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1985年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
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日本シリーズ
個人タイトル
ベストナイン
ダイヤモンドグラブ賞
オールスターゲーム
→詳細は「1985年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第57回選抜高等学校野球大会優勝:伊野商業(高知県)
- 第67回全国高等学校野球選手権大会優勝:PL学園(大阪府)
大学野球
- 第34回全日本大学野球選手権大会優勝:法政大
- 第16回明治神宮野球大会優勝:慶応義塾大
社会人野球
メジャーリーグ
→詳細は「1985年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ:カンザスシティ・ロイヤルズ(4勝3敗)セントルイス・カージナルス
- ナショナルリーグ東地区優勝:セントルイス・カージナルス
- ナショナルリーグ西地区優勝:ロサンゼルス・ドジャース
- アメリカンリーグ東地区優勝:トロント・ブルージェイズ
- アメリカンリーグ西地区優勝:カンザスシティ・ロイヤルズ
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できごと
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1月
2月
3月
4月
- 4月6日
- 4月7日 - 第57回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、伊野商が帝京を4-0で破り初優勝[15]。
- 4月9日 - 南海ホークスの河埜敬幸が大阪球場での対近鉄戦1回の六回裏に安打を放ち、プロ通算1000安打達成。前年達成した兄の巨人の河埜和正と合わせて、日本プロ野球史上2例目、日本人では初の兄弟で達成[16]。
- 4月10日
- 4月12日 - プロ野球セントラル・リーグの開幕戦だったが、予定の全3試合が雨天中止となる[19]。
- 4月14日 - ロッテオリオンズの村田兆治が川崎球場での対西武2回戦に先発し155球2失点で完投し、1982年5月7日対日本ハム戦以来1,073日ぶりの勝利投手となる[20]。
- 4月17日 - 阪神甲子園球場での阪神対読売ジャイアンツ1回戦において、阪神は七回裏の攻撃でランディ・バースが1号3点本塁打、掛布雅之2号本塁打、岡田彰布1号本塁打とバックスクリーンへ3者連続本塁打(バックスクリーン三連発)を記録[21]。
- 4月23日 - 近鉄バファローズの仲根政裕が藤井寺球場での対南海3回戦の六回裏に2号3点本塁打を放ち、これがプロ野球通算5万本目の本塁打となる[22]。
5月
6月
- 6月2日 - ヤクルトのボビー・マルカーノが旭川スタルヒン球場での対広島8回戦の三回表に安打を放ち、与那嶺要の持つ外国人選手最多の通算1338安打を記録[28]。
- 6月4日
- 6月6日 - 阪神の山本和行が甲子園球場での対巨人11回戦の7回からリリーフ登板して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[31]。
- 6月9日 - 日本ハムファイターズの田中幸雄が後楽園球場での対近鉄9回戦でノーヒットノーランを達成[32]。
- 6月12日
- 6月13日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対阪神9回戦の三回裏に適時打を放ち、プロ通算4000塁打を達成[35]。
- 6月15日
- 6月23日 - 阪神の掛布雅之が横浜スタジアムでの対大洋12回戦の七回表に17号本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[38]。
- 6月26日 - 日本ハムの島田誠が藤井寺球場での対近鉄10回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[39]。
- 6月27日 - 巨人の西本聖が後楽園球場での対ヤクルト14回戦で勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[40]。
- 6月28日 - 巨人の槙原寛巳が甲子園球場での対阪神13回戦の七回表に1号本塁打を放ち、これが球団通算5000号本塁打となる[41]。
7月
- 7月4日 - 【MLB】アトランタのフルトン・カウンティ・スタジアムで行われたアトランタ・ブレーブス対ニューヨーク・メッツは延長19回、16-13のスコアでメッツが勝ったが、試合終了は翌7月5日の午前3時15分。現時点でメジャー史上最も遅い試合終了時刻。
- 7月5日 - 広島の衣笠祥雄が甲子園球場での対阪神10回戦の6回表に二塁打を放ち通算4000塁打、8回表に15号本塁打を放ちプロ通算450本塁打を達成[42]。
- 7月6日 - 広島の高橋慶彦が甲子園球場での対阪神11回戦の8回表に二盗を決め、プロ通算300盗塁を達成[43]。
- 7月10日
- 7月11日
- 7月13日
- 7月15日 - 近鉄の鈴木啓示が大阪市の天王寺都ホテルにて記者会見を行い、引退を正式に表明。球団は鈴木の任意引退の手続きを行う。
- 7月16日 - ロッテの西井哲夫が川崎球場での対日本ハム9回戦の9回表1イニングに登板し、プロ通算500試合登板を達成[51]。
- 7月17日 - 近鉄の羽田耕一が西武球場での対西武11回戦に先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[52]。
- 7月23日 - 藤井寺球場で史上初の開催となるオールスターゲームの第3戦が行われ、広島の山本浩二がオールスター新記録の通算14本塁打[53]。
- 7月26日
- 7月27日 - 阪急の山田久志が西宮球場での対日本ハム18回戦に先発して完投して11勝目を挙げ、プロ通算250完投を達成[56]。
- 7月30日 - 巨人は広島球場での対広島12回戦で、登板した6投手で合計16四死球を記録し1試合のチーム最多与四球のワースト新記録[57]。
8月
- 8月1日 - 元松山商監督・一色俊作が新田高校監督に就任。
- 8月4日 - 【MLB】シカゴ・ホワイトソックスのトム・シーバーが通算300勝を、カリフォルニア・エンゼルスのロッド・カルーが通算3000安打を達成。
- 8月4日 - 広島の北別府学が横浜スタジアムでの対大洋16回戦の8回表にジェリー・ホワイトから三振を奪い、プロ通算1000奪三振達成[58]。
- 8月5日 - プロ野球コミッショナー事務局長の井原宏が東京・銀座のセ・リーグ事務所にコミッショナー代行の川島廣守を訪ね、高齢と家庭の事情を理由に辞任を申し出る[59]。
- 8月6日 - 【MLB】メジャーリーグ選手会がストライキを行うが、 翌7日に妥結。試合は後日行われる。
- 8月8日
- 近鉄のリチャード・デービスが西武球場での対西武15回戦の2回表に工藤公康から26号本塁打を放ち、パ・リーグタイ記録の6試合連続本塁打、史上4人目[60]。
- 第67回全国高等学校野球選手権大会が甲子園で開幕。
- 8月10日 - 横浜大洋ホエールズのレオン・リーが広島球場での対広島戦18回戦で、初回に津田恒美から19号満塁本塁打を放ち通算200本塁打。また、3回表には20号2点本塁打、5回表には21号3点本塁打、7回表には適時安打を放ち、1試合10打点のセ・リーグ新記録[61]。
- 8月12日 - 日本航空123便墜落事故が発生し、搭乗していた阪神タイガース球団社長の中埜肇と元広島カープの竹下元章が事故で没する[62]。
- 8月14日 - 第67回全国高等学校野球選手権大会2回戦、PL学園対東海大山形戦においてPL学園が大会史上初となる毎回得点の29-7で勝利する。
- 8月15日 - 大洋の高木由一が6回表に1号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[63]。
- 8月16日
- 8月17日
- 8月21日 - 第67回全国高校野球選手権大会決勝戦で、大阪府代表のPL学園が山口県代表の宇部商に4-3で勝利し、1983年夏(第65回)以来2年ぶり3度目の優勝。清原和博が1大会新記録となる通算5本塁打を記録。桑田真澄も勝利投手となり、春夏の甲子園での通算勝利数歴代2位となる20勝目を挙げる。
- 8月23日 - ナゴヤ球場での近鉄対阪急17回戦で羽田耕一が3回裏に10号2点本塁打を放ち、プロ通算200本塁打を達成[66]。阪急の石嶺和彦が8回表に岩本好広の代打で出場し9号本塁打を打ち、パ・リーグタイ記録のシーズン代打本塁打6本[67]。
- 8月27日 - ヤクルトの若松勉が神宮球場での対大洋13回戦の九回裏に安打を打ち、プロ通算3000塁打を達成[68]
- 8月30日 - 阪神の弘田澄男が甲子園球場での対大洋19回戦の四回裏に代打で出場し、プロ通算1500試合出場を達成[69]
9月
- 9月10日 - 阪神が横浜スタジアムでの対大洋21回戦でセ・リーグ新記録の1試合10二塁打を記録[70]。
- 9月11日
- ヤクルトの杉浦享が神宮球場での対広島23回戦の4回裏に29号2点本塁打、6回裏に30号本塁打を放ちプロ通算150本塁打を達成[71]。
- 【MLB】シンシナティ・レッズのピート・ローズがタイ・カッブの保持していた通算4191安打のメジャー記録を更新する4192安打目を記録。
- 9月17日 - 阪急の福本豊が後楽園球場での対日本ハム24回戦の一回表に10号本塁打を放ち、プロ通算1500得点を達成[72]。
- 9月18日 - 大阪球場での南海対近鉄25回戦で、南海がパ・リーグ新記録の25得点。南海は25対4で勝利[73]。
- 9月27日 - 広島の監督の古葉竹識が監督辞任を表明[74]。
- 9月29日 - 広島の監督の古葉竹識がオーナーの松田耕平に監督の辞任を申し出て了承される[75]。
10月
- 10月1日 - ロッテの落合博満が後楽園球場での対日本ハム19回戦で球団新記録となる44号本塁打を打つ。レロン・リーが5打数4安打を記録して通算打数が4002となり、通算打率でヤクルト・若松勉の3割2分2厘を抜いて3割2分4厘でトップに立つ[76]。
- 10月6日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースのフィル・ニークロが通算300勝を達成。46歳での達成は史上最年長。
- 10月8日 - 西武は監督の広岡達朗が痛風の治療のため監督を一時休養し、コーチの黒江透修が監督代行を務めることに[77]。
- 10月9日
- 10月10日 - 阪急はジョー・ヒックスの解雇を決定[80]。
- 10月12日 - 阪神のランディ・バースが広島市民球場での対広島25回戦で7回表に大野豊から49号本塁打を放ち、外国人選手のプロ野球シーズン最多本塁打の新記録[81]・阪神のシーズン最多本塁打[81]・セ・リーグ最多記録となる21勝利打点[81]・セ・リーグ新記録となる年間チーム最多本塁打206本を同時に達成[82]。
- 10月16日 - ヤクルト対阪神23回戦が神宮球場で行われ、延長10回5対5の時間切れ引き分けとなり、阪神が2リーグ制後で21年ぶり3度目、1リーグ時代から通算7回目のセ・リーグ優勝を達成[83]。
- 10月18日 - 阪急の水谷実雄が記者会見し、現役引退を表明[84]。
- 10月21日 - 南海はクリス・ナイマンを球団事務所に呼び、今季限りでの解雇を通告した[85]。
- 10月22日 - 後楽園球場での日本ハム対西武のダブルヘッダー25、26回戦が行われ、パ・リーグの全日程が終了。ロッテの落合博満が1982年以来自身2回目の三冠王を達成[86]。
- 10月23日
- 10月24日 - 中日の大島康徳が広島市民球場での対広島25回戦の三回表に池谷公二郎から23号本塁打を打ち、木俣達彦の持つ285本を更新する通算286本塁打の球団新記録となった[89]。
- 10月27日
- 【MLB】ワールドシリーズでロイヤルズがカージナルスを4勝3敗で下し、1969年の球団創設以来初のワールドチャンピオンに輝く。シリーズMVPはブレット・セイバーヘイゲン。
- 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースのオーナーのジョージ・スタインブレナーが監督のビリー・マーチンを解任し、打撃コーチのルー・ピネラが就任すると発表。
- 10月28日 - 沢村栄治賞の選考委員会が東京・芝の東京グランドホテルで正午から開かれ、中日の小松辰雄を選出[90]。
- 10月31日 - 阪急は野球解説者の植村義信が一軍投手コーチ就任、また中沢伸二が現役を引退しバッテリーコーチに就任したと発表[91]。
11月
- 11月2日
- 11月3日 - 広島はコーチの阿南準郎が新監督に就任したと正式に発表[94]。
- 11月5日
- 11月8日
- 11月12日 - 西武は井上弘昭を任意引退とした[99]。
- 11月13日 - 1985年度の正力松太郎賞の選考が午後0時半から東京・内幸町の帝国ホテルにて行われ、阪神監督の吉田義男を選出[100]。
- 11月14日
- 11月20日 - プロ野球ドラフト会議が東京・九段のホテルグランドパレスにて午前11時より行われ、KKコンビで注目を集めたPL学園の清原和博は6球団の競合の末に西武が交渉権を獲得。一方、早稲田大学進学が有力だった桑田真澄は巨人が1位単独指名で交渉権を獲得[103]。
- 11月23日 - 中日は堂上照、大河原栄の任意引退、平田恒男の自由契約を発表[104]。
- 11月25日
- 11月26日 - 巨人の石渡茂が球団事務所を訪れ、体力的な限界を理由に引退を申し入れる[106]。
- 11月28日
12月
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誕生
1月
2月
- 2月9日 - ダン・オテロ
- 2月9日 - 小林憲幸
- 2月14日 - タイラー・クリッパード
- 2月14日 - 大谷智久
- 2月20日 - ライアン・スウィーニー
- 2月23日 - 神戸拓光
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
- 12月4日 - カルロス・ゴメス
- 12月8日 - 小杉陽太
- 12月8日 - ジョシュ・ドナルドソン
- 12月10日 - 榎本敏孝
- 12月17日 - フェルナンド・エイバッド
- 12月24日 - アンドリュー・ロマイン
- 12月25日 - 鈴江彬
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死去
- 1月3日 - 尾張久次(スコアラー第1号〈南海・西武〉、*1909年)
- 1月4日 - 久保寺雄二(南海ホークス現役選手、*1958年)
- 1月29日 - 野村武史(毎日オリオンズ元選手、* 1919年)
- 3月19日 - 永沢富士雄(東京巨人軍元選手、*1904年)
- 3月29日 - 成田啓二(国鉄スワローズ元選手、* 1919年)
- 4月10日 - 田中義雄(阪神タイガース元選手・監督、*1909年)
- 5月13日 - 加藤昌利(パ・リーグ審判員、*1935年)
- 8月12日 - 中埜肇(阪神タイガース球団社長、*1922年)
- 8月12日 - 竹下元章(広島カープ元選手、* 1937年)
※以上2名は日本航空123便墜落事故の犠牲者
脚注
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