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日テレ・東京ヴェルディベレーザ
東京都稲城市を本拠地とするWEリーグに所属する女子サッカーチーム ウィキペディアから
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日テレ・東京ヴェルディベレーザ(にっテレ・とうきょうヴェルディベレーザ、英語: Nippon TV Tokyo Verdy Beleza)は、日本の東京都北区・板橋区・足立区・稲城市・日野市・多摩市・立川市・東大和市をホームタウンとする、WEリーグに所属する女子サッカーチームである。
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概要
「ベレーザ」とはポルトガル語で「美人」を意味する。伊賀フットボールクラブくノ一とともに、日本女子サッカーリーグ(JLSL→L・リーグ→なでしこリーグ)発足時から加盟しており、唯一2部降格がない。主要のアジア・全国タイトル獲得数は、WEリーグ所属チーム中最多の計53回である。運営会社は東京ヴェルディ株式会社(日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟する東京ヴェルディの運営会社)である[3]。東京V同様に、下部組織として「メニーナ」(ポルトガル語で「少女」を意味する)及び「メニーナ・セリアス」(同「真面目な少女」)を有し、女子ユース代表他に多数の選手を輩出している。
呼称と略称は、2020年1月からそれぞれ「日テレ・ベレーザ」と「日テレ」と定めたが[4]、2021年4月から施行されたWEリーグ規約の第3章第22条によりチーム名、呼称、略称に地域名を含めることが定められたため、WEリーグ開幕以降は呼称を「日テレ・東京ベレーザ」、略称を「東京NB」としている。ただし、略称については一部報道機関が「日テレ・東京V」、または「東京V」と表記している場合もある。
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歴史
- 1981年:東京ヴェルディの前身となる読売サッカークラブの女子チーム「読売サッカークラブ女子・ベレーザ」として発足[5]。東京都リーグ2部に参加した。当初は読売クラブの女性ファンを対象に「選手に近づける」ことを目的として作られた面もあったが、本格的なコーチングを行うことにより女子サッカーの普及・向上を目指すことになった。1984年に都リーグ1部に昇格。なお、皇后杯全日本女子サッカー選手権大会には第5回大会(1983年)から出場している。
- 1989年:日本女子サッカーリーグが発足した際は、創設メンバー(6クラブ)のひとつとして参加。清水FCレディースとの開幕戦(9月9日)で勝利を収めた。この第1回リーグでは清水FCレディースに次ぐ2位[注 2]
- 1990年:第2回リーグから4連覇し、野田朱美、高倉麻子、手塚貴子、小野寺志保、大竹奈美らを擁したベレーザは常にリーグ戦、全日本女子サッカー選手権大会でも優勝を争った。
- 1994年:西友とスポンサー契約を結び、名称を読売西友ベレーザへ変更。
- 1998年:西友とのスポンサー契約解消により名称を読売ベレーザへ変更。
- 1999年:スポンサーが日本テレビ完全出資のNTV FCに変更[注 3]されたことによりNTVベレーザに変更。
- 2000年:日本テレビがロゴ変更及び略称を「日テレ」に統一するCIが導入されたのに合わせ、日テレ・ベレーザとなる(なお2001年からNTV FCは稲城市などとの共同経営となった)。この間、ベレーザは1994年からリーグ優勝を逃していたが、1998年の第10回リーグで3連覇を成し遂げた日興證券ドリームレディースが同年度限りで廃部、続く1999年の第11回リーグで優勝したプリマハムFCくノ一が翌2000年からは伊賀フットボールクラブくノ一として再編・規模縮小するなど、いわゆる「女子サッカー冬の時代」[注 4]。第12回リーグで7年ぶりに優勝。2002年シーズンまでリーグ戦で3連覇を果たした。
- 2004年:澤穂希、荒川恵理子、酒井與恵(2007年の結婚により加藤與恵に改姓)、小林弥生がアテネオリンピックサッカー日本女子代表(なでしこジャパン)に選ばれ、チームの主軸として支えた。
- 2005年:TASAKIペルーレFCから川上直子が移籍。L・リーグで3年ぶりの優勝を21戦18勝3分の「無敗優勝」を成し遂げ、更に晴れの国おかやま国体[注 5]、皇后杯全日本女子サッカー選手権大会も優勝。日本の女子サッカー史上初の単独チームによる「事実上の」三冠を無敗により達成[注 6]。更にリーグ戦前に行われたなでしこスーパーカップでもPK戦により勝利しているため、これを含めると「四冠」というリーグ随一の強豪クラブとなった。
- 2006年:リーグ最終節・TASAKIペルーレ戦で2年ぶりのリーグ戦における敗戦を喫したが、プレーオフでは3戦全勝し連覇を達成。この年に誕生した「1億円のティアラ」の初戴冠チームとなった。
- 2007年:リーグ戦でシーズン10度目の優勝を果たすと共に、なでしこスーパーカップ、なでしこリーグカップ (この年に新設)、そして第29回全日本女子サッカー選手権大会の全てに優勝して「四冠」を達成した。
- 2008年:北京オリンピック、FIFA U-20女子ワールドカップ及びFIFA U-17女子ワールドカップにサッカー日本女子代表(なでしこジャパン)へ選手が招集される中、ケガ人を多く出す苦しいシーズンとなったが、チーム一丸となって、リーグ戦での4連覇と第30回全日本女子サッカー選手権大会での連覇を達成した。
- 2009年10月21日:ベレーザを運営していた日本テレビフットボールクラブ(後に東京ヴェルディ1969フットボールクラブへ商号を変更)の株式を日本テレビが外部に売却して、クラブ運営から撤退した[6]。なお、日テレは運営撤退後もチーム名の命名権を保有し、チーム名は「日テレ・ベレーザ」のままとなった。
- 2010年:深刻な経営危機に陥ったヴェルディが一時的にJリーグ管理となった。その後、バディ企画研究所を筆頭株主とした新たな経営陣が発足[7]する事でこの危機は免れたものの、さらなる経費削減策がとられた結果、同年に2年ぶりのリーグ優勝を果たしたベレーザでもプロ選手の澤穂希[注 7]とシーズン得点王だった大野忍の2人と契約更新を行わなかった。その結果、アマチュア選手ながらなでしこメンバーとなっていた近賀ゆかりと南山千明を加えた4人がベレーザを退団し、2010年7月にベレーザ監督を解任された星川敬を監督として同年度の第32回全日本女子サッカー選手権大会で優勝していたINAC神戸レオネッサへと揃って移籍した。2010年は開幕前の1月に永里優季、7月に宇津木瑠美がそれぞれ海外リーグへ移籍し、さらに3月には荒川恵理子が浦和レッズレディースへと移籍、12月のシーズン終了後には中地舞が引退するなど、ベレーザ生え抜きの主力選手の多くがベレーザを離れる事となった。
- 2011年:前年11月に新監督となった野田朱美が引き続き指揮を執り、なでしこジャパンメンバーの岩清水梓[注 8]をはじめ、小林弥生や伊藤香菜子らのベテランと岩渕真奈・永里亜紗乃・木龍七瀬ら若手FW陣との融合が図られ、リーグ連覇は逃したもののINAC神戸に次ぐ2位となった。岩清水は2011 FIFA女子ワールドカップ初優勝とロンドンオリンピック予選での本大会出場権獲得の中心選手ともなり、メディアからも大きく注目されるようになった。10月にはベレーザが岩清水と2015年1月までのプロ契約を結び、岩清水は将来のクラブ運営参加に備えてクラブプロデュース部に所属する事になった[8]。また、ワールドカップでは岩渕、オリンピック予選では永里も出場して、チーム力の向上につながる経験を積んだ。年末の第33回全日本女子サッカー選手権大会ではアルビレックス新潟レディースに準決勝で敗れた[注 9]。
- 2012年:9月9日に行われたなでしこリーグカップ2012決勝でINAC神戸を破り大会3連覇を達成。11月、リーグカップ王者として出場した第1回国際女子サッカークラブ選手権では大会3位の成績を収めた。
- 2015年:1月1日に行われた皇后杯決勝で浦和を破り5年ぶり11回目の優勝を達成。また、なでしこリーグでも2010年以来5年ぶりに優勝。
- 2016年:9月3日に行われたなでしこリーグカップ決勝でジェフ市原を破り大会4年ぶりの優勝を達成。また、なでしこリーグでも2連覇を達成。
- 2017年:なでしこリーグで3連覇を達成。皇后杯では、決勝でノジマステラ神奈川相模原を破り3大会ぶり12回目の優勝を達成。
- 2018年:なでしこリーグを4連覇、なでしこリーグカップも2年ぶり5回目の優勝を果たす。更に翌年の皇后杯も決勝でINAC神戸を破って優勝、国内タイトル三冠を達成した。
- 2019年:なでしこリーグを5連覇、なでしこリーグカップも2年連続6回目の優勝を果たす。また、皇后杯も決勝で浦和を破って優勝、国内タイトル三冠を達成した。更に、AFC女子クラブ選手権も優勝し、年間獲得タイトル四冠を果たした。
- 2020年:皇后杯3連覇を達成。チーム名を日テレ・東京ヴェルディベレーザに変更し、チームエンブレムも新調することを発表[9]。10月15日、2021年から新しく発足するWEリーグへの参入が承認された[10]。
- 2021-22シーズン:WEリーグ開幕戦、ホームで浦和に敗れ、皇后杯でも千葉Lにベスト8で敗れ皇后杯4連覇を逃し、8年ぶりに無冠に終わった。
- 2022-23シーズン:WEリーグカップ決勝では3-0から浦和に追いつかれ、PK戦2-4で敗れ、準優勝に終わったが[11]、皇后杯決勝でINAC神戸を4-0で破り、2大会ぶり16回目の優勝を果たした[12]。
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年度別成績
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- 1992年まで「勝ち点制」(勝ち2、引き分け1、負け0)を採用。
- 前後期制を採用した1993年から1999年までの成績は年間順位。
- 予選(地区)リーグと決勝リーグを採用した2000年から2003年までの成績は年間順位。チーム数は両地区の合計チーム数。
- 1999年から「勝ち点制」(勝ち3、引き分け1、負け0)を採用。
- 2004年から二部制に移行。チーム数は所属リーグのみ。
- 2003年まではシーズン名に「第○回」と表記されていたが、2004年からは西暦年で表記するようになった。
- 2006年は、8チーム2回戦総当たりの「レギュラーリーグ」(RL)後、その順位に基づき上位と下位の各4チームによる1回戦総当たりの「プレーオフ」(PO)を実施。試合数はRLとPOの合計。成績は年間順位。
- 2014年から10チーム2回戦総当たりの「レギュラーシリーズ」後、その順位に基づき上位6チームと下位4チームによる2回戦総当たりの「エキサイトシリーズ」を実施。試合数は両シリーズの合計。成績はエキサイトシリーズの年間順位。
獲得タイトル
- WEリーグ:1回
- 皇后杯 JFA 全日本女子サッカー選手権大会:16回
- AFC女子クラブ選手権:1回
- 日韓女子リーグチャンピオンシップ:1回
- 2011
- 日本女子サッカーリーグ:17回
- なでしこリーグカップ:6回
- L・リーグカップ:2回
- 1996, 1999
- なでしこスーパーカップ:2回
- 2005, 2007
- 国体:1回
- 2005
- 清水市長杯・全日本チャンピオンズカップ:4回
- 全日本選抜女子サッカー大会:2回
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エンブレム
基本的には東京ヴェルディと同様。
- -2009年:円形の上部にFC NIPPON、下部にBELEZA。
- 2010年-2012年:円形の上部の表記が「TOKYO VERDY 1969」に変更、ロゴの右下に創設年である1981と書かれている。
- 2013年:円形の上部の表記が「日テレ BELEZA」(日テレのロゴは、2012年12月まで使用したもの)、下部を「TOKYO VERDY 1969」にそれぞれ変更。
- 2014年-2019年:日テレのロゴが現行仕様(2013年1月以降使用)のもの(表記は「0テレBELEZA」)に変更。
- 2020年-:東京ヴェルディのリブランディングに伴うクラブエンブレムのリニューアルに倣う形で変更(基本的に東京ヴェルディの新エンブレムと同じだが、エンブレムの下部に「0テレBELEZA」表記が追加される)。
スタジアム
ホームゲームスタジアムは、WEリーグ開幕以降は味の素フィールド西が丘となる。それ以前は多摩市立陸上競技場、稲城中央公園総合グラウンド、味の素スタジアム西競技場などでも開催されていた。
- 味の素フィールド西が丘
- 稲城中央公園総合グラウンド
シーズン別入場者数
要約
視点
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- スタジアム欄の太字はホームスタジアムに登録されている競技場。
- 入場者数の太字は、所属リーグ毎の歴代最多
- 入場者数の斜字は、所属リーグ毎の歴代最少
- 試合数および入場者数データはリーグ戦のみ。
シーズン | 所属 | 合計 入場者数 | 最多入場者数 | 最少入場者数 | 平均 入場者数 | 試合数 | ホームゲーム 開催スタジアム | ||||||||
動員数 | 相手 | 会場 | 動員数 | 相手 | 会場 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||||
2010 | なでしこ | 8,477 | 1,813 | 浦和 | 西が丘 | 500 | 湯郷べル | 平塚 | 942 | 9 | 西が丘(3)、稲城(1)、大和(1)、ひたち(1)、 相模原(1)、平塚(1)、上柚木(1) |
多摩(1)、平塚(1) | |||
2011 | 14,558 | 3,750 | 伊賀FC | 平塚 | 350 | 新潟L | 1,820 | 8 | 西が丘(2)、平塚(2)、駒沢(2)、大和(1)、稲城(1) | (開催中止) | |||||
2012 | 38,254 | 16,663 | I神戸 | 国立 | 1,035 | 大阪高槻 | 味スタ西 | 4,250 | 9 | 味スタ西(2)、多摩陸上(1)、駒沢陸上(1)、岩手陸上(1)、 秋田陸上(1)、味フィ西(1)、国立(1)、稲城(1) |
夢の島(1)、BMWス(1) | ||||
2013 | 12,274 | 2,719 | 湯郷べル | 春野陸上 | 833 | 新潟L | 多摩陸上 | 1,364 | 9 | 多摩陸上(2)、味スタ西(1)、春野陸上(1)、秋田陸上(1)、 大和スポ(1)、盛岡南(1)、稲城(1)、味スタ(1) |
ひたちなか(1)、BMWス(1)、
釧路陸上(1)、味フィ西(1) | ||||
2014 | 18,547 | 2,463 | 浦和 | 味フィ西 | 399 | 吉備国大 | BMWス | 1,325 | 14 | 多摩陸上(4)、味フィ西(3)、大和(2)、味スタ西(1)、 秋田陸(1)、駒沢陸上(1)、ひたちな(1)、BMWス(1) |
(開催無し) | ||||
2015 | なでしこ1部 | 20,456 | 4,373 | I神戸 | 704 | ジェフL | 多摩陸上 | 1,705 | 12 | 多摩陸上(3)、味フィ西(3)、味スタ西(1)、ひたちな(1)、 ニッパツ(1)、大和(1)、駒沢陸上(1)、BMWス(1) | |||||
2016 | 10,202 | 2,068 | 浦和 | 460 | コノミヤ | 大和 | 1,134 | 9 | 多摩陸上(3)、味フィ西(2)、江戸川(1)、ひたちな(1)、 大和(1)、味スタ西(1) |
多摩陸上(1)、味フィ西(1)、 BMWス(1)、夢の島(1) | |||||
2017 | 9,264 | 1,842 | I神戸 | 579 | 伊賀FC | 多摩陸上 | 1,029 | 9 | 多摩陸上(3)、味スタ西(2)、味フィ西(2)、大和(1)、 ひたちな(1) |
味スタ西(1)、多摩陸上(1)、 味フィ西(1)、夢の島(1) | |||||
2018 | 12,147 | 4,663 | I神戸 | 493 | ジェフL | 大和 | 1,350 | 9 | 味スタ西(3)、味フィ西(3)、多摩陸上(1)、ひたちな(1)、 大和(1) |
多摩陸上(1)、駒沢陸上(1)、 味スタ西(1)、味フィ西(1) | |||||
2019 | 14,005 | 4,496 | I神戸 | 975 | 伊賀FC | 味フィ西 | 1,556 | 9 | 味フィ西(6)、AGF(2)、ひたちな(1) | 味フィ西(2)、AGF(2) 大和(1)、BMW(1) | |||||
2020 | 5,758 | 1,349 | I神戸 | 0[注釈 1] | ノジマ | 640 | 9 | 味フィ西(7)、AGF(1)、多摩陸上(1) | (開催中止)[13] | ||||||
2021-22 | WE | 16,880 | 2,801 | I神戸 | 味フィ西 | 848 | AC長野 | 味フィ西 | 1,688 | 10 | 味フィ西(9)、味スタ(1) | (開催無し) | |||
2022-23 | 13,773 | 2,210 | 浦和 | 819 | EL埼玉 | 1,377 | 10 | 味フィ西(10) | AGF(1)、多摩陸上(1) | ||||||
2023-24 | 14,943 | 2,643 | 浦和 | 811 | C大阪 | 1,358 | 11 | 味フィ西(11) | 味フィ西(3) | ||||||
2024-25 | 16,665 | 2,921 | 浦和 | 594 | C大阪 | 1,515 | 11 | 味フィ西(11) | 味フィ西(3) |
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ユニフォーム
チームカラー
- グリーン
ユニフォームスポンサー
ユニフォームサプライヤー
歴代ユニフォームスポンサー
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チーム名変遷
- 1981年(創部) - 1991年 読売サッカークラブ女子・ベレーザ
- 1992年 - 1993年 読売日本サッカークラブ女子ベレーザ
- 1994年 - 1997年 読売西友ベレーザ
- 1998年 読売ベレーザ
- 1999年 NTVベレーザ
- 2000年 - 2019年 日テレ・ベレーザ
- 2020年 - 現在 日テレ・東京ヴェルディベレーザ[9]
歴代監督
(日本女子サッカーリーグ開幕以降)
- 1989年 - 1996年 竹本一彦 (1992年のみ総監督・小見幸隆)
- 1997年 森栄次
- 1998年 - 1999年 松田岳夫
- 2000年 - 2001年 大須賀まき
- 2002年 - 2004年 宮村正志
- 2005年 - 2008年 松田岳夫
- 2009年 - 2010年7月 星川敬
- 2010年8月 - 2010年10月 森栄次 (東京ヴェルディコーチ兼任)
- 2010年11月 - 2012年 野田朱美
- 2013年1月 - 2014年 寺谷真弓
- 2015年 - 2017年 森栄次
- 2018年 - 2020年 永田雅人
- 2021年 - 2023年 竹本一彦
- 2023年 - 2025年 松田岳夫
- 2025年 - 現在 楠瀬直木
在籍選手・スタッフ
要約
視点
スタッフ
選手
Pos | No. | 選手名 | 生年月日 (年齢) | 前所属 | 在籍年 | メニーナ出身 | 備考 |
GK | 1 | ![]() |
2003年9月5日(21歳) | ![]() |
2022年 - | 〇 |
副キャプテン 元U-20日本女子代表 世田谷区出身 |
21 | ![]() |
2002年8月27日(22歳) | ![]() |
2025年 - | - |
新加入 江戸川区出身 | |
DF | 3 | ![]() ![]() |
1994年10月23日(30歳) | ![]() |
2013年 - | 〇 |
キャプテン 元日本女子代表 世田谷区出身 |
4 | ![]() |
1996年5月3日(29歳) | ![]() |
2012年 - 2022年 2025年 - |
〇 |
復帰 元日本女子代表 | |
5 | ![]() |
2001年3月27日(24歳) | ![]() |
2019年 - | 〇 |
||
15 | ![]() |
2005年6月3日(20歳) | ![]() |
2024年 - | 〇 |
||
16 | ![]() |
2008年7月7日(17歳) | ![]() |
2025年 - | 〇 |
U-20日本女子代表 練馬区出身 | |
17 | ![]() |
2004年4月15日(21歳) | ![]() |
2023年 - | 〇 |
||
22 | ![]() |
2003年9月17日(21歳) | ![]() |
2022年 - | 〇 |
西多摩郡瑞穂町出身 | |
33 | ![]() |
1986年10月14日(38歳) | ![]() |
2003年 - | 〇 |
元日本女子代表 | |
MF | 6 | ![]() |
1996年1月12日(29歳) | ![]() |
2011年 - 2018年 2025年 - |
〇 |
復帰 元日本女子代表 |
7 | ![]() |
1999年11月25日(25歳) | ![]() |
2021年 - | - |
日本女子代表 | |
8 | ![]() |
1994年3月3日(31歳) | ![]() |
2025年 - | - |
新加入 日本女子代表 | |
10 | ![]() |
2000年10月30日(24歳) | ![]() |
2019年 - | 〇 |
副キャプテン 日本女子代表 福生市出身 | |
14 | ![]() |
2007年2月5日(18歳) | ![]() |
2025年 - | 〇 |
日本女子代表 大田区出身 | |
18 | ![]() |
2006年6月8日(19歳) | ![]() |
2024年 - | 〇 |
U-20日本女子代表 | |
19 | ![]() |
1997年11月1日(27歳) | ![]() |
2025年 - | - |
新加入 日本女子代表 | |
30 | ![]() |
1988年12月5日(36歳) | ![]() |
2002年 - 2010年 2021年 - |
〇 |
元日本女子代表 | |
FW | 9 | ![]() |
2002年9月1日(22歳) | ![]() |
2021年 - | 〇 |
日本女子代表 |
11 | ![]() |
2005年10月9日(19歳) | ![]() |
2024年 - | 〇 |
日本女子代表 世田谷区出身 | |
13 | ![]() |
2004年7月8日(21歳) | ![]() |
2023年 - | 〇 |
世田谷区出身 | |
20 | ![]() |
1997年7月21日(28歳) | ![]() |
2016年 - 2023年 2024年 - |
- |
元日本女子代表 | |
25 | ![]() |
2004年10月25日(20歳) | ![]() |
2025年 - | - |
新加入 シンガポール女子代表 | |
期限付き移籍中の選手
- 移籍先が太字は、当該選手が東京NBと対戦する公式戦に出場不可。
Pos | 選手名 | 生年月日(年齢) | 在籍年 | メニーナ出身 | 移籍先 | 移籍期間 | 備考 |
GK | ![]() | 2000年3月17日(25歳) | 2018年 2021年 - 2025年 | 〇 | ジェフユナイテッド市原・千葉レディース | 2025年6月5日 - 2026年6月30日 | 元日本女子代表 |
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背番号変遷
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1-10
11-20
21-30
31-41
歴代所属選手
下部組織
要約
視点
多くのなでしこリーガーを輩出する日テレ・東京ヴェルディメニーナを有し、ベレーザも多くの選手がメニーナ出身。中学生から高校生が所属するチームだが、最近では2014年1月に全日本女子ユースを4連覇するなど、日本女子ユース世代を牽引している。2012年3月には、中学生年代の育成チームである日テレ・メニーナ・セリアスを新たに設立し[23]、Jr.ユース世代の育成にも本格的に取り組み始めた。メニーナ、セリアス共に厳しいセレクションにより選ばれた選手で構成されており、高い技術に裏打ちされたパスサッカーは、ベレーザのスタイルを受け継いでいる。
2021年シーズンよりセリアスはメニーナに統合された[24]。
日テレ・東京ヴェルディメニーナ
獲得した全国タイトルは、全国女子ユースチーム最多の計18回である。
- JFA U-18女子サッカーファイナルズ 優勝2回(2023年、2024年)
- 日本クラブユース女子サッカー大会 (U-18) 優勝2回(2023年、2024年)
- 全日本女子ユース (U-18)サッカー選手権大会 優勝11回(1999年度、2005年度、2010年度、2011年度、2012年度、2013年度、2014年度、2018年度、2020年度、2022年度、2024年度)
- 関東女子サッカーリーグ 優勝2回(2006年度、2020年度)
- 全日本女子ユース (U-15)サッカー選手権大会 優勝3回(2001年度、2014年度、2021年度)
出身選手
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脚注
関連項目
外部リンク
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