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日本の酒造会社 ウィキペディアから
麒麟麦酒株式会社(きりんビール、Kirin Brewery Company, Limited)は、日本の酒造会社で、キリンホールディングスの連結子会社でもある。一般的な企業名表記として、片仮名のキリンビール株式会社も用いられる[2]。
麒麟麦酒株式会社本社 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場(注) |
略称 | キリン、麒麟 |
本社所在地 |
日本 〒164-0001 東京都中野区中野四丁目10番2号 中野セントラルパークサウス |
設立 | 1998年(平成10年)3月2日(注) |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 1010001098858 |
事業内容 | ビール等酒類の製造 |
代表者 | 代表取締役社長 堀口英樹 |
資本金 | 300億円 |
売上高 |
6480億7400万円 (2023年12月期)[1] |
営業利益 |
254億5400万円 (2023年12月期)[1] |
経常利益 |
280億8600万円 (2023年12月期)[1] |
純利益 |
247億2200万円 (2023年12月期)[1] |
純資産 |
730億3600万円 (2023年12月期)[1] |
総資産 |
3985億2100万円 (2023年12月期)[1] |
従業員数 | 3,585名(2022年12月31日現在) |
決算期 | 12月31日 |
主要株主 | キリンホールディングス株式会社 100% |
主要子会社 | キリンビールマーケティング株式会社 100% |
関係する人物 |
ウィリアム・コープランド T・グラバー 米井源次郎(創設者) 伊丹二郎(元会長) 磯野長蔵(設立発起人) 三宅占二(元社長) 松沢幸一(元社長) 佐藤安弘(元社長) |
外部リンク | https://www.kirin.co.jp/ |
特記事項:注:現麒麟麦酒株式会社は2007年7月1日、持株会社「キリンホールディングス株式会社」へ移行した(旧)麒麟麦酒株式会社(1907年設立)より事業を承継(旧麒麟麦酒の持株会社移行の為の準備会社だった(旧)キリンホールディングス株式会社(1998年設立)が、商号を麒麟麦酒株式会社に変更)。 |
現会社は、キリンホールディングス株式会社(旧麒麟麦酒の改組により設立)のビールや発泡酒を製造する事業子会社である。企業グループは三菱グループに属する。
1870年(明治3年)にノルウェー系アメリカ人ウィリアム・コープランドが、日本で初めて大衆向けにビールを醸造・販売した企業「スプリング・バレー・ブルワリー(SPRING VALLEY BREWERY、コープランドビール)」を起源とする、日本のビール事業の草分け的企業である。
幾多の変遷を経て、1907年(明治40年)に三菱財閥傘下の日本国籍会社「麒麟麦酒」として新発足。第二次世界大戦後は徐々に生産量を増やし、1954年(昭和29年)には、年間庫出量でトップシェアを獲得し、国内ビール企業の地位を確固たるものにする。アサヒビールの「アサヒスーパードライ」の台頭までは、継続的に首位を守った。2009年(平成21年)はアサヒビールがビール類(ビール・発泡酒・第三のビール)「販売数量」首位となっており、新商品の投入合戦で熾烈なシェア争奪戦を繰り広げているが、発泡酒と第三のビールでは、キリンがトップシェアを獲得していることもあって、2009年(平成21年)のビール類「出荷量」市場シェアは、キリンビールが37.7%とアサヒビールの37.5%をわずかながらも抑え9年ぶりに首位に返り咲いた[3]。
ビールの商品構成は多品種で品揃えは業界一、2010年(平成22年)2月時点で定番ビール11銘柄(ライセンス品含む)を製造・発売している。
2007年(平成19年)7月1日、従来の事業持株会社の「麒麟麦酒(旧)」は「キリンホールディングス」と商号変更し、純粋持株会社となった。ビールなどのアルコール飲料の製造・販売事業については、1998年(平成10年)に設立されグループの共通業務を担当し、純粋持株会社制の準備に当たってきた「旧・キリンホールディングス」を改称した事業子会社「麒麟麦酒(新)」に移管された。2007年(平成19年)7月1日以降、この項目では事業会社の「麒麟麦酒(新)」について説明する。
2012年(平成24年)の到来とともに、さらなるグループ再編の一環として「製販分離」を実施。本社に残っていた営業部門を分割し、これにグループでマーチャンダイズ事業を行っていた会社を統合させ、新会社として切り離した[4]。これを一時統合検討相手とされたサントリーグループに当てはめると、この会社が製造を担う「サントリー酒類(初代)」に、分離された新会社が販売を担う「サントリービア&スピリッツ」に、それぞれ相当する[注釈 1][注釈 2]。
2013年(平成25年)には、グループ会社のキリンビバレッジ株式会社・メルシャン株式会社とともに、国内綜合飲料事業会社として、キリングループオフィス株式会社から商号変更したキリン株式会社の傘下へ異動。
2019年(令和元年)7月1日、親会社のキリン株式会社がキリンホールディングスに吸収合併され、同社の直接子会社となった[5]。
「麒麟(キリン)」という名前の由来については諸説あるが、当時の記録によると、幹部の荘田平五郎の提案によるものであることが分かっている。
「麒麟」は、空想の古代中国の聖獣(霊獣)で、縁起が良いとされており、命名当時、海外のビールで、動物名が多く用いられていたことにちなみ、かつ日本人に受け入れられやすい名称として導入したという説がある[16]。
また、創業者コープランドの親しい友人の名前である「カリン」から来ているという説もある[要出典]。
キリン原宿旧本社ビルは、東京都渋谷区神宮前六丁目26番1号に所在した、麒麟麦酒株式会社(以下「キリンビール」)の本社社屋である。ビルは明治通りと山手線に挟まれた高台の、かつては穏田と呼ばれた地区にあり、約1,800坪の敷地に対して建坪は500坪に過ぎず、残りは日本庭園となっている[21]。
このビルが竣工してキリンビールの本社となったのは1976年(昭和51年)で、当時創立70周年を迎えたキリンビールは、他社によって建築中だったこのビルを土地ごと購入、改装して本社社屋としたものである[21]。このビルはもともと高級マンション仕様として設計・建築されており、余裕のある建物配置や内部構造はこの事情に由来している[21]。
1995年(平成7年)には一旦本社機能が中央区新川に移され、このビルは麒麟麦酒の医薬事業の事務所として使用されることになった。
しかしながら2009年(平成21年)8月には麒麟麦酒株式会社の本社はここに再移転、翌2010年(平成22年)2月にはキリンビバレッジ社の本社もこのビルに移転された[22]。これは、キリングループ内における飲料グループ同士のシナジー効果を図るという経営戦略に基づいたもので、この2社本社機能隣接の際には、キリン原宿旧本社ビル内の設備・設計も大幅に改装された[22]。
ただキリングループの国内主要子会社の本社を一箇所に集約することになり、同ビルはその目的にはやや手狭であることなどから、2013年(平成25年)に本社機能を中野区の中野セントラルパークサウスに移転した[23]。これに伴い当ビルは新川のキリンホールディングス本社などと共に売却され[24]、2015年3月に一般社団法人 巨樹の会 原宿リハビリテーション病院が開業した[25]。
キリンビールは全国各地に統括支社を設置し、その地域に合わせたキャンペーン活動を展開している。
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かつて存在した旧原宿本社は、もともと医薬品事業の統括を行っていた事務所であり、持株会社制移行で新麒麟麦酒(キリンビール)が酒類に専念することとなったため、キリンファーマ本社を経て、協和発酵キリンの事業部などグループ企業が入居していたが、2009年(平成21年)8月、キリンビール本体の営業本部が原宿に再移転した(登記上の本店は中央区新川に残る)。2013年(平成25年)5月までに本社・登記上の本店を中野に移転した後、原宿本社ビルと新川ビルは売却され、旧原宿本社ビル跡には、佐賀県に本部を置き九州を中心に医療施設を展開する一般社団法人巨樹の会による医療施設「原宿リハビリテーション病院」が2015年(平成27年)3月に開業した。
工場名 | 工場 番号 |
操業年 | 住所 | 飲食施設 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
北海道千歳工場 | 31 | 1986年 | 北海道千歳市上長都949-1 | ハウベ | かつては清涼飲料専門工場であり、社内では「レモン工場」と呼ばれていた。 |
仙台工場 | 14 | 1923年 | 宮城県仙台市宮城野区港2-2-1 | キリンビアポート仙台 | 1919年に仙台で創業した東洋醸造(フジビール)を買収し、1923年より同社工場を当社3番目の工場とした[30]。1983年に現在地に移転[30]。仙台臨海鉄道仙台西港駅から専用鉄道が通じる。 |
取手工場 | 24 | 1970年 | 茨城県取手市大字桑原188-1 | ||
横浜工場 | 28 | 1926年 | 神奈川県横浜市鶴見区生麦1-17-1 | SPRING VALLEY BREWERY YOKOHAMA(スプリングバレーブルワリー横浜) キリンビアポート横浜 |
本社工場(山手工場、旧スプリング・バレー・ブルワリー)を関東大震災の被災のため移転[14]。 |
名古屋工場 | 12 | 1962年 | 愛知県清須市寺野花笠100 | BREWER'S HOUSE(ブルワーズハウス) | |
滋賀工場 | 17 | 1974年 | 滋賀県犬上郡多賀町大字敏満寺字犬掛1600 | ||
神戸工場 | 11 | 1997年 | 兵庫県神戸市北区赤松台2-1-1 | 丘の上のビアレストラン | 尼崎工場(後述)の後継工場として操業。 |
岡山工場 | 15 | 1972年 | 岡山県岡山市東区瀬戸町万富678 | ||
福岡工場 | 61 | 1966年 | 福岡県朝倉市馬田字上原3601 | キリンビアファーム |
麒麟麦酒は鉄道貨物との繋がりが深く、1984年(昭和59年)2月の「59・2」ダイヤ改正まではほとんどの工場で専用線を所有していた。この専用線を使って、ワム80000形貨車(ビール輸送専用番台)による製品輸送や、私有貨車(国鉄ホキ9800形貨車)によるビール原料である麦芽の鉄道貨物輸送を行っていた。
その後、輸送に関わっていた従来の鉄道貨車は全て廃棄されて、現在は唯一専用線が残っている仙台工場のみ、鉄道コンテナによる製品出荷を行なっている。なお、従来ホッパ貨車で大量に輸送されていた麦芽は、国内産品は契約運送会社のバルク車で納入し、大半を占める輸入品は全量をコンテナ内部に大きな袋を吊るした海上コンテナを使い、全国の工場で納入されている。
営業関係の拠点は分社実施により全て新会社「キリンビールマーケティング」に移され、現在麒麟麦酒本体に残るのは商品の開発・製造に関係する拠点のみである。なお、両社とも本部機能は中野四季の都市に置く。
★は過去のグループ会社
1995年よりサッカー日本代表公式スポンサーを務める。元々は前述のキリン原宿本社ビルが、山手線の線路を挟んで当時日本サッカー協会(JFA)が入居していた岸記念体育会館と向かい合わせだったという縁から、1978年にJFAが開催した「ジャパンカップ」に協賛したことがきっかけ。ジャパンカップは1985年に「キリンカップサッカー」と大会名を改め、現在に至るまで協賛を続けている。また2001年からはサッカー日本女子代表、2007年からはフットサル・ビーチサッカー日本代表にもカテゴリーを拡大[34]、さらに2023年1月より日本代表のみならずJFAの全ての事業を支援するカテゴリー最高位の「JFAオフィシャルパートナー」契約を締結した[35]。
日本オリンピック委員会のオフィシャルパートナーでもあったが、サッカーの国内プロ化以前から支援していたサッカーへのサポートに専念するため、2008年度(平成20年度)いっぱいで契約を打ち切った[36](その後、アサヒビールに変更)。また2007年(平成19年)まではバスケットボール男子日本代表のスポンサーでもあった。
キリンアートアワード開催やKPOキリンプラザ大阪での展示会など、現代アートへの寄与を行っていた。2007年(平成19年)11月1日以降の芸術文化支援はキリンホールディングス株式会社が主体となっている[37]。
パフォーミングアートのイベント協賛として、静岡県静岡市で毎年秋に開催される「大道芸ワールドカップin静岡」に、静岡支社(旧静岡統括支社)が第二回目から協賛している。
他多数
提供クレジットは2006年(平成18年)まで「KIRIN」だったが、2007年(平成19年)から「KIRIN キリンビール」と表示されるようになった。現在は、「(麒麟のイラスト)KIRIN」と表示されている。提供案内は「キリンビール・キリンビバレッジの提供でお送りします・しました」と言う。また、希にグループ会社のメルシャンの製品CMも流れることもある。
2013年(平成25年)10月から2015年3月までは、一社提供・大筆頭番組を除き常時提供する番組は報道番組のみになり、その他の番組には不定期スポンサーとして幅広く提供していた。
ほか多数
一方のラジオでの番組提供はほとんどプロ野球中継の曜日別スポンサーでの提供契約が多かったため10月-翌年3月はスポットでの広告展開になっていたが、いつかは不明だが、FMでも広告を出稿する様になってからは通年通しでラジオCMが流れるようになった。しかし、未成年の飲酒やドライバーの飲酒運転が社会問題へ発展し、テレビ同様ビール・酒造組合からビールCMの広告展開の見直しが現在要求されている。それを見越して、一部の放送局では提供番組をプロ野球中継から音楽番組へ切り替えている。また、かつて地ビールのラジオCMが地域ごとに流されていたこともあった。
この節の加筆が望まれています。 |
スポーツ新聞の1頁目題字の段に、遅くとも1980年代の初め頃まで、キリンビールのビンの王冠の写真をデザインし、その上に「品質本位」という広告が掲載されてあった。
ビール瓶やアルミ缶・流通用段ボール箱等の形について、国内の同業他社(アサヒ・サッポロ・サントリー)が基本的に共通規格のものを用いているのに対し、キリンビールは独自規格品を使用している。理由としては軽量化やコスト削減の他、ビール瓶については「伝統の『なで肩』を守る」という目的もあるという[43]。
一般的な太さのアルミ缶は、1995年頃から上部の直径が狭い「204径缶」を日本で初めて採用[注釈 34] している。飲み口の幅が広い広口缶(キリンでの名称は「飲み口ワイド缶」)も、他社では2000年代から採用開始されたのに対し、キリンでは1997年より「ビール工場」と「LA2.5」で採用を開始し、1998年には135ml缶を除く全商品で採用している。社内には「パッケージング技術開発センター」が設けられており、瓶・缶の軽量化やCO2排出量削減を継続的に行っている[44]。
三菱系の関連会社内部での宴会や接待等でのビールはキリンに限られるという不文律があった(社内で使用する文房具には三菱鉛筆の製品が選ばれるというのと同様)。
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