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2001年の阪神タイガース
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2001年の阪神タイガース(2001ねんのはんしんタイガース)では、2001年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
2001年の阪神タイガースは、野村克也監督の3年目のシーズンである。
概要
前シーズン終了後、チーム内本塁打数1位から3位の新庄剛志、大豊泰昭、トニー・タラスコが全員退団。機動力を生かした野球を目指し、監督の野村克也は春季キャンプで赤星憲広、藤本敦士、沖原佳典、上坂太一郎、平下晃司、松田匡司、高波文一の7選手をF1セブンと命名して売り出した。
開幕戦は巨人相手に3-17と大敗したが、翌日にシーズン初勝利。その後も勝率5割前後で踏みとどまっていたが、4月下旬からの7連敗で黒星が先行し、6月以降は最下位が定位置となる。この年からチームの選手会長に就任した桧山進次郎が球団記録となる28試合連続安打や自身初の打率3割を記録し、新人の赤星が1954年の吉田義男以来となる盗塁王に輝き、新人王も受賞したが新外国人勢がふるわず、オープン戦絶好調のイバン・クルーズはシーズンでは序盤こそは活躍してたもののまもなく弱点を露呈して6月末に故障で退団し[1]、エドゥアルド・ペレスは岩瀬仁紀(中日)から本塁打を放つ等したが低打率で5月末にはスタメンを外れ、緊急補強のトム・エバンスも劇的な活躍はなく野手陣の駒不足に泣かされた。(チーム打率.243、90本塁打、446打点、いずれもリーグ最低)。投手陣は2桁勝利投手ゼロの厳しいやりくりであったが、3年目の福原忍が先発と救援を兼任して9勝12敗1セーブ、4年目の井川慶が先発ローテーションを守って9勝13敗、規定投球回に到達して防御率2.67(セ・リーグ2位)と成長を見せた。また、ロッテからテスト入団の成本年秀が守護神に抜擢され、45試合登板、3勝1敗20セーブと復活してカムバック賞を受賞した。このシーズンは巨人や横浜に5割近い成績を残し、中日に8年ぶりに勝ち越したが優勝したヤクルトと、4年連続で勝ち越していた広島に大きく負け越したことが響き(対ヤクルト9勝18敗1分)(対広島7勝20敗1分)4年連続最下位に終わった。打撃コーチ兼任の和田豊はこのシーズン限りで現役引退し、10月1日対巨人戦(阪神甲子園球場)で引退試合が行われた。
この年シーズンオフ、野村監督は当初続投の予定で、ヘッドコーチの松井優典、打撃コーチの柏原純一、投手コーチの八木沢荘六の3人が解任され、ヘッドコーチの木戸克彦、投手コーチの佐藤義則の下で秋季キャンプに入ったが、妻の野村沙知代が12月5日に脱税の容疑で逮捕された事で突如辞任を発表[2][3]。チーム再建を託された野村阪神は3年連続最下位に終わった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
※このシーズンは勝利数優先で順位を決定。
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | ヤクルトスワローズ | 76 | 58 | 6 | .567 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 75 | 63 | 2 | .543 | 3.0 |
3位 | 横浜ベイスターズ | 69 | 67 | 4 | .507 | 8.0 |
4位 | 広島東洋カープ | 68 | 65 | 7 | .511 | 7.5 |
5位 | 中日ドラゴンズ | 62 | 74 | 4 | .456 | 15.0 |
6位 | 阪神タイガース | 57 | 80 | 3 | .416 | 20.5 |
*順位は勝率に関係なく勝利数順で決定
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2001 サンヨー オールスターゲーム
→詳細は「2001年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- この年の阪神は監督推薦による選出のみであった。
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
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選手・スタッフ
試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回(140イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きはは規定打席(434打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
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表彰
達成記録・出来事
- 3月8日 - 高田順弘球団社長の退任と野崎勝義球団常務の社長就任を発表
- 3月30日 - 矢野輝弘が巨人1回戦(東京ドーム)で4回に上原浩治から本塁打を放ち、21世紀セ・リーグ第1号を記録
- 4月25日 - 巨人5回戦(甲子園)で対巨人1500試合目(610勝836敗54分)
- 5月5日 - 平尾博司と西武の谷中真二のトレードが両球団より発表される
- 6月9日 - イバン・クルーズが巨人13回戦(東京ドーム)で1試合3本塁打を記録、球団史上11人目(球団史上14度目)で相手の清原和博にも3回、4回、5回と3イニング連続で本塁打を打たれる。1試合3本塁打を打ち合うのは1979年5月9日の中日ー巨人4回戦(ナゴヤ)での大島康徳(中日)と王貞治(巨人)以来、史上2度目で、3イニング連続はで打たれるのは1985年7月12日の巨人14回戦(後楽園)で山倉和博に打たれて以来、球団史上2度目で、一人の選手に1試合3被本塁打も1999年6月11日巨人11回戦(甲子園)で清原和博に打たれて以来2年ぶり
- 6月14日 - 6月12日の中日11回戦(倉敷)13日からの中日12・13回戦(大阪ドーム)で中日に3連勝。中日戦3連戦3連勝は1988年の4月19日(岡山)4月20日、21日(甲子園)にかけての中日1~3回戦以来13年ぶり
- 6月8日 - 新外国人選手のトム・エバンスと契約の締結を発表
- 7月8日 - 広島15回戦(広島市民)で球団通算8000試合(3988勝3770敗242分)[5]
- 7月23日 - 野村克也監督の沙知代夫人の脱税疑惑に関し球団事務所に東京国税局の査察が入っていたことが明らかになった(7月19日にはヤクルト球団も同様の理由で)
- 8月1日 - 星野伸之がヤクルト18回戦(甲子園)で9回にアレックス・ラミレスから三振を奪い通算2000奪三振、史上17人目
- 8月11日 - 桧山進次郎が中日20回戦(ナゴヤドーム)で9回に山本昌から安打を放ち、1999年の大豊泰昭が持っていた球団記録を更新する27試合連続安打
- 8月12日 - 中日21回戦(ナゴヤドーム)で勝利し、球団通算4000勝[5](3781敗242分)史上3球団目
- 9月11日 - ヤクルト23回戦(甲子園)に勝利し、野村克也監督が監督通算1300勝、史上7人目[5]
- 9月12日 - 広澤克実がヤクルト24回戦で(甲子園)で5回に入来智から本塁打を放ち通算300本塁打、史上26人目
- 9月18日 - 伊藤敦規が巨人25回戦(東京ドーム)で4回二死から登板し5回一死から元木大介を三振に打ち取り1000投球回、史上291人目
- 9月21日 - 和田豊選手兼任コーチが現役引退[5]
- 10月8日 - ヘッド兼ファーム統合コーチの松井優典、投手コーチの八木沢荘六、打撃コーチの柏原純一の3コーチが解任(松井はフロント入り)[6]
- 10月17日 - 塩谷和彦とオリックスの斉藤秀光の交換トレードを両球団が発表
- 10月17日 - 吉田剛が現役引退表明
- 10月19日 - ヘッドコーチに木戸克彦、投手コーチに佐藤義則・葛西稔(選手兼任)、打撃コーチに和田豊・平塚克洋、守備走塁コーチに松山秀明、バッテリーコーチに嶋田宗彦が就任した(守備走塁コーチの吉竹春樹は留任)[7]
- 12月6日 - 野村克也監督が沙知代夫人の脱税容疑で逮捕された責任を取り辞任[8]
- 12月18日 - 新監督に前中日監督の星野仙一が就任。就任会見が行われる[9]
- 12月20日 - チーフ打撃コーチに田淵幸一が就任[10]、一軍打撃コーチの平塚克洋は二軍打撃コーチに
ドラフト指名選手
→詳細は「2001年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
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