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2007年の阪神タイガース
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2007年の阪神タイガース(2007ねんのはんしんタイガース)では、2007年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
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2007年の阪神タイガースは、岡田彰布監督の4年目のシーズンである。
概要
就任4年目の岡田監督は「今年こそ優勝する」と意気込んで開幕を迎えるが、前年までの大黒柱・井川慶がアメリカに行き、二桁勝っていた福原忍、安藤優也が故障で出遅れた影響が響き、前半戦は前年Bクラスの巨人が開幕から首位をひた走ると中日共々追いかける展開が続いた。6月には巨人に最大で11ゲーム差以上付けられ、優勝はおろかAクラス入りでさえを絶望視された。7月6日から上位の中日、巨人との試合が交互で5カードあり、そこで10勝3敗2中止で猛追。8月に入ると息切れの横浜に代わって3位に入り借金を返済すると、8月下旬から10連勝[1]で巨人を抜き去り首位に浮上。しかし53年ぶりに規定投球回到達者が不在だった先発陣のコマ不足と7月からの猛追を支えてきた中継ぎ投手陣にへばりが出てきてくると、勝負どころの9月下旬に8連敗を喫し最終的には3位でシーズンを終えた。この年から導入のクライマックスシリーズには中日に2連敗で終戦した。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 遊 | 鳥谷敬 |
---|---|---|
2 | 中 | 赤星憲広 |
3 | 一 | シーツ |
4 | 左 | 金本知憲 |
5 | 三 | 今岡誠 |
6 | 右 | 濱中治 |
7 | 捕 | 矢野輝弘 |
8 | 二 | 関本健太郎 |
9 | 投 | 下柳剛 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 80 | 63 | 1 | .559 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 78 | 64 | 2 | .549 | 1.5 |
3位 | 阪神タイガース | 74 | 66 | 4 | .529 | 4.5 |
4位 | 横浜ベイスターズ | 71 | 72 | 1 | .497 | 9.0 |
5位 | 広島東洋カープ | 60 | 82 | 2 | .423 | 19.5 |
6位 | 東京ヤクルトスワローズ | 60 | 84 | 0 | .417 | 20.5 |
日本生命セ・パ交流戦
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 北海道日本ハムファイターズ | 18 | 5 | 1 | .783 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 15 | 9 | 0 | .625 | 3.5 |
3位 | 横浜ベイスターズ | 14 | 9 | 1 | .609 | 4.0 |
4位 | 千葉ロッテマリーンズ | 13 | 10 | 1 | .565 | 5.0 |
5位 | 中日ドラゴンズ | 12 | 11 | 1 | .522 | 6.0 |
6位 | オリックス・バファローズ | 12 | 11 | 1 | .522 | 6.0 |
7位 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 11 | 12 | 1 | .478 | 7.0 |
8位 | 東京ヤクルトスワローズ | 11 | 13 | 0 | .458 | 7.5 |
9位 | 福岡ソフトバンクホークス | 11 | 13 | 0 | .458 | 7.5 |
10位 | 阪神タイガース | 9 | 14 | 1 | .391 | 9.0 |
11位 | 西武ライオンズ | 9 | 15 | 0 | .375 | 9.5 |
12位 | 広島東洋カープ | 5 | 18 | 1 | .217 | 13.0 |
- 同率の場合は前年の順位で上位のチームが上位にランクされる
クライマックスシリーズ
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2007 ガリバーオールスターゲーム
→詳細は「2007年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
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選手・スタッフ
首脳陣
一軍
二軍
所属選手
投手
捕手
内野手
外野手
その他スタッフ
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試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(144イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。赤太字はNPB記録
打撃成績
- 色付きは規定打席(446打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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表彰
達成記録・出来事
- 1月9日 - 新外国人選手のエステバン・ジャンとの契約合意を発表
- 1月29日 - 星野仙一SDが来年の北京五輪日本代表監督になることが発表
- 4月20日 - 巨人4回戦(甲子園)で12回に3点ビハインドからサヨナラ勝ち、延長戦の3点ビハインドからのサヨナラ勝ちは史上6度目
- 5月21日 - 喜田剛と広島の山田真介の交換トレード[2]
- 6月8日 - 岡田彰布監督がオリックス3回戦(甲子園)の8回の攻撃時に守備妨害の判定を出した谷博球審に暴力行為を働いたため退場(制裁金10万円、厳重戒告)
- 6月14日 - 金本知憲が西武4回戦(グットウィル)で先発出場し1247試合連続出場。飯田徳治(南海)を抜き、史上3位に進出
- 6月20日 - 金本知憲が楽天4回戦(甲子園)で先発出場し1251試合連続出場。松井秀喜(巨人)を抜き、史上2位に進出
- 6月29日 - 球団社長兼オーナー代行の牧田俊洋が退任、後任は専務取締役の南信男が就任[3]
- 7月6日 - 下柳剛が中日7回戦(ナゴヤドーム)で先発登板で勝利し通算100勝、史上122人目で1994年の郭源治(中日)の37歳11か月を上回る、39歳1か月での史上最年長達成
- 7月24日 - 鳥谷敬が中日11回戦(ナゴヤドーム)でフルイニング出場し340試合連続フルイニング出場、1972年から1974年の藤田平(阪神)、2004年から2007年の石井琢朗(横浜)を超える遊撃手フルイニング出場を更新
- 7月25日 - 赤星憲広が中日12回戦(ナゴヤドーム)で1回に山本昌―の谷繁元信のバッテリーから盗塁を決め通算300盗塁、史上26人目[4]
- 7月26日 - 7月24日からの中日11~13回戦(ナゴヤドーム)で中日に3連勝。ナゴヤドームでの中日3連戦3連勝は1997年の会場以来初で、中日戦の敵地3連戦3連勝は1986年の4月18日から4月20日にかけての中日1~3回戦(ナゴヤ)以来21年ぶり
- 7月27日 - 藤川球児が横浜11回戦(甲子園)でセーブを記録し、7月17日の巨人14回戦(甲子園)からチーム6戦連続セーブを記録、史上3人目
- 8月1日 - 下柳剛がヤクルト13回戦(甲子園)で2回二死からにグライシンガーを投ゴロに打ち取り通算1500投球回、史上158人目[4]
- 8月1日 - 関本健太郎がヤクルト13回戦(甲子園)で5回無死一塁でにリグスが遊ゴロを放ち、遊撃手からの送球を二塁ベース上で捕球した際、二塁手守備機会713を記録し、立浪和義(中日)が1993年から1994年にかけて作った二塁手守備機会を更新
- 8月5日 - 広島14回戦(広島市民)で勝利し敵地10連勝。敵地二桁連勝は1968年8月7日の中日16回戦(中日)から9月9日の中日22回戦(中日)までに14連勝して以来39年ぶり
- 8月10日 - 金本知憲が横浜14回戦(横浜)で8回に横山道哉から安打を放ち通算3500塁打、史上21人目[4]
- 8月18日 - 岡田彰布監督が中日16回戦(京セラドーム)8回の攻撃時に一走の二進に対してアウトの判定を出した井野修塁審に暴力行為を働いたため退場(制裁金10万円、厳重警告)
- 8月21日 - ジャンがヤクルト15回戦(神宮)で2回にボークを犯し、プロ野球新記録のシーズン12ボーク
- 8月23日 - 関本健太郎がヤクルト17回戦(神宮)で7回にガイエルの放った打球を一塁に悪送球をし失策が記録され二塁手連続守備機会が804でストップ
- 8月31日 - 久保田智之がヤクルト18回戦(甲子園)で登板し8回に登板し月間17試合登板、リーグ5、6人目の最多タイ記録(巨人の西村健太朗もと同時に)
- 9月5日 - 桧山進次郎が横浜18回戦(甲子園)で代打で出場して通算1500試合、史上154人目[4]
- 9月5日 - 岡田彰布監督が横浜18回戦(甲子園)で勝利したことにより監督通算300勝、球団史上6人目[3]
- 9月6日 - 9月4日からの横浜17~19回戦(甲子園)で横浜に3連勝。このことにより、セリーグ全球団3連戦3連勝を達成、2003年以来4年ぶり
- 9月7日 - 巨人19回戦(東京ドーム)で7本の本塁打を打たれながらも勝利。7被本塁打を喫しながらの勝利は史上5度目
- 9月9日 - 巨人21回戦(東京ドーム)で勝利し10連勝。二桁連勝は1982年の6月18日中日9回戦(甲子園)から7月2日の巨人15回戦(甲子園)で11連勝(1分け含む)して以来25年ぶり球団史上10度目
- 9月9日 - 藤川球児が巨人21回戦(東京ドーム)に登板し10連投。1975年山本和行(阪神)1983年久保文雄(大洋)に並ぶセ・リーグタイ記録
- 9月14日 - 赤星憲広が中日20回戦(甲子園)で8回に岡本真也から安打を放ち通算1000安打、史上248人目[4]
- 9月15日 - 久保田智之が中日21回戦(甲子園)で7回から登板しシーズン81試合登板、2005年の藤川球児が持つプロ野球シーズン登板数を更新(最終記録は90試合登板)
- 9月16日 - 矢野輝弘が中日22回戦(甲子園)で先発出場し通算1500試合出場、史上155人目[4]
- 9月29日 - 鳥谷敬が広島24回戦(甲子園)で7回の守備から交代し、2005年5月11日のロッテ2回戦(千葉マリン)より続けていた連続フルイニング出場が398試合で途切れた
- 11月21日 - 広島からFA宣言していた新井貴浩が入団を表明
- 11月26日 - 吉野誠、濱中治とオリックスの阿部健太、平野恵一の2対2の交換トレードが発表
- 12月15日 - 島野育夫総合特命コーチ(次年度より球団アドバイザー)が胃がんのため西宮市内の病院で死去、享年63
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ドラフト指名選手
→詳細は「2007年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
Wikiwand - on
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