを聞いていた[95]。クラシック以外ではアストル・ピアソラマイルス・デイヴィスを聴くことが多かった[96]。歌のある曲にはほとんど興味がなかったが、父親の影響でザ・ピーナッツは好きだった[95][97]。小学生の頃は、映画『風の谷のナウシカ』のサウンドトラックや母親の好きだった五輪真弓太田裕美朱里エイコ大塚博堂寺尾聰来生たかおペドロ&カプリシャス長谷川きよし[注 19] のような古い歌謡曲、そして父親の好きだった渡辺貞夫ビリー・ジョエルおよびニーナ・シモンサラ・ボーンエラ・フィッツジェラルドなどの女性ジャズ・ボーカリストを好んで聞いていた[95][98][99][100]。中学生になると、兄の影響でモータウンソウル・ミュージックR&Bなどのブラック・ミュージックに傾倒するようになり(フェイバリット・アーティストはマーヴィン・ゲイ)、邦楽をまったく聞かなくなった[99]。高校に進むとBLANKEY JET CITYエレファントカシマシをきっかけに日本語の歌詞を受け入れてふたたび邦楽も聞くようになり、洋楽ではレディオヘッドビョークを聞いていた[101]セックス・ピストルズには音よりもビデオなど映像の方で影響を受け、音として多く聴いていたのはレッド・ホット・チリ・ペッパーズレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンパール・ジャムなど[101]。高校を辞めた後は感覚が昔に戻ったのか、改めてトッド・ラングレンレッド・ツェッペリンビートルズなどを聞き直していた[101]

BLANKEY JET CITYSHERBETSのボーカル、ソングライターである浅井健一の大ファンであり、様々な面で大きな影響を受けたことを公言している[102]。また、椎名の楽曲である「丸ノ内サディスティック」の歌詞に登場するベンジーとは浅井健一の愛称である[103]

ナンバーガールやそのソングライターである向井秀徳から受けた音楽的な影響の大きさについて頻繁に公言している[104][98]

ボーカリストとしてはフェアーグラウンド・アトラクションのエディ・リーダーに憧れていたが、声質がまるで異なることを自覚していたので、同様に好んで聞いていたジャニス・イアンを目指すことにした[80][97]。またデビュー当時、和製アラニス・モリセットとよく言われたが、本人としてはクランベリーズドロレス・オリオーダンのイメージだった[注 20]

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ディスコグラフィ

要約
視点

シングル

  • 再発盤は割愛。
  • 2016年以降は、主に配信にてシングルをリリースしている。
さらに見る #, 発売日 ...

配信限定シングル

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アルバム

スタジオ・アルバム

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その他のアルバム

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映像作品

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ボックス・セット

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参加作品

他アーティストの作品

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トリビュート・アルバム

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オムニバス・アルバム

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カバー曲

ただし、カバーアルバム『唄ひ手冥利〜其ノ壱〜』の収録曲は割愛

さらに見る 楽曲, オリジナル・アーティスト ...

提供曲・プロデュース

さらに見る 発表, 曲名 ...

劇伴など

音楽を担当。主題歌に「茎 (STEM) 〜大名遊ビ編〜」を提供。
音楽監督。主題歌に「カリソメ乙女(DEATH JAZZ ver.)」、エンディングテーマに「この世の限り」を提供した他、全劇中音楽を担当。
挿入歌として「玉手箱」を提供。
テーマ音楽に「Between Today and Tomorrow」を提供。
  • 野田秀樹 NODA MAP 第17回公演『エッグ』(2012年9月 - 10月)
音楽を担当。劇中曲全8曲を収録したアルバム『毒苺』も発売された。
  • 舞台『障子の国のティンカーベル』(2014年2月13日 - 16日)
野田秀樹作の一人芝居に劇中曲を提供。
イメージキャラクターの高畑充希が歌うCMソングの詞曲を担当[注 39]
逆輸入 〜航空局〜』に歌詞が書き換えられメロディも追加されたセルフカバー曲「人生は夢だらけ」を収録。タイアップは後述
  • 舞台『宝飾時計(2023年1月9日 - 2月26日、東京他41公演)
テーマ曲に「青春の続き」(歌唱:高畑充希)を提供[114]

未音源化曲

  • 乳頭デストロイヤー[115]
1999年に行われた学園祭ツアー『学舎エクスタシー』で披露された曲。ライブMCで椎名は、当時所属していた事務所「ソリッドボンド」の社長に向けて書いた曲と発言している。
  • 玉手箱
2007年に上演されたコクーン歌舞伎三人吉三』挿入曲。
  • みかんの皮
小学2年生(7歳)の頃に友人と一緒に作った曲で、処女作。2008年の10周年ライブ『椎名林檎 (生)林檎博'08 〜10周年記念祭〜』で披露された。
  • 確かな誇り
ユニクロ「カーブパンツ」CMソング。
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タイアップ一覧

要約
視点

東京事変のタイアップは「東京事変#タイアップ一覧」を参照

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コンサート

要約
視点
さらに見る 開催年, タイトル ...
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出演

要約
視点

テレビ番組

他多数

ラジオ

ウェブテレビ

  • 蜜と毒と薬 〜椎名林檎医師とヒャダイン医師による所見〜(2019年5月27日、AbemaTV[126])‐医師

ナレーション

  • 武道館に桜が咲いた日 〜アンジェラ・アキ ライブ&ドキュメント〜(2007年3月18日、NHK総合)
  • 坂東玉三郎の宇宙(2013年3月16日、WOWOWライブ
  • 立川談志特別番組『遺芸 立川談志』(2014年11月21日・25日・30日、衛星劇場[127]

テレビCM

ミュージック・ビデオ

その他

NHK紅白歌合戦出場歴

さらに見る 年度, 放送回 ...
  • 東京事変のボーカルとしても2回出場し、計10回出場。
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使用機材

エレキギター

  • Duesenberg Starplayer II(カラー:Surf Green)
デビュー初期の多くの場面で使用されたエレキギター。初のライブツアー「先攻エクスタシー」、学園祭ツアー「学舎エクスタシー」でメインギターとして使用されたほか、「幸福論」や「ここでキスして。」のミュージック・ビデオでも使用されている。ボディがステッカーで装飾されており、「ディートリッヒ坊や」の愛称で呼ばれる。ドイツ デューゼンバーグ社製。現在は製造中止。
  • Duesenberg Starplayer TV(カラー:Silver Sparkle)
ライブツアー「下剋上エクスタシー」、単発公演「(稀)実演キューシュー 座禅エクスタシー」でメインギターとして使用されたほか、「Σ」や「やっつけ仕事」のミュージック・ビデオでも使用されている。また東京事変の「群青日和」のミュージック・ビデオや、ライブツアー「東京事変 live tour 2005"dynamite!"」のサブギターとしても使用された。ドイツ デューセンバーグ社製。
  • Duesenberg Starplayer TV(カラー:Surf Green)
ライブツアー「下剋上エクスタシー」でサブギターとして用意されていたものの使用されなかったギター。東京事変の「仏だけ徒歩」のミュージック・ビデオで使用されている。ドイツ デューセンバーグ社製。
  • Duesenberg Starplayer TV(カラー:Gold / Black)
ライブツアー「雙六エクスタシー」で使用されたギター。ボディ表面に金箔を使って市松模様が施されている。このギターはデビュー5周年の際にDuesenberg DSR-SR 椎名林檎モデル“市松”としても限定生産で発売された。また、東京事変の「車屋さん」のミュージック・ビデオでも使用されている。ドイツ デューゼンバーグ社製。
  • Duesenberg V-Caster(カラー:Vintage White)
東京事変の「遭難」のミュージック・ビデオ、ライブツアー「東京事変 live tour 2005"dynamite!"」でメインギターとして使用された。ドイツ デューゼンバーグ社製。
  • Duesenberg Rocket(カラー:Black & White)
東京事変のライブハウスツアー「東京事変 live tour 2007 Spa & Treatment」の一部の公演で使用された。
  • Rickenbacker 620(カラー:Jetglo)
アルバム『無罪モラトリアム』収録曲の「丸ノ内サディスティック」の歌詞に登場するギター。購入したのは曲が作られた後で、歌詞とは異なり御茶ノ水ではなく大久保の楽器屋で購入したとのこと。ライブツアー「先攻エクスタシー」、学園祭ツアー「学舎エクスタシー」、東京事変のツアー「“DOMESTIC!” Just can't help it.」でサブギターとして使用されたほか、「ギブス」や東京事変の「仏だけ徒歩」のミュージック・ビデオでも使用されている。上記の“Starplayer II”同様、ボディがステッカーで装飾されている。アメリカ リッケンバッカー社製。
  • VOX Phantom(カラー:Red)
  • Gibson RD Artist(カラー:Natural)
浮雲に紹介され購入したギター。東京事変のツアー「“DOMESTIC!” Just can't help it.」で初めて使用されて以降、現在までメインで使用されている。東京事変の『スポーツ』収録曲「勝ち戦」、ソロでは「NIPPON」のミュージック・ビデオでも使用されている。また、アルバム『日出処』と『三毒史』のジャケットにも使用されている。アメリカ ギブソン社製。
アイデンティティ」のミュージック・ビデオで使用されているギター。アメリカ ギブソン社製。
  • NAGARE(カラー:Blue)
もとはフェンダー社のジャズマスターだったものであり、島村楽器店にて「是非林檎さんに弾いてもらいたい」と言われ貰ったギター。Sweet Love Shower '99などで使用された。

アコースティックギター

東京事変のライブツアー「東京事変 live tour 2005"dynamite!"」、「東京事変 “DOMESTIC!”Just can't help it.」で使用されたアコースティックギター
2009年5月放送のミュージックステーションで「ありあまる富」を披露する際に使用されたアコースティックギター。
  • Martin OOO-28VS
東京事変のツアー「東京事変 Live Tour 2011 Discovery」で使用されたアコースティックギター。「カーネーション」の演奏で使用され、第62回NHK紅白歌合戦出演時にも使用された。
東京事変のライブツアー「東京事変 Live Tour 2011 Discovery」で使用されたアコースティックギター。

エレキベース

  • Danelectro LONGHORN BASS(カラー:AQUA BURST)
ライブハウスツアー「御起立ジャポン」で使用されたエレキベース。アメリカ ダンエレクトロ社製。

アンプ

  • Orange Rockerverb
  • Orange PPC412

マイクロフォン

  • AKG Elle C(カラー:White)
  • AKG LC
上記2種は「テレビ朝日ドリームフェスティバル2011」以降のコンサートやテレビ出演時に使用しているコンデンサー・マイク。また東京事変の楽曲「ただならぬ関係」、「永遠の不在証明」、「赤の同盟」のミュージック・ビデオではElle Cが、「NIPPON」、「至上の人生」、「どん底まで」ではLCが使用されている。オーストリア AKG社製。現在は製造中止。
2019年の「第70回NHK紅白歌合戦」以降のコンサートやテレビ出演時に使用しているコンデンサー・マイク。筐体ハーマン・インターナショナルによってカスタマイズされており、2024年現在はシルバー、ゴールド、グリーンの3色が使用されている。
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主なバックバンド

要約
視点

名前が与えられているもの

レコーディング

コンサート

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楽譜

リットーミュージック社

リットーミュージックより4作のアルバムとシングル集『絶頂集』、10周年記念アルバム『私と放電』のバンド用楽譜が椎名本人の楽曲解説とステッカー付きで発売。

  • 無罪モラトリアム(1999年7月28日)
おまけで椎名直筆の「積木遊び」の振り付け指南イラストに加え、「リモートコントローラー」の冒頭部分の譜面が掲載。
  • 勝訴ストリップ(通常版:2000年7月、新装版:2004年12月25日)
初版本はステッカー(エアシール)付きで発売。
諸事情により表紙が通常盤のジャケットに差し替えられ、ステッカー無しの新装版として2004年に再発売。
  • 絶頂集(2001年5月)
発行数が少なかったため現在は絶版。
  • 加爾基 精液 栗ノ花(2003年6月26日)
ギター・マガジン、キーボード・マガジンでのインタビュー記事再録、楽曲解説、本人自筆コメントなどが収録され、ステッカー付きで発売。
  • 私と放電(2008年7月30日)
初版本のみステッカー付き。
  • ピアノ弾き語り ベスト・セレクション(2008年7月30日)
初版本のみステッカー付き。
バンド・スコア「私と放電」と同時発売で、デビュー曲「幸福論」から「りんごのうた」までの中から選曲され、ピアノ弾き語り用アレンジにて掲載。
  • 三文ゴシップ(2009年8月7日)
初版本のみステッカー付き。

ドレミ楽譜出版社

ドレミ楽譜出版社より発売

  • ギター弾き語り 椎名林檎 無罪モラトリアム(1999年11月2日)
  • 真夜中は純潔(2001年4月)

ヤマハミュージックメディア

ヤマハミュージックメディアよりピアノスコア発売。

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書籍

関連項目

脚注

外部リンク

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