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有森聡美
日本の作詞家 ウィキペディアから
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有森 聡美(ありもり さとみ、9月2日 - )は、日本の作詞家。JASRAC正会員。
来歴
要約
視点
愛知県名古屋市出身。小学校低学年時から作詞、作曲作業を行っていた経験を有しており、何気なく制作した楽曲を小学校教諭に譜面として書き起こして貰った経験がある。大学進学にあたり芸大進学を目指し、現役入学が目標だった事もあり、短大のグラフィックデザイン学科に進学。卒業後は渡仏して、画家を目指していた[1][2]。
しかし、学生時代から趣味で行っていた音楽バンド活動で、アマチュアではあるが名古屋での人気を得ていた事もあり、オリジナルレコーディングするために音楽業界関係者が多数所在する東京とを往復する機会が多く「東京に行けばメジャーデビューできる」と思慮した結果、有森のみ東京に進出。進出後、知り合いから音楽制作事務所を紹介されながらフリーランスでライブ、音楽制作活動をしている最中、岩城滉一のライブの前座として出演した際、岩城のライブ用楽曲の作詞執筆依頼を受けた事をキッカケに、本格的に作詞家としてデビュー[1]。
そこからAZUSA名義で作詞を続け、J-POPからアニメソング等を書く中で、高橋貴代子の楽曲制作で共にした作曲家の三木たかしや音楽出版社、音楽制作会社、プロデューサーから高い評価を得た事で、業界内での紹介により活動の場が広まり本格的に作詞家として活動して行く事となる。
1991年、LINDBERGのプロデューサーからのオファーでアルバム「LINDBERG IV」に2曲歌詞を提供し、ミリオンセラーを記録。これをキッカケに、以降出世名として有森聡美名義での活動が始まり、ミリオン作家として活動を広げて行った。
また、アニメソングは作家デビューから手掛けているが、1990年代序盤から2000年代初頭に掛けてキングレコードのスターチャイルドレーベルにて多くの作詞提供を行っている。特に「Give a Reason」は平成アニソン大賞の1989 - 1999年期間の声優ソング賞を受賞している[3]。
1998年11月12日、有限会社ストーン・ヘブンを設立。有森自身の音楽制作を始め、プロデューサーとしての活動を広げて行き、自社所属アーティストを発掘し、デビュー以後からプロデュースを行う。また、イベント、ライヴ、テレビの音楽番組、ミュージック・ビデオ等の制作、ミュージカル、声優、舞台脚本やステージング演出等の所属アーティストのマネジメント業務を手掛けている。
2016年12月19日、地元である名古屋市観光文化交流局が創設した、名古屋観光文化交流特命大使に委嘱された。それに伴い、同日に任命式が執り行われた[4][5]。
翌年、名古屋市は2017年度事業として名古屋市のご当地ソングを製作する事を発表[6]。有森がプロデューサーに就任し、代表作詞・歌詞フレーズの審査員、ミュージックビデオの演出を担当[7][8]。
2018年2月27日に行われた市長定例記者会見に有森も参加し[8]、名古屋市PRソングである「でら凄っ!名古屋」の完成を発表[9][10][11]。同年3月17日に久屋大通公園にて催された「旅まつり名古屋2018〜旅と宿と人のふれあい〜」の久屋広場ステージにて、同楽曲の歌唱したアーティストグループが衆参し、お披露目された[12][13][14]。
2017年12月、名古屋音楽大学にて特別講師として講義を行なった。特命大使任命以前から講演活動も行なっており、名古屋市教育委員会が生涯学習の公開講座の講師として招聘し、2023年1月19日に生涯学習の講演を開講した[15]。2020年4月、洗足学園音楽大学音楽学部音楽学科ロック&ポップスコースの非常勤講師に就任[16]。「作詞」を教示しており、作詞家として文化振興の活動の幅を広げている。
2019年12月8日、作詞家生活30周年を迎えるに辺り、名古屋市内のホテルにて記念パーティが執り行われた[17][18]。また、コロナ禍の最中に音声配信SNSに進出し、2020年にstand.fm、2021年からはClubhouseにてトークルーム内で観光文化交流大使として名古屋市の魅力発信や自身が作詞した楽曲を歌唱する配信を行なっており、2022年8月11日、名古屋市内にて前述の30周年記念パーティから2年8ヶ月振りにライブ&ディナーパーティを催した[19][20]。同年11月26日には作詞家デビュー以後初めて、東京都内でライブパーティを催し[21]、前述の音声配信のリスナー含めた参加者が衆参した。
2022年1月19日、 公開講座女性セミナー第1回目を、名古屋観光文化交流特命大使・作詞家として[22]
講演会を行なった。(名古屋市千種生涯学習センター)
同日夜、名古屋市内ライブハウス ロジック でお年玉Live Party を催した。[23]
2023年4月、雑誌「家庭画報」5月号で名古屋めしから手土産まで紹介する名古屋人7名の中で数店舗を紹介したものが掲載された。[24]
2023年8月26日、初の京都祇園 Baja Bluet で「有森聡美はんなりBirthday Live in Kyoto」[25]
を催す。高級料亭お弁当・1ドリンク付き
2024年3月9日、作詞家35周年を記念して六本木C・LAPS で作詞家 有森聡美 35th Anniversary Liveを催しSOLD OUTとなった。有森聡美の客層は幅広く、色々な地方からも来るファンが多い。[26]
2024年4月1日付で、いしかわ観光特使に任命される。[27]
8月31日、作詞家 有森聡美・天下井隆二 トークイベントをリリカホールB1初台で催した。[28]
天下井隆二氏は元、西城秀樹のマネージャーであり「ヤングマン」等を作詞した。
「あの頃の話からこの頃の話まで」〜音楽で繋がった私達〜と言うタイトルでのトークイベントでは西城秀樹ファンからアニメファンまで集まり、西城秀樹に特化したラジオ番組にもゲスト出演した[29]。
2024年12月1日、作詞家 有森聡美 35th Anniversary Live Party を出身地の
名古屋 CRESTON HOTEL 9F ザ・バンケットで開催。
ドレスコード有りのLive Partyで行われた。
告知を兼ね、北原照久氏のラジオ日本「きのうの続きのつづき」に3度目のゲスト出演もした。[30]
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人物
- 作詞をするに辺り、ファンの想いを感受して作詞をする事を意識する為「ミーハーな気持ちを大切にしている」と語っている[1]。小学生時代から自身の周辺に大人の女性が多くいたため、その影響でアーティストのライブに行く機会があったこともあり[2]、西城秀樹や松任谷由実、小田和正、玉置浩二のファンである。そのファンであった西城秀樹とは、家族ぐるみの付き合いを経て、2000年代の作品の作詞を担当。生涯最後CDシングルの「めぐり逢い」とディズニー映画主題歌「ラッキー・ムーチョ」やNHKテレビ番組「やさいの時間」エンディングテーマ曲「ベジダブルワンダフル」の他数曲を手がける。また本人からのオファーが多く信頼も厚かった。
作品一覧
要約
視点
有森聡美名義
- ANGEL HIP(荒木のぞみ、千葉みく)
- CHECK
- Chocolate Fudge
- CHOICE
- MNCorps
- SHIP
- SOUL VAMPIRES
- チームしゃちほこ:秋本帆華・咲良菜緒・大黒柚姫・坂本遥奈・伊藤千由李 BOYS AND MEN:本田剛文・平松賢人・吉原雅斗 MNCorps:三輪佑季・佐藤優衣・細江陽菜 dela:沢井里奈 おとめボタン:小西麗菜 ※掛け声:河村たかし名古屋市長、名古屋おもてなし武将隊(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)
- はるな
- ぷにゅぷにゅ
- 岸田敏志、稲田みづ紀
- 秋本祐子
- 小熊ゆかり
- 松村香澄(松村かすみ)
- 上奥まいこ
- IKU
- KAKO
- 折笠愛、水谷優子、根谷美智子
- 林原めぐみ & 奥井雅美[注 1]
- 巫女委員会
- ネギま!?関連楽曲
- Di Gi Charat関連楽曲
- RAVE関連楽曲
- ウルトラマニアック関連楽曲
- シスター♥プリンセス関連楽曲
- しましまとらのしまじろう関連楽曲
- スレイヤーズ関連楽曲
- ひまわりっ!関連楽曲
- まりあ†ほりっく関連楽曲
- ラブひな関連楽曲
- ロスト・ユニバース関連楽曲
- 一騎当千関連楽曲
- 宇宙のステルヴィア関連楽曲
- 乙女はお姉さまに恋してる関連楽曲
- 七人のナナ関連楽曲
- 僕は友達が少ない関連楽曲
- 魔法騎士レイアース関連楽曲
- Compiler関連楽曲
- エイケン関連楽曲
- その他
AZUSA名義
- TWIN-KLE[注 3]
- チャイルド秋恵(シルク)
- ラズベリー
- 高橋チエ
- 三浦秀美
- 山下直美
- 市川楊子
- 渡辺直樹
- スーパーリアル麻雀関連楽曲
- 新世紀GPXサイバーフォーミュラ関連楽曲
- 星くずパラダイス関連楽曲
- ドラゴンナイト関連楽曲
- その他
SATOMI ARIMORI名義
HILUMA名義
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脚注
外部リンク
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