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2003年の阪神タイガース
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2003年の阪神タイガース(2003ねんのはんしんタイガース)では、2003年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、星野仙一監督の2年目のシーズンであり、1985年以来、18年ぶり8度目のリーグ優勝に輝いたシーズンである。
概要
2年目の星野監督の元で断行された「血の入れ替え」によって1/3以上の26人の選手を大きく入れ替えた。広島からFA宣言した金本知憲、テキサス・レンジャーズを自由契約となった伊良部秀輝、中日を自由契約になった久慈照嘉、日本ハムから下柳剛・野口寿浩・中村豊らをトレードで獲得するなど、投打の大型補強を行った。投手コーチ(ブルペン担当)に西本聖を、バッテリーコーチに前広島東洋カープ監督達川光男を招聘し、2軍監督であった岡田彰布が三塁コーチとして1軍首脳陣に加わった。開幕の対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)こそ敗戦したが、2戦目から手堅く勝ち星を重ね、4月26日の対広島戦(阪神甲子園球場)で8回表終了時に6点ビハインドからその裏の攻撃で一気に9点を取り13対10で大逆転勝ちした試合から首位に立った。
しかし、4番打者濱中治が5月20日対広島戦(甲子園)で一塁走者から牽制帰塁の際に右肩を脱臼して戦線離脱し、控え外野手であった桧山進次郎が濱中に代わる4番打者を務める形になった。チームの勢いは衰えず、7月終了時点で2位に17.5ゲーム差の大差を付けた。
8月6日から24日までの「死のロード」は4勝11敗と大きく負け越したが、8月27日に甲子園に帰ると7連勝して再び勢いを取り戻した[1]。
7連勝後の9月4日対広島戦(広島市民球場)からは足踏み状態となったが、2位以下とのゲーム差が開いていたこともあってマジックを減らし続けた。そのまま2位以下を全く寄せ付けず、9月15日に18年ぶりのセ・リーグ優勝をぶっちぎりで飾った[2]。優勝決定後の星野監督の第一声は「ああ、しんどかった」であった[3][4]。
戦力としては、「第三次ダイナマイト打線」と称された今岡・赤星・金本・桧山・アリアス・矢野・藤本らの野手陣が本塁打数はリーグ5位ながら単打、二塁打、三塁打、四球、盗塁の部門でリーグ1位の活躍。140試合で728得点と1試合平均5.2点を獲る得点力を発揮し、一方の投手陣も井川・伊良部・ムーアら先発、安藤・ウィリアムス・吉野らリリーフがともに活躍し、リーグ最少の失策数の野手陣も手伝ってチーム防御率はリーグ1位を誇った。同年ゴールデングラブ賞は矢野輝弘捕手、ジョージ・アリアス一塁手、今岡誠二塁手、赤星憲広外野手の4名が受賞した。
しかし、日本シリーズでは王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスに先に王手をかけるも3勝4敗で敗れ、日本一を逃した。シーズン終了後星野監督は健康上の理由から勇退し、後任には当時一軍内野守備走塁コーチだった岡田彰布が就任した。
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チーム成績
要約
視点
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪神タイガース | 87 | 51 | 2 | .630 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 73 | 66 | 1 | .525 | 14.5 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 71 | 66 | 3 | .518 | 15.5 |
3位 | ヤクルトスワローズ | 71 | 66 | 3 | .518 | 15.5 |
5位 | 広島東洋カープ | 67 | 71 | 2 | .486 | 20.0 |
6位 | 横浜ベイスターズ | 45 | 94 | 1 | .324 | 42.5 |
日本シリーズ
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2003 サンヨー オールスターゲーム
→詳細は「2003年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
入団・退団
要約
視点
シーズン開幕前
本節では、前レギュラーシーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。なお、退団の去就はスポーツ関係又は芸能関係の職業に転身した場合のみを記載し、空欄は前述以外の一般職業に転身もしくは去就不明を示す。
シーズン開幕後
本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの入退団について記述する。
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選手・スタッフ
試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(140イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(434打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
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表彰
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達成記録・出来事
- 1月15日 - 今岡誠との契約更改で竹田常務が「代理人の都合で交渉できない」と選手会に指摘した
- 1月21日 - 選手会は今岡誠の契約更改の件で「代理人と球団側が会って交渉していた」と竹田常務に謝罪を要求した
- 1月25日 - 新外国人選手のルー・ポートと契約の締結を発表
- 2月5日 - 今岡誠の契約更改の件で球団は1月21日の選手会の要求に「交渉は代理人と選手が同席して第1回と考えるので、交渉は行われていない」と回答書を送付した
- 3月9日 - 甲子園球場のスタンド内での喫煙が禁止になる[6]
- 4月10日 - 桧山進次郎が中日3回戦(甲子園)で先発出場し通算1000試合出場、史上384人目
- 4月11日 - ジョージ・アリアスが巨人1回戦(東京ドーム)で9回にコリー・ベイリーより本塁打を放ち通算100本塁打、史上226人目
- 4月12日 - トレイ・ムーアが巨人2回戦(東京ドーム)で3回に1イニング2安打を放つ、投手の1イニング2安打は1994年7月25日に広島・川口和久が横浜16回戦(横浜)の6回に記録して以来、2安打後に共に後続の安打でホームを踏んでるため、投手の1イニング2得点は1975年6月12日に堀内恒夫が大洋7回戦(後楽園)の3回に記録して以来
- 4月22日 - 橋本武広とロッテの吉田篤史の交換トレードが発表[7]
- 4月29日 - 片岡篤史が巨人4回戦(甲子園)で2回に桑田真澄から本塁打を放ち通算150本塁打、史上124人目
- 4月29日 - 巨人戦で球団新記録の4試合連続7得点以上[6]
- 5月8日 - 高波文一が金銭トレードで西武に移籍
- 5月9日 - 横浜7回戦(横浜)で3回に吉見祐治から濱中おさむ―片岡篤史―ジョージ・アリアスが1985年4月17日の巨人2回戦(甲子園)以来の3者連続本塁打、球団史上7度目
- 5月27日 - 横浜10回戦(甲子園)で勝利し対横浜戦9連勝、対横浜戦(大洋時代含む)の連勝記録(1954年と1997年)を更新する球団新記録
- 5月31日 - 巨人11回戦(東京ドーム)で9回に1イニング11点を挙げる、1イニング2桁得点は1997年8月2日の巨人18回戦(甲子園)の8回に記録して以来6年ぶり
- 5月31日 - 金本知憲が巨人11回戦(東京ドーム)で9回の第5打席目で2点適時打を放ち、打者一巡でまわってきた第6打席目で3点本塁打を放ち1イニング5打点、1イニング5打点以上は史上13人目(15度目)で第6打席目の木村龍治から放った本塁打が通算250本塁打、史上45人目
- 6月5日 - 中日12回戦(甲子園)で勝利し甲子園球場10連勝、1958年、1965年、1976年に3度記録した(引き分け込みを加えると6度)9連勝を超える、球団の本拠地連勝記録(1952年の本拠地制施行以後)を更新
- 6月7日 - ヤクルト12回戦(神宮)に勝利し2位巨人に10ゲーム差をつける、この日終了時で39勝17敗1分の57試合消化でセリーグでは1959年の巨人の50試合に次ぐ最速二桁ゲーム差
- 6月18日 - 新外国人選手のジェロッド・リガンの獲得を発表[8]。
- 6月19日 - 横浜14回戦(甲子園)で勝利し同一カード13連勝、1981年の対広島5回戦(甲子園)から18回戦(広島市民)で記録した12連勝(2分け含む)を超える、球団の同一カード連勝記録を更新[6]
- 6月22日 - 巨人16回戦(東京ドーム)で勝利し、6月に入り11勝4敗で6試合を残し17年ぶりに6月の勝ち越しが決定した
- 6月29日 - 横浜17回戦(横浜)で勝利し両リーグ50勝1番乗り、球団史上初で横浜戦16連勝を記録し、同一年度の同一カード16連勝以上は史上3度目
- 7月2日 - 桧山進次郎が中日15回戦(甲子園)でサイクル安打達成[6][9]、史上58人目(62度目)
- 7月2日 - 中日15回戦(甲子園)に勝利し史上初の7月中に貯金30
- 7月8日 - 今岡誠が広島12回戦(倉敷)で1回にクリス・ブロックから初球先頭打者本塁打。7月6日のヤクルト16回戦(甲子園)でも1回にジェイソン・ベバリンから初球先頭打者本塁打を放っており、史上初の2試合連続初回先頭打者初球本塁打[6]、2試合連続先頭打者本塁打は史上28人目
- 7月8日 - 広島12回戦(倉敷)に勝利し、セ・リーグ史上最速(当時)のマジックナンバー49が点灯
- 7月12日 - 巨人18回戦(甲子園)で14対3で勝利、前日の巨人17回戦(甲子園)でも14対1で勝利しており、対巨人戦2試合連続2桁得点は球団史上3度目
- 7月16日 - 金本知憲がオールスター第2戦(千葉マリン)で第1打席に清水直行(ロッテ)第2打席にネイサン・ミンチーから本塁打を放ち2打席連続本塁打でMVPを獲得、阪神選手のMVPは2002年第1戦(東京ドーム)のジョージ・アリアス以来2年連続
- 7月21日 - ヤクルト17回戦(甲子園)に勝利し、セ・リーグ最短記録を更新するシーズン60勝[6]
- 7月23日 - 7月21日からのヤクルト17~19回戦(甲子園)でヤクルトに3連勝。このことにより、セリーグ全球団3連戦3連勝を達成、1982年以来21年ぶり
- 7月25日 - 中日16回戦(ナゴヤドーム)で勝利し87試合目にして貯金40、1966年の巨人が記録した91試合のセリーグ記録を更新、貯金40も1947年以来2度目
- 7月26日 - 今岡誠が中日17回戦(ナゴヤドーム)で1回に平井正史から初球先頭打者本塁打を放つ今季4本目、2002年に松井稼頭央(西武)が記録したを更新、1回表の初球先頭打者本塁打2本は史上10人目のタイ記録
- 7月26日 - 吉野誠が中日17回戦(ナゴヤドーム)で6回に5者連続与四球と3者連続押し出しを記録、5者連続与四球は史上10人目のタイ記録で3者連続押し出しは史上15人目
- 7月27日 - 星野仙一監督が中日18回戦(ナゴヤドーム)で体調不良で試合開始直後から5回表までベンチ裏に下がり治療を受けていたことが明らかに
- 7月30日 - 横浜19回戦(甲子園)で勝利し、史上初の4カ月連続チーム15勝以上[6]
- 8月12日 - 星野仙一監督が横浜21回戦(札幌ドーム)で勝利し監督通算900勝、史上13人目[6]
- 8月16日 - 巨人20回戦(東京ドーム)で勝利しセ・リーグ史上最速のシーズン70勝[6]で18年ぶりの巨人戦勝ち越しと11年ぶりのシーズン勝ち越しを決める
- 8月16日 - 金本知憲が巨人20回戦(東京ドーム)で先発出場し試合終了まで出続けたため575試合連続フルイニング出場、松井秀喜(巨人)を抜いて史上3位になる
- 8月28日 - 広澤克実が巨人23回戦(甲子園)で1回と3回に工藤公康から本塁打を放ち2打席連続本塁打、40歳以上の2打席連続本塁打は門田博光(オリックス)が1990年7月21日のダイエー17回戦(平和台)で打って以来13年ぶり、1試合2本塁打も1996年6月21日の横浜12回戦(東京ドーム)で落合博満(巨人)が打って以来7年ぶり
- 8月31日 - ヤクルト24回戦(甲子園)で勝利し13年ぶりのヤクルト戦の勝ち越しを決める
- 9月3日 - 赤星憲広が広島21回戦(広島市民)で長谷川昌幸―石原慶幸のバッテリーから二盗を決め吉田義男の持っていた球団記録を更新するシーズン52盗塁[6]
- 9月6日 - 横浜27回戦(甲子園)で7回に村田修一の左翼ポール際の打球を本塁打と判定されたことについて「審判員の協議の必要性や説明責任を求める」と要望書を提出した
- 9月15日 - マジック2で迎えた広島23回戦(甲子園)で勝利しマジック1、2時間遅く始まったマジック対象のヤクルトが横浜25回戦(横浜)で敗戦を喫した為、18年ぶり4度目のセントラル・リーグ優勝、この日の試合の勝利で1964年の80勝を超えるシーズン81勝目。主催試合観客動員が初の300万人を突破[6]
- 9月15日 - 星野仙一監督がリーグ優勝したことにより、史上9人目の複数球団で優勝した監督(中日・阪神)となった
- 9月23日 - 金本知憲が巨人27回戦(甲子園)で9回に木佐貫洋から本塁打を放ち2リーグ分立以降の球団通算6000号、史上10球団目
- 10月4日 - 阪神がウエスタン・リーグで史上初の3年連続優勝[6]
- 10月4日 - 下柳剛が広島26回戦(広島市民)で先発し勝ち星を挙げて今季10勝目、井川慶とムーアの両左腕も10勝以上上げてる為、シーズン2桁勝利左腕が3人出たのは1988年の近鉄以来で4度目でセリーグでは初
- 10月10日 - 井川慶が広島28回戦(甲子園)で先発し勝ち星を挙げて今季20勝目、セリーグでは1999年の上原浩治(巨人)以来4年ぶり、球団では1979年の小林繁以来24年ぶり、パリーグでは斉藤和巳(ダイエー)も20勝を達成していて、両リーグ20勝投手は1982年の北別府学(広島)、工藤幹夫(日本ハム)以来21年ぶり
- 10月11日 - ファーム日本選手権は阪神二軍(ウエスタン・リーグ)が日本ハム二軍(イースタン・リーグ)に勝利し、2年連続優勝[6]
- 10月18日 - パ・リーグ覇者のダイエーとの日本シリーズが開幕
- 10月19日 - 伊良部秀輝が日本シリーズ第2戦(福岡ドーム)で2回に日本シリーズ新記録の6者連続被安打で1イニング6被安打も日本シリーズタイ記録(5人目)
- 10月22日 - 広澤克実が日本シリーズ第3戦(甲子園)で10回に代打で出場し篠原貴行に三振を喫し、スタメンで出場した日本シリーズ第1戦(福岡ドーム)の第3打席から6打席連続三振、史上3人目
- 10月22日 - 藤本敦士が日本シリーズ第3戦(甲子園)で同点の10回一死満塁から犠牲フライを放ちサヨナラ勝ち、日本シリーズの犠牲フライのサヨナラゲームは史上初
- 10月23日 - 金本知憲が日本シリーズ第4戦(甲子園)で6回に渡辺正和、10回に新垣渚から本塁打を放つ、日本シリーズ1試合2本塁打は史上21人目(26度目)で10回の新垣渚からのサヨナラ本塁打は史上11人目(12度目)
- 10月24日 - 金本知憲が日本シリーズ第5戦(甲子園)で1回に斉藤和巳から本塁打を放ち、①日本シリーズ3試合連続、②日本シリーズ4本目③日本シリーズ第4戦(甲子園)の第3打席から3打数連続本塁打の3つの記録を樹立、3試合連続は史上4人目、4本目の本塁打は史上9人目(10度目)、3打数連続は史上2人目
- 10月27日 - 広澤克実が日本シリーズ第7戦(福岡ドーム)で9回に和田毅から本塁打を放ち、日本シリーズ通算600号本塁打、ヤクルト時代にも本塁打を放っているので複数球団での本塁打は史上8人目で、41歳6ヶ月での本塁打は杉浦亨が1992年の日本シリーズ第1戦(神宮)で放った40歳4ヶ月を超える最年長本塁打
- 10月28日 - 星野仙一監督が退任。後任には内野守備走塁コーチの岡田彰布が就任[6]
- 10月30日 - 広沢克実が現役引退を表明[6]
- 11月3日 - 御堂筋と神戸市内で優勝パレード開催[6]
- 12月3日 - 新外国人選手のマイク・キンケードとの契約合意を発表[10]
- 12月5日 - 川尻哲郎と近鉄の前川勝彦の交換トレードが成立[10]
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ドラフト指名選手
→詳細は「2003年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
Wikiwand - on
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