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1997年の阪神タイガース
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1997年の阪神タイガース(1997ねんのはんしんタイガース)では、1997年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
1997年の阪神タイガースは、3回目の吉田義男監督体制の1年目のシーズンである。
概要
前年2年連続の最下位に終わった阪神は1985年の優勝監督・吉田義男を再び監督に招聘し、ヘッドコーチに一枝修平、内野守備走塁コーチに平田勝男、バッテリーコーチに木戸克彦が就任した[1]。吉田監督は復帰後「縦じまのユニフォームを横じまにしても」FA宣言した清原和博の獲得に全力を注ぐものの、失敗。それでもマイク・グリーンウェルを3億円で獲得するなど、開幕前はAクラス候補にあげられた。しかし、肝心のグリーンウェルがなかなか来日しない、もう1人の外国人野手フィル・ハイアットも中々調子が上がらないなど誤算が相次いだが4月は11勝11敗の五分で終了。5月にようやくグリーンウェルが来日し、名前の通りGWに活躍するも巨人戦で自打球を当ててしまい「神のお告げ」発言で帰国[2]。球団は急遽、前年中日で29本塁打を放ったダネル・コールズやリード・シークリスト、ボブ・マクドナルドの3外国人を補強した[3]。グリーンウェルがいなくなったチームは投手陣が踏ん張って6月まで3位と健闘し、7月以降の反攻が期待された。しかし夏場に大きく負け越したのが響き最後は巨人に抜かれて5位に転落。投手陣では湯舟敏郎、藪恵壹、川尻哲郎などがローテを守ったものの打線の援護に恵まれず、藪・川尻はそろって防御率3点台ながらも2ケタ敗戦を喫した。横浜からテスト入団の伊藤敦規が60試合登板、防御率2.67と予想外の活躍を見せ、弓長起浩が59試合登板、田村勤が50試合登板と、ベテラン救援陣の健闘が光った。打撃陣も和田豊が開幕から21試合連続安打の活躍を見せるなど打率を3割に乗せ、平塚克洋・新庄剛志・桧山進次郎も2ケタ本塁打と活躍したが、新庄・桧山はそれぞれ100三振以上を記録するなど低打率にあえいだ。正捕手は固定できず、関川浩一、山田勝彦、定詰雅彦の併用となった。チームも1992年以来のAクラス復帰はならなかったものの、3年ぶりに最下位を脱出し翌年に期待が持てるシーズンとなった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | ヤクルトスワローズ | 83 | 52 | 2 | .615 | 優勝 |
2位 | 横浜ベイスターズ | 72 | 63 | 0 | .533 | 11.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 66 | 69 | 0 | .489 | 17.0 |
4位 | 読売ジャイアンツ | 63 | 72 | 0 | .467 | 20.0 |
5位 | 阪神タイガース | 62 | 73 | 1 | .459 | 21.0 |
6位 | 中日ドラゴンズ | 59 | 76 | 1 | .437 | 24.0 |
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入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
シーズン開幕後
本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの入退団について記述する。
入団
退団
1997 サンヨー オールスターゲーム
→詳細は「1997年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
- 和田豊は左手第二・第三中手骨骨折のため出場辞退、代わりに平塚克洋が選出。
選手・スタッフ
試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(136イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(421打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
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表彰
達成記録・出来事
- 3月30日 - ナゴヤドームで行われていたトーナメント大会の決勝で中日に勝利し優勝
- 4月24日 - 横浜6回戦(大阪ドーム)で試合開催、大阪府内での公式戦は1955年10月7日の中日23、24回戦(大阪球場)以来42年ぶり
- 4月29日 - 和田豊が巨人4回戦で(東京ドーム)で1回にバルビーノ・ガルベスから二塁打を放ち開幕から21試合連続安打、1954年のレインズ(阪急)の記録を更新する(その後24試合まで伸ばす)
- 5月16日 - グリーンウェルが「ユニフォームを脱ぐときだという神のお告げがあった」という迷言を残し、わずか7試合に出場したのみで引退を表明。これに対して吉田義男監督は「嵐のように来日して嵐のように去っていった」とコメント
- 5月17日 - 吉田義男監督がヤクルト8回戦(甲子園)で2回の攻撃で中込伸の投ゴロをテリー・ブロスがタッチしたことに対し、マイク・ディミュロ球審のジャッジが遅い事に抗議し、その時に体に触れたことで退場を宣告される、現役時代含めて初めて
- 5月20日 - 新外国人選手のボブ・マクドナルドと契約の締結を発表
- 5月24日 - 前年に中日でプレーしたダネル・コールズをアメリカのロッキーズから金銭トレードで獲得を発表
- 6月6日 - 新外国人選手のリード・シークリストと契約の締結を発表
- 6月26日 - オリックスの本西厚博を金銭トレードでの獲得を発表
- 8月2日 - 巨人18回戦(甲子園)の8回に1イニング10点を取る、1イニング二桁得点は前年の8月9日の横浜19回戦(横浜)の12回に記録して以来
- 8月23日 - 中日21回戦(ナゴヤドーム)で立浪和義にサイクル安打を喫する、相手チームの打者にサイクル安打を打たれるのは1983年4月30日の広島4回戦(甲子園)で山本浩二に打たれて以来
- 9月6日 - 横浜22回戦(ひたちなか)で敗戦を喫し2リーグ制移行での3000敗に到達(3053勝3000敗208分)史上5球団目
- 9月11日 - 広島25回戦(広島市民)で9回3点リード二死満塁から葛西稔が緒方孝市にサヨナラ本塁打を浴びる、3点差からの逆転満塁サヨナラ弾は史上8度目で二死からは史上3度目
- 9月15日 - 長嶋清幸が今シーズン限りの引退を表明
- 10月3日 - 横浜24回戦(甲子園)で4三振を喫しシーズンチーム三振数が973、1992年のヤクルトが作った971を抜きリーグ新記録
- 10月6日 - 新外国人選手のベン・リベラと契約の締結を発表
- 10月10日 - 横浜25回戦(甲子園)で6三振を喫しシーズンチーム三振数が982、1994年の近鉄が作った976を抜き日本新記録(最終記録1000三振)
- 10月14日 - 関川浩一と久慈照嘉、中日の大豊泰昭、矢野輝弘との2対2の交換トレードが成立
- 10月21日 - 新外国人選手のデジ・ウィルソンと契約の締結を発表
- 10月23日 - 前中日のパウエルと契約の締結を発表
- 11月7日 - 新外国人選手のデーブ・ハンセンと契約の締結を発表
- 11月19日 - 川尻哲郎がプロ野球脱税事件で脱税者の一人として名前が挙がった(当人は不起訴)
- 11月28日 - 誠と近鉄の江坂政明との交換トレードが両球団より発表
- 12月4日 - 新外国人選手のダグ・クリーク契約の締結を発表
- 12月17日 - 川尻哲郎を含むプロ野球脱税事件で不起訴になった9人を来季開幕から3週間の出場停止処分を発表
ドラフト指名選手
→詳細は「1997年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
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