「JOKR 」はこの項目へ転送 されています。2001年9月までJOKR-TVの呼出符号を使用したTBS のテレビ部門については「TBSテレビ 」をご覧ください。
株式会社TBSラジオ [1] (ティービーエスラジオ、英 : TBS RADIO,INC. [1] )は、TBSホールディングス の連結子会社 で、関東広域圏 を放送対象地域 とする中波放送 (AMラジオ放送)事業を行っている特定地上基幹放送事業者 である。ラジオネットワーク 、JRN(Japan Radio Network) のキー局 である。
略称は厳密には存在してはいるが、ラテ兼営 時代の通称かつラジオ分社以降の呼出名称(コールネーム)でもある現社名かグループ会社(兄弟会社)のテレビ 単営局TBSテレビ 共々TBS と表記される場合が多いため、略称が用いられる場合は滅多にない。
AM周波数が954kHzであることから関東ローカル 向けにはTBSラジオ954 または954 TBSラジオ という呼称も使用されていたが、2015年12月7日よりFM補完中継局 が周波数90.5MHzで開始したことからジングル等の変更が行われた。
コーポレートメッセージ は「聞けば、見えてくる。 」「ときめくときを。 」。
本項では、法人としての『株式会社TBSラジオ』、および放送局としての『TBSラジオ』について述べる。
1950年 (昭和25年)、電波監理委員会 はラジオ民間放送への門戸開放について、当面は東京2局、その他1局に対し認可を認めることとした。これに対し、個別に民間放送の準備を進めていた「朝日放送」(大阪の朝日放送 と同じく朝日新聞社 による計画)、「ラジオ日本」(毎日新聞社 による計画)、「読売放送 」(読売新聞社 による計画)、「東京放送」(日本電報通信社 による計画)の4社は、原安三郎 らの仲介により合同を模索。開局申請を一本化することとし、1951年 (昭和26年)1月10日に株式会社ラジオ東京(資本金1億5,000万円)として電波監理委員会に申請書を提出した[4] 。同年、12月25日 に全国で6番目、東日本初の民間放送 局として開局した[注釈 2] 。当時の局名はラジオ東京 (ラジオとうきょう・社名も同じ)。1955年 (昭和30年)テレビジョン放送 事業参入の後、1960年 (昭和35年)に社名が東京放送 (とうきょうほうそう)に、略称がTBSに変更されて以降、ラジオ放送事業はTBSラジオ と呼ばれることとなった。
開業当初、ラジオ東京、新日本放送 、ラジオ九州 の毎日新聞社 系のラジオネットワーク、RAPPON の構想があったが、これが後にジャパン・ラジオ・ネットワーク (JRN)結成の前史となる。
2000年 (平成12年)3月21日 、東京放送の合理化の一環として、同局のラジオ番組 の制作と、広告 営業を主とするラジオ事業の現業全般を行う子会社として『株式会社TBSラジオ&コミュニケーションズ 』(ティービーエスラジオ アンド コミュニケーションズ、TBS Radio & Communications, Inc. 略称 TBS R& C )が設立され、翌2001年 (平成13年)10月1日 、東京放送から中波放送の免許(周波数 954kHz、コールサインJOKR )を承継し、一般放送事業者 (現・民間特定地上基幹放送事業者)に事業転換した。しかし、この時点で既に「TBSラジオ」の名の方が広く浸透していたためにその社名と略称はあまり用いられず、2016年 (平成28年)4月1日 にその名に揃えて『株式会社TBSラジオ 』に社名変更した。以降はTBS R を略称としているがそれすら同じ理由で全く定着していない[注釈 3] 。結局のところ「TBS R& C」「TBS R」共に東京放送→TBSテレビと当社を厳密に区別するためだけに用いられるのが実態であり、東京放送時代からの流れに加えてその運営体系も手伝い、TBSテレビ(ともすればTBSHDも)とひとまとめにされる形で「TBS」と略記される[注釈 4] のが一般的であることは相変わらずのまま現在に至る。
その後、TBSグループの再編があり、東京放送から社名変更した東京放送ホールディングス (TBSHD)傘下に、テレビ放送事業者であるTBSテレビ (当社同様、テレビ番組制作会社から事業転換)と、ラジオ放送事業者である当社が置かれる体制へ移行した。実際はテレビ・ラジオ両社は勿論BS-TBS [注釈 5] もTBS放送センター 内に本社・演奏所を置く、アナウンサーが後述の理由で3波共通、スタジオも一部共有するなど、実質的には従前のラテ兼営局と同然の運営体系を取っている。それでも会社が別である以上、3社それぞれが日本民間放送連盟 の会員となっており、民放連でも「TBSテレビ=地上波テレビ単営」「TBSラジオ=ラジオ単営」「BS-TBS=BSテレビ単営」として扱われている[注釈 6] 。なお東京放送時代、ラジオでは時報前などの局名告知の際、「TBS、東京放送です」と言うことが多く、各電波の中でTBSラジオが最も社名を出していた。
広報 活動 の一環として、TBSラジオ番組パーソナリティのインタビュー やイベント 情報、横浜ベイスターズ 情報[注釈 7] や番組表 などが掲載されたフリーペーパー 「TBSラジオPRESS オトビヨリ」(1980年の発行開始から2021年4月までに誌名は「THE954」→「THE954PRESS」→「954press」→ 「TBSラジオPRESS」と変わっている)を発行(都営地下鉄 駅やイトーヨーカドー 店舗(東京都・埼玉県・神奈川県・千葉県)、TBSハウジングなどで配布)しており、郵送による取り寄せも受け付けている[6] 。2018年からは「TBSラジオfam(ファム) 」の名称で同誌の配布サービスを行う施設を募集している[7] 。2020年2・3月号までは偶数月1回の発行だったが、4月号からは不定期発行となった。過去にはラジオ編成部による直出情報にて構成されたメールマガジン 「954プレスメール!」[8] を毎週金曜日に配信していた。また、分社化以前にはTBSテレビで放送終了前に深夜番組の番宣、スペシャルウィークにはそれ以外の時間帯でもプレゼント企画に関する告知CMなどテレビCMを放送したり、『ムー一族 』や『ザ・ベストテン 』『キャッチアップ 』といった番組でTBSテレビのカメラがラジオスタジオへ入る事もしばしば見られたが分社化以後はそのようなことはなくなった(テレビの企画でカメラが入るケースは分社化後も稀に見られる)。
ロゴマークは企業ロゴと放送局ロゴで分かれていたが、2020年4月のロゴ変更により統一された。以前の企業ロゴは、グループ共通の「TBS」ロゴの右に「ラジオ」[注釈 8] (社名変更前は「RADIO & (改行)COMMUNICATIONS」)と書かれた青色のものであった。導入から2001年までは放送局ロゴも兼ねており、その際は「ラジオ」の右にさらに同じフォントで「954」が付け足されていた。
今後の予定として、広告収入の低迷による設備更新の費用負担や、ワイドFMとの二重投資などを解消するためAM(中波)を停波し、北海道・秋田を除く全国のAM放送を行う民放43社と合わせてFM放送への転換を計画していることを2021年 6月15日 に発表した。現行の制度ではAM局がFM局に転換することは難しいため、2022年度に法規制の改正を行い、2028年 秋の免許更新時にFM放送へ一本化する計画である[9] [10] 。なお、総務省は2024年 2月にAMの停波実証実験を行う予定であるが、AM放送の送信所が埼玉県 戸田市 の親局しか無いことや東京都 墨田区 の東京スカイツリー から送信されるワイドFMの電波が届きにくい北関東 3県(群馬県 ・栃木県 ・茨城県 )の聴取者への影響が大きいことからTBSラジオを含む在京AMラジオ3局(TBSラジオ・文化放送 ・ニッポン放送 )は停波実証実験に参加しない予定である[10] [11] 。
TBSラジオの放送対象地域では、ビデオリサーチ が1990年から、東京駅 から35km圏内における居住者の聴取状況(個人聴取率)を偶数月(2月・4月・6月・8月・10月・12月)に調査している。調査期間は基本として第3週の7日間だが、2009年までの4月・6月・8月には2週間にわたって実施していたほか、オリンピック の開催年には開催期間中(冬季は2月・夏季は8月)のみ期間を変更している。
TBSラジオは、2001年(平成13年)8月から2021年4月分までの聴取率調査で、119期(19年10か月)にわたって聴取率 トップの座を維持。この時期には、「首都圏 で一番聴かれているラジオ局」とも称していた[12] [13] 。
長年にわたって聴取率が好調だった背景には、JRN (TBSラジオが基幹局)やJNN (東京放送→TBSテレビ が基幹局)といった全国規模のニュースネットワークの豊富な取材力を生かしたニュース ・情報番組 が、ラジオ番組に長年親しんできた世代(50 - 60代)から手厚い支持を受けていたことが挙げられている。現に、放送対象地域が同じ(関東広域圏 )で全国ラジオネットワーク(NRN) の基幹局である文化放送 やニッポン放送 と違って、平日の深夜に『ハローナイト 』の放送を開始した1986年 (昭和61年)秋の改編から(一時期を除いて)聴取者層の年齢を上記の局より高めに設定。
聴取率の調査対象者が2001年(平成13年)10月期より69歳まで引き上げられたことも、TBSにとっては追い風になっていた[14] 。
聴取率よりも「radiko」でのアクセスデータを重視する方針への転換
2018年10月までのTBSラジオは、前述した聴取率調査の対象週を、他の調査対象局と同じく「スペシャルウィーク」に設定。期間中に予算を増額したうえで、期間外のレギュラー放送では(予算などとの兼ね合いで)招きにくい特別なゲストを期間中の自社制作番組に迎えたり、聴取者向けのプレゼントを手厚くしたりするなどの施策で聴取率の上昇や単独首位の維持を図ってきた[15] 。しかし、読売広告社 を経てJ-WAVE (調査対象局の1つで1988年開局のFM単営局)で編成部長を務めた三村孝成が2018年6月に代表取締役社長へ就任したことを機に、同年12月から既存の聴取率調査に対する方針を転換。営業上は調査データの活用を続けながら[16] も、放送上は「スペシャルウィーク」の設定や上記の施策を取り止めている[17] 。
TBSラジオでは、「スペシャルウィーク」の廃止などに踏み切った理由として、radiko でのサイマル配信開始(2010年)を機に聴取者数を「ラジオ365データ」(実測値)としてリアルタイムで把握できるようになったことを明言[15] [17] 。2010年代の後半からは、レギュラーパーソナリティの高齢化が進んでいることなどを背景に、自社制作で長年放送されてきた生ワイド番組を相次いで終了(詳細後述 )。ラジオ東京時代の1952年から続けてきたプロ野球中継の自社向け放送業務 も2017年限りで完全に終えるなど、年2回(4月・10月)の番組改編のたびにタイムテーブルを大幅に変更しながら、パーソナリティや「メインターゲット」に当たる聴取者の世代交代を図っている[18] 。
(「聴取者が聴取する局の周波数や番組をあまり変えない」という意味で)「習慣のメディア」とされるラジオ[18] の世界で、TBSラジオが上記の「改革」へ舵を切った背景には、ラジオ番組への総接触時間が他のメディアに比べて少ないことや、関東地区の聴取率が2ヶ月に1回のアンケート調査でしか把握できないばかりか、収益や広告料と連動しなくなっていることが挙げられている。2021年10月の時点で「UXプランニング部長」として編成部門を率いていた萩原慶太郎によれば、このような現状の下で、「聴取率調査を『(ラジオでの広告効果を測るうえで)唯一の指標』として信じ続けても良いのか?」「普段の放送とは違う企画で聴取率を『盛る』かのようなスペシャルウィークや、高齢者の聴取をとりわけ意識した番組作りの結果として聴取率1位を獲得することは、今後のラジオ業界にとってどれほど有益なのか?」といった課題が社内から提起されたことが「改革」のきっかけになったという[13] 。ちなみに萩原は、「古くからのリスナーさん(既存の聴取者)を大切にしつつも、多様な価値観を提供してきたこと」「こだわりのトークの面白さを追求してきたこと」をTBSラジオの強み、「在京他局に比べて長寿番組が多い一方で社員数が少ない故に、『トライアル』や『チャレンジ』に打って出る機会が少ないこと」を弱みに挙げたうえで、「他局との争いには興味がない。むしろ、リスナーの総数をTBSらしいアプローチで増やすことが大事」「新規(聴取者)層の開拓を目指せば、聴取率は自然と1位でなくなるので、現状では『1位だけ』にこだわる必要はない。今後は(前述した弱みを克服しながら)リスナーさん(聴取者)から愛される番組を3~4年のスパンで作らなければならない」とも語っている[19] 。
もっとも、このような矢継ぎ早の「改革」が、リスナーの聴取習慣ばかりかTBSラジオの社風にも影を落としていることは否めない[20] 。現に、2021年6月分の聴取率調査ではJ-WAVE 、同年10月分の調査ではTOKYO FM が単独首位を初めてマーク。TBSラジオは、2022年4月改編後最初の調査(同月第3週実施分)で、全体の順位を4位にまで下げた[18] 。「改革」を機に重視しているradikoでの番組聴取者総数でも、首都圏の全ラジオ局における月単位のデータによれば、2022年には全ての月で1位のニッポン放送 に水をあけられていたという。さらに、事情や背景は異なるものの、同年からは「聴取率を高い水準で維持しながら平日に長らく放送されてきた自社制作の生ワイド番組(『伊集院光とらじおと 』『赤江珠緒 たまむすび 』)が、パーソナリティ(伊集院光 ・赤江珠緒 )からの降板の申し入れを機に(出演者の異なる)関連番組ごと終了する」という事態が相次いでいる[20] 。
これに対して、上記の「改革」以降に誕生した自社制作の生ワイド番組(『パンサー向井の#ふらっと 』『荻上チキ・Session 』『アシタノカレッジ 』『武田砂鉄のプレ金ナイト 』『こねくと 』『金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ 』『アフター6ジャンクション2 』など)では、YouTube での「生配信」(スタジオ動画の音声付きサイマル配信)を通じてTBSラジオの放送対象地域(関東広域圏)外からの聴取にも対応。さらに同局では、ポッドキャスト 限定で定期的に配信される音声コンテンツの制作に活路を求めている。
なお、三村は2023年6月に代表取締役社長を退任。後任はTBSテレビ出身の林慎太郎で、三村は退任を機に、代表権のないTBSラジオの会長職へ異動した。その一方で、2023年度に入ってからは、関東地区の聴取率調査と重なる放送週限定のリスナープレゼント企画が一部の生ワイド番組で事実上復活[21] 。2024年には、営業担当者によるCM素材の無断差し替え が発覚したことを受けて、三村が9月30日付で会長職を退任・林が10月1日付で代表権を返上することが決まっている。
※横浜・大宮支局はTBSラジオ単独[1] 、関西支社、名古屋支局はTBSHD・TBSテレビと同居。過去に広島支局を置いていた(1970年代〜1980年代。ラテ兼営時代)
戸田送信所
送信アンテナ
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TBSラジオ・クリーンサタデーキャンペーン
TBSラジオ戸田送信所では、2018年12月8日の放送開始から、送信所の発電をみんな電力株式会社(現・株式会社UPDATER)提供の再生可能エネルギー に全面的に切り替えて送信を行っている。TBSラジオが取り組む環境保全の国際的な課題解決への一環とするとともに、「リスナーの皆さんとともに環境問題について考え、新しい行動を起こしていく」取り組みの一環として、毎週土曜日の早朝~夕方のワイド番組において、様々な環境問題の取り組みを、リスナーや各団体などから募集する「TBSラジオ・クリーンサタデーキャンペーン」をおこなっている[24] 。
聴取可能エリア
同社が公表している聴取可能エリアは、関東地方の1都6県を完全にカバーしており、周辺県の50%(福島・長野50%、静岡70%、山梨100%、新潟5%各人口比)も良好〜実用上聴取可能な範囲としている[25] 。
東京都島嶼部 (大島地区除く)では、送信所からの距離の関係で、一部の限られた狭い地域を除き、電波が電離層 に反射して届く夜間のみの受信に限られるが、2010年3月15日以降はradikoを利用することで、インターネット 回線必須ではあるが、安定して聴取可能となっている。
スピルオーバー によって、終日北は福島県 郡山市 、西は山梨県 富士吉田市 近辺、静岡県 中部まで聴取可能で、海上伝搬という特性により佐渡島南岸や能登半島東岸も比較的良好に受信できる。夜間は日本国内・近隣諸国を含めて他に954kHzを使用している中波放送が無いため全国的に聴取可能である。
但し、北海道 室蘭市 、滋賀県 彦根市 、徳島県 徳島市 、長崎県 五島市 、青森県 青森市 、鳥取県 米子市 、山口県 萩市 、愛媛県 松山市 、佐賀県 佐賀市 周辺では、NHKラジオ第1放送 の周波数(945kHzまたは963kHz)が近いため、夜間でもやや聴取困難。
送信所上空に雷雲が発生した場合、聞き取りづらくなる現象があり、その際は番組中にパーソナリティが「戸田送信所付近で雷雲が発生しているため、お聞き苦しい場合があります。 」という断りのアナウンスを入れている。
同一箇所に57mの予備アンテナも設置している。その周辺はTBS企画 が管理する駐車場にもなっている。
当地両アンテナが使用不能になった場合に備え、赤坂社屋に隣接する赤坂パークビル屋上に予備送信所(1kW)がある[26] 。
radiko
パソコン・スマートフォン向けに地上波放送と同じ番組やCMをサイマル配信するサービス。2010年3月15日の試験配信開始より参加しており、当初は南関東1都3県(東京・神奈川・埼玉・千葉)が配信エリアだったが、同年12月1日の本サービス以降は北関東3県(群馬・栃木・茨城)でも配信されている。音声はモノラル に変更されたAMとは異なり、引き続きステレオ で実施[32] 。
放送局記号は「TBS」(前述の通り本来はTBSテレビの意味)。
radikoプレミアム
2014年4月1日開始。radiko 公式サイトのプレミアム会員登録(有料)を行う事で、前述の通常配信対象地域である関東1都6県外の日本国内でもradikoを利用した聴取を可能にするもの。ただし、エリアフリー配信許諾の都合上、2014年4月から2018年4月まで、以下のレギュラー番組放送中は1都6県外での聴取を遮断、休止していた。
たまむすび 内『おもしろい大人・月刊ニッキ 』(第1水曜 15:00 - 15:30)
放送当日の13:00 - 15:00はエリアフリーでも配信。コーナー自体は15:20過ぎまでであるが、当日のエンディング、その後のCMまで休止し、15:30の『荒川強啓 デイ・キャッチ! 』開始と同時に配信を再開。タイムフリー配信においても同じ扱い。ただし、TBSラジオクラウドでは、音楽をカットした上で放送終了から1週間配信は行われていた。
これ以外にも、ジャニーズ事務所 所属タレントが各番組にゲスト出演する場合、出演部分及びその前後(ワイド番組の場合は基本的に15分区切り、箱番組の場合は全編)の配信を休止する他、特別番組に出演する場合も全編配信を休止していた(『たまむすび』など、ラジオクラウドでの配信がある番組の場合、通常通り配信は行われる)。
なお、以下の番組は当初プレミアムでの配信が行われていなかったが、許諾処理を行った上で順次配信されるようになった。
J:COMケーブルネットワーク
2014年5月27日からJ:COM のケーブルネットワーク(J:COMテレビのデータ放送の音声送信機能)を通じてのAMラジオ音声の再送信が行われている[34] [注釈 10] 。
聴取可能エリア 東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、群馬県、茨城県の各J:COMサービスエリア。2014年10月以降は旧JCN エリアでも順次送信開始。
「ラジオ東京」ロゴ
1960年代
TBS 旧筆記体ロゴ
5月10日 - 戸田送信所、高床式新局舎での運用を開始。それに伴い、メインのラジオ送信機が2代目(NEC 製 型番:MB-113C型)に変更(初代の米RCA社製も引き続き使用)。[68]
8月1日 - 業務用マーク制定(原案:今道潤三(当時の社長)、制作:市川景)[69] 。電波のイメージと筆記体の「TBS」をアレンジしたもので、CI導入の1991年9月30日まで長く使用された。ラジオ用としてはこのロゴの横に斜体で「ラジオ」、さらに周波数のロゴを付け加えていた。
旧社屋竣工当時の外観(1961年)
10月12日 - 東京都港区赤坂一ツ木町(現在の赤坂5丁目 )のテレビスタジオ隣に、本社社屋(初代TBS本社、後の「赤坂メディアビル 」)完成[69] 。ラジオスタジオ及び本社機構の全てが移転し、全機能を同所に集約させた。
11月30日 - ラジオ放送が前述の本社社屋からの放送へ移行、開始。[69]
12月1日 - 社名呼称を「TBS 」に統一(公用文等を除き、原則「東京放送」を使用しない)。[69]
TBSラジオ 筆記体時代のロゴ(1961年8月 - 1991年9月29日)
1970年代
TBSラジオの筆記体時代のロゴ (周波数付、1978年11月23日 - 1991年9月29日)
11月23日 - 国際電気通信連合 (ITU)の取り決めで、ラジオの周波数が9kHz ステップへ移行。それに伴い、午前5時をもって周波数をこれまでの「950kHz 」から「954kHz 」に変更。呼称も「きゅうひゅくごじゅう」から「キューゴーヨン」に改めた。[104]
1980年代
1980年 (昭和55年)
1981年 (昭和56年)
4月6日 - 一話完結のラジオドラマ番組『ラジオ図書館 』放送開始(1996年9月16日終了)。[107]
7月14日 - 緊急警報放送実験局の予備免許を取得。[106]
12月25日 - この日、ラジオ開局30周年記念して、30時間の特別編成を実施(『ヤングアイドル全員集合』、『土曜ワイドラジオTokyo イン 上海』ほか)。[106]
1982年 (昭和57年)
1983年 (昭和58年)
3月7日 - ネット回線中継装置が完成。翌年3月に運用開始。[109]
12月19日 - 戸田送信所、送信アンテナを更新、2代目のそれを使用開始(電気興業社製。高さ150m、非接地型3方支線式円管柱アンテナ)。(これに伴い、開局以来使ってきた初代アンテナは廃用となり、南日本放送 へ譲渡される。)[110]
1985年 (昭和60年)
1月 - ラジオ送信機能のプリエンファシス方式を、独自開発の仕様「新プリエンファシス」に移行導入し、放送開始する。[111]
4月22日 - 赤坂局舎に、同局舎のテレビアンテナの鉄塔を使用した、非常用ラジオ送信設備が完成する(出力:1kW 送信機は東芝製 型番:RM-41GS)。[112]
1986年 (昭和61年)
1988年 (昭和63年)9月20日 - この日、昭和天皇 の容態急変で、テレビと共に、特別報道体制を敷く。[115]
1989年 (昭和64年/平成 元年)
1月7日 - この日午前6時33分に昭和天皇 の崩御 に伴い、この日の午前6時35分から(平成元年)1月9日 午前6時まで、JRN特別編成として報道特別番組 をCMなしで放送。[注釈 18] [116]
6月5日 - 戸田送信所、メインのラジオ送信機が5代目に変更(NEC製 室内循環強制空冷方式MBT-8047A型、全固体(トランジスター)化、パルス幅変調方式を採用。)。(これに伴い、第4代は予備機として引き続き運用。第3代は廃用となる。)[117]
11月6日 - この日の放送休止の時間に、AMステレオの実験放送を開始。[118]
1990年代
2020年3月31日までTBSラジオの公式文書などに用いられたロゴ
1月17日 - 新放送センター完成を前に、VI委員会が新しいロゴの採用を決定。1991年(平成3年)に路線転換されたCIの象徴であった「ミクロコスモス」によるシンボルマークは廃止された。新たなロゴはTBSビジョンデザイン部・小河原義一原案によるTimes New Roman の太字 [128] が採用された。[127]
8月26日 - 『TBSエキサイトナイター』、ニッポン放送からの番組販売受けで、神宮球場で行われるこの日からの「ヤクルト 対 中日」の3連戦試合を中継。同番組に於いて、異例のケースとなる。[129]
10月3日 - 現社屋の「TBS放送センター 」(愛称:ビッグハット)に移転 。テレビ・ラジオ共に、トータルデジタル化システムによって放送開始。[129]
1995年 (平成7年)
1996年 (平成8年)
4月1日 - TBSラジオ防災プロジェクトに於いて、「防災タクシー」「防災協力店」「災害リポーター」を発足する。[134]
6月13日 - 『全国こども電話相談室』にて、インターネットでの動画生配信を行う。[134]
12月9日 - この日から、開局45周年記念特別編成を開始する(同月21日 ドラマ「クリスマスイブ殺人事件」、23日「この虫10万ドル」、25日「大沢悠里の45回目のクリスマス」(「大沢悠里のゆうゆうワイド」内)ほか)。[134]
1997年 (平成9年)
1998年 (平成10年)
1999年 (平成11年)
3月19日 - 戸田送信所、メインのラジオ送信機が6代目に変更(NEC製 MBT-9100A型、全固体(トランジスター)化、デジタル振幅変調方式を採用。)。これに伴い、第5代は予備機として引き続き運用。第4代は廃用となる。この結果、送信所設備は全て固体化(トランジスター)式になり、真空管式が無くなる。[139]
6月 - 美空ひばり の没後10年のイベント連動企画「美空ひばりスペシャル~時代を超えて・世紀を超えて」をこの1ヶ月間かけて放送。同月24日には、「1日ひばりデー」を放送した[注釈 20] [140] [141]
7月12日 - 21世紀スペシャル第1回「ゴミの逆襲~リサイクルを考える」実施。[140] 。
10月 - ラジオのインターネット・センターを設置する。[142]
2000年代
2000年 (平成12年)3月21日 - 東京放送の完全子会社として、「株式会社ティ・ビー・エス・ラジオ・アンド・コミュニケーションズ 」(TBS R& C)設立。手始めに東京放送よりラジオ放送事業の送信・経理部門を除く現業全般を業務委託される。[142]
2001年10月から2006年まで使われたロゴ(ただしラジオカーのペイントは直されず2012年頃まで使用)
2001年 (平成13年)
5月28日 - この日の東京放送の取締役会で、ラジオ放送事業をTBS R& Cへ、同年10月1日付で移管することを決定。[143]
10月1日 - 前述の取締役会の決定を受け、東京放送から中波ラジオ放送局の免許を承継。これに伴い、呼出名称 だった「とうきょうほうそう」を廃止。TBS R& Cが一般放送事業者に事業転換して呼出符号「JOKR 」を継承、呼出名称は「てぃいびいえすらじお(TBSラジオ)」を付与された。これに伴い逆にテレビ単営局に事業転換した東京放送は呼出符号「JOKR-TV」を廃止・返上、新たに呼出符号「JORX-TV 」(後「JORX-DTV」)、呼出名称「TBSテレビジョン」が付与された(その免許もその後、2009年の東京放送の持株会社 化の際にTBSテレビ[注釈 21] が承継して一般放送事業者に事業転換している)。
2003年 (平成15年)
2004年 (平成16年)6月20日 - メールアドレス のドメイン名 が「@best.tbs.co.jp」から「@tbs.co.jp」へ変更された[注釈 23] 。
2005年 (平成17年)
2006年 - 2015年に使われたロゴ
同時に、デジタルラジオ事業の運営がTBS R&CからTBSHDへ移管される[146] 。
また、同日より、デジタルラジオでのサイマル放送「TBSラジオデジタル 」が24時間放送に拡大[注釈 26] 。
2010年代
2015年 - 2020年に使われたロゴ
2015年 (平成27年)
2016年 (平成28年)
3月6日 ・7日 - 翌月の社名変更に先駆けて公式サイトの全面リニューアルを実施。TBSテレビ(新サイトでは「TBSテレビ」と「TBS」のいずれでもなく「TBS TV」と表記)のサブページから独立した(「tbs.co.jp/radio/」 → 「tbsradio.jp」[注釈 31] )。なお、新サイトのコピーライト表記は社名変更前から「TBS Radio & Communications, Inc.」から「TBS RADIO, Inc.」に変更されていた。なおメールサーバーは新設せずTBSテレビのそれを共用し続けているため、社名変更後に放送を開始した番組のメールアドレスも「(番組名等)@tbs.co.jp」を維持[注釈 32] 。
4月1日 - 商号を「株式会社TBSラジオ 」に変更[157] 。これにより、対外呼称、呼出名称、社名が統一。
4月8日 - 平日の生ワイド番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』が放送終了。翌日(9日)から、毎週土曜日に『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版 』として放送開始。
4月11日 - 前述の『大沢悠里のゆうゆうワイド』に代わる平日の生ワイド番組として、『らじおと 』シリーズと『ジェーン・スー 生活は踊る 』の放送をこの日から開始。午前中に編成されていた『らじおと』では、月 - 木曜分を『伊集院光とらじおと 』、金曜分を『有馬隼人とらじおと山瀬まみと 』に充てていた。
6月6日 - クラウド型ラジオサービス「TBSラジオクラウド 」を開始。これに合わせる形で同月30日をもってポッドキャスティングサービスを終了すると発表。これまでポッドキャストで提供してきたコンテンツはTBSラジオクラウドに移行する[158] 。
2017年 (平成29年) 11月30日 - 60年にわたって続けられたプロ野球公式戦中継の自社向け放送業務から、完全に撤退することを発表した[159] [160] 。ただし、横浜DeNAベイスターズ 主管試合(横浜スタジアム 開催分)・読売ジャイアンツ 主管試合(東京ドーム 開催分)のラジオ中継に関しては、翌 2018年 (平成30年)以降もJRNに加盟するビジター地元局との協力関係を維持。当該局からの制作受託による裏送り 方式での中継の制作や、当該局がローカル向けに自社で制作する中継への技術協力を続けた[注釈 33] 。
2018年 (平成30年)
4月2日 - 前年までのプロ野球シーズンで平日のナイトゲーム中継に充てられていた時間帯に、この日から『アフター6ジャンクション 』(「カルチャー・キュレーション・プログラム」と銘打った3時間の生ワイド番組)を通年で編成。
12月8日 - AM放送を送信する戸田送信所の使用電力を、100%再生可能エネルギーに切り替える[161] 。
2020年代
2020年 (令和 2年)
4月1日 - 翌2021年 (令和3年)に控えていた(ラジオ東京時代からの通算で)開局70周年を前に、TBSグループ全体で新たなCI を導入したことに合わせてコーポレートロゴを一新[162] 。ロゴの色を青色、放送局ロゴを「TBSラジオ」、企業ロゴを「TBS RADIO」ロゴに変更した[163] 。企業情報のウェブページもTBSテレビのサーバーから分離されたが、メールサーバーは引き続きTBSテレビと共用。
10月2日 - 前週(9月26日 )で終了した『有馬隼人と山瀬まみのらじおと』および、『ジェーン・スー 生活は踊る』の金曜分を継承する生ワイド番組『金曜ボイスログ 』の放送をこの日から開始。前週まで平日の22・23時台に編成されていた『荻上チキ・Session-22』も、『荻上チキ・Session 』と改題したうえで、「ネットワークトゥデイ 」(JRN向けの全国ニュース)を内包した平日夕方の生放送番組として再スタートを切った。さらに、『荻上チキ・Session-22』の後番組として、『アシタノカレッジ 』の生放送をこの日から開始。
2020年4月1日から併用されるTBSグループ共通の新CI・新ロゴ。TBSラジオの場合はこの右に「RADIO」もしくは右か下に「ラジオ」がつき、放送局ロゴは更にその下に「FM90.5 + AM954」がつく。
2021年 (令和3年)
7月13日 - ビデオリサーチ による2021年6月度首都圏ラジオ個人聴取率 調査で、J-WAVE が1988年 (昭和63年)の開局以来初めて単独首位を記録。TBSラジオは2位で、2001年8月期から119期続いた連続首位記録が途切れた[164] 。
10月4日 - 開局70周年記念企画の一環として、12月を「TBSラジオ70周年 ~#何かがはじまる感謝祭~」月間に設定することを発表。この日から12月27日までの期間限定で、「#何かがはじまる感謝祭」スペシャルサイトをTBSラジオの公式サイト内に開設した[165] 。
12月2日 - 武田砂鉄 (当時は『アシタノカレッジ』金曜日のパーソナリティ)の責任編集による番組出演者の証言集『開局70周年記念 TBSラジオ公式読本』をリトルモア から発売[166] 。
12月24日 - 3部構成による開局70年記念特別番組『TBSラジオ開局70周年「大感謝祭」』を、8:30から17:50まで9時間以上にわたって関東ローカル向けに生放送[167] 。
2022年 (令和4年)
3月26日 - 『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』がこの日で放送を終了。平日放送時代を含めた通算の放送回数は8105回で、大沢は自身の意向から、TBSの入社(1964年 :昭和39年)以降58年にわたって続けてきたラジオパーソナリティとしての活動にこの日で終止符を打った[168] 。
横浜スタジアムでのDeNA主催公式戦・東京ドームでの巨人主催公式戦におけるビジター地元局への裏送り向け中継の制作および、当該中継に対するTBSテレビからのアナウンサー・野球解説者の派遣をこの年限りで終了。DeNA主催公式戦での中継関連業務については、技術スタッフと同スタジアム内の放送ブースを維持したうえで、2023年 (令和5年)からビジター地元局が乗り込み方式で中継を制作する場合(MBSラジオ における金曜日のナイトゲーム中継など)に限って「技術協力」扱いで関与する体制へ移行した[注釈 34] 。
2023年 (令和5年)
4月 - 前月まで10年間にわたって平日の午後に編成されてきた『たまむすび 』(関東ローカル向けの生ワイド番組)シリーズに代わって、『こねくと 』(月 - 木曜日)と『金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ 』の生放送を長崎放送 ・NBCラジオ佐賀 (いずれもJRNとNRNのクロスネット局)との同時ネット方式で開始した。その一方で、『アシタノカレッジ』の放送曜日を月 - 木曜日に短縮したうえで、金曜分を『武田砂鉄のプレ金ナイト 』に変更。前月まで『アシタノカレッジ』の全曜日フルネットを実施していた北日本放送 と新潟放送 (いずれもJRNとNRNのクロスネット局)は、『プレ金ナイト』のみのネットへ移行した。
9月 - 『アシタノカレッジ』の放送を28日 (木曜日)、『アフター6ジャンクション』の放送を29日 (金曜日)で終了。 『アフター6ジャンクション』については、『アフター6ジャンクション2』に改題したうえで、翌週(10月2日 )から『アシタノカレッジ』の最終放送枠(月 - 木曜日22:00 - 23:00)を引き継いでいる[169] 。ただし、金曜日の当該時間帯で『武田砂鉄のプレ金ナイト』の放送を続けることから、『アフター6ジャンクション』シリーズにおける金曜日の放送も9月29日で終了。1952年 10月から平日の早朝に放送されてきたJRNの企画ネット 番組『歌のない歌謡曲 』(TBSでは単独番組としての編成を経て1990年4月9日から『森本毅郎・スタンバイ! 』に内包)も、9月29日をもって、71年にわたるTBSでのレギュラー放送に幕を下ろした。
10月 - 『ジェーン・スー 生活は踊る』『金曜ボイスログ』『こねくと』『金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ』の放送時間を1時間ずつ延長するほか、『こねくと』と『えんがわ』の放送開始時間を13:00から14:00に繰り下げることに伴って、『荻上チキ・Session』を2日から『アフター6ジャンクション』の放送枠(平日18:00 - 21:00)に充当。TBSで前週(9月29日)まで『荻上チキ・Session』に内包されてきた「ネットワークトゥデイ」については、放送の時間帯(17:30 - 17:44)を据え置いたまま、10月2日からの関東ローカル向け編成で(一部のネット局と同様の)単独番組に戻した[169] 。
2024年 (令和6年)
6月19日 - 2022年4月からCM素材の一部を、「放送には検討を要する」との意見が考査において出されたことを受けて、社内の担当者が独断でCM素材の進行表を書き換えた上で、既に考査を通過している別のCM素材差し替えていたことを約2年超に渡って行っていたことが発覚。これを受け社として、「放送局と広告主の信頼関係を著しく毀損した」と謝罪を表明した(後述 )[170] [171] [172] [173] [174] 。
9月4日 - 前述のCM無断差し替え問題を受けて、経営責任を明確化するため、現・取締役会長の三村孝成が同月30日付で辞任(エグゼクティブ・フェローに就任)、現・代表取締役社長の林慎太郎が同年10月1日付で代表権を返上し、三村の後任となる代表取締役会長にBS-TBS 専務取締役の向山明生の就任を発表した[175] [176] 。
補足
TBSラジオ(東京放送)の新聞ラ・テ 等番組表のおける表記は、ラジオ東京時代(1951年12月25日 - 1960年11月28日)は「ラジオ東京 」(コールサインの「JOKR」、または「KR」を併記)、東京放送に商号変更後の1960年11月29日 - 1961年11月30日までは「東京ラジオ 」(東京放送ラジオ)[注釈 35] としていたが、「TBS」に対外呼称を統一した1961年12月1日以降は「TBSラジオ 」となっている。
午前5時起点の24時間放送であるが、日曜日 深夜(月曜日 午前1時)にメンテナンス のため放送休止 となる。
過去に使用していたスタジオ
パノラマスタジオ・レインボースタジオ: 旧TBS本館(赤坂メディアビル)5階にあった生放送スタジオ。1970年代以降、TBSラジオの編成において全日を通して生ワイド番組の比重が高まり、長時間の生放送に対応しうるスタジオとして1971年にパノラマスタジオを、1985年にはパノラマスタジオに隣接してレインボースタジオを設置し、1994年10月2日の放送センター移転に伴う廃止まで生番組で使われた。それまでの防音壁で囲まれた密室という常識を覆して窓を配置。外の景色が見えるようにしたほか、出演者・スタッフが快適に過ごせる配慮もなされていた。レインボースタジオ完成後は両スタジオの間に仕切りガラスが設けられ、クロストークに使われていた。
前述の分社化後に「TBSアナウンサー 」として番組に出演しているパーソナリティは、会社法上、番組毎に東京放送→TBSテレビから在籍出向 してくるという体制を採用しているため、分社化後のTBSラジオは自社でアナウンサーを雇用していない。BS-TBS も同様の体制を採用しているためにTBSグループのアナウンサーは地上波テレビ・地上波ラジオ・衛星(BS)チャンネルの3波で共通になっている。
この「ラテ兼営局から分社したラジオ単営局では原則アナウンサーを自社雇用せずに関連会社のテレビ単営局から番組毎に出向してくる」体制は、後に同じくラジオを分社化したSTVラジオ (札幌テレビ放送 から)[注釈 42] ・CBCラジオ (中部日本放送 →CBCテレビ から)・朝日放送ラジオ (朝日放送テレビ から)・MBSラジオ (毎日放送 〈MBSテレビ部門が残る2代目〉から)も踏襲したことで事実上のラテ兼営局 共通の特徴と化している。その上スカイA やGAORA も同様の体制を採用している[注釈 43] ために朝日放送グループ とMBSグループ ではTBSグループと同様に地上波テレビ局のアナウンサーが地上波テレビ・地上波ラジオ・衛星(CS)チャンネルの3波に出演できる体制を維持している。
「TBSアナウンサーのパーソナリティ化」をめぐる動き
テレビ・ラジオ兼営体制時代の東京放送(TBS)では、自社のアナウンサー から久米宏 ・大沢悠里 ・小島一慶 ・松宮一彦 といったラジオパーソナリティを輩出していた。しかし、1990年代の前半にスポーツアナウンサーの退職・急逝・スポーツ担当からの引退が相次いだことで状況が一変。他局のスポーツアナウンサーを中途採用扱いで1993年から3年続けて入社させたり、新卒採用の男性アナウンサーにスポーツ関連の番組を優先的に担当させたりするなど、スポーツアナウンサーの育成を重視するようになった。その一方で、主にラジオ番組を担当していたアナウンサー(小林豊 や鈴木順 など)が活動の軸足をテレビ番組へ移す事例や、アナウンス以外の部署に異動する事例も続出。TBSのアナウンサーがパーソナリティを務めた番組が聴取率の面で苦戦を強いられたことや、「ラジオ好き」を公言しながらTBSに採用されたアナウンサーが海保知里 や豊田綾乃 など少数にとどまっていること[注釈 44] もあって、「TBSアナウンサーのパーソナリティ化」の機運が1980年代までの時代ほどには高まらなかった。
TBSからラジオ放送の事業と免許を承継したTBSラジオでは、ラジオ番組のプロデューサー・ディレクターを志す人材を不定期で募集しているものの、アナウンサーを自前(正社員)では採用していない。このような事情から、実際には前述したように、TBSテレビへ転籍・入社したアナウンサーが「番組出向」扱いでTBSラジオの番組へ出演している。その典型が「テレビ好き」を公言している安住紳一郎 で、2004年度のナイターオフ期間に放送された『倶楽部・アナ魂ダ!』(自身をはじめTBSテレビのアナウンサーがパーソナリティを日替わりで務めていた生放送番組)への出演が転機になって、多数のテレビ番組への出演と並行しながら『安住紳一郎の日曜天国 』(毎週日曜日午前中の生ワイド番組)のパーソナリティを担当。テレビ番組での知名度や人気の高さとも相まって、『日曜天国』を関東地区の聴取率調査で全局・全時間1位を記録するほどの番組に育て上げている。2000年代の後半からは、安住以外のアナウンサーからも、若干名が生ワイド番組のメインパーソナリティや(パーソナリティと同格扱いの)「パートナー」としてレギュラーで出演。外山惠理 が複数の番組へ長年にわたってレギュラーで出演しているほか、2022年の4月改編からは、井上貴博 が『Nスタ 』(TBSテレビ制作の報道・情報番組)平日版のメインキャスターを務めながら『井上貴博 土曜日の『あ』 』(土曜日の午後に通年で放送される生ワイド番組)のパーソナリティとしてラジオ番組へのレギュラー出演を再開。他にも、平日の生ワイド番組のメインキャスター・進行を担当するアナウンサーの中で複数名がTBSラジオの生放送番組にレギュラーで出演しているケースが見られる。
なお、TBSラジオの発足後も、『TBSニュース 』の担当キャスターや他番組のレギュラー出演者が休演する場合には、TBSテレビ所属のアナウンサー、TBSラジオ(専属の)キャスター 、フリーアナウンサー (TBSアナウンサー出身の生島ヒロシ が設立した「生島企画室 」所属のアナウンサーなど)から代役を起用している。
TBSラジオの関連会社であるTBSグロウディア (旧ティーエーシー →TBSプロネックス )所属のアナウンサー[183] で、1969年7月にラジオカー 「TBS950」(現TBS954)が導入されたのにあわせて起用された「TBS950キャスタードライバー」がその起こりで[184] 、その後「TBS954キャスタードライバー」「TBS954情報キャスター」を経て現在の名称となった。通常は、TBSラジオの生ワイド番組内で中継リポートや交通情報 を担当している。
一部のキャスターは、上記の担当と並行しながら、TBSラジオが制作する番組の一部(『クラブ954 』『井上貴博 土曜日の『あ』 』など)のパーソナリティ をレギュラーで務めている。他の番組にも、レギュラー出演者の休演日には、アシスタント代理として随時出演。週末を中心に定時ニュース(『TBSニュース』)、TBSラジオがJRN向けに制作する国政選挙の開票特別番組 で速報キャスターやリポーター(放送上の肩書は「記者」)を担当することもある。
以下は2022年6月時点でのキャスターで、*は交通情報の担当経験者。
2022年6月の時点では、楠葉が交通情報の担当をただ1人続けているほか、田中が『井上貴博 土曜日の『あ』』のアシスタントをレギュラーで務めている。
放送上のタイトルは基本として「TBSラジオ 交通情報 」だが、ゴールデンウイーク 中の放送では「TBSラジオ ゴールデンウイーク交通情報 」、お盆 前後の放送では「TBSラジオ 夏休み交通情報 」、年末年始 の放送では「TBSラジオ 年末/お正月交通情報 」というタイトルを使用。1970年代の後半までは「交通ニュース 」、AM放送の周波数を954kHzに変更してからワイドFMの本放送を始めるまでは「954 TBSラジオ交通情報 」、1990年代には深夜帯(『岸谷五朗の東京RADIO CLUB 』)への内包分に限って「東京トラフィック・ナウ 」と呼んでいた。
TBSラジオは曜日を問わずほぼすべての回で警視庁 交通管制センターTBSスタジオの専属キャスター(女性のみ)からの情報提供である。日本道路交通情報センター (JARTIC)の職員のアナウンスによる交通情報は平日の14時50分頃の1回のみである(首都高速道路会社本部内の首都高速センターと中継[注釈 45] )。放送時間は概ね20分台と50分台、日曜の場合は『爆笑問題の日曜サンデー 』開始前の12時59分から時報CM開始までスポット枠で交通情報が入る。交通情報は、パーソナリティーからの「時刻は〇時〇〇分、ここで(スポンサーが付く時は「○○がお送りする」)TBSラジオ交通情報です。警視庁(交通管制センター)の○○さん、お願いします。」[注釈 46] [注釈 47] という呼びかけに「はい」または「はい、お伝えします」の一言で始まる。その番組の最初の枠ではパーソナリティの「お願いします」が「おはようございます」や「こんにちは」などの挨拶になる場合があり、その時はそれに返す。アナウンス終了時はキャスター本人の名前は名乗らず「以上です」または「警視庁から以上です」で締める。生ワイド番組の最初の枠の場合はその後に「今日もよろしくお願いします。」とパーソナリティーに挨拶する場合もある。時間がある時はスタジオのパーソナリティーと前後に掛け合いが入ることもある。なお、スポット枠のように、呼びかける人がいない場合でも、名乗らずに終わる。スポット枠の場合はパーソナリティの代わりに次の放送時間を告知する。
さらに、2019年(令和元年)9月27日までの平日[注釈 48] 昼間[注釈 49] の毎時1回目の交通情報では隣接県(神奈川県 ・埼玉県 ・千葉県 )の県警の交通管制センターにも専属キャスターまたはTBSラジオキャスターを配置し、警視庁からの報告に続ける形で放送を行っていた[注釈 50] 。原則的には、警視庁→神奈川→埼玉→千葉の順で放送されていたが、例外的に2017年度に放送されていた『都市型生活情報ラジオ 興味R 』では変則的な順番で放送されることも多かった。なお、県警発がある番組のうちほとんど[注釈 51] は、パーソナリティーが「警視庁から続けてお願いします、警視庁の○○さん。」と警視庁担当者のみ呼びかけ、警視庁以外の担当者は最後に「(神奈川/埼玉/千葉)から○○でした」と名乗っていた。最後になる千葉のキャスターは「◯◯さん(パーソナリティ名)さんどうぞ」などとスタジオに返すこともある[185] 。なお、当時『アフター6ジャンクション』内の18時15分頃に放送されていた交通情報では警視庁の後はその都度、一旦スタジオに戻してから神奈川・埼玉・千葉を呼びかけ、最後に警視庁・神奈川・埼玉・千葉をもう一度繋いで、スタジオの計らいで運転中のドライバーへのメッセージ(「今日も安全運転 お疲れ様です!」)を言って終わるという他時間帯とは異なるフォーマットになっていた。
BGMは番組によって異なる[注釈 52] 。交通情報開始時のジングルは同局内で統一されたメロディーではあるものの、各番組によってステレオ音声の左右のチャンネルが異なっている。また、全国ネットの生放送番組ではジングルは無く、各番組独自のBGMに乗って始まる[注釈 53] 。なお、このジングルは過去3回変わっており、現在は4代目となる[注釈 54] 。
限られた時間内により多くの情報を伝えるため、キャスターによるアナウンスは言葉の簡潔化が図られている。例えば、通常の日本道路交通情報センターの場合「中央自動車道上り線、相模湖と八王子の間の小仏トンネルで20キロの渋滞です。渋滞通過に90分かかっております」というところ、TBSラジオでは「中央道上り小仏トンネル20キロ、通過に90分」と短く、また、高速道路 のインターチェンジを言う場合、「○○インター」の「インター」を飛ばしてアナウンスする傾向が強い。3桁国道 の場合、頻繁に出てくる国道246号 、国道254号 、国道298号 、国道357号 などは数字のみで(ニーヨンロク・ニーゴーヨンなど)呼ぶ場合もある。
警視庁管轄なので建物火災による交通規制や渋滞を伝える場合、火災現場の住所や出動した消防車の台数、怪我人の数など、交通事故の場合は具体的な事故現場の住所、事故車輌の数、怪我人の数などを詳細に伝える。イベント等で交通規制がある場合もそれも伝える。キャスターのアナウンスには各個人に個性があり、例えば阿南京子 においては頻度は少ないが渋滞中の通行車輌の速度や、都内で行われるデモ行進の情報を織り込んで伝える場合があった。また、番組中で場所や地名などが話題になると、その周辺の交通情報を差し込む場合もある。
金曜日の午前中からランチタイムにかけて生放送を実施している『金曜ボイスログ 』では、一般道での事故や首都高速道路 の入口閉鎖の情報が入った場合に、規定の放送時間とは別にスポット交通情報が入る。2022年3月まで6年間にわたって月 - 木曜日の同じ時間帯に放送していた『伊集院光とらじおと 』でも、このような措置を講じていた。また、『森本毅郎・スタンバイ! 』では道路の情報の前に、鉄道関連の情報をパーソナリティーの遠藤泰子 が伝える。他の番組では、交通情報のタイミングとは関係なく、遅延や運転見合わせが発生した場合にパーソナリティ(『アフター6ジャンクション』シリーズでは曜日別にパートナーを務めるTBSテレビの新旧アナウンサー[注釈 55] )から伝えられる。
2023年(令和5年)10月現在の各担当キャスター
【警視庁 】(2018年4月2日からは、出演時間は平日の場合朝番が5時25分 - 10時、昼番が10時 - 15時30分、夜番が15時30分 - 19時40分に変更[注釈 56] [注釈 57] 。土・日曜日は時間が異なる[注釈 58] 。いずれもシフト制 となっている。
碓氷浩子 (1980年代より出演。以前は神奈川の担当だった。元・宮崎放送アナウンサー)
長谷川万希子(2004年10月、11月、2015年2月−。1990年代 − 2015年2月までは埼玉担当。元954キャスタードライバー)
白井京子 (2005年12月 - 。2005年12月までは埼玉の担当だった。元954情報キャスター)
中村愛美 (2006年10月 - 2010年12月、2012年4月 - 2013年9月、2014年4月 - 2023年4月 、2023年10月 - 。2005年12月 - 2006年10月までは埼玉の担当だった。元954情報キャスター 2019年5月 - 同年7月いっぱいは産休。)
飯島純(2015年4月 - 。2013年9月 - 2015年3月までは神奈川の担当、1999年頃に旧姓の『山内純』名義で、警視庁での担当をしていた。元954キャスタードライバー)
楠葉絵美 (2016年8月 - 。2007年9月 - 2016年6月は千葉の担当。TBSラジオキャスター)
桜井園子(2016年10月 - 。元954情報キャスター)
野村麻美 (2023年8月 - 。2008年2月 - 2009年3月は埼玉の担当。元954情報キャスター)
【各県警 】 2019年(令和元年)9月27日をもって、神奈川県警・埼玉県警・千葉県警へのキャスターの配置を廃止 した[186] 。同日の『アフター6ジャンクション』が最後の放送となった。以下は廃止時点での担当者。
酒井良子<神奈川>(1980年代より出演)
柳沢怜 <神奈川>(2000年より出演。TBSラジオキャスター)
加藤奈央<神奈川>(2015年9月 - 。TBSラジオキャスター)
斉藤裕子<埼玉>(2014年12月 - 。1990年代 - 2014年9月は警視庁担当、2014年12月 - 2015年3月までは千葉も兼任。それ以前は埼玉の担当だった時期もあり。元954キャスタードライバー)
海老原美代子 <埼玉>(2017年1月 - 。気象予報士。2013年7月まで気象予報士として、TBSラジオに出演)
河瀬やよひ<千葉>
成宮千晴<千葉>(2016年7月 - 。元チバテレビ 交通情報担当)
【過去の担当キャスター 】
坂井志満 <警視庁>( - 2004年9月)
池田亜希子 <警視庁>( - 2005年12月。元954情報キャスター)
大島洋子 <警視庁>( - 2006年8月。元954情報キャスター)
宮脇花織 <警視庁>( - 2007年8月。元954情報キャスター)
阿南京子 <警視庁>(1980年代 - 2015年1月。以前は埼玉の担当だった。中咽頭がん治療の為、降板[187] 。)
恩田美穂子<警視庁>(2004年12月 - 2005年12月、2014年10月 - 2016年9月。以前は埼玉の担当だった。元954情報キャスター )
山崎景子 <警視庁>(2008年7月 - 2014年12月。)2006年10月 - 2008年7月までは埼玉の担当だった。元954情報キャスター)
平井麻枝子 <神奈川>( - 2008年12月。元954情報キャスター)
新崎真倫 <神奈川>(2008年12月 - 2010年3月。元954情報キャスター、現フリーアナウンサー)
小西杏奈 <神奈川>(2015年4月 - 6月。元954情報キャスター)
綾部峰雪<埼玉>( - 2006年9月。元954情報キャスター)
一場麻美 <埼玉>(2007年4月 - 2010年9月。元954情報キャスター)
波岡陽子 <埼玉>(2010年6月 - 2015年8月(途中、休養期間あり)。元954情報キャスター)
佐藤しほ里 <埼玉>( - 2011年4月。元954情報キャスター)
安井衣里<埼玉>(2011年5月 - 2012年2月。元954情報キャスター)
村山亜希子<埼玉>(2011年12月 - 2013年5月。元954情報キャスター)
大澤瞳<埼玉>(2013年6月 - 2014年3月。元954情報キャスター)
阿部文音 <埼玉>(2013年7月 - 2016年3月。TBSラジオキャスター)
岡本祥子 <埼玉>(2015年2月 - 2017年5月。2009年12月 − 2013年8月は神奈川担当だった。2017年6月から産休のため降板。元954情報キャスター)
小島明子 <千葉>( - 2007年8月。元954情報キャスター)
泉貴子 <千葉> ( - 2009年2月。元954情報キャスター)
多田のり<千葉>(1980年代 - 2017年3月)
楠本有美<千葉>(2017年4月 - 2018年1月)
石井美江<千葉>(2018年2月 - 2019年1月。TBSラジオキャスター(当時)、現NHK金沢放送局 →NHK京都放送局 契約キャスター)
時報 は2000年 (平成12年)3月以前はTBSテレビ(アナログ)と同じものを使用しており、正時の2秒前からのカウントされる2点時報[注釈 59] で「ピ(ハ 低音)、ピ(ハ低音)、ポーン(ハ高音)」であった(TBSテレビの時報は地上デジタル放送完全移行により、現在は放送されていない)。
TBSラジオ&コミュニケーションズが発足した2000年(平成12年)4月1日 からは、当時の技術スタッフだった小沢冬平が時報音を作成[188] [189] 、これまでの2点時報に音楽をかぶせて、「ピポパポパ、ポーン」(ハ高音)となっている。時報の音楽はラジオのコールサインJOKR をモチーフにしたもの[注釈 60] 。radiko では時報が流れず無音となっているが、『JUNK 』や『荻上チキ・Session-22 』放送中など、番組によっては薄らかに聴こえる事がある[注釈 61] 。
2022年 (令和4年)8月1日 からは、TBSグループが『最高の“時”で、明日(あす)の世界をつくる。』のブランドプロミスを軸に同年7月より導入したブランドサウンド[注釈 62] [190] をベースに、前回同様小沢によって作られた時報音を使用している[191] [188] [189] 。2点時報に音楽を被せるスタイルや音楽のメロディは先代の時報音を踏襲している。
ラジオ時報CM のスポンサーの変遷は以下の通り。
※たまに、TBSラジオからのお知らせ→時報の場合もあり(平日22時の時報は、TBS制作映画や舞台の告知が多い)
時報スポンサー
時報スポンサーがない場合「(なし)」と表記する。この場合、TBSラジオのコールサイン告知[注釈 64] あるいはradikoのPR告知が流れる場合もある。
その日限定で単発スポンサーの時報CMに差し替える場合あり。
放送開始・終了時には文化放送(QRソング )やラジオ大阪(OBCソング )と同様に歌が流れる。その歌はキャッチフレーズの変更と共に過去に2回変えられた。
開局 - 1978年 (昭和53年)9月 室内オーケストラによるオリジナルの放送開始曲を使用。管弦楽にアコーディオンが加わった独特の編成。それにつづいて開始アナウンス。終了時は山田耕筰歌曲「この道」をハープの伴奏によるフルートで演奏。それをBGMに放送終了の挨拶が放送された。その後宇野淑子 アナウンサー(当時)による「お聞きの放送は周波数950kHz、出力100kWでお送りいたしました。東京放送、TBSラジオです。J、O、K、R。」というアナウンスに続いて、弦楽とビブラフォンによる静かな短い終了音楽(開始曲と同じメロディのオリジナル曲)が演奏された。
1978年(昭和53年)10月 - 1990年 (平成2年)3月 「YOU ARE NOT ALONE」。歌は来栖アンナ、作詞は兼城昌昭(TBS社員)、作曲は小杉保夫 [193] 。歌詞の一節は1978年 (昭和53年)(開局の1951年 (昭和26年)から27年後)に制定された新周波数、954kHzを意識している。来栖ANNA名義で1981年に発売したアルバム「Cruising Cruz」にTBSラジオの局名を外して歌詞を若干変えたバージョンが収録され、同アルバムからシングルカットされた「STRANGER IN KYOTO」のEP盤にもカップリングとして収録されている。
1990年(平成2年)4月 - 2000年 (平成12年)9月 「きいたら、ききたい」。歌は森川由加里 、作詞は伊藤アキラ 、作曲は馬飼野康二 [194] 。終了時の曲は2番のカラオケ部分が短縮された時もある(カットの場合は音楽がモノラル音声(放送波はステレオのまま)になり、アナウンスも別の人になっていた)。ジャンクション 時(朝5時前)は、ステブレに使われるTBSコーラスと同じ曲をバイオリンによる編曲にしたものを使っていた(アナウンスは吉川美代子 アナウンサー)。
2000年(平成12年)10月 - 「聞けば、見えてくる。」。歌は高尾直樹 によるア・カペラ 。2001年 (平成13年)10月1日 からは分社化されたためアナウンスが変更された[注釈 68] 。なお、ジャンクション時(朝5時前。ただし、月曜日のみ4時前のオープニング直後)の音楽はこの歌のピアノ バージョンが使われている。ジャンクション・放送開始・終了時のいずれもアナウンスは堀井美香 アナウンサー(言い回しは2001年 (平成13年)10月1日 から「お聞きの放送は、TBSラジオです。周波数954kHz、出力100kWでお送りしています。J、O、K、R。TBSラジオです[注釈 69] 」)。
※以前、毎月1日は緊急警報信号 の試験発射のため無しだった(月曜日を除く)。現在は緊急警報信号が第2週目の日曜放送終了後(試験が無い場合もある)に移動したため放送されている。なお、緊急警報信号のアナウンスは生放送 で行っており、宿直のスタッフなどが行っている。稀にクロージング終了後にTBSラジオキャスターが台風情報を読み上げることがあり、その流れでラジオキャスターが緊急警報信号のアナウンスを読み上げるケースも存在する。2023年4月23日深夜の放送終了時にはこの日行われた統一地方選 に関する臨時ニュースを読み上げた記者がそのまま生放送でクロージング・コールサインを読み上げた。
放送終了時の放送
アナウンスは2015年12月6日のクロージングおよび7日のオープニングまでが、堀井美香アナウンサー(当時)。ワイドFM開始後に録音された2015年12月20日のクロージングおよび21日のオープニングからが、笹川友里 アナウンサー(当時)。アナウンス音源は笹川退社後も継続して使用されている。
高尾直樹による歌が流れ、1番終了後「今夜も遅くまで、TBSラジオにお付き合い下さいまして、ありがとうございました。まもなく、お別れの時間です」とアナウンスが入り、2番に入る。2番の後「TBSラジオはこの後しばらく放送をお休みして、朝の放送は午前4時[注釈 70] からお送りいたします。それでは、お休みなさい」と再びアナウンス。サビの繰り返し後「お聞きの放送は、TBSラジオです。AMは周波数954kHz、出力100kW。FMは周波数90.5MHz、出力7kWでお送りいたしました[注釈 71] 。J、O、K、R。TBSラジオ[注釈 72] 」と入る。(月曜<原則>1時に放送)
放送開始時の放送
2015年12月7日のオープニングまで
堀井美香アナウンサーの試験電波 送信開始告知[注釈 73] を行ったのち、「Fairytale(エンヤ )」、「A Summer Long Since Past(Virginia Astly)」、「The Top of the Morning(Mike Oldfield)」の3曲を流す。それぞれの曲の末尾に試験電波 告知を同時に行う。そして、「The Top of the Morning」の最後に送信終了の告知放送をかぶせて行ったのち、高尾直樹による歌が入る。その際、イントロに「J、O、K、R。TBSラジオです」のアナウンスが入る。1番の後「おはようございます、TBSラジオです。この放送は、周波数954kHz、出力100kWでお送りしています」と入り、2番の後「おはようございます、いつもTBSラジオをお聞き下さいまして、ありがとうございます。今日も1日元気にお過ごし下さい。これより、今日の放送を開始いたします」と放送開始のアナウンスが入り、サビの繰り返し後「J、O、K、R。TBSラジオ」が入る。分社化前の2001年9月24日の放送開始まではイントロが「J、O、K、R、東京放送、TBSラジオ。」、サビの繰り返し語が「J、O、K、R。T、B、S」となっていた。その後ジャンクション時のアナウンスが入る。(月曜4時前に放送)
2015年12月21日のオープニングから
高尾直樹による歌が入る。その際、イントロに「J、O、K、R。TBSラジオです」のアナウンスが入る。1番の後「AMは周波数954kHz、出力100kW。FMは周波数90.5MHzでお送りしています」と入り、2番の後「おはようございます、いつもTBSラジオをお聞き下さいまして、ありがとうございます。今日も1日元気にお過ごし下さい。これより、今日の放送を開始いたします。」と放送開始のアナウンスが入り、サビの繰り返し後「J、O、K、R。TBSラジオ」が入る。その後ジャンクション時のアナウンスが入る。(月曜4時(5時)前に放送)
短縮版の放送開始・終了
2006年 (平成18年)11月6日 、歌が省略されアナウンスのみで放送が終了/開始された(なお、アナウンス内容は同一)。試験電波の発射もこの日に限り行われなかった。
その他
2013年 4月から9月まで土曜深夜(日曜未明)4時から5時を名目上放送休止とみなし「フィラー音楽放送 」としていたが、特に4時の休止開始前、5時の放送再開後のアナウンスは行われていない。4時の時報後音楽が流れだし、4時59分にピアノ演奏によるジャンクションアナウンスが入る。
放送中に流れる局のサウンドロゴ(ジングル、サウンドステッカー) (正確はTBSラジオの公式ページ案内ソング)は男性ボーカルグループのBaby Boo が歌っている。また、2015年12月から使用されている、AM・FM両周波数を織り込んだサウンドステッカーは、クラウドソーシングサイト「アーティストクラウド」を通じてTBSラジオが募集、声優の小岩井ことり が制作・応募した作品が採用され使用されている[195] [196] 。2023年4月からはTBSグループ共通のブランドサウンド(2022年7月導入)を元に音楽プロデューサーのRAM RIDER が制作したステーションジングルが地上波及びポッドキャストにおいて使われている[197] 。
完全分社化に伴う告知放送
2001年 (平成13年)9月30日 の23:59から10月1日 の0:01にかけて、完全分社化(正式には放送事業・免許を東京放送(その後テレビ専業を経て現在は放送持株会社のTBSホールディングス)から当社に継承)に伴う告知放送が行われた。
まず9月30日23:59に東京放送のラジオ放送局事業としての締めくくりとしてサウンドロゴをバックに「お聞きの放送は、東京放送が周波数954kHzで お送りしました。TBS東京放送、JOKR 」という堀井美香 アナウンサーのアナウンスが行われ、その後時報CM(セブン-イレブン 提供)を放送した。
時報に続き10月1日0:00に宮内鎮雄 アナウンサーから「JOKR TBSラジオ。…お届けしている放送はただいまの時刻をもちまして、TBS東京放送より放送免許を引き継いだティ・ビー・エス・ラジオ・アンド・コミュニケーションズ からの放送になります…。」という内容で分社化放送開始のアナウンスが行われた[198] 。分社化最初の放送は『林原めぐみのTokyo Boogie Night 』。
ここでは、「ラジオ東京スピリッツ〜TBSラジオ開局60周年 」内の過去の番組表より確認できたものを示す。なお、一部使用期間が重なるものもある。
リゾナンス編成のTBSラジオ(1973年4月 - 9月)
聞きごたえのあるTBSラジオ(1973年10月 - 不明)
新しい発見(不明 - 1977年3月)
街コミュニケーション(1977年4月 - 1978年3月)
もうひとりの友だち(1978年4月 - 1979年3月)
プラス4の魅力(1978年10月、周波数を950kHzから954kHzへ変更した事に伴う告知)
954 ラジオははずむTBS(1979年4月 - 1983年3月)
あなたのラジオお元気ですか(1983年4月 - 1989年9月)
信頼と共感のTBSラジオ(1984年4月 - 9月)
きょう心にひびくことば(1985年4月 - 9月)
"今"がきこえる(1987年4月 - 1990年9月)
もっと素敵に。TBS。(1988年4月 - 1991年3月、TBSテレビと共通)
フィーリングの時代からメッセージの時代に(1991年4月 - 9月)
YES,TBS(1994年4月 - 1996年9月、TBSテレビと共通)
いま大切なこと伝えます〜Live & Lifeライン(1995年4月 - 9月)
いま、GET!(1995年10月 - 1996年3月)
ホット れぃでぃお TBS!!〜本音でトーク(1996年10月 - 2000年3月)
聞けば、見えてくる(2000年10月 - 、2020年1月以降は局名告知に限定して使用)
何かが始まる音がする(2020年1月 - 2023年9月)
ときめくときを。(現行、2023年10月 - 、TBSグループ共通のブランドメッセージ)
以下はTBSラジオが制作する、中波放送・FM補完放送・radiko以外のマスメディア。
在籍中
池田卓生 (編成局制作センター制作部部次長、番組プロデューサー、通称「池P」)
小桧山雅仁 (営業統括局営業部所属・横浜支局長兼務、元・横浜ベイスターズ投手)
崎山敏也 (編成局制作センター所属、報道記者)
澤田大樹 (編成局制作センター所属、報道記者)
過去
武田一顯 (「国会王子」との異名で知られた報道記者、2018年7月にTBSテレビの営業局へ異動した後に2023年6月で退社)
橋本吉史 (「橋P」という通称で知られる番組プロデューサー、2024年6月に退社)
1997年 (平成9年)頃に送信所トラブルが発生し、『宮川賢の誰なんだお前は?! 』放送中(夜11時前の時報CMに入る直前)に、予備送信設備へ切り替えを行った。これは放送音声(AMステレオ音声の左チャンネル)に、断続的な雑音が発生していたためである。切替後、予備機からのため音量が普段より小さい状態が続いたが、約1週間後に送信所が復旧し通常の送信に戻った。
2001年 (平成13年)8月 に台風 が原因で送信所にトラブルが生じ、数日間放送事故が多発していたため、8月22日 に『コサキンDEワァオ! 』を東京のみ1時間に短縮放送し、深夜2時から翌朝4時まで放送を休止して送信所の点検・調整を行った(放送予定の『Ride on music! 』は中止)。この時、『コサキンDEワァオ!』の前後に、放送休止に関してのお詫びコメントを約1分間アナウンサーが伝えた。
しかし、上記点検の後も不安定な状態が続いたため、9月2日 深夜に再び放送を休止して深夜1時から点検・調整を行った(放送予定の『ラジオパステルコレクション』、『量産型アリtoキリギリス』は中止)。上記同様に放送を終了する際、約1分間の放送休止のお詫びコメントをアナウンサーが伝えた。
放送番組での不祥事
2023年 (令和5年)4月、土曜日深夜の番組『俺達には土曜日しかない 』同年4月22日(23日午前) 放送回で紹介したラジオネーム「サキピ」からのメールがスタッフの自作であったことを明らかにした。さらにそれ以前にも同様のケースが現時点で13件確認されたことも併せて報告した。これについて局は「番組をお楽しみ頂いているリスナーの皆様、パーソナリティ、番組を支援いただいているスポンサー及び関係者の皆様の信頼を損ねる行為であったこと、深くお詫び申し上げます」等とする謝罪文を局の公式サイトに掲載した[201] [202] 。
この件について同年5月31日に行われた定例記者会見で社長の三村孝成(当時) は「番組を楽しみにしていただいているリスナーの方々。パーソナリティーの綾小路翔 さん、スポンサー、関係者の皆さまの信頼を損ねる行為」とし「今回の件は重く受け止めておりまして、二度と起きないように徹底しております」等と謝罪。原因について「あるリスナーの悩みを解決するための回答が同じような内容が多かったために、スタッフが(回答の)バリエーションを増やすために自作してしまったのが原因」と述べた[203] 。
CM素材を巡る不祥事
2022年 (令和4年)4月、広告主から納品された複数のCM 素材のうち、一部のCM素材について、「放送には検討を要する」との意見が考査において出されたことを受けて、TBSラジオの担当者が独断でCM素材の進行表を書き換えた上で既に考査を通過している別のCM素材に約2年超にわたって差し替えていたとして、2024年 (令和6年)6月19日に謝罪した[170] [171] [172] [173] [174] 。
その後同年9月4日に同局の社内調査およびTBSホールディングスの第三者を交えた委員会による調査の結果を公表、その中で6月に公表した広告主1社の無断差し替えに加え、同広告主と別の広告主1社の計2社の生CM無断差し替えが確認されたことが判明した。いずれも同じ営業担当者と広告会社が担当しており、担当者は2022年11月から2024年6月にかけて、考査の見解をもとに生CMの原稿に変更を加え、広告会社・広告主に報告しないまま放送していた。放送確認書の偽造は公表した分以外にはなく、他の担当者による不正や上長からの指示など組織的な関与もなかったとしたが、社内規定に基づき担当者や上長などを懲戒処分するとともに、経営責任を明確にするため、会長の三村孝成が9月30日付で辞任、社長の林慎太郎が10月1日付で代表権を返上し、同日付でBS-TBS専務取締役の向山明生を代表取締役会長に就任させる人事を決定、あわせて林は役員報酬の月額30%を3ヶ月間自主返納することになった。また再発防止策として、不正の余地を無くすため営業担当者をCM進行表や放送確認書の業務に関与させない体制作りを徹底するとともに、社員教育の見直しを実施するとしている[204] 。
9月6日、日本民間放送連盟 はTBSラジオに対し4日に厳重注意を行ったと発表した。再発防止に向けた取り組みの着実な実行も求め、また同時に会員全社に対し、CMをめぐる社内プロセスの再点検などを要請した[205] [206] 。
注釈
各TBS制作番組宛の郵便番号は従前通りラジオ・テレビ共通で「107-8066」。
2020年6月現在、企業情報のページでは「株式会社TBSラジオ」の略称を「TBSラジオ」としている。TBS R& C時代はそれが略称としても機能していたが、現社名では略称が社名そのものとなっている。
例として、radiko の放送局記号が「TBS」となっている、TBSテレビによるJNN・JRN共同災害募金 のウェブページで「TBSをキーステーションとするJNN・JRN 」と記載されている、自社で展開する住宅展示場 の名称が「TBSハウジング 」であることがあげられる。前者と後者は単に「TBS」と略記しただけで当社を指すケース、中者は実際にTBSテレビとまとめられているケースに該当する。
TBSグループの放送持株会社移行時点では既にTBS放送センターに入居済みであった。
なお放送事業者ではなくなったTBSHDに会員資格はないため、持株会社化と共に会員資格をもTBSテレビに承継する形で退会済。
DeNA への球団譲渡に伴い、2011年12月発行号限りで終了。同号および翌2012年2月発行号での終了案内は行われなかった。
TBSHD・TBSテレビと異なりフォントはほぼ同じだった。
サムネイル画像は2020年3月までの先代局名ロゴを使用しており、現行ロゴには差し替えられていない。
この日は、日本初の民間放送のラジオ放送の予備免許が全国の16局に対して一斉に交付された。その内の1局である。
毎日新聞東京本社は1966年 (昭和41年)にここを離れて東京都千代田区一ツ橋 1丁目1番1号の現本社ビル に移転。当時のニュースは毎日・朝日 ・読売 の全国紙 最大手3社の出資があったため、この3社による曜日ごとのローテーションでニュースを提供していた。
この送信機は、ラジオの大電力の送信機としては、日本で初めて輸入された物である。
日本国との平和条約 が締結され占領が解除されたのは月末の28日なので、この時点ではまだ「在日米軍」ではない。
毎週木・日曜日の『イングリッシュ・アワー』内に『ハイ・フィディリティ・タイム』を設け、ジャズ、クラシック、セミクラシック(今で言うインストのイージー・リスニング )のアナログ盤を放送。通常放送の周波数帯域は50~10,000Hzであるが、ハイファイ放送はこの帯域を40~15,000Hzに拡げて、音の特性を崩すことなく放送した。
2002年1月に(株)東京放送(当時)が刊行した「TBS50年史 資料編」の年表では、「1969年8月15日」と同書の339ページに記しているが、ここでは、TBSラジオが普段からアナウンスしている1967年としている。
JRN加盟局の中で、朝日放送ラジオはネットされなかった。
この日の同時刻に、文化放送、ニッポン放送、朝日放送、毎日放送も同放送を開始している。ちなみに、TBSラジオでのステレオ放送の最初の番組は、『TBSポップスベスト10 』だった。
「1日ひばりデー」の放送は、大沢悠里がひばりの子息である加藤和也、そして神津善行・中村メイコ夫妻と一緒にひばり邸から放送した。
ラジオ分社化の時点ではテレビ番組制作会社のTBSエンタテインメント。この3年後(2004年同日)にTBSライブとTBSスポーツを合併してTBSテレビに社名変更。
TBSラジオの他に、文化放送、ニッポン放送、アールエフラジオ日本、TOKYO FM、J-WAVE、NACK5、bayfm、FMヨコハマの計9社で同時に運用を開始。
サイマル放送開始当初の放送時間帯は月 - 土曜日は6:00 - 27:00、日曜は6:00 - 25:00に限られた。
日曜日深夜 1:00 - 5:00はメンテナンスのため、放送休止。
radikoでの緊急地震速報の放送については、タイムラグが発生する為行なわない。
NHKとアール・エフ・ラジオ日本は従来からモノラルのまま。
その日の放送終了直後から試験放送に入り、ステレオとモノラルの両方で行われていたが、最終的に午前3時3分をもって、AMステレオによる試験放送は終了となった。3時5分より完全にモノラル音声の試験放送となり、午前4時前のオープニング から、従来のモノラル放送に戻った。
4時の時報までは通常通り放送し、そのあとはクラシックなどの音楽を放送、4:59にジャンクション音源を流して日曜の編成に入っていく流れであった。そのため「放送をお休みする」などのアナウンスは一切なかった。
元はpodcasting954で使用していたドメイン名。
そのドメインが定着していたうえ、文字数が若干ながらTBSテレビのドメインの方が少ない(テレビ:9文字、ラジオ:11文字)。
ビジター地元局が乗り込まない場合には、DeNA球団の公式映像に基づくオフチューブ方式で中継を構成するか、巨人主催の公式戦に準じて自社向け中継の制作をRFラジオ日本に委託している。
同様にTBSテレビは「東京テレビ」(東京放送テレビ)としていたが、こちらは「Tokyo Broadcasting System Television, Inc.」というTBSテレビの英文社名に形を変え、東京放送ホールディングス→TBSホールディングスへの商号変更後も残っている。
『高嶋ひでたけのAKASAKA発スポーツまるごと90分 』など
『吉田照美のびんびんタイムス!〜まだまだもっと日曜日 』など
在京局以外ではラジオ大阪 が2007年に、JRNの系列局ではTBSと同時にRBC iラジオ も撤退している(但し、2018年以降も沖縄開催の公式戦・オープン戦は自社で制作・放送している)。
TBSラジオの関東ローカル向け放送に限れば 、平日午前の生ワイド番組内で週に1回編成されるコーナーとして、2020年(令和2年)10月5日から事実上復活 。2022年(令和4年)3月までは『伊集院光とらじおと』内で「こどもでんわそうだんしつと 」、同年4月以降は『パンサー向井の#ふらっと』内で「ふらっと こどもでんわそうだんしつ 」として放送されている。
ラジオ大阪はNRNキー局である文化放送との関係が深いが、放送枠である土曜18時台前半は、当時の文化放送では年度上半期に『文化放送ホームランナイター 』を編成しており、通年の同時ネットが不可能だった。
2019年7月に木村洋二 がSTVラジオエグゼクティブアナウンサーに就任したが、同年10月31日の定年退職まで社籍は札幌テレビ放送(本社)のままだった。
スカイA・GAORA共にスポーツ専門チャンネルのため、出向するのはスポーツアナウンサーが中心。
日本では、ラジオ単営局がアナウンサーを自前で採用する機会が少ないこともあって、放送局へ勤務するアナウンサーにはテレビ番組の担当を志す向きが強い。現に、安住や大橋未歩 (テレビ単営局であるテレビ東京 出身のフリーアナウンサー)は、TBSを含む複数のテレビ局 の採用試験を受けていたことを著書で公表している。
TOKYO FMと同様に、最後に担当キャスターが名前を名乗らないスタイルである。TBSから警視庁・各県警に派遣しているキャスターと異なり、男性も出演。
年末年始などワイド番組が都合で事前収録となる場合は「警視庁からお願いします」に変わり、キャスターが読み上げるまで1~2秒の間がある。
2018年4月から2023年9月までの『アフター6ジャンクション』内の交通情報の最初の枠では、パーソナリティの宇多丸(不在時・リモート出演時は代理パーソナリティかパートナーを務めるTBSテレビの新旧アナウンサー)が交通情報コーナー開始のアナウンス後に「絶えず変化する交通情報は、さしずめ街の心電図」 というフレーズを必ず挿入。そこから当日の担当キャスターにつなぐ。
2009年(平成21年)3月28日までは土曜日にも放送、その後も大型連休やお盆休み、年末年始などの交通集中時期は、臨時に土曜日・日曜日にも放送されていた。
2016年度までは12時台から17時台、2017年度は月曜日のみ18時台まで、2018年度からは火曜 - 金曜でも18時台まで、いずれの期間も15時台を除き、2019年度は17時台も除く。なお、交通集中時期には放送時間帯を10時台からに拡大し、土曜日・日曜日においては、10時台からTBSラジオ以外へのネットのある番組(2019年8月時点では、久米宏 ラジオなんですけど ・爆笑問題の日曜サンデー の13時台・14時台が該当)を除いて、16時台まで出演。
かつては文化放送・ニッポン放送・ラジオ日本にも専属キャスターがいたが、2010年までに日本道路交通情報センターの職員のアナウンスに切り替えられている。
2019年9月の終了時点で、警視庁・各県警ごとに一旦スタジオに戻してから呼びかけていた番組は『アフター6ジャンクション』だけであった。
『森本毅郎・スタンバイ! 』内で7:10頃・7:57頃に放送する交通情報、土日の59分のスポット枠のようにBGMなしになる場合もある(『スタンバイ!』ではBGMが入る交通情報もある)。また、『パンサー向井の#ふらっと 』内の交通情報には、関取花 の「やさしい予感」をBGMに使用。『アフター6ジャンクション』では、交通情報開始用のジングルを使わない代わりに、RHYMESTER (パーソナリティの宇多丸 が所属しているヒップホップユニット)の「予定は未定で。」(放送期間中の2023年6月21日リリースのアルバム『Open The Window』にフルバージョンを収録)をBGMで流していた。
ネット局では独自に放送エリアの交通情報(局によっては天気予報なども)を流すため、BGMのみをネット局に送る。
1980年代から使用していた初代、1992年3月15日のAMステレオ放送開始時から使用していた2代目、1994年10月4日の放送センター移転時から使用していた3代目、2000年10月1日から現在も使用している4代目。
ただしパートナー不在時や、『アフター6ジャンクション2』の(カレンダーで)第4週に当たる水曜日でTBSテレビの現職アナウンサーがパートナーを担当していない場合には、パーソナリティの宇多丸が伝えている。
ただし、2020年5月・6月は新型コロナウイルス感染対策として、出演担当者を減らすため5時25分 - 13時00分、13時00分 - 20時00分の二交代制となった
土曜朝番が6:45-13:00、土曜午後が13:00-15:00、日曜朝番が6:45-12:00、午後が13:00-17:00 2022年3月で土曜15・16時台の交通情報は廃止。
他の予告のある時報を使用する放送局(NHK ・ニッポン放送 など)よりは予告は1秒短い。これは現在の音楽がついたものも同様である。
“ケイアール”と言っているように聞かせる。文化放送 の「QRソング 」を用いた時報に倣ったようだが未詳
2世代前の『BATTLE TALK RADIO アクセス 』時代からネット局ではよく聴かれた現象。ネット局によっては23時の時報を流さないが、TBSラジオのスタジオのスピーカーから流れる時報音が出演者のマイクを通じて乗ってしまうため。
TBSテレビで関東地方のみ1日を通して随時流される番宣CM「今夜のTBSは」やTVerなどの配信冒頭に流されるロゴムービーは7月から先行して使用している。
TBSラジオが主催・運営するコミュニティ・サークル
「お聴きの放送は、FM 90.5MHz、AM 954kHz、TBSラジオです。○時をお知らせします。」とナレーションされ、16時 - 20時(土曜日20時を除く)は宇内梨沙 アナウンサーのナレーション音源を使用している。
冒頭のナレーションは、
まず女の子が「見守るよ、住まいと暮らし、ミライフさん」と言った後に、
男性が「ひごかないかなぁ~」と言い
その後にミライフのサウンドロゴが流れ、
「9時です」で締めるナレーションになっている。
龍角散は同じ11時に文化放送でもスポンサーをしている。
ただし、アナウンス自体は「東京放送」の名称や「T、B、S」というアナウンスを外し、2015年から FM補完放送の技術情報を入れた以外は「YOU ARE NOT ALONE」「きいたら、ききたい」からほぼ変わっていない。
分社化前は同じく堀井アナのアナウンスで「TBSラジオ、周波数954kHzでお送りしています。T、B、S、東京放送。J、O、K、R。 」とアナウンスしていた。
かつて5時開始だった時代は「いつものように、午前5時から」となっていた。
堀井アナ時代は、「周波数954kHz、出力100kWでお送りいたしました」。
分社化前は「東京放送 、J、O、K、R」とアナウンスしていた。
言い回しは「J、O、K、R。こちらは、TBSラジオです。周波数954kHz、出力100kWで試験電波を送信いたします。」
出典
“会社概要 ”. 株式会社TBSラジオ. 2022年6月28日 閲覧。
第23期決算公告、2022年(令和4年)6月23日付「官報」(号外第135号)111頁。
「新たにラジオ東京 新聞関係一本で申請」『朝日新聞』昭和26年1月11日
株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、322頁。
東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、575頁。
株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、323頁。
株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、49頁。
東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、576頁。
株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、243頁。
株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、243,323頁。
東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、269,576頁。
東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、577頁。
毎日放送50年史編纂委員会事務局『毎日放送50年史』株式会社 毎日放送、2001年9月1日、471頁。
株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、172,195頁。
株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、172,324頁。
株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、324頁。
株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、65頁。
株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、325頁。
株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、63,64頁。
東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、274、580頁。
東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、274、581頁。
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唯二郎『実録 浪曲史』より。作者の唯二郎は、元NHK演芸プロデューサー。
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朝日新聞 1954年11月27日 朝刊P.5 ラジオ・プログラム 番組表、「聴きもの見もの」番組紹介欄 及び 文化放送(JOQR)番組広告「三元立体放送」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
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尚、「ジ~ン 」というシンボルマークは継承されている。
NIFTY-ServeのFRADIO(NIFTY ラジオハウス)内「AM放送会議室」での1994年9月23日00時13分付け、高林徹TBSラジオ編成制作局放送部技術デスク(当時)の投稿による。
NIFTY-ServeのFRADIO(NIFTY ラジオハウス)内「AM放送会議室」での1995年8月4日18時24分付け、伊藤アキラ本人の投稿による。