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2004年の阪神タイガース
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2004年の阪神タイガース(2004ねんのはんしんタイガース)では、2004年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、岡田彰布監督の1年目のシーズンである。
概要
前年18年ぶりに優勝に導いたものの、星野仙一前監督が体調不良を理由に勇退。岡田彰布監督の元、チームは5月まで首位と2.5ゲーム差と、まずまずのスタートを切った。この調子でいけばリーグ2連覇は間違いなしと言われたものの、昨年22勝6敗の貯金16とカモにした横浜に6月まで2勝10敗と苦戦し、優勝した中日の本拠地ナゴヤドームで4月の3連戦で2勝1敗と勝ち越した後に最後まで勝てず11連敗を喫して、最終的に13.5ゲーム差を付けられて岡田監督の1年目はBクラスからのスタートとなった。それでも借金を1ケタにとどめたのが幸いし、翌2005年の優勝につながることになる。また、読売ジャイアンツには2年連続勝ち越しを決めた。
チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 中日ドラゴンズ | 79 | 56 | 3 | .585 | 優勝 |
2位 | ヤクルトスワローズ | 72 | 64 | 2 | .529 | 7.5 |
3位 | 読売ジャイアンツ | 71 | 64 | 3 | .526 | 8.0 |
4位 | 阪神タイガース | 66 | 70 | 2 | .485 | 13.5 |
5位 | 広島東洋カープ | 60 | 77 | 1 | .438 | 20.0 |
6位 | 横浜ベイスターズ | 59 | 76 | 3 | .437 | 20.0 |
- プロ野球再編問題を巡るストライキにより、本来より2試合少ない138試合。
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2004 サンヨー オールスターゲーム
→詳細は「2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
入団
退団
シーズン開幕後
本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの入退団について記述する。
入団
退団
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選手・スタッフ
首脳陣
一軍
二軍
三軍
所属選手
投手
捕手
内野手
外野手
その他スタッフ
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試合結果
要約
視点
※9月18日、9月19日の神宮でのヤクルト戦中止はプロ野球再編問題によるストライキの為(振替無し)
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(138イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(427打席)以上の選手(藤本敦士は五輪特例で規定打席到達)
- 太字はリーグ最高。
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表彰
達成記録・出来事
- 1月23日 - カツノリが金銭トレードで巨人に移籍することを発表
- 1月31日 - 上坂太一郎が速度違反で書類されていた事が明らかになる[2]
- 2月8日 - 7日から8日にかけて宿舎近くの飲食店で男性と口論となった伊良部秀輝に罰金30万円と厳重注意処分[2][3]
- 4月2日 - マイク・キンケードが巨人1回戦(東京ドーム)で暴言を吐いたとして退場処分。開幕戦での退場は46年ぶり[4]
- 4月3日 - ジョージ・アリアスが巨人2回戦(東京ドーム)で4回一死満塁で高橋尚成から本塁打を放ち、外国人選手としては史上初の4年連続満塁本塁打[4]
- 4月4日 - 矢野輝弘が巨人3回戦(東京ドーム)で先発出場し通算1000試合出場、史上390人目[4]
- 4月7日 - 吉野誠が横浜2回戦(横浜)で8回に登板し、打者14人に対し9安打2四死球7失点を喫し64球を投げ、1イニング64球は巨人の斎藤雅樹が1991年8月13日の大洋19回戦(横浜)の6回に投げた62球を超えるNPB新記録
- 4月9日 - マイク・キンケードが中日1回戦(甲子園)でマーチン・バルガスから死球を受けて途中退場。バルガスは危険球退場処分。キンケードは開幕7試合で6死球[4]
- 4月30日 - ヤクルト4回戦(甲子園)に勝利し、前年の5月5日のヤクルト9回戦(甲子園)から続く同一カード同一球場の連勝が10になる(その後12まで伸ばす)
- 5月5日 - 桧山進次郎が広島5回戦(広島市民)で8回に1イニング2三振[4]、史上37人目
- 5月11日 金本知憲が巨人7回戦で(東京ドーム)で、7回にマシュー・ランデルから看板直撃の特大本塁打を放つ、史上62人目で球団史上2人目
- 5月11日 - マイク・キンケードが巨人7回戦(東京ドーム)で、8回に岡島秀樹から死球を受け、左第4中手骨骨折と判明。[5]
- 5月12日 - 上坂太一郎が速度違反を繰り返していたとして、懲役6カ月、執行猶予2年の判決[5]
- 5月18日 - ジョージ・アリアスがヤクルト7回戦(神宮)で2回に石川雅規から本塁打放ち通算150本塁打、史上135人目
- 5月27日 - 金本知憲が横浜8回戦(甲子園)で先発出場し通算800試合連続出場[5]
- 6月2日 - ヤクルト9回戦(甲子園)で毎回安打を放ち、前日のヤクルト8回戦(甲子園)も毎回安打を記録したため、1949年8月10日太陽13回戦(高松市立中央)、8月12日太陽14回戦(松山市営)の2試合で記録して以来55年ぶりとなる2試合連続毎回安打[6]、史上13度目
- 6月15日 - 平下晃司とロッテの立川隆史の交換トレードが発表[5]
- 6月27日 - ロドニー・マイヤーズとの契約締結を発表[7]
- 6月29日 - 金本知憲が巨人16回戦(甲子園)で先発出場し試合終了まで出続けたため679試合連続フルイニング出場、衣笠祥雄(広島)を抜いて史上2位になる
- 6月28日 - トレイ・ホッジスとの契約締結を発表[7]
- 7月3日 - ヤクルト14回戦(札幌ドーム)で勝利し、1976年8月18日ヤクルト20回戦(札幌円山)での勝利を最後に勝てなかった札幌でのヤクルト戦の連敗を12で止めた
- 7月9日 - ジェフ・ウィリアムスがアテネ五輪のオーストラリア代表に選出された
- 7月17日 - ホッジスが中日16回戦(甲子園)で先発して初勝利、外国人選手では日本プロ野球初の兄弟による勝利投手(兄は元ヤクルトのケビン・ホッジス)[7]
- 7月27日 - 中日18回戦(甲子園)で1回表の無死一、三塁で渡邉博幸の遊ゴロで6-4-3と転送し一走、打者走者をアウトにして2アウト、その後本塁に進塁しようとした三走をホームでタッチアウトにし、三重殺を完成させる
- 8月1日 - 金澤健人が巨人21回戦(甲子園)で2回に1イニング4奪三振を記録、史上9人目
- 8月1日 - 金本知憲が巨人21回戦(甲子園)で先発出場し試合終了まで出続けたため701試合連続全イニング試合出場、三宅秀史(阪神)を抜いて日本プロ野球記録[6]
- 8月11日 - 藪恵壹が横浜16回戦(札幌ドーム)で5回に佐伯貴弘から三振を奪い通算1000奪三振[8]、史上112人目
- 8月12日 - 横浜17回戦(札幌ドーム)で9回3点リード無死満塁からロドニー・マイヤーズがタイロン・ウッズにサヨナラ本塁打を浴びる、3点差からの逆転満塁サヨナラ弾は史上12度目
- 8月23日 - 桧山進次郎が横浜19回戦(大阪ドーム)で8回に秦裕二から安打を放ち通算1000安打、史上226人目
- 8月26日 - 藪恵壹が横浜20回戦(大阪ドーム)でセ・リーグタイ記録の1試合最多の5刺殺[8]
- 9月4日 - 金本知憲が巨人25回戦(甲子園)で4回に久保裕也から三振を喫し通算1000三振、史上37人目
- 9月8日 - 金本知憲がヤクルト22回戦(甲子園)で先発出場し873試合連続出場、山本浩二(広島)を抜いて歴代10位に出る
- 9月25日 - 関本健太郎が巨人26回戦(東京ドーム)で1回に林昌範から本塁打を放ち球団通算6500号本塁打、史上8球団目
- 10月1日 - 赤星憲広が横浜26回戦(甲子園)で1回に加藤武治―相川亮二のバッテリーから盗塁を決め2年連続60盗塁[8]、史上3人目
- 10月4日 - 井川慶が広島28回戦(広島市民)でノーヒットノーランを達成、史上82度目でこの試合の勝利で2リーグ制以降で球団通算3500勝[6](3500勝3522敗220分)
- 10月4日 - 八木裕が現役引退を表明[8]
- 10月13日 - 主催試合の観客動員数が球団新記録の350万人を突破[6]
- 10月22日 - 球団が明大・一場靖弘に学生野球憲章に違反する25万円の金銭授受を行っていたとして、オーナーの久万俊二郎と球団社長の野崎勝義が辞任
- 11月6日 - 広島の町田康嗣郎を金銭トレードで獲得、入団会見が行われ、背番号は50[9]
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ドラフト指名選手
→詳細は「2004年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
Wikiwand - on
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