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日本のアニメーション映画作品 ウィキペディアから
『千と千尋の神隠し』(せんとちひろのかみかくし)は、2001年に公開された日本の長編アニメーション映画。原作・脚本・監督は宮崎駿。2001年(平成13年)7月20日に日本公開。興行収入は316億8,000万円で[2]、『タイタニック』を抜いて、日本歴代興行収入第1位を達成し[7]、第52回ベルリン国際映画祭では金熊賞を受賞した[注 2][8]。
制作のきっかけは、宮崎駿の個人的な友人である10歳の少女を喜ばせたいというものだった。この少女は日本テレビの映画プロデューサー、奥田誠治の娘であり、主人公・千尋のモデルになった[9]。企画当時宮崎は、信州に持っている山小屋にジブリ関係者たちの子供を集め、年に一度合宿を開いていた。宮崎はまだ10歳前後の年齢の女児に向けた映画を作ったことがなく、そのため彼女らに映画を送り届けたいと思うようになった[10]。
宮崎の友人である映画監督ジョン・ラセターの尽力によって北米で公開され、第75回アカデミー賞ではアカデミー長編アニメ映画賞を受賞した[11][注 3]。2016年のイギリスBBC主催の投票では、世界の177人の批評家が「21世紀の偉大な映画ベスト100」の第4位に選出した[12]。2017年にはニューヨークタイムズ選定21世紀最高の外国語映画ランキングで2位に選ばれた[13]。
2016年に行われたスタジオジブリ総選挙で1位に輝き、同年9月10日から19日の10日間、全国5か所の映画館にて再上映された。2020年6月26日より日本372の劇場で『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『ゲド戦記』とともに再上映され[14]、週末観客動員数で1位となった[15](#再上映も参照)。2022年に舞台化。
10歳の少女荻野千尋は、両親と共に引越し先のニュータウンへと車で向かう途中、父の思いつきから森の中の不思議なトンネルから通じる無人の町へ迷い込む。そこは八百万の神々が住む、人間が足を踏み入れてはならない世界だった。町の怪しい雰囲気を怖がる千尋をよそに、探検気分の両親は食堂街の中で一軒だけ食べ物が並ぶ無人の飲食店を見つけ、店員が来たら代金を払えばいいと勝手に食べ物を食べ始めてしまう。両親の誘いを断って食堂街を一人で歩く千尋は、旅館のような大きな建物の前の橋に着き、橋の下を走る電車を見ていた。背後からの気配に気づいて振り返ると少年が立っており、彼は強い口調で「すぐに戻れ」と言う。急速に日が暮れる中[16][17]、両親を探すが、店では両親の服を着た大きな豚が二匹いて、食べ物を食い散らかしていた。千尋の両親は神々に出す食べ物に手をつけた咎で、豚にされてしまったのだ。夜になり[18][19][20]、千尋はトンネルに戻ろうと食堂街の出口に来るが、昼は草原だった場所が大河に変わっており、船から降りてくる怪物のような者達を目にしたことでこれは悪い夢だと思い込む。悪夢が消えることを願って自分が消滅しそうになるが、先程の少年ハクに助けられる。
ハクは、八百万の神々が客として集う「油屋」という名の湯屋で働いていた。油屋の主人は、相手の名を奪って支配する恐ろしい魔女の湯婆婆で、仕事を持たない者は動物に変えられてしまうと千尋に教える。千尋は、雇ってくれるよう湯婆婆に懇願し、契約の際に名を奪われ「千」と新たに名付けられ、油屋で働くことになる。ハクは、本当の名前を忘れると元の世界に戻れなくなると忠告する。ハクもまた名を奪われ、自分が何者であったのかを思い出せずにいたのだ。しかし、彼はなぜか千尋を知っており、自分の名前は忘れても千尋のことは覚えているのだという。一方、千尋にはハクの正体に心当たりがない。
ブタにされてしまった両親を助けるため油屋で働き始めた千尋だったが、彼女は人間であるという理由で油屋の者達から嫌われる。おまけに悪臭とひどい汚れの客の相手まで押しつけられるが、彼女の実直な働きにより、客から大量の砂金が店にもたらされると、千尋は皆に一目置かれる存在になる。千尋は世話をした礼としてその客から不思議な団子を貰う。
翌日の昼[21]、竜の姿のハクは湯婆婆の命令により、彼女と対立している双子の姉の銭婆から、魔女の契約印を盗み飲み込む。強い魔力を持つ銭婆は、ハクに契約印の守りのまじないとヒトガタで重傷を負わせるが、彼は傷つきながらも最上階の湯婆婆の部屋に向かう。傷ついたハクを従業員部屋から見た千尋は、彼を助けようと後をおって、湯婆婆の部屋に入る。その時、千尋の背中にくっついていたヒトガタから銭婆が現れ、千尋の後を追って部屋に入ってきた湯婆婆の息子の坊をネズミに変えてしまう。その隙にハクが尾でヒトガタを叩き破ると銭婆は消える。その後、千尋がハクに不思議な団子の半分を飲み込ませ、体内の契約印と虫を吐き出させ元の姿に戻すが、ハクは衰弱しており気絶する。千尋はハクを助けたい一心で、ボイラー室の老人釜爺から電車の切符を受け取り、危険など顧みずに銭婆の所へ謝りに行く事を決意する。
その頃、客室ではカオナシという化け物が従業員を飲み込んで暴れていた。カオナシは以前客だと思い込んだ千尋に親切にされ、湯婆婆の部屋に行く途中の彼女と再会した際、砂金で千尋の気を引こうとするが、断られてしまっていた。再び彼女と対面したカオナシは、食べ物で千尋の気を引こうとするが千尋は拒否。逆に千尋は団子の残りの半分を彼に食べさせ、カオナシに飲み込まれた従業員達を吐き出させて助ける。そして千尋は、なぜかついて来た坊と、油屋から誘い出したカオナシを伴って銭婆の家を訪れる。銭婆は千尋を穏やかに受け入れ、千尋は銭婆に魔女の契約印を返しハクの行いを謝る。銭婆は千尋に旅の仲間と協力して作った紫の髪留めを贈り、カオナシは銭婆の家の手伝いに雇われる。
一方、目を覚ましたハクは、坊が銭婆の元へ行っている事を湯婆婆に伝える。ハクは坊を連れ戻す事を条件に千尋と両親を解放するよう迫った後、帰る手段のなかった千尋を竜の姿で迎えにいく。ハクは銭婆から許しを得て、千尋と共に油屋への帰路につく。その途中で、千尋は自分が幼い頃に落ちた「川」がハクの正体である事を思い出し、彼女が川の名前を告げた事でハクは本当の名前を思い出す。ハクは、落とした靴を拾おうとして溺れかけた千尋を、浅瀬に運び助けたのだった。
翌朝[22]、臨時休業をしている油屋に帰ったハク達。ハクが千尋と彼女の両親を解放するよう湯婆婆に要求すると、今や千尋の味方となった従業員達もハクに賛同する。味方がいなくなり怒る湯婆婆は、油屋の前に集めたブタの中から両親を言い当てろと千尋に難題を出す。千尋はブタ達を真剣に見つめると、この中に両親はいないと正解を言い当てる。湯婆婆の目論見は外れ、契約書が消滅した事で千尋は晴れて自由の身となり、従業員達に祝福されながら油屋を去る。
昼になり[23]、異世界と人間界の境界のトンネルに帰るため食堂街の出口に着くと、夜は大河に変わっていた所が草原に戻っていた。見送るために一緒に来たハクは千尋に、この先には一人で行く事、この先の帰り道でトンネルを出るまでは振り返ってはいけない事、湯婆婆の弟子を辞めて自分も元の世界に戻るつもりである事を伝え、再会を約束して別れる。千尋は草原を歩き続けると、人間に戻った両親がトンネルの前で何事もなかったかのように待っていた。千尋は思わず振り返りそうになるがハクとの約束を思いだし必死に我慢して振り返らず、トンネルを抜けて人間界に戻った千尋が振り返ると、トンネルは最初に来た時とは違う姿に変わっていた。その後、再び車に乗って引越し先に向かう所で物語は幕を閉じる。
従業員の大半はカエル(男衆)[67]とナメクジ(女衆〔主に江戸時代にいた大湯女〈おおゆな〉に相当する〕)[86]であり[87]、ヘビ(ハク)[注 22]と合わせて三すくみの関係にある。
神道における八百万神(やおよろずのかみ)で、疲れを癒そうと油屋を訪れる。八百万の名の通り、姿形・性質・性格は様々。ロマンアルバムでは、霊々(かみがみ)と表記[104]。
湯婆婆が経営する、八百万の神が体を休める「油屋」(あぶらや)という屋号の湯屋が舞台[125][126][127]。油屋は一見和風建築であるが、土台部分はコンクリートであったり、ボイラーやエレベーターといった近代的な設備が備わっている。
和風に装っているのは表面部分だけであり、宮崎はこうした作りを「俗悪」と言い表す[128]。最下層にボイラー室[129]と機械室、その上に従業員用のスペースがあり、湯婆婆とハク、釜爺以外の従業員達はそこで寝泊りする。上階が男性従業員の部屋、下階が少女と女性従業員の部屋で、大部屋に大勢で寝る[129]。従業員の生活空間は裏側に配置されており、神々の出入りする正面側からは見えない。油屋正面とその上階が営業スペースとなっている。中に大きな吹き抜けがあり、下には様々な種類の風呂が配置され、その上を取り囲むように宴会場や客室が配置されている。さらに、その上には湯婆婆の個人宅があり、その部分は洋風の建築様式となっている[127]。河の神が使った大戸は空を飛べる(上級の)神用の出入り口[130]。一階玄関はその他の客用の出入り口。
千尋達は最初に、トンネルのある時計台のような建物に迷い込む。そこから先は、廃墟が点々とする緩やかな上り坂になった草原がしばらく続く。その後川を渡ると、丘の上の食堂街に出る。時計台と食堂街を区切る川は、昼は小川であるが、夜になり神々が訪れる時間になると草原全体が大河に変わり、そこを船が行き交う。また、夜は遠く対岸にある時計台の周囲に町が現れる。異世界はあらすじ通りに日中の時間の流れ方が人間界と違って早い。また、時計台の文字盤によると異世界は夜が長い模様[131][132]。その上、一晩ごとに月齢が違い、千尋が河の神の世話をした直後が満月の夜[133]、翌日千尋が銭婆の家から湯屋に帰るのが半月の夜[134]。食堂街を抜けると大きな灯籠のある広場に出、そこから延びる橋が湯屋の正面入り口に繋がる。食堂街の周囲には、両親の収容されている畜舎や冷凍室、花園などが配置されている(花園では季節の異なる花々が同時に咲き乱れている[135])。湯屋の方から見ると、畜舎は突き出た絶壁の上に建っている事が分かる。湯屋の周囲と湯屋の裏の電車の行き先は大平原になっており、雨が降ると海になる[94]。橋の下には海原電鉄(架線は無い)[注 34]が走っている[136]。単線の一方通行で、今は行きっ放しである(釜爺によれば、昔は帰りの電車も通っていたという)。千尋が乗る駅は湯屋の裏で建物から離れた位置にある。途中には千尋が降りる「沼の底」駅があり、他に乗客の降りる沼原駅なども出てくる[36]。
英語版はピクサーのジョン・ラセターが製作総指揮を手掛け、4人の翻訳家が英語版台本を作成し、カーク・ワイズが演出を手がけた[137]。
キャラクター | 日本語版 | 英語版 |
---|---|---|
荻野千尋 | 柊瑠美 | デイヴィ・チェイス |
ハク | 入野自由 | ジェイソン・マースデン |
湯婆婆 | 夏木マリ | スザンヌ・プレシェット |
銭婆 | ||
釜爺 | 菅原文太 | デヴィッド・オグデン・スティアーズ |
カオナシ | 中村彰男 | ボブ・バーゲン |
リン | 玉井夕海 | スーザン・イーガン |
坊 | 神木隆之介 | タラ・ストロング |
荻野明夫 | 内藤剛志 | マイケル・チクリス |
荻野悠子 | 沢口靖子 | ローレン・ホリー |
頭(かしら) | 佐藤重幸(現:戸次重幸) | 不明 |
父役 | 上條恒彦 | ポール・エイディング |
兄役 | 小野武彦 | ジョン・ラッツェンバーガー |
青蛙 | 我修院達也 | ボブ・バーゲン |
番台蛙 | 大泉洋 | ロジャー・バンパス |
おしら様 | 安田顕 | ジャック・エンジェル |
河の神 | はやし・こば | 不明 |
役不明 | 脇田茂 斎藤志郎 山本道子 塚本景子 得丸伸二 山像かおり 香月弥生 浅野雅博 林田一高 山本郁子 目黒未奈 石橋徹郎 椎原克知 片渕忍 鬼頭典子 鍛治直人 助川嘉隆 太刀川亞希 山谷典子 松尾勝久 木津誠之 大野容子 東幸枝 佐古真弓 添田園子 冨平晶子 増田美奈子 小野香織 山田里奈 高地美和 竹内裕美 奥真紀子 | ミッキー・マクガワン シェリー・リン ジャック・エンジェル モナ・マーシャル ボブ・バーゲン キャンディ・ミロ ロジャー・バンパス コリーン・オショーネシー ジェニファー・ダーリン フィル・プロクター ポール・エイディング ジム・ワード |
製作 | 徳間康快(2000年9月20日まで) 牧田謙吾(2001年1月17日まで) 松下武義(2001年1月18日より) | |
音楽 | 音楽 指揮 ピアノ | 久石譲 |
演奏 | 新日本フィルハーモニー交響楽団 | |
作画監督 | 安藤雅司、高坂希太郎、賀川愛 | |
原画 | 稲村武志、山田憲一、松瀬勝、芳尾英明、山森英司、中村勝利、小野田和由、鈴木麻紀子、松尾真理子、田村篤、米林宏昌、藤井香織、山田珠美、二木真希子、百瀬義行 山下明彦、武内宣之、古屋勝悟、倉田美鈴、山形厚史、君島繁、山川浩臣、大杉宜弘、田中雄一、金子志津枝、浜洲英喜、古川尚哉、小西賢一、大城勝、大平晋也、橋本晋治 中山久司、高野登、篠原征子、石井邦幸、山内昇寿郎 テレコム・アニメーション・フィルム 田中敦子 | |
動画チェック | 舘野仁美、鈴木まり子、斎藤昌哉、大橋実 | |
動画 | 手島晶子、中込利恵、野口美律、伊藤望、大西綾、海内努、横田匡史、佐藤雅子、笹川周子、鶴岡耕次郎、片野美桜子、今野史枝、高橋直子、小田剛生、山田伸一郎、奥村正志 島田育子、アレキサンドラ・ワエラウフ、坂野方子、大村あゆみ、北島由美子、真野鈴子 東誠子、西戸スミエ、槇田喜代子、富沢恵子、コマサ、土岐弥生、椎名律子、岩柳恵美子、藤森まや、伊藤由美子、鳥羽明子、安達晶彦、松下敦子、梅林由加里、太田久美子、矢地久子 宮田知子、大塚美穂 山浦由加里、近藤梨恵、辻仁子、岩上由武、谷平久美子、西河広美、大橋雅央、中島弘晶、矢野守彦、藤谷尚子、中本和樹、中野洋平、中里舞、寺田久美子、岡本恭子、小川令人 佐伯忍、山田里子、堀元宣、大曲健克、藤木秀人、石井邦俊、阿部真一、大久保千夏、関暁子、井下信重、見陰智史、平井久美、細萱明良、牧野大介、藤井栄美子、渋谷勤 服部聡志、斉藤佐保、山田知香子、小松崎純子、榎本花子、田中春香、松林唯人、渡辺秀雄、柴田由香、錦織敦史、丸山友、村田康人、中島由喜、小松田大全、酒井怜子、塩谷直義 山下宗幸、森崇、植田和幸、猪股雅美、藤あや子、平川梨絵、杉山了蔵、位下ゆかり、寺田真佐子、後藤奈津子、山本理恵 D.R DIGITAL 趙鉉美 宋賢珠 金恩寧 徐金淑 安美京 張哲豪 權卜徑 金知恩 全賢珠 許英美 尹美卿 李惠姓 李美玉 片恩美 崔熙恩 鄭炫守 成知英 鄭晟姬 朴昭花 俆眞赫 邊恩順 邊惠順 李守相 金貞姬 朴支賢 朴淑和 朴英淑 | |
動画協力 | アニメトロトロ、オープロダクション、スタジオコクピット、スタジオたくらんけ、グループどんぐり、中村プロダクション、GAINAX、動画工房、スタジオ九魔 Production I.G、スタジオムサシ、スタジオ・ブーメラン、スタジオディーン、スタジオ雲雀、ラジカル・パーティー、キリュウ、夢弦館、AIC SHAFT、LIBERTY SHIP、MADHOUSE | |
美術監督 | 武重洋二 | |
美術監督補佐 | 吉田昇 | |
背景 | 男鹿和雄、平原さやか、福留嘉一、田中直哉、春日井直美、伊奈涼子、長田昌子、石原智恵、矢野きくよ、糸川敬子、増山修、斎藤久恵、菊地正典、長縄恭子、佐々木洋明、山本二三 スタジオ風雅 永井一男 小倉工房 小倉宏昌、久保田正宏 | |
色彩設計 | 保田道世 | |
色指定 | 山田和子、野村雪絵 | |
仕上検査 | 守屋加奈子、織田富美子、石井裕章 | |
デジタルペイント | 森奈緒美、井関真代、杉野亮、大山章博、鵜飼由美子、岡田理恵、柴山智隆 高橋プロダクション/T2Studio 高橋加奈子、那須亜紀子、南城久美、横山由妃、斉藤美智子、清水亜紀子、大蔵芙美乃、飯島弘志 D.R DIGITAL 咸善基 JEM 金炳烈 金泰鍾 李恩暻 李道熙 金美仙 韓今伊 許李慶 安明會 崔順花 朴那珹 金明淑 金明善 尹恵燁 金珍旭 | |
デジタル作画監督 | 片塰満則 | |
デジタル作画 | 泉津井陽一、軽部優、佐藤美樹、山田裕城、刀根有史 | |
CGエンジニア | 井上雅史 | |
システム・マネージメント | 北川内紀幸 | |
映像演出 | 奥井敦 | |
デジタル撮影 | 藪田順二、高橋わたる、田村淳 | |
録音演出 | 林和弘 | |
整音 | 井上秀司 | |
音響効果制作 | サウンドリング、アニメサウンドプロダクション | |
音響効果 | 伊藤道廣、野口透 | |
音響効果助手 | 村上大輔、古宮理恵 | |
音響効果協力 | 森川永子、上田文子、宮澤麻由加、成田一明、阿部敏昭 | |
キャスティング・プロデュース | PUG POINT 畠中基博、八木桂子、安直美 | |
音楽制作 | ワンダーシティ 関島雅樹、伊藤聡一郎 スタジオジブリ 稲城和実、古城環 | |
音楽著作権 | 長井孝 | |
音楽ミキサー | 大川正義 | |
オーケストラレコーディング | 田中信一 | |
サラウンドミックス | 浜田純伸 | |
アシスタントエンジニア | 秋田裕之 | |
CD制作 | 徳間ジャパンコミュニケーションズ 岡田知子 | |
録音スタジオ | 音楽収録 | ワンダーステーション、すみだトリフォニーホール |
効果収録 | 東宝サウンドスタジオ | |
録音所 | 東京テレビセンター 高木創 今泉武 佐竹徹也 | |
タイトル | 真野薫 | |
リスマーク | マリンポスト | |
編集 | 瀬山武司 | |
編集助手 | 水田経子、内田恵、武宮むつみ | |
編集所 | 瀬山編集室 | |
監督助手 | 高橋敦史、宮地昌幸 | |
制作担当 | 高橋望 | |
制作デスク | 神村篤、望月雄一郎、田中千義 | |
制作進行 | 居村健治、斎藤純也、田代英一郎、伊藤郷平、松原法史 | |
制作事務 | 佐々木千賀子 | |
プロデューサー補 | 石井朋彦 | |
制作業務担当 | 野中晋輔 | |
制作業務デスク | 川端俊之、渡辺宏行 | |
渉外 | 荒井章吉 | |
キャラクター商品開発 | 今井知己、浅野宏一 井筒理枝子 | |
出版 | 田居因、筒井亮子、渋谷美音、高畑菜穂 | |
管理担当 | 島宮美幸 | |
経理 | 一村晃夫、伊藤久代、山本珠実 | |
総務 | 石迫太成、洞口朋紀、熱田尚美、藤津英子、駒形正吾、沼沢スエ子、渡辺ミツ | |
協力 | 自動車取材 | アウディジャパン、アルパイン |
油屋取材 | 草津温泉、ホテルヴィレッジ、清重館、阿多良窯 | |
町取材 | 鹿児島県屋久町役場 | |
農場取材 | 澤井農場、屋久町養豚家の皆さん | |
入浴剤取材 | 山口雲母工業所 | |
海外プロモート担当 | スティーブン・アルパート、森吉治予、武田美樹子、網崎直 | |
予告篇制作 | ガル・エンタープライズ 板垣恵一 | |
現像 | 会社 | IMAGICA |
タイミング | 平林弘明 | |
フィルム・レコーディング | 豊谷慎吾、柴田祐男、本間政弘 | |
カラー・マネージメント | 石井亜土、遠藤浩平 | |
ラボ・コーディネート | 西尾洋史朗 | |
ラボ・マネジメント | 川又武久 | |
DOLBY | フィルムコンサルタント | 森幹生、河東努 コンチネンタル ファーイースト |
光学録音 | 上田太士 | |
デジタル光学録音 | 西尾昇 | |
DTS | マスタリング | 津司紀子、相川敦 |
アニメーション制作 | スタジオジブリ | |
プロデューサー | 鈴木敏夫 | |
原作 脚本 監督 | 宮崎駿 | |
総指揮 | 徳間康快(2000年9月20日まで) 氏家齊一郎(2000年9月21日より) | |
代表 | 松下武義(2001年1月18日より)、氏家齊一郎(2000年9月20日まで)、成田豊、星野康二、植村伴次郎、佐々木幹夫、山本哲也 | |
代表委員 | 牧田謙吾、桂田光喜、俣木盾夫、相原宏徳、板橋徹 | |
推進指揮 | 間部耕苹、萩原敏雄、林田洋、小島順彦 | |
推進委員 | 岩渕徹、細川知正、植村徹、二宮清隆 | |
広報 | 西岡純一、長澤美奈子 | |
プロデューサー | 菊川幸夫、中谷敏夫、渡辺哲也 | |
実行委員[138] | 徳間書店 秋本一、三ツ木早苗、伊藤純子、室井實、斎藤信恵 日本テレビ 佐藤孝吉、棚次隆、戸谷仁、伊藤和明、井上健、大塚恭司、嵓渕有子、小槌裕子 電通 下條俊隆、気賀純夫、遠谷信幸、種村達也、曽我有信 東北新社 中島信也、薬師寺衛、小坂恵一、小西啓介、池田大 三菱商事・ディーライツ 橋本毅、安念彌行、西尾直彦、早川聡子 鈴木大三、新井紀乃 ウォルト・ディズニー・インターナショナル・ジャパン | |
製作担当 | 奥田誠治、福山亮一 | |
企画協力 | アニメージュ編集部 松下俊也 | |
宣伝 | プロデューサー | 市川南 |
係 | 東宝 大垣敦生、菊地裕介 メイジャー 脇坂守一、岡村尚人、土屋勝、小柳道代、福田のぞみ、菅野泰史、中西藍、原美恵子、細川裕以、折原裕之 | |
特別顧問 | 徳山雅也、矢部勝 | |
キャッチコピー | 糸井重里 | |
特別協賛 | 日本生命 | |
CM | ローソン 山﨑文雄 | |
特別協力 | 読売新聞 | |
配給 | 東宝 | |
(以上、特に注記のないものはロマンアルバム 2001, pp. 102–103より抜粋)
宮崎駿は信州に山小屋を持っており、毎年夏になるとジブリ関係者の娘たちを招いて合宿を行っていた。宮崎は子どもたちを赤ん坊のころから知っており、「幼いガールフレンド」という言い方もしている[139]。少女たちは宮崎を「お山のおじさん」と呼んでおり、その頃はまだ映画監督とは思っていなかった[140]。『もののけ姫』公開直後の1997年8月、制作に疲れ果てた宮崎は山小屋で静養し、「幼いガールフレンド」たちの訪問を楽しみにしていた。同年9月ごろ、宮崎に次回作への意欲が灯りはじめる[139]。
山小屋には『りぼん』や『なかよし』といった少女漫画雑誌が残されていた。宮崎は過去にも、山小屋に置かれていた少女漫画誌から映画の原作を見つけ出している(『耳をすませば』や『コクリコ坂から』)。しかし今回は、漫画の内容が恋愛ものばかりであることに不満を抱いた。山小屋に集まる子どもたちと同じ年齢の、10歳の少女たちが心に抱えているものや、本当に必要としているものは、別にあるのではないか。美しく聡明なヒロインではなく、どこにでもいるような10歳の少女を主人公に据え、しかも安易な成長物語に流れないような映画を作ることができるのではないか。少女が世間の荒波に揉まれたときに、もともと隠し持っていた能力が溢れ出てくるというような、そんな物語が作れるのではないか。このように考えた[10]。当時宮崎は、思春期前後の少女向け映画を作ったことがなかったので、「幼いガールフレンド」たちに向けて映画をプレゼントすることが目標になった[141]。
宮崎は『パンダコパンダ』(1972年)のとき、自分の子供を楽しませようという動機でアニメーションを制作した。顔の浮かぶ特定の個人に向けて映画を作るという経験はそれ以来のことだった[142]。しかし宮崎駿は、『もののけ姫』の製作中からしきりに監督引退をほのめかしており、1997年6月の完成披露試写会以降、「引退」発言はマスメディアを賑わせていた[143]。当時はまだ引退の心づもりは変わらず、次回作ではシナリオと絵コンテは担当しても、監督は別人を立てるつもりでいた[139]。
1998年3月26日、スタジオジブリの企画検討会議で、柏葉幸子『霧のむこうのふしぎな町』(1975年、講談社)が案に挙がる[144]。小学6年生の少女が「霧の谷」を訪れ、魔法使いの末裔たちが営む不思議な商店街で働きはじめるという筋のファンタジー小説だった。この原作は以前から企画検討にかけられており、1995年の『耳をすませば』では天沢聖司が『霧のむこうのふしぎな町』を読む場面が組み込まれている。宮崎は、柏葉の原作をもとに『ゴチャガチャ通りのリナ』というタイトルで企画に取り組む。しかし、これは早々に断念された[145]。
次に、新企画『煙突描きのリン』がはじまった。1998年6月、小金井市梶野町のスタジオジブリ付近に事務所「豚屋」が完成、宮崎の個人事務所二馬力のアトリエとして使われることになった。宮崎はここで新企画に取り組みはじめた。『煙突描きのリン』は、大地震に見まわれた東京を舞台にした映画で、銭湯の煙突に絵を描く18歳の画学生、リンが、東京を影で支配する集団と戦うという物語であった。作品の背景には、現代美術家荒川修作の影響があり、荒川をモデルにした登場人物も用意されていた。宮崎は1998年に養老天命反転地を訪れて気に入り、荒川とも対談して意気投合している[146]。プロデューサーの鈴木敏夫によれば、リンと敵対する集団のボスは宮崎自身が投影された60歳の老人であり、しかもこの老人と18歳の主人公のリンが恋に落ちる展開が用意されていたという[147]。
1998年6月から約1年間進められた『煙突描きのリン』の企画は、1999年8月、突如廃案になった[148][注 35]。鈴木敏夫によれば、次のような出来事があったという。鈴木は、1998年に公開されヒットしていた映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』(本広克行監督)を遅れて鑑賞する。若手の監督によって同時代の若者の気分がリアルに表現されていることに衝撃を受け、同時に、宮崎の描く若い女性が現代の若者像として説得力を持ちえるのかどうか疑問を抱く。鈴木は映画を観たその足で宮崎のアトリエに赴いた。すでに『煙突描きのリン』の企画はかなり進んでおり、アトリエの壁面には数多くのイメージボードが貼りつけられていた。イメージボードとはビジュアルのサンプルを集めたもの。しかし鈴木はそれには触れず、『踊る大捜査線』の話をしはじめた[150]。
宮さんは僕の話を聞きながら、すっと立ち上がり、壁に貼ってあったイメージボードを一枚一枚はがし始めました。そして、全部まとめて、僕の目の前でゴミ箱の中にバサッと捨てたんです。あの光景はいまでも忘れられません。「この企画はだめだってことだろう、鈴木さん」 — 鈴木敏夫、『ジブリの教科書12』, p. 56
宮崎はその場ですぐ、「千晶の映画をやろうか」[151]と提案した。「千晶」とは、本作の製作担当である奥田誠治の娘、奥田千晶のことである。奥田誠治は日本テレビの社員で、宮崎の友人のひとりだった。奥田千晶は毎年夏に宮崎の山小屋に滞在する「幼いガールフレンド」のひとりであり、鈴木とも親しかった。さらに宮崎は、作品の舞台を江戸東京たてもの園にすることを提案した。江戸東京たてもの園はスタジオジブリにほど近い場所にあり、宮崎・鈴木・高畑勲らの日常的な散歩コースになっていた[152]。身近な場所を舞台に、親しい子供のための映画を作るという宮崎の提案に、鈴木は首を縦に振らざるをえなかった[153]。
ある夏、宮崎らが山小屋の近くの川に沿って散歩をしていると、千晶がピンク色の運動靴を川に落としてしまった。千晶の父と宮崎・鈴木は必死で靴を追いかけ、川から拾い上げた[154]。このエピソードは宮崎の印象に残り、『千と千尋の神隠し』のクライマックスの場面で直接的に使われている。幼いころの千尋はハク(コハク川)から靴を拾おうとして川に落ちたが、そのときの運動靴はピンク色である。また、この靴は、エンドクレジット後の「おわり」のカットでも作画されている[155]。企画は当初、「千の神隠し」という仮題でスタートし、主人公の名前もそのまま「千晶」になっていた。しかし、「教育上よくない」という理由で、「千尋」と改められた[156]。
1999年11月2日、企画書[157]が書き上げられた。宮崎は企画書の中で大きく分けて次の3点の意図を掲げている[158]。
「千尋が主人公である資格は、実は喰い尽くされない力にあるといえる。決して、美少女であったり、類まれな心の持ち主だから主人公になるのではない」とし、その上で、本作を「10歳の女の子達のための映画」と位置づけている。
『千と千尋の神隠し』は、『霧のむこうのふしぎな町』、『ゴチャガチャ通りのリナ』、『煙突描きのリン』の影響を部分的に受けてはいるが、キャラクターやストーリー展開の面では完全なオリジナルになった[158]。
1999年11月8日、宮崎駿はメインスタッフに向けて説明会を行う[159]。11月12日にはジブリ全社員を集めて作品についてレクチャー[160]。翌週から監督は絵コンテ作業に入り、メインスタッフたちも本格的な制作準備に入った[161]。
2000年2月1日、宮崎は社内に打ち入りを宣言、作画打ち合わせがスタートした[158]。
作画監督には安藤雅司が起用された。安藤は『もののけ姫』で26歳にして作画監督に抜擢された。しかし、鈴木敏夫の回想によれば、『もののけ姫』の制作終了後、安藤は一度辞意を示しており、鈴木に慰留されていた。宮崎のアニメーションがキャラクターを理想化・デフォルメする傾向が強いのに対して、安藤はリアリズムを希求し、映像的な快楽を優先して正確さを犠牲にすることを許さなかった。両者の志向は対立していた[162]。
通常のアニメ作品では、原画修正は作画監督が行い、監督は直接関与しない。しかし、宮崎駿監督作品の場合、宮崎がアニメーターの長として全体の作画作業を統括し、原画のデッサン・動き・コマ数などを先に描き直す。このため、作画監督の仕事は宮崎のラフな線を拾い直す作業が主となる。安藤は『もののけ姫』公開後のインタビューで、宮崎の作品では作画監督という肩書で仕事をしたくないと心情を語っている[163]。そこで鈴木は、次回作では「芝居」についても安藤のやり方で制作していいと認めることにした[162]。
宮崎自身も、『もののけ姫』の制作で加齢による体力の低下を痛感し、すでに細かな作画修正作業を担いきれない段階にあると考え、作画の裁量を安藤に委ねる方針を取った[164]。それだけでなく、演出を安藤に任せる案もあった。宮崎が絵コンテを描いた『耳をすませば』で近藤喜文が監督を担当した前例もあり、同様の制作体制が取られる可能性もあった。少なくとも『ゴチャガチャ通りのリナ』の段階では、演出を安藤に任せるつもりでいたという[165]。しかし、当の安藤は宮崎の絵コンテで演出をするつもりはなく[166]、結局は宮崎が監督することになった[167]。
原画は過去最大規模の37人体制になった[168]。しかし、当時ジブリ社内の原画陣は過去に例がないほど脆弱で[169]、特に中堅のアニメーターの層が薄かった[161]。これに加えて、フリーで活躍しているアニメーターを積極的に受け入れ、宮崎駿の中になかった表現を取り入れたいという安藤の意向もあり[170]、大平晋也や山下明彦といった実力派のフリーアニメーターが参加した[171]。
動画チェックチーフは舘野仁美。舘野は『となりのトトロ』から『風立ちぬ』までのすべての宮崎監督作で動画チェックを務めている。動画班は最終的に、国内スタッフが99人、韓国の外注スタッフが27人、計126人が動員された[172]。
宮崎駿は、長編映画制作の際、事前にシナリオを用意しない。絵コンテを描きながらストーリーを構想し、各スタッフは絵コンテがすべて完成する前から作業を進めていく。その間は監督自身でさえも作品の全容を知らない[160]。本作では、絵コンテが40分ほど完成したところで転機が訪れた。2000年のゴールデンウィーク中のある日[173]、その日は休日だったため、多くのスタッフは出勤していなかったが、プロデューサーの鈴木敏夫、作画監督の安藤雅司、美術監督の武重洋二、加えて制作担当者がたまたま居合わせた[174]。宮崎はホワイトボードに図を描きながら、映画後半のストーリーを説明しはじめた[173]。千尋は湯屋で働きながら湯婆婆を打倒する。ところが、湯婆婆の背後には銭婆というさらに強力な黒幕がいたことが判明する。ハクの力を借りて銭婆も倒し、名前を取り返して両親を人間に戻す。このような流れである[169][175]。
しかし、この案では上映時間が3時間を超えてしまうという意見が出た。鈴木は公開を一年延期しようと提案したが、宮崎と安藤はこれを否定[169][注 36]。上記のプロットは破棄されることになった。宮崎はそこでとっさに、千尋が初めて湯屋に入るシーンで欄干のそばに立っていたキャラクターを話題にした。当初カオナシは、「何の予定もなくてただ立たせていただけ」[178]だったが、映像にしたときに奇妙な存在感があり、宮崎にとって気になるキャラクターになっていた。宮崎は即席で、湯屋でカオナシが大暴れするストーリーを語った。これが採用されることになり、絵コンテ執筆は大きく転換した。湯婆婆を退治するという展開は立ち消え、代わりに千尋とカオナシの関係にスポットライトが当たることになった[169][178]。
当初は予定通り安藤雅司が作画工程を統括し[169]、原画修正を任されていた[179]。鈴木敏夫の約束通り、宮崎駿はタイミングのみをチェックした[161]。しかし、日を追うにつれ、宮崎と安藤の間の溝は次第に深まっていった[180]。宮崎は「どこにでもいる10歳の少女を描く」というコンセプトを掲げた。安藤はこの方針に可能性を感じ、今までの宮崎駿監督作にはなかったような現実的な空間を作り上げることで、ジブリアニメに新しい風を吹きこもうとした[181]。そのような試みのひとつが「子供を生々しく描く」ということだった[182][注 37]。安藤が用意した千尋のキャラクター設定は、背中が曲がり、無駄の多い緩慢な動作に満ち、表情はぶうたれていて喜怒哀楽が不鮮明だった。これは従来宮崎が描いてきた少女像からかけ離れたもので、とりわけ、目の描き方が一線を画していた[184]。序盤の絵コンテは、千尋の不機嫌なキャラクター性を反映してゆっくりとした展開となった。しかしながら宮崎は、千尋がグズであるがゆえに先行きの見えてこない物語に苛立った。絵コンテでは、千尋が湯屋で働きはじめるまでの段階で、すでに40分が経っていた[169]。そこで、中盤以降は一気にスペクタルに満ちた展開に舵を切った。千尋も序盤とは打って変わってデフォルメされた豊かな表情を見せ、きびきびと行動するようになった。そこには、旧来通りの、宮崎らしい、理想化されたヒロインがいた。安藤はこの方向転換に「違和感と失望」[179]を抱いたが、それでもなお緻密な修正を続け[179]、作画監督の通常の仕事範囲を超えて動画段階でもチェックを行い、場合によっては動画枚数を足すなど[185]、身を削って作業を進めた。カットの増加・作画作業の遅延によって補助的に作画監督(賀川愛・高坂希太郎)が増員されたが[179]、最終チェックはすべて安藤が担った[186]。結局は宮崎も、当初の予定に反して、レイアウト修正・原画修正を担うようになった[169]。宮崎の提示する演出意図と安藤の指示の食い違いに戸惑うスタッフは多かったという[179]。
安藤は制作終了後のインタビューで、最終的には作品と距離をおいた関わり方になってしまったこと、全体としては宮崎の作品の枠を出ることができなかったこと、当初自分で思い描いていた作品はどうしても実現できなかったことを振り返っている[182]。しかし、宮崎は「安藤の努力と才能がいい形で映画を新鮮にしている」と評価しており[187]、鈴木は宮崎と安藤の緊張関係によって画面に迫力がみなぎるようになったと語る[180]。安藤は本作を最後にジブリを退職したが[168][188]、『かぐや姫の物語』(2013年)にはメインアニメーターとして、『思い出のマーニー』(2014年)には作画監督および脚本(連名)としてジブリ作品に再び参加している。
2000年9月20日、スタジオジブリ社長、徳間康快が死去。10月16日、新高輪プリンスホテルにてお別れ会。宮崎は会の委員長を務めた[169]。葬儀に出席する喪服の男たちがみなカエルのように見えたと語っており、作中に登場するカエル男たちとの関係をほのめかしている[67]。徳間は作品の完成を見ずにこの世を去ったが、「製作総指揮」としてクレジットされている。
同時期、作画作業の遅延は深刻化していた。前述の通り作画監督が増員されたのはこのころだった。経験の浅い新人アニメーターに対しては「遅くとも1人1週間で1カットあげる」という目標を設定したが、それだけではとても公開に間に合わない計算になり、鈴木は頭を悩ませた。社内で上げたカットは全体の半分程度にとどまり、残りは外注で仕上げた。アニメーターの小西賢一に依頼して実力のあるフリーアニメーターをリストアップしてもらい、支援を要請した[189]。
動画・彩色は、国内の外注スタジオに委託しただけでは間に合わないということが明らかになった[190]。そこで、ジブリ創設以来はじめて、海外スタジオに動画と仕上を外注することを決断[191]。スタジオから4人を韓国に派遣した[192]。韓国のD.R DIGITALは動画・彩色を、JEMは彩色を担当した[191]。両社の仕事は高品質で、納期も遵守された[191]。
美術監督は武重洋二、美術監督補佐は吉田昇。美術班も作画部門と同様新人スタッフが多かったため、武重はほぼすべてのカットの美術ボード[注 38]を描いた。しかも、用途別に各カットごと3枚の美術ボードを描くほど念入りだった[194]。『となりのトトロ』の美術監督であるベテランの男鹿和雄は、主に不思議の町に入り込む前の世界、冒頭とラストシーンの自然環境の背景を一任され[194]、該当場面のモデルとなった四方津駅周辺を独自に取材した[169]。湯屋の中の巨大な鬼の襖絵は吉田昇が担当した[194]。
宮崎からは「どこか懐かしい風景」「目黒雅叙園のような擬洋風、古伊万里の大きな壺」などの指示があった[195]。色については「とにかく派手に」[196]「下品なほどの赤」[197]という指定があり、随所にちりばめられた赤色と湯屋内部の金色がキーカラーになっている[197]。
2000年3月17日には、江戸東京たてもの園でロケハンが行われた[169]。江戸東京たてもの園は、企画当初から作品の舞台とされていた場所である。油屋のデザインについて、モデルとなった特定の温泉宿などは存在しない[198]。ただし、江戸東京たてもの園の子宝湯は宮崎お気に入りの建物で、特に千鳥破風の屋根に加えて玄関の上に唐破風(別の屋根の形式)を重ねる趣向、および内部の格天井に描かれた富士山のタイル絵などの「無駄な装飾性」に魅了されたという[152]。また、ジブリの社員旅行で訪れたことのある道後温泉本館も参考にされた[152]。油屋の内装は目黒雅叙園が原形になっており[199][注 39]、他に二条城の天井画、日光東照宮の壁面彫刻、広島の遊郭の赤い壁などが参考にされた[200]。釜爺の仕事場にあった薬草箱は江戸東京たてもの園の武居三省堂(文具屋)内部の引出しがモデルになっている[201]。油屋周辺の飲食店街は、新橋の烏森口や有楽町ガード下の歓楽街をイメージして描かれている[200][202]。従業員の部屋は、1950年代の劣悪な労働環境だった近江紡糸工場の女工たちの部屋や、多磨全生園隣接の国立ハンセン病資料館内に再現された雑居部屋がモデルとなっている[200]。湯婆婆の部屋は、和洋の混じった鹿鳴館や目黒雅叙園がモデルである[203]。
台湾の台北近郊の町九份の一部商店主は宮崎駿が訪れスケッチをしたと主張しているが[204]、宮崎は台湾メディアのインタビューに対して九份を作品の参考にしたことはないと否定している[205]。
スタジオジブリでは『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)よりデジタル彩色が導入されており、本作は宮崎駿監督作品としては初めて、仕上・撮影の工程がデジタル化された。これに伴って宮崎は一部の役職を新しく命名し、CG部チーフだった片塰満則は「デジタル作画監督」に、撮影監督だった奥井敦は「映像演出」になった[169]。『となりの山田くん』では水彩画調の実験的な彩色が行われたため、長編映画でデジタル彩色を用いて従来のセルアニメーションを再現していく作業は、ジブリにおいては実質的に初めての経験といってよかった[190]。この状況を踏まえて、作画・美術・デジタル作画・映像演出の各チーフによって「処理打ち合わせ」という会議が持たれ、各部署間での密接な連携が模索された。たとえば、雨が降ったあとにできた海の描写はデジタル部門や撮影班の上げた成果である[206]。
デジタル作画部門はほぼすべての背景動画を担当した[注 40]。それ以外に、浮き上がる「荻野千尋」の文字や、川の神のヘドロ、海原電鉄から見た黒い人物の様子などを担当した[194]。
映像演出部門では、現像を手掛けるイマジカと協力して、独自のカラーマネジメントシステムを導入し、デジタルデータをフィルムに変換する際に色調が変化しないよう努めた[190]。また、本作は初期のDLP上映作品であり、本来であればフィルム特有の画面の揺れは抑えられる環境にあったが、映像演出の奥井はあくまでフィルム上映を基本と考え、完成画面の上下左右に1センチの余裕を残して、シーンに応じてデジタルデータにわざとブレを加える工夫をした[207]。
色彩設計は保田道世。宮崎駿・高畑勲とは東映動画に在籍していた1960年代からの知己であり、『風の谷のナウシカ』から『風立ちぬ』に至るまで、すべての宮崎駿監督長編作品で色彩設計部門のチーフを務めている。本作ではデジタル化により扱える色の量が飛躍的に増加した[208]。
音楽を担当した久石譲は、『風の谷のナウシカ』以降の宮崎長編作品をすべて手掛けており、『千と千尋の神隠し』で7作目に当たる。公開に先駆け2001年4月にイメージアルバムが発売され、5曲のボーカル曲のすべてを宮崎が作詞した。宮崎はイメージアルバムに収録されたピアノ曲「海」を気に入っており、久石はこの曲が海上を走る電車のシーンにうまく「はまった」ことを喜んだ[65][209]。
本作ではインドネシアのガムランや琉球音楽、シルクロード、中近東、アフリカなどのエスニックな楽器や現地の人が叩いたリズムのサンプリングがふんだんに採り入れられ、フルオーケストラと融合するアプローチが行われた。久石は前作『もののけ姫』と共に「スタンダードなオーケストラにはない要素を導入しながら、いかに新しいサウンドを生み出していくか、というチャレンジを試みていた時期ですね」と述懐している[210][211][212]。
覚和歌子作詞、作曲・歌はソプラノ歌手の木村弓による「いつも何度でも」が主題歌となった。しかし、この曲はもともと『千と千尋』のために書かれたものではない。木村弓と宮崎の交流は、1998年夏ごろに木村が宮崎に書いた手紙に端を発する。木村は前作『もののけ姫』を鑑賞して感銘を受け、自らのCDを添えて手紙を送った。
当時、宮崎は『煙突描きのリン』の企画中だったので、そのあらすじを書き添えたうえで[213]「作品が形になったら連絡するかもしれない」と返事した。木村は『リン』の世界から刺激を受けてメロディを着想。作詞家の覚に持ちかけて曲の制作に入った。こうして、「いつも何度でも」は1999年5月に完成した。しかし宮崎から連絡があり、『リン』の企画自体が没になったので、主題歌には使うことができないと伝えられる。「いつも何度でも」はお蔵入りになりかけた。『千と千尋の神隠し』の主題歌は、宮崎作詞・久石作曲の「あの日の川へ」になる予定だった。
イメージアルバムの1曲目には同名のボーカル曲が収録されている。しかし、宮崎の作詞作業が暗礁に乗り上げ、不採用になった。2001年2月、「いつも何度でも」を聞き直した宮崎は、「ゼロになるからだ」などの歌詞と映画の内容が合致することに驚き、急遽主題歌としての再起用を決める。『千と千尋』を制作するにあたって「いつも何度でも」が潜在的な影響を与えたのかもしれない、と振り返っている[214][215]。シングル「いつも何度でも」の売上は50万枚以上を記録した[216]。
企画書にある「あいまいになってしまった世の中」、「あいまいなくせに、侵食し喰い尽くそうとする世の中」の縮図として設定されたのが、湯屋という舞台である[217]。湯屋の勤務形態は夜型だが、スタジオジブリもまた夜型の企業であり、企業組織としての湯屋はスタジオジブリそのものがモデルになっている[67]。宮崎もスタッフに「湯屋はジブリと同じだ」[218]と説明し、ジブリ社内は「10歳の少女には魑魅魍魎の世界に見える」[67]と語った。たとえば、湯婆婆はときどき湯屋から外出してどこか知れぬところへ飛んで行くが、この行動には、会議・出張などで頻繁にジブリからいなくなる鈴木敏夫のイメージが重ねられている[67]。インタビューによれば、宮崎はペルーの少年労働を扱ったドキュメンタリー番組を見たことがあり、子供が労働することが当然である世界の現状を忘れたくなかったので、過酷な環境下で少女が労働を強いられるストーリーを執筆したと説明している[78]。
町山智浩・柳下毅一郎は「湯屋は遊郭である」と指摘し[219]、作品スタッフの舘野仁美(動画チェック)も同様の発言をしている[注 41]。宮崎自身は、千尋が迷いこむ不思議な世界のイメージを伝える文脈で、学生時代に新宿の赤線地帯付近を通りかかったときに見た「赤いライトの光景」についてスタッフに説明したという[221]。また、雑誌「プレミア日本版」2001年9月号のインタビューでも同様の発言があり、子供のころにはまだ残っていた新宿の「赤いランタン」に触れたうえで、「日本はすべて風俗営業みたいな社会になっている」「いまの世界として描くには何がふさわしいかといえば、それは風俗営業だと思う」[222]と語っている。湯屋に大浴場がなく、個室に区切られていることについて質問されたときには、「いかがわしいこと」をするためであろうと答えている[223]。かつての日本の湯屋では、湯女による垢すりや性的行為が一般的に行われていた[224]。
そして、鈴木の述懐によれば、企画の原点には鈴木と宮崎の間で交わされた「キャバクラ」についての会話があった。その内容はこうである。鈴木にキャバクラ好きの知人がいた。この知人から聞いた話では、キャバクラで働く女性には、もともとコミュニケーションがうまくできないひとも多い。客としてくる男性も同じようなものである。つまりキャバクラは、コミュニケーションを学ぶ場なのである。異性と会話せざるを得ない環境に放り込まれて働いているうちに、元気を取り戻していく(という従業員もいる)。鈴木によれば、宮崎はこの談話をヒントにして湯屋の物語を構想した。すなわち、千尋が湯屋で神々に接待していくうちに、生きる力を取り戻していくというストーリーである[225][226]。
「神仏混淆の湯治場」という発想は、「霜月祭」がもとになっている。この祭りは「十二月に神々を招いて湯を浴びさせる」というもので、様々な仮面を被った人々が多種多様な神々を演じて舞う神事である[200]。鈴木と宮崎はNHKドキュメンタリー『ふるさとの伝承』[注 42]でこの祭りを知り、着想を得た[173]。霜月祭は、長野県下伊那郡天龍村に伝わる「天龍村の霜月神楽」や長野県飯田市の遠山郷(旧南信濃村、旧上村)に伝わる「遠山の霜月祭」など、長野・愛知・静岡の県境にまたがる地域の各地で行われている[228]。また、静岡県静岡市の「清沢神楽」や静岡県御殿場市の「湯立神楽」、愛知県北設楽郡の「花祭り」など「釜で湯を沸かして掛け踊る」という湯立神楽の祭事は、日本各地で行われている。
1994年春頃、宮崎は自宅付近を流れるドブ川を観察する。川の中では、ユスリカの幼虫が大量発生して、汚濁した水の中で懸命に生きていた。宮崎はその様子を見て「今後の人間の運命」を感じる経験をした。後に宮崎は地元有志とドブ川を掃除し、そのときの経験が汚れた河の神の内部から自転車などを引き出すシーンとして活かされた[223][229]。その後も川掃除は宮崎の習慣になっており、2016年に一般市民が制作したドキュメンタリー作品では、宮崎が川掃除などの地域の清掃活動に取り組む様子が収められている[230]。
千尋が車の後部座席で揺られながら不満を口にしている冒頭の場面について、押井守は、これは宮崎が元々『柳川堀割物語』のオープニングとして検討していたものであり、諦めきれなかったものではないかと推測している[231]。また押井は、千尋とカオナシが路面電車に乗って銭婆に会いに行く場面は、明らかに三途の川をイメージしたものとみており、宮崎も意識しているだろうと述べている[232]。
鈴木敏夫は、宣伝の量と上映館のキャパシティの両方を『もののけ姫』の倍にする計画を立てたと語っている[233]。鈴木を奮起させたのは、宮崎駿の息子、吾朗と、博報堂の藤巻直哉の言葉だった。鈴木は、前作に続いて今作でも大ヒットが続けば、宮崎がおかしくなってしまうのではないかと心配していた。しかし、宮崎吾朗は、当時デザインに取り組んでいた三鷹の森ジブリ美術館の成功を望み、『千と千尋の神隠し』を前作の倍ヒットさせてほしいと言った。のちに『崖の上のポニョ』の主題歌を歌うことになる藤巻直哉は、2000年の秋頃に赤坂でばったり鈴木と出くわした[234]。当時、電通と博報堂は1作ごとに交代で製作委員会に入っていたため、博報堂の担当者である藤巻は関わっていなかった。藤巻はそこで次のようなことを漏らした。次の作品は、『もののけ姫』の半分は行くだろうとみんな言っている。電通がうらやましい、と。鈴木はこの言葉にいきり立ち、必ずや『千と千尋』を大ヒットさせると決意する[234][235]。
2001年3月26日、江戸東京たてもの園で製作報告会[191]。宮崎は、「幼いガールフレンド」たちが本当に楽める映画を作りたいと制作の動機を語った[236]。徳間書店・スタジオジブリ・日本テレビ・電通・ディズニー・東北新社・三菱商事が製作委員会を組んだ。本作から新たに加わった出資企業は2社。ディズニーは『ホーホケキョ となりの山田くん』から参加していたが、東北新社と三菱商事は初参加だった。電通経由で特別協賛に入ったネスレ日本と、三菱商事系列企業のローソンはタイアップで活躍した[237]。ネスレは本編映像を使用したテレビCMの放映などでキャンペーンを展開した。
コンビニエンスストアとのタイアップはジブリにとって初めての経験だった。それまで鈴木はコンビニを敬遠していたが[238]、ローソンは全国約7000店の店舗で『千尋』を大々的に告知、独自にフィギュアつき前売り券などを用意し、映画館窓口の販売実績を超える32万枚の前売り券を売り上げた。この機にジブリとローソンのタッグは確立され、三鷹の森ジブリ美術館が完成した後にはローソンが唯一のチケット窓口になるなど、関係は続いている[239]。
劇場の本予告・および新聞広告ではカオナシが前面に押し出された[240]。本予告は二種類が作成され、2001年3月から5月までの予告「A」は、千尋が不思議な町に迷いこみ、親が豚になってしまうところまでをホラー映画風にまとめたものだった。対して、6月から流れた予告「B」は、千尋がカオナシを湯屋に招き入れ、カオナシが暴走するところまでをまとめた[241]。
鈴木は、本作を「カオナシの映画」であると考え、カオナシを宣伝の顔として立てることを決めた。その理由として、前述した千尋のキャラクターの極端な変貌を鈴木が感じ取っていたことが挙げられる。不機嫌な千尋の視線に沿ってゆったりとした前半の展開と、中盤以降のきびきびと働く千尋を追いかけるような展開にはギャップがあり、鈴木は本作を「1本で2本分の映画」であるように思った[242][243]。鈴木の語ったところによれば、宮崎自身も当初は「千尋とハクの話」だと考えており、カオナシ中心に宣伝を行うことに違和感を持っていた。しかし、映画が完成に近づいた段階でラッシュ(完成した素材を荒くつないだ映像)を見て、「千尋とカオナシの話」であることを認めたという[244]。
当初は、糸井重里の書いた「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」という宣伝コピーが使われていた。しかし、宣伝プロデューサーを務めた東宝の市川南[注 43]の意見で[247]、「〈生きる力〉を呼び醒ませ!」というサブコピーが考案され、新聞広告などではこちらのほうが大きく取り上げられた[216]。
宣伝チームはローラー作戦をかけ、通常であれば行かないような地方の小さな町まで訪れるなど、徹底したキャンペーンを張ったと鈴木は証言する[248]。
2001年7月10日、帝国ホテルで完成披露会見。同日、日比谷スカラ座で完成披露試写会。宮崎は前作の公開時に続いて、またしても長編引退をほのめかした。試写の反応は絶賛一色だった。しかし、作品の完成は公開日の2週間前で[160]、試写にかけられる時間がわずかしかなかったことから、『もののけ姫』ほどの大ヒットにはならないだろうという観測が多勢を占めていた[191]。この日の試写会には千尋のモデルとなった奥田誠治の娘、奥田千晶も現れた[249]。宮崎は鈴木とともに千晶を出迎え、「この映画はおじさんと千晶の勝負だ」と言った[250]。上映後の千晶の反応は上々であり、宮崎と鈴木は喜んだ[67][155]。「おわり」のカットで描いた不鮮明なイラストについて宮崎が尋ねると、千晶はそれが自分の落とした靴の絵であることを正しく言い当てた[154]。
2001年7月20日公開[191]。すぐさま爆発的なヒットになり、週末映画ランキングでは公開以来26週連続トップ10にランクインした。さらに、公開32週目には前週の18位から一気に4位に浮上した。11月11日までの4か月間で、興行収入262億円、観客動員数2023万人を記録。『タイタニック』が保持していた日本の映画興行記録を塗り替えた。1年以上のロングラン興行になり、最終的には304億円の興行収入を叩き出した(再上映分の収入を含まず)[注 1]。この記録は2020年まで破られていなかったが、同年公開された「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」によって破られた。宮崎の個人的な友人である千晶を喜ばせたいという動機でスタートしたこの映画は、実にのべ2350万人[251]もの日本人の足を劇場に運ぶに至った。
空前のヒットの興行的な要因としては、まず宮崎の前作『もののけ姫』が1420万人[252]を動員し、新規顧客を開拓したことが挙げられる[253]。また、『もののけ姫』から『千と千尋の神隠し』に至るまでの期間に、シネマコンプレックスが全国的に普及し、人気作品を映画館の複数スクリーンで集中的に上映する体制が整っていたこともある[253]。公開と同時に、他の作品を上映する予定だったスクリーンが『千と千尋の神隠し』に回され、シネコンでの上映を占拠していった[254]。一方、こうした類のない大ヒットは、他の上映作品の興行に悪影響を及ぼした[255]。2001年12月に行われた「大ヒット御礼パーティ」の席上では、興行関係者が困惑を露わにした。興行収入300億という数字は、1年間に公開される邦画のすべてを合わせた量に相当したからである[251]。
本作で行われた大宣伝とは対照的に、次回作『ハウルの動く城』では「宣伝をしない」宣伝方針が取られた。公開前の内容の露出は極端に抑えられることになり、宮崎もメディアから姿を消した[256]。これに関して、鈴木は千と千尋の神隠しがヒットしすぎたことにより、本来ならある程度数字を挙げることができた様々な作品がヒットせず、多方面に迷惑をかけてしまったため、千と千尋がヒットした後に関係者が集まり、二度と千と千尋のような作品を出さないよう、ある程度棲み分けることにしたと語っている[257]。
2016年、スタジオジブリ総選挙で本作が1位に輝き、同年9月10日から19日の10日間、全国5か所の映画館にて再上映された。この再上映による興行収入は4.0億円で、累計興行収入は308.0億円となった[5]。
また2020年、新型コロナウイルスの流行によって新作映画の供給が困難になったことを受け、同年6月26日から8月まで全国の映画館で本作の再上映を行った[14]。この再上映による興行収入は8.8億円にのぼり、同年12月15日にこれまでの興行収入(308.0億円)に加算され[注 44]、本作の正式な興行収入が316.8億円となった[259][260]。
英語吹替版はピクサー社のジョン・ラセターがエグゼクティブ・プロデューサー(製作総指揮)を担当。配給の優先権を持っていたのはディズニーだったが[267]、2001年8月にディズニーで行われた上映会では、当時CEOだったマイケル・アイズナーの反応は芳しくなかった[268][269]。宮崎は米国での公開に積極的ではなかったが[268]、鈴木は検討を重ねた末、宮崎の熱烈なファンであるラセターに協力を依頼することにした[267]。1982年、宮崎はアニメ映画『リトル・ニモ』の企画で渡米し、このときにラセターと面識を得ていた。当時まだディズニーに在籍し、不遇の時にあったラセターは、『ルパン三世 カリオストロの城』を鑑賞して衝撃を受け、以来宮崎の熱心なファンとなる。1987年には『となりのトトロ』制作時のジブリを訪れてもいる。その後、ピクサーが創立されるとラセターは移籍し、1995年の『トイ・ストーリー』を皮切りに、ヒット作を送り出していた[270]。
ラセターが説得した結果、ディズニーが北米での配給権を取得。ラセターは『美女と野獣』の監督、カーク・ワイズを英語版監督に、『アラジン』のプロデューサー、ドナルド・W・エルンストを英語版プロデューサーに指名した[271]。英題は Spirited Away に決まった。吹替版は原作に忠実に制作された[268]。しかし、ラストシーンで千尋の父が「New home, new school, must be scaring」(新しい家、新しい学校は怖いだろう)と言い、千尋が「I think I can manage it」(私、きっとやっていけるよ)というシーンが足されている[272]。
2002年9月5日から10日間、宮崎・鈴木らはプロモーションのために米国へ渡った。ラセターは、ピクサー社を案内したり、複葉機による遊覧飛行を用意したりと、ジブリの一行を手厚くもてなした[268]。このときの様子を収めた映像は、DVD『ラセターさん、ありがとう』(ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント、2003年)として発売されている。
9月20日、北米10都市で公開。以後約1年間にわたって小規模ながら興行が続いた。同年12月からは全米で次々と映画賞を受賞した[268]。最終的には約1000万ドルの興行収入を記録した[273]。
日本公開から18年の歳月を経て、2019年6月21日より[274]、[275]およそ9000か所の映画館で初公開された[276][277][278][279]。
2003年1月24日には日本テレビ系列の『金曜ロードショー』でテレビ初放送され、46.9%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)という視聴率を記録した。過去にテレビ放送された劇場映画の最高視聴率である[280][281][282]。ビデオリサーチ・関西地区調べでも46.1%の視聴率を記録[280]。日本だけでなく、2004年12月29日にはイギリスで、2006年にはアメリカ合衆国で、2007年9月30日にはカナダでもテレビ放送された(オーストラリアでもテレビ放送実績あり)。
VHS・DVDは2002年7月に発売された。日本国内におけるVHSの出荷本数は250万本、DVDの枚数は300万枚だった。合計550万本の出荷は、やはり新記録だった[283]。
2002年7月に日本で発売された『千と千尋の神隠し』のDVDや、ビデオカセット(VHS)に収録されている本編映像が、劇場公開版や予告編・TVスポットなどと比べて赤みが強いとして、スタジオジブリと発売元のブエナビスタ、消費者センター[284]などに苦情が寄せられた[285][282]。
両社は、DVD制作時に用意されたマスターの色調には、意図的な調整を施しているためであり、「このクオリティが最高のものと認識しております」と説明した[注 45]。映画上映時のTVCMや上映用プリントやDVDに収録された予告編、TVスポットなどにはこの調整は施されていないため、両者の色調が異なっているが、あくまで本編の色調が正しいとした。
2002年11月、この問題で一部ユーザーは、販売元のブエナビスタを相手取り京都地方裁判所に提訴し、正しい色調のDVDとの交換と慰謝料などを請求した。本係争は2004年9月に「ディズニー・ジャパンは購入者に誤解や混乱が生じたことに遺憾の意を表明する」「今後DVD販売に際しデータを調整した時は明記する」「原告らは請求を放棄する」など全5項目の和解が成立し決着した[283]。
その後、北米、ヨーロッパ、韓国では、日本で発売されたものよりも、赤みの強くない映像が収録されたDVDが販売された。
日本テレビでの2003年1月24日の『金曜ロードショー』(開局50周年記念番組)での放送には、DVDと同様のマスターが使用され、以後も使用されるようになった。
2011年1月7日、日本テレビの『金曜ロードショー』で、初めてハイビジョンマスターにより放送。赤みが大幅に軽減され、北米版DVDに近い赤みの強くない映像で放送された。
2014年4月1日、本作のBlu-ray Disc化が正式発表された[287]。発売予定日は2014年7月16日[234]。Blu-ray版ではDVD版のような赤みは無くなり、劇場版と同等の色調で収録された[288]。同時に発売されたデジタルリマスター版DVDも同一の映像マスターを基にしているため、画面の赤みはない。
この節の加筆が望まれています。 |
社会学者の長谷正人は、本作は過去の宮崎作品と比べ、さほど魅惑的ではないと評している[292]。例えば『天空の城ラピュタ』では、はじめ敵として登場する海賊・ドーラ一家が、物語の中盤からは主人公たちの仲間として活躍しはじめる。長谷がいうには、観客はこのとき、彼らに対する見方の転換をせまられる。さらに、海賊船の中で描かれる彼らのリアルな生活に触れ、「「善」とか「悪」とかいったイメージでは割り切れないような不透明な表情を帯びた魅惑的存在」として、ドーラ一家を認識し直すことになるのである。長谷は、同様のことが「ラピュタ」という舞台や[293]、『風の谷のナウシカ』のような作品についてもいえるとし[294]、宮崎は本来、このような「過程」を重視する物語制作を得意としていたと説明する。そして、しかるに本作(や『もののけ姫』)では、宮崎の本来の手法的には「結果」であったはずの「不透明による魅惑」が、最初から提示されてしまっているのだという[295]。例えば湯屋がそうである。湯屋は千尋が成長していく過程で、「悪」なる場所として見えたりすることもなければ、したがって「善」なる場所に変化することもない[296]。長谷は、近年(2010年時点)の宮崎は、空間的な魅力を提示しようとして、物語の中に生まれる魅力を忘却しているようだと嘆じている[292]。
押井守は、本作は宮崎が自分のやりたいシーンを繋いでいったものにすぎないとし、おおむね否定的に評価している[297]。例えば、千尋の両親は千尋が湯屋で働かされる状況を作り出すためだけに豚にさせられているとし、「こういうのをご都合主義と呼びます」と切って捨てている[298]。押井は、本作は要約すれば「都会出身の千尋が重労働して、何かに目覚め」[299]「カオナシを説諭する物語」[300]であるといい、千尋とカオナシの物語になっている点には一定の評価を与えつつも、観客は「この話、どこに行っちゃうの?」という気持ちになったであろうと述べている[301]。ハクからもらったおにぎりをむさぼるシーンなどが好評であったことには頷けるとしつつ[302]、監督の力量が発揮されるのは本来そういった細部の仕事ではなく、実のところ脚本も宮崎が書いたものではないだろうと推測している[303]。 押井は千尋の造形についても難じている。物語で説明されるのは、東京から田舎に転校する千尋が感傷的になっているという状況だけであり、人格が描かれておらず、このことは宮崎が千尋をひとりの人間として描くつもりがなかった証左であると批判している[304]。押井は、宮崎が描き出すレイアウトの魅力についても、全盛期に比べればダイナミズムが消失していると評している。例えば湯屋にはエレベーターがあるが、かつての宮崎なら絶対に階段にしただろうと述べ、これは途中から原画をアニメーターに任せるようになったためではないかと推測している[305]。 問題点が多いにもかかわらず、本作が大ヒットした要因について、押井は「ジブリ映画が大成功しているから」という一点につきると断定し、日本人の国民性があらわれたものと述べている[306]。
精神科医の斎藤環は、少女を風俗店で働かせるという展開を描くような宮崎の倫理性を、「ファシズムへの倒錯的抵抗」として評価するとしつつ、それは同時に、宮崎が「説教好きのロリコン親父」であることの裏返しであるとみなしており、そのために宮崎の意図が、とりわけオタクと呼ばれる男女には正しく伝わらなかったであろうと述べている。「巷間伝え聞くところによれば、男たちは少女・千尋のむき出しの背中を熱く注視し、女たちは美少年・ハクが式神に攻撃された傷にもだえ苦しむ姿にやられたようです。」ただ、「押井守が評価するように、すぐれてエロティックな要素に満ちた作品」である点は認めている[307]。
批評家の東浩紀は、『となりのトトロ』『魔女の宅急便』以降の宮崎作品の前面に出てくるのは、唯一『もののけ姫』を例外として、すべて能動的に行動できない少女であるという見解を述べている[308]。対談中でなされたそのような東の意見に対し、斎藤が反論しており、以下のように続く。
斎藤 それは宮崎さんがオタクを嫌い始めたからですよ。〔……〕
斎藤 オタクが大嫌いで、声優演技もいやだから、声優を使わないし。〔……〕
小谷 オタクものが抱え込んでいる性的現象が少女に集中しているとすると、そういうオタクに対して拒否反応が働き出したわけね。
斎藤 〔……〕俺が描くとオタクばっかりしかひっかかってこないから、もっと子供たちのために作ろう、ということにとりあえずした。
東 うーん、そういう話はオタクならだれでも知っていることで〔……〕。いちおう、僕なりの宮崎観を述べておくと、観客が同一化する男の子がいるかいないかという違いが大きいと思うんです。 — 東=東浩紀、斎藤=斎藤環、小谷=小谷真理、『網状言論F改』 2003, pp. 203–204
東は、『トトロ』以前の宮崎作品には、作品内に観客(オタク)が感情移入できる少年がいたと指摘する[309]。ナウシカも理念的には少年と考えられ、『未来少年コナン』『カリオストロの城』『ナウシカ』『ラピュタ』は全て、少年が少女を獲得する構図の物語であったとし、そのような話を描いていたころの宮崎は非常に優秀なストーリーテラーであったと述べている[309]。ところが、オタクを嫌うあまり、観客が同一化する存在を作品世界から消してしまったせいで、宮崎は徐々に単純なファンタジーしか作れなくなってしまったのだという[309]。東によれば本作はその典型であり、「なにも残らない、ただの消費財でしかない映像作品」である[309]。
本作は英語圏で広範な評価を得ている。レビュー集積サイトのRotten Tomatoesでは、178本のレビューが掲載されており、うち97%が肯定的に評価している。平均レートは8.6/10で、掲載されているコンセンサスは次の通り。「『千と千尋の神隠し』は、見事に描き出されたおとぎ話であり、眩惑的、魅惑的だ。この作品を見た観客は、自分たちの住んでいる世界がいつもより少しだけ興味深く、魅力的なものに感じられるだろう」[310]。Metacriticでは41本のレビューをもとに96/100のスコアがついている[311]。シカゴ・サンタイムズのロジャー・イーバートは満点の四つ星をつけ、作品と宮崎の演出を称賛している。また、本作を「今年のベスト映画」のひとつとしている[312]。ニューヨーク・タイムズのエルヴィス・ミッチェルは肯定的なレビューを書き、アニメーションシーケンスを評価している。また、ルイス・キャロルの鏡の国のアリスと好意的な文脈で引き比べており、この映画が「気分としての気まぐれさ (moodiness as mood)」についての作品であり、キャラクターが作品の緊張感を高めていると評している[313]。バラエティ誌のデレク・エリーは、「若者と大人が同じように楽しめる」とし、アニメートと音楽を評価している[314]。ロサンゼルス・タイムズのケネス・タランは吹き替えを評価しており、「荒々しく大胆不敵な想像力の産物であり、こうした創作物はいままでに見たどのような作品にも似ない」としている。また、宮崎の演出も評価している[315]。オーランド・センチネル紙のジェイ・ボイヤーもやはり宮崎の演出を評価し、「引っ越しを終えた子供にとっては最適」の映画だとしている[316]。
2002年2月6日、第52回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品。同映画祭コンペ部門の長編アニメーション映画の出品は初。2月17日、最優秀作品賞である金熊賞を受賞した。ポール・グリーングラス監督『ブラディ・サンデー』と同時受賞だった。世界三大映画祭で長編アニメーションが最高賞を獲得するのは史上初だった[317]。
2003年2月12日、第75回アカデミー賞長編アニメーション部門へのノミネートが決定。3月23日の授賞式で受賞が発表された[注 3]。2020年現在に至るまで、同部門を受賞した日本のアニメーションは本作のみである。また手描きのアニメーションとしても唯一の受賞作である。授賞式には宮崎の代理で鈴木敏夫が出席する予定だったが、3月20日に米軍を中心とする有志連合がイラク進攻を開始し、事態が緊迫化したため、断念した[318]。宮崎の受賞コメントは次のようなものになっている。
いま世界は大変不幸な事態を迎えているので、受賞を素直に喜べないのが悲しいです。しかし、アメリカで『千と千尋』を公開するために努力してくれた友人たち、そして作品を評価してくれた人々に心から感謝します。 — 宮崎駿、『ジブリの教科書12』, p. 45
2009年2月にオリコンがインターネット調査した「日本アカデミー賞 歴代最優秀作品の中で、もう一度観たいと思う作品」で1位に選ばれた[319]。
2016年7月、アメリカの映画サイト・The Playlistが、21世紀に入ってから2016年までに公開されたアニメのベスト50を発表し、本作が第1位に選ばれた[320]。
2016年8月、英BBC企画「21世紀の偉大な映画ベスト100」で第4位に選ばれた[321]。
2016年に実施された「スタジオジブリ総選挙」で第1位に選ばれ、2016年9月10日から16日までTOHOシネマズ5スクリーンで再上映された[322]。
2017年4月、映画批評サイト「TSPDT」が発表した「21世紀に公開された映画ベスト1000」にて、第8位に選ばれた[323]。
2017年6月、ニューヨークタイムズ紙が発表した「21世紀のベスト映画25本」で、第2位に選ばれた[324]。
2017年6月、英エンパイア誌が読者投票による「史上最高の映画100本」を発表し、80位にランクインした[325]。
2018年8月、ワシントンポスト紙が発表した「2000年代のベスト映画23本」に選出された[326]。
2018年10月、英BBCが企画・集計した、「非英語映画100選(英語圏にとっての外国語映画100選)」にて、37位に選ばれた[327]。
2019年6月、中国の映画情報サイト「時光網」が発表した、「日本アニメ映画のトップ100」で、第1位に選ばれた[328]。
2019年9月、英インディペンデント紙(デジタル版)が選ぶ、「死ぬ前に観るべき42本の映画」に選出された[329]。
2020年1月、英エンパイア誌が発表した「今世紀最高の映画100選」にて、日本映画で唯一選出された(15位)[330]。
2022年10月、英エンパイア誌が発表した「史上最高の映画100本」にて、第49位に選ばれた[331]。
2022年12月、英国映画協会が発表した「史上最高の映画100」で、第75位に選ばれた[332]。
発表年 | 賞 | 部門 | 対象 | 結果 |
---|---|---|---|---|
2001 | 第6回アニメーション神戸 | 作品賞・劇場部門 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[333] |
第44回ブルーリボン賞 | 作品賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[334] | |
第19回ゴールデングロス賞 | 最優秀金賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[335] | |
マネーメイキング監督賞 | 宮崎駿 | 受賞[335] | ||
特別賞・全興連特別大賞 | 宮崎駿 | 受賞[335] | ||
第56回毎日映画コンクール | 日本映画大賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[336] | |
アニメーション映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[336] | ||
監督賞 | 宮崎駿 | 受賞[336] | ||
音楽賞 | 久石譲、木村弓 | 受賞[336] | ||
第26回報知映画賞 | 監督賞 | 宮崎駿 | 受賞[337] | |
第14回日刊スポーツ映画大賞 | 作品賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[338] | |
2002 | 第75回キネマ旬報ベスト・テン | 読者選出日本映画監督賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[339] |
日本映画ベスト・テン | 『千と千尋の神隠し』 | 3位[339] | ||
読者選出日本映画ベスト・テン | 『千と千尋の神隠し』 | 1位[340] | ||
第5回文化庁メディア芸術祭 (アニメーション部門) |
大賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞 (千年女優と同時)[341] | |
特別賞 | 宮崎駿 | 受賞[341] | ||
第26回エランドール賞 | 作品賞 映画部門(児井・田中賞) | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[342] | |
プロデューサー賞(児井・田中賞) | 鈴木敏夫 | 受賞 (石原隆・菅康弘と同時)[342] | ||
新世紀東京国際アニメフェア21 (コンペティション・アカデミー部門)[注 47] |
グランプリ | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[346] | |
(同・劇場映画部門) | 優秀作品賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞 (『アリーテ姫』・『METROPOLIS』と同時)[346] | |
脚本賞 | 宮崎駿 | 受賞[346] | ||
監督賞 | 宮崎駿 | 受賞[346] | ||
ベストキャラクター賞 (キャラクターデザイン) |
宮崎駿 | 受賞[346] | ||
ベストキャラクター賞 (声優) |
柊瑠美(千尋役) | 受賞[346] | ||
美術賞 | 武重洋二 | 受賞[346] | ||
音楽賞 | 久石譲 | 受賞[346] | ||
第39回ゴールデン・アロー賞 | 特別賞 | 宮崎駿 | 受賞[347] | |
第25回日本アカデミー賞 | 最優秀作品賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[348] | |
会長功労賞 | 宮崎駿 | 受賞[348] | ||
協会特別賞 | 木村弓(主題歌) | 受賞[348] | ||
発表年 | 賞 | 部門 | 対象 | 結果 |
---|---|---|---|---|
2002 | 第52回ベルリン国際映画祭 | 金熊賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞 (『ブラディ・サンデー』と同時)[8] |
シネキッド映画祭 | シネキッド作品賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞 (The Little Bird Boy と同時)[349] | |
第21回香港電影金像奨 | 最優秀アジア映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[350] | |
ナショナル・ボード・オブ・レビュー | アニメ部門賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[351] | |
第68回ニューヨーク映画批評家協会賞 | アニメ映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[352] | |
第28回ロサンゼルス映画批評家協会賞 | アニメ映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[353] | |
ダーバン国際映画祭 | 最優秀映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[354] | |
全州国際映画祭 | 観客賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[355] | |
ニューヨーク映画批評家オンライン賞 | アニメ映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[356] | |
サンフランシスコ国際映画祭 | 「観客賞部門」:最優秀長編映画作品賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[357] | |
ユタ映画批評家協会賞 | 最優秀作品賞・監督賞・脚本賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[358] | |
2003 | 第6回オンライン映画批評家協会賞 | アニメ映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[359] |
アムステルダム・ファンタスティック映画祭 | 観客賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[360] | |
第29回サターン賞 | アニメ映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[361] | |
第8回クリティクス・チョイス・アワード | 長編アニメ映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[362] | |
フロリダ映画批評家協会賞 | アニメーション映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[363] | |
ダラス・フォートワース映画批評家協会賞 | アニメ映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[364] | |
オーストラリア映画批評家サークル賞 | 外国語映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[365] | |
ゴールドダービー賞 | 長編アニメ映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[366] | |
ゴールデン・トレーラー賞 | ベスト・アニメーション/ファミリー賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[367] | |
国際オンライン映画賞 | 長編アニメ映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[368] | |
フェニックス映画批評家協会賞 | アニメ映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[369] | |
サテライト賞 | アニメーション・ミックスメディア映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[370] | |
第30回アニー賞 | 作品賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[371] | |
監督賞 | 宮崎駿 | 受賞[371] | ||
脚本賞 | 宮崎駿 | 受賞[371] | ||
音楽賞 | 久石譲 | 受賞[371] | ||
第75回アカデミー賞 | 長編アニメ映画賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[11] | |
クリストファー賞 | クリストファー賞 | 『千と千尋の神隠し』 | 受賞[372] | |
2004 | 第57回英国アカデミー賞 | 非英語作品賞 | 『千と千尋の神隠し』 | ノミネート[373] |
内容 | 記録 | 補足 |
---|---|---|
興行収入 | 316.8億円[2][注 1] | 再上映含めた2020年12月現在の正式な記録 |
動員 | 2352万人[251][374] | 再上映除く |
前売り券販売 | 100万枚[375] | うちローソン販売分が32万枚[375] |
『イメージアルバム』 | 5万枚出荷(2001年発売のCD)[216] | |
『サウンドトラック』 | 35万枚出荷(2001年発売のCD)[216] | |
主題歌『いつも何度でも/いのちの名前』 | 51万枚出荷(2001年発売のシングルCD)[216] | |
VHS(ブエナビスタ版) | 250万本出荷[283] | 2005年3月現在 |
DVD(ブエナビスタ版、2枚組・特典付) | 300万枚出荷[283] | 2005年3月現在 |
DVDコレクターズ・エディション (ブエナビスタ版、特典付) |
1万セット限定[283] | 2005年3月現在 |
回数 | 放送日時 (JST) | 視聴率 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
1 | 2003年1月24日(金) | 20:30 - 23:09 | 46.9%[281][376] | [注 48] |
2 | 2004年12月10日(金) | 20:00 - 22:54 | 26.1%[376][377] | |
3 | 2007年2月(金) 2日 | 21:03 - 23:34 | 18.6%[378] | |
4 | 2009年6月(金) 5日 | 21:00 - 23:34 | 21.4%[379] | |
5 | 2011年1月(金) 7日 | 16.5%[380] | ||
6 | 2012年7月(金) 6日 | 19.2%[381] | ||
7 | 2014年11月21日(金) | 19:56 - 22:54 | 19.6%[382] | [注 49] |
8 | 2017年1月20日(金) | 21:00 - 23:34 | 18.5%[384] | |
9 | 2019年8月16日(金) | 19:56 - 22:54 | 17.9%[385] | |
10 | 2022年1月(金) 7日 | 21:00 - 23:34 | 16.3%[386] | |
11 | 2024年1月(金) 5日 | 12.9%[387] |
全て、日本テレビ系『金曜ロードショー』での放送。
1回目の放送はこの年の紅白歌合戦の視聴率(45.9%)を1.0ポイント上回り、2003年の年間視聴率1位を記録し(日本テレビの年間視聴率1位は史上初)、これは2020年現在、民放がスポーツ中継以外で年間視聴率1位を記録した唯一の事例でもある。
演出は『レ・ミゼラブル』などを手掛けたジョン・ケアードが務める。舞台企画が持ち上がったのは2017年で構想から開幕まで5年の歳月を掛けられ、東宝の創立90周年を記念して初の舞台化[389]。2022年の初演では、2月・3月:帝国劇場(東京)、4月:梅田芸術劇場(大阪)、5月:博多座(福岡)、6月:札幌文化芸術劇場(札幌)、6月・7月:御園座(名古屋)にて上演[390][391]。再演では、2023年8月:御園座(名古屋)、2024年3月:帝国劇場(東京)にて上演予定[392]。
舞台では、油屋に見立てた大型舞台機構を360度回転させながら展開される。軒先、階段、障子と盆(回り舞台)が動く度に見え方が異なるため、移動式の回廊や壁面、天井から上下する屋根などを組み合わせ、湯屋の玄関、釜爺のいるボイラー室、湯婆婆の部屋など映画を彷彿させる空間を表現[393]。セットデザインは英国で活躍するジョン・ボウサーが手掛ける。プロジェクションマッピングなどの技術は敢えて使用せずパペットを用いるなど、全て人力で世界観を表現している。
東京を含む全ての公演のチケットが2022年3月の時点で既に完売していることを受けて、東宝は同年7月3日と4日に御園座にて行われる大千秋楽公演を動画配信サービスのHuluにて有料配信することを同年3月29日に発表したが[394][395]、一部の出演者において、新型コロナウイルスの感染が相次ぎ、7月3日の上演内容に変更が発生したことを受けて、7月3日の配信分は帝国劇場公演分の収録映像に変更、4日の配信分は予定通り御園座の大千秋楽公演をライブ配信することを同月1日に発表した[396]。
2022年12月29日に稽古の様子を撮影した「もうひとつの千と千尋の神隠し〜舞台化、200日の記録〜」がNHKで放送される[397]。
2023年4月28日、再演を発表[398]。千尋役に橋本と上白石が続投する[399]。また、初演の模様を収めたBlu-rayを2023年7月29日に発売すると併せて発表[400]。
2023年8月2日、海外公演を行うことを発表した。2024年4月から約3か月間、イギリス・ロンドン・コロシアムにて行い、主演の千尋役は橋本と上白石のダブルキャストが続投する[401][402]。
2023年8月20日12:00公演(千尋役 橋本)、8月26日17:00公演(千尋役 上白石)をHuluストアにて独占ライブ配信[403]。
米国ではGKIDSが舞台映像の配給権を所有し、帝国劇場でのダブルキャスト両公演の録画を2023年春に公開した[404]。
2024年公演では、橋本と上白石に加え、オーディションで選ばれた川栄李奈、福地桃子の4人で千尋役を務める[405]。
2024年全国ツアーの最終日となる6月20日公演の13:00公演(千尋役 川栄)と18:00公演(千尋役 福地)が、Huluで独占ライブ配信される[406]。
2024年8月17日に、Huluにて稽古の様子を撮影したドキュメンタリー映像「舞台『千と千尋の神隠し』ロンドンへ飛ぶ」が公開される[407]。
2024年8月24日、ロンドン・コロシアム大千穐楽公演(千尋役 上白石)と2024年帝国劇場収録公演(千尋役 橋本)を、Huluにてライブ配信[408]。
役名 | 演 |
---|---|
千尋 | 橋本環奈[413][414] / 上白石萌音(Wキャスト) |
ハク | 醍醐虎汰朗 / 三浦宏規(Wキャスト) |
カオナシ | 菅原小春 / 辻本知彦[415](Wキャスト) |
リン | 咲妃みゆ / 妃海風(Wキャスト) |
千尋の母 | |
釜爺 | 田口トモロヲ / 橋本さとし(Wキャスト) |
湯婆婆 | 夏木マリ[416] / 朴璐美(Wキャスト) |
銭婆 | |
兄役 | 大澄賢也 |
千尋の父 | |
父役 | 吉村直 |
青蛙 | おばたのお兄さん[417] |
阿部真理亜[415] | |
新井海人[415] | |
五十嵐結也[415] | |
桜雪陽子[415] | |
大重わたる[415] | |
折井理子[415] | |
可知寛子[415] | |
香月彩里[415] | |
城俊彦[415] | |
末冨真由[415] | |
田川景一[415] | |
竹廣隼人[415] | |
知念紗耶[415] | |
手代木花野[415] | |
中上綾女[415] | |
花島令[415] | |
松之木天辺[415] | |
水野栄治[415] | |
武者真由[415] | |
保野優奈[415] | |
八尋雪綺[415] | |
YAMATO[415] | |
山野光[415] |
2024年にビリー・アイリッシュが発表した楽曲「チヒロ」は、本作から影響を受けた[418]。
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