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2002年の阪神タイガース
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2002年の阪神タイガース(2002ねんのはんしんタイガース)では、2002年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
2002年の阪神タイガースは、星野仙一監督の1年目のシーズンである。
概要
野村克也前監督の突然の辞任を受け、前中日監督の星野仙一がこの年から就任。星野新監督は球団OBで自身の盟友だった田淵幸一を24年ぶりに阪神に復帰させてチーフ打撃コーチに迎え、ヘッドコーチには阪神在籍経験のある島野育夫を、投手コーチにはオリックスOBの佐藤義則を、打撃コーチには前年引退した和田豊をそれぞれ配置してコーチ陣を一新した。
オリックスを自由契約になったジョージ・アリアス、日本ハムからFAしていた片岡篤史、ドラフトで安藤優也を獲得。
チームは星野監督のもとオープン戦から勝ちにこだわりオープン戦優勝、その勢いのままペナントに入って開幕7連勝と最高のスタートを切るが、矢野輝弘や赤星憲広、片岡篤史など主力選手がケガで離脱した6月以降成績が下降。ケガ人が復帰した7月はまずまずの成績を残すも、藪恵壹や桧山進次郎、濱中おさむ、また矢野が怪我をして8月中旬以降は大きく負け越したのが響き最後は中日とのAクラス争いに敗れ4位に終わり、1993年から10年連続のBクラスとなった。それでも5年ぶりに最下位を脱出し、翌2003年のリーグ優勝につながることになる。
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チーム成績
レギュラーシーズン
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 86 | 52 | 2 | .623 | 優勝 |
2位 | ヤクルトスワローズ | 74 | 62 | 4 | .544 | 11.0 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 69 | 66 | 5 | .511 | 15.5 |
4位 | 阪神タイガース | 66 | 70 | 4 | .485 | 19.0 |
5位 | 広島東洋カープ | 64 | 72 | 4 | .471 | 21.0 |
6位 | 横浜ベイスターズ | 49 | 86 | 5 | .363 | 35.5 |
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2002 サンヨー オールスターゲーム
→詳細は「2002年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
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選手・スタッフ
試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(140イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(434打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
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表彰
達成記録・出来事
- 1月10日 - 1月7日に中日を退団した島野育夫が阪神のヘッドコーチに就任する
- 1月25日 - 新外国人選手のマーク・バルデスと契約の締結を発表
- 1月27日 - 川俣浩明の登録名を「川俣ヒロアキ」と発表
- 2月24日 - テストを受けていたデリック・ホワイトの契約の締結を発表
- 3月30日 - 開幕戦の巨人1回戦(東京ドーム)で勝利、1990年4月7日広島1回戦(広島市民)を最後に勝てなかった開幕戦の連敗を11で止める
- 4月6日 - ヤクルト2回戦(神宮)で勝利し球団タイ記録の開幕7連勝[2]
- 4月13日 - 矢野輝弘が横浜5回戦(甲子園)で9回の本塁クロスプレーの時に左肩を強打し病院へ直行、検査の結果「左肩鎖関節脱臼」と診断される(復帰は5月21日)
- 4月18日 - 赤星憲広が中日3回戦(ナゴヤドーム)で5回に自打球を当てて退場、翌日の検査の結果「右脛骨骨折」と診断される(復帰は7月23日)
- 4月25日 - アリアスが広島5回戦(倉敷)で1試合3本塁打を記録。球団史上12人目(球団史上15度目)
- 4月26日 - ヤクルト4回戦(甲子園)で11対6で勝利、前日の広島5回戦(倉敷)でも10対5で勝利しており、2試合連続2桁得点は1990年6月3日ヤクルト9回戦(甲子園)の11対0、6月5日の中日9回戦(ナゴヤ)の14対5で勝って以来12年ぶり
- 5月17日 - 片岡篤史が巨人7回戦(東京ドーム)で3回に高橋尚成から左手に死球を受け途中退場、検査の結果「左手第4、第5中手骨骨折」と診断される(復帰は6月11日)
- 5月26日 - 中日10回戦(ナゴヤドーム)で9回に捕手の柳沢裕一が阪神の戦略の批判する様なことを打者の矢野輝弘の時に言い乱闘騒ぎとなる。試合後に事情説明を求めた中日職員が阪神ナインのバスに乗り込み一触触発となり、上田次朗管理部長がその場で中日球団に電話で抗議し、中日の伊藤一正球団代表が「一職員に許される行動ではなかったと」即座に謝罪[3]
- 5月27日 - エバンスと西武の橋本武広が交換トレード[4]
- 5月30日 - 中日の伊藤一正球団代表が、4日前に騒ぎを起こした中日職員に対する謝罪の為に甲子園球場を訪れ、野崎勝義球団社長と星野監督に改めて謝罪した[3]
- 7月2日 - ヤクルト14回戦(神宮)に勝利し、星野仙一監督が監督通算800勝、史上14人目[2]
- 7月24日 - 藪恵壹が巨人17回戦(甲子園)の2回の投球中にわき腹を痛め途中退場、検査の結果「左肋間筋挫傷」と診断された(復帰は9月13日)
- 7月24日 - 桧山進次郎が巨人17回戦(甲子園)の2回の守備中に阿部慎之助のライトフェンス際の打球にフェンスにぶつかり左肩を強打し途中退場、検査の結果「左肋鎖亜脱臼」と診断された(復帰は8月28日)
- 7月25日 - アリアスが巨人18回戦(甲子園)の7回に入来祐作の投球が背後を通した事に激怒し入来も応戦の構えを見せ、そこから両軍入り乱れての大乱闘となり両者退場となる
- 7月26日 - 中日15回戦(甲子園)でサヨナラ勝利、7月24、25日の巨人17、18回戦(甲子園)でもサヨナラ勝ちしており、3試合連続サヨナラ勝ちは史上10度目で球団史上3度目
- 8月7日 - 濱中おさむが広島17回戦(広島市民)で6回に小林幹英から球団通算150本目の満塁本塁打を放つ、史上4球団目
- 8月8日 - 広島18回戦(広島市民)で3回の無死一、二塁のピンチでエディ・ディアスの三ゴロを三塁を踏み二塁、一塁と転送して三重殺を記録、1971年6月5日巨人6回戦(甲子園)の2回に記録して以来31年ぶり
- 8月9日 - 濱中おさむが中日18回戦(ナゴヤドーム)で4回の守備中に左手親指を強打し途中退場、検査の結果「左手第1中生骨骨折」と診断される(復帰は9月23日)
- 8月10日 - ホワイトが中日18回戦(ナゴヤドーム)で1回の守備中に田中秀太と激突して左手を負傷して途中退場、検査の結果「左尺骨骨幹部骨折」と診断される(以後出場無し)
- 8月10日 - 矢野輝弘が中日18回戦(ナゴヤドーム)で7回に落合英二から左手に死球を受け途中退場、検査の結果「左尺骨骨幹部骨折」と診断される(以後出場無し)
- 8月23日 - 巨人19回戦(東京ドーム)の6回裏の一死二塁で仁志敏久の三ゴロの当たり三塁手・片岡篤史が捕って一塁に送球し、一塁手・アリアスが捕球した際に足が離れてセーフとした判定に対し、星野仙一監督がで暴言を吐き退場処分。その直後田淵幸一チーフ打撃コーチも審判を小突いたとして退場処分に。セ・リーグで監督とコーチが2人同時に退場処分になったのは初めて[5]
- 9月9日 - 星野伸之が現役引退を表明
- 10月11日 - 葛西稔兼任コーチが現役引退を表明
- 10月31日 - バルデスの退団を発表
- 11月7日 - ウェーバー公示されていたたバルデスに対し中日が獲得意思を連盟に通達、中日より下位の球団は獲得意思がないため契約譲渡決定。中日から譲渡金400万円受け取る
- 11月12日 - 坪井智哉と日本ハムの野口寿浩のトレードが両球団より発表される
- 11月19日 - ハンセルの仲介報奨金を未払いであるとして代理人のケニー野村から訴えられていた件で神戸地裁尼崎支部は原告の請求通り10万ドルの支払いを命じる判決を言い渡した[6]
- 11月21日 - 伊達昌司、山田勝彦と日本ハムの下柳剛、中村豊の2対2の交換トレードが両球団より発表される
- 11月25日 - 広島からFAの金本知憲が阪神へ入団表明[2]
- 12月7日 - 前テキサス・レンジャーズの伊良部秀輝と、新外国人の前ロサンゼルス・ドジャースのジェフ・ウィリアムスの入団を発表
- 12月24日 - 田中秀太の登録名を「秀太」、中林祐介の登録名を「中林祐輔」としたことを発表
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ドラフト指名選手
→詳細は「2002年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
出典
Wikiwand - on
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