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1976年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セ・リーグ
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 76 | 45 | 9 | .628 | 優勝 |
2位 | 阪神タイガース | 72 | 45 | 13 | .615 | 2.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 61 | 58 | 11 | .513 | 14.0 |
4位 | 中日ドラゴンズ | 54 | 66 | 10 | .450 | 21.5 |
5位 | ヤクルトスワローズ | 52 | 68 | 10 | .433 | 23.5 |
6位 | 大洋ホエールズ | 45 | 78 | 7 | .366 | 32.0 |
パ・リーグ
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 42 | 21 | 2 | .667 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 35 | 29 | 1 | .547 | 7.5 |
3位 | ロッテオリオンズ | 29 | 28 | 8 | .509 | 10.0 |
4位 | 日本ハムファイターズ | 26 | 31 | 8 | .456 | 13.0 |
5位 | 近鉄バファローズ | 27 | 35 | 3 | .435 | 14.5 |
6位 | 太平洋クラブライオンズ | 21 | 36 | 8 | .368 | 18.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 37 | 24 | 4 | .607 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 36 | 27 | 2 | .571 | 2.0 |
3位 | ロッテオリオンズ | 34 | 28 | 3 | .548 | 3.5 |
4位 | 近鉄バファローズ | 30 | 31 | 4 | .492 | 7.0 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 26 | 36 | 3 | .419 | 11.5 |
6位 | 太平洋クラブライオンズ | 23 | 40 | 2 | .365 | 15.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 79 | 45 | 6 | .637 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 71 | 56 | 3 | .559 | 9.5 |
3位 | ロッテオリオンズ | 63 | 56 | 11 | .529 | 13.5 |
4位 | 近鉄バファローズ | 57 | 66 | 7 | .463 | 21.5 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 52 | 67 | 11 | .437 | 24.5 |
6位 | 太平洋クラブライオンズ | 44 | 76 | 10 | .367 | 33.0 |
*阪急が前後期完全優勝したため、プレーオフは行わずそのまま年間優勝
日本シリーズ
個人タイトル
ベストナイン
ダイヤモンドグラブ賞
オールスターゲーム
→詳細は「1976年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第48回選抜高等学校野球大会優勝:崇徳(広島県)
- 第58回全国高等学校野球選手権大会優勝:桜美林(東京都〈西東京〉)
大学野球
- 第25回全日本大学野球選手権大会優勝:東海大
- 第7回明治神宮野球大会優勝:法政大
社会人野球
メジャーリーグ
→詳細は「1976年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- シンシナティ・レッズ(ナ・リーグ) (4戦全勝) ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)
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1月
3月
4月
- 4月3日
- 4月6日 - 第48回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場にて13時より行われ、崇徳が5-0で小山を破り初優勝[10]。
- 4月14日
- 4月15日 - 読売ジャイアンツの末次利光が甲子園球場での対阪神2回戦の1回表に1号2点本塁打、5回表に2号2点本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[13]。
- 4月17日
- 4月18日 - 巨人の加藤初が広島市民球場での対広島6回戦に先発登板し、ノーヒットノーランを達成[16][17]。
- 4月22日 - 太平洋の藤井栄治が平和台球場での対日本ハムファイターズ3回戦の10回裏に代打で出場し、プロ通算1500試合出場を達成[18]。
- 4月29日 - 日本ハムの行沢久隆が後楽園球場での対近鉄3回戦の八回裏に満塁本塁打を放つが、1塁を回ったところで1塁走者の服部敏和を追い越し、本塁打を取り消される[19]。
5月
- 5月3日 - 中日ドラゴンズの木俣達彦がナゴヤ球場での対ヤクルト6回戦の三回裏に4号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[20]。
- 5月7日 - 広島の山本浩二が川崎球場での対大洋5回戦の7回表に4号2点本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成。史上41人目[21]。
- 5月11日 - 阪急の戸田善紀が大阪球場での対南海4回戦に先発登板し、ノーヒットノーランを達成[22]。
- 5月13日 - ヤクルトは監督の荒川博が当面の間休養しヘッドコーチの広岡達朗が代理監督を務めると球団社長の佐藤邦雄が発表[23]。
- 5月22日 - ロッテの成田文男が後楽園球場での対阪急7回戦の二回表に中沢伸二から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[24]。
- 5月30日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対大洋12回戦の七回裏一死一、三塁の場面で敬遠され、プロ野球史上初の通算2000四死球を達成[25]。
6月
- 6月1日 - 阪急の森本潔が日生球場での対近鉄9回戦の二回表に鈴木啓示から内野安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[26]。
- 6月2日 - 大洋の松原誠が川崎球場での対阪神7回戦の五、八回裏に本塁打、この日の対阪神8回戦の二回裏に13号本塁打、四回裏に14号本塁打を放ちプロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打を達成[27]。
- 6月3日 - 太平洋の土井正博が後楽園球場での対日本ハム9回戦の五回表に11号本塁打を放ち、プロ通算350本塁打を達成[28]。
- 6月7日 - ヤクルトは休養中の監督の荒川博の退団を正式に発表[29]。
- 6月8日
- 6月10日 - 巨人の張本勲が後楽園球場での対阪神8回戦の五回裏に中前安打を放ち、プロ通算2500安打を達成[32]。
- 6月17日
- 6月18日
- 巨人の張本勲が甲子園球場での対阪神9回戦の一回表に8号2点本塁打を放ち、セ・リーグ新記録の28試合連続安打を達成[35]。
- パ・リーグ会長の岡野祐は、17日の試合で暴力行為で退場処分を受けた日本ハムの監督の大沢啓二と選手のウォルター・ウィリアムスに対しそれぞれ7日間の出場停止処分と制裁金5万円の裁定を下したと発表[36]。
- 6月24日 - 阪急対ロッテ11回戦が西宮球場にて行われ、阪急がロッテに8-0と勝利し、パ・リーグの前期優勝を達成[37]。
7月
- 7月2日 - 巨人の王貞治がナゴヤ球場での対中日14回戦の九回表に30号2点本塁打を放ち、15年連続30本塁打を達成[38]。
- 7月7日 - 広島の衣笠祥雄が札幌市円山球場での対巨人16回戦で1回表に本塁打、3回表に単打、5回表に二塁打、6回表に三塁打を放ち、サイクル安打を達成[39]。
- 7月9日 - ヤクルトの若松勉が神宮球場での対中日15回戦でサイクル安打を達成[40]。
- 7月11日 - 大洋の松原誠が広島市民球場での対広島12回戦で2安打し、プロ通算1500安打を達成[41]。
- 7月16日 - 12球団のオーナー、代表合同会議が東京・芝の東京グランドホテルで12時より開かれ、満場一致で金子鋭をコミッショナーに推挙し、金子のコミッショナー就任が正式に決まる[42]。
- 7月23日 - 巨人の王貞治が川崎球場での対大洋戦16回戦の八回表に鵜沢達雄から33号本塁打を放ち、プロ通算700本塁打を達成[43]。
- 7月25日 - 南海の池之上格が大阪球場での対近鉄後期6回戦の九回表に11失点を喫する[44]。
8月
- 8月1日 - 第47回都市対抗野球大会の決勝戦が18時半から後楽園球場で行われ、川崎市の日本鋼管が札幌市の北海道拓殖銀行を1-0で下し大会優勝[45]。
- 8月7日 - 阪神対中日の19回戦が岡山県野球場で行われ、阪神が中日に4-7と敗れ、球団新記録の9連敗となる[46]。
- 8月10日 - 中日の大島康徳がナゴヤ球場での対ヤクルト16回戦の六回裏に代打で出場して10号本塁打を放ち、日本プロ野球新記録のシーズン代打7本塁打を達成[47]。
- 8月11日 - 広島の三村敏之が川崎球場での対大洋18回戦で、四回表に18号本塁打、九回表に19号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[48]。
- 8月17日
- 8月21日 - 第58回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、西東京代表の桜美林高校が大阪府代表のPL学園を4-3で破り初優勝[51]。
- 8月22日 - 南海対太平洋の後期8回戦で南海が4-3と勝利し、パ・リーグ初の球団通算2500勝を達成[52]。
- 8月24日 - 南海の野村克也が西宮球場での対阪急後期6回戦の七回表に足立光宏から左前安打を放ち、プロ野球史上初めて通算5000塁打を達成[53]。
- 8月28日 - 広島の衣笠祥雄が川崎球場での対大洋20回戦の一回表に14号本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[54]。
9月
- 9月5日 - 日本ハムの坂井勝二が平和台球場での対太平洋後期9回戦の六回から登板し、プロ通算600試合登板を達成[55]。
- 9月14日 - 阪神の田淵幸一が後楽園球場での対巨人19回戦の一回表に30号3点本塁打を放ち、プロ通算250本塁打を達成[56]。
- 9月19日
- 中日が後楽園での対巨人23回戦に4対8で敗れ、この年の後楽園で0勝12敗1分けに終わる[57]。
- 甲子園球場での阪神対広島のダブルヘッダー第一試合の20回戦で、阪神が一試合9本塁打のセ・リーグタイ記録。
- 9月30日 - 阪急が南海を5-2で破り、後期優勝を決める。阪急は前期も優勝しており、プレーオフ制後で初めて前後期制覇したためパリーグ優勝を決める[58]。
10月
- 10月5日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対阪神25回戦に4番・中堅で出場し、プロ通算1000試合出場を達成[59]。
- 10月6日 - 太平洋の白仁天が大阪球場での対南海後期13回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[60]。
- 10月11日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対阪神23回戦の八回裏に山本和行から48号2点本塁打を打ち、ベーブ・ルースの記録を更新する通算715本塁打[61]。
- 10月12日
- 10月16日 - 広島対巨人26回戦が広島市民球場で行われ、今季最終戦の巨人が5-3で勝利し、1973年以来3年ぶりのセ・リーグ優勝[64]。
- 10月21日 - 沢村賞の選考が沢村賞選考委員会によって東京・水道橋の後楽園飯店にて12時より開かれ、広島の池谷公二郎が選出される[65]。
- 10月22日 - 広島の渡辺弘基が川崎球場での対大洋戦ダブルヘッダー25,26回戦二試合に登板し、これでシーズン73試合目となり、セ・リーグ最多登板記録を更新[66]。
- 10月25日 - ロッテの江藤慎一が東京・新宿の球団事務所を訪れ、球団代表の西垣徳男に対し体力の限界を理由に退団を申し入れ、球団もこれを了承[67]。
11月
- 11月2日 - 日本シリーズ第7戦が後楽園で行われ、阪急が4対2で巨人に勝利し、初めて日本シリーズで巨人を倒し2年連続の日本一[68]。
- 11月3日 - 1976年度のプロ野球セ・パ両リーグの最優秀選手、最優秀新人を決める記者投票の開票が11時から東京・銀座のコミッショナー事務局で行われ、最優秀選手はセが巨人の王貞治、パが阪急の山田久志、最優秀新人にセは中日の田尾安志、パは南海の藤田学が選出される[69]。
- 11月8日 - 中日と阪急は、島谷金二・稲葉光雄・大隅正人と森本潔・戸田善紀のトレードが成立したと発表[70]。
- 11月12日 - 大洋は午後、東京都千代田区の大洋漁業本社にて野球評論家の別当薫が新監督に就任したと発表[71]。
- 11月19日
- 11月23日 - 中日は藤波行雄と竹田和史を球団事務所に呼び、クラウンの基満男とのトレードを通告するが、藤波は拒否する姿勢を見せた[74]。
- 11月30日 - 中日は江藤省三を名古屋市内の球団事務所に呼び、来季の戦力構想から外れていると通告。江藤は引退を表明[75]。
12月
- 12月3日 - 阪神の米田哲也が11時から大阪市梅田の球団事務所にて球団代表の長田陸夫と話合い、来季の構想から外れていることを理由に自由契約を通告される[76]。
- 12月6日 - 近鉄の芝池博明と中日の白滝政孝のトレードが成立したと両球団が発表[77]。
- 12月8日 - 近鉄の伊勢孝夫とヤクルトの益川満育のトレードを両球団が発表[78]。
- 12月11日 - 広島の永本裕章・川畑和人と阪急の正垣宏倫のトレードが成立したと両球団が発表[79]。
- 12月14日 - ロッテの木樽正明が球団事務所を訪れ球団代表の西垣徳男に対し体力的な限界を理由に今季限りでの現役引退を申し入れ了承される[80]。
- 12月15日 - ロッテの長谷川一夫・倉持明とクラウンの白仁天・安木祥二のトレードが成立したと両球団が発表[81]。
- 12月16日 - 中日の藤波行雄とクラウンの竹田和史・基満男のトレードは藤波がトレードに反対して取りやめとなり、代わりに竹田とクラウンの松林茂のトレードが成立したと両球団が発表[82]。
- 12月21日 - 中日はクラウンへのトレードを拒否した藤波行雄に対し、残留を認める代わりに春季キャンプの自費参加、公式戦第3節までの出場停止のペナルティを科したと発表[83]。
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誕生
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死去
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