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フジテレビ製作のスポーツニュース番組、野球番組(地上波:-2001.3.31、CS:2001.4-) ウィキペディアから
『プロ野球ニュース』(プロやきゅうニュース、英称:PROFESSIONAL BASEBALL NEWS)は、かつてフジテレビ系列の地上波テレビ局で放送され、後にフジテレビ系CS放送のフジテレビONEで放送されている、プロ野球(日本プロ野球・NPB)を中心としたスポーツの情報を提供するテレビ番組である。
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。 |
プロ野球ニュース 【地上波時代】 | |
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ジャンル | スポーツ番組 |
監修 | 佐々木信也(スーパーバイザー 1988年4月 - ) |
出演者 | 以下を参照 |
オープニング | 番組テーマ曲(地上波時代)を参照 |
製作 | |
制作 | フジテレビジョン |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
番組情報ページ | |
【地上波第1期】 きょうのプロ野球から→プロ野球ニュース | |
出演者 | 小篠菊雄、鳥居滋夫、岩佐徹、他解説者若干名 |
放送期間 | 1961年4月1日 - 1965年9月 ※プロ野球シーズン中(原則9月まで)の放送 |
放送時間 | 放送時間・内容の地上波時代を参照 |
【地上波第2期】 スポーツワイドショー プロ野球ニュース →スポーツワイド プロ野球ニュース[注 1] | |
出演者 | 第2期キャスターを参照 |
放送期間 | 1976年4月1日 - 1994年3月31日 |
放送時間 | 同上 |
プロ野球ニュース[注 2] | |
出演者 | 同上 |
放送期間 | 1994年4月1日 - 2001年3月31日 |
放送時間 | 同上 |
特記事項: ・1961年のみ、ニュース番組の1コーナー。 ・1980年代後半ごろには翌日朝に『朝のプロ野球ニュース』として再編集したものを放送。 ・1993年7月から9月に『朝イチ!プロ野球News』を放送。 ・1997年4月から9月まで、日曜日は『Grade-A』放送のため休止。 ・2000年4月から12月まで『プロ野球ニュース2000』として放送。 |
プロ野球ニュース 【CS時代】 | |
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ジャンル | スポーツ番組 |
出演者 | こちらを参照 |
オープニング | 映画『甘い生活』の挿入曲(副題名不明。作曲:ニーノ・ロータ) |
エンディング | 同上 |
製作 | |
制作 | フジテレビジョン |
放送 | |
放送チャンネル | フジテレビONE(旧フジテレビ739) |
放送国・地域 | 日本 |
番組紹介ページ | |
スポーツワイド プロ野球ニュース | |
放送期間 | 2001年4月 - 2008年 |
放送時間 | 放送時間・内容のCS時代を参照 |
プロ野球ニュース20XX | |
放送期間 | 2009年 - 現在 |
放送時間 | 月曜 - 日曜 23:00 - 24:00 オフシーズン(日本シリーズ終了後 - 開幕前) 月曜 23:00 - 24:00 |
放送分 | 60分 |
特記事項: 2010年まではフジテレビONEで1日3回、フジテレビTWOで1日1回再放送された。(2011年現在、本放送・再放送ともフジテレビONEのみとなっている) 2009年以降、タイトル末尾(20XX)には放送年の西暦が入る。 |
この節の加筆が望まれています。 |
第1期は、1961年4月1日にニュース番組の1コーナーとして「きょうのプロ野球から」(同年に限り月曜日は「プロ野球週間展望」)のタイトルでスタート。後に『プロ野球ニュース』に改題した。当時は日本鋼管一社提供番組だった。その後、1965年に一旦番組終了となる。
放送時間はスタート当初は23:15 - 23:35だったが、後に23:00 - 23:35→22:55 - 23:10に変わった。また、1964年までは翌7:00 - 7:20に再放送されていた(いずれもペナントレース期間中のみ放送だった)。
1960年にはカラー放送が始まっていたが、まだ、テレビ界で全時間帯におけるカラー化には至っておらず、全体の1割程度だった。そのため、第1期は白黒で放送していた。
当時の番組は、2試合をフィルムに解説を交えたうえで、残りの試合は共同通信社より送られてきた情報を短くまとめて、結果をフリップに書いたものを利用しつつ伝えていた[1]。
『プロ野球ダイジェスト』を放送終了した日本テレビでは1965年11月『11PM』の放送を開始。この時間帯での視聴率としては異例の高視聴率となり、瞬く間に人気番組に駆け上り、23:00枠は同局の一人勝ち状態が続いた。
これに各局も裏番組により報道色の強いワイドショー番組等で対抗するものの、すぐに『11PM』以上のお色気路線に転向したNET(後のテレビ朝日)の『23時ショー』が辛うじての成功例で他は全く歯が立たない状態だった。フジテレビは1969年4月から約3年間、関西テレビや東海テレビとの3社共同制作(キー局は曜日ごとの交代分担制)の芸能ニュースを主軸とした『テレビナイトショー』→『トゥモロー』が放送されていたが、その後打ち切られ、ドラマ再放送や映画などで穴埋めをしていた。またこの間、スポーツニュースはおおむね5分程度のものが主であった。
しかし『11PM』の視聴率が1975年頃から落ち始め、それに合わせるかのように地方局が相次いで『11PM』のネット放送を打ち切った。その状況にプラスして「万年下位」と言われた広島東洋カープが初優勝、阪急ブレーブスが初の日本一、一方で読売ジャイアンツが球団史上初の最下位からの立ち直りを期して張本勲を補強するなど1976年のプロ野球の盛り上がりが開幕前から期待されていた。
2年前の1974年にNHKの『ニュースセンター9時』が始まり、NHKのニュース番組で初めてスポーツコーナーが設けられた。プロ野球の結果と途中経過の速報や大相撲の結果を電光掲示板で伝えるなど当時としては画期的だった。また、1974年10月14日にはこの日をもって17年間の巨人での選手生活を終えた長嶋茂雄が、新調した紺のスーツを着てスポーツコーナーに生出演し、当時スポーツコーナーを担当していた福島幸雄のインタビューに応じた。これについては福島自身が長嶋に対して生出演の依頼を行い、それに留まらずこの日のトップ項目にするように粘り強く頼み込み、キャスターの磯村尚徳が「やりましょう」と、「長嶋引退」のニュースをトップに据える決断を下した。この一連の取り組みにより、『ニュースセンター9時』がスポーツ情報の面でも一躍リードする存在となり、その分日本テレビやフジテレビをはじめ民放のスポーツニュースが充実していなかったことが浮き彫りとなった。
また、1970年代当時のプロ野球中継は日本テレビがいわば独占で後楽園球場で行われる巨人戦の試合を放送し、他の放送局では後楽園以外の球場で行われている試合を中継するというのが1つのパターンとなっていた。
そのような状況下で1975年の秋、鹿内信隆会長の命を受けてフジテレビ社内では「スポーツニュースのワイド化」の構想が練られていた。
当時フジテレビにおけるスポーツ制作の部署は「報道局スポーツ部」となっており、部内の上層部に野球に詳しい人材が多くいたが、その中の一人が、かつて地上波時代(第1期)の『プロ野球ニュース』のキャスターを務めた鳥居滋夫であった。アナウンサーをしていた頃は初期の競馬中継などスポーツ中継を担当していたが、この時はアナウンサーからスポーツ部の中心的存在となっていた。
社内では「プロ野球ニュース」の立ち上げに関連した会議がいくつか行われ、準備は進んでいた。1975年に編成部から報道局スポーツ部に「あの『プロ野球ニュース』を夜11時台に復活させたいと思うのだが……」と連絡が入り、早速、社内でプロジェクトチームが立ち上がった[2]。
また、その際に
という番組における明確な方針が決められた。
特に、最大の問題は「キャスター」を誰にするのかであった。いろいろと名前が挙げられたが、平日には野球解説者の佐々木信也に、週末には、かつて文化放送でもごく数年、プロ野球中継実況を担当したことがある土居まさる[注 3] と決まった。特に佐々木の起用は相当な議論の末の決断であり、左記2名のほかに、高島忠夫やスポーツ評論家としても著名だったロイ・ジェームス、さらには裏番組『11PM』から大橋巨泉[注 4] をヘッドハンティングすることも検討された[3] ほどだった。
1976年2月17日に正式に『プロ野球ニュース』の放送が始まることが発表された[4]。席上で当時の広報副部長は、明言を避けながらも「打倒『11PM』!」と宣言していた[4]。
この節では、佐々木信也・みのもんた(1980年4月 - 1988年3月)がキャスターを務めた1976年 - 1988年3月を前期、フジテレビアナウンサーが主にキャスターを務めた1988年4月 - 2001年3月を後期に分ける。なお、前期から後期へ移り変わる間には1987年4月 - 9月に『FNNニュース工場』に、同年10月 - 1988年3月まで『FNN DATE LINE』に、1988年4月 - 1990年3月まで『ニュース最終版』にそれぞれ内包されている。
1987年3月まで『スポーツワイドショー』、1987年4月から『スポーツワイド』とサブタイトルが付けられていたが、報道番組と同じテロップを使い『制作著作 フジテレビ』のテロップは出さなかった(後継番組の『スポーツWAVE』『Grade-A』『すぽると!』『S-PARK』なども同様)[注 5]。
そして、10年半のブランクを経て1976年に日本初の本格的スポーツニュースワイド番組『スポーツワイドショー プロ野球ニュース』として再スタートした。放送時間帯は主に23時台の『FNNニュース最終版』(1968年 - 1977年放送)→『FNNニュースレポート23:00』(平日)、『FNNニュースレポート23:30』(週末)(1977年 - 1987年放送)の終了後。ただし、1987年度は『FNNニュース工場』→『FNN Date Line』にコンプレックスする形(一部ネット局ではこの『プロ野球ニュース』のコーナーだけネットした放送局もある)で放送された。なお開始当初は平日に限り、翌朝再放送(日曜から木曜深夜の放送分のリピート)をした局があるほか、クロスネットや系列外の一部ではその再放送枠を初回放送扱いとした局もある(後述)。
スタート当時の『プロ野球ニュース』の制作体制は最高責任者である「編集長」を筆頭に、「現場担当デスク」「局内担当デスク」と「各球団の担当記者」といわばピラミッド状に形成されていた。その他に「ディレクター」「アシスタント・ディレクター」など含めると総勢でおよそ25名の陣容で日々の番組制作に関わっていた。
前述の通り、初代の平日版キャスターは佐々木が務めた。佐々木は高橋、大映、大毎で4年間プレーした経験を元に足で稼ぐキャスターとして人気を博し、1988年3月の勇退まで12年間総合司会の地位を築いたが、その後、スーパーバイザーとして務めた。なお、局側は公式には番組を1976年開始、初代キャスターは佐々木としている。
週末に関しては初代から土居→はらたいら→押阪忍→みのもんたと1988年までに4人代わっている。中でも、はらは3か月担当したが、本業の漫画家との兼ね合いや、生放送でアドリブが利かず、特にある日の放送でCMまで40秒で伝えなくてはいけないところ、手元の原稿を25秒で読んでしまい、その後の15秒は自らの言葉でコメントをすることができなかったため、結局生放送への出演が難しくなったことから途中降板したとされている。また、みのの語りによる『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』は同番組の看板企画として定着し、ついには不定期ながら独立番組となるまでに至り、みのは当番組のコメディリリーフ的存在として知られるようになる。なお、みのは一時期日曜夕方の『サントリー スポーツ天国』担当のため、金曜日・土曜日にシフトしたこともある(この間、佐々木は日曜日 - 木曜日担当)。シーズンオフの一時期には月曜もみのが担当していた。
この番組では開始当初から以下の画期的な試みが行われた。
この試みは番組における方針(前述)と共にすぐさま視聴者の共感を得て、激励の声がフジテレビには殺到した[8]。当初見込んでいた「巨人びいきのテレビ中継」に不満を抱えていた他球団のファンや、当時はパ・リーグが脚光を浴びる場面はほぼ皆無だったため、その日行われた全ての試合を解説者付きで細かく見せる放送はパ・リーグの選手が特に喜んだ[5]。また、セ・リーグの各球団のファンも普段のパ・リーグの選手がプレーをする姿に新鮮味を感じていた。
番組開始当初はビデオテープが普及しておらず、フィルムで撮影したものを球場から運んで急ぎ現像室で、短時間でフィルムを編集して放送時間に間に合わせる作業は至難の業を極めていた[5]。その中で、スローモーション専用のフィルムカメラを他のスポーツニュースに先駆けて採用したことは注目された。また特に、上記の方針「球場の効果音をフルに生かす」ことにのっとって、ビジュアル要素にもこだわりを見せ、これまでのスポーツニュースでは主要ゲーム・大会のフィルム映像(音声なし)と行進曲の音楽をバックにアナウンサーが試合の戦況を述べるという程度だけだったものを、音声が録音できる磁気トラックフィルムを採用することで、映像と同時に収録できて球場の臨場感をそのまま再現したことにより視覚的にも楽しめる演出を取り入れた[9]。
さらに、番組開始当初は試合のハイライトだけでなく、番組独自の「ヒーローインタビュー」も行われていた。1回3分から3分半で、謝礼は3万円だったが、パ・リーグの選手の中には「謝礼なんて、とんでもない。『プロ野球ニュース』に出させてもらうだけで万々歳です」と受け取るのを断った[5](しかし、翌シーズンにその選手の所属球団から番組に請求書を送り付けた)。佐々木は「巨人あたりから『お前のところも、ギャラを受け取れ!』という指示があったのではないか」と話している[5]。
しかし、番組が始まって1か月後の1976年5月1日、当時後楽園球場で主催試合を行っていた巨人・ロッテ・日本ハムの3球団がフジテレビに対し、放送権料に関する申し入れを行った[2]。これは、この番組を「ワイドニュースを含めた報道番組」とした上で、放映権料基準を要求してきたためである[10]。最終的に1976年5月12日、各球団はマスコミに「ワイドニュースは報道番組である」と認めた[10]。
本番組の開始はスポーツ新聞の伝え方にも大きな変化をもたらした。従来のスポーツ新聞は記事の内容のほとんどが試合経過に紙面を割いていたが、前夜に番組で試合経過を伝えるようになってからは、プレーの裏側に焦点を当てた記事が目立つようになり、さらに、これまで試合経過や戦評に割いてきたスペースには選手個人に関する情報を記事にするようになったため、いつしか「スポーツ新聞の女性誌化」と言われるようになってきた。プロ野球の方も第1次長嶋政権2年目に巨人が優勝して人気再燃のきっかけを作り、これがきっかけで『11PM』を放送していた一部の放送局が『プロ野球ニュース』に切り替えるようになった(後述)。
その他、女性ファンの開拓にも貢献したとされる[5]。昭和30年代は球場に女性ファンが来ることはなかったが[5]、この番組から女子アナが球場に来るようになり[5]、野球選手と結婚するケースも増えた[5]。女子アナの起用を提案したのも佐々木で、シーズンオフの「選手の家庭訪問」のような企画は女性がやった方がいい、と提案して最初に起用されたのが中井美穂だったという[5]。
視聴率の面でも開始直後には5 - 6%台をマークし、時には10%近くに達していた。シェア(占拠率)も、同時間帯でトップを獲得。この影響で、フジテレビは1979年に「報道局スポーツ部」から「スポーツ局」に昇格させた。これは民放では初の出来事だった。
佐々木がキャスターを務めた時期の特徴として、その日行われたすべての試合をストーリー仕立てにしていくことでフジテレビのスタジオと各系列局の一体感を持たせた。例えば、前の試合が乱打戦だった際には佐々木が系列局のスタジオにいるキャスターと解説者に対して「○○(球場名)はすごい試合でしたが、首位を争う○○(チーム名)はどうだったでしょうか」とコメントを振ってから系列局のスタジオへと切り替えた。さらに、佐々木はその系列局のスタジオにいる解説者の発言にも気を配り、何か使えそうなコメントがあったら、「○○(解説者)さんはこんなことを言っていましたが、これに関する談話が入っています」などと言いながら話を展開していった。また、各系列局のアナウンサーが「固有名詞」や「過去の出来事」を誤って伝えてしまった場合でも、訂正は基本的に佐々木が行っていた。このようなストーリー性のある番組進行はのちの各局スポーツニュースでも多用され、定番化されている。
1977年、この年からフジテレビ独占放送が始まったバレーボールワールドカップ期間中は、プロ野球ニュースのタイトルを外し、ハイライト番組として放送していた。また、同時期に日本テレビ放送網も全く同じ題名の『プロ野球ニュース』と題した番組が放送(時間不明)されていたが、こちらは読売ジャイアンツの主催試合のハイライトが主であり、次の1978年ごろから『巨人戦ハイライト』と改題された[11]。
1980年代に入ると「今日のホームラン」と題したその日の公式戦全ホームランを映像リプレーするコーナーが番組の末尾に行われ、プロ野球のみならず多くの野球選手・指導者にも好評で、打撃フォームの確認や向上に役立てられたといわれている[12]。その中でも初期のコーナー・テーマソングであったジェームス・ラスト・バンドの「VIBRATIONS(ヴァイブレイションズ)」は特に人気があった(シングルカットもされている)。この体裁は、CS放送に移行してからも続いており、これの守備編ともいえる「今日のファインプレー」も併用して放送されている。
またスタジオセットが変わった1987年から、それまで取材したアナウンサー・解説者がその試合について振り返ってメインキャスターに振って、その後その試合についての関連情報を話すという体裁だったのを、試合のビデオが終わりスコアテーブルを表示した後、メインキャスターと取材解説者のその試合についての質疑応答が行われるようになった。
1987年より、長時間特番『FNSの日』が開始。本番組も『プロ野球ニュースSP』として1コーナー扱いで放送され、これは後の『すぽると!』にも引き継がれている。この時は『FNSの日』のパーソナリティが特別キャスターやゲストとして招かれて、通常とは異なる特別コーナーが設けられたりもした。
シーズンオフにはクイズ大会、選手の旅行企画、バラエティー等の企画コーナーを日替わりで放送し、プロ野球選手の隠れた素顔を披露した。中でも、その選手の故郷を訪ね、名所・旧跡を巡り、居酒屋などにて同級生などと思い出話を語り合う「わが故郷」のコーナーや数十人のファンを招待し球団関係者や野球解説者がワンテーマを設けスタジオで講演を行う「ザ・講演」のコーナーはどちらも佐々木が企画し放送されたものだった。中にはそのまま独立番組として番販できそうなコーナーまであり、有名なところでは古田敦也を中心とした(関西テレビが企画)昭和40年会(昭和40年度生まれのプロ野球選手が集まって何らかの行事を行う)があった(1992年より『ボク達同級生!プロ野球昭和40年会VS48年会』として関西テレビの正月特番として放送)。なお、シーズンオフの企画はスタッフ会議にてアイデアを出し合いどのようなコーナーを放送するのか検討する。この企画の体裁は『すぽると!』でも日替わり企画として続いているが、『すぽると!』発足後は野球シーズン中にも曜日別企画を取り入れている。
これ以外では、毎年12月24日の放送にニッポン放送の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』との同時中継を行っていた。
1980年代のいわゆるフジテレビの「80年改革」による成果が出たことにより、1980年以降もこの『プロ野球ニュース』もこの大きな躍進の陰でわずかな存在感を見せていたが[13]、1987年6月25日付で発令されたフジテレビの人事異動により、『オールスター家族対抗歌合戦』のプロデューサーを務めていた浜口哲夫が『プロ野球ニュース』の編集長に就くことになった[14]。
当時のフジテレビ会長だった鹿内春雄の命を受け、浜口ら新スタッフは『プロ野球ニュース』の改革に乗り出すことになったが、平日のキャスターを務めている佐々木を交代させることは容易ではなく、スタッフの間では反対の声が上がった[15]。しかし当時のチーフディレクターは「ディレクター主義」の番組制作を掲げていたことに加え、佐々木の衰えが決め手となって、1987年シーズンオフに降板が決定、後任キャスター人事を進めることになった[16]。
1987年の冬に須田珠理をゴルフ場にて見つけ、スカウトして平日のサブキャスターに起用した[17]。
さらに、週末のキャスターには浜口の「女性キャスター登用」という方針と、週末のプロ野球ニュースを「新機軸のスポーツエンタテイメント」にしたかったため、当時入社2年目(1987年入社)の中井美穂を起用することを決めた[18]。
一番難航したのは平日のメインキャスターで、高島忠夫に加え、土曜・日曜のキャスターを務めていた土居まさるや押阪忍の復帰案、それに、プロ野球の選手OBなどいろいろな名前が浮かんだものの、結局はフジテレビのスポーツアナウンサーから選ぶことになり、その結果、当時32歳の野崎昌一に決まった[19]。
こうして、1988年2月26日にフジテレビ内で記者会見が行われ、新キャスターの就任が正式に発表された[20]。
なお、鹿内宏明会長が就任した1988年4月から『DATE LINE』と合わせた『FNNニュース最終版』という一つのワイドゾーンを形成するものの実質的には独立番組に戻り、平日はまずこの番組から、週末は『DATE LINE』の後から放送した。1990年4月からは月曜日 - 日曜日とも『FNN NEWSCOM』終了後からの放送となって完全に独立化。
1993年にはJリーグ開幕と同時に「Jリーグ情報」を始めるなど、この頃から番組自体も内容の変化を迫られることになる。
1993年度は、日曜日キャスターに森脇健児、月曜日キャスターに森口博子を起用し、日曜日は「サンデーバード」と題して『サンダーバード』のテーマをBGMにした独特の演出で放送、月曜日はF1担当として古舘伊知郎が出演、またリポーターとして女性アナウンサーが多数出演するなど、バラエティ色が強化された。また、大阪スタヂアム(大阪球場)のヤジ合戦などといったものも紹介されたことがある。
1994年4月、『LIVE'94 ニュースJAPAN』(平日)、『LIVE'94 スポーツWAVE』(週末)のそれぞれ1パートとなり、事実上再び深夜のニュース・情報番組に内包される形式に戻った。しかし、このときは完全に内包先の番組の1パート扱いとなっており、加盟局以外のネットは不可能となった。これに伴いそれまでネットを実施していた高知放送、四国放送、テレビ宮崎はネットから離脱しちょうど同時期にスタートした日本テレビのスポーツ番組『どんまい!!スポーツ&ワイド』ネットに移行した。また、これと同時に『スポーツワイド』の冠がタイトルから外れ『プロ野球ニュース』にタイトルを戻した。
平日版は『ニュースJAPAN』が優先されるためこの時から時間短縮を余儀なくされ、セ・リーグ(特に巨人戦や阪神戦)では従来の解説と実況付きのスタイルで放送する一方で、重要度の低い試合は試合内容を大まかに伝えるのみという内容になっていった。また緊急時や重大ニュースが入った場合は大幅に放送時間をカットされることもしばしばあった。しかし、ニュース番組にインサートされたことと、ベテランアナウンサーの福井謙二の起用により、1993年度に見られたバラエティ化路線は影を潜め、スポーツ情報をストレートに伝える形式となった。1995年から平日は西山喜久恵が福井の横に座るようになり[21]、ダジャレや親父ギャグを連発する福井を西山が絶妙に歯止めをかけ、あうんのキャッチボールで番組にほのぼのとした雰囲気を作り出した[21]。
それでも、福井は「(ニュースJAPANに内包されてから)独立感がなくなっていたのは寂しかったですね。あの頃には、“プロ野球ニュースも曲がり角に差しかかっているな”と感じていました。」と番組の放送時間の縮小に伴って、プロ野球ニュースの存在感の低下を意識していた[22]。
翌1995年に『スポーツWAVE』終了に伴い、週末のみ再々独立。その後日曜放送分は、1997年4月に『Grade-A』放送(このため毎週日曜日の同枠には『新ボキャブラ天国』が放映された)のためいったん終了するも、半年で復活。ストレートニュース形式の平日とは打って変わって、パンチ佐藤、長嶋一茂、大久保博元などマルチな活躍が目立つ解説者や木佐彩子(後の石井一久夫人)、中村江里子、大橋マキなど人気女性アナウンサーの個性を前面に出した構成で再びバラエティ色が強まった。
2000年4月から平日分も『ニュースJAPAN』の1部と2部の間に挟んだサンドイッチ方式の形で実質再々独立し、4月から12月いっぱいの間は『プロ野球ニュース2000』のタイトルで放送された(2001年1月以降は元に戻した)[注 8]。しかし、この頃になるとプロ野球人気が徐々に低迷し、メジャーリーグやサッカー(欧州、W杯)や総合格闘技(K-1、PRIDE)などプロ野球以外の内容に重点を置くようになったため、当然、プロ野球関係の時間は少なくなりつつあった。このため、フジテレビ内部でも「もうプロ野球がスポーツニュースの筆頭に来る時代じゃない」の声が浮上し始めた。
『プロ野球ニュース』の制作スタッフで、後継番組の『すぽると!』のプロデューサーを務めた岡泰二は『すぽると!』への移行について「そのときスタッフの頭の中にあったのは、もうプロ野球だけではスポーツニュースとして視聴者を満足させられないんじゃないかという思いでした。それで、思い切ってプロ野球ニュースという看板をはずしもっといろいろスポーツ情報を均等に扱える土壌を作ったんです。」[23] と当時の様子を話している。
また、週末担当として8年間キャスターを務めたみのもんたは自身が1988年3月に卒業した後の状況について「ちょうど(野球以外も含め)スポーツの多様化とか言われるようになった頃で、『プロ野球ニュース』でもいろんなスポーツを取り上げるようになっていった。番組タイトルと内容が一致しなくなっていった面はあったと思う。だから局のほうも番組を一新したかったんじゃないかな。」とその後の番組内容の変化や、それに伴う『すぽると!』への移行について、後年語っている[要出典]。
番組終了の背景としては前述の理由のほか、プロサッカー選手の中田英寿などプロ野球以外のスポーツ選手から「プロ野球ニュースという番組名の番組に、なぜプロ野球選手ではない自分が協力しなければならないのか」との理由で、インタビューなどを断られることが増えてきたこと、女性キャスター3人(宇田麻衣子、荒瀬詩織、大橋マキ)の退社がほぼ同時に決まるという異例の事態で、大幅なリニューアルを迫られたことも影響したと言われている。
そして2001年3月31日をもって第2シリーズが25年(事実上2度目の放送打ち切り)、1961年4月からの第1シリーズと10年以上の中断期間含めて40年の歴史に幕を閉じた。
最終回ではその日のプロ野球全試合の詳報やその他のスポーツ情報を伝えた後、番組終盤で25年間の地上波時代第2期を振り返る映像を流した。またダイエーの王貞治監督(当時)や、当時ヤクルトの選手だった古田敦也・石井一久(2000年に木佐と結婚)からのビデオメッセージも放送された(古田は「うちの嫁さん(中井)もこの番組で育ってきたから、寂しい」とコメントし、石井は「この番組に出演することは、一番のステータスだった」とコメントした)。そして、エンディングでは、後継番組である『感動ファクトリー・すぽると!』の紹介が行われ、三宅や週末版メインキャスターを務める佐野瑞樹・内田恭子両アナが挨拶を行い、意気込みを語った。最後は三宅が「『プロ野球ニュース』を25年間応援していただき本当にありがとうございました」と視聴者に感謝し、中断期間を含め40年にわたる地上波放送から撤退した。
番組は開始当初から前半のネットセールススポンサー6社 - 8社と、後半のローカルセールスとに分かれており、提供表示されるスポンサーは原則一律で30秒のCMを提供していた(ローカルセールスの一部地域は除く)。ネットセールスとフジテレビのローカルセールスでは1988年3月まで全スポンサーとも読み上げがあったが、4月以後はスポンサーの読み上げは省略され「ごらんのスポンサー」扱いとなった(後の『すぽると!』でも一部の曜日を除きスポンサーの読み上げはされていない)。
特に、資生堂は番組オリジナルのインフォマーシャル(生コマーシャルではない)「ナイト・イニング」を送り、宍戸錠出演でコラムと男性化粧品の紹介が行われていた。
地上波での放送終了を受け、2001年4月からスカイパーフェクTV!(後のスカパー!プレミアムサービス)、スカイパーフェクTV!2(後のスカパー!)のフジテレビ739(後のフジテレビONE スポーツ・バラエティ)で新生「プロ野球ニュース」が始まった。(2009年以降は題名の後に西暦を付記する(2011年の場合は『プロ野球ニュース2011』)[注 9])。
CS移行時に佐々木信也がキャスターに復帰し、佐々木を含め解説者がキャスターを務める形式に変わった。曜日別の担当キャスターが不在の際(地上波『すぽると!』などへの出演の都合で出られない時)は、他の解説者が司会を務める(平松政次、谷沢健一、高木豊ら)。佐々木信也が週末のキャスターを担当していた時期には、佐々木不在時の代役として福井謙二が出演することがあった。さらにCS移行によって、地方局のアナウンサー・解説者(フジテレビと兼務している者は除く)は出演しなくなった[注 10]。2007年から、一部曜日を除き、司会ペアリングは男性は番組解説者、女性はフジテレビのアナウンサーを原則とするようになった。ただし女性がフリーアナウンサーであったり、男女ともフジテレビのアナウンサーの場合もある。2011年度の土曜日・2012年度の日曜日のみ、形式上の司会は関根潤三とアナウンサーのペア(2011年度・田淵裕章、2012年度・松村未央)となっていたが、実際は司会席にはアナウンサーが1人で担当し、関根は「ご意見番」という位置づけで他の解説者と同じコメンタリー席(右端。実際には司会席とコメンタリー席の中間)に陣取っていた。2012年(谷岡慎一)以後、土曜日の司会は原則として男性アナウンサー1人で担当する(まれに解説者1人で担当する日もある。2014年度は他の曜日と同じように男女ペアになることもあった)。2013年以降、関根はレギュラーシーズン中は毎月最終日曜日と開幕直前SPと年末反省会SPに「ご意見番」として出演していた。
プロ野球中心のスポーツニュース番組だったフジテレビ時代とは違い、CS移行後はプロ野球専門番組となった(一時期メジャーリーグの日本人選手の成績を伝えていた)。プロ野球の試合がある日は月曜日 - 日曜日放送されるが、オフシーズンは原則週1回の放送になる(2008年はオフシーズンの放送を休止)。試合解説のVTRは、権利関係の問題からフジテレビおよび系列局が収録した試合を除いてJ SPORTSをはじめとするCS放送局の映像を使うことが多く、そのため当初は実況時のテロップやアナウンスが載ったまま放送されていた。その後実況アナウンスが入った試合映像はなくなったが、テロップについては一部球団の試合映像でいまだに載ったままになっている。
解説には主にフジテレビ解説者が登場するが、土橋正幸や笘篠賢治などフジテレビ及び系列局専属ではない、またはかつて専属だった経験がある解説者[注 11] も度々登場する。フジテレビ専属解説者でありながら、江本孟紀は初期に出演していたものの、それ以降は2015年まで出演せず、『すぽると!』で解説を務めるのみとなっていた。地上波時代までは出演していたにもかかわらず、CS放送に移って以降出演しなくなったのは「ギャラが安いから」(本人の弁[要出典])というのがその理由である。2016年4月1日で『すぽると!』が終了となり、2016年シーズン(2016年3月24日放送・開幕直前SP)から本格的に解説に復帰した。2014年から2018年までフジテレビ専属解説者であった石井一久も当番組には出演せず、『すぽると!』のみ出演していた。2016年4月以降も後継番組の『スポーツLIFE HERO'S』のコメンテーター(日曜版)と『ユアタイム』のコメンテーターを務める傍ら、NHK BS1の『ワールドスポーツMLB』の土曜版コメンテーターに出演していた。2016年3月時点で当番組及び『すぽると!』の両方に出演していたのは高木豊のみであった。地上波時代まで出演していた豊田泰光は『プロ野球ニュース』の地上波撤退に抗議し、後継番組『すぽると!』出演には応じず、結局フジテレビ解説者を降板する引き金となった(2002年度までは本数契約という形でまれに出演する場合があった)。
2006年5月12日から2007年シーズンまで、FODにおいて有料配信があった(1回分105円、または月1,050円)。2006年シーズンのみは巨人(日本テレビ)・横浜(TBS)主催試合の映像に関する部分は両球団からの著作権許諾が開始当初得られなかったので配信されなかった。
2009年4月からのフジテレビCSチャンネルの再編に伴い、放送チャンネルがフジテレビ721の後継である「フジテレビTWO」に移行した。これにより、プロ野球パックのみ契約している場合は「フジテレビONE」での再放送(翌日昼)以外視聴できない状態となった[注 12][注 13]。この状態は、2010年度に初回放送がフジテレビONEに変更となったことにより解消された(フジテレビTWOでは翌朝再放送の1回となったが、2011年以降は再放送していない)。
通常時(公式戦中)の放送スタイルとしては原則、MCの解説者とアナウンサー・タレントが各1名(MCは時期・曜日により1名だけの時もある)、その日の重要な試合(原則セ・パから各1試合ずつ。交流戦は全試合の中から2試合)を取り上げる特集コーナー「Zoom Upゲーム」のリポーター役として解説者2名・アナウンサー3名(6試合行われる場合は「Zoom Upゲーム」を含む1人当たり2試合担当、時期により4名の時があり、その場合には2名が2試合担当というパターンもあった)の人員構成となっている。「Zoom Upゲーム」はそのリポーター2名による解説付きで伝えられる(特に、勝敗を分けた場面については「解説者の熱視線」[注 14] として、そのシーンをノーカットで紹介し、解説者が多角的に分析を行う。残りの試合はアナウンサーのみで試合内容を伝える。試合VTRを終えると、その試合についての感想や注目点について出演者全員で質疑応答が行われる。なお番組の終わりに、翌日(試合がない場合は次の開催日)の試合カードと、CSでの放送スケジュールが発表される[注 15]。
オールスター・日本シリーズのみならず、レギュラーシーズンやポストシーズンにおいても1試合しか行われない場合はその試合の解説者を2名にすることもまれにある)。オールスターでは解説者3名に増員し、1回 - 3回、4回 - 6回、7回 - 9回で、それぞれ分担。日本シリーズでは解説者2名で前半部と後半部の分担。CS番組の特長を活かして、解説者のコメントの比重を高めて地上波の『すぽると!』とは差別化を図っている[注 16]。
試合数が極端に少ない日(1 - 2試合以下)である場合は、ある特定のチーム[注 17] や選手を題材にした特集や、交流戦の全日程終了後には「投手のヒット集」などの企画をすることがあるほか、8月か9月には「モルツ球団」(プロ野球OBによるチーム)のエキシビションゲーム「モルツドリームマッチ」を通常の試合速報フォーマットに沿って特集することもある[注 18]。
2012年・2013年度は、初回生放送が23:00 - 24:00、再放送は当日深夜(翌日未明)1:00 - 2:00、翌日6:00 - 7:00、翌日12:10 - 13:10となっている。また、NOTTVでの同時生放送を開始した(再放送は翌日7:00 - 8:00)。公式戦開催がない日(あらかじめ最初から組まれていない場合。主に月曜日と交流戦の第2試合の翌日)は前日(前々日)の放送分をリピートする。予備日の復活開催が発生した場合は放送されないか、交流戦の場合前日再放送を休止して当日の生放送か撮って出しとなる場合もある。SWALLOWS BASEBALL L!VE(ヤクルト主管試合中継)や野球道 (フジテレビ系列)(巨人ビジター試合のうち中日・阪神・広島戦の中継)が延長となり当番組初回生放送開始時間までに終了しなかった場合は途中飛び乗りまたは放送休止となる場合がある(翌日未明と朝・昼の再放送は番組開始から放送される)。
番組内で野球シーズンに流れる「今日のホームラン」のタイトル映像は、地上波時代からものが使用されている。そのため、2009年4月のチャンネルHD化後もこの部分のみ両サイドに黒枠が出ていたが、2011年シーズンからは、「16:9」に編集されている。
日本シリーズ終了後のシーズンオフからキャンプ・オープン戦にかかる年度下半期は2008年度(この年はオフシーズンの放送なし)を除き、週1回更新(2007年まで土曜23:00、2009年以後は月曜23:00の初回放送のみ生放送、以後随時再放送)という体裁をとっている。2007年までのオフシーズンは佐々木信也の司会であったが、2009年以後は司会者はシーズン中の曜日に関係なく毎週ランダムで交代出演する。シーズンオフは現役選手をゲストに迎えるほか、年末の最終放送は3時間にわたるシーズン総集編(解説者総出場による「年末大反省会」)が行われている。そしてシーズンオフバージョン最後となる、新年度シーズン開幕前日にも解説者総出場による3時間のペナントレース展望が行われ、新年度シーズンの帯番組につなげる。
2019年 - 2020年度シーズンのうち、11月 - 12月の一部の週は、週2本、月曜日と木曜日の生放送としていた。これは台湾アジア・ウィンター・リーグに、日本からイースタン・リーグ、ウエスタン・リーグと、社会人野球の日本野球連盟の選抜3チームが派遣出場されたことにより、フジテレビONE/TWOでも一部の試合が生放送されたためそのハイライトコーナーを行った。
2020年度は、プロ野球の開幕が新型コロナウイルス感染拡大の影響で大幅に遅れた影響で変更が出ている。
2021年6月14日(月)- 6月16日(水)は、新型コロナウイルス感染拡大の影響と悪天候による中止で延期された交流戦の広島戦を伝える為、23:00 - 23:30の短縮バージョンで放送した。また2020年東京オリンピックへの協力体制(野球も正式種目)を行うことを受けて、オールスター終了後は、7月24日23:00 - 24:00に「前半戦振り返りスペシャル」を放送した以外、7月18日から8月12日まで新作の放送を休止し、後半戦再開の8月13日から放送を再開した。
2021年12月6日放送分からは、AK RACING(座椅子メーカー)が番組に協賛[注 22] し、出演者席の座椅子もAK RACING製のものを使用している。
2022年3月25日(2022年度プロ野球シーズン開幕日)の放送分からMCと解説者の配置替えとスタジオセットの変更が行われた。(前年までは画面右端に座っていた司会者が左側に移る。コロナ対策として進行役以外の解説者は2020年・2021年度と同じパターン。タイトルパネルのところに進行役のタレント・またはアナウンサーが座り、真ん中にMCの解説者、さらに右側にリポーター役の解説者のうちの1名が座る。もう1名は別室からの電話かナレーションのみでの出演。MCがタレント・アナウンサーの1名のみである土曜日のみ解説リポーター2名がそのまま座る体裁となっていた)
2023年3月30日は、『開幕直前スペシャル』を放送したが、エスコンフィールド北海道で行われた唯一の試合『北海道日本ハムファイターズvs東北楽天ゴールデンイーグルス』(開幕戦)を伝えるため、パリーグの展望を行う前に試合の模様を伝えた。ただし、本編中の解説者とMCとの掛け合いは無かった(「岩本の熱視線」は電話越しに伝えた)。
その2か月後にあたる5月30日(セ・パ交流戦開幕戦)の放送分より、コロナの感染法上の分類が第五類(季節性感冒)に引き下げられたことを受けて規制緩和し、「MC2名・リポーター役解説者2名・アナウンサー3名。アナウンサーの顔出し(各1試合づつ)あり」の2019年度までの体勢が約4年ぶりに復活した。これにより、MC2名はタイトルパネルのところに詰めて座り、さらにリポーター役の解説者2名(+聞き手・顔出しを行うアナウンサー)がさらに右側に詰めて座る形となった。なお2022年度まで感染予防策のために設けてあったアクリル板は2023年開幕時には撤去されていた。[注 23]
いずれもフジテレビアナウンサー
期間 | 男性 | 女性 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月曜 | 火曜 - 木曜 | 金曜 | 土曜 | 日曜 | 月曜 | 火曜 | 水曜 | 木曜 | 金曜 | 土曜 | 日曜 | ||
1976.4.1 | 1977.11.27 | 佐々木信也 | 土居まさる | (不在) | |||||||||
1977.11.28[24] | 1977.12.25 | はらたいら | |||||||||||
1978.1.4 | 1980.3.30 | 押阪忍 | |||||||||||
1980.3.31 | 1983.9.30 | みのもんた | |||||||||||
1983.10.1 | 1985.9.29 | 佐々木信也 | みのもんた | 佐々木信也 | |||||||||
1985.9.30 | 1987.3.29 | 佐々木信也 | みのもんた | ||||||||||
1987.3.30 | 1988.3.31 | (不在) | 大島智子 | ||||||||||
1988.4.1 | 1991.3.31 | 野崎昌一 | 大矢明彦 平松政次 谷沢健一 | 須田珠理1 | 中井美穂 | ||||||||
1991.4.1 | 1992.3.31 | 石川小百合1 | |||||||||||
1992.4.1 | 1992.11.1 | (不在) | 田尾安志 | (不在) | 中井美穂 | 石川小百合 | 中井美穂 | ||||||
1992.11.2 | 1993.3.31 | 小島奈津子 | |||||||||||
1993.4.1 | 1994.3.31 | 田尾安志 | (不在) | 森脇健児 関根潤三 | 森口博子3 | 中井美穂 | 八木亜希子 | ||||||
1994.4.1 | 1995.3.31 | 福井謙二 | 高田延彦 川端健嗣 | 湯原信光 田尾安志 | 志岐幸子 | 陣内貴美子 | 木幡美子 | ||||||
1995.4.1 | 1996.3.31 | パンチ佐藤 | 田尾安志 | 久保恵子 | 中村江里子 | 陣内貴美子 斎藤英津子 | |||||||
1996.4.1 | 1997.3.30 | (不在) | 西山喜久恵 | 平松あゆみ | 木佐彩子 | 西山喜久恵 | |||||||
1997.3.31 | 1997.9.28 | (不在) | 西山喜久恵 | 木佐彩子 | (放送なし) | ||||||||
1997.9.29 | 1998.3.29 | 木佐彩子 | |||||||||||
1998.3.30 | 1999.3.31 | 長嶋一茂 | 木佐彩子4 | 西山喜久恵 | 中村江里子 | ||||||||
1999.4.1 | 2000.3.31 | (不在) | 木佐彩子 | 荒瀬詩織 | |||||||||
2000.4.1 | 2001.3.31 | 三宅正治2 | 田尾安志 大久保博元 | 宇田麻衣子 | 荒瀬詩織 | 大橋マキ | |||||||
|
期間 | 月曜 | 火曜 | 水曜 | 木曜 | 金曜 | 土曜 | 日曜 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | 佐々木信也1 | 中川充四郎 | |||||
2002年 | |||||||
2003年 | 大矢明彦 | 平松政次 | 田尾安志 | 加藤博一 | 谷沢健一 | 佐々木信也1 | |
2004年 | 谷沢健一 | 大矢明彦 | |||||
2005年 | 高木豊 | ||||||
2006年 | (担当者なし)2 | 谷沢健一 または 斉藤明夫 | |||||
2007年 | 平松政次 蒼井里紗 | 高木豊 信澤美穂 | 谷沢健一 相川梨絵 | 加藤博一 蒼井里紗 | |||
2008年3 | 佐々木信也 | 平松政次 宮瀬茉祐子 | 高木豊 森藤恵美 | 佐々木信也 | 梅田淳 | ||
2009年4 | 渡辺和洋 佐々木梨絵 | 平松政次 斉藤舞子 | 金村義明 武裕美 | 谷沢健一 宮瀬茉祐子 | 渡辺和洋 遠藤玲子 | 梅田淳 宮瀬茉祐子 | 高木豊 福田萌 |
2010年4 | 渡辺和洋11 宮瀬茉祐子5 斉藤舞子6 | 金村義明 宮瀬茉祐子 | 梅田淳 斉藤舞子 | 高木豊 佐々木麻衣 | |||
2011年4 | 金村義明 石本沙織 | 谷沢健一 遠藤玲子7 細貝沙羅8 | ※週替わり 宮瀬茉祐子9 遠藤玲子10 | 関根潤三12 田淵裕章13 | ※週替わり14 斉藤舞子 | ||
2012年4 | (担当者なし)2 | 金村義明 遠藤玲子15 香屋ルリコ16 | 谷沢健一 斉藤舞子 | 大矢明彦 細貝沙羅 | 谷岡慎一 | 関根潤三12 松村未央13 | |
2013年4 | 金村義明 香屋ルリコ | 平松政次 香屋ルリコ | 大矢明彦 宮澤智 | 酒主義久 | 笘篠賢治 細貝沙羅 | ||
2014年4 | 金村義明 若林理紗 | 平松政次 細貝沙羅 | 谷沢健一 遠藤玲子 | 大矢明彦 堤友香 | ※週替わり17 | 笘篠賢治 斉藤舞子18 | |
2015年4 | 平松政次 松村未央 | 谷沢健一 堤友香 | 大矢明彦 山田幸美 | 梅田淳 または 田中大貴 | 笘篠賢治 小澤陽子19 | ||
2016年4 | 金村義明 内田嶺衣奈 | 谷沢健一 松村未央22 | 大矢明彦 堤友香20 山田幸美20 | 高木豊 稲村亜美 | 梅田淳 または 福原直英 | 平松政次21 久代萌美 | |
2017年4 | 金村義明 松村未央 ↓ 堤友香27 | 大矢明彦 稲村亜美26 | 谷沢健一 堤友香20 山田幸美20 | 高木豊 小澤陽子 | 梅田淳 または ※週替わり23 | ※週替わり24 鈴木唯25 | |
2018年4 | ※週替わり31 衛藤美彩28 |
高木豊 堤友香 |
野村弘樹 稲村亜美 |
※週替わり29 内田嶺衣奈30 小澤陽子30 |
大久保博元 山田幸美 |
梅田淳 大村晟 松本秀夫 |
岩本勉 久代萌美32 井上清華32 杉原千尋32 |
2019年4 | ※週替わり33 女性MC34 |
野村弘樹 堤友香 |
真中満36 衛藤美彩 |
大久保博元37 稲村亜美 |
高木豊 山田幸美 |
梅田淳 大村晟 酒主義久35 |
岩本勉 杉原千尋 |
2020年4 | フジテレビ男性アナウンサー39・40・41・42 | 大久保博元 山田幸美 |
真中満 黒澤詩音 |
高木豊 稲村亜美 |
野村弘樹 柴田阿弥 |
梅田淳38・56・65 井森美幸38・43・44・46・47 | |
2021年4 | フジテレビ男性アナウンサー49 | 大久保博元48 柴田阿弥 |
真中満 山田幸美 |
高木豊 黒澤詩音 |
野村弘樹 稲村亜美45 |
岩本勉 海老原優香54 | |
2022年4 | フジテレビ男性アナウンサー51・53・55 | 大久保博元 山田幸美 |
野村弘樹52 袴田彩会 |
高木豊 稲村亜美 |
真中満56 磯山さやか57 関田日向50・57 | ||
2023年4 | フジテレビ男性アナウンサー60・61・62・63 | 谷繁元信58 海老原優香59・64 |
真中満 稲村亜美 |
野村弘樹 袴田彩会 |
高木豊 磯山さやか 山田幸美50 |
岩本勉 遠藤玲子70 | |
2024年4 | 未定66・67・68・71・72 | 高木豊 海老原優香69 |
谷繁元信 磯山さやか 山田幸美50 | ||||
|
※●印は2024年現在の解説者。※出典広報ページ:プロ野球ニュース(フジテレビワンツーネクスト)※▲は2024年シーズン曜日MCとして兼任。
フジテレビ
|
東海テレビ関西テレビ(カンテレ) |
テレビ新広島
テレビ西日本その他土橋以外は全員、CSに移行した2001年以後の出演。
|
※●印は2023年シーズン現在の試合結果報告アナウンサー。
フジテレビ
|
関西テレビ東海テレビテレビ新広島テレビ西日本 |
ニッポン放送(CS時代)CS移行初期の頃はフジテレビアナウンサーの代わりに出ることがあった。 フリーアナ(CS時代)元文化放送アナ 元ニッポン放送アナ
その他の元放送局アナやフリーアナウンサー |
第1期はプロ野球シーズン中のみ放送。
期間 | 月曜・火曜 | 水曜・木曜 | 金曜 | 土曜 | 日曜 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1961年 | 23:15 - 23:35(20分)1 | |||||
1962年 | 23:15 - 23:35(20分) | 23:30 - 23:50 (20分) |
23:15 - 23:35 (20分) | |||
1963年 | (不明) | |||||
1964年 | 23:15 - 23:40 (25分) |
23:15 - 23:35 (20分) |
23:15 - 23:40 (25分) |
23:30 - 不明 | 23:15 - 23:40 (25分) | |
1965年 | 22:55 - 23:10(15分) | 23:30 - 23:45 (15分) |
22:55 - 23:10 (15分) | |||
1965.10 | 1976.3 | (放送なし) | ||||
1976.4 | 1977.3 | 23:10 - 23:40(30分) | 24:00 - 24:30(30分)2 | |||
1977.4 | 1980.3 | 23:15 - 23:50(35分) | 24:00 - 24:35(35分)2 | |||
1980.4 | 1983.3 | 23:15 - 24:00(45分) | 23:40 - 24:25(45分) | |||
1983.4 | 1987.3 | 23:15 - 24:10(55分) | 23:40 - 24:35(55分) | |||
1987.4 | 1988.3 | 23:10 - 23:50(40分)3→4 | 23:40 - 24:35(55分)3→4 | |||
1988.4 | 1989.3 | 23:00 - 23:45(45分)5 | 23:45 - 24:45 (60分)5 |
23:45 - 24:45 (60分)5 | ||
1989.4 | 1990.3 | 24:15 - 25:15 (60分)5 | ||||
1990.4 | 1990.9 | 23:25 - 24:30(65分) | 24:15 - 25:20 (65分) | 23:45 - 24:50 (65分) | ||
1990.10 | 1993.3 | 23:25 - 24:30(65分) | 24:10 - 25:15 (65分) | |||
1993.4 | 1994.3.31 | 23:30 - 24:35(65分) | 24:15 - 25:20 (65分) | |||
1994.4.1 | 1995.3.31 | 23:20頃 - 23:50頃(約30分) 6 | 24:05頃 - 24:35頃 (約30分)6 |
(『スポーツWAVE』内で放送) | ||
1995.4.1 | 1997.3.30 | 24:15 - 25:15 (60分) |
23:45 - 24:45 (60分) | |||
1997.3.31 | 1997.9.28 | (放送なし) | ||||
1997.9.29 | 1998.10.4 | 23:45 - 24:45 (60分) | ||||
1998.10.5 | 1999.10.3 | 23:40頃 - 24:10頃 (約30分)6・7 | ||||
1999.10.4 | 2000.4.2 | 24:10頃 - 24:40頃 (約30分)6・7 | ||||
2000.4.3 | 2001.3.31 | 23:50 - 24:30 (40分)6 |
24:10 - 24:50 (40分)6 | |||
|
●は第1期をネット。
★は『11PM』のネット打ち切りに伴う放送開始。
☆は『EXテレビ』のネット打ち切りに伴う深夜帯放送開始。
放送局 | 放送対象地域 | 放送当時の系列 | 備考 |
---|---|---|---|
●フジテレビジョン(CX) (基幹・制作局) | 関東広域圏 | FNS | |
北海道文化放送(UHB) | 北海道 | ||
青森放送(RAB) | 青森県 | NNS/ANN→NNS | 1981年6月29日[25] からの一時期のみ 翌日の早朝に放送 |
岩手めんこいテレビ(mit) | 岩手県 | FNS | 開局日の1991年4月1日から |
仙台放送(OX) | 宮城県 | ||
秋田テレビ(AKT) | 秋田県 | FNS→FNS/ANN→FNS | |
山形テレビ(YTS) | 山形県 | FNS/ANN→FNS | 1993年3月のネットチェンジまで[注 28] 後にANN系列 |
さくらんぼテレビ(SAY) | FNS | 開局日の1997年4月1日から | |
福島テレビ(FTV) | 福島県 | JNN/FNS→FNS | |
★新潟総合テレビ(NST) | 新潟県 | FNS/ANN→FNS | NNS脱退直前の1981年3月1日から[26] 後のNST新潟総合テレビ |
長野放送(NBS) | 長野県 | FNS | |
山梨放送(YBS) | 山梨県 | NNS | 途中打ち切り |
★テレビ静岡(SUT) | 静岡県 | FNS | |
●北日本放送(KNB) | 富山県 | (後のNNS) | 1961年5月頃に放送 週1回(金曜 7:00 - 7:25)の放送[27] |
富山テレビ(BBT) | FNS | ||
●北陸放送(MRO) | 石川県 | JNN | 1963年4月に月曜 - 日曜 7:00 - 7:20に放送[28] |
石川テレビ(ITC) | FNS | ||
福井テレビ(FTB) | 福井県 | ||
●東海テレビ(THK) | 中京広域圏 | ||
●関西テレビ(KTV) | 近畿広域圏 | ||
山陰中央テレビ(TSK) | 島根県・鳥取県 | ||
岡山放送(OHK) | 岡山県→岡山県・香川県 | FNS/ANN→FNS | 1979年3月まで岡山県のみで放送 |
西日本放送(RNC) | 香川県 | NNS | 1979年3月まで時差ネット |
テレビ新広島(TSS) | 広島県 | FNS | |
★山口放送(KRY) | 山口県 | NNS→NNS/ANN→NNS | 1978年4月 - 1993年9月に時差ネット |
★四国放送(JRT) | 徳島県 | NNS | 1980年頃から[29] 『ニュースJAPAN』内包に伴い打ち切り |
愛媛放送(EBC) | 愛媛県 | FNS | 後のテレビ愛媛 |
★高知放送(RKC) | 高知県 | NNS | 1980年代から 『ニュースJAPAN』内包に伴い打ち切り |
高知さんさんテレビ(KSS) | FNS | 開局日の1997年4月1日から | |
●九州朝日放送(KBC) | 福岡県 | (後のFNS/ANN) | 1964年9月のネットチェンジまで 後にANN系列 |
●テレビ西日本(TNC) | FNS | 1964年10月のネットチェンジから | |
サガテレビ(STS) | 佐賀県 | ||
★テレビ長崎(KTN) | 長崎県 | NNN/FNS→FNS | 1982年3月29日から クロスネット時代は時差ネット |
★テレビ熊本(TKU) | 熊本県 | NNN/FNS/ANN →FNS/ANN→FNS | 1981年1月5日から クロスネット時代は時差ネット |
★テレビ宮崎(UMK) | 宮崎県 | NNN/FNS/ANN | 1981年9月28日から時差ネット 『ニュースJAPAN』内包に伴い平日は打ち切り (1994年4月から週末のみ) |
☆鹿児島テレビ(KTS) | 鹿児島県 | NNS/FNS/ANN →NNS/FNS→FNS | 深夜の帯放送開始は 1992年3月30日から クロスネット時代は時差ネット[注 29] |
沖縄テレビ(OTV) | 沖縄県 | FNS |
など
この節の加筆が望まれています。 |
それ以前[いつ?]にも早朝の放送開始前後(5時 - 6時台)に前日分の再放送(日曜 - 木曜分のみ)が実施されていた他、当時多かったクロスネット局や系列外ネット局の一部には早朝の再放送を本放送扱いにしたものがあるが、1986年4月 - 1988年頃?には、同番組の30分ダイジェストバージョンとして、「朝のプロ野球ニュース」(あさのプロやきゅうニュース)(午前6:00 - 6:29、5:45 - 6:30等、フジ、東海テレビ、関西テレビ以外に、北海道文化放送等一部の地方局でも一時期放送されていた。実質上はFNS系でも放送されなかった局が多い)が放送されていた。一時期は最後だけ佐々木が「いってらっしゃ〜い!」というシーンに差し替えられていた。
関西テレビは1980年11月から、早朝のローカルニュースワイド番組『ザ・モーニング630』の放送を開始したのに伴い、この番組単独での再放送は廃止となったが、左記番組のスポーツコーナーで、当番組で放送された試合の解説をそのまま二次利用していた。
前夜のVTRをそのまま放送するので、スポンサー名を隠すように「スポーツ紙のテレビ版 プロ野球ニュースをお楽しみに!!」という差し替え画面もあった。
1993年7月1日 - 9月30日の3か月間にわたって、『FNN おはよう!サンライズ』の前の、平日朝5:55 - 6:30に放送された。
朝の時間帯で苦戦していたフジテレビが、1993年3月の『モーニングLIVE』終了後に中断していた早朝の情報番組を復活するにあたっての実験的な番組と見られる。『オルトレ・イ・チンクワンタ』の放送開始に伴って終了した。
『プロ野球ニュース』解説者のうち1人と、女性アナウンサー(担当者不明、月曜日は八木亜希子が担当)のコンビがキャスターを務め、前夜に録画されたものを放送していた。
2014年9月より2015年3月までの15回にわたり、フジテレビONEで放送を開始するアーカイブス番組「スポーツ番組黄金伝説」シリーズの一つ。地上波で放送された26年の歴史を中心軸に紐解き、番組のアーカイブとして残されているさまざまな選手、名勝負、また「プロ野球ニュース」のオフシーズン特集企画などについて、ナビゲーターの福井謙二の解説を交えて振り返る[34]。
またエンディングの「今日のホームラン」のコーナーもあり、こちらは過去のプロ野球記録として残るホームランを毎回テーマを決めて特集している(ただし、主として番組が開始された1970年代後半以後のライブラリーに保存されている物をピックアップしているため、全員をフォローできないものが多い)。また、BGMは著作権の都合からオリジナルの「Vibrations」ではなく、別のものに差し替えられている。
同番組はベースボール・マガジン社との共同企画により、12月より、月刊(毎月2日頃)で発売している「DVDマガジン プロ野球ニュースで綴る プロ野球黄金時代」と連動したもので、同番組で取り上げたテーマのDVDと、そのテーマに関連した「週刊ベースボール特別版」をセットにして出版するメディアミックス企画となっている。なおDVDについては、放送で紹介されなかった貴重な映像を「特典映像」として収録している。
放送回[注 50] | テーマ名 | 備考 | 今日のホームラン |
---|---|---|---|
1 | 「ザ・長嶋茂雄」 | 主に現役時代、第2期監督時代(1993年 - 2001年)を特集 (DVD特典)長嶋の大リーグキャンプ取材リポート | 長嶋の主要ホームラン集 (天覧試合サヨナラホームラン、200号、250号、2000試合出場試合でのサヨナラホームラン、1970年 - 1974年の5年連続開幕戦ホームラン) |
2 | 「昭和球場物語その1」 | 旧広島市民球場 川崎球場 明治神宮野球場 (DVD特典)平和台野球場 | 4打数連続ホームラン (過去18人が達成しているが、このうちの8人=松原誠、ランディ・バース、ラルフ・ブライアント、ロッド・アレン、DJ、ナイジェル・ウィルソン、古田敦也、ウラディミール・バレンティン) |
3 | 「息詰まるこの一戦」 | (1991年の名勝負選) 4月・大洋対巨人 5月・ヤクルト対巨人 9月・西武対近鉄 (DVD特典)4月・巨人対中日開幕戦 | プロ初打席・初球打ちホームラン (過去8人達成しているうちの6人=森厚三、ドン・シュルジー、福留宏紀、森章剛、加藤翔平、西浦直亨) |
4 | 「昭和球場物語その2」 | (関西の球場集) 阪神甲子園球場 藤井寺球場 大阪スタヂアム (DVD特典)阪急西宮球場 | 代打逆転満塁サヨナラホームラン (15人達成しているうちの10人=広野功、岩下正明、柳原隆弘、藤田浩雅、グレン・デービス、広永益隆、北川博敏、藤井康雄、小田嶋正邦、長野久義) |
5 | 「運命のドラフト会議」 | 1985年・清原和博、桑田真澄 1989年・野茂英雄、元木大介ら 読売ジャイアンツのドラフト1位史 スカウトマンのドラフトへの日々 福井が「運命のドラフト」と推す1978年・木田勇の広島ドラフト1位指名拒否 | 初回先頭打者ランニングホームラン (過去8人達成しているうちの5人=飯田哲也、松井稼頭央、坪井智哉、宮地克彦、荻野貴司) |
6 | 「日本シリーズ名勝負列伝」 | 1992年の日本シリーズ「西武対ヤクルト」 日本シリーズ奇跡の逆転優勝(1958年「西鉄対巨人」、1986年「西武対広島」、1989年「巨人対近鉄」) 2001年の日本シリーズ「ヤクルト対近鉄」 (DVD特典)1991年「西武対広島」 | 連続試合ホームラン (過去2人、王貞治とランディ・バースが7試合連続を達成しているが、このうちバースのみ取り上げた) |
7 | 「人生を変えたこの一球」 | 田尾安志(1982年「大洋対中日」優勝決定戦での4打席連続敬遠四球) 平松政次(1968年「大洋対巨人」平松の巨人への憧れを断ち切り、「巨人キラー」となるきっかけとなった長嶋茂雄へのホームラン) 高木豊(1981年「巨人対大洋」江川卓からの初ホームラン) 水野雄仁(1994年「中日対巨人」優勝決定試合でのリリーフ登板) 村田辰美(1979年「近鉄対南海」前期1位〈ステージ優勝〉決定試合 関西テレビ放送製作) 鈴木孝政(1982年「大洋対中日」リリーフ失格の烙印を押され、先発に転向する決意を示した長崎慶一への逆転満塁サヨナラホームラン 東海テレビ放送製作) (DVD特典)加藤博一(書きかけです) ※上記人物はいずれも『プロ野球ニュース』、並びにFNS/FNN系列プロ野球中継の解説に携わっていた人物(うち、田尾、平松、高木、鈴木は現役解説者である) | プロ初打席と最終打席をホームランで飾った選手 (過去に小野公誠のみが達成) |
8 | 「わが故郷その1」 | (巨人軍選手特集〈片岡を除く〉) 松本匡史(西宮市) 篠塚利夫(和典)(銚子市) 定岡正二(鹿児島市) 片岡篤史(京都府久美浜町) | ドーム球場の認定ホームラン (過去6人のすべて=ラルフ・ブライアント、中村紀洋、アレックス・カブレラ、トニ・ブランコ、フリオ・ズレータ、村田修一) |
9 | 「昭和球場物語その3」 | (関東の球場集〈ナゴヤ球場を除く〉) 後楽園球場 西武ライオンズ球場 横浜スタジアム (DVD特典)ナゴヤ球場 | 2試合連続サヨナラホームラン(過去9人達成しているうちの7人=若松勉、長嶋清幸、ダグ・デシンセイ、門田博光、松井稼頭央、平田良介、バルディリス) |
10 | 「20世紀の名場面」 | 日本シリーズの名場面 歴史を創った名将たち(三原修、水原茂、鶴岡一人、川上哲治、西本幸雄、野村克也、森祇晶他) 運命のあの日(1958年 西鉄奇跡の大逆転優勝、1979年 江夏の21球、1985年「阪神対巨人」 バックスクリーン3連発、1988年「ロッテ対近鉄」 10・19、1989年「西武対近鉄」 ラルフ・ブライアント4打席連続ホームラン、1994年「中日対巨人」 10・8決戦、1998年「オリックス対ロッテ」 ロッテ18連敗) エースと呼ばれた男たち(沢村栄治、藤本英雄、杉下茂、別所毅彦、金田正一、稲尾和久、杉浦忠、村山実、江夏豊、山田久志、村田兆治他) 華麗なるアーチ(王貞治、田淵幸一、末次利光〈1976年「巨人対阪神」逆転満塁サヨナラホームラン〉、原辰徳〈1989年の日本シリーズでの劇的な初ヒット・初ホームラン〉、小早川毅彦〈1987年「広島対巨人」江川卓の引退を決めるホームラン〉、大杉勝男〈1978年の日本シリーズ 疑惑のホームラン〉、ラルフ・ブライアント〈1990年「日本ハム対近鉄」 東京ドーム天井直撃認定ホームラン〉他) 「プロ野球ニュース」初代キャスター・1999年放送当時の現役監督・選手が選ぶ名勝負(佐々木信也 王貞治の756号、星野仙一 1974年中日20年ぶりリーグ優勝、若松勉 1978年ヤクルトセ・リーグ初優勝、山本浩二 1975年広島セ・リーグ初優勝) 20世紀の名勝負ベスト20 | 代打満塁ホームラン4回(過去2名達成 町田公二郎、藤井康雄) |
11 | 「珍プレー・好プレー特集その1」 | 1990年のリーグ戦(前半・後半に分けて放送。ナレーター・みのもんた) 1990年のキャンプ編(ナレーター・福井謙二、青嶋達也) | 2打席連続満塁ホームラン(過去に二岡智宏のみ達成) |
12 | 「わが野球人生」(司会・豊田泰光) | (登場人物 1981年度の活躍選手) 山田久志 村田兆治 小林繁 江川卓 山本浩二 | 代打逆転満塁「ビデオ判定」ホームラン(過去に福浦和也のみ達成) |
13 | 「わが故郷その2」 | (投手特集) 小松辰雄(石川県富来町) 斎藤明夫(京都市) 今井雄太郎(長岡市) 山内孝徳(熊本県大矢野町) | 開幕戦サヨナラ満塁ホームラン(過去2名達成 伊東勤、アレックス) |
14 | 「珍プレー・好プレー特集その2」 | 1980年(CXのライブラリーにある珍・好プレー集最古のフィルム。ナレーションなし、説明の字幕のみ) 1983年(ナレーター・みのもんた) 1992年(ナレーター・同上) | 3試合連続・初回(1回表/裏)先頭打者ホームラン(過去に松永浩美のみ達成) |
15 | 「ザ・王貞治」 | 背番号物語「1」 主要記念ホームランの特集(ベーブ・ルースと並ぶ714号とそれを抜く715号、ハンク・アーロンを抜いて世界新記録を達成した756号、日本初の国民栄誉賞表彰式、1977年秋の園遊会で昭和天皇と会談、800号、生涯最後となった868号=19年連続30ホームラン) 現役引退セレモニー(1980年11月・巨人ファン感謝デー) 柴田錬三郎との対談(1969年収録) 麗しきON時代(2000年放映) (DVD特典)衣笠祥雄×佐々木信也「鉄人・23年の歩み」(1987年、衣笠が連続試合出場記録の当時の世界新記録・2215試合で引退した直後に収録した対談) | 王の主要ホームラン集 (天覧試合ONアベックホームラン、1964年年間新記録55号、200号、300号、500号、600号、700号、1977年開幕戦での満塁ホームラン、755号(世界タイ)、756号(世界新)、1978年開幕戦での満塁ホームラン(2年連続)、800号、850号、868号) |
2019年11月 - 2020年1月放送。エレクトロニック・スポーツの大会「e-Baseball パワプロプロリーグ・2019年シーズン - 2020年シーズン」にフジテレビが後援することになり、左記大会と当番組のコラボレーションが実現。原則として期間中の毎週日曜(一部土曜)に行われる試合を30分のダイジェストに編集し、月曜の本編終了後(火曜未明)に初回放送する。番組ではスピンオフ元の当番組同様、特定の1試合を解説者による試合実況を交えて紹介する「Zoom UP」と「今日のホームラン」のコーナーも再現されている。
かつては、テレビゲームソフト「パワーリーグ」シリーズ(発売元:ハドソン)とタイアップしていたこともある。
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