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2009年の阪神タイガース
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2009年の阪神タイガース(2009ねんのはんしんタイガース)では、2009年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
この年の阪神タイガースは、真弓明信監督の1年目のシーズンである。
概要
前年、2位ながら辞任した岡田前監督に替わり急遽就任した真弓新監督のもと船出した。チームは開幕から金本知憲一人が気を吐いたが、第2回WBC日本代表に選ばれた岩田稔、正捕手の矢野燿大、久保田智之らが故障で開幕に間に合わず出遅れ[1][2][3]、新井・鳥谷・藤川・新外国人のケビン・メンチらの成績不振[4]により、シーズン序盤から低迷した[5]。5月の終わりに前年西武で27本塁打打っていたクレイグ・ブラゼルを獲得し[6]デビュー9戦で5HRなどで気を吐いたが、投打がかみ合わず前半戦終了時で5位と低迷した。
後半戦は能見篤史が先発として一本立ちし、出遅れていた岩田や矢野の復帰、主力の新井や鳥谷などの復調、若手の桜井や狩野などの活躍などによりチーム状態を建て直した。ヤクルトが調子を落としたこともあり、広島と共にクライマックスシリーズの出場資格となる3位争いに加わった[7]が、最後の最後でヤクルトとの直接対決2連戦で1勝1分けで3位確定のところ連敗を喫し、真弓阪神の1年目は4位に終わった。
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チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 中 | 赤星憲広 |
---|---|---|
2 | 一 | 関本賢太郎 |
3 | 遊 | 鳥谷敬 |
4 | 左 | 金本知憲 |
5 | 三 | 新井貴浩 |
6 | 右 | メンチ |
7 | 捕 | 狩野恵輔 |
8 | 二 | 平野恵一 |
9 | 投 | 安藤優也 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 89 | 46 | 9 | .659 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 81 | 62 | 1 | .566 | 12.0 |
3位 | 東京ヤクルトスワローズ | 71 | 72 | 1 | .497 | 22.0 |
4位 | 阪神タイガース | 67 | 73 | 4 | .479 | 24.5 |
5位 | 広島東洋カープ | 65 | 75 | 4 | .464 | 26.5 |
6位 | 横浜ベイスターズ | 51 | 93 | 0 | .354 | 42.5 |
日本生命 セ・パ交流戦2009
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 福岡ソフトバンクホークス | 18 | 5 | 1 | .783 | 優勝 |
2位 | 東京ヤクルトスワローズ | 15 | 9 | 0 | .625 | 3.5 |
3位 | 広島東洋カープ | 14 | 9 | 1 | .609 | 4.0 |
4位 | 中日ドラゴンズ | 14 | 9 | 1 | .609 | 4.0 |
5位 | 読売ジャイアンツ | 12 | 9 | 3 | .571 | 5.0 |
6位 | 北海道日本ハムファイターズ | 12 | 11 | 1 | .522 | 6.0 |
7位 | 埼玉西武ライオンズ | 11 | 11 | 2 | .500 | 6.5 |
8位 | 千葉ロッテマリーンズ | 9 | 12 | 3 | .429 | 8.0 |
9位 | 阪神タイガース | 9 | 13 | 2 | .409 | 8.5 |
10位 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 9 | 15 | 0 | .375 | 9.5 |
11位 | オリックス・バファローズ | 8 | 16 | 0 | .333 | 10.5 |
12位 | 横浜ベイスターズ | 6 | 18 | 0 | .250 | 12.5 |
- 同率の場合は前年の順位で上位のチームが上位にランクされる
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入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
入団
退団
シーズン開幕後
本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの入退団について記述する。
入団
退団
マツダオールスターゲーム2009
→詳細は「2009年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 太字はファン投票による選出、※印は選手間投票による選出、他は監督推薦による選出。
- 選出回数の括弧内数字は故障のため不出場の回数。
選手・スタッフ
首脳陣
一軍
二軍
所属選手
投手
捕手
内野手
外野手
その他スタッフ
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試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(144イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
打撃成績
- 色付きは規定打席(446打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
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表彰
達成記録・出来事
- 2月28日 - 阪神甲子園球場の第2期改修工事が完了
- 3月3日 - 新外国人選手でWBC台湾代表などの鄭凱文との契約が成立[8][9]
- 3月4日 - 橋本健太郎とロッテの久保康友の交換トレードの成立が両球団より発表[10][11]
- 4月4日 - 赤星憲広がヤクルト2回戦(京セラドーム京セラドーム)で3回に由規―相川亮二のバッテリーから吉田義男の持っていた球団通算盗塁を更新する351盗塁目を記録
- 4月8日 - 金本知憲が広島2回戦(甲子園)で3打席連続本塁打を記録。41歳5日での3打席連続本塁打は王貞治(巨人)が1979年5月9日の中日4回戦(ナゴヤ)で打った時の38歳11か月を更新する史上最年長記録。1試合3本塁打も王貞治(巨人)が1980年7月14日のヤクルト戦(神宮)で打った39歳2か月を更新する史上最年長記録
- 4月10日 - 金本知憲が巨人1回戦(東京ドーム)で3打席連続本塁打を記録し、自身が2日前に作った3打席連続本塁打、1試合3本塁打の史上最年長記録を更新
- 4月23日 - 金本知憲が中日5回戦(ナゴヤドーム)で9回に岩瀬仁紀から二塁打を放ち、阪神移籍後通算1000安打、広島でも1179安打を打ってるので2球団で1000安打は大杉勝男(日本ハム・ヤクルト)に次ぐ2人目
- 4月25日 - 福原忍が広島5回戦(マツダ)で2回二死から喜田剛を二ゴロに打ち取り通算1000投球回、史上317人目
- 5月3日 - 金本知憲が巨人5回戦(甲子園)で先発出場し1500試合連続出場。衣笠祥雄(広島)に次ぐ史上2人目
- 5月12日 - 金本知憲が広島7回戦(甲子園)で9回に横山竜士からサヨナラ本塁打を放ち、球団通算7000号本塁打、史上7球団目
- 5月28日 - 前西武のクレイグ・ブラゼルの獲得を発表。1年契約で背番号は67[12]
- 7月11日 - 藤田太陽と西武の水田圭介のトレードが成立[13]
- 7月14日 - 久保康友が中日9回戦(甲子園)に先発登板し勝利を挙げたことにより、全球団勝利を達成、史上7人目
- 7月27日 - 育成選手の野原祐也を支配下選手登録、背番号は123から94に変更[14]
- 8月6日 - 金本知憲が中日14回戦(ナゴヤドーム)で1回に川井雄太から二塁打を放ち通算4000塁打、史上6人目[15]
- 8月26日 - クレイグ・ブラゼルが横浜17回戦(横浜)で5回にレス・ウォーランドから本塁打を放ち、打者一巡でもう一度巡ってきた打席で高崎健太郎からも本塁打を放ち1イニング2本塁打、史上18人目(20度目)
- 9月5日 - 新井貴浩が広島19回戦(マツダ)で8回にマイク・シュルツから三振を喫し通算1000三振、史上46人目
- 9月12日 - 赤星憲広が横浜20回戦(甲子園)で3回の守備の際、内川聖一の右中間の飛球にダイビングキャッチを試みた直後に動けなくなり、後日、頸椎椎間板ヘルニアの悪化と中心性脊髄損傷が判明
- 9月18日 - 秀太の現役引退を発表[16]
- 9月21日 - 金本知憲が横浜22回戦(横浜)3回に三浦大輔から三振を喫し通算1500三振、史上8人目
- 9月29日 - 金本知憲がヤクルト20回戦(神宮)で3回に由規から二塁打を放ち通算400二塁打、史上10人目
- 10月1日 - 木興拓哉、辻本賢人に戦力外通告[17]
- 10月2日 - 前田忠節に戦力外通告[18]。藤原通が現役引退を表明[19]
- 10月10日 - 今岡誠に戦力外通告、今岡は記者会見で現役続行を表明[20]
- 10月15日 - 二軍投手コーチの星野伸之から出ていた辞任の申し出を承認した事を発表[21]
- 10月16日 - 一軍打撃コーチの片岡篤史[22]と、二軍守備走塁コーチ永尾泰憲の就任を発表[23]
- 11月6日 - ジェフ・ウィリアムス、スコット・アッチソンが退団
- 11月13日 - 前シアトル・マリナーズの城島健司と正式契約し、入団発表を行った。背番号は2[24]
- 11月16日 - 水田圭介の背番号が15から32へ、柴田講平の背番号2から00に変更[25]
- 12月9日 - 赤星憲広が現役引退を表明[26]
- 12月10日 - 新外国人選手のランディ・メッセンジャーと契約の締結を発表[27]
ドラフト指名選手
→詳細は「2009年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
2009 WBC選出選手
出典
Wikiwand - on
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