1987年の野球(1987ねんのやきゅう)では、1987年の野球界における動向をまとめる。
日本プロ野球
日本シリーズ
さらに見る 日付, 試合 ...
1987年 日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月24日(土) | 第1戦 | 雨天中止 | 西武ライオンズ球場 |
10月25日(日) | 読売ジャイアンツ | 7 - 3 | 西武ライオンズ |
10月26日(月) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 0 - 6 | 西武ライオンズ |
10月27日(火) | 移動日 |
10月28日(水) | 第3戦 | 西武ライオンズ | 2 - 1 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月29日(木) | 第4戦 | 西武ライオンズ | 0 - 4 | 読売ジャイアンツ |
10月30日(金) | 第5戦 | 西武ライオンズ | 3 - 1 | 読売ジャイアンツ |
10月31日(土) | 移動日 |
11月1日(日) | 第6戦 | 読売ジャイアンツ | 1 - 3 | 西武ライオンズ | 西武ライオンズ球場 |
優勝:西武ライオンズ(2年連続7回目) |
閉じる
個人タイトル
さらに見る セントラル・リーグ, パシフィック・リーグ ...
閉じる
ベストナイン
さらに見る セントラル・リーグ, パシフィック・リーグ ...
閉じる
1月
- 1月22日 - 野球体育博物館に表彰掲載される競技者表彰委員会が開票され、該当者なしの結果に[1]。
- 1月27日 - プロ野球実行委員会が東京・芝の東京グランドホテルにて開かれ、日本シリーズは7戦まで延長18回まで、8戦以降を延長無制限。オープン戦での指名打者制は監督の同意があればセ・パ両リーグの本拠地球場での採用を可能とする、などを決定[2]。
6月
- 6月2日 - 中日の落合博満がナゴヤ球場での対大洋9回戦の七回裏に12号本塁打を放ち、プロ通算1000安打を達成[34]。
- 6月5日 - 神宮球場にてヤクルト対中日5回戦で中日がヤクルトに9-6で勝利し、球団通算3000勝を達成[35]。
- 6月7日
- 阪急の弓岡敬二郎が対ロッテ9回戦の七回表に犠打を決め、プロ通算200犠打を達成。パ・リーグの選手で史上初めて通算200犠打の達成者となった[36]。
- 阪神の竹之内雅史打撃コーチが札幌でチームの打撃不振を理由に球団に辞意を表明[37]。
- 6月11日
- 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対大洋9回戦に出場し、メジャー・リーグのルー・ゲーリッグの記録と並ぶ2130試合連続出場を達成[38]。
- 藤崎台県営野球場で行われた巨人対中日12回戦で7回2死二塁の場面で、中日の宮下昌己の初球がウォーレン・クロマティのヘルメットに直撃し、これに激昂したクロマティが宮下に殴りかかり、両チーム入り乱れての乱闘となる。クロマティは退場処分を受け、殴られた宮下はその後の乱闘もあり、全治10日間のけが。試合は5-1で巨人が勝利[39][40]。
- 6月12日 - 巨人は11日の中日戦で乱闘騒ぎを起こしたウォーレン・クロマティに対し12日から謹慎5日間、罰金30万円の処分を課したと発表[41]。
- 6月13日 - 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対中日10回戦に出場して2131試合連続出場を達成し、ルー・ゲーリッグの持つメジャー記録の2130試合連続試合出場の記録を更新[42]。
- 6月14日 - 広島の衣笠祥雄が徳山市野球場での対中日11回戦の4回裏に10号本塁打を放ち、プロ通算2500安打を達成。史上4年目。また、20年連続2桁本塁打は王貞治、野村克也の21年連続に次ぐもので、張本勲に並んだ[43]。
- 6月15日 - 政府は連続試合出場の新記録を達成した広島の衣笠祥雄に対し国民栄誉賞を贈ることを決定[44]。
- 6月16日
- 南海の門田博光が前橋で行われた日本ハム対南海9回戦の七回表一塁走者として加藤英司の本塁打で生還し、プロ通算1000得点を達成[45]。
- 広島のリチャード・ランスが神宮球場での対ヤクルト8回戦の3回表に21号本塁打を放ち、6試合連続本塁打の球団タイ記録を達成[46]。
- 阪神の竹之内雅史打撃コーチが甲子園球場内の球団事務所で岡崎義人球団社長と会談し、正式に退団が決定した[47]。
- 6月19日 - 南海の山村善則が川崎球場での対ロッテ11回戦の一回表に3号満塁本塁打を放ち、これがパ・リーグ通算500満塁本塁打となる[48]。
- 6月23日 - 巨人の原辰徳が後楽園球場での対阪神10回戦の九回裏に16号2点本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[49]。
- 6月25日 - 広島の高橋慶彦が広島市民球場での対中日14回戦の五回裏に二盗を決め、プロ通算400盗塁を達成[50]。
7月
- 7月4日 - 巨人の篠塚利夫が甲子園球場での対阪神14回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[51]。
- 7月8日
- 巨人の桑田真澄が札幌円山球場での対広島11回戦で勝利投手となってシーズン10勝目を挙げ、1967年の江夏豊、堀内恒夫が記録して以来の20年ぶり10代での2ケタ勝利を記録[52]。
- 5月23日に柏崎で日没サスペンデッドゲームとなった南海対ロッテ7回戦の続きが、八回表ロッテの攻撃の一死無走者の場面で平和台球場にて再開される。試合は5対4で南海がサヨナラ勝ち[53]
- 7月18日 - 阪神の掛布雅之が対中日16回戦に先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[54]。
12月
- 12月4日 - 巨人は大阪・北区の読売新聞大阪本社会議室にて阪急の簑田浩二を金銭トレードで獲得したと正式に発表[118]。
- 12月10日 - 阪神の長崎啓二の任意引退が決定[119]。
- 12月14日 - 西武の東尾修がさる8月6日に港区麻布のマンションにてマージャン賭博に参加していた疑いで警視庁捜査四課と大崎警察署に書類送検されていたことが明らかになる[120]。
- 12月21日 - 西武はマージャン賭博に参加していた東尾修に対し、12月21日から来年6月20日までの謹慎6カ月、減俸2500万円。球団代表の坂井保之と管理部長の根本陸夫に対し管理不行き届きで今月から1年間10%の減俸を科したと発表[121]。
読売新聞1987年1月23日17面「金田・長島の野球殿堂入りまた見送り」読売新聞縮刷版1987年1月p869
読売新聞1987年1月28日17面「オープン戦DH採用もOK プロ野球実行委」読売新聞縮刷版1987年1月p1079
読売新聞1987年3月23日夕刊19面「掛布選手、飲酒運転で逮捕」読売新聞縮刷版1987年3月p949
読売新聞1987年3月24日17面「来季は4月6日開幕」読売新聞縮刷版1987年3月p967
読売新聞1987年3月28日28面「阪神主砲"連続アウト" バース 飛ばし過ぎ」読売新聞縮刷版1987年3月p1165
読売新聞1987年4月2日夕刊15面「パ・リーグ会長 元共同通信社長 福島慎太郎氏が死去」読売新聞縮刷版1987年4月p89
読売新聞1987年4月10日17面「プロ野球 開幕前日の衝撃 高橋(広島)2週間謹慎、欠場 激励会、練習ボイコット」読売新聞縮刷版1987年4月p413
読売新聞1987年4月13日8面「阪急が2500勝」読売新聞縮刷版1987年4月p524
「通算100号本塁打」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)4月15日付朝刊、19面(スポーツ面)。
「1000試合出場」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)4月15日付朝刊、19面(スポーツ面)。
読売新聞1987年4月16日17面「ホーナー、ヤクルトと正式契約」読売新聞縮刷版1987年4月p661
「巨人600勝は2球団目」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)4月25日付朝刊、19面(スポーツ面)。
読売新聞1987年4月26日17面「田島の現役登録抹消 コーチに暴言」読売新聞縮刷版1987年4月p1125
「田島投手、三日間謹慎」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)4月26日付朝刊、23面(スポーツ面)。
「1000試合出場」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)4月26日付朝刊、22面(スポーツ面)。
「門田が3500塁打」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)4月26日付朝刊、23面(スポーツ面)。
読売新聞1987年4月27日8面「広島まさかの連敗 角が決勝の100号」読売新聞縮刷版1987年4月p1148
読売新聞1987年4月30日17面「巨人・篠塚が1000本安打」読売新聞縮刷版1987年4月p1261
読売新聞1987年5月3日17面「星野監督"暴力"退場 タッチめぐり伊勢コーチも 杉本沈着、初完投」読売新聞縮刷版1987年5月p101
読売新聞1987年5月3日16面「南海・門田が300二塁打」読売新聞縮刷版1987年5月p100
読売新聞1987年5月3日17面「大洋も14安打 阪神8連敗」読売新聞縮刷版1987年5月p101
読売新聞1987年5月5日17面「阪神・真弓明信外野手(三三)が通算200号本塁打」読売新聞縮刷版1987年5月p157
読売新聞1987年5月8日16面「加藤英2000本安打を達成 旧友・山田から記念アーチ」読売新聞縮刷版1987年5月p254
「広島の森脇と永田、南海・西山トレード」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)5月14日付朝刊、23面(スポーツ面)。
読売新聞1987年5月16日15面「リー、1500本安打 ハムは5連勝」読売新聞縮刷版1987年5月p603
読売新聞1987年5月17日17面「ヤクルト・レオンが通算250本塁打」読売新聞縮刷版1987年5月p649
読売新聞1987年5月18日15面「レスカーノ(大洋)が退団 『投手の球、怖くなった』」読売新聞縮刷版1987年5月p679
読売新聞1987年5月20日17面「中日・落合が通算250本塁打と71勝利打点」読売新聞縮刷版1987年5月p777
読売新聞1987年5月27日16面「秋山100号"スピード"達成 ブコビッチは連発 西武、日ハムに大勝」読売新聞縮刷版1987年5月p1094
読売新聞1987年5月27日17面「巨人・中畑が1000試合出場」読売新聞縮刷版1987年5月p1095
読売新聞1987年5月31日17面「イースタンで大洋・増田が完全試合」読売新聞縮刷版1987年5月p1279
読売新聞1987年6月3日17面「中日・落合は1000本安打」読売新聞縮刷版1987年6月p111
読売新聞1987年6月6日15面「中日が3000勝」読売新聞縮刷版1987年6月p241
読売新聞1987年6月8日16面「阪急・弓岡敬二郎内野手(二八)がパ初の通算200犠打」読売新聞縮刷版1987年6月p318
「札幌での大洋戦"放棄" 竹之内コーチ 辞意を表明 あえぐトラ 早くもきな臭い空気」『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)6月8日付朝刊、15面(スポーツ面)。
読売新聞1987年6月12日1面「衣笠選手、世界タイ 連続出場2130試合」読売新聞縮刷版1987年6月p483
読売新聞1987年6月12日17面「死球で暴力 クロマティ退場」読売新聞縮刷版1987年6月p499
1987年6月13日15面「巨人 謹慎5日間、罰金30万 暴力のクロマティを処分」読売新聞縮刷版1987年6月p541
1987年6月14日1面「鉄人衣笠、世界新 18年間、連続出場2131」読売新聞縮刷版1987年6月p571
「広島・衣笠が2500安打と20年連続2ケタ本塁打」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)6月15日付夕刊、12面。
読売新聞1987年6月16日1面「衣笠選手に国民栄誉賞」読売新聞縮刷版1987年6月p619
読売新聞1987年6月17日17面「南海門田が1000得点」読売新聞縮刷版1987年6月p685
「ランス、6試合連続本塁打 史上7人目、球団新」『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)6月17日付朝刊、15面(スポーツ面)。
「竹之内コーチが正式に退団 トラ内紛」『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)6月17日付朝刊、15面(スポーツ面)。
読売新聞1987年6月20日15面「復帰藤本、完投5勝目 山村"お祝い"満塁アーチ」読売新聞縮刷版1987年6月p819
読売新聞1987年6月24日17面「原の200号遅かった 巨人1点差負け」読売新聞縮刷版1987年6月p989
読売新聞1987年6月26日16面「広島・高橋慶彦内野手(三〇)が通算400盗塁」読売新聞縮刷版1987年6月p1084
読売新聞1987年7月5日17面「巨人・篠塚利夫内野手(二九)が通算1000試合出場」読売新聞縮刷版1987年7月p213
読売新聞1987年7月9日17面「20年ぶり十代10勝だ 桑田"投打ショー"初完封」読売新聞縮刷版1987年7月p385
読売新聞1987年7月9日17面「46日ぶり南海サヨナラ決着」読売新聞縮刷版1987年7月p385
読売新聞1987年7月19日17面「阪神・掛布が1500試合出場」読売新聞縮刷版1987年7月p829
毎日新聞1987年8月6日1面「浜松市(ヤマハ)15年ぶり優勝 4-3で川崎市(東芝)制す」毎日新聞縮刷版1987年8月p161
読売新聞1987年8月9日16面「阪急・ブーマー内野手(三三)が通算150号本塁打」読売新聞縮刷版1987年8月p314
読売新聞1987年8月10日17面「近藤、史上初の初登板快投 巨人をノーヒットノーラン 13三振、二塁も踏ませず」読売新聞縮刷版1987年8月p347
「衣笠は5人目通算500号 2位門田に76本差」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)8月12日付朝刊、17面(スポーツ面)。
読売新聞1987年8月23日17面「斎藤、1000奪三振」読売新聞縮刷版1987年8月p889
読売新聞1987年8月24日17面「巨人・山倉が100号本塁打」読売新聞縮刷版1987年8月p927
読売新聞1987年8月25日17面「山田、12人目の2000奪三振 久々5勝 阪急、西武にまた2差」読売新聞縮刷版1987年8月p979
読売新聞1987年8月27日16面「門田、24人目2000本安打 ケガと戦い続け18年」読売新聞縮刷版1987年8月p1070
「1000奪三振」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)8月27日付朝刊、23面(スポーツ面)。
読売新聞1987年8月28日16面「阪急・佐藤義則投手(三三)が通算1000奪三振」読売新聞縮刷版1987年8月p1118
読売新聞1987年8月30日17面「南海・加藤英司内野手(三九)が2000試合出場」読売新聞縮刷版1987年8月p1219
読売新聞1987年8月31日19面「3連連続三塁打のセ新」読売新聞縮刷版1987年8月p1257
読売新聞1987年9月9日16面「門田、史上24人目の2000試合出場」読売新聞縮刷版1987年9月p374
読売新聞1987年9月11日16面「阪急・石嶺和彦外野手(二六)6試合連続本塁打のパ・リーグタイ記録」読売新聞縮刷版1987年9月p468
読売新聞1987年9月12日15面「ヤクルト・角、1000試合出場」読売新聞縮刷版1987年9月p527
「大石、心機一転 婚約と改名」『毎日新聞』(縮刷・関東版) 1987年(昭和62年)9月15日付朝刊、19面(スポーツ面)。
読売新聞1987年9月18日17面「中日の大島がセ新の代打本塁打16本」読売新聞縮刷版1987年9月p779
読売新聞1987年9月19日16面「阪神・弘田、永尾が引退」読売新聞縮刷版1987年9月p878
読売新聞1987年9月21日16面「村田2000奪三振 つぎの目標、200勝だ」読売新聞縮刷版1987年9月p914
読売新聞1987年9月21日夕刊19面「鉄人・衣笠 静かなる退場 淡々と『日は沈む・・・』引退発表 背番号『3』永久欠番に」読売新聞縮刷版1987年9月p955
読売新聞1987年9月30日16面「北別府、通算150勝 広島大勝 阪神は14安打13残塁」読売新聞縮刷版1987年9月p1324
読売新聞1987年10月2日17面「日本ハムが9連続安打のパ・タイ記録」読売新聞縮刷版1987年10月p63
読売新聞1987年10月9日17面「中日の宇野勝内野手(二九)が1000本安打」読売新聞縮刷版1987年10月p401
読売新聞1987年10月10日1面「巨人 4年ぶり優勝 セ・リーグ」読売新聞縮刷版10月p433
毎日新聞1987年10月11日1面「パ・リーグは西武がV3 24日から巨人と日本シリーズ」毎日新聞縮刷版1987年10月p405
毎日新聞1987年10月13日19面「阪神、吉田監督を解任 日本一から2年 役員会、8時間の末」毎日新聞縮刷版1987年10月p491
読売新聞1987年10月13日17面「ヤクルト・梶間が千奪三振」読売新聞縮刷版1987年10月p569
毎日新聞1987年10月16日23面「きょう本拠地でファンにお別れ 加藤英が引退会見」毎日新聞縮刷版1987年10月p621
毎日新聞1987年10月17日23面「"栄光の11"で『全力投球』 村山・阪神 対話スタート」毎日新聞縮刷版1987年10月p661
読売新聞1987年10月17日17面「牛島24セーブ」読売新聞縮刷版1987年10月p763
毎日新聞1987年10月19日23面「2ストライク4ボール 吉村『拾い物』30号」毎日新聞縮刷版1987年10月p723
読売新聞1987年10月19日17面「門田、1000四死球」読売新聞縮刷版1987年10月p851
毎日新聞1987年10月21日22面「『けんか家マーチン』またまた復帰 監督5度目 ヤンキース」毎日新聞縮刷版1987年10月p796
読売新聞1987年10月23日16面「セ・リーグも全日程終了 篠塚正田 2人首位打者」読売新聞縮刷版1987年10月p1048
毎日新聞1987年10月23日23面「鉄人 フィナーレ 打った!!衣笠”有終”504号」毎日新聞縮刷版1987年10月p885
読売新聞1987年10月23日17面「近鉄監督 仰木コーチ昇格」読売新聞縮刷版1987年10月p1049
毎日新聞1987年10月24日19面「『戦う猛牛に』仰木・近鉄がスタート」毎日新聞縮刷版1987年10月p925
毎日新聞1987年10月27日19面「ツインズ逆転、決めた Wシリーズ初制覇」毎日新聞縮刷版1987年10月p1033
読売新聞1987年10月28日17面「桑田に『沢村賞』十代では『堀内』以来」読売新聞縮刷版1987年10月p1305
毎日新聞1987年10月29日23面「在日11年、ロッテのリー 自由契約に」毎日新聞縮刷版1987年10月p1111
読売新聞1987年10月29日17面「ヤクルトの渡辺引退」読売新聞縮刷版1987年10月p1349
毎日新聞1987年11月2日1面「西武、2年連続日本一 4勝2敗 巨人破る」毎日新聞縮刷版1987年11月p25
毎日新聞1987年11月3日19面「田中富『栄転なのか、左遷か』大島『引退後、また中日に』日ハム・中日トレード発表」毎日新聞縮刷版1987年11月p79
読売新聞1987年11月3日17面「球界ルポ 近鉄コーチに権藤氏」読売新聞縮刷版1987年11月p103
読売新聞1987年11月5日17面「MVPに山倉・東尾 新人王は荒井と阿波野」読売新聞縮刷版1987年11月p181
読売新聞1987年11月5日17面「パットナムが自由契約」読売新聞縮刷版1987年11月p181
読売新聞1987年11月6日17面「広島の木下、コーチに」読売新聞縮刷版1987年11月p233
読売新聞1987年11月7日17面「阪神・藤原と日本ハム・岡部がトレード」読売新聞縮刷版1987年11月p289
読売新聞1987年11月10日17面「工藤投手に正力松太郎賞 西武V2に貢献 初の20代」読売新聞縮刷版1987年11月p393
読売新聞1987年11月11日17面「大洋の2軍チーフコーチに山根氏」読売新聞縮刷版1987年11月p445
読売新聞1987年11月13日1面「巨人・江川投手が引退 通算135勝 右肩痛、回復望めず」読売新聞縮刷版1987年11月p521
読売新聞1987年11月10日17面「怪物エース、32歳の降板 肩痛と人知れぬ苦闘 引退の江川投手 『ドーム』に思い残し」読売新聞縮刷版1987年11月p547
読売新聞1987年11月10日17面「セは12回まで プロ野球延長戦」読売新聞縮刷版1987年11月p547
読売新聞1987年11月10日17面「若生コーチ、阪神へ」読売新聞縮刷版1987年11月p547
読売新聞1987年11月18日夕刊15面「巨人は橋本(PL学園)指名 ドラフト 長島はヤクルト」読売新聞縮刷版1987年11月p799
読売新聞1987年11月19日17面「松本さわやかに引退 正式発表」読売新聞縮刷版1987年11月p817
毎日新聞1987年11月20日23面「最下位球団から史上初のMVP ナ・リーグのドーソン」毎日新聞縮刷版1987年11月p701
読売新聞1987年11月21日17面「岩下(ヤクルト)平田(大洋)交換」読売新聞縮刷版1987年11月p921
読売新聞1987年11月22日17面「球界ルポ ヤクルト・渡辺ら引退」読売新聞縮刷版1987年11月p973
読売新聞1987年11月22日17面「南海、二外人を解雇」読売新聞縮刷版1987年11月p973
読売新聞1987年11月27日17面「阪急オーナーに小林氏」読売新聞縮刷版1987年11月p1195
読売新聞1987年12月5日17面「巨人・簑田誕生」読売新聞縮刷版1987年12月p213
読売新聞1987年12月11日17面「球界ルポ 長崎の任意引退決まる」読売新聞縮刷版1987年12月p483
読売新聞1987年12月14日夕刊15面「東尾投手がとばく 書類送検」読売新聞縮刷版1987年12月p647
読売新聞1987年12月22日17面「東尾""セーフ!" キャンプ・自主トレOK 西武『マージャンとばく』温情処分 年明けにも山ごもりへ」読売新聞縮刷版1987年12月p957