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日本のテレビアニメ番組 (1969-) ウィキペディアから
『サザエさん』は、長谷川町子による同名の漫画を原作とし、フジテレビ系列で1969年(昭和44年)10月5日から放送されているエイケン制作の日本のテレビアニメ[1]。主人公のサザエをはじめとした磯野家・フグ田家が織りなす日常を描く。
注意事項:
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サザエさん | |
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ジャンル | |
アニメ:サザエさん | |
原作 | 長谷川町子 |
総監督 | 渡辺米彦→村山修→山本功→(不在) →山岸博→森田浩光→(不在)→近藤一英[注釈 1] |
脚本 | |
キャラクターデザイン | 毛内節夫→毛内節夫、月川秀茂→月川秀茂 →片野功→国保誠→西阪晃子 →小池達也[注釈 2] |
音楽 | 越部信義→河野土洋→越部信義、河野土洋 |
アニメーション制作 | エイケン |
製作 |
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放送局 | フジテレビ |
放送枠 | 日曜18:30アニメ |
放送期間 | 1969年10月5日 - |
その他 | 過去には再放送があった。 詳細は『まんが名作劇場 サザエさん』を参照。 |
テンプレート - ノート | |
プロジェクト | アニメ |
ポータル | アニメ |
2024年(令和6年)時点で放送年数55年を超える長寿番組で、世界で最も長く放映されているテレビアニメ番組としてギネス世界記録を保持している[2][3]。基本的な放送枠は、開始時から日曜18:30(以下JST)で一切変更されておらず、同一の放送時間で続いている番組としても最長である。
本稿では、本作の再放送番組『まんが名作劇場 サザエさん』およびアニメの派生作品についても述べる。
長寿番組であることやその人気から「国民的アニメ」と形容されることが多い。
放送初期は『トムとジェリー』をベースにしたドタバタ調のギャグアニメであり、キャラクターデザインも原作に近いものだった[4]。しかし原作と大きく違うテイストに苦情が多く[5]、ドタバタ演出を抑えキャラクターデザインを変更するなど徐々に現行に近い作風へ変更。1975年頃に現在の平穏なホームドラマ路線に転換したとされている[5]。
1回の放送は3話で構成され、1つの話には原作を必ず1つ以上使用している[6]。なお、原作は限りがあるため、数年置きに再利用し新たな作品を制作している。
日本独自の文化や行事などの多くが作品に組み込まれ、近年では馴染みが薄くなった二十四節気など日本古来の文化や要素を自然と理解することができる作品ともなっている[7]。磯野波平役を長期にわたり演じた永井一郎は、2008年に「世の中が滅茶苦茶に変わって日本独自の美徳などが失われていく中、このアニメが続く限り“日本もまだ大丈夫だな”というふうに思う」という趣旨の発言をしている。
時代設定は、放送時期と同じ現代である[8]。ただし、作品の世界観やキャラクターの人間関係を大きく変えるものは原則出さないという方針から、1980年代以降に普及した現象や事象はあまり描写されない[注釈 3]。そのため、近年は視聴者からSNS上で時代錯誤な一面が指摘されるケースも存在し、「昭和の世界観」と見なされることもある[10][11][12]。このことについて、放送開始時から関わるスタッフの毛内節夫は「サザエさんの持つ精神とキャラクターの人間性が変わらなければ、今までなかった新しい試みをしていければいい」と発言している[13]。そのため、喫煙描写をなくすなど時代に即して変化した箇所も存在しており[8]、2024年にはマタニティマークやチャイルドシートに関する話が放送されたほか[14][15]、しつけで「げんこつ」や長時間説教をするシーンの激減を視聴者から指摘されたこともある[9][16]。
上記の制作方針から、携帯電話やパソコンといった情報通信機器類は主要なキャラクターが使用または所持する描写はなく、家電製品は1980年代を最後に変更がなくなっている。このことに関して、プロデューサーの田中洋一は「急激に技術が進歩し、現代のお話だというのが難しい環境に置かれているのも事実ではある」と述べる一方で、「ある間違い探しの企画で磯野家のブラウン管テレビを液晶テレビにしたところ、画面が殺風景になった」「いつのまにか、登場するアイテムの一つひとつが世界観や家族の温かさを出すために必要不可欠となっていた」と語り「モノを取捨選択している」「観ている人たちに完全に受け入れられなくなった場合は、変更を検討する」としている[注釈 4][8][17]。
現在まで映像ソフトは一度も発売されていない。過去の作品を視聴する手段は、長期にわたり特別番組での再放送や長谷川町子美術館内での上映などに限られていたが、2018年以降は放送50周年を記念し、初期の作品400話分(1969年〜1977年)と傑作選(2000年代後半の作品の一部)がフジテレビの有料配信サービス「FOD」にて、配信されている[18]。その後、2020年10月9日に日本コロムビアから発売された『エイケン50周年記念主題歌DVD』にオープニングとエンディングが収録され、本編ではないものの初めて映像ソフト化された[19]。見逃し配信は一度も実施していないが、2023年の『FNS27時間テレビ』内の放送でTVerでのリアルタイム配信が初めて行われた。
日本国外への輸出は現在のところされていない。ただし、ディレクターである渡辺恒也は2019年に「今後は新たなる試みとして、海外展開を考えていきたいと頭の中では思っている」と発言をしている[7]。
1969年4月、東芝の一社提供、番組制作も行う広告代理店の宣弘社とアニメーション制作会社のTCJ動画センター(現:エイケン)による製作で、日曜18時30分から『忍風カムイ外伝』を放送。だが、同作が殺伐とした内容だったことから、東芝の意向で次番組はファミリー向け作品へ変更されることとなる[注釈 13][73]。
企画は、TCJの村田英憲により行われた[74][75]。早急に進められたため、東芝へ持ち込んだ企画書は原稿用紙1枚だけであったという[74][75][76]。その後、原作者の長谷川町子および作品の著作権管理をしていた姉妹社(当時、長谷川が姉妹と共に経営)との交渉が行われ、当初は東映などと比較し知名度の低い二社が持ち込んだ企画に懐疑的だった長谷川側も、TCJがヤナセの系列会社と知ってからは好意的な反応を示し、制作を許可した[77]。
放送にあたって、長谷川町子はいくつかの条件(ファッションなど流行ものは扱わない[注釈 14]、ブラックユーモアは避ける、夕食時間帯であることを考慮する…など)を出し、その代わり制作にはノータッチだった[79]。町子はスタッフに対し「(原作の)4コマは4コマ。アニメは好きにやって下さい」と伝えたという[6]。
企画時に長谷川町子の姉である毬子と担当者との間で行き違いが生じ、最終的に宣弘社の大場徳次が1人で長谷川側と交渉することとなった[74][75]。
放送のためにパイロットフィルムも制作されたが、2019年時点では柏原満が作成した効果音のみ現存が確認されている[80]。
宣弘社は、開始から1985年までスポンサー枠を取り扱っていたほか、フジテレビから放送枠を購入し予算も自ら調達していたため、エイケンと共に「企画・制作」としてクレジットされていた。
宣弘社のプロデューサーである松本美樹は、番組開始から降板まで製作に大きく関与していた。かつて作家として活動した経験から脚本の監修やアドバイスをしていたほか、絵コンテのチェックや声優への演技指導なども務め作品を統括し、事実上の総監督であったという[81][82]。また、長谷川町子から信頼されていた松本は「美樹さんのサザエさんを作って」と一任されていたという[83]。
松本は、第一回放送後に作画班へドタバタ要素を抑えるよう指示。落ち着いたファミリー向け路線を確立してからは「『サザエさん』はいじってはいけない」と作風を変化させないことを徹底して「時事ネタを使わない」「流行に左右されない」など長谷川の意向と同様の製作方針を打ち出したほか、ある時「一度使った原作は使わない方がいいのでは」と完全オリジナルストーリーによる製作が持ち上がった際には「古典落語をごらんなさい。語り手が変われば同じ話でもまた違ったものになりますよね」と原作を再利用する現在のスタイルを確立させるなど、制作に大きく影響を与えた[注釈 15][81][84][85]。
1985年、3月末をもって宣弘社の降板が決定。それまで窓口業務のみ担当していたフジテレビが製作に関与するなど、制作体制が大きく変更された[86]。降板の理由について、宣弘社側は長谷川毬子との間に不和が生じたことや、放送枠を電通に組織ぐるみで取られた趣旨の証言をしている[注釈 16][76]。また、松本はこの頃に毬子から独立と版権の一任を打診されたが辞退し、ほどなくして制作会社から降板を要求されたという[87]。
松本の降板に伴い、松本がキャラクター創造に関わったとされる三平さんと浜さん一家が、引っ越しという形で番組を卒業することとなった[23]。また、この降板に追随する形でメインライター(脚本家)の辻真先、雪室俊一、城山昇が一斉に降板した(雪室と城山は後に復帰)[88]。
この一件で作風が少し変化した[22]。また、脚本家を中心とするスタッフが流動的となったことで安定まで約10年かかるなど、後に大きな転換期だったとされている[88]。この時、新たに起用されたスタッフの多くは当初「新しいドラマを作るんだ!」と意気込んでいたが、長谷川町子本人の「今まで通りでいい」「名人芸は何度繰り返してもよい」との意向で、従来の作風を維持する方針に固められたという[89]。
1話の放送時間は、2018年4月から約6分47秒である。総カット数は100前後で、動画は約1300枚となっている[90]。
脚本に関しては、文芸担当者が話のテーマを考え原作の四コマ漫画(2019年時点で使える作品は約1500本)を数本選び、脚本家にシナリオを依頼している[91]。原作は繰り返し使用することが通例だが、その際は間隔を2年以上空けて内容も若干変更し[6][92]、1話につき最低1本の原作が組み込まれるよう作られる[注釈 17][93][94]。また、この時に一家全員が登場するよう考慮している。
開始から2013年9月までの約45年間は、作画にセル画を用いフィルム撮影によって作品を制作。他のアニメ作品が2000年代に全てデジタル制作に移行した中で、本作は現行のアニメとして、最も長くセル画での制作を続けた作品となった[92]。スタッフは、この制作手法に関して2007年に「セル画は微妙に線が揺れ、温かみのある画像になる。それが視聴者に安心感を与える」と述べるなどこだわりを見せる一方で、地上デジタル放送が開始してからの高画質な映像では塵の付着や輪郭のぼやけ、色のばらつきなどが目立つためセル画とは相性が悪く、「視聴者から映像が汚いと苦情が来れば、断念せざるをえない」との見解も示していた[95]。これに対応するため、当初は使用フィルムを1970年代後半に採用された16mmフィルムから開始時の35mmフィルムに戻す、塵の除去など撮影に数倍の時間をかけるなどの対応をしたが、2005年から一部をデジタル制作へ移行[注釈 18]。最終的には画質の向上を理由として、2013年10月6日放送分から全編完全デジタル制作に移行した[6][96]。ただし、その後もセル画期のニュアンスをなるべく再現できるよう、トレース線を柔らかくするなどの工夫がされている[97]。
キャラクターデザインに関して、開始時は確とした設定資料が無く各アニメーターにより絵柄が異なっていたが、スタッフの要望を受けたことで、アニメーターの木村光雄の手で設定が描き起こされた[22]。以降は後任のキャラクターデザイナーによってマイナーチェンジを繰り返しているものの、原型は木村のデザインを踏襲している。
サザエらキャラクターの服装は毎回変更されており、同じ服装が再度使われることはない[93]。
背景はポスターカラーによる手描きであり、使い回しと思われがちだが毎回新しいものを作成している[98]。デジタル環境移行後は、あらかじめデータ化したものをパソコン上で加工しての作成が中心となった一方で、セル画期から在籍するベテランのスタッフは今もすべての背景を1枚ずつ手描きで作成しているという[99]。
2000年代頃からのアニメーション作品には珍しく、一話ごとに脚本・作画などの主要スタッフ名や作品ナンバーを表記している。あくまで作品を管理するために振られた通し番号であり、実際の放送にあたっては各作品の放送時期と内容を考慮して編成されているため、話数と作品ナンバーの順番は一致せずランダムになっている[79]。
アフレコは放送開始から現在に至るまで、出演者全員が毎週スタジオへ集まり収録するスタイルである[8]。
初代マスオ役の近石真介によると、“生きた会話”にするため個別収録は認めていないという[注釈 19][8]。そのため、ワカメ役を約30年担当した野村道子は「撮りだめをせず(中略)年末年始も夏休みもなく、風邪をひいてもけがをしても、親の通夜があっても収録の予定は変わらない」としている[100]。二代目マスオ役の増岡弘は「日常生活の一部という感じで仕事をしたという実感が全くしないが、そこが良さでもある」と述べている。
収録自体は、当日にスタジオで台本を入手し、完成された3話分の映像[注釈 20]を座ったまま見た後、ラステス(リハーサル)として最初の1話分のみ声を当ててから本番へそのまま移り、3話分を一気に一発収録するという形で行っている(2話分はリハーサルなし)。そのため、収録時間は2、3時間で他のアニメ作品と比べると早いという。
2020年、新型コロナウイルスの影響で安全確保や感染拡大の防止のために収録は一度中止になり[101]、再開後は事前に台本と映像が渡され、3人前後に分かれての個別収録を行うようになった[102]。その後、2023年より従来の収録形式が再開されたといい、冨永みーなは「家族揃って収録させてもらってます」と話している[103]。
演技に関しては、日常的な会話のリアリティーに重きを置いている[8]。1990年代後半からは高齢者から子どもまで幅広い視聴層を考慮し、聞き取りやすいようにハッキリと少しゆっくりした話し方に演出されるようになった。2019年にゲスト出演した浪川大輔は、語尾の最後まできちんと発声する独特の“サザエしゃべり”があると語っている[104]。
上述の宣弘社が降板した後のスポンサー枠は、電通が担当している[105]。
放送開始から2018年まで約49年間にわたり、東芝がスポンサーであった。1998年までは単独提供で、以降の複数社提供(東芝を含め6社 - 8社)へ変更後も筆頭スポンサーとして提供を続けた[注釈 21]。
開始当初は本編にロゴマークや同社の家電製品が登場することがあったが、後にスポンサーとしての影響力を作品に行使しない姿勢へと転換。作品の普遍性を保つことに一翼を担っていた[106]。
その一方、「ガタの来ていた扇風機が踊りだす」という原作が使えないなど、家電製品が故障する話は禁止という不文律があったという[107]。また、単独提供期にはオープニングの街中の風景に東芝のネオン看板を紛れさせたほか、オープニングとエンディングにロゴ表示とサザエによる読み上げがあり、複数社提供後も「東芝と、ご覧のスポンサーの提供でお送りします(した)」と社名が読み上げられる[108]など結びつきは強く、同社製品のイメージキャラクターにも起用されていたため、東芝と『サザエさん』の関係性は視聴者にも浸透していた[109]。
2010年代に入り経営が低迷し、2016年に家電事業の売却など消費者向け事業の縮小で宣伝効果が薄れた後も提供を続ける意向を示していたが[109]、経営再建の事業見直しに伴う様々な要因から、「一定の役割を果たした」として2018年3月25日放送回をもって降板[110]。発表時は多数のメディアに報道されるなど、その影響力の高さを示した。
東芝の降板後の2018年4月1日放送回から、日産自動車を中心に9社で提供する構成となっている[108][111]。これに対応するために、本編時間が8秒ずつ計24秒短縮され、スポンサー読み上げも3秒ずつ計6秒短縮し、30秒CM枠を1つ増やした[112]。
2006年(平成18年)4月22日放送の『もしもツアーズ』では、「サザエさん生誕60周年記念ツアー」と銘打ち(場所は桜新町)、アニメの磯野家に当時の『もしツア』の出演者である天野ひろゆき(キャイ〜ン)、ウド鈴木(キャイ〜ン)、坂下千里子、関根勤、KABA.ちゃん、三瓶がアニメで登場した。さらにこの回のラストは、アニメのウド鈴木がエンディングのパロディをやって締め括った(他、2008年〈平成20年〉11月15日、2010年〈平成22年〉12月25日放送にも、旅のエキスパートとしてサザエがアニメで参加した)[113]。ウド鈴木は2013年(平成25年)12月1日に放送された観月ありさ主演の実写ドラマ版(パート4)では占い師役を演じている。またキャイ〜ンと関根は先述の『サザエさんの秘密徹底解明SP』にもゲスト出演、番組では『もしツア』で磯野家と共演した場面が放送された。
2015年(平成27年)8月23日放送の本編では『バレーボールワールドカップ』の番宣も兼ねる形で、眞鍋政義と木村沙織がアニメでゲスト出演した[114][115]。
2019年(令和元年)11月22日放送の『池上彰×サザエさんスペシャル』では、番組内のアニメに池上彰がアニメキャラになって登場し、磯野家らと共演した。
2022年(令和4年)9月11日放送の『サザエさん知ってますぅ? ニッポン全国海なぞ大調査!』(テレビ西日本制作。関東地区は『日曜スペシャル』)では、番組内アニメに、番組レポーターの伊野尾慧 (Hey!Say!JUMP)、チョコレートプラネット、矢吹奈子 (HKT48) がアニメキャラで登場した。
出演期間 | サザエ | マスオ | カツオ | ワカメ | タラオ | 波平 | フネ |
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1969年10月 | 5日 - 1969年12月21日加藤みどり | 近石真介 | 大山のぶ代 | 山本嘉子 | 貴家堂子 | 永井一郎 | 麻生美代子 |
1969年12月28日 - 1976年 | 3月28日高橋和枝 | ||||||
1976年 | 4月 4日 - 1978年 6月 4日野村道子 | ||||||
1978年 | 6月11日 - 1998年 5月10日増岡弘 | ||||||
1998年 | 5月17日 - 2005年 3月27日冨永みーな | ||||||
2005年 | 4月 3日 - 2014年 2月 9日津村まこと | ||||||
2014年 | 2月16日 - 2015年 9月27日茶風林 | ||||||
2015年10月 | 4日 - 2019年 8月18日寺内よりえ | ||||||
2019年 | 8月25日 - 2023年 2月26日田中秀幸 | ||||||
2023年 | 3月 5日 -愛河里花子 |
公式サイトのキャラクター紹介にあるキャラクターのみ記載。その他のキャラクター、代役などの詳細は「サザエさんの登場人物」を参照。
放送初期から登場するキャラクターに関して、最初は放送毎に異なるもセミレギュラーで参加する声優の中から自然と持ち役が決まったものが多い[121][122]。そのため、実際には下記の他にも声優がいるキャラクターが存在する。
サブキャラクターの声優は、その回のみのゲストキャラクター(老婆、通行人など)を兼任することが多い[注釈 22]。また、駒谷昌男(2016年 - )のようにゲストキャラクター専属でレギュラー出演する声優もいる。
役職 | 名前 | 期間 | 初参加年 (当時の役職) | 備考 |
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原作 | 長谷川町子 | 1969年 - | — | 本人の希望から、字体が他スタッフと異なり最も大きい。 |
コピーライト | ©長谷川町子美術館 | 1993年4月 - | — | 開始から1993年3月までは「©姉妹社」。 2010年6月までは「©(財)長谷川町子美術館」。 |
プロデューサー | 渡辺恒也(フジテレビ) | 2016年 - | — | |
田中洋一 | 1998年 - 2009年 2016年 - | 1989年 (制作進行) | エイケン側プロデューサー。 2009年から一時期は制作進行→制作管理を担当。 | |
チーフディレクター | 近藤一英 | 2024年7月 - | 2019年 (演出) | 助監督を経て現職。 |
キャラクターデザイナー | 小池達也 | 2018年7月 - | 2007年 (作画) | |
アートディレクター | 佐藤博 | 2012年4月 - | 1992年 (美術) | |
カラーディレクター | 千代間由佳 | 2016年 - | 2000年 (色彩) | |
撮影チーフ | 工藤一史 | 2018年8月 - | 1990年 (撮影) | |
編集 | 牧岡栄吾 | 1992年 - | — | OPでのクレジットは2019年以降。 |
録音 演出 | 壷井正 | 2016年4月17日 - | — | 2019年まではグロービジョン所属。 |
録音 | グロービジョン九段スタジオ | 2015年 - | 1969年 | 以前は本社併設の信濃町スタジオを使用(クレジットは社名のみ)。 |
調整・選曲 | 安部雅博 | 2023年 - | 2003年 (録音担当) | 2014年から2023年までは調整のみ担当。 |
録音担当 | 石橋侑也 | 2024年 - | — | |
音響制作担当 | 郡司哲也 | 2020年 - | — | |
音楽 | 越部信義 | 1969年 - 1997年 | — | 当時は音楽企画センター→サンオン所属。 降板後も既存楽曲を引き続き使用。 降板後は暫くノンクレジット。2013年より河野と連名という形で復帰。 |
河野土洋 | 1998年 - 2017年 | — | 2017年の降板後も越部同様、既存楽曲を引き続き使用。 | |
効果 | 柏原満(T.E.O) | 1969年 - | — | 選曲にノンクレジットで参加。2014年以降はこちらがメイン。 2014年の降板後も既存音源を使用しているため、引き続きクレジット。 |
今野康之 | 2015年 - | — | 当初はスワラ・プロ所属。 | |
文芸 | 野坂律子 | 2011年 - | — | |
松川綾子 | 2024年 - | — | ||
開発担当 | 松崎容子(フジテレビ) | 2016年 - | 2011年 (プロデューサー) | 当初はADK所属。 |
制作デスク | 吉田宰祐 | 2016年 - | — | |
ビデオ編集 | 石岡広平(グロービジョン) | 2013年 - | — | |
制作 | フジテレビ | 1985年3月 - | — | 1986年3月までは旧ロゴ表記。 2023年はロゴの左横に開局65周年記念のシンボルマークを配置。 |
エイケン | 1969年 - | — | 1973年までは旧社名の「TCJ動画センター」としてクレジット。 |
名前 | 期間 | 備考 | |
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脚本 | |||
雪室俊一 | 1969年 - 1985年 1995年 - | メインライター。 放送開始より参加。 | |
城山昇 | 1969年 - | メインライター。 第一回放送より参加。 | |
小林英造 | 2010年 - 2019年 2023年 - | ||
浪江裕史 | 2011年 - | ||
中園勇也 | 2013年 - | ||
スギタクミ | 2015年 2019年 - | ||
あみやまさはる | 2015年 - | ||
広田光毅 | 2015年 - | ||
諸橋隼人 | 2021年 - | ||
演出 | |||
佐藤豊 | 2011年 - | 絵コンテ兼任。 | |
望月敬一郎 | 2014年 - | 絵コンテ兼任。 | |
牛草健 | 2015年 - | 絵コンテ兼任。 | |
前園文夫 | 2016年 - | 絵コンテ兼任。 | |
神原雄二 | 2017年 - | 絵コンテ兼任。 | |
山﨑茂 | 2018年 - | 絵コンテ兼任。 | |
近藤一英 | 2019年 - | チーフディレクター (2024年 - ) | |
高田ひろし | 2022年 - | 絵コンテ兼任。 | |
加藤晋 | 2022年 - | 絵コンテ兼任。 | |
吉本毅 | 2023年 - | ||
森友宏樹 | 2024年 - | ||
絵コンテ | |||
岡田宇啓 | 1969年 - | 第一回放送より参加。 | |
前田基匡 | 2022年 - | ||
こんどうまどか | 2023年 - | ||
古谷渓一郎 | 2023年 - | ||
青木康直 | 2023年 - | ||
日下雄一朗 | 2024年 - | ||
前田成美 | 2024年 - | ||
作画(作画監督・原画・動画) | |||
江沢聖三 | 1969年 - | 放送開始より参加。 | |
大隅夫美雄 | 1969年 - | 放送開始より参加。 | |
金子勲 | 1969年 - | 「金子いさお」名義も使用。 放送開始より参加。 | |
川名裕子 | 1997年 - | ||
見陰智史 | 2000年 - | ||
石丸哲也 | 2003年 - | ||
西阪晃子 | 2005年 - | チーフアニメーター (2014年 - 2018年) | |
清川康太 | 2018年 - | ||
石黒あつし | 2008年 - | ||
吉崎誠 | 2010年 - | ||
岡田誠司 | 2010年 - | ||
中島豊秋 | 2013年 - | ||
七海明憲 | 2016年 - | ||
関本渡 | 2016年 - | ||
宍倉敏 | 2017年 - | ||
川口準之祐 | 2018年 - | ||
他多数 | |||
美術(背景) | |||
川上克彦 | 1987年 - | ||
宮川一男 | 2011年 - | ||
秋保富恵 | 2013年 - | ||
土師勝弘 | 2017年 - | ||
佐々木秀泰 | 2018年 - | ||
他多数 | |||
仕上 | |||
中沢邦夫 | 1983年 - | カラーディレクター (2008年 - 2016年) | |
瀬崎文男 | 1983年 - | ||
磯部知子 | 2016年 - | ||
撮影 | |||
工藤一史 | 1990年 - | ||
岡部真也 | 1994年 - | ||
佐藤豊 | 2010年 - | ||
藤井正和 | 2010年 - | 当初は制作管理 | |
伊勢智寿美 | 2010年 - | 当初は制作進行 | |
ルル・ダミアン | 2013年 - | ||
川﨑悠子 | 2022年 - | ||
望月めぐみ | 2023年 - | ||
編集 | |||
牧岡栄吾 | 1992年 - | ||
岡田輝満 | 2022年 - | (岡田編集室) | |
制作協力 | |||
アートアニメスタジオ | 1973年 - | ||
G&Gディレクション | 2012年 - | ||
リバティアニメーションスタジオ | 2005年 - | 初期は「リバティシップ」名義 | |
BIGBANG | 2023年 - | ||
ハヤブサフィルム | 2024年 - |
オープニングとエンディングのテーマ曲は、放送開始から変わらず使われて続けている。現在、オープニングは2018年4月1日放送回より1分37秒(提供クレジット表示を含め)、エンディングは1970年4月5日放送回より1分25秒となっている。
「サザエさん/サザエさん一家」 | |||||||
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宇野ゆう子 の シングル | |||||||
初出アルバム『サザエさん音楽大全』 | |||||||
B面 | サザエさん一家 | ||||||
リリース | |||||||
録音 | 1969年 | ||||||
ジャンル | アニメソング | ||||||
時間 | |||||||
レーベル |
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作詞・作曲 | |||||||
宇野ゆう子 シングル 年表 | |||||||
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冒頭で、サザエが視聴者に対し「サザエでございま~す!」と挨拶を行う。
挨拶に関して、開始当初は「わたくし、サザエでございます」であり、その後は「(おしとやかな言い方で)サザエでございます」「こんにちは!お元気?」など不定期に変更されていたが、1983年4月に現行のものに落ち着いた[136]。なお、それ以降この挨拶の声は一度も録り直しが行われておらず、40年以上にわたり同じものを使用している。
1974年(昭和49年)の1月[137]以降の回は、日本各地をサザエが旅し、訪れた場所を紹介する内容となっている。これは元々エンディングで京都府を訪れたものが好評だったため、オープニングで流すことになったという[137][138]。内容は季節に合わせ3か月ごとに変更している。2000年(平成12年)からは、訪れる場所を1つまたは2つの都道府県に絞って半年間(一部例外あり)流す方式になっており[139]、紹介を希望する県や自治体から約500~1000万円の協力費を受けている[注釈 41]。これに関して、オープニングで地方紹介部分は1分10秒ほど(オープニング自体は提供を含めて1分40秒)であるが、日曜日の同時間帯に1分のCMを半年間放送した場合には最低でも9600万円以上必要とされるため、費用対効果の高い観光PRとして注目されている[140]。
その後、提供クレジットが入る。
※最初はサザエが訪れた場所の特産物で毎回変更していたが、後に下記の4種に統一された[138]。2024年1月から再び特産物に変更した。
冒頭でタマとハチが登場する静止画が示された後[175]、原作の4コママンガを6本から8本、台詞が少なく絵のアクションで楽しめるものを中心に映像化し、その間にキャストやスタッフのクレジットが行われるものとなっている[176]。登場人物や台詞に若干の変更を加えることもあるが、基本的には原作の自由な雰囲気を尊重しているため、茶の間に本棚があったり家に洋式の扉があるなど、アニメと設定が異なる箇所も忠実に再現している[177]。また、静止画と原作は季節感を重視した内容にしており、オープニングと同じく3カ月ごとに変更している[178]。
原作映像の後は場面が転換し、一家がサザエを先頭に一列になり、曲に合わせ踊りながら行進をする。場所や衣装が四季によって異なり、1970年代から以下の三種で統一されている。
上記の映像の後、続けて一家は野原を行進し、山小屋のような建物に一家のシルエットが飛び込む場面で映像は終了する。なお、この演出のみは放送開始から変わらず使われ続けている[注釈 51]。
クレジットは、映像と共に3カ月は固定される状態が長年行われた。そのため、その回に出演していないキャストや製作を担当していないスタッフもクレジットされていたが、2013年4月14日放送回からはその回の出演者・その回の制作に関わったスタッフのみがクレジットされるようになった。
スペシャル版などでは、特別なアニメーションが作られることもある。
最初にサザエが「さ〜て、来週のサザエさんは?」と言い[注釈 52]、リモコンをテレビに向けるしぐさをすると「次回予告」とテロップが表れ[注釈 53]、その後は次回の映像を流す中、サザエ、タマ以外の一家の内1人[注釈 54]が声で登場、名乗ってコメント[注釈 55]したあと、次回放送の3本のサブタイトルを読み上げる。ただし、次回がスペシャルの場合はサザエがスペシャルの内容を紹介する。また、サザエが「ご覧の3本です」と次回放送の3本のサブタイトルを表示し、その後にイベントや募集告知などを行う場合もある。
最後は、じゃんけんのそれぞれグー・チョキ・パーの絵が付いた棒を手に持っているサザエが画面に向かって「来週もまた見てくださいね〜」と言った直後[注釈 56]、「じゃんけんポン!」の声と共に3つのうちのどれか1つを視聴者に見せ[注釈 57]、「うふふふふふ」の笑い声と共に手を振って提供を読み上げたところで終わりとなっている。スペシャルでは、家族全員で行うこともある。
2018年10月からはデータ放送でのじゃんけん投票が可能になった。次回予告が始まるまでにリモコンのボタンによって自分の出し目を選択し、勝ち(勝ち点4)・負け(同1)・あいこ(同2)によってそれぞれの点数が入り、一定得点[注釈 58]に達したら公式サイトから番組宛てに応募して、抽選で賞品が当たるというものである[注釈 59]。なお得点は月が替わればリセットされ、「0」からのスタートとなる。なお、18時59分になるとデータ放送が消されるため、得点のスタンプは翌週の放送時に押される。
2020年、じゃんけんで5週連続でパーが出たことがあった。これはサザエさんじゃんけんの29年の歴史で初のことであり[179][180]、これについてフジテレビは、「じゃんけんはサザエさん自身で考えて出しているので、私たちにもわからない」とコメントしている[179]。また、サザエさんのじゃんけんを長年研究している高木啓之も、5週連続のパーは予測できなかったという[180]。
2015年8月24日〜28日放送の『めざましテレビ』では、『サザエさん』のキャラクターが交代で「めざましじゃんけん」を担当した[181]。また、2019年11月18日〜11月22日の同番組ではサザエさん一家が各曜日に毎に「めざましじゃんけん」の3戦目を担当した[182][183][184]。また同年同月22日の『池上彰×サザエさんスペシャル』では4回にわたってアニメキャラクター化された池上彰が担当した[185]。
1991年10月13日放送分まで予告の最後は、サザエがお菓子を放り投げ、口で受け止めて食べたところを視聴者に見つかり、慌てて隠しながら「来週もまた、見てくださいね〜」と言った直後、喉に詰まらす仕草をして「ンガググ[注釈 60]」と声を発するものとなっていた。しかし、この映像を見た東北大学医学部附属病院耳鼻咽頭科と国立小児病院小児科の医師が「投げ食いは、子供がまねると気管をつまらせ呼吸困難になり、最悪死亡する危険性がある」と指摘。これを受けて、制作会社のエイケンは少しでも危険があるものは放送してはいけないと判断[186][注釈 61]。長谷川町子の了解を得た後、同年10月20日放送分から現在のじゃんけんに変更された[186]。
平常放送時間は、毎週日曜18時30分 - 19時である。系列外でもそれぞれ異なる時間帯に放送しており、現在でも日本全域で放送されている唯一の民放のテレビアニメである。
改編期特番による休止はほぼ発生しないが、2000年代後半からはプロ野球の日本シリーズ[注釈 62]などのスポーツ中継や『ちびまる子ちゃん』のスペシャルなどを放送した関係で休止した事例がある。また、ゴールデンタイムでのスポーツ中継などの開始時間が15分のフライングスタートだった場合は15分先行放送という形で18:15 - 18:45で放送される場合もあった。[注釈 63]
年末年始に日曜日が含まれ、大晦日(12月31日)が該当する場合には平常通りに放送し、正月三が日には特番編成で休止する場合が多い[注釈 64][189][190]。
オイルショックや新型コロナウイルスの感染拡大の影響で新規収録が停止した際には、約1か月間に渡り再放送を行った。
作品編成は独立した内容を3話扱う3本編成(初回放送から固定)だが、3本中に前後編の2部編成が組み込まれる場合がある。1984年、85年の一部の回では、Bパートを短縮しCパートとの間に4コマ漫画を基にした1分30秒の作品が放送されていた時期があった。予告編でも4本の話が放送されると紹介されていた。この作品にはBGMとして「レッツゴー・サザエさん」やこの曲のインストゥルメンタル、「テーマアレンジC」、「予告用BGM」などが全編にわたり流れていた。2010年12月26日放送分は1本の作品を3パートに分けてとるという特殊な構成をとった。また1話の長さは、変更された順に7分15秒、1975年5月より7分5秒、1987年10月より6分55秒、そして2018年4月より現在6分47秒。
ポケモンショックの発生以後、Aパートの冒頭では画面上に「お子さまへ!テレビをみるときはへやをあかるくして、できるだけはなれてみてください」と表示されている。当初はロールスーパーで流れていたが、後に固定表示に変更されている。
放送枠自体は変わらないものの、次番組の都合などから放送時間や編成が一時的に変更された事例がある。
本番組は、1970年代から視聴率が高い番組としても知られている(以下の記録はすべてビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。)。
1978年には、全テレビアニメの年間視聴率ランキングにおいて1位から26位まで独占するという記録を残したことがある[注釈 67][191]。翌1979年(昭和54年)9月16日には歴代最高視聴率である39.4パーセントを記録(下記)し、これは2024年現在、ビデオリサーチが調査を開始した1977年9月26日以降に放送されたテレビアニメ全体における歴代二位の高視聴率である[注釈 68]。
1989年(平成元年)1月15日から2008年(平成20年)11月時点での平均視聴率は、22.3パーセント[92][192]。
2010年代からは視聴率が低下しており、2021年の世帯平均視聴率が11.2%、2023年時点における通常放送の視聴率は7~9パーセントを前後している[192]。その一方で、テレビアニメの週刊視聴率では現在もほぼ毎週1位を記録しているほか、2010年代から普及したコア(個人、13~49歳の男女)視聴率やタイムシフト(録画)視聴率は高い数値を記録している[192][193]。
2005年8月5日、大和総研は『サザエさんの視聴率と株式市場の不思議な連動性』というレポートを公表し、本作視聴率と東証株価指数 (TOPIX) の相関係数は0.86であることを発表。本番組放送時間帯は、景気良好時に外食等の外出で視聴率が低下し景気悪化時は出費を避け家庭内で過ごすことから視聴率上昇に繋がる、と分析し、連動性を示唆している[194]。本作の視聴率と経済の関連性は「サザエさん効果」などと呼ばれ、経済学の一つとして研究されている。
(出典[195])
# | 話数&サブタイトル | 放送日 | 視聴率 |
---|---|---|---|
1 | 第520話「今夜のおかずは/しつけも大変/ゆく夏くる夏」 | 1979年 | 9月16日39.4 % |
2 | 第474話「思いやりの秋/すみませんですど~も/買いたさ見たさ」 | 1978年10月29日 | 39.2 % |
3 | 第527話「恐妻家/隠れた才能/絵がいっぱい」 | 1979年11月 | 4日38.6 % |
第545話「カツオ特別席/夫婦の会話/イクラが先生」 | 1980年 | 3月 9日38.6 % | |
5 | 第489話「いいくせ悪いくせ/本音とたてまえ/カツオはもう春」 | 1979年 | 2月11日38.1 % |
第537話「好き好き大スキー/カツオ防災読本/お母さんの先生」 | 1980年 | 1月13日38.1 % | |
7 | 第526話「柿の季節/読みます 読ませます/父さんのおしゃれ」 | 1979年10月28日 | 38.0 % |
8 | 第479話「モーレツですね/いたずら二代目養成中/とんだ災難」 | 1978年12月 | 3日37.8 % |
9 | 第530話「波平夫婦秋の陣/肌寒くなりました/底が知れてます」 | 1979年11月25日 | 37.7 % |
10 | 第492話「失礼しました/我が家のペット/タラちゃん 目がない」 | 1979年 | 3月 4日37.6 % |
第493話「そそっかしいです/父と子/レジャーも交代制」 | 1979年 | 3月11日37.6 % |
なお、歴代最低視聴率は2022年8月28日放送回の5.6パーセントとなっている[192]。
1989年3月5日に初のスペシャルを放送して以降、主に改編期や本番組・原作の記念年に放送されることが多い。放送時間の多くは、18時からの1時間である。
2000年以降はサザエさんスペシャルの放送と前後して、『ちびまる子ちゃん』も1時間スペシャルを組むことがあり、その時は『サザエさん』が休止になる。FNSの日による変則編成や放送時間が90分版などに拡大される場合は、19時台にも放送されることもある。
初のスペシャルとなった1000回記念スペシャルは当初1989年1月8日に放送される予定だったが、先述通り前日の1月7日に昭和天皇が崩御し、「FNN報道特番[注釈 69]」に差し替えられる形で放送中止となった。これに伴い当スペシャルは2ヵ月後の3月5日に延期され、『1000回突破記念スペシャル』に改題した上で放送された。
回 | 年 | 日付 | タイトル | 時間 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1989年 | 3月5日 | 1000回突破記念スペシャル | 18:00 - 19:00 | オープニング・エンディングが特別仕様となり、オープニングはサザエさんが放送を開始した1969年から1989年までの世相をアニメで紹介、エンディングはサザエが過去に全国各地を旅したものを放送した[196]。 |
2 | 1994年 | 10月16日 | 放送25周年スペシャル | 福井謙二、露木茂、八木亜希子(全て当時フジテレビアナウンサー)がアニメで登場し、声も本人が担当した。番組後半では第1回放送分からの1話「お父さんはノイローゼ」が再放送された。 | |
3 | 1998年 | 11月1日 | 放送30周年スペシャル | ||
4 | 1999年 | 12月26日 | 年末大感謝祭スペシャル | 新作3本に加え、磯野家の家族旅行を振り返る「サザエさん一家の珍諸国漫遊記」、第1話「75点の天才!」の再放送で構成。 「75点の天才!」では当時のオープニングがノンクレジットで放送。 作品内の「放送禁止用語」にあたる台詞は無音声にして放送された[注釈 70]。 | |
5 | 2002年 | 1月6日 | 新春お年玉60分スペシャル | 18:30 - 19:30 | |
6 | 1月13日 | 成人の日スペシャル | 18:00 - 19:00 | ||
7 | 2003年 | 1月5日 | 新春初笑い60分スペシャル | 18:28 - 19:26 | |
8 | 2月23日 | 35周年前祝いスペシャル | 18:30 - 19:26 | ||
9 | 10月5日 | 放送開始35年目スペシャル | 18:28 - 19:28 | ||
10 | 11月9日 | 35周年記念スペシャル | 18:00 - 19:00 | ||
11 | 2005年 | 10月23日 | 生誕60周年スペシャル | 18:28 - 19:25 | |
12 | 12月18日 | 生誕60周年スペシャル2 | 18:28 - 19:05 | ||
13 | 2006年 | 4月2日 | 生誕60年スペシャル | 18:46 - 19:25 | |
14 | 9月24日 | 秋祭りスペシャル | 18:30 - 19:08 | ||
15 | 2007年 | 3月18日 | 1900回記念スペシャル | 18:30 - 19:00 | 通常枠で放送。 スケートリンクを舞台にした「憧れの三回転」で荒川静香がゲスト出演。 |
16 | 2008年 | 11月16日 | 40周年記念スペシャル | タイトルと異なり、正確には放送40年目突入である。 | |
17 | 2009年 | 11月15日 | アニメ&実写版ドラマスペシャル第1弾 | 18:30 - 20:54 | 放送開始40周年とフジテレビ開局50周年を記念し、アニメと実写版ドラマをひとつのスペシャルとして放送。 1970年6月14日放送の「サザエ万博へ行く」が再放送された[注釈 71]。 |
18 | 2010年 | 1月10日 | 新春福袋スペシャル | 18:30 - 19:58 | 原作短編より「サザエさん小噺ぶくろ[注釈 72]」、過去3作品の再放送[注釈 73]、新作「ポニーちゃんがやってきた」で構成。 |
19 | 3月28日 | 春休みスペシャル | 18:00 - 19:00 | ||
20 | 8月8日 | アニメ&実写版ドラマスペシャル第2弾 | 18:30 - 20:54 | ||
21 | 8月29日 | 夏休みスペシャル | 18:00 - 19:00 | ||
22 | 2011年 | 1月2日 | アニメ&実写版ドラマスペシャル第3弾 | 18:30 - 22:00 | |
23 | 2012年 | 1月8日 | 新春スペシャル | 18:00 - 19:00 | |
24 | 2013年 | 4月7日 | 放送2200回 45周年前祝いスペシャル | ||
25 | 12月1日 | アニメ&実写版ドラマスペシャル第4弾 | 18:30 - 20:54 | ||
26 | 2014年 | 10月5日 | 歌って踊ってロケットまで! 放送開始から今日でぴったり45年スペシャル | 18:00 - 19:00 | |
27 | 2018年 | 1月7日 | お正月スペシャル | ||
28 | 2019年 | 1月6日 | 祝!50周年イヤー突入 お正月スペシャル | ||
29 | 11月24日 | アニメ&実写版ドラマスペシャル第5弾 | 18:30 - 21:54 | [注釈 74] | |
30 | 2020年 | 2月2日 | 長谷川町子先生生誕100周年スペシャル | 18:00 - 19:00 | |
31 | 2021年 | 2月14日 | バレンタインデースペシャル | ||
32 | 2022年 | 3月20日 | 春の東北・岩手ワクワク旅スペシャル | ||
番外 | 12月31日 | 大みそか アニメサザエさん福岡スペシャル | 15:50 - 16:45 | テレビ西日本ローカル[197]。 | |
33 | 2023年 | 2月26日 | ひな祭りスペシャル | 18:00 - 19:00 | 初代・フグ田タラオ役である貴家堂子の遺作となった。 |
34 | 2024年 | 3月31日 | 55周年前祝いスペシャル | ||
通常放送を含め、家族旅行として実在の都道府県やイベントに訪れることがある。
回数 | 年 | 行き先 | タイトル | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 1970年 | 日本万国博覧会(大阪万博、大阪府) | 「サザエ万博へ行く」 | 6月14日放送[1]。
2009年11月15日再放送。 |
2 | 1972年 | 北海道札幌市[1]・青森県 | 「それ行けさっぽろ」 | 1月30日放送。初めて飛行機に乗る(1999年放送「サザエさん一家の珍諸国漫遊記」より)1972年は札幌オリンピックの行われた年。1991年1月2日放送「新春!サザエさん一家の初夢旅行!!」内の過去のダイジェストで「昭和47年、北海道・東北の旅」として紹介。 |
3 | 1975年 | 沖縄県[1] | 「めんそ〜れ沖縄」 | 12月14日放送[1]。 |
4 | 1979年 | 九州 | 「サザエさんの夏休み九州旅行」前編・後編 | 作品No.1525・1526。8月5日放送。 |
5 | 1981年 | 京都府など | 「サザエさんのお正月休み関西旅行」前編・後編 | 作品No.1747・1748。1月4日放送。この時、番組史上初めて実在の鉄道車両である京阪初代3000系が登場。 |
6 | 長野県 | 「サザエさんの夏休み信州旅行」前編・後編 | 作品No.1842・1845。8月9日・16日放送[198]。 | |
7 | 1982年 | 静岡県・神奈川県・東京都 | 「サザエさんの春休み伊豆、箱根、大島」 | 作品No.1936・1939・1942。3月21日・28日・4月4日放送[198]。 |
8 | 徳島県など | 「サザエさんの夏休み瀬戸内旅行」 | ||
9 | 1983年 | 長野県・岐阜県・愛知県 | 「サザエさんの夏休み木曽、高山の旅」 「サザエさんの夏休み郡上八幡、犬山の旅」 |
作品No.2148・2149[199]。1991年1月2日放送「新春!サザエさん一家の初夢旅行!!」内の過去のダイジェストで「昭和58年、木曽路の旅」として紹介。 |
10 | 1984年 | 岡山県 | 「春休み 岡山・吉備路・高梁の旅」 | 作品No.2248。 |
11 | 神奈川県 | 「サザエさんの夏休み箱根からの報告」 | 作品No.2299[199]。 | |
12 | 福島県 | 「サザエさんの夏休み会津磐梯高原穴原温泉旅行」 | 作品No.2300[199]。 | |
13 | 福島県いわき市 | 「サザエさんの夏休み福島いわき旅行」 | 作品No.2303[199]。 | |
14 | 徳島県・沖縄県 | 1991年1月2日放送「新春!サザエさん一家の初夢旅行!!」内の過去のダイジェストで「昭和59年、南国の旅」として紹介。 | ||
15 | 1985年 | 静岡県 | 「早春伊豆長岡の別れ」その一・その二 | 作品No.2399・2400。3月31日放送。磯野家の隣だった浜さん一家が伊豆に引っ越すため一緒に伊豆を旅行する。ノリスケ一家も同行[199][200]。 |
16 | 茨城県 | 「カツオの科学万博報告」[1]。 | カツオがつくば万博へ行く。6月30日放送[1]。 | |
17 | 1986年 | 青森県・秋田県・山形県 | 「サザエさんの夏休み青森の旅」
「サザエさんの夏休み秋田、山形の旅」 |
作品No.2611・2613[199]。 |
18 | 1987年 | 兵庫県 | 「サザエさんの夏休み姫路の旅」 | 作品No.2759 |
19 | 1989年 | 栃木県・群馬県など | 「サザエさんの夏休み尾瀬日光の旅」 | 作品No.3054[199]。1993年7月27日再放送。 |
20 | 1990年 | 京都府・奈良県・大阪府 | 「ちょっと気軽に京都・奈良」 | 作品No.3167[199]。1泊2日。帰る前に大阪のマスオの実家に寄る。この時も「サザエさんのお正月休み関西旅行」前編・後編と同様に実在の鉄道車両である京阪初代3000系「テレビカー」が2度目の登場(磯野家は京阪初代3000系に京橋駅→天満橋駅間の1駅間のみ乗車し、大阪城に立ち寄っている)。 |
21 | 大阪府 | 「行ってきました花の万博」[1]。 | 作品No.3170。サザエさん一家が国際花と緑の博覧会に旅行。4月29日放送[1]。1991年1月2日放送「新春!サザエさん一家の初夢旅行!!」内の過去のダイジェストで「平成2年、大阪の旅」として紹介。 | |
22 | 1991年 | 岩手県 | 「春休みみちのく岩手の旅」 | 作品No.3317。 |
23 | 広島県 | 「花と海を訪ねて広島紀行」 | 作品No.3326[199]。 | |
24 | 岡山県 | 「サザエさん桃太郎と岡山の旅」 | 作品No.3329[199]。 | |
25 | 徳島県・香川県・愛媛県・高知県 | 「サザエさんの春休み四国よいとこ一度は行こう」 「サザエさんの春休み 黒潮・皿鉢・四万十の旅」 |
作品No.3470・3573[199]。 | |
26 | 1992年 | 長崎県 | 作品No.なし。新春スペシャル冒頭で放送。山里に温泉旅行。 | |
27 | 兵庫県 | 「サザエさんの春休み港神戸と姫路の旅」 | 作品No.3727[199]。 | |
28 | 1994年 | 京都府 | 「サザエさんの夏休み天橋立・京都の旅」前編・後編 | 作品No.3945・3948[199]。 |
29 | 1995年 | 栃木県 | 「磯野家ぶらり栃木の旅」 | 作品No.4056。1994年に営業開始した真岡鐵道「SLもおか」に乗車。 |
30 | 山形県米沢市 | 「すてき発見隊雪国へ」 | 作品No.4180。1992年に営業運転開始した山形新幹線に乗車して米沢入り。 | |
31 | 1996年 | 熊本県・長崎県・福岡県・佐賀県 | 「春休み九州旅行 熊本・長崎の巻」 「春休み九州旅行 福岡・佐賀の巻」 |
作品No.4202。1989年建設の福岡タワーから1993年開場の福岡ドームなどを眺める。 |
32 | 石川県・福井県 | 「サザエさん北陸旅行(その1)水あめからUFOまで」 「サザエさん北陸旅行(その2)イトヨからザゼンまで」 |
作品No.4285。10月27日・11月3日放送。 | |
33 | 1998年 | ハワイ | 「ドーンと一家でハワイ旅行」 | 30周年スペシャル。11月1日放送[1][201]。初の海外旅行(1999年放送「サザエさん一家の珍諸国漫遊記」より)。1994年に登場した「リゾッチャ」に搭乗。この時はサザエさんの原作漫画がアメリカで翻訳出版されたのと同時期である[注釈 75]。 |
34 | 2003年 | 山梨県 | 「富士山大好き」その1・その2 | 作品No.5238・5239。2月16日放送[201]。 |
35 | 北海道函館市・福島県 | 「磯野家北へ飛ぶ」 | 35周年スペシャル[1]。11月9日放送[201]。波平とフネの珊瑚婚式の記念旅行。1999年に営業を開始した「カシオペア」に乗車して函館入り。後で他の家族が波平・フネに合流する。 | |
36 | 2004年 | 不詳 | 「湯けむりぬくもり春の旅」 | 作品No.5269・5270。1月4日放送[201]。 |
37 | 2006年 | 宮城県登米市 | 「春色ロマンの城下町」 | サザエさん生誕60周年スペシャル。作品No.5696・5697。4月2日放送[202]。 |
38 | 2008年 | 静岡県沼津市 | 「母さんのふるさと」 | 40周年スペシャル。作品No.6101。11月16日放送[202]。フネの実家の石田家と母校(小学校)を訪れる。元々波平とマスオは来ていなかったが、用事があって静岡県まで来て合流したことにより磯野家・フグ田家一家が揃った。 |
39 | 2009年 | 不詳 | 「おんせん宿は花ざかり」 | FNS26時間テレビのコーナーとして7月26日に放送。作品No.6204。島田紳助が民宿の主人で登場。 |
40 | 2010年 | 富山県高岡市(高岡大仏) 南砺市(バットミュージアム、合掌造り) 富山市(旧八尾町) | 「虹色かがやく夏休み」 | 作品No.6371。8月29日放送。2006年開業の富山ライトレールに乗車。波野一家も一緒に富山県に行く。 |
41 | 2011年 | 福岡県太宰府天満宮・柳川市 長崎県島原市(島原城) 熊本県熊本市(熊本城)・阿蘇 |
「初旅・初夢・初笑い」 | 誕生65周年記念(アニメの後にはドラマ版も放映)。作品No.6420。1月2日放送。「放送開始42年にして初!家族揃って里帰り!福岡でお正月」(放送日前後の番組表より)。磯野家はフェリーで九州入り(北九州市門司区の新門司港)した。
波野一家は先にノリスケの実家に帰省しており、島原城で合流。南阿蘇鉄道高森線にある日本一長い名前の駅「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」が登場。 |
42 | 2012年 | 不明 | 「磯野家・海へ行く」前編・後編 | FNS27時間テレビのコーナーとして7月22日に放送。作品No.6653・6654。タモリをはじめとした一部の「いいとも」レギュラーがゲスト出演。 |
43 | 2013年 | 福島県福島市(花見山公園) 会津若松市(さざえ堂)・檜枝岐村 | 「花と星の福島旅行」前編・後編 | 放送2200回&45周年前祝いSP。作品No.6902・6903。4月7日放送[1]。 |
44 | 静岡県静岡市清水区(三保松原) | 「羽衣伝説 カツオ天女に会う」 | サザエさん放送45周年 アニメ&ドラマで2時間半SP 作品No.6975。12月1日放送。 | |
45 | 2014年 | 種子島(鹿児島県) | 「列車は思い出を乗せて」「宇宙に一番近い島」 | サザエさん 歌って踊ってロケットまで!放送開始から今日でぴったり45年スペシャル[1]。作品No.7160・7181。10月5日放送。途中で「SL人吉」(ここで海平と合流)「いさぶろう」「はやとの風」に乗車。 |
46 | 2017年 | 熊本県・大分県 | 「夢いっぱいの春休み〜熊本・大分旅行〜」 | サザエさん 放送2400回記念スペシャル[1]。作品No.7606。3月26日放送。 |
47 | 2019年 | 埼玉県秩父市 | 「磯野家の開運旅行〜秩父を行く〜」 | サザエさん放送50周年記念スペシャル 作品No.7897。1月6日放送[1]。秩父のパワースポットを訪れた。 |
48 | ロサンゼルス オレンジ郡|アナハイム | 「カツオ、夢のメジャーリーグ」 | サザエさん放送50周年記念スペシャル 作品No.8018。11月24日放送。作中の時期は2020年1月から4月に設定されている。 | |
49 | 2022年 | 岩手県遠野市 | 「磯野家の遠野物語〜妖怪とグルメの東北旅〜」 | サザエさん春の東北・岩手ワクワク旅スペシャル 作品No.8382。3月20日放送。 |
50 | 2024年 | 福岡県太宰府市(太宰府跡) 奈良県奈良市(平城宮跡) 宮城県多賀城市(多賀城跡) | 「美味しい歴史の旅」 | サザエさん放送55周年前祝いスペシャル 作品No.8723。3月31日放送。 |
1987年(昭和62年)から同局で毎年1回放送されている[注釈 76]長時間特別番組『FNS27時間テレビ』内のコーナーの1つとして、通常放送とほぼ同じ時間帯に放送されていた。先述の通り1998年以降は一部の年を除き、その年の総合司会者などがスペシャルゲストとして本編に登場することがある[注釈 6]。OPも特別版となりその年の『FNS27時間テレビ』によって異なっていた。2019年のみ通常のOPとなった。
2016年以前と2019年以降は同番組がこのコーナーを除いて全て生放送[注釈 77]だったため、番組中唯一字幕に対応していた(2019年は生放送部分もリアルタイム字幕放送で対応している)。
日本テレビ系番組との兼ね合いで『FNS27時間テレビ』のネットと制作参加から離脱しているテレビ大分では、事前に番組素材の提供を受けた上で、通常の時間帯とスポンサーで自社送出で同一の内容のものを放送したが(提供読みは通常通りだが、スポンサーテロップはテレビ大分の自局送出)、オープニングとエンディングは27時間テレビでの特別版ではなく通常の映像に差し替えられた。
放送回 | 放送年 | タイトル | スペシャルゲスト |
---|---|---|---|
第12回 | 1998年(平成10年) | 作品No.4550「歓迎!とび入り家族」 | 中居正広[1] |
第13回 | 1999年(平成11年) | 作品No.4700「SOS!ウェディングベル」 | |
第14回 | 2000年(平成12年) | 作品No.4845「星空の下のナカイくん」 | |
第18回 | 2004年(平成16年) | 作品No.5456「わが家のアイドル」 | 中居正広[1]・ナインティナイン |
第22回 | 2008年(平成20年) | 作品No.6054「笑いの主」 | 明石家さんま[1] |
第23回 | 2009年(平成21年) | 作品No.6304「おんせん宿は花ざかり」 | 島田紳助[1] |
第24回 | 2010年(平成22年) | 作品No.6359「七人のちゃぶ台」 | つるの剛士・上地雄輔[1] |
第25回 | 2011年(平成23年) | 作品No.6503・6504「カツオ明日のスター」 | 中居正広・ナインティナイン・三中元克[1] |
第26回 | 2012年(平成24年) | 作品No.6653・6654「磯野家・海へ行く」 | タモリ・ベッキー・ローラ・指原莉乃・柳原可奈子・渡辺直美[1] |
第27回 | 2013年(平成25年) | 作品No.6990「姉さん、ヤワラの道」 | 森三中[1]・小出恵介 |
第28回 | 2014年(平成26年) | 作品No.7148「笑顔のレシピ」 | SMAP[1] |
第29回 | 2015年(平成27年) | 作品No.7323「本気で挑戦!」 | ナインティナイン・中居正広・江頭2:50[1] |
第30回 | 2016年(平成28年) | 作品No.7514「磯野家スカッと大作戦」 | 内村光良・木下ほうか・菜々緒・山村紅葉・夏川加奈子・宍戸美和公[1] |
第32回 | 2018年(平成30年) | 作品No.7851「わが家の味噌汁紀行」 | 村上信五 |
第33回 | 2019年(令和元年) | 作品No.8047「迷子のマラソンランナー」 | |
第34回 | 2023年(令和5年) | 作品No.8615「いざ、真剣勝負!」 | 千鳥・かまいたち・ダイアン・ほいけんた |
放送開始から節目となる年を中心に、独自のプロジェクトを行っている。かつてはスペシャル版の放送など作品内にとどめたものが多かったが、2000年代以降は様々なメディアミックスを展開している。
本項目では、特別編やスペシャル版の放送以外での展開を中心に記述する。
2008年10月から2009年まで約1年間にわたり、テレビアニメ放送開始40周年を記念した特別企画が実施された。
2013年10月から2014年まで約1年間にわたり、テレビアニメ放送開始45周年を記念した特別企画が実施された。
2018年10月から2019年まで約1年間にわたり、テレビアニメ放送開始50周年を記念した特別企画が実施された。
2023年10月からテレビアニメ放送開始55周年を記念した特別企画が実施される予定。
2022年4月以降、日本財団との共同で「サザエさん×海と日本プロジェクト」を開始。オープニングで全国各地の「海」にまつわるスポットやシーンが紹介されるほか、同年9月11日には特別番組『サザエさん知ってますぅ? ニッポン全国海なぞ大調査!』(テレビ西日本制作)を放送[注釈 83][167][208]。同プロジェクトで実施されている全国のイベントにサザエさんが参加した。その後、2023年7月には同プロジェクトの功績により社会貢献者表彰(主催:公益財団法人)を受賞している。
1975年(昭和50年)4月1日から1997年(平成9年)11月11日まで[注釈 84]、毎週火曜19時から19時30分に『まんが名作劇場 サザエさん』も放送されていた。オープニングとエンディングを新規作成した再放送であり、季節に合わせ5~6年前に本放送された話の再放送となっていた。
製作はフジテレビとエイケン。フジテレビに関しては、編成部の管轄である本放送と異なり映画制作部が担当していた[209]。
再放送の番組としては、異例の23年間という長期間にわたり放送された。これ以降、番組の定期的な再放送は行われていない。
『火曜ワイドスペシャル』が2時間に拡大された場合及び『FNS歌謡祭』(賞レース時代)などの特番を19時から放送時や野球などスポーツ中継の場合は休止したが、1991年から1993年まではナイター中継が19時30分開始であったためにプロ野球シーズンでも通常通り放送された。
原作者である長谷川町子の訃報が発表されてから初となる1992年6月30日の放送では、番組の最後に「原作者の長谷川町子さんは心不全のために逝去されました。つつしんでご冥福をお祈り申し上げます。なお、番組は故人の遺志により今後も引き続き放送させていただきます。」というテロップを表示した[27]。
本放送と異なり次回予告はカットされていた。
アニメ制作のエイケンは本放送の人気と長期化に伴い、原作使用料の高騰や仕事が『サザエさん』のみになりつつあったことなどから、将来的に経営困難で製作不可となる可能性が浮上するようになる。これにより、番組を続けたいフジテレビは救済策の一環として、また他に様々な要因もあり放送を企画したという[210]。そのため、クレジットされていた宣弘社(当時)と本放送を提供していた東芝は当番組にあまり関与しておらず、スポンサーは全国ネットのネットワークセールス時代から各局で異なっていた[注釈 85]。
長谷川町子は当初「日曜の放送があれば結構」とこの企画に難色を示すが、当時フジテレビ編成局長だった日枝久による説得の末、長谷川および原作の著作権管理を行う姉妹社は「主題歌の変更」を条件に放送を承諾[210]。また、フジテレビは本放送と同額の原作使用料を支払うこととなった[210]。
放送は関東ローカルの予定だったが、フジテレビ側の営業がネットワークセールス枠にしたため多くの地方でも放送されることとなった[注釈 86][注釈 87][210]。そのため、地方局からは「なぜ再放送なんか回してくるんだ」と不評な中での放送開始となるが、再放送にも関わらず平均視聴率が15%になるなど成功したことで、放送は続くこととなった[210]。
その後、エイケンが支払っていた本放送の原作使用料をフジテレビが支払うようになり、原作使用料を二倍払うことになったことなど複数の事情から放送終了になったという[210]。
「愛しすぎてるサザエさん」と「サザエさん出発進行」の2曲は、当時発売されたシングル盤がすぐに廃盤・回収となっており、当初予定されていた『サザエさん音楽大全』はこの余波で発売中止となり、それらを削除する形で改めて発売されることになった[211][212]。理由については諸説あり、エイケン側のプロデューサーである鷺巣政安は「原作者の長谷川町子が『こんなのは「サザエさん」じゃない』と激怒した」と証言している[210]ほか、フジテレビ側のプロデューサーを務めた大橋義輝は「町子の姉である長谷川毬子が『水森の声が“サザエ”のイメージに合わない』と怒りのクレームをいれ、最終的に制作会社の社長が長谷川家を出禁になる形で落ち着いた」と証言している[213]。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 開始時期 | 放送時間 | ネット状況 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ(CX) | フジテレビ系列 | 放送開始 - | 日曜 18:30 - 19:00 | 【制作局】 | |
北海道 | 北海道文化放送(uhb) | 1972年4月開局から | 同時ネット | |||
岩手県 | 岩手めんこいテレビ(mit) | 1991年4月開局から | ||||
宮城県 | 仙台放送(OX) | 放送開始 - [注釈 89][214] | ||||
秋田県 | 秋田テレビ(AKT) | 放送開始 - | ||||
山形県 | さくらんぼテレビ(SAY) | 開局前の1997年3月30日から[注釈 90][215] | ||||
福島県 | 福島テレビ(FTV) | 1971年10月 - 12月 1983年10月 - [注釈 91][216] 1976年4月 - 1997年(『まんが名作劇場』)[注釈 92][217] | ||||
新潟県 | NST新潟総合テレビ(NST)[注釈 93] | 1975年10月5日[219][注釈 94] - | ||||
長野県 | 長野放送(NBS) | 放送開始 - | ||||
静岡県 | テレビ静岡(SUT) | |||||
富山県 | 富山テレビ(BBT) | [注釈 95] | ||||
石川県 | 石川テレビ(ITC) | |||||
福井県 | 福井テレビ(FTB) | |||||
中京広域圏 | 東海テレビ(THK) | |||||
近畿広域圏 | 関西テレビ(KTV) | [注釈 96] | ||||
島根県・鳥取県[注釈 97] | さんいん中央テレビ(TSK) | 1970年4月 - | ||||
岡山県・香川県[注釈 98] | 岡山放送(OHK) | 放送開始 - 1970年9月25日 1976年4月 - [注釈 99] | ||||
広島県 | テレビ新広島(tss) | 1975年10月開局から | ||||
愛媛県 | テレビ愛媛(EBC) | 1969年12月開局から | ||||
高知県 | 高知さんさんテレビ(KSS) | 1997年4月開局から | [注釈 100] | |||
福岡県 | テレビ西日本(TNC) | 放送開始 - | ||||
佐賀県 | サガテレビ(STS) | |||||
長崎県 | テレビ長崎(KTN) | 放送開始 - [注釈 101] | ||||
熊本県 | テレビくまもと(TKU) | 放送開始 - | ||||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ(KTS) | 1994年4月 - | ||||
沖縄県 | 沖縄テレビ(OTV) | 放送開始 - | ||||
大分県 | テレビ大分(TOS) | 日本テレビ系列 フジテレビ系列 | 1975年4月1日 - [222][注釈 102] | |||
宮崎県 | テレビ宮崎(UMK) | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 | 不明 - [注釈 103] | |||
青森県 | 青森テレビ(ATV) | TBS系列 | 1974年10月5日 - | 土曜 17:00 - 17:30 | 遅れネット | [注釈 104] |
山梨県 | テレビ山梨(UTY) | 1979年10月 - 2009年3月 2009年7月 - | 日曜 5:30 - 6:00 | [注釈 105] | ||
山口県 | テレビ山口(tys)[注釈 106] | 1979年10月 - | 土曜 11:59 - 12:30 | [注釈 107] | ||
徳島県 | 四国放送(JRT) | 日本テレビ系列 | 1970年代前半 - | 月曜 10:55 - 11:25 | [注釈 108][注釈 109] |
放送対象地域 | 放送局 | 現在の放送系列 | 放送期間 | 備考(移行した理由など) |
---|---|---|---|---|
北海道 | 札幌テレビ(STV) | 日本テレビ系列 | 1969年10月7日[224] - 1971年12月28日[225] | 北海道文化放送開局により[注釈 110] |
岩手県 | IBC岩手放送(IBC) | TBS系列 | - 1971年9月 不明 - 1991年3月 | 岩手めんこいテレビ開局により[注釈 111] |
山形県 | 山形テレビ(YTS) | テレビ朝日系列 | 1970年4月[227] - 1993年3月28日[228] | テレビ朝日系列へネットチェンジにより[注釈 112] |
テレビユー山形(TUY) | TBS系列 | 1993年4月3日[229] - 1997年3月29日[230] | さくらんぼテレビ開局により[注釈 113] | |
新潟県 | 新潟放送(BSN) | 1969年10月13日 - 1975年9月 | 月曜 18:00 - 18:30で放送[231] 新潟総合テレビに移行 | |
山梨県 | 山梨放送(YBS) | 日本テレビ系列 | 1975年4月4日 - 1976年3月 | 金曜 16:30 - 17:00で放送[232] 1979年10月以降はテレビ山梨でネット[233] |
島根県 | 山陰放送(BSS) | TBS系列 | 放送開始 - 1970年3月 | 山陰中央テレビ開局により[注釈 114] |
広島県 | 広島テレビ(HTV) | 日本テレビ系列 | 放送開始 - 1971年12月28日 1972年10月 - 1975年9月 | テレビ新広島開局により[注釈 115] |
山口県 | 山口放送(KRY) | - 1979年9月 | テレビ山口に移行[注釈 116] | |
香川県 | 西日本放送(RNC) | 放送開始 - 1979年3月 | 岡山県との電波相互乗入れの為、打ち切り[注釈 117] | |
高知県 | 高知放送(RKC) | - 1997年3月31日[234] | 高知さんさんテレビ開局により[注釈 118] | |
鹿児島県 | 南日本放送(MBC) | TBS系列 | - 1994年3月27日 | 鹿児島テレビのFNS一本化に伴い同局へ移行[注釈 119] |
2018年以降は放送50周年を記念し、初期作品(1969年〜1978年放送分)と傑作選(2000年代後半の作品の一部)がフジテレビの有料配信サービス「FOD」にて配信されている。
初期作品に関して、デジタルリマスターは東京現像所が担当[239]。当時の時代的背景と作品のオリジナリティを考慮し、現代では不適切とされる表現(放送禁止用語)には修正を加えず、作品完成時の原版通り配信されている。現存するフィルムの状態を鑑み、一部の作品は欠番となっているほか「6周年傑作集」(先述)の再放送時の映像と差し替えられているものもある。次回予告は配信されていない。
2022年までは、Amazonプライム・ビデオでも配信されていた[18]。
上記の通り、1975年(昭和50年)3月15日に『東宝チャンピオンまつり』内で、1971年(昭和46年)3月14日に放送された226話(第76回Aパート)「送辞をよむぞ!」がブローアップ上映された[21][240]。50年を超える放送の歴史の中で、劇場で上映されたのはこれが唯一である。またエイケン作品が『東宝チャンピオンまつり』で上映されたのは本作が唯一である。上映時間は11分[240]。
併映は『メカゴジラの逆襲』『はじめ人間ギャートルズ』『アルプスの少女ハイジ』『新八犬伝』『アグネスからの贈りもの』の5本[240]。
2016年11月29日に講談社のDVDマガジン「ゴジラ全映画DVDコレクターズ」中の一本として発売された『メカゴジラの逆襲』には、当時のパンフレットやポスターが復刻挿入されており、本作も当時のまま掲載されている。
1977年から1987年12月31日まで、このアニメ版準拠のキャスティングで『連続ラジオまんが おはようサザエさん』が放送された。文化放送でフロート番組としての放送だったことから、放送枠は『マエタケの朝は自由大通り』→『高島忠夫の気ままなジャンボ』→『お元気ですか高島忠夫です』と変遷している。提供も、当時のアニメと同じ東芝の一社提供であった。
2013年10月11日、アニメ開始45周年を記念してサザエがパーソナリティを務める「サザエさんのオールナイトニッポンGOLD」が、ニッポン放送制作・NRN系列局で放送された。
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