市原市
千葉県の市 ウィキペディアから
千葉県の市 ウィキペディアから
市原市(いちはらし)は、千葉県中央部の千葉地域に位置する市[1]。
いちはらし 市原市 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 千葉県 | ||||
市町村コード | 12219-0 | ||||
法人番号 | 5000020122190 | ||||
面積 |
368.16km2 | ||||
総人口 |
262,942人 [編集] (推計人口、2024年8月1日) | ||||
人口密度 | 714人/km2 | ||||
隣接自治体 | 千葉市、茂原市、袖ケ浦市、木更津市、君津市、夷隅郡大多喜町、長生郡長南町、長柄町 | ||||
市の木 | イチョウ | ||||
市の花 | コスモス | ||||
市の鳥 | ウグイス | ||||
市原市役所 | |||||
市長 | 小出譲治 | ||||
所在地 |
〒290-8501 千葉県市原市国分寺台中央一丁目1番地1 北緯35度29分53秒 東経140度06分56秒 市原市役所 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
人口は約26.4万人で、千葉県では柏市に次いで第6位の規模である[1]。財政力指数が高く、愛知県豊田市に次いで製造品出荷額全国第2位の日本を代表する工業都市である他、市原商圏を形成する準商業中心都市となっている[2]。
日本最大数のゴルフ場[3]、石油化学プラント[4]を有する。また、GSSPに内定した千葉セクションが所在することでも知られる。日本を代表する工業都市であり、工業製造品出荷額が愛知県豊田市に次ぐ第2位、千葉県内第1位である[5]。都市雇用圏における東京都市圏(東京圏)の範囲に含まれる。千葉市への通勤率は15.4%[統計 1]。
臨海部は千葉県の東京湾沿い浦安市から君津市付近まで広がる京葉工業地域の一部であり、市内は姉崎海岸や千種海岸、五井南海岸を中心に日本最大規模の石油化学コンビナート群がある。工場夜景都市としても日本11大工場夜景に選定されている[6]。内房線沿線は住宅地が広がっており、工業地域の労働者の居住地域となっているほか、東京都の都心や千葉市の衛星都市でもあり、成田国際空港、東京国際空港、東京都23区内にいずれも約1時間程度、東京駅から五井駅まで特急さざなみ号を利用すると最短約42分でアクセスすることができる[7]。
中部及び南部にはゴルフ場が多く、牛久地域以南は自然が広がり、養老渓谷周辺は丘陵地帯や養老渓谷温泉の温泉地で行楽シーズンになると多くのハイキング客で賑わう。
千葉県の中央部(千葉地域)、北は県庁所在地である千葉市に接し、東京都の都心から約35 - 45キロメートル圏内に位置する。東京湾側の千葉港第4区に面しており、養老川の流域に位置する。南は房総丘陵に連なる山間部で市域は南北方向に長い。また、市原市の面積368.17km2は千葉県の市町村では最も大きく、関東では第14位の面積となる。千葉セクションでは、約77万年前の地層を見ることができ、更新世の前期と中期の境界を示すものとして極めて貴重であり、GSSPに内定しているほか、養老川流域田淵の地磁気逆転地層の名称で国の天然記念物にも指定されている。
温暖な沿岸部と寒冷な内陸部(丘陵地帯)に二分され、気候は異なる。内陸部は標高の高い丘陵地帯であるため、年間の寒暖の差は大きく内陸性気候となる。冬はアメダス地点の市原市(牛久)などの標高の高い内陸部を中心に寒冷であり、市北部が雨や霙でも牛久地域周辺やそれ以南は大雪になる場合がある。また、夏には真夏日を記録することが多く、2004年(平成16年)7月20日に県内最高気温の40.2度を観測した[8]。しかし、朝晩は涼しく熱帯夜は少ない。高滝湖や養老渓谷付近は夏も涼しく、標高120メートル程の場所としては冷涼な地点のひとつである。
牛久(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 21.1 (70) |
24.6 (76.3) |
27.5 (81.5) |
30.0 (86) |
35.7 (96.3) |
36.8 (98.2) |
40.2 (104.4) |
39.2 (102.6) |
37.1 (98.8) |
33.8 (92.8) |
27.2 (81) |
25.5 (77.9) |
40.2 (104.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 10.5 (50.9) |
11.3 (52.3) |
14.4 (57.9) |
19.5 (67.1) |
23.7 (74.7) |
26.1 (79) |
30.3 (86.5) |
31.8 (89.2) |
27.7 (81.9) |
22.4 (72.3) |
17.6 (63.7) |
12.9 (55.2) |
20.7 (69.3) |
日平均気温 °C (°F) | 4.1 (39.4) |
5.2 (41.4) |
8.6 (47.5) |
13.7 (56.7) |
18.2 (64.8) |
21.3 (70.3) |
25.4 (77.7) |
26.5 (79.7) |
22.9 (73.2) |
17.3 (63.1) |
11.8 (53.2) |
6.6 (43.9) |
15.1 (59.2) |
平均最低気温 °C (°F) | −1.5 (29.3) |
−0.6 (30.9) |
2.9 (37.2) |
8.0 (46.4) |
13.1 (55.6) |
17.3 (63.1) |
21.5 (70.7) |
22.5 (72.5) |
19.0 (66.2) |
13.0 (55.4) |
6.6 (43.9) |
1.1 (34) |
10.3 (50.5) |
最低気温記録 °C (°F) | −8.0 (17.6) |
−9.2 (15.4) |
−5.7 (21.7) |
−2.4 (27.7) |
3.3 (37.9) |
8.0 (46.4) |
11.7 (53.1) |
14.3 (57.7) |
7.7 (45.9) |
1.8 (35.2) |
−3.1 (26.4) |
−7.0 (19.4) |
−9.2 (15.4) |
降水量 mm (inch) | 82.4 (3.244) |
74.0 (2.913) |
138.0 (5.433) |
132.5 (5.217) |
130.4 (5.134) |
170.6 (6.717) |
151.8 (5.976) |
114.8 (4.52) |
237.1 (9.335) |
256.8 (10.11) |
113.9 (4.484) |
70.9 (2.791) |
1,673.1 (65.87) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 6.3 | 6.9 | 11.2 | 10.5 | 10.4 | 11.9 | 10.0 | 7.3 | 11.8 | 12.0 | 9.0 | 6.5 | 113.9 |
平均月間日照時間 | 182.0 | 158.4 | 160.8 | 172.1 | 170.1 | 117.3 | 159.2 | 192.0 | 135.7 | 126.4 | 142.2 | 162.9 | 1,879.2 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[9] |
主な山岳は以下の通りである。
主な河川は以下の通りである[10]。
土地の地目別面積は以下の通りである[11]。
総面積 | 368.20km2 | 100% |
---|---|---|
山林 | 83.40km2 | 22.7% |
田畑 | 67.27km2 | 18.3% |
宅地 | 55.76km2 | 15.1% |
雑種地・原野 | 38.17km2 | 10.4% |
その他 | 123.32km2 | 33.5% |
地区は基本的に市原市合併前の町村で区別するが、新たに市役所支所が設置された場合はこの通りではない[7]。以下の地区が存在する[7][統計 2]。
地区名 | 旧町村 | 管轄 | 面積 | 人口 | 人口比率 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
幼年 | 生産年齢 | 老年 | ||||||
姉崎地区 | 姉崎町 | 姉崎支所 | 19.72km2 | 28,425人 | 9.2% | 58.7% | 32.1% | [統計 3] |
有秋地区 | 有秋支所 | 14.51km2 | 13,456人 | 10.7% | 55.1% | 34.2% | [統計 4] | |
五井地区 | 五井町 | 五井支所 | 46.66km2 | 86,164人 | 11.2% | 63.1% | 25.6% | [統計 5] |
市原地区 | 市原町 | 市原支所 | 26.71km2 | 50,558人 | 9.8% | 57.9% | 32.4% | [統計 6] |
辰巳台地区 | 辰巳台支所 | 1.60km2 | 10,944人 | 11.5% | 65.4% | 23.1% | [統計 7] | |
ちはら台地区 | ちはら台支所 | 3.69km2 | 27,889人 | 19.3% | 64.3% | 16.4% | [統計 8] | |
市津町 | [統計 8] | |||||||
市津地区 | 市津支所 | 50.10km2 | 13,642人 | 10.7% | 51.1% | 38.2% | [統計 9] | |
三和地区 | 三和町 | 三和支所 | 40.00km2 | 13,196人 | 7.2% | 49.2% | 43.6% | [統計 10] |
南総地区 | 南総町 | 南総支所 | 78.97km2 | 20,772人 | 5.8% | 48.9% | 45.3% | [統計 11] |
加茂地区 | 加茂村 | 加茂支所 | 85.78km2 | 4,516人 | 4.1% | 42.3% | 53.6% | [統計 12] |
2005年(平成17年)の国勢調査で28万0255人を記録して以降約10年間は横ばい傾向にあったが、ここ数年は減少が進んでいる。2021年(令和2年)4月1日現在の人口は約26万8000人。
市原市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 市原市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 市原市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
市原市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
歴代の市長は以下の通りである。
市原市の財政力指数は1.15と財政は良い[13]。この数値が大きいほど財政力が大きく、「1」以上の場合極めて健全な財政とされ、地方交付税は交付されない[13]。
平成22年度国勢調査による産業別の人口は以下の通りである[11]。
産業 | 人口 | 比率 |
---|---|---|
第1次産業 | 2,229人 | 1.78% |
第2次産業 | 34,730人 | 27.72% |
第3次産業 | 77,556人 | 61.91% |
分別不能 | 10,767人 | 8.59% |
平成22年度国勢調査による産業別15歳以上就業者数は以下の通りである[11]。
産業 | 人口 |
---|---|
農業 | 2,229人 |
建設業 | 12,765人 |
製造業 | 21,939人 |
電気・ガス熱供給・水道業 | 890人 |
運輸・情報通信業 | 10,603人 |
卸売・小売・飲食店 | 17,854人 |
金融・保険業 | 2,332人 |
サービス業 | 25,751人 |
公務 | 3,258人 |
その他 | 10,767人 |
合計 | 108,388人 |
市原市は日本全国市町村で製造品出荷額が第2位、また、千葉県内では第1位となる。国内最大規模の石油化学コンビナート群がある。また、千葉県で唯一の造船所が点在している。
統計[11]
市原市の商業は、主にJR内房線及び小湊鉄道の主要駅周辺や住宅団地等を中心に立地し、それぞれ独自性をもって発展してきた。また、大規模店舗の出店や周辺の個店の経営努力により、準商業中心都市として「市原商圏」を形成している。
統計
項目 | 平成19年度 |
---|---|
市原市の人口(人) | 279,729 |
地元購買率(%) | 75.6 |
商圏地域市町村数 | 2市2町 |
商圏人口(人) | 357,183 |
消費吸引人口(人) | 234,952 |
消費吸引人口(%) | 65.8 |
農家数・耕地面積
特産物
農業協同組合
市原市をホームタウンとするスポーツクラブは以下の通りである。
二次保健医療圏として、市原市は市原地域に属しているが、これは市原市のみが対象地域としている[18][19]。市原保健医療圏の基準病床数は2,007床に対し、既存病床数は2,132床と基準を上回っている[20]。主な病院は以下の通りである。
主な病院における患者総数は以下の通りである[統計 2]。
地区 | 病院名 | 区分 | 2017年度 | 2018年度 | 2019年度 | 2020年度 | 2021年度 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
姉崎地区 | 帝京大学ちば総合医療センター | 外来 | 255,175人 | 251,793人 | 246,941人 | 211,696人 | 212,896人 |
入院 | 119,521人 | 120,191人 | 127,394人 | 108,889人 | 104,495人 | ||
市原地区 | 千葉ろうさい病院 | 外来 | 270,439人 | 267,847人 | 254,291人 | 238,278人 | 247,060人 |
入院 | 117,115人 | 118,169人 | 117,517人 | 112,064人 | 110,994人 | ||
南総地区 | 千葉県循環器病センター | 外来 | 81,879人 | 82,392人 | 79,724人 | 71,873人 | 74,404人 |
入院 | 52,880人 | 48,626人 | 47,291人 | 42,639人 | 43,161人 |
帝京大学ちば総合医療センターは、市原市が姉崎地区に誘致、土地を無償譲渡の上、1986年(昭和61年)5月1日に帝京大学医学部附属市原病院として開業した総合病院であるが、建物の老朽化による建替えに合わせてちはら台地区へ移転することが2023年(令和5年)6月15日に市長への病院長訪問により報告された[22][23]。これは、現在地では病院の経営が困難になるという理由からであるが、上述の患者数の表を見れば分かるように、市原地区にある千葉ろうさい病院と大差ない患者数を受け入れている点で疑問が生じる[23]。市原市は姉崎地区の医療体制向上のために土地の無償譲渡の上に誘致したことを踏まえて、即時に現在地での建て替えを要請したが、同年6月26日に学校法人帝京大学より市原市宛に移転計画の報告文書を通達[23]。これに対して7月5日に市原市は同様に現在地での建て替えを文書要請している[23]。市原市では北西部医療は帝京大学ちば総合医療センター、北東部医療は千葉労災病院、南部医療は千葉県循環器病センターと分担してきたが、帝京大学ちば総合医療センターが北東部のちはら台地区に移転することによって市原医療圏内の医療バランスの偏りが危惧されている[23]。
律令制以前この地域には、上海上国造が上総国海上郡(現在の市原市の一部)を支配していたとされている。養老川流域には、3世紀の出現期古墳(纒向型前方後円墳)である神門古墳群[注釈 8]や、王賜銘鉄剣を出土した稲荷台1号古墳[注釈 9]があり、古くからヤマト王権と緊密なつながりがあったことが想定される。『万葉集』巻第十四東歌の筆頭に「夏麻引く海上潟の沖つ渚に船はとどめむ小夜ふけにけり」とあり、水上交通の要衝であったともされる。養老川下流南岸の姉崎古墳群は上海上国造一族の墳墓とされ、4世紀後半の全長130メートルの姉崎天神山古墳、5世紀前半の全長86メートルの釈迦山古墳に続き、5世紀後半には全長103メートルの姉崎二子塚古墳が造営されている。
律令制において令制国である上総国が成立し、東海道に属する一国となった。上総国は、国守に必ず親王が補任される親王任国となり、国級は大国にランクされた。親王任国の国守となった親王は「太守」と称し、官位は必然的に他の国守(通常は従六位下から従五位上)より高く、親王太守は正四位以上とされた。親王太守は現地へ赴任しない遙任だったため平高望、良兼や菅原孝標がそうであったように、国司の実質的長官は上総介であった。
上総国の国司が政務を執る国府(中心地域)は市原市の国分寺台から能満にかけての一帯だったと推定される。市原市国分寺台から国分寺跡、国分尼寺跡が発掘されているが、国府の遺構はまだ見つかっていない。中世の国府は市原市能満(府中)にあったと考えられている。
上総国分寺は現在の国分寺と重複している。周囲に谷や古墳があるため寺域は四角形ではない。南北478メートル、東西は北辺:254メートル・中央:345メートル・南辺:299メートル、面積は139,000平方メートルに及ぶ。主要な伽藍地は南北219メートル、東西194メートルで、大官大寺式の伽藍配置。
上総国分尼寺は1989年(平成元年)まで行われた発掘調査で、柱の位置の確認などで主要伽藍の構造を含めた全容が解明されたことから、建物跡の完全な復元が可能とされた[24][25]。これを踏まえ、かつての中門が奈良時代の工法を再現する形で復元[26]。合わせて「史跡上総国分尼寺跡展示館」が建設され(1993年(平成5年)8月1日開館)、復元建物と共に一般公開されている[27]。
中世においては千葉氏の勢力下にあったが、千葉氏の勢力が次第に衰えると、里見氏などの新興勢力の伸張を許した。現在の千葉市生実町に館を構えた小弓公方足利義明も、一時期この地に拠っており、その時の御所があったとされる場所は、五所という地名として残っている。
近世の幕藩体制下では五井藩、鶴牧藩、旗本の陣屋として伊丹陣屋が知られている。
1871年(明治4年)7月の廃藩置県では菊間県、鶴牧県、鶴舞県が成立。その後同年11月の府県統合で木更津県に、1873年(明治6年)に印旛県や新治県の一部と合併して千葉県が成立した。現在の市原市は市原郡のほぼ全域を市域としているが、1889年(明治22年)の時点で171箇村が確認されている。これが1945年(昭和20年)までに5町16村にまとまり、更に昭和の大合併期である1954年(昭和29年)から1961年(昭和36年)にかけて姉崎町、市原町、五井町、市津町、南総町、三和町、加茂村の5町2村にまで統合された。
1963年(昭和38年)に大千葉市建設を目論んで、当時の千葉市長宮内三朗が五井町長に千葉市への編入を提案したが、もともと市原郡5町での合併を提案していた五井町長は反対し、さらに対抗策として姉崎町と五井町の2町が合併して南葉町(なんようちょう)を組織することを発表した[22]。しかし結局、千葉県知事の提案により市原郡5町が提案されたことで南葉町発足の計画は中止となり、町合併による新設という形で新自治体を組織することが決定した[22]。市名決定にあったって、当時市原郡内で2大勢力となっていた五井町と市原町との間で「五井市」とするか「市原市」とするかで争われたとされるが、最終的には郡名でもある「市原」を採用することに決定した[22]。その代わり、行政機関の中央は、最も発展していた旧五井町におき、市執行部の主要人事は、合併5町の中で市原町に続く規模であった旧姉崎町からとした[22]。このような経緯がありつつ、1963年(昭和38年)5月1日に市原市が誕生した[28]。
戦後に東京湾岸の埋め立てが進み、市原市は千葉港の一角に組み込まれた。市原市では特に石油産業などの化学工業を主とする企業の進出が多い。なお、高度成長期には、全国の工業地区と同様に、公害が多く発生しており、1974年(昭和49年)5月には、市原市立姉崎公民館(旧所在地)付近にある市原姉崎測定局にて、光化学オキシダント濃度が0.50ppmを超え、直ちに千葉県内で初となる光化学スモッグ警報が出された。1980年(昭和55年)3月31日に防災行政無線が開局している。2005年(平成17年)4月1日に防災行政無線の夕方のチャイム「ハッピー市原」が放送開始[広報 1][注釈 10]。かつて存在した地方自治法第252条の26の3第1項に定める政令による特例市になる要件を満たしていたが、特例市にはならなかった。2017年11月にGSSPに市原市田淵の養老川沿いの露頭で見られる、約77万年前の地層(千葉セクション)が内定し、2018年には「養老川流域田淵の地磁気逆転地層」の名称で国の天然記念物に指定された[29]。
市原市は全国2位の製造品出荷額を誇る工業都市であり、特に石油化学工業に秀でており、大規模なコンビナートが形成されている[4]。これらは1955年(昭和30年)頃から構築され始め、高度成長期頃になるとかなりの規模となっていた[4]。当時は現在よりも環境や人体に悪影響を及ぼしやすい装置で運用されていたため、度々環境問題が指摘されていた。1974年(昭和49年)5月には市原市姉崎測定局[注釈 11]にて光化学オキシダントの濃度が0.50ppmを超え、直ちに千葉県内で初となる光化学スモッグ重大緊急報が出された[22]。このようなことが一因となり、姉崎地区では欅が枯れるなどの被害が出ていた。なお現在、測定値に関して、その数値は改善傾向にあり、光化学スモッグ警報の発令は過去10年なく、光化学スモッグ注意報に関しても、年4 - 5回程度の発令で推移している[31]。
主な自然災害の記録は以下の通りである[11]。
西暦(和暦) | 名称 | 種類 | 環境的被害 | 人的被害 | |
---|---|---|---|---|---|
死者 | 重軽傷者 | ||||
1870年(明治3年) | 嵐 | 姉崎浦塩浜の堤防が破損する。 | なし | 不明 | |
1871年(明治4年) | 嵐 | 岩崎新田の堤防が破損する。 | なし | 不明 | |
1880年(明治13年) | 嵐 | 八幡で家屋が流出。 | 4名 | 不明 | |
1901年(明治34年) | 嵐 | 家屋全壊9戸。 | 2名 | 不明 | |
1902年(明治35年) | 竜巻 | 家屋全壊2戸。 | 1名 | 不明 | |
1903年(明治36年) | 嵐 | 落雷による被害。 | 不明 | 不明 | |
1923年(大正12年) | 関東大震災 | 地震 | 家屋全壊2,477戸。 | 88名 | 不明 |
1970年(昭和45年) | 集中豪雨 | 家屋全半壊20戸。 | なし | 不明 | |
1971年(昭和46年) | 台風25号 | 台風 | 水田流出109ha、道路決壊105箇所 | なし | 不明 |
1979年(昭和54年) | 台風20号 | 台風 | 家屋全半壊8戸、道路決壊90箇所 | なし | 不明 |
1987年(昭和62年) | 千葉県東方沖地震 | 地震 | 家屋全壊10戸、屋根瓦損壊11,000戸 | 1名 | 不明 |
1989年(平成元年) | 台風12号 | 台風 | 家屋全壊1戸、水田流出1,400ha、道路決壊357箇所 | なし | 不明 |
1991年(平成3年) | 台風21号 | 台風 | 家屋全壊1戸、床上浸水29戸、土砂崩落・道路決壊 | なし | 不明 |
1996年(平成8年) | 台風17号 | 台風 | 床上浸水140戸、床下浸水228戸、崖崩れ13箇所 | なし | 不明 |
2011年(平成23年) | 東日本大震災 | 地震等 | 五井地区で石油タンク爆発。避難勧告発令。 | なし | 不明 |
2019年(令和元年) | 房総半島台風 | 台風 | 家屋全半壊663戸・一部損壊7,214戸、浸水3戸ほか | 3名 | 18名 |
東日本台風 | 台風 | 竜巻による家屋倒壊。 | 1名 | 不明 |
番号 | 指定・登録 | 類別 | 名称 | 所在地 | 所有者または管理者 | 指定年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 国指定 | 重要文化財(建造物) | 西願寺阿弥陀堂 | 市原市平蔵1360 | 西願寺 | 大正5年5月24日 | 1棟 |
2 | 鳳来寺観音堂 | 市原市吉沢237-1 | 鳳来寺 | 昭和6年12月14日 | 1棟 | ||
3 | 飯香岡八幡宮本殿 | 市原市八幡1057 | 飯香岡八幡宮 | 昭和29年9月17日 | 1棟 | ||
4 | 記念物(史跡) | 上総国分寺跡 | 市原市惣社1丁目7-1 | 市原市他 | 昭和4年12月17日 | ||
5 | 上総国分尼寺跡 | 市原市国分寺台中央3-5-1他 | 市原市他 | 昭和58年8月30日 | |||
6 | 記念物(天然記念物) | 養老川流域田淵の地磁気逆転地層 | 市原市田渕他 | 個人・市原市他 | 平成30年10月15日 | ||
7 | 県指定 | 有形文化財(建造物) | 飯香岡八幡宮拝殿 | 市原市八幡1057 | 飯香岡八幡宮 | 昭和41年5月20日 | 1棟 |
8 | 府中日吉神社本殿 | 市原市能満589-2 | 府中日吉神社 | 昭和42年12月22日 | 1棟 | ||
9 | 有形文化財(彫刻) | 木造地蔵菩薩坐像 | 市原市山口270-1 | 山口区 | 昭和33年4月23日 | 1躯 | |
10 | 木造聖観世音菩薩立像 | 市原市引田94 | 蓮蔵院 | 昭和33年4月23日 | 1躯 | ||
11 | 木造聖観音立像 | 市原市風戸81 | 日光寺 | 昭和37年5月1日 | 1躯 | ||
12 | 木造薬師如来坐像及び両脇侍立像・神将立像2躯 | 市原市皆吉6 | 橘禅寺 | 昭和40年4月27日 | 3躯 | ||
13 | 木造金剛力士立像 | 市原市皆吉6 | 橘禅寺 | 昭和40年4月27日 | 2躯 | ||
14 | 木造薬師如来坐像及び両脇侍立像 | 市原市上高根1095 | 称礼寺 | 昭和62年2月27日 | 3躯 | ||
15 | 木造十一面観音菩薩立像 | 市原市宿223 | 長栄寺 | 平成28年3月4日 | 1躯 | ||
16 | 有形文化財(工芸品) | 漆塗金銅装神輿 | 市原市八幡1057-1 | 飯香岡八幡宮 | 平成6年2月22日 | 4基 | |
17 | 有形文化財(考古資料) | 江子田金環塚古墳出土一括遺物 | 市原市埋蔵文化財調査センター | 市原市 | 平成9年3月21日 | 357箇・2口 | |
18 | 有形文化財(歴史資料) | 小湊鉄道蒸気機関車 | 市原市五井1472 | 小湊鉄道株式会社 | 昭和55年2月22日 | 3輛 | |
19 | 無形民俗文化財 | 鶴峯八幡の神楽 | 鶴峯八幡宮 | 鶴峯八幡宮十二座神楽保存会 | 昭和39年4月28日 | ||
20 | 市原の柳楯神事 | 飯香岡八幡宮 | 柳楯神事保存会 | 昭和41年12月2日 | |||
21 | 大塚ばやし | 市原市海保 | 大塚ばやし保存会 | 昭和45年1月30日 | |||
22 | 上高根の三山信仰 | 市原市上高根 | 上高根敬愛講社 | 平成13年3月30日 | |||
23 | 椎津のカラダミ | 市原市椎津 | 椎津青年会 | 平成19年3月16日 | |||
24 | 記念物(史跡) | 二子塚古墳 | 市原市姉崎1762 | 姉崎神社 | 昭和43年4月9日 | ||
25 | 姉崎天神山古墳 | 市原市姉崎2489、2483 | 菅原神社 | 昭和48年3月2日 | |||
26 | 神門5号墳 | 市原市惣社5-5-1 | 市原市 | 平成1年3月10日 | |||
27 | 記念物(天然記念物) | 飯香岡八幡宮の夫婦銀杏 | 市原市八幡1057 | 飯香岡八幡宮 | 昭和10年7月12日 | ||
28 | 大福山自然林 | 市原市石塚546-1他 | 白鳥神社、市原市 | 昭和47年1月28日 | |||
29 | 高滝神社の森 | 市原市高滝1他 | 高滝神社 | 昭和53年2月28日 | |||
30 | 記念物(名勝) | 椎津城跡 | 市原市椎津695-1ほか | 市原市・個人 | 平成29年3月7日 | ||
31 | 国登録 | 登録有形文化財(建造物) | 武田家住宅 | 市原市古市場53 | 個人 | 平成9年7月15日 | 1件 |
32 | 小湊鉄道第一養老川橋梁ほか | 市原市 | 小湊鉄道株式会社 | 平成29年5月2日 | 22件 |
市内の千葉県指定伝統工芸品製作者は以下の通りである[11]。
No. | 種別 | 氏名 | 指定品名 | 指定年度 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
9 | 金工品 | 大野正敏 | 上総鋏 | 1984年度(昭和59年度) | 廃業 |
61 | 郷土玩具 | 高澤文雄 | 上総角凧 | 1986年度(昭和61年度) | |
86 | 竹工品 | 八木澤祐三 | 南総竹細工 | 1988年度(昭和63年度) | |
120 | 竹工品 | 佐藤稔 | 上総和竿 | 1996年度(平成8年度) | |
148 | 和楽器 | 福尾毅 | 南総尺八 | 2001年度(平成13年度) | |
149 | 郷土玩具 | 小澤登 | 上総角凧 | 2002年度(平成14年度) | |
156 | 郷土玩具 | 金谷司仁 | 角凧・袖凧 | 2004年度(平成16年度) | |
168 | 木工品 | 宍倉敏志 | いちはら小楊枝 | 2008年度(平成20年度) | |
169 | 郷土玩具 | 金谷政司 | 角凧・袖凧 | 2010年度(平成22年度) | |
176 | 木工品 | 高橋章雄 | 梅ヶ瀬楊枝 | 2012年度(平成24年度) |
市役所支所
警察署
交番・駐在所
本部
消防署
保健所
保健センター・保健福祉センター
保育所・こども園
子育て支援
幼稚園
小学校・中学校
高等学校
高等教育機関
普通郵便局
特定郵便局
簡易郵便局
市内を運行する鉄道路線として東日本旅客鉄道、小湊鉄道、京成電鉄の路線が市内を通る。
鉄道路線
中心となるバス停:市原バスターミナル、市原鶴舞バスターミナル
高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道
市道
市原市を中心とする30km圏内に2箇所の国際空港が存在する。
国際拠点港湾
市原市を撮影地とした作品は以下の通りである[37]。
スポーツ
文化
芸能
実業
その他
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.