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2005年の阪神タイガース
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2005年の阪神タイガース(2005ねんのはんしんタイガース)では、2005年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
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この年の阪神タイガースは、岡田彰布監督の2年目のシーズンであり、2003年以来、2年ぶり9度目のリーグ優勝に輝いたシーズンである。
概要
岡田監督の1年目を4位で終えたチームは広島からアンディ・シーツが加入し、この年から赤星憲広を1番で起用するなど打線を再編。4月は中日が首位に立ち、この年初開催のセパ交流戦を前にした5月7日時点で5ゲーム差がついていた。だが、中日が交流戦負け越しと苦戦している間に、阪神がセ・リーグトップの成績を上げて順位に浮上。5月から3か月間連続で大きく月間勝ち越しを記録し、7月には中日に最大8ゲーム差を付けたが、中日は7月半ばから11連勝(1分含む)を記録するなどし、二度0.5ゲーム差まで迫ってきた。しかし、9月7日の中日戦を延長戦の末に制した試合から6連勝を記録し、一方の中日が1勝を挟んで2度4連敗を記録したことで趨勢が決まった。9月29日の巨人戦で優勝が決定。最終的に2位中日には10ゲーム差を付けた。また、巨人に対してはリーグ分立後では初の3年連続勝ち越しを達成した。
迎えた日本シリーズでは千葉ロッテとの対決となったが、初戦に先発したエースの井川慶を始めとした投手陣が3試合連続2桁失点と崩壊し、今岡誠・赤星・金本知憲らの打線もロッテの投手陣の前に4試合で計4得点に封じられて4連敗を喫し、1985年以来の日本一奪取はならなかった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪神タイガース | 87 | 54 | 5 | .617 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 79 | 66 | 1 | .545 | 10.0 |
3位 | 横浜ベイスターズ | 69 | 70 | 7 | .496 | 17.0 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 71 | 73 | 2 | .493 | 17.5 |
5位 | 読売ジャイアンツ | 62 | 80 | 4 | .437 | 25.5 |
6位 | 広島東洋カープ | 58 | 84 | 4 | .408 | 29.5 |
日本生命セ・パ交流戦
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 千葉ロッテマリーンズ | 24 | 11 | 1 | .686 | 優勝 |
2位 | 福岡ソフトバンクホークス | 23 | 12 | 1 | .657 | 1.0 |
3位 | 阪神タイガース | 21 | 13 | 2 | .618 | 2.5 |
4位 | 読売ジャイアンツ | 18 | 14 | 4 | .563 | 4.5 |
5位 | ヤクルトスワローズ | 20 | 16 | 0 | .556 | 4.5 |
6位 | 横浜ベイスターズ | 19 | 17 | 0 | .528 | 5.5 |
7位 | オリックス・バファローズ | 17 | 16 | 3 | .515 | 6.0 |
8位 | 西武ライオンズ | 18 | 18 | 0 | .500 | 6.5 |
9位 | 中日ドラゴンズ | 15 | 21 | 0 | .417 | 9.5 |
10位 | 北海道日本ハムファイターズ | 12 | 22 | 2 | .353 | 11.5 |
11位 | 広島東洋カープ | 11 | 24 | 1 | .314 | 13.0 |
12位 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 11 | 25 | 0 | .306 | 13.5 |
日本シリーズ
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2005 サンヨー オールスターゲーム
→詳細は「2005年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
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選手・スタッフ
首脳陣
一軍
二軍
三軍
所属選手
投手
捕手
内野手
外野手
その他スタッフ
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試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(146イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(452打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
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表彰
達成記録・出来事
- 1月14日 - 海外FA権を行使していた薮恵壹がMLBのアスレチックス入団を発表
- 2月24日 - 筒井和也が1月7日に速度違反を犯し兵庫県警から摘発されていたことを球団が発表。球団は罰金50万、対外試合出場禁止、来年3月末までの自動車運転禁止の処分を課した[1]
- 4月2日 - 金本知憲がヤクルト2回戦(大阪ドーム)で3回に坂元弥太郎から三塁打を放ち通算1500安打、史上87人目
- 4月6日 - 去年まで所属していた伊良部秀輝が引退したことが分かった
- 4月9日 - 金本知憲が横浜2回戦(甲子園)で4回に斎藤隆から本塁打を放ち通算300本塁打、史上30人目
- 4月14日 - 現役時代は南海ホ-クスなどでプレーし、1979年から1980年の5月まで監督を務めたドン・ブレイザーがアメリカのアリゾナ州で心臓麻痺により死去。享年73
- 4月14日 - 巨人3回戦(甲子園)で敗戦を喫し、球団通算4000敗(通算4240勝4000敗254分)史上初
- 4月21日 - 赤星憲広が巨人6回戦(東京ドーム)で6回に三木均―阿部慎之助のバッテリーから二盗を決め通算200盗塁、史上65人目
- 5月14日 - 金本知憲が楽天2回戦(甲子園)で先発出場し通算1500試合出場、史上143人目
- 5月25日 - 今岡誠がオリックス2回戦(甲子園)で6回に川越英隆から本塁打を放ち通算1000安打、史上231人目
- 6月10日 - 沖原佳典と楽天の前田忠節のトレードが成立
- 6月10日 - 金本知憲が日本ハム4回戦(甲子園)で1回に入来祐作から本塁打を放ち全球団から本塁打を達成、史上4人目で交流戦導入以降では初[2][3]
- 6月21日 - 赤星憲広が中日7回戦(大阪ドーム)で5回に野口茂樹―谷繁元信のバッテリーから盗塁を決め、史上初の1シーズンで11球団から盗塁
- 7月10日 - 中日12回戦(ナゴヤドーム)に勝利し、球団新記録の9カード連続勝ち越し(その後連続勝ち越しを10に伸ばす)
- 7月19日 - 野崎勝義球団取締役が選手会の窓口になる選手関係委員会の委員長に就任
- 7月26日 - アンディ・シーツが巨人10回戦(東京ドーム)で1試合3本塁打を記録、球団史上13人目(史上16度目)
- 7月28日 - 金本知憲が巨人12回戦(東京ドーム)で2回にスコット・マレンから本塁打を放ち、1シーズン11球団から本塁打を達成で史上3人目で巨人戦通算69本塁打、江藤慎一(中日)を抜いて通算5位に出る
- 8月2日 - 今岡誠が横浜13回戦(横浜)で先発出場し通算1000試合出場、史上406人目
- 8月13日 - 金本知憲が巨人14回戦(東京ドーム)で2回に上原浩治から本塁打を放ち巨人戦通算71本塁打、掛布雅之(阪神)を抜いて通算4位に出る
- 8月13日 - 片岡篤史が巨人14回戦(東京ドーム)で5回に代打で出場し通算1500試合出場、史上145人目
- 8月17日 - 横浜17回戦(大阪ドーム)で球団新記録の8試合連続2桁安打
- 8月23日 - 井川慶が広島14回戦(広島市民)、7回二死から前田智徳を三振に打ち取り通算1000投球回、史上304人目
- 8月25日 - 下柳剛が広島16回戦(広島市民)で2回にマイク・ロマノから三振を奪い通算1000奪三振、史上116人目
- 8月25日 - 赤星憲広が広島16回戦(広島市民)で6回にロマノ―倉義和のバッテリーから二盗を決めシーズン50個目の盗塁、3年連続50盗塁以上は史上4人目、セリーグでは初
- 8月25日 - 金本知憲が広島16回戦(広島市民)で6回に安打で出塁して次打者の今岡誠の本塁打で得点して通算1000得点、史上32人目
- 8月28日 - 金本知憲が巨人18回戦(甲子園)で1回に上原浩治から本塁打を放ち巨人戦通算74本塁打、松原誠(大洋)を抜いて通算3位に出る
- 8月31日 - ウエスタンリーグは阪神が2年ぶりのリーグ優勝
- 8月31日 - 桧山進次郎が中日16回戦(甲子園)で6回に川上憲伸から本塁打を放ち通算150本塁打、史上139人目
- 9月6日 - 桟原将司が中日18回戦(ナゴヤドーム)7回に中田賢一、荒木雅博、井端弘和から3者連続3球三振で仕留める、史上14度目
- 9月9日 - 金本知憲が広島17回戦(甲子園)で6回に黒田博樹から本塁打を放ち通算1000打点、史上26人目
- 9月10日 - 広島18回戦(甲子園)で21点を取り、1937年7月7日の名古屋7回戦(西宮)の20点を取って以来の球団史上2度目の1試合20点以上で21得点は球団新記録
- 9月11日 - 今岡誠が広島19回戦(甲子園)で4回に広池浩司から本塁打を放ち通算100本塁打、史上242人目
- 9月13日 - 金本知憲が巨人19回戦(長崎)で3回に高橋尚成から本塁打を放ち通算3000塁打、史上39人目
- 9月13日 - 巨人19回戦(長崎)で16点を取り、9月10日広島18回戦(甲子園)の21点、9月11日広島19回戦(甲子園)の10点に続く3試合連続二桁得点を記録、球団史上3度目
- 9月15日 - 今岡誠が巨人20回戦(東京ドーム)で1回に西村健太朗から満塁本塁打を放ちシーズン4本目の満塁本塁打、1977年のブリーデン、1978年の田淵幸一を抜く球団新記録
- 9月15日 - 矢野輝弘が巨人20回戦(東京ドーム)で7回に酒井純也から本塁打を放ち通算1000安打、史上238人目
- 9月18日 - 赤星憲広がヤクルト19回戦(甲子園)で4回に単打を放ち年間152単打、1994年のイチローを超すプロ野球最多単打記録を更新
- 9月21日 - 中日22回戦(甲子園)で投手陣が6三振を奪いチームのシーズン奪三振1127奪三振を記録
- 9月23日 - ウィリアムスが広島20回戦(倉敷)で今季70試合目の登板で、1シーズンに同一球団から2人(藤川球児が75試合登板)が70試合登板は史上初
- 9月27日 - 村上ファンドによる阪神タイガースの親会社の阪神電気鉄道の株の大量取得が発覚[4]
- 9月29日 - 藤川球児が巨人22回戦(甲子園)で7回から登板し年間登板79試合目、1961年の稲尾和久、2001年の菊地原毅を超えるシーズン年間最多登板を更新
- 9月29日 - 巨人22回戦(甲子園)で勝利し2年ぶり通算9度目、セリーグで5度目の優勝決定
- 10月1日 - 赤星憲広がヤクルト21回戦(神宮)8回に花田真人―米野智人のバッテリーから二盗を決め3年連続60盗塁、1970年から1979年に10年続けた福本豊(阪急)に次ぐ記録で同時にこの盗塁で通算250盗塁を記録、史上38人目
- 10月5日 - 今岡誠が横浜22回戦(甲子園)で4回に適時打を放ち147打点、1950年の藤村富美男が持つ球団シーズン最多打点を更新
- 10月5日 - 横浜22回戦(甲子園)のシーズン公式戦最終戦の勝利し、球団タイ記録のシーズン87勝"[5]
- 10月26日 - 日本シリーズでロッテに0勝4敗で敗れる。4戦におけるチームの最低打率.190(1990年の巨人の.198)、最多失点33(2002年の西武の29)、最少安打22(1990年の巨人の25)、最多被本塁打9(2002年の巨人の6)。日本シリーズ全体で相手チームに最高防御率1.06(1951年の巨人の対南海1.20)、自軍のチーム最低防御率8.63(2002年の西武の7.41)本塁打0などの日本シリーズチームワースト記録を数多く更新
- 10月27日 - 中谷仁が金銭トレードで楽天に移籍することが発表
- 11月6日 - 優勝パレードが御堂筋で行われた
- 11月7日 - 親会社の阪神電鉄の西川恭爾社長が、筆頭株主である村上ファンドの村上世彰から提案されている球団の株式上場を拒否した
- 11月15日 - 前川勝彦とオリックスの相木崇のトレードを発表
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ドラフト指名選手
→詳細は「2005年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
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