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日本の地下鉄

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日本の地下鉄(にっぽんのちかてつ、にほんのちかてつ)では、日本における地下鉄について解説する。

地下鉄については日本における法令上の定義が存在しない[1]が、本項目では断りがない限り、国土交通省の発行する鉄道統計年報において「地下鉄事業者」として認識されている鉄道事業者[2][3]並びにその路線について記し、必要に応じて都市計画法に定める都市施設の一つである「都市高速鉄道」としての地下路線など、関連する鉄道路線についても記す。

概要

要約
視点

日本の地下鉄は現在、東京都のほか、大阪市名古屋市横浜市札幌市京都市神戸市福岡市仙台市などにあり、通勤や通学など日常用から観光用途まで広く一般に利用されている。特に東京の地下鉄では都営地下鉄・東京地下鉄合わせて大阪市高速電気軌道の数倍の一日輸送人員を数え、大阪など他エリアの大都市と比べ圧倒的なシェアを有している。三大都市圏においてはサービス面では地上線と大きく変わらないが、地下を通ることで用地収用が困難な地区まで入り込んだ路線網を築いている。特に東京都区部と大阪市、名古屋市においては、都心の主要な移動手段として地上の私鉄在来線・自動車・バス・タクシーなどを凌駕するほどの地位にある。一方、地方圏の札幌・福岡・仙台(地方中枢都市)においては、地上の在来線を超えるほどの運行頻度によって都市内交通の中心的存在となっている。

降水量が多く、大都市が沖積平野を中心に発達する日本(参照)において地下鉄を建設するには、地下水が豊富な軟弱地盤を掘り進み、多発する地震にも耐え得る強度を持った地下トンネル地下駅を建設する必要がある[4]。そのため高度な土木技術が必要であり、かつ、建設費もかなりの高額となる。

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地下鉄博物館に保存されている東京地下鉄道1000形電車の1001号車。国の重要文化財に指定されている[5][6]。(2010年7月)
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東京地下鉄道上野 - 浅草間開業時のポスター(杉浦非水作)。「東洋唯一の地下鉄道」とある。

歴史的には、貨物線では、1915年大正4年)に鉄道院(現:JR東京駅東京中央郵便局(現:JPタワー)との間、約0.2km地下駅:2駅)に開通した逓信省(現:総務省/JP/NTT)の郵便物搬送用地下軌道(正式名称不明)[注釈 1]が最初である。旅客線では、1925年(大正14年)に開通した宮城電気鉄道(現:JR仙石線)の仙台駅東七番丁駅との間、約0.4 km(地下駅:1駅)に始まる。1927年昭和2年)に開通した東京地下鉄道(現:東京メトロ銀座線)の浅草駅 - 上野駅間(約2.2 km)は、4つの地下駅を擁した。これを日本地下鉄協会は「日本初の本格的な地下鉄」とし[8]東京地下鉄(東京メトロ)は系列の地下鉄博物館と共に「東洋初の地下鉄」としている[9][10][注釈 2]

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歴史

要約
視点

黎明期

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浅草上野間開業時に用いられた1000形電車
勃興
日本に地下鉄を敷設する計画は、1906年明治39年)に東京地下電気鉄道が高輪 - 浅草間及び銀座 - 新宿間の免許を申請したのが初見である。これは実際に建設することを目的にしたというよりも、欧米の地下鉄敷設状況を知り、先行して鉄道免許を取得しようとしたものであり、また東京市の反対もあり却下されてしまった。
その中の1915年(大正4年)、東京駅の地下を走行する郵便物貨物専用の地下鉄が開通している。
建設を前提としての免許申請は1917年早川徳次によって申請されたものである。1914年ロンドンの地下鉄を見学した早川は東京への地下鉄導入の必要性を痛感、東京軽便地下鉄道を設立し、高輪 - 浅草及び車坂(上野) - 南千住間で軽便鉄道法による敷設免許を申請した。計画によれば総延長15.3キロ、軌間は1372ミリ、電気は第三軌条式である。
この免許申請を受け、他の地下鉄も免許出願が相次いだ。1918年武蔵電気鉄道上目黒 - 有楽町間を、1919年には東京高速鉄道(初代の会社で、現在の小田急電鉄の前身に当たり、後述の現在の銀座線渋谷 - 新橋間を開業した会社とは異なる)が日比谷 - 渋谷霞ヶ関 - 新宿、日比谷 - 池袋、日比谷 - 上野間を、東京鉄道が五反田 - 向島、渋谷 - 南千住、原宿 - 巣鴨、新宿 - 洲崎目白 - 池袋間で免許を出願している。
これらの申請に対し、まず1919年11月17日に東京地下軽便鉄道に免許が交付された。1920年1月14日に東京市告示第2号「東京市区改正設計高速鉄道網」として7路線が発表され、この路線網に沿う形で同年3月17日に、将来東京市が買収する可能性を提示した上で武蔵電気鉄道、東京高速鉄道、東京鉄道にも次の区間の免許が交付された。
  • 東京軽便地下鉄道:15.3キロ(高輪南町 - 浅草公園広小路、車坂町 - 南千住町)
  • 武蔵電気鉄道:8.0キロ(目黒 - 有楽町)
  • 東京高速鉄道:14.1キロ(内藤新宿 - 大塚)
  • 東京鉄道:33.4キロ(目黒 - 押上、池袋 - 洲崎、巣鴨 - 万世橋)
東京地下鉄道による初の地下鉄
政府より免許交付を受けた早川は、1920年に「東京地下鉄道株式会社」(初代)を設立、1919年に軽便鉄道法から地方鉄道法に従い計画軌間も1435ミリへと変更した。そして地質調査を進めた結果、1923年に新橋 - 上野間の工事施行認可を受ける。しかし同年9月1日に発生した大正関東地震関東大震災)の影響で施行区間を上野 - 浅草に変更し、1925年9月27日に着工された。
東京地下鉄道によるオープンカット工法を採用した深度1.5メートルの路下式地下鉄は、着工から2年後の1927年12月30日に開業した。車両は1000型と呼ばれる全鋼製車両であり、日本初のドア・エンジンを採用した。安全面ではニューヨークの地下鉄同様、打子式の自動列車停止装置を採用、また安全畳垣も装備している。
1930年1月1日には万世橋、1931年11月21日には神田までと順調に伸延され、1934年6月21日には新橋までの路線が完成した。
東京高速鉄道の参入と営団への統合
一方、武蔵電気鉄道、東京高速鉄道、東京鉄道の3社は関東大震災の影響もあり、路線建設に着手できないまま1924年に免許を失効してしまった。免許の空白を狙って東京地下鉄道と東京市が競うように出願を行ったが、1925年に内務省告示第56号「東京復興都市計画高速鉄道網」が発表され、東京市が4路線の免許を取得した。しかし東京市は財政難で地下鉄の建設に着手できず、民間資本に免許を譲渡することになった。
東京市より免許を譲り受けた「東京高速鉄道株式会社」(前述の会社とは異なり、1934年設立の二代目。大倉財閥系だが実態は東京横浜電鉄五島慶太が掌握していた)により、東京に2本目の地下鉄建設工事が1935年に開始された。着工区間は渋谷 - 新橋であり、1938年11月18日最初の青山六丁目(現:表参道駅) - 虎ノ門駅が開通したのを皮切りに、1939年までに渋谷 - 新橋間の6.3キロを営業供用した。1940年には先行する「地下」と線路がつながり、渋谷 - 浅草間の直通運転が開始され、現在の銀座線の形が完成した。
第二次世界大戦の予感が国民経済に影響を与え始めた1930年代、交通機関の間に適当な競争関係、分担関係を確立させるための交通統制の必要性が提言されるようになった。また空襲被害を受けた際の防空壕としての用途も考慮され、1941年3月7日に帝都高速度交通営団法を制定、同年7月4日に特殊法人の「帝都高速度交通営団」(営団地下鉄、現:東京地下鉄株式会社(通称「東京メトロ」))が設立、「地下」「高速」の2社が営団に統合された。空襲の際には地下鉄が唯一の交通機関になることから、防空上の要請から資金と資材が許す限り推進することと定められたが、現実には戦時経済下での建設はほとんど進まなかった。
大阪
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保存されている開業時の車両・100形
大阪の地下鉄は東京の民間主導と対照的に、大阪市(当時の局名は大阪市電気局。後の大阪市交通局、現在は民営化され大阪市高速電気軌道)が事業主体になって計画が推進された。1920年に大阪市が地下鉄網の調査を委託し、その報告書が提出された4年後の1926年に下記路線が「大阪都市計画高速度交通機関路線」として認可された。
  • 1号線:江坂 - 梅田 - 難波 - 大国町 - 天王寺 - 我孫子(19.9キロ)
  • 2号線:森小路 - 天六 - 梅田 - 天神橋 - 天王寺(13.7キロ)
  • 3号線:大国町 - 玉出(3.7キロ)
  • 4号線:築港 - 花園橋 - 大今里 - 平野(17.1キロ)
上記計画に基づき、1930年に第一期事業として梅田駅 - 天王寺駅間の工事を開始した。資金調達で受益者負担制度を採用したこの路線は1933年5月20日に梅田駅 - 心斎橋駅間が開業した。打子式の自動列車停止装置を備え、安全畳垣も備えたのは東京と同じであるが、駅設備において自然換気でなく送風装置を使用したこと、ホームまでエスカレーターが設置されていたこと、そして何よりも天井が高く将来の12両運行(当時の車両の大きさ、それでも東京より一回りほど大型である)を見越した長さのプラットホームが特徴である。
大阪では、戦時下でも大国町駅で1号線と分岐する3号線の建設が進められた。鋼材を使用しない無筋コンクリートアーチ構造を採用するなどの工法上の工夫も加え、1942年5月10日には大国町駅 - 花園町駅間の1.3キロを完成させている。しかしその後は鋼材のみならずセメントの入手も困難となり、トンネルの上部を石積アーチ式にするなどの苦心の工法が採用されたが、その後工事は凍結された。
その他の都市
東京・大阪以外では純然たる地下鉄の建設は行われておらず、名古屋では2度建設計画が立てられ着工寸前に至ったが戦時体制に入ったため中止された。また、同時期に建設された私鉄の中には一部区間を地下線として開業したものがいくつかある。

年表

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宮城電気鉄道仙台駅の地下ホーム(1920年代撮影)

第二次世界大戦の終戦時まで。

第二次世界大戦後

終戦時の日本の地下鉄は東京が14.3キロ、大阪が8.8キロという状況であった。

東京

戦争で壊滅的な被害を受け、都市機能が崩壊していた東京では、末広町 - 稲荷町間が乗客減少を理由に一時運行停止になるほどであった。戦後の混乱が収まるにつれて、東京では1946年戦災復興院告示第252号で新たな高速鉄道網計画が決定された。

都市計画でいうターナー式(貫通路線やU字型の路線の組み合わせ[15])を念頭において立案された路線網は1950年代から着工されることになる。最初の着工路線に選ばれたのは4号線(後の丸ノ内線)であり、住宅地と急速に発展した池袋方面への交通網整備と、混雑の著しい山手線中央線を救済する目的が定められた。そして1954年1月29日より順次丸ノ内線が開通することになる。

戦前から都市交通を市営と主張してきた東京市は、戦後東京都と改称してからも営団の解体を主張し、都市交通の一元化を主張していた。そうした中、昭和20年代終盤に営団とは別に都営地下鉄の建設へと目標を転換した。また、政府による統制が緩和されたと判断した郊外私鉄は1948年小田急電鉄を皮切りに西武鉄道を除く全社が1955年までに都心部への乗り入れ路線の申請を出願した。この動きを見た政府は1955年に都市交通審議会が設け、翌年にはその答申に従い、郊外私鉄との乗り入れ直通運転を盛り込んだ地下鉄計画が発表された。これにより陸上交通事業調整法で営団による地下鉄一元化を方針転換することになる。以来、東京の地下鉄路線は、営団(現:東京メトロ)と東京都交通局の2つの経営体によって整備されることになる。

1956年、東京都は軌道法による免許申請を行い、翌年には営団が保有する1号線が東京都に委譲された。郊外私鉄の相互乗り入れも計画に組み込まれ、1号線は標準軌・架空線式を採用、京急京成が乗り入れることが計画され、同時に1372ミリ軌間の京成は全線で改軌を行い、また京急も品川 - 泉岳寺間の路線を建設することとなった。

都営地下鉄は1号線(現:浅草線)から工事が開始され、隅田川横断工事などに難航したが、1960年12月4日の午後に浅草橋 - 押上間が初めて開業した。

一方、営団も翌1961年に、東武鉄道東京急行電鉄の乗り入れを予定して、架空線式を採用した2号線(現:日比谷線)を開業、以後の東京の地下鉄は、既存郊外路線との乗り入れを前提にした架空線式が主流になる。

大阪

大阪では1948年に新たに都市計画が立案され、戦前の1号線から3号線は戦前の計画を踏襲したが、4号線で大阪港 - 放出、5号線で神崎川 - 平野間の東西路線が計画され、都市計画の基本であるペーターゼン式の路線網(都心部は格子型となる路線網[15])で計画された。

大阪の場合、東京と異なり5路線で戦前の第三軌条式を踏襲したため、車両の共通化の利点はあるものの、既存他社路線との乗り入れが不可能で、高度成長期に梅田や難波など主要ターミナル駅の混雑を増大させる結果となった(#集電方式参照)。また、私鉄JR各社が地下鉄に乗り入れせずに都心部に相次いで自前路線を延伸したために、地下鉄と私鉄路線が近接並走する事例も発生した。

名古屋

名古屋市営地下鉄1号線(後の東西線、現在の東山線)の建設に際して地方鉄道法(現・鉄道事業法)か軌道法かが議論となった。同線は1957年11月15日名古屋駅 - 栄駅間で開業した。

続く名城線名鉄瀬戸線との直通運転が構想されたが、後に撤回され東山線と同規格で建設された。

1977年3月18日に開業した鶴舞線以降は、郊外延伸や他社との直通運転を前提とした架空電車線方式を採用し、上飯田線とともに名古屋鉄道[16]に乗り入れている。しかし、他にも桜通線の郊外延伸近鉄名古屋線JR関西線あおなみ線などに乗り入れる新規路線が計画されているところ、実現の目処は立っていない。

その他の都市

1954年(昭和29年)に地下高速鉄道整備事業費補助制度が創設されたことから、地下鉄建設は大阪市を除き地方鉄道法で建設されることとなった。

1960年代以降のモータリゼーションの発展に伴い、地方都市では専用レーンがない公共交通機関である路線バスが多くなり、大都市では高速かつ大量輸送を行える地下鉄が建設されるようになった。

今後の地下鉄の新規建設

2015年12月6日仙台市地下鉄東西線が開業したことにより、日本国内で鉄道統計年報が認める「地下鉄事業者」(後述)による建設事業が進行中の地下鉄新路線(既存路線の延伸工事を除く)が消滅した。これにより、同線が日本最後の地下鉄新路線になるのではないかと予測しているメディアもある[17]

なお、地下鉄の定義を「地下鉄建設にあたって補助金を使用した路線」とすれば、現在大阪市において建設中のなにわ筋線も新規建設の地下鉄路線に含まれる。ただし同線は西日本旅客鉄道(JR西日本)と南海電気鉄道による運営となる予定である。他に東京都では2040年代の完成を目指し、都心部・臨海地域地下鉄構想の検討が進められている(未着工)。

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日本の地下鉄路線

要約
視点

国土交通省は「地下鉄についての明確な定義はない」[1]としているが、鉄道統計年報では「地下鉄事業者」として東京地下鉄札幌市交通局仙台市交通局東京都交通局横浜市交通局名古屋市交通局京都市交通局大阪市高速電気軌道神戸市交通局福岡市交通局の10社局を分類している[2][3]

地下鉄事業者に関しては「地下鉄建設にあたって補助金を使用した事業者を地下鉄事業者とする別の考え方もある」[1]とも回答しており、これに従えば鉄道統計年報における10社局のほかに、埼玉高速鉄道上飯田連絡線中之島高速鉄道西大阪高速鉄道関西高速鉄道神戸高速鉄道広島高速交通を含む17事業者が該当することとなる。

一方、日本地下鉄協会は「日本の地下鉄」として、鉄道統計年報における10社局に加えて北総鉄道・埼玉高速鉄道・東葉高速鉄道横浜高速鉄道・広島高速交通を含む15事業者を掲載している[8]。しかし、日本地下鉄協会が毎年発行している「地下鉄営業路線の現況」においては、鉄道統計年報における地下鉄事業者の定義と一致する「東京地下鉄・大阪市高速電気軌道・8都市公営地下鉄」に着目する資料が含まれているほか、「地下鉄営業路線の現況」として掲載された「地下鉄営業キロ」の対象路線は前述のいずれとも一致しない[18]

神戸高速鉄道は、山陽電鉄本線の神戸都心への延長、阪急神戸本線阪神本線の山陽電鉄本線との接続ならびに神戸電鉄有馬線との連絡のために設立された企業で、自社では運行を行わず、地下路線と地下駅施設の保有・管理に特化した運営を行っていた。同社は日本地下鉄協会にも加盟していたが、鉄道事業法の改正にあわせて線路の保有(第三種鉄道事業者)に専念することとなり(阪急・阪神・神鉄が神戸高速線として各駅を管理)、日本地下鉄協会からも脱退した。

鉄道統計年報における地下鉄事業者

  • 全ての事業者が地下高速鉄道整備事業費補助制度の適用対象。
  • 建設中の未開業区間もしくは譲受予定の区間は外数で〈 〉に示す。
  • 駅数には同一名称の駅を重複計上していない。
さらに見る 事業者, 名称 ...

路線図

地下高速鉄道整備事業費補助制度の適用路線

鉄道統計年報における地下鉄事業者以外の地下高速鉄道整備事業費補助制度の適用対象事業者は以下の通り。

  • 建設中の未開業区間もしくは譲受予定の区間は外数で〈 〉に示す。
  • 駅数には同一名称の駅を重複計上していない。
さらに見る 事業者, 路線名 ...

都市高速鉄道の地下区間・地下駅

このほか、一般的には地下鉄として認められないが都市部に地下区間を持つ鉄道路線を紹介する。ただし上記鉄道統計年報における地下鉄事業者地下高速鉄道整備事業費補助制度の適用路線と重複する路線を除く。

旧・都市交通審議会答申において地下鉄路線と一体的に整備する対象とされた路線

旧・都市交通審議会(現在の交通政策審議会)の答申により、都心部の地下鉄と一体的に整備されるべき都市高速鉄道として挙げられた路線である。都市計画行政上は地下鉄と一体で「都市高速鉄道第○号線」または「東京○号線」のように呼ばれることがある[21]。ここに記載された区間は直通先の(狭義の)地下鉄路線と同様の規格となっている。

他路線とは異なる地下鉄規格で整備され地下鉄路線の延長として一体的に運行される路線

地下鉄から延伸された末端区間を民間の別事業者が経営しているものである。直通先の(狭義の)地下鉄路線と車両や路線の規格上は同一で、運行体系も一体的なものとなっているが、旅客案内上は地下鉄としては扱われていない。

地上路線の地下区間

以下の路線・区間については連続立体交差事業や新線建設などで整備された、地下駅を備えた地下区間を有する。ただし旅客案内上は地下鉄と見なされることはなく、単なる地上路線の地下区間である。

日本の大手私鉄のうち、地下線や地下駅を持たないのは南海電気鉄道西日本鉄道(西鉄)の2社のみで、両社は地下鉄などに直通運転するための車両も持たない(ただし南海電気鉄道は建設中のなにわ筋線に乗り入れ予定)。また、東武鉄道には自社管理の地下駅がない(押上駅が東武鉄道の唯一の地下駅だが、管理は東京地下鉄が行っている)。

地下鉄直通の接続駅

以下は(狭義の)地下鉄路線との接続駅付近の地下区間で、地下鉄側の事業者により接続駅の駅業務を担っている場合である。ここまでの一覧に取り上げられていない区間を挙げる。

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構造

要約
視点

地下鉄駅

日本の地下鉄駅の災害などに備えての対策は、世界的に見ても非常に盛んである。その背景には交通営団時代の地下鉄サリン事件が関係している。

東京では墨田区江東区江戸川区などの海抜がマイナスのいわゆるゼロメートル地帯を走行する、東京メトロ東西線都営地下鉄新宿線などに、防水扉が設けられている。

東海豪雨のときは名古屋市営地下鉄名城線平安通駅が冠水したため、名城線市役所駅(現:名古屋城駅) - 砂田橋駅間(当時は砂田橋行)で代行バス運転を行った。そのほかにも、名古屋市営地下鉄鶴舞線の一部駅や名古屋市営地下鉄名港線名古屋港駅では防水扉を設置している。

また、著しく利用客の多い駅では、島式のホームを方向別に千鳥状に分けることによって、利用者の混雑を抑えるところや(例:名古屋市営地下鉄東山線名古屋駅)、新規にホームを新設して方面別に分離する(例:東京メトロ銀座線新橋駅)といった対策がとられている。

照明については、現在のように周囲が普通に見えるような明るさ(照度)になったのは戦後の蛍光灯の普及以降のことで、戦前や戦時中などの白熱電球しかなかった時代には現在の地下鉄駅よりかなり暗く、夜の街灯程度の明るさしかなかった。

集電方式

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Osaka Metro御堂筋線

世界的に地下鉄では主流とされる第三軌条方式(サードレール方式)は、日本では札幌市営地下鉄南北線東京メトロ銀座線丸ノ内線横浜市営地下鉄ブルーライン名古屋市営地下鉄東山線名城線名港線Osaka Metro御堂筋線谷町線四つ橋線中央線千日前線で採用されており、これ以外の路線は剛体架線またはカテナリ吊架式による架線集電方式を採用している。

これは日本では郊外路線との相互直通運転を前提として建設される路線が多いため、既存路線と規格を合わせる必要があることによる。逆にOsaka Metroの御堂筋線と相互直通をする北大阪急行電鉄、中央線と相互直通する近鉄けいはんな線は新規に第三軌条方式で建設された郊外路線である。

車両

車両は古い路線(特に他社との乗り入れを前提に作られた路線)では、地上の鉄道と同様の大型の車両を用いるのが一般的であったが、2000年代以降ではミニ地下鉄が用いられることが増えた。

ミニ地下鉄

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初のミニ地下鉄:Osaka Metro長堀鶴見緑地線
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最急勾配が58‰:横浜市営地下鉄グリーンライン

ミニ地下鉄とは、一般的な地下鉄のように大量人員輸送を担うシステムと、モノレールバスのような少量人員輸送を担うシステムの中間部分を担うために研究・開発された中量軌道輸送システムの一種であり[23][24][25][26]、日本独自の地下鉄システムである[注釈 22]

小断面トンネル・小型車体を採用する地下鉄のうち、リニアモーターカーを用いる場合は「リニアメトロ」「リニア地下鉄」などと呼ばれる。日本ではこの場合、浮上せずに、リニアモーターの動力を車輪に伝えてレール上を走行する「鉄輪式リニアモーターカー」となっている。地下鉄の路線は大きく曲がる箇所が多く、また、100km/h以下で走行するため、リニアモーターを浮上と駆動の双方に用いる磁気浮上式鉄道リニア中央新幹線ほか)のような、線形が直線的で時速数百キロメートルの高速走行を目的とする路線とは建設思想が異なる。

一般の地下鉄や鉄道はその重い車両を駆動するためのモーターも相当の重量があるが、「リニア地下鉄」は車両に重いモーターを搭載しなくてよくなったことで車重が軽くなり、結果、高い性能を得られる。すなわち、登坂能力が 80 まで可能とされる[27]。実際の路線で許可される最急勾配は 60‰ まで[28] とは言え、一般の地下鉄や鉄道で計画される 35‰ を大きく上回ることが出来る[29]。例えば、最新の仙台市地下鉄東西線では、八木山動物公園駅がかなり高い場所にある地下鉄駅(標高136.4m)となっており、途中の青葉山を上るトンネル区間には最急勾配57‰がある。また、約50m (R50) の急曲線でも走行可能とされる[27]。実際の路線では最小曲線半径がおおむね100m (R100) となっているとは言え、一般の地下鉄や鉄道で許可される 160m (R160) と比べて急曲線にも対応できるという特徴も持つ[27][注釈 23]

日本では1962年(昭和37年)より、鉄道にリニアモーターを使用する研究が始まった[29]。当時、全国に国鉄操車場(ヤード)が約50箇所あったが、ヤードの仕分線において人力で貨車を移動させるライダー要員の省力化を目指し、1967年(昭和42年)には自動的に定位置に移動するリニアモーター駆動方式の仕分線内貨車加減速装置「L2形貨車突放装置」が開発され、さらに「L4形貨車加減速装置」を搭載した貨車「L4カー」が各地のヤードで活躍した[30][31]

2度のオイルショックを経て日本の地下鉄建設費は、狂乱物価とよばれたインフレーションもあって50-80億円/km(1975年頃)から約200億円/km(1980年頃)に上昇し、さらに300-400億円/km(1980年代末)になろうとしていたため費用対効果が悪化した[29]。しかし、ラッシュ時定員を超えて満員電車に乗車させる押し屋が登場するほど都市交通需要は増加しており、またモータリゼーションによる交通戦争大気汚染など都市問題解決に地下鉄は必要な交通手段だった。そのため1976年(昭和51年)に小断面地下鉄にリニアモーター搭載電車を走行させる構想が提言され[31]、1980年代に日本鉄道技術協会日本地下鉄協会によって実用化に向けた本格的な取り組みがなされ[29]1990年(平成2年)開業の大阪市営地下鉄鶴見緑地線(現・長堀鶴見緑地線)で初めて実用化された[注釈 24]

さらに見る 名称, 路線 ...

従来の地下鉄に比べてリニア地下鉄は消費電力がやや大きくなる。原因としてリニア誘導モータ特有の損失と、一次側とリアクションプレートとの隙間が多いことが挙げられる。単位重量あたり単位距離あたりの消費電力で比較すると、惰性で走行できる距離(惰行区間)が長いほど消費電力が少なくなるため、駅間距離が長く曲線が緩やかな普通鉄道と比べて従来型地下鉄およびリニア地下鉄は多くなるが、駅間距離が短く、信号停止が多く、急な曲線が多く、さまざまな機材を載せなくてはいけない路面電車と比べると少なくなっている。

さらに見る 種類, 単位重量あたり単位距離あたり の消費電力 ...

地下鉄の地上区間

都心から外れた郊外の区間や河川を跨ぐ前後などを中心にして、広範囲に地上や掘割、高架を走っている場合がある。中には高速道路と一体構造で建設されている路線もある。

直通路線の接続駅

以下は(狭義の地下鉄以外の)鉄道路線との接続駅付近の地上区間で、直通先の事業者により接続駅の駅業務を担っているか、直通先の事業者から移管された事例である。ここまでの一覧に取り上げられていない区間を挙げる。

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日本の地下鉄の特徴

要約
視点

日本の法規上では、地下高速鉄道整備事業費補助制度の適用対象路線は、Osaka Metroを除き鉄道事業法に基づいている。

東京都心

東京都心については、JR山手線内は基本的に私鉄の路線は乗り入れておらず、JR中央線と縦横無尽に張り巡らされた地下鉄が都内中心部の鉄道交通の役割を担っている。

  • 民間会社の東京地下鉄道による浅草駅 - 上野駅間(現在の東京メトロ銀座線)は日本初の本格的地下鉄路線であり、なおかつ東洋初の地下鉄として知られる。
  • 他の日本の都市と異なり、東京地下鉄(東京メトロ)と東京都交通局都営地下鉄)の2つの事業者が存在しており、料金体系などは未だに一元化されていない。東京メトロの方が路線数・駅数・利用者数ともに都営地下鉄より多く、銀座線丸ノ内線東西線といった都内中心部を走り、利用者数の多い路線を多く持つ。
  • 地下鉄利用者数日本一は東西線で、都心部と城東地域・千葉県葛南地域を結ぶ大動脈となっている。
  • 銀座線のバイパス路線である半蔵門線は駅間距離を広げて速達性を持たせている。また、都営新宿線の急行(昼間のみ運行)、都営浅草線のエアポート快特、副都心線の急行・通勤急行は都心区間の駅を通過する。一方、東西線の快速・通勤快速は都心部では各駅に停車する。
  • 13路線ある地下鉄路線のうち特殊な規格の銀座線丸ノ内線大江戸線以外は全て私鉄やJRの郊外路線と直通運転を行なっており、直通運転が盛んに行われている。路線の両端で相互直通運転が行われる例も多く、とりわけ副都心線は東京メトロを含めて6社が乗り入れる。
  • 地下鉄はすべて皇居の下を避けるように周囲に迂回して建設されている(ただし、江戸城の堀の下を通る路線は複数存在する)。皇居の下を通しても途中駅の造りようがないのに対し、皇居を迂回して周りに広がっている各拠点を通った方が、多くの人が乗って収益が見込める点もある。その上、皇居は天皇の住まいであるという観点から、警備上の問題などもあり、皇居の地下に地下鉄を通すことを今まで認められたことはない。

大阪都心

大阪では、大阪城跡が現在の業務中心地からややはずれた一角にあることと、地下鉄路線網が格子型のペーターゼン式で網の目にむらがないため、皇居のような問題はほとんどない。各路線は大阪環状線(同記事も参照)の内側では、ほぼ南北の筋と東西の通りに沿って建設され、かつて存在した市営モンロー主義の名残もあり、御堂筋線を中心として市内交通の主力になっている。東京とは異なり、JRの大阪環状線は御堂筋線などの地下鉄路線を補完する存在となっている。ただし、私鉄やJRとの相互乗り入れが活発でなく、私鉄やJRの駅から地下鉄の駅に到着するまでの乗り換え回数が多くなる傾向がある。

日本の地下鉄で最も利益を上げている御堂筋線(かつては地下鉄利用者数日本一だった)の梅田駅の乗降客数は、日本の地下鉄の単一路線の駅としては第1位である(2007年11月13日の梅田駅での乗降客数は460,859人となっている[34])。

名古屋都心

名古屋では大阪同様、都心部においては碁盤の目状に張り巡らされた大通りの地下に沿って建設された。路線同士の交差部では必ず駅が設けられている。市内最大の繁華街であるやターミナル駅である名古屋駅を結び、最初に建設された東山線が主力路線となっている。

名古屋市営地下鉄では6路線のうち初期に開業した3路線(東山線・名城線・名港線)が第三軌条、比較的新しい3路線(鶴舞線・桜通線・上飯田線)が 名古屋鉄道等への直通運転を考慮した架空電車線方式を採用しており、うち2路線(鶴舞線・上飯田線)は名古屋鉄道と直通運転を行っている。

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日本の地下鉄における優等列車

要約
視点
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日本の地下鉄で初めて快速運転を実施した東西線

基本的に、日本の地下鉄では次の理由などから、各駅停車のみの運転を行っている路線や、東京メトロ半蔵門線など他社線内では優等種別として運転していても地下鉄線内では各駅に止まる場合が多い。

  • 道路の下に沿っているうえ、既存の地下鉄や地下街の間を網の目を縫うように掘られるため、結果多くの区間でアップダウンやカーブが激しくなり、高速運転に不向き。
  • 地下鉄は建設費が莫大でさらに近隣の地下の使用状況を考えると、優等列車の待避設備などを設けるだけの予算や場所の捻出が困難。
  • 地下鉄は基本的にその都市の中心部に建設されるため多くの駅で利用者が多く、こまめに停車した方が多くの収益が見込める。また、多くの駅で乗り換え路線が何線かあり旅客の流動性が激しいことから、優等種別の停車駅設定が困難かつ優等種別の存在意義が薄い。

日本で初めて優等列車を導入したのは東京メトロ東西線の快速列車である。ただし地下区間での通過運転は南砂町駅だけであり、緩急運転を行う大半の区間は地上区間である。

日本の地下鉄において、ニューヨーク市地下鉄のように緩急分離運転の可能な複々線で敷設された路線はなく[注釈 29]、緩急接続・待避が可能な地下駅も限られているため、優等列車の設定のある路線でも地下区間での追い越しを行わない路線も多い。地下区間で待避を行うのは、東急新玉川線(現・田園都市線)急行の桜新町駅での事例が最初(ただし上記定義の (2) には相当しない区間である)。一般に地下鉄と呼ばれる区間では都営地下鉄新宿線岩本町駅大島駅瑞江駅東京メトロ副都心線東新宿駅も同様の構造を持つ。

このほか特殊な事例として、東京メトロ千代田線から小田急小田原線経由小田急箱根鉄道線直通による、狭義の地下鉄では初となる有料の特急列車の運行(小田急ロマンスカー#他社からの乗り入れを参照)、東京メトロ日比谷線から東急東横線経由みなとみらい線直通による「みなとみらい号」(多客期のみ・運行終了)。一方、日本の地下鉄では唯一特別料金不要の Osaka Metro堺筋線から阪急京都本線経由嵐山線直通による臨時特急(阪急京都本線#嵐山線直通臨時列車を参照)の事例がある。いずれも、地下鉄区間から観光地への利便性を図ったものであり、他路線における緩急分離運転とは目的が異なる。

日本の地下鉄における優等列車一覧

定期列車、かつ地下鉄線内で通過駅を伴う優等種別として案内されている場合について記す。各系統の詳細については当該路線記事を参照のこと。

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日本の地下鉄の経営状況

要約
視点

地下鉄は建設費が高額なため、新しく建設された路線は建設費の償却負担が重く、赤字経営となっているのが多い。それに対して、都市経営の観点から一等地を通る優良路線から建設された側面もあり、古い路線ほど利用客の多いルートを通っている上、インフレの進む前のコストが安い時期に建設されて償却費負担が軽いため、銀座線丸ノ内線御堂筋線東山線などの歴史ある路線は全て黒字経営である。そのため、こうした古くから営業している償却負担が少なくて利用者の多い優良路線を多数抱え、新線建設が比較的少ない東京地下鉄は黒字経営となっている。

日本の公営地下鉄は、地方自治体経営における交通部門の施策の一つとして、鉄道単体の収支以外に地下鉄建設による環境負荷軽減効果、渋滞緩和効果、地価上昇効果、税の増収効果、住民の便益向上効果などを、総合的に判断して経営されている。

民鉄やJRの経営状況を鉄道事業以外の小売事業やカード事業など母体会社の連結対象となる事業を含めた決算資料で判断しなければ、適正な経営状況を把握できないのと同様、地方自治体の地下鉄事業による総合的な収支の把握は、その連結対象となる経済効果の経済価値を含めて判断しなければならない。

しかし、現状では、地下鉄事業によって波及して発生している経済効果を把握していく適切かつ統一した会計基準がないばかりか、地下鉄事業本体の会計に至っても適切かつ統一した会計基準がない状況である。

例を挙げれば、減価償却費を各自治体が、どのように計上していくかによって決算の数字が大きくブレる可能性がある。また札幌市営地下鉄福岡市地下鉄のように赤字分を市一般会計から補填するかたちで総額のうえで黒字計上としている場合もある。

以下に示すのは、各社局によって公表されている「地下鉄決算」の断片を拾ったデータだが、通常、よく目にする損益計算書とは意味が大きく異なる資料であることを認識して取り扱わなければ地下鉄事業の意義を見誤ることになる。

▲は赤字を示す。

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路線別

全国の公営地下鉄(東京地下鉄・大阪市高速電気軌道除く)で黒字の路線は、黒字額が大きい順に示すと以下のようになる。

さらに見る 路線名, 会計年度 ...

以上の路線が黒字を示している。また、各路線の黒字額は不明だが、平成18年度の福岡市地下鉄空港線福岡市地下鉄箱崎線両線の黒字額は合わせて約39億1000万円となっている[53]

なお札幌市営地下鉄東豊線においては一般会計からの補助金による営業外収入により黒字決算扱いとなってはいるが、実質的には赤字が発生しているものと推察される。

逆に、赤字額が大きい路線を順に示すと以下のようになる。

さらに見る 路線名, 会計年度 ...

の順で赤字が大きくなっている(支出には減価償却費も含むので収入に対する営業支出が多い路線を意味するとは限らない。減価償却=「損失」ではないが、建設された時期の遅い新しい路線ほど減価償却費が多く、損失が大きい傾向にある。代表的な例として大江戸線を例にとると建設費に対する減価償却が損失の大半を占めており、減価償却前のランニングコストだけの段階では黒字経営となっている。)。

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輸送状況

要約
視点

日本全国の公営地下鉄と東京地下鉄・大阪市高速電気軌道の各路線の1日平均輸送人員を、下記に表す。路線別の平均輸送人員には乗り継ぎ分を含む。2012年度(平成24年度)、2016年度(平成28年度)2019年度(平成30年度)2022年度(令和4年度)の数値(日本地下鉄協会ホームページより)。

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脚注

関連項目

外部リンク

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