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日本の男性声優、ナレーター、俳優 (1952−2010) ウィキペディアから
郷里 大輔(ごうり だいすけ、1952年2月8日[7] - 2010年1月17日[5][7][11])は、日本の声優、ナレーター、俳優。本名・旧芸名は、長堀 芳夫(ながほり よしお)。東京都江東区出身[5]。青二プロダクションに所属していた[9]。
東京都立化学工業高等学校[12]、テレビタレントセンター東京校卒業[5]。
レストランのニュートーキョーで皿洗いのアルバイトをしながら「これからどうしようか」と考えていたところ、偶然夕刊に黒沢良が設立した声優学校の記事が載っており、それを読んだ時「僕は勉強が得意じゃなかったけど、本を朗読することはいつも褒められたな。なら、声優という世界は自分に合っているかもしれない」と気が付いたのが声優を始めたきっかけだという。当時は舞台役者から声優業を始める人物が多かったが、自分は声優をやりたくて仕事を始めたと語っている[2]。
記事に掲載されていた声優学校の試験を1年間待っていたが、結局その学校は翌年募集がなかったため、テレビタレントセンターの養成所へ行き、永井一郎に演技のイロハを教わる[2]。
新人時代よりデビュー後しばらくは、当時同期だった井上和彦と一緒にアルバイトを掛け持ちしながら活動する[2][3]。二人で原稿を作って台詞やナレーションの勉強をしたり[3]、ラジオドラマを作ってラジオ局へ送ったりしていた[2]。二人ともあまり芝居の経験がなかったため、「いやー芝居って何だろうね井上ちゃん」「わかんないよね。でもあの人上手いよね。何で上手いんだろうね」と話しながらカセットテープにラジオやテレビのセリフを録音して台本を作って練習したりなど、研究していた。井上は後年「彼がいなかったら、たぶん声優にはなっていなかったと思います」と振り返っている[13]。
アニメのデビュー作は、1973年に放送された『キューティーハニー』でのナレーション[14]。
1979年、『機動戦士ガンダム』にてドズル・ザビを演じる。以降は本人いわく「ケダモノ役」が専門になったという[15]。
吉沢演劇塾、江崎プロダクションを経て、青二プロダクションに所属した[5]。
デビュー当初から吹き替えが中心だったが、青二への移籍後は初めてナレーションを務めた。また、着ぐるみをかぶってのテレビ出演、歌の披露などを経験することが多かったという[8]。
2008年、俳優として山田洋次監督作品『母べえ』に出演した[14]。
2010年1月17日午後3時頃、東京都中野区本町の路上で、腕や手首などから血を流し倒れているところを通行人に発見され、死亡が確認された[11][6]。現場付近には、家族宛てに「ごめんね」「ありがとう」などと書かれた走り書きのメモやカッターナイフがあったことから、自殺による失血死とみられている[11][6]。57歳没。所属する青二プロダクションからは、死因が急性心不全と発表された[16]。死の数年前から糖尿病を患い、網膜剥離を併発して視力が極端に低下したことで悩んでいたといい、仕事の度に「台本が読めない。思うように仕事ができない」と愚痴をこぼしていたという[6]。
趣味は義太夫、ジャズを聴くこと。1990年の時点では盆栽にも興味があるという[18]。
太く迫力ある声に定評があり[14]、悪役や豪放・豪傑な人物、大柄で筋肉質なキャラクターを演じることが多い[19]。
ゴツい役の他、『サクラ大戦』のミュージカルでオカマ役や『機動警察パトレイバー』の山崎ひろみなど気弱な役も演じている。オカマ役を演じる機会も意外と多いという[2]。
演じることの多い悪役のイメージとは対照的に、温和で非常に優しい性格である。しかし本気で怒らせると非常に怖かったという[20]。自分の地は「すごく恥ずかしがり屋で気弱」とのことで、そういう部分を隠すためにドズル・ザビのような強い役をやってみたいという[2]。
本人によると、多く担当する「強いケダモノ系のキャラクター」を演じる際は強さだけを表現するだけではなく、その中にも愛情や苦しみなど複雑な面があることを意識してを演じていたという[19]。
美形の役を演じたいという願望があったようで、『機神咆吼デモンベイン』でカリグラを演じた際は当初「今回も美形じゃないのか、ハ〜〜〜〜」と残念がっていた[21]。
小学生の頃までは高い声だった。高校3年の時に低い声の友達がおり、「いい声だなぁ。俺もそういう声になりたいよ」と言うと「自分だって声が低いじゃないか」と返され、気付かないうちに声変わりで低くなっていたという[2]。
19歳の頃に研究開発の仕事をしていた[2]。
声の仕事の他、舞台活動も行っており、テレビでは大きな声を出してもボリュームを絞られたり現場でミキサーに抑えられたりするが、舞台は大きな声がそのボリュームのまま伝わり、また自分なりに色んな工夫もできて直接反応も受けられるため舞台も好きだという[2]。
野沢雅子によると「本人もがっちりしていてゴツいイメージがある」といい、「芸名を長堀芳夫から郷里大輔に変更しようと思うんです。」と改名の相談をされたところ、野沢は彼のイメージから「なに? ゴリラ? じゃないよね。なんていうの?」と聞き返してしまったという[22]。
声優の井上和彦とは、養成所で会って以来の親友同士で、デビュー前や新人時代の数年間は同じ場所でアルバイトをしていた。2人で接客をしながら発声練習をするなど共によく勉強をしたといい、念願の共演を果たした際は焼鳥屋で2人して泣きながら呑んだという[3]。なお、郷里と井上は様々な作品で多数共演しており、収録スタジオで会う度に談笑していたという[注 1]。
同じ事務所の古川登志夫からは「ゴッチ」の愛称で呼ばれていた。古川が主宰していた劇団青杜の「うさぎはねている」公演時には、忙しい仕事の合間を縫って客演したという[23]。
羽佐間道夫からは「ゴーリー」の愛称で呼ばれていた。羽佐間は郷里について「若山弦蔵と並ぶ日本人離れした声の持ち主」と評しており、『ミッドナイト・ラン』で共演した際の演技についても「素晴らしかった」と絶賛していた。また、羽佐間は自身の当たり役として有名な『ロッキー』シリーズのシルベスター・スタローンの吹き替えに関しても「もしキャスティングし直せるなら、ゴーリーにやらせたかった」とも語っていた[4]。
突然の訃報は、多くのファンに衝撃を与えた。数日前の1月13日には、多数の作品で共演した同事務所所属だった田の中勇も死去していたため、相次ぐ訃報であったことも大きな影響を与えたという[6][24]。
『ドラゴンボールZ』でミスター・サタンの娘ビーデルを演じた皆口裕子は、「もしも『ドラゴンボール改』が続いて、ビーデルを演じる時が来たとしても…郷里さんがミスターサタンじゃないなら、私もビーデルやりたくないと泣き、みんなを困らせました」と、自身のブログで心境を吐露している[25]。
『ビートたけしのTVタックル』では、2010年1月25日放送のエンディングで、同番組のナレーションを務めていた郷里の死去に対するお悔やみの言葉を添えて放送した。
『クレヨンしんちゃん』では双葉商事の部長を演じていたが、郷里の死後約5年間は台詞なしでの登場、もしくは名前のみでの登場となった(2015年公開の劇場版23作目と同年6月以降のテレビアニメ版からは大友龍三郎が担当している)。
郷里が複数役で出演していた『スターフォックス64』では、リメイク版の『スターフォックス64 3D』で郷里の死去を理由にキャストが総入れ替えされた。
『週刊プレイボーイ』2010年2月22日号では、同誌連載の『キン肉マンII世 究極の超人タッグ編』の扉ページに、アニメ版にて郷里の持ち役だったロビンマスクが掲載された。原作者ゆでたまごのうち原作を担当する嶋田隆司は「唯一無二の声優だっただけに、わたしの心に穴がポッカリあいてしまいましたが、これからも誠心誠意ロビンを描いていくことを誓います」と、自身のブログで発表した[26]。
「戦国無双シリーズ」では、郷里がナレーターや武田信玄役を務めた『戦国無双3』の公式サイトで追悼のメッセージが掲載された。
ラジオ番組『YAGアニメラボ』(ニッポン放送)が行った2010年3月31日の公開録音にて、同局アナウンサーの吉田尚記の私物をプレゼントする企画では、ゲーム『ヴィーナス&ブレイブス〜魔女と女神と滅びの予言〜』のサイン入り台本がプレゼントされるはずだったが、観客や吉田の意思を尊重し、郷里のサイン入り台本のみ除外された。
郷里の死後、持ち役・ナレーションを引き継いだ人物は以下の通り。ただし、声優を総入れ替えした作品については対象外としている。
太字はメインキャラクター。
2011年以降の出演作品は生前の収録音声を引用したライブラリ出演。
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