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三重県の市 ウィキペディアから
伊勢市(いせし)は、三重県南東部(南勢・伊勢志摩地域)にある市である。
伊勢神宮の鳥居前町として発達した都市で「神都」の異名を持つ。かつては宇治山田市を名乗っていた[1]。
三重県を代表する観光都市の1つであり、名古屋や関西といった大都市圏からのアクセスに優れることから年間を通じて大勢の観光客で賑わう。
江戸時代には「お伊勢まいり」の街として全国から多くの人が訪れ、現在も伊勢志摩の中心都市となっている。伊勢神宮では20年に一度社殿を建て替え神座を移す「神宮式年遷宮」が催行され、街に活気をもたらすことから「伊勢の町は遷宮のたびに新しくなる。20年ごとに活性化する」と言われている[2]。直近の式年遷宮は2013年(平成25年)に開催された。
1906年(明治39年)までは度会郡に属しており、一部に旧多気郡域を含む。明治維新直後の慶応4年7月6日から明治2年7月17日まで度会府の府庁が置かれた。廃藩置県により度会府は度会県となり、三重県に編入される1876年(明治9年)4月18日まで県庁所在地であった。
志摩半島の北東部に位置する。市の北部は平地(伊勢平野の南端)であり、伊勢湾に面している。南部は標高100m - 500mの丘陵・山地が広がる。
中心市街地は伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)の周辺に形成されている。市街地を外れた森の中に、伊勢神宮 内宮(皇大神宮)が位置する。
「伊勢市」と称する以前は「宇治山田市」と称しており、内宮周辺が宇治、外宮周辺が山田に当たる。
小俣(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.1 (64.6) |
21.5 (70.7) |
25.3 (77.5) |
30.7 (87.3) |
33.7 (92.7) |
36.5 (97.7) |
38.5 (101.3) |
38.8 (101.8) |
37.8 (100) |
30.4 (86.7) |
25.6 (78.1) |
25.4 (77.7) |
38.8 (101.8) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.5 (49.1) |
10.2 (50.4) |
13.8 (56.8) |
19.4 (66.9) |
24.0 (75.2) |
26.8 (80.2) |
31.0 (87.8) |
32.2 (90) |
28.3 (82.9) |
22.7 (72.9) |
17.1 (62.8) |
11.9 (53.4) |
20.6 (69.1) |
日平均気温 °C (°F) | 4.8 (40.6) |
5.2 (41.4) |
8.5 (47.3) |
13.8 (56.8) |
18.7 (65.7) |
22.2 (72) |
26.3 (79.3) |
27.2 (81) |
23.7 (74.7) |
17.9 (64.2) |
12.1 (53.8) |
7.0 (44.6) |
15.6 (60.1) |
平均最低気温 °C (°F) | 0.2 (32.4) |
0.5 (32.9) |
3.3 (37.9) |
8.4 (47.1) |
13.9 (57) |
18.4 (65.1) |
22.6 (72.7) |
23.4 (74.1) |
19.9 (67.8) |
13.6 (56.5) |
7.2 (45) |
2.2 (36) |
11.1 (52) |
最低気温記録 °C (°F) | −5.7 (21.7) |
−6.0 (21.2) |
−3.9 (25) |
−1.8 (28.8) |
4.8 (40.6) |
10.0 (50) |
15.7 (60.3) |
16.0 (60.8) |
10.2 (50.4) |
3.1 (37.6) |
−1.7 (28.9) |
−4.9 (23.2) |
−6.0 (21.2) |
降水量 mm (inch) | 63.3 (2.492) |
68.3 (2.689) |
121.3 (4.776) |
134.2 (5.283) |
188.1 (7.406) |
213.7 (8.413) |
181.7 (7.154) |
160.2 (6.307) |
319.2 (12.567) |
258.4 (10.173) |
95.8 (3.772) |
66.6 (2.622) |
1,870.8 (73.654) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 5.4 | 5.9 | 9.6 | 9.6 | 10.3 | 12.6 | 11.3 | 8.9 | 11.3 | 10.6 | 6.5 | 5.6 | 107.6 |
平均月間日照時間 | 173.1 | 163.3 | 182.2 | 190.5 | 191.1 | 137.3 | 174.8 | 208.2 | 150.1 | 157.9 | 159.4 | 174.7 | 2,059.8 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[3] |
宇治山田という地名は、翌年に市制・町村制の施行を控えた1888年(明治21年)に紛糾の末[4]、「宇治山田共ニ往古ヨリ稱スル著名ノ冠名ニ付、兩稱ヲ合セテ宇治山田ト撰定ス」[5]すなわち、「宇治と山田は古来から全国民に親しまれている」という理由から内宮鳥居前町の宇治と外宮鳥居前町の山田の両方の名を合わせて決定した[6]。町名には神都または伊勢の名を冠するべき[6]、宇治を外して山田と単称するべきという意見のほか[5]、そもそも市とするか町とするか、宇治と山田は別個に町制を敷くべき、といった議論もあった[7]。1887年(明治20年)時点の人口は26,546人で、市制の標準人口の25,000人は満たしていた[8]が、「宇治山田町」として出発することになった[6]。
その後、1906年(明治39年)9月1日に市制を施行することになったが、また名称をめぐる問題が起きた[6]。結局、この時点では町名と同じ宇治山田を市名とすることで決着したが、これ以降、折に触れて市名問題が発生することになる[9]。具体的には1935年(昭和10年)頃、1941年(昭和16年)の神社町編入時、1943年(昭和18年)の大湊町・浜郷村・宮本村編入時である[9]。1948年(昭和23年)1月には戦災復興都市計画の中で市名改称の是非を問う公聴会が開かれたが、賛成3人、反対15人、不明1人で否決された[10]。
大きな流れとなったのは1955年(昭和30年)1月1日の豊浜村・北浜村・四郷村・城田村との合併であり、前年の1954年(昭和29年)11月13日に市名改称公聴会の賛成、11月29日の臨時市議会での議決を経て合併と同時に「伊勢市」に改称された[10]。このようにして自治体名としての宇治山田の名は消滅したが、現在でも駅名・学校名・店名などに残っている。
伊勢神宮の鳥居前町として古代から発展し、江戸時代には江戸幕府が伊勢神宮の管理を目的とする山田奉行所を設置した。山田奉行所は大岡越前として知られる大岡忠相が奉行を務めたことがあり、このころ紀州藩にいた徳川吉宗により、のちに抜擢されることになった。
明治から昭和にかけて参宮鉄道線(現在のJR東海参宮線)・参宮急行電鉄本線(現在の近鉄山田線)・伊勢電気鉄道本線(後の参宮急行電鉄伊勢線。1942年廃止)など鉄道が次々と開通したことにより参詣客が増加した。
国家神道の下で、第二次大戦までは「神都」として国威発揚の場ともなった。伊勢神宮は、江戸時代から「お伊勢さん」として民衆に親しまれ、明治初年には、市内の寺院の数は300以上から15にまで減らされ、1871年には御師が廃止、神域にあった民家も撤去されるなど、古制に帰り、天皇・皇室・国家のための神社としてなお崇敬された。「皇紀2600年」にあたる1940年(昭和15年)には、約800万人が参宮のために当地を訪れた(当時の市名は宇治山田市)。大戦末期には、6回の大規模な空襲を繰り返し受けた(宇治山田空襲)[12]。
1946年(昭和21年)11月20日には伊勢志摩国立公園に指定された。
1974年(昭和49年)1月14日、船江2丁目で火災が発生。付近に延焼し36棟が焼失、1人死亡[13]。
1974年(昭和49年)7月7日には梅雨前線による集中豪雨。市内で1000戸以上が床上浸水、交通機関が停止したため、同日行われていた第10回参議院議員通常選挙に混乱も生じた[14]。
伊勢市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 伊勢市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 伊勢市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
伊勢市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
議員定数:28名
任期:2017年(平成29年)11月27日から2021年(令和3年)11月26日
構成 2015年12月8日現在[16]
※なお、衆議院議員選挙の選挙区は「三重県第4区」[17]、三重県議会議員選挙の選挙区は「伊勢市選挙区」(定数:4)[18]となっている。
いずれの旧市町村域も大字以下の変更はない[注 1] 。
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市内各地にぎゅーとら、マックスバリュ中部、とよはた、オークワなどがスーパーマーケットを、ジップドラッグやスギ薬局などがドラッグストアを展開している。中心市街地には、伊勢銀座新道商店街や伊勢高柳商店街を始め、多くの商店街が存在する。
(2012年12月現在)
※伊勢市内の郵便番号は以下のとおり(特記無しは伊勢郵便局の集配担当)。
伊勢市は三重県南部では最大の都市であり、三重県南部ほぼすべてを周辺人口に含むため、文化施設と高等学校が多い。
全ての学校にエアコンが設置されている[23]。
中心となる駅は近鉄とJR東海の両社が接続し、外宮最寄りの中心市街地に位置する伊勢市駅であるが、近鉄に限れば、列車運行上の拠点(一部終点)となっている宇治山田駅の方が利用者は多くなっている。
かつては伊勢電気鉄道本線(後の参宮急行電鉄伊勢線。1930年 - 1942年。大神宮前駅など)、路面電車の神都線(1903年 - 1961年)、ケーブルカーの朝熊線(1925年 - 1944年)も存在した。
2003年度には、伊勢神宮を中心として年間約550万人の観光客が訪れた。式年遷宮が催行された2013年には26,412,049人が来訪[25]、伊勢神宮には14,204,816人が参拝した[26]。
また、近畿地方内の多くの小学校が修学旅行先としており、JRや近鉄の臨時列車も運行される。観光ガイドでは、「伊勢・奈良・京都」が「3点セット」とされる事がある。
2012年6月1日より、それまで市の緑化推進キャラクターだった「花照ちゃん」(2009年開催の「全日本花いっぱい伊勢大会」のマスコットとして公募)が市の観光PRキャラクターに任命され、名前もひらがな表記の「はなてらすちゃん」に改められた[27]。
2017年には市内の三重県営サンアリーナにて第27回全国菓子大博覧会が開かれ、58万4100人が訪れた。
伊勢ではこれまでに数多くの博覧会が開催されている。既に1873年(明治6年)には、文明開化を意図して神宮司庁と度会県庁の共催で実施されている[33]。観光的な意図をもって博覧会が開催されるようになったのは、昭和以降である[33]。以下に挙げる博覧会のうち、平成に入ってから開催された世界祝祭博覧会以外は、「伊勢の博覧会男」の異名を持ち、宇治山田市長を務めた北岡善之助が開催に関与している[34]。
※すべて三重県指定伝統工芸品。
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