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福岡県の市 ウィキペディアから
久留米市(くるめし)は、福岡県の南部、筑後地方に位置する市。中核市であり、福岡市、北九州市に次いで福岡県では第3位、九州全体では第8位の人口を擁している。
くるめし 久留米市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 福岡県 | ||||
市町村コード | 40203-6 | ||||
法人番号 | 8000020402036 | ||||
面積 |
229.96km2 | ||||
総人口 |
299,037人 [編集] (推計人口、2024年8月1日) | ||||
人口密度 | 1,300人/km2 | ||||
隣接自治体 |
小郡市、朝倉市、筑後市、大川市、うきは市、八女市、三潴郡大木町、八女郡広川町、三井郡大刀洗町 佐賀県:鳥栖市、神埼市、三養基郡みやき町 | ||||
市の木 | 櫨、久留米つばき、くろがねもち、けやき、くすのき | ||||
市の花 | 久留米つつじ、コスモス | ||||
市の歌 |
久留米市の歌(1951年制定) ふるさとのささやき(2005年制定) | ||||
久留米市役所 | |||||
市長 | 原口新五 | ||||
所在地 |
〒830-8520 福岡県久留米市城南町15番3号 北緯33度19分09秒 東経130度30分30秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
福岡県の南部と佐賀県の東部にまたがる筑紫平野最大の都市。市町村制施行時(1889年4月1日)からの市である。2001年に特例市に指定され、2005年2月5日に三井郡北野町・三潴郡三潴町・三潴郡城島町・浮羽郡田主丸町を編入し人口が30万人を突破、2008年4月1日に中核市に移行した。なお2024年2月に人口減少により30万人を割り込んだ。
市域は旧三潴郡・三井郡・八女郡・浮羽郡に該当する。筑後地方の中心都市であるとともに、独自の経済圏を形成しており、久留米都市圏の人口は約43万人である。
久留米市は福岡県の南部、筑後平野に位置する。中心街である西鉄久留米駅からJR久留米駅にかけての一帯は福岡市から約40kmの場所に位置するが、2005年の周辺自治体編入により市域は東西約32km、南北約16kmとなり、東西に長い自治体となった。市の北東部から南西部にかけて、筑後川が流れている。ほぼ川に沿って境界が引かれており、筑後川が市内を貫いている部分は少ない。市の南部から南東部は耳納(みのう)連山と呼ばれる山地となっており、鷹取山・発心山・耳納山などの山々が連なっている。
2016年1月25日に久留米アメダス(標高7m)において1977年に統計開始されて以来の最低気温(気象官署・アメダス)となる-6.5度を記録した(過去の最低気温記録は1980年2月10日の-6.1度)[1]。
久留米市(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 20.0 (68) |
23.0 (73.4) |
25.6 (78.1) |
30.7 (87.3) |
35.8 (96.4) |
37.5 (99.5) |
38.5 (101.3) |
39.5 (103.1) |
37.0 (98.6) |
33.2 (91.8) |
29.6 (85.3) |
23.9 (75) |
39.5 (103.1) |
平均最高気温 °C (°F) | 10.1 (50.2) |
11.8 (53.2) |
15.4 (59.7) |
21.0 (69.8) |
25.9 (78.6) |
28.2 (82.8) |
31.8 (89.2) |
33.1 (91.6) |
29.3 (84.7) |
24.2 (75.6) |
18.1 (64.6) |
12.3 (54.1) |
21.8 (71.2) |
日平均気温 °C (°F) | 5.6 (42.1) |
6.9 (44.4) |
10.2 (50.4) |
15.2 (59.4) |
20.0 (68) |
23.5 (74.3) |
27.3 (81.1) |
28.2 (82.8) |
24.5 (76.1) |
19.1 (66.4) |
13.2 (55.8) |
7.7 (45.9) |
16.8 (62.2) |
平均最低気温 °C (°F) | 1.7 (35.1) |
2.5 (36.5) |
5.5 (41.9) |
10.1 (50.2) |
15.1 (59.2) |
19.8 (67.6) |
24.0 (75.2) |
24.6 (76.3) |
20.9 (69.6) |
14.8 (58.6) |
8.9 (48) |
3.6 (38.5) |
12.6 (54.7) |
最低気温記録 °C (°F) | −6.5 (20.3) |
−6.1 (21) |
−4.9 (23.2) |
−0.3 (31.5) |
5.9 (42.6) |
10.8 (51.4) |
16.8 (62.2) |
17.9 (64.2) |
9.9 (49.8) |
3.7 (38.7) |
−0.8 (30.6) |
−3.9 (25) |
−6.5 (20.3) |
降水量 mm (inch) | 56.0 (2.205) |
80.2 (3.157) |
122.5 (4.823) |
156.0 (6.142) |
177.7 (6.996) |
339.2 (13.354) |
376.3 (14.815) |
227.7 (8.965) |
165.4 (6.512) |
89.1 (3.508) |
89.3 (3.516) |
59.0 (2.323) |
1,938.4 (76.315) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 8.3 | 9.0 | 10.6 | 9.9 | 9.4 | 13.2 | 12.6 | 10.7 | 9.0 | 6.2 | 8.3 | 7.8 | 114.8 |
平均月間日照時間 | 125.6 | 138.6 | 170.0 | 186.6 | 191.9 | 125.3 | 173.6 | 204.6 | 178.4 | 185.2 | 147.9 | 131.3 | 1,963.9 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1977年-現在)[2][3] |
「久留米」という地名は室町時代から文献に見られ、「久留目」とも書かれた。(「報恩寺坪付帳」によると応永25年(1418年)には「久留目」という地名が記されている)
その語源については、
などの諸説があるが定説はない。
律令制下で制定された令制国の一つである筑後国の国府が置かれ、以後、筑後国の中心として栄えた。平安時代末期の長寛2年(1164年)、肥前国の豪族草野永経が現在の草野地区(旧草野町)に入り、以後約400年間、北部の山本郡は草野氏が支配し、南部の三潴郡は筑後十五城筆頭の柳川の蒲池氏と久留米市西牟田の西牟田氏が支配してきた。
天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州国分の結果、筑前・筑後と肥前のそれぞれ一部を与えられた小早川隆景の養子・秀包が久留米城に入った。関ヶ原の戦いの結果秀包は改易され、石田三成を捕らえた三河国岡崎城主田中吉政が柳川城に入り、筑後一国を治めた。元和6年(1620年)、柳川2代目藩主田中忠政が死去すると田中家は無嗣断絶となった。田中領筑後一国は南北に分けられ、うち北部に有馬豊氏が丹波国福知山(現在の福知山市)から加増移封され、以後久留米は有馬氏の統治による久留米藩の中心地となった。江戸時代は藩の殖産興業策もあり久留米絣など、商業都市として発展する。
廃藩置県によって久留米県の県庁所在地となったが、1871年(明治4年)に三潴県に統合され、1876年(明治9年)に三潴県が福岡県に統合されたため県庁所在地ではなくなった。 1897年(明治30年)に第12師団、1907年に第18師団の駐屯地になってからは軍都としても膨張、1922年(大正11年)に始まった地下足袋生産がゴム化学工業の発展に結びつく。
太平洋戦争末期、1945年(昭和20年)8月11日の久留米空襲により死者214名、焼失戸数4,506戸を出した[4]。
1949年(昭和24年)5月28日、昭和天皇が日本タイヤ工場、久留米医科大、日華ゴム工業、戦災者引揚者住宅などに行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[5]。
1953年(昭和28年)6月に九州一帯を襲った昭和28年西日本水害では、筑後川にかかる橋梁の流出や氾濫が発生。特に、宮の陣付近で発生した堤防決壊個所からは、濁流が櫛原町、篠山町を襲い多くの家屋が浸水した[6]。
1960年(昭和35年)3月19日、国立療養所久留米病院で火災。精神科病棟など3棟が全焼し、入院患者11人が焼死した[7]。病院は1994年(平成4年)に国立病院機構九州医療センターとして福岡市へ移転、統合された。
※【編入】とあるもののうち、特記ないものは久留米市への編入。
久留米市 | ||||||||||
三井郡 | 櫛原村 | 1923 | ||||||||
国分村 | 国分町(1922) | 1924 | ||||||||
御井町 | 1943 | |||||||||
山川村 | 1951 | |||||||||
上津荒木村 | ||||||||||
合川村 | ||||||||||
高良内村 | ||||||||||
宮ノ陣村 | 1958 | |||||||||
山本村 | ||||||||||
草野村 | 草野町(1894) | 1960 | ||||||||
善導寺村 | 善導寺町(1940) | 1959 | 1967 | |||||||
大橋村 | ||||||||||
北野村 | 北野町(1901) | 北野町(1955) | 2005 | |||||||
弓削村 | ||||||||||
金島村 | ||||||||||
大城村 | ||||||||||
三潴郡 | 鳥飼村 | 1917 | ||||||||
荒木村 | 荒木町 (1949) |
筑邦町(1955) | 1967 | |||||||
安武村 | ||||||||||
大善寺村 | 大善寺町(1939) | 1956 | ||||||||
城島村 | 城島町(1900) | 城島町(1955) | 2005 | |||||||
青木村 | ||||||||||
江上村 | ||||||||||
犬塚村 | 三潴町(1955) | |||||||||
三潴村 | ||||||||||
浮羽郡 | 田主丸町 | 田主丸町(1954) | ||||||||
水分村 | ||||||||||
川会村 | 筑陽村 (1951) | |||||||||
柴刈村 | ||||||||||
水縄村 | ||||||||||
竹野村 | ||||||||||
船越村(一部) |
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 任期 | 備考 |
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歴代市長[12][注釈 1] | |||||
初 | 内藤新吾 | 1889年5月17日 | 1894年4月9日 | 1期 | 前久留米藩公用人 |
2 | 田中順信 | 1894年5月21日 | 1898年10月25日 | 1期 | 前市長時の助役 |
3 | 石田瑞穂 | 1898年12月15日 | 1904年12月14日 | 1期 | 前市長時の助役 |
4 | 吉田惟清 | 1905年9月9日 | 1910年11月 | 1期 | 前久留米市会議長、弁護士、病気により辞任 |
5 | 若林卓爾 | 1910年12月29日 | 1916年12月20日 | 1期 | 岐阜県の郡長歴任後、帰郷就任 |
6 | 石津和風 | 1917年5月31日 | 1921年2月2日 | 1期 | 辞職勧告決議可決後辞任 |
7 | 船越岡次郎 | 1921年7月2日 | 1929年8月 | 2期 | 1925年、7/1離任、8/21再任、前久留米警察署長 |
8 | 石野斐夫 | 1930年1月3日 | 1938年1月10日 | 2期 | 1934年、1/11再任 |
9 | 石橋徳次郎(二代) | 1938年4月17日 | 1942年4月16日 | 1期 | 名誉市長(無給)、日本ゴム会長 |
10 | 後藤多喜蔵 | 1942年12月25日 | 1946年10月22日 | 1期 | 公職追放により辞任 |
久留米市長(公選) | |||||
11 | 岡幸三郎 | 1947年4月6日 | 1953年2月10日 | 2期 | 病気により辞任 |
12 | 山下善助 | 1952年3月12日 | 1956年2月29日 | 1期 | 杉本勝次は、次弟 |
13 | 杉本勝次 | 1956年3月1日 | 1963年1月10日 | 2期 | 前福岡県知事、北九州市長選挙出馬の為辞任 |
14 | 井上義人 | 1963年2月8日 | 1971年2月6日 | 2期 | 前市長時の助役 |
15 | 近見敏之 | 1971年2月7日 | 1987年2月6日 | 4期 | 前市長時の助役 |
16 | 谷口久 | 1987年2月7日 | 1995年2月6日 | 2期 | 前市長時の助役 |
17 | 白石勝洋 | 1995年2月7日 | 2003年2月6日 | 2期 | 元久留米市職員 |
18 | 江藤守國 | 2003年2月7日 | 2010年1月2日 | 2期 | 元久留米市職員、病気により辞任 |
19 | 楢原利則 | 2010年2月1日 | 2018年1月30日 | 2期 | 元久留米市職員、前市長時の副市長、大刀洗町出身 |
20 | 大久保勉 | 2018年1月31日 | 2022年1月30日 | 1期 | 元参議院議員 |
21 | 原口新五 | 2022年1月31日 | (現職) | 1期目 | 元久留米市議会議員 |
焼き鳥店数が人口1万人当たり約8軒であり、日本一である。また、日吉町には文化街と呼ばれる歓楽街があり、夜に賑わいをみせる。 小頭町(1、2、8、9及び11番地)、通町(2、3及び6番地)、日吉町(1-15番地)、本町(2番地)及び六ツ門町(1-3番地、5-14番地及び17-22番地)は暴力団排除特別強化地域に指定されている[16]。
ブリヂストンの創業地であり久留米工場はグループのマザープラントとして重要な生産拠点となっている。[17] 他にムーンスター、アサヒシューズと、ゴム加工品メーカーの工場が多く所在する。近年では、ダイハツ工業の子会社であるダイハツ九州の軽自動車専用エンジン工場や、東プレの子会社である東プレ九州の自動車用プレス部品製造工場などが進出し、北部九州における自動車産業集積化の一翼を担う。
また、旧城島町は筑後川沿いに数多くの酒造業が軒を連ね、伏見、灘五郷と並ぶ「日本三大酒どころ」として栄えていた。2005年の周辺町の編入により日本酒の醸造メーカーが18社となり、京都市、神戸市に次いで清酒製造場数で全国第3位と返り咲いた。
市内に本店をもつ金融機関
市内に支店をもつ金融機関
従来の製造業一辺倒からの脱却を図るために、バイオ産業の集積をめざす「福岡バイオバレープロジェクト」のもと福岡県と共同でバイオ関連産業の育成・振興が推進されている。
久留米市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 久留米市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 久留米市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
久留米市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
人口当たりの医師数は、全国トップレベルであり[注釈 3]、久留米大学医学部をはじめ PET等の最先端医療設備を持つ施設が集積した高度医療都市である。
最寄り空港は福岡空港で、高速バスも頻繁に運行されており市民に最も利用されている。また、佐賀空港へ予約制乗合タクシーが運行されている。
市内ではJR九州の3路線、西鉄の2路線、計5路線が運行されている。
久留米市から福岡市の中心部の博多まで35 kmほどであり、久留米市は移住者に対して福岡市等への通勤定期券を一部補助する制度を設けている[19]。
中心駅は久留米駅および西鉄久留米駅。市街地の中心部に位置するのは西鉄久留米駅で、乗降客数は久留米駅より2万人以上多い。
路線の詳細は各バス会社の記事を確認のこと。
市内で高速バスを利用できるバス停は、縄手・JR久留米駅・市役所前・六ッ門・西鉄久留米駅・文化センター前・十三部・千本杉・久留米インター南・久留米インターチェンジ・高速宮の陣がある。
その他、久留米市社会福祉協議会が旧田主丸町において定期運行の無料福祉バスを運行している。
また、隣接する広川町の予約型乗合タクシー「ふれあいタクシー」が市内の日高整形外科病院へ乗り入れるが、久留米市内の停留所はこの1か所のみである。
2022年9月6日、サッカーJ1リーグのアビスパ福岡と「フレンドリータウンに関する協定書」を締結[26]。しかし地理的に佐賀県と繋がりが深く、サガン鳥栖も以前からサッカー教室等を行っている。アクセスも久留米駅からサガン鳥栖のホームスタジアムのある鳥栖駅まで10分程度なのに対し、アビスパ福岡のホームスタジアムまでは1時間程度かかり、市内にはサガン鳥栖サポーターが多いのが現状である。
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