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新日本プロレス

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新日本プロレス
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新日本プロレス(しんにほんプロレス、正式団体名称:新日本プロレスリング、: New Japan Pro-Wrestling略称: NJPW)は、日本プロレス団体

概要 種類, 略称 ...
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概要

1971年12月、日本プロレスに対してクーデターを画策したとしてアントニオ猪木が日本プロレス選手会を除名、日本プロレスから永久追放された(詳しくは「密告事件」を参照)。

1972年1月13日、猪木が設立[5]。3月6日、大田区体育館で旗揚げ戦を開催。この1970年代から1980年代の時代、本社事務所は東京南青山高樹町)の旧井植ビル内に置かれていた。

2005年11月14日、猪木が保有していた新日本プロレスの株式51.5%をユークスが取得してユークスの子会社になった(後に全株式を取得)[6]。同年、日本プロスポーツ協会から脱退。

2012年1月31日、ユークスが保有していた新日本プロレスの全株式をブシロードグループパブリッシング(現:ブシロード)に5億円で譲渡してブシロード社の子会社となり、ブシロードグループパブリッシング代表取締役社長の木谷高明がオーナーになった[7]

2014年、債務超過状態から脱して2017年7月期の売上高は38億5,000万円、純資産額は9億3,000万円を記録して以降の経営状況も安定している[8]

「KING OF SPORTS」を標榜して「ストロングスタイル」と呼ばれるファイトスタイルを掲げていたが[9]2010年代後半から選手たちが「脱ストロングスタイル」を提唱して従来のストロングスタイルの様な殺気立ったファイトスタイルとは一線を画するファイトスタイルを確立している。

リングドクターを取り入れて健康管理をする面においては他団体と大きく差別化が図られている。

かつては佐川急便の創業者である佐川清が筆頭株主として名を連ねていた。

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歴史

1970年代

1972年
1973年
1974年
1975年
1976年
1977年
  • 8月2日、日本武道館で猪木対全米プロ空手世界ヘビー級王者のザ・モンスターマンによる異種格闘技戦が行われて猪木が勝利。
  • 10月25日、日本武道館で猪木対プロボクサーのチャック・ウェプナーによる異種格闘技戦が行われて猪木の勝利。
1978年
1979年
  • 6月17日、パキスタンのカダフィ・スタジアムで猪木対格闘家のジュベール・ペールワンによる異種格闘技戦が行われて引き分け。
1980年

1980年代

1981年
1982年
1983年
  • 5月から6月、第1回「IWGPリーグ戦」を開催してハルク・ホーガンが優勝。
  • 8月25日、猪木が代表取締役社長、坂口が取締役副社長を退任。専務取締役兼営業本部長の新間寿は謹慎処分。山本小鉄ら3名による取締役体制を発足。
  • 11月1日、猪木が代表取締役社長、坂口が取締役副社長へ復帰したが山本ら3人の取締役体制は短命に終わった。
1984年
  • 6月14日、蔵前国技館で開催した第2回「IWGPリーグ戦」決勝戦で猪木対ホーガンが行われて猪木が優勝したが、長州力の乱入を経て猪木がリングアウト勝ちという不透明な決着に激怒したファンが物を投げたり、放火騒ぎや2階席のイスを破壊するなど暴動寸前状態に発展した。
1985年
1986年
1987年
  • 3月26日、大阪城ホールで行われた猪木対マサ斎藤戦で海賊男(正体はブラック・キャット)が乱入して、斉藤に手錠をかけて連れ去りファンが暴動を起こした。
  • 6月12日、IWGPヘビー級王座を創設して猪木が初代王者。
  • 10月4日、巌流島で無観客試合が猪木対斎藤戦で行われて2時間5分14秒にも及ぶ決闘の末に猪木の勝利(詳しくは「巌流島の戦い」を参照)。
  • 12月27日、両国国技館たけしプロレス軍団が登場して当初行われる予定だったメインイベントの猪木対長州戦を中止して猪木対ビッグバン・ベイダー戦に急遽変更。対戦カード変更に加えて猪木がベイダーに3分弱で敗れるという試合結果に(当初は藤波&木村組対斎藤&ベイダー組のタッグマッチと猪木対長州のシングルマッチ。1回目の対戦カード変更で藤波&木村組対斉藤&長州組のタッグマッチ、猪木対ベイダーのシングルマッチ。2回目の対戦カード変更で猪木対ベイダーの前に、猪木対長州が組まれた。従って、猪木と長州は1日に2試合を戦った)ファンが激怒してリングに物を投げ込んだり、座布団を破いたり設備が破壊されるなどプロレス史上最悪の暴動に発展して新日本プロレスは日本相撲協会から両国国技館の無期限使用禁止を言い渡されて、1989年2月まで両国国技館が使用禁止となった。
1988年
  • 1月から2月、第1回「TOP OF THE SUPER Jr.」を開催して越中が優勝。
  • 4月、プロレスラー育成を目的とした新日本プロレス学校を開校。
  • 11月から12月、第1回「ジャパンカップイリミネーションリーグ戦」を開催して猪木&長州&星野勘太郎組が優勝。
1989年

1990年代

1990年
  • 12月20日、WCWとの業務提携を発表。
1991年
1993年
  • 9月30日、WCWがNWAを脱退して、それに付随して新日本プロレスもNWAを脱退。
1994年
1996年
1998年
  • 4月4日、東京ドームで「"燃える闘魂"アントニオ猪木引退試合」を開催。創業者である猪木の引退試合が行われた。猪木は引退と共に代表取締役会長を退任するが、筆頭株主かつオーナーとしては引き続き在位した。
  • 8月8日、IWGPジュニアタッグ王座を創設して大谷晋二郎&高岩竜一組が初代王者。
1999年

2000年代

2000年
  • 4月14日、気仙沼市総合体育館で行われた試合で福田雅一が意識不明となり同月19日に急逝。試合中の事故で亡くなったのは日本の男子プロレスラーでは初めてのことだった。
2002年
  • 4月1日、ロサンゼルスに新日本プロレスLA道場(2007年3月26日にINOKI DOJOへ改名[11])がオープン。
  • 9月6日、石川県産業展示館3号館で女子プロレスラーのジョーニー・ローラーが参戦。新日本プロレス初となる男女混合試合が行われた。
2003年
  • 4月23日、U-30無差別級王座(後のIWGP U-30無差別級王座)を創設して棚橋弘至が初代王者。
  • 5月2日、新日本プロレス初の独自ルールによる総合格闘技戦「アルティメット・クラッシュ」が行われた。
2004年
  • 6月23日、経営コンサルタントの草間政一が代表取締役社長、前代表取締役社長の藤波が取締役副会長に就任。
2005年
  • 4月、第1回「NEW JAPAN CUP」を開催して棚橋が優勝。
  • 5月26日、草間が代表取締役社長を解任されて、後任として猪木の娘婿であるサイモン・ケリー猪木が代表取締役社長に就任。
  • 10月、新日本プロレス総合格闘技部門を発足。
  • 11月14日、猪木が保有していた新日本プロレスの株式51.5%をユークスが取得してユークスの子会社になった(後に全株式を取得)。
2007年
  • 3月6日、第1回「NJPWグレーテストレスラーズ」授賞式が行われてアントニオ猪木、坂口征二、星野勘太郎、山本小鉄が表彰。
  • 3月9日、サイモン・ケリー猪木が代表取締役社長を辞任。
  • 4月25日、取締役副社長の菅林直樹が代表取締役社長に就任。
  • 5月25日、新日本プロレス総合格闘技部門がNEW JAPAN FACTORYとしてリニューアル。
2009年
  • 11月23日、CMLLとの業務提携を発表。

2010年代

2010年
2011年
2012年
2013年
  • 6月2日、テレビ朝日系列「大改造!!劇的ビフォーアフター」に老朽化が進んでいた新日本プロレス選手寮のリフォームを依頼し、その模様が2時間スペシャルとして放送された[12]
  • 9月24日、代表取締役社長の菅林直樹が代表取締役会長、経営企画部兼商品部で執行役員の手塚要が取締役社長に就任[13]。取締役会長の木谷高明は退任して引き続きオーナーとして関わっていくことになった[14]
2014年
  • 2月22日、ROHとの業務提携を発表。
2015年
  • 7月2日、新日本プロレス公式サイトへの不正アクセスにより、約1万8000件の個人情報が流失していたことが判明して謝罪会見が行われた。
2016年
2017年
2018年
2019年
  • 11月、アメリカ法人「NEW JAPAN Pro-Wrestling of America Inc.」を設立[4]

2020年代

2020年
  • 2月10日、ニュージーランドに新日本プロレスNZ道場を新設。
  • 2月26日、新型コロナウイルスの感染拡大による日本政府からのイベント開催自粛勧告により、3月1日から3月15日までの11大会を中止することを発表[18]。以降、更なる感染拡大と改正・新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発令により、合計53大会の開催を自粛した。その中には、旗揚げ記念日・BEST OF THE SUPER Jr.など団体が重要視している大会・リーグ戦も含まれていた。また、一部団体が実施したオンラインによる無観客試合の開催についても「会場の使用許可」、「感染リスク不可避」、「業界最大手としての社会的責任」を理由に、実施には消極的な姿勢を取った[19]。また、TTGCもこれ以降はオンラインにスイッチする。
  • 6月15日、110日ぶりの興行「Together Project Special」を会場非公開の無観客で開催し大会を再開[20][21]
  • 8月29日、KOPW王座を創設して矢野が初代王者。
  • 9月5日、ブシロードクラブがブシロードから新日本プロレスへ移管されてTEAM NEW JAPANと名を改めた[22]
  • 10月23日、ハロルド・ジョージ・メイが代表取締役社長兼最高経営責任者を退任してアメリカ法人社長であった大張高己が代表取締役社長に就任。
2021年
2022年
2023年
2024年
2025年
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他団体との交流

全日本プロレス

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主な興行

要約
視点

新日本プロレスの基本的な興行パターンは、ビッグマッチとなる規模の大きい興行を月一回程度設定し、これに向けた前哨戦の興行を「Road to (ビッグマッチの興行名)」の興行名で数回開催していく方式を採っている。これら前哨戦とビッグマッチを合わせて1つのシリーズとし、アングル展開を前哨戦シリーズで進めながらビッグマッチで締める形となる。一方、トーナメント戦やリーグ戦の場合は「Road to」の概念が無く、予選が行われる興行を数回開催した上で優勝決定戦を締めの興行として開催し、これをもって1つのシリーズとなる。

ビッグマッチ及びトーナメント戦・リーグ戦

さらに見る 月, 大会名 ...

50周年特別興行

2022年の50周年特別興行日程のみ以下に記載する。

さらに見る 月, 大会名 ...

コロナ禍限定興行

コロナ禍である2020年から2021年を主に開催していた興行日程のみ以下に記載する。

さらに見る 年, 月日 ...

その他

※ビッグマッチの合間に単発興行や短期シリーズが行われる場合があり、これらのうち主要なものを掲載する。

NEW YEAR DASH!!
WRESTLE KINGDOMの翌日(通常は1月5日)に行われる単発興行。各チャンピオンベルト戦線や選手間の遺恨等、次シリーズに向けたアングルが本興行で展開されるのが通例となっている。また、対戦カードが興行開始まで発表されない点も特徴の一つである。 WRESTLE KINGDOMにスポット参戦した選手が本興行に引き続き出場する場合も多い。
2019年までは後楽園ホールでの開催だったが、2020年は大田区総合体育館での開催となり、ビッグマッチに準じた興行となる。
FANTASTICA MANIA英語版
1月中旬頃に行われるCMLLとの合同興行シリーズ。日程前半は全国への巡業が行われ、日程後半の興行は後楽園ホールで行われる。本場のルチャリブレを日本で観戦できるシリーズと銘打っており、CMLLのタイトルマッチも本シリーズで行われる。2021年と22年は、新型コロナウイルスにより、シリーズ自体が中止となった。
旗揚げ記念日
1972年3月6日に新日本プロレスが大田区体育館で旗揚げした事にちなみ、毎年3月6日前後に大田区総合体育館で開催される記念興行。日程がNEW JAPAN CUPと近い事から、年によってはNEW JAPAN CUPの開幕戦として開催される場合があるが、2017年以降は単独興行としての開催が通例である。記念興という面から、本興行では普段あまり組まれない対戦カードが組まれる場合が多い。また本興行に限り、前哨戦の興行名が「Road to旗揚げ記念日」ではなく「旗揚げ記念シリーズ」となる。2022年は3月1日に日本武道館で行われた。
レスリングどんたくの付随興行(レスリングxxの国 / SENGOKU LORD)
レスリングどんたくシリーズの中に組み込まれている単発のビッグマッチ。前哨戦の試合はRoad toレスリングどんたくにて一緒に組まれる。「レスリング火の国」の興行名で4月末に熊本で行われるのが通例だが、2016年は熊本地震の影響で中止となり、予定されていた試合の一部は他のRoad toレスリングどんたくへ振り分けられた。2017年には「レスリング豊の国」として大分で開催され、2018年は2年ぶりにレスリング火の国が開催された。2019年は新たに名古屋での開催が追加され、こちらは「SENGOKU LORD」の興行名となる。また、2017年以降は広島で行われるRoad to レスリングどんたくを「安芸の国 戦国絵巻」としてビッグマッチに準じた規模で開催している。
KIZUNA ROAD
6月下旬から7月上旬頃に行われる短期シリーズ。東北地方を中心に巡業を行う。
Road to ~
ビッグマッチに向けた地方巡業のシリーズが、こう題されることが多い。(「Road to レスリングどんたく」など)
NEW JAPAN ROAD
「Road to KING OF PRO-WRESTLING」という名称の代わりに、この呼び名を使う。また「THE NEW BEGINNING」から「旗揚げ記念日」までのビッグマッチの合間に行われる連続する興行には「Road to ~」ではなく、この名前が付けられる。
海外の興行
2017年7月にアメリカ・ロサンゼルスにて「G1 SPECIAL in USA」と題し新日本プロレス単独での興行を開催した[36]。これを期に2018年から海外での単独興行を不定期に行っている。2019年はROHとの合同開催ながら4月にマディソン・スクエア・ガーデンでの興行を実施した。2019年8月にはイギリス・ロンドンにて「NJPW Royal Quest」が開催された[37]、また2020年からは無観客興行の「NJPW STRONG」の放送を「NJPWWORLD」でスタート。
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ブランド

無我
藤波辰爾の自主興行。
WRESTLE LAND
お笑いなどのコミカル性、エンターテイメント色の強い興行。
LOCK UP
長州力のプロデュース興行。
PREMIUM
蝶野正洋のプロデュース興行。
J SPORTS CROWN
テレビ中継元であるJ SPORTSの冠がついている興行。
NEVER
若手選手による興行。
LION'S GATE
若手選手による興行。
NJPW STRONG
アメリカを舞台としている興行。
NJPW TAMASHII
ニュージーランドとオーストラリアを舞台としている興行[38]

タイトルホルダー

さらに見る タイトル, 覇者 ...
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所属選手・主要参戦選手

本隊

UNITED EMPIRE

HOUSE OF TORTURE

TMDK

BULLET CLUB WAR DOGS

ドン・キャリス・ファミリー

無所属

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現在のタッグチーム

テンコジ
  • 天山広吉
  • 小島聡
毘沙門
  • 後藤洋央紀
  • YOSHI-HASHI

スタッフ

レフェリー

リングアナウンサー

リングドクター

メディカルトレーナー

IWGP実行委員会

選手会

役員

  • 取締役会長 : 菅林直樹
  • 代表取締役社長 : 棚橋弘至
  • 取締役社長室長 : 松本仁司(テレビ朝日ビジネスプロデュース局担当局長)
  • 取締役 : 山内梢子(ブシロード
  • 取締役 : 三雲薫(テレビ朝日役員待遇)
  • 取締役 : 木谷高明(ブシロード代表取締役)
  • 取締役 : 岡田太郎(ブシロードファイト代表取締役社長)
  • 監査役 : 森瀬教文(ブシロード監査役)
  • 監査役 : 小林直治(テレビ朝日経理局長)
  • 監査役 : 関屋博紀(関屋経理事務所社長)

歴代タイトル

歴代リーグ戦・トーナメント戦

歴代所属選手

歴代ユニット

歴代タッグチーム

歴代スタッフ・役員

  • 上井文彦(1977年 - 1984年→1985年 - 2004年)(営業部長、執行役員、取締役、マッチメイカー)
  • 大塚直樹(1972年 - 1983年)(リングアナウンサー、営業部長)
  • 尾崎仁彦(2002年 - 2022年)(リングアナウンサー)
  • 草間政一(2004年 - 2005年)(代表取締役社長)
  • サイモン・ケリー猪木(2000年 - 2007年)(ブッカー、執行役員、取締役、代表取締役社長)
  • 新間寿(1972年 - 1984年)(専務取締役営業本部長)
  • 田中秀和(1981年 - 2006年)(リングアナウンサー、執行役員、マッチメイカー)
  • 田中米太郎日本プロレス→1963年引退→1964年レフェリー転向→1973年 - 1982年レフェリー引退)(レフェリー)
  • 田山正雄(1991年 - 2008年)(レフェリー)
  • 中村祥之(1989年 - 2001年)(営業部)
  • 新島英一郎(1998年 - 2016年)(メディカルトレーナー)
  • ミスター高橋山口利夫一派→1972年 - 1998年レフェリー引退)(レフェリー、審判部長、マッチメイカー、トレーニングアドバイザー)
  • ミスター・ヘンリー(1972年 - 1974年)(レフェリー)
  • 山口秀幸(2003年 - 2005年)(リングアナウンサー、営業部、興行部)
  • 山中秀明(1983年 - 2005年)(営業部長、代表取締役専務)

歴代社長

さらに見る 歴代, 氏名 ...

故人

プロレスラー

スタッフ・役員

  • 永島勝司(1988年 - 2002年→2025年没)(取締役企画宣伝部長、ブッカー、マッチメイカー)
  • 倍賞鉄夫(1972年 - 2005年→2017年没)(リングアナウンサー、営業部長、常務取締役、専務取締役、取締役副社長)
  • 太武経(1986年 - 2001年→2009年没)(野毛道場管理人)
  • ミスター・ヒト(日本プロレス→フリー→1981年 - 1984年→フリー→2010年没)(ブッカー、トレーナー)
  • ユセフ・トルコ(日本プロレス→1968年引退→1972年レフェリー転向 - 1974年→フリー→2013年没)(レフェリー)
  • 吉原功(日本プロレス→国際プロレス→1984年 - 1985年没)(顧問)

来日外国人選手

男子選手

女子選手

格闘家

来日外国人関係者

レフェリー

リングアナウンサー

  • イヴァン

マネージャー

プロモーター

NJPWグレーテストレスラーズ

2007年3月6日、新日本プロレスが創立35周年を機に創設。功労者(引退した選手)を表彰する制度。

2007年
2009年
2010年
2011年

テーマ曲

第1試合開始直前に試合会場で流されているオープニング曲。テレビ朝日の番組「ワールドプロレスリング」のオープニング曲でもある[39]

マスコットキャラクター

  • ジッピー
新日本プロレスのロゴマークであるライオンマークがモチーフのキャラクター。
  • りおん
闘魂SHOPのマスコットキャラクター。

試合中継

放送中の番組
終了した番組

関連番組

放送中の番組
終了した番組

歴代広告スポンサー

新日本プロレスは日本のプロレス団体、日本の格闘技団体としては先駆けてスポンサーを多数付けて、その収入で賄う方法をとっている。

脚注

関連項目

外部リンク

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