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西尾昇

日本映画の録音技師 ウィキペディアから

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西尾 昇(にしお のぼる、1923年1月7日 - 2016年[要出典])は、日本映画録音技師日本映画テレビ技術協会会友。旧活動名は西尾 浩伸(にしお ひろのぶ)。山梨県南巨摩郡飯富村[1]出身。

概要 にしお のぼる 西尾 昇, 別名義 ...

経歴

小学5年生の頃、松竹洋画系の本郷座で観た『キング・コング』で、この映画の画と音への感動が録音技師を志望する契機となった。同作は当時、誠文堂の月刊誌『子供の科学』に頻繁に載っていたトーキーで、西尾は友達の母親(女教師)に声をかけられ、4~5人の同級生と共に連れられて観に行っていた。

1941年電機学校を卒業し、1943年朝日映画社に入社する。1948年に独立し、西尾サウンドを設立する。東宝大映東映などの独立プロ作品の受注を開始する。1977年2月に東京映画の移転を機に、自身も事務所をたたみ東宝映像[2] に移り役員、東宝録音センター[3] の運営をする。1981年には日本で初のドルビーステレオ方式を採用、国産光学録音機によるステレオ光学録音を行い、邦画界のオプチカルステレオ化に貢献した。1991年の『ゴジラvsキングギドラ』では、音楽プロデューサー岩瀬政雄の要請で、宮内一男と共に伊福部昭の要求した同スタジオでの収録を実現させ、平成ゴジラシリーズに伊福部音楽を復活させた。1993年にはドルビーデジタル5.1chサラウンドフォーマットを取り入れ成功させる。1995年に退職し、テクノロジーコンサルタントとして活動する。

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代表作

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受賞歴

出典・参考文献

  • 佐藤忠男『日本の映画人―日本映画の創始者たち』日外アソシエーツ、2007年6月、452頁。ISBN 4816920358

脚注

外部リンク

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