トップQs
タイムライン
チャット
視点

七草がゆ

毎年1月7日の朝に食べられている日本の米料理 ウィキペディアから

七草がゆ
Remove ads

七草がゆ七草粥(ななくさがゆ)・七種粥とは、人日節句(毎年1月7日)のに食べられている日本行事食料理)である。

Thumb
七草粥

概要

春の七草などを具材とする味ので、その一年の無病息災を願って1月7日に食べられる[1]。正月の祝膳や祝酒で弱ったを休める為とも言われる。

この行事は、平安時代には行われていたが、室町時代汁物の原型ともされている。

七草がゆの由来については、一般に6世紀の中国古典『荊楚歳時記』に、七種菜の羹を正月七日に食べる風習が記されている点が指摘される。これに類似する風習は古い記録にみられ、『西京雑記』や『金匱録』七禽食方によれば、正月上辰日(月最初の辰日)に特定の植物を食べたり粉末にしたりする風習が各地で行われていた。『荊楚歳時記』の七種菜の羹を正月七日に食べる風習は、これらの遺風であったようである。日本の『御伽草子』七草草子で辰の刻に七草粥を煮るとされるのは、かつて上辰日に行われていた風習の名残らしい[2]。 また、朝日新聞のコラム「天声人語」2023年1月7日掲載分「七草いまむかし」によると、江戸時代には七つの調理道具を用いて囃す「薺打ち」という行事があり、年の初めに豊作を願うのが由来だとされている[3]

Thumb Thumb
七草セット
開封したセット

現在では、七草をセットした商品が、多くの八百屋など小売店にて販売されるほか、フリーズドライの七草や、お茶漬け用のふりかけ[4]として販売されている例もある[3]。また、日本食糧新聞によると、COVID-19の流行により年末年始を自宅で過ごす人が増えたため、七草茶漬けの需要が高まったとされている[5]

なお、正月七日に七種の食材を食べて健康を願う風習は中国にも残っている[6]

Remove ads

説話

御伽草子七草草子に、説話が語られている。

楚国に、大しうという親孝行者がいた。両親はもう百歳を越し体がままならず、そんな両親を嘆き悲しんだ大しうは、山に入って21日間もの苦行を行い祈願した。
「私に老いを移してもいいのでどうか両親を若返らせてください」
そこに天上の帝釈天からお告げがあった。
「そなたの願いを聞き入れた。須弥山の南に齢8000年の白鵞鳥がいるが、この秘術をぬしら親子に授ける。ついては、
  • 毎年春のはじめに七種の草を食べること。
  • 1月6日までに7種類の草の集めておくこと。次の時刻に柳で作った器に種を載せ、玉椿の枝で叩くこと。
  • の刻からこれらの種を合わせ、東から清水を汲んできて、これを煮て食べること。
一口で10歳、七口で70歳若返るので、ついには8000年生きることができよう。」大しうはこの教えを繰り返し暗唱すると、この日は正月であったのですぐに山を降りて7種類の草を集め、6日の夕方から教えの通り、不思議な心持ちで夜通し草を叩いた。朝になり、東から汲んだ水で炊いて両親に食べさせたところ、たちまち若返ったのはいうまでもない。これが世に伝わり、噂を聞いた当時の帝はこの親孝行に感動して位を譲った[7]

すなわち、七草の由来とともに、ここでは親孝行の功徳を説いた話だったのである[8]

Remove ads

詳細

要約
視点

以下は、関東地方の例である。

1月6日の夜、あらかじめ用意したセリナズナゴ(オ)ギョウハコベラホトケノザスズナスズシロの「七草」をまな板の上に載せ、以下の歌を歌いながらしゃもじお玉杓子包丁の背などで叩いて細かくする。

七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン

明けて7日の朝に粥を炊き、叩いた七草と塩を入れて七草粥にする。そして朝食として食べる。

七草粥は新年季語とされる。七種の節句とはこの七草がゆを食べる行事を言う。

地方での差異

七草粥は七草すべてが使用されるわけではなく、また地方によっても食材が異なる場合がある。

気候や降雪の関係で七草が摘めない東北北海道では、「七草」を使用しない場合が多い。山形県村山市周辺ではゴボウニンジンこんにゃくずいき油揚げなどを入れた納豆汁七草汁1月7日の朝食として食べる。最上川流域では1月7日に新米の握り飯を12個作り、の上に乗せて柳の箸を刺して「おみ玉」として飾る。その後で握り飯を崩して煮込み、野菜、昆布干し柿を入れたものを「七草粥」と呼ぶ。また、青森県(特に津軽地方)や秋田県では1月7日に行事を行う地域は少数である。だが1月16日小正月には、細かく刻んだ根菜を大量に炊き込んだ精進料理けの汁」を作って祝う。

気候的に七草が入手できる地帯でも七草ではなく、ありあわせの青菜、さらに根菜や油揚げなど大豆製品をも含めて「7種」取りそろえる場合や、九州南部では鶏肉を加え、南西諸島では正月の食材として作られる塩豚を具に用いるなど精進料理ではない地域もある。

調理法も白粥のみではなく、鰹節で出汁を取り醤油や味噌で味付けして「雑炊」にする地方や、四国の瀬戸内海沿岸のように「和え物」「お浸し」で七草を食べる地方、九州北部のように汁物に加工するなど、全国でバリエーションは豊富である。

以下は、農文協から出版された『日本の食生活全集』を元に作成した、大正から昭和初期にかけての時代、現在の日本国の領域において1月7日に食されていた料理の一覧表である。

さらに見る 地域, 食される日取り(太陽暦) ...
Remove ads

参考文献

  • 『日本の食生活全集 北海道の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 青森の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 秋田の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 岩手の食事』農文協 1984年
  • 『日本の食生活全集 山形の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 宮城の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 福島の食事』農文協 1987年
  • 『日本の食生活全集 茨城の食事』農文協 1988年
  • 『日本の食生活全集 栃木の食事』農文協 1988年
  • 『日本の食生活全集 群馬の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 埼玉の食事』農文協 1988年
  • 『日本の食生活全集 千葉の食事』農文協 1989年
  • 『日本の食生活全集 東京の食事』農文協 1988年
  • 『日本の食生活全集 神奈川の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 新潟の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 富山の食事』農文協 1989年
  • 『日本の食生活全集 石川の食事』農文協 1988年
  • 『日本の食生活全集 福井の食事』農文協 1987年
  • 『日本の食生活全集 山梨の食事』農文協 1990年
  • 『日本の食生活全集 長野の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 岐阜の食事』農文協 1990年
  • 『日本の食生活全集 静岡の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 愛知の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 埼玉の食事』農文協 1988年
  • 『日本の食生活全集 三重の食事』農文協 1987年
  • 『日本の食生活全集 滋賀の食事』農文協 1991年
  • 『日本の食生活全集 京都の食事』農文協 1985年
  • 『日本の食生活全集 大阪の食事』農文協 1991年
  • 『日本の食生活全集 兵庫の食事』農文協 1992年
  • 『日本の食生活全集 奈良の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 和歌山の食事』農文協 1989年
  • 『日本の食生活全集 鳥取の食事』農文協 1991年
  • 『日本の食生活全集 島根の食事』農文協 1991年
  • 『日本の食生活全集 岡山の食事』農文協 1985年
  • 『日本の食生活全集 広島の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 山口の食事』農文協 1989年
  • 『日本の食生活全集 香川の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 徳島の食事』農文協 1990年
  • 『日本の食生活全集 愛媛の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 高知の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 福岡の食事』農文協 1988年
  • 『日本の食生活全集 佐賀の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 長崎の食事』農文協 1987年
  • 『日本の食生活全集 熊本の食事』農文協 1988年
  • 『日本の食生活全集 大分の食事』農文協 1986年
  • 『日本の食生活全集 宮崎の食事』農文協 1991年
  • 『日本の食生活全集 鹿児島の食事』農文協 1989年
  • 『日本の食生活全集 沖縄の食事』農文協 1988年
Remove ads

脚注

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads