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2012年の阪神タイガース
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2012年の阪神タイガース(2012ねんのはんしんタイガース)では、2012年の阪神タイガースにおける動向をまとめる。
2012年の阪神タイガースは、和田豊監督の1年目のシーズンである。
概要
前打撃コーチの和田豊が新監督に就任[1]、ヘッドコーチに有田修三、和田の要望で外野守備・走塁コーチに関川浩一を迎え入れ[2]、ファームからは藪恵壹投手コーチ、高橋光信打撃コーチが昇格した[3]。投手陣は、チーム在籍9年間で80勝を挙げた下柳剛が自由契約となり、楽天に移籍した。野手陣では、ドラフト1位で伊藤隼太を指名した。また、球団設立以来初めてキャプテン制度を導入し、野手に鳥谷敬、投手に藤川球児がそれぞれ就任した[4]。ペナントに入ると統一球により野手陣の打撃成績が前年比よりさらに悪化。それでも交流戦が終わるまでは投手陣の踏ん張りでなんとか5割前後にいたが、交流戦明け2カード目の中日戦(ナゴヤドーム)から8月半ばの広島戦(京セラドーム)までの36試合で8勝26敗2分でペナントから脱落する[5][6][7]。7月3日の広島9回戦(松山)では1点リード9回二死二、三塁の一打逆転のピンチで打者を3ストライク目の空振りをとったものの、捕手が捕球出来ずファールゾーンを転がっている間に、二者生還し逆転負けを喫する[8]など噛み合わない日々が続き、主力の怪我、8月17日の対ヤクルト戦ではマット・マートンが守備でのミスを巡って関川と衝突した[9]。めぼしい若手もほとんど出てこず、終盤はDeNAとの5位争いに終始した。金本知憲が現役引退し、成績低迷の責任を取って有田と1軍打撃コーチの片岡篤史が辞任、中村勝広が9月5日付で球団初のゼネラルマネージャーに就任した。ドラフト会議では、大阪桐蔭高校の藤浪晋太郎を4球団競合の末、獲得した[10]。
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レギュラーシーズン
1 | 二 | 平野恵一 |
---|---|---|
2 | 中 | 柴田講平 |
3 | 遊 | 鳥谷敬 |
4 | 三 | 新井貴浩 |
5 | 一 | ブラゼル |
6 | 左 | 金本知憲 |
7 | 右 | 伊藤隼太 |
8 | 捕 | 藤井彰人 |
9 | 投 | 能見篤史 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 86 | 43 | 15 | .667 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 75 | 53 | 16 | .586 | 10.5 |
3位 | 東京ヤクルトスワローズ | 68 | 65 | 11 | .511 | 20.0 |
4位 | 広島東洋カープ | 61 | 71 | 12 | .462 | 26.5 |
5位 | 阪神タイガース | 55 | 75 | 14 | .423 | 31.5 |
6位 | 横浜DeNAベイスターズ | 46 | 85 | 13 | .351 | 41.0 |
交流戦
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 17 | 7 | 0 | .708 | 優勝 |
2位 | 北海道日本ハムファイターズ | 14 | 8 | 2 | .636 | 2.0 |
3位 | 千葉ロッテマリーンズ | 12 | 7 | 5 | .632 | 2.5 |
4位 | 中日ドラゴンズ | 12 | 8 | 4 | .600 | 3.0 |
5位 | 埼玉西武ライオンズ | 13 | 11 | 0 | .542 | 4.0 |
6位 | 広島東洋カープ | 10 | 11 | 3 | .476 | 5.5 |
7位 | オリックス・バファローズ | 10 | 13 | 1 | .435 | 6.5 |
8位 | 阪神タイガース | 9 | 12 | 3 | .429 | 6.5 |
9位 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 10 | 14 | 0 | .417 | 7.0 |
10位 | 横浜DeNAベイスターズ | 9 | 14 | 1 | .391 | 7.5 |
11位 | 福岡ソフトバンクホークス | 8 | 13 | 3 | .381 | 7.5 |
12位 | 東京ヤクルトスワローズ | 9 | 15 | 0 | .375 | 8.0 |
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入団・退団
シーズン開幕前
本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。
シーズン開幕後
本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの入退団について記述する。
入団
退団
選手・スタッフ
試合結果
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個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(144イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
- 完封合計は継投も含む
打撃成績
- 色付きは規定打席(446打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高。
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表彰
- 能見篤史
- 最多奪三振 172奪三振(初受賞)
- 新井良太
- スカパー! サヨナラ賞(9月)
達成記録・出来事
- 1月31日 - 新ユニフォームを発表
- 4月7日 - ヤクルト2回戦(神宮)で勝利し、DeNAが中日2回戦(横浜)で敗戦を喫し、通算の敗戦数が14年遅れて1950年のシーズンよりプロ野球に加わったDeNAに通算敗戦数で初めて並ぶ(4775勝4440敗284分で、DeNAが3548勝4440敗264分)
- 4月11日 - 藤川球児が広島2回戦(マツダ)で3点リードの9回から登板し1回無失点に抑え通算200セーブ[11]、史上5人目
- 4月11日 - クレイグ・ブラゼルが広島2回戦(マツダ)で5回に挑発行為により退場[12]。(翌12日に厳重注意、制裁金10万円の処分)[13]
- 5月8日 - 金本知憲が広島7回戦(新潟)で7回に今村猛から安打を放ち通算2472安打で、大卒最多通算安打の長嶋茂雄(巨人)を抜く新記録
- 6月2日 - 金本知憲が日本ハム3回戦(札幌ドーム)で先発出場し通算2500試合出場。史上9人目[14]
- 6月3日 - 金本知憲が日本ハム4回戦(札幌ドーム)で5回に武田勝からの適時二塁打を放ち通算1500打点、史上9人目で44歳2か月の史上最年長の達成となった[15]
- 6月27日 - 中日8回戦(ナゴヤドーム)で敗戦を喫し、通算の勝利数で中日と並ぶ。並ぶのはNPB初年度の1936年7月17日に中日(当時名古屋軍)が巨人に勝って7勝で並んだ以来76年ぶり(4801勝4469敗290分、中日は4801勝4424敗321分)
- 6月28日 - 金本知憲が中日9回戦(ナゴヤドーム)で7回に岩田慎司からの二塁打で通算2500安打、史上7人目で大卒では史上初
- 7月1日 - ヤクルト8回戦(神宮)で敗戦を喫し、2リーグ制以降で球団通算4000敗(4072勝4000敗257分)、史上5球団目
- 7月3日 - 広島9回戦(松山)で1点リードで9回二死二、三塁で榎田大樹―小宮山慎二のバッテリーが梵英心をカウント2-2から空振りを奪ったが捕手が捕球しきれず、一塁側に大きくはじき、二者の生還を許しそのまま逆転負け
- 7月10日 - 藤川球児が中日10回戦(甲子園)でセーブを挙げ甲子園球場通算100セーブ、同一球場100セーブは史上3人目
- 7月14日 - 平野恵一がヤクルト9回戦(甲子園)で先発出場し通算1000試合出場、史上453人目
- 7月17日 - 新井良太が巨人14回戦(甲子園)で5回にディッキー・ゴンザレスから本塁打を放ち2リーグ分立以降の球団通算7000号、史上9球団目
- 8月1日 - 久保康友がヤクルト12回戦(甲子園)で4回一死から畠山和洋を見逃し三振に打ち取り通算1000投球回、史上328人目
- 8月30日 - DeNA21回戦(横浜)で敗戦を喫し、球団通算4500敗(4815勝4500敗294分)、史上5球団目
- 9月5日 - 球団初のGMにOBで1990年から1995年途中まで監督を務めた中村勝広が就任[16]
- 9月12日 - 金本知憲が今季限りでの現役引退を表明
- 9月15日 - 鳥谷敬が巨人23回戦(東京ドーム)で4回にデニス・ホールトンから本塁打を放ち通算100本塁打、史上266人目
- 9月28日 - 城島健司が今季限りでの現役引退を表明[17]
- 9月29日 - 鄭凱文に対し戦力外通告した[18]
- 10月2日 - 小林宏、蕭一傑、松崎伸吾、石川俊介、横山龍之介、吉岡興志、野原祐也、甲斐雄平に戦力外通告[19]
- 10月16日 - 2013年のコーチ陣を発表[20]
- 11月8日 - 藤川球児が海外FA権を行使してMLBに挑戦することを表明した[21]
- 11月20日 - 西岡剛と正式契約。2年契約で、背番号は7[22]
- 11月27日 - オリックスからFAした日高剛が入団、背番号は37[23]
- 12月25日 - FA宣言していた平野恵一がオリックスに移籍することがオリックス球団より発表された[24]
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ドラフト指名選手
出典
Wikiwand - on
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