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『日本沈没』(にっぽんちんぼつ[1]、にほんちんぼつ[2][3])は、1973年(昭和48年)に刊行された小松左京による日本のSF小説。
日本沈没 | ||
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著者 | 小松左京 | |
発行日 | 1973年(昭和48年) | |
発行元 | 光文社 カッパ・ノベルス | |
ジャンル | SF小説 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
ページ数 |
264(上巻) 248(下巻) | |
コード |
ISBN 9784334720438 ISBN 9784334720445(下巻) | |
ウィキポータル 文学 | ||
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1973年と2006年には映画化、1974年と2021年にはテレビドラマ化、1973年と1980年にはラジオドラマ化、1970年代と2000年代には漫画化、2020年にはWebアニメ化されるなど、様々なメディアミックスがなされている。
1964年(昭和39年)から執筆が開始され、9年がかりで完成した[4]。当初は複数巻となる予定だった長編を出版社の要請で短縮し、上下巻とした[5]。本作品に先行して執筆していた『復活の日』で描かれるアラスカの大地震を予測するという設定は、本作品のために地震学の資料を集めていたことにも由来している[5]。映画作品中においては、現実の地球物理学者であった竹内均博士を出演させている。
まず、1973年(昭和48年)3月20日に光文社カッパ・ノベルスより書き下ろしで上下2巻が同時刊行された[4]。当初は3万部ずつだったが[5]、版数を重ねるごとに出版数が増え、上巻204万部、下巻181万部の計385万部まで伸び、「空前の大ベストセラー」とも評された。その結果、1億2,000万円の収入を得た小松は文壇長者番付の5位にランクインし、1974年には第27回日本推理作家協会賞、第5回星雲賞日本長編部門をそれぞれ受賞している。刊行から50年を経た2023年時点での累計部数は490万部を超える[6][7]。
ベストセラーになったことにより、小松の知名度を上げて日本におけるSFの浸透に一役買うことになった。その背景には、高度経済成長が終わりを迎えた1970年(昭和45年)の日本万国博覧会に代表される薔薇色の未来ブームへのアンチテーゼとして登場したことの衝撃に加え、1973年の狂乱物価とも言われたインフレーションやオイルショックなどによる社会不安があった[4][8][注釈 1]。また、同年が関東大震災から50年という節目でもあり、本作品によって大規模災害への不安が喚起されるきっかけともなった[9]。一部のマニアに愛好されるものであったSFというジャンル自体も、一般に普及していったとされる[4]。
1976年には、マイケル・ギャラガーによる3分の1ほどの抄訳が、アメリカにて『JAPAN SINKS』のタイトルで出版された。
小松自身は、題名を「『日本滅亡』――果てしなき流れの果てに…、出発の日」とつけていたが、担当編集者であった浜井武の「『日本沈没』のほうが“滅亡”よりユーモラスだ」という主張により、『日本沈没』となったという[10]。
元々は「日本人が国を失い放浪の民族になったらどうなるのか」をテーマに据えており[4]、日本列島沈没はあくまでもその舞台設定で、地球物理学への関心はその後から涌いたものだという。しかし、そのために駆使されたのが当時になって広く認知され始めていたプレート・テクトニクスであり、本作品はその分野を広く紹介する役割をも果たした。この分野に関する作品中の解説やアイデアは、修士論文に相当するとの声もあったほどである[注釈 2]。
難民となって世界中に散っていった日本人を描く第2部の構想(仮題は『日本漂流』)もあったことから、下巻の最後には「第1部・完」と記されていた。下巻発刊後から長らく執筆されることはなかったが、2006年のリメイク版映画の公開に合わせ、谷甲州との共著という形で出版された。
197X年夏。小笠原諸島の北にある無名の小島が、一夜にして海底に沈んだ。地球物理学者・田所雄介博士は、ただちに現地調査に赴く。深海調査艇「わだつみ」号の操艇者・小野寺俊夫、海洋地質学者の幸長助教授と共に日本海溝[注釈 3]に潜った田所は、海底を走る奇妙な亀裂と乱泥流を発見する。
おりしも伊豆半島付近で地震が発生し、それに誘発されて天城山が噴火したため、内閣では地震学者との懇談会を開いて意見を聞くことになった。その席に招かれた田所は「日本がなくなってしまう」可能性を口にするが、学者仲間の失笑を買うだけだった。だが、政財界の黒幕である渡老人は自らの周囲に起きていた事象と符合する田所の説に興味を抱き、それを検証するために首相を呼びつけ、極秘で「D計画」を立ち上げさせる。
D計画に集った田所、幸長、小野寺、情報科学者の中田一成らは、やがて一つの結論に達する。それは、日本列島近傍のマントル流に急速な異変が起こっており、その結果として「日本列島は最悪の場合2年以内に、地殻変動で陸地のほとんどが海面下に沈没する」というものだった。一方、渡老人は比較文明史学者の福原教授らに依頼し、日本人の国外脱出とその後に関する計画を策定させる。
その間にも京都に次いで東京が巨大地震に襲われ、富士火山帯の火山が相次いで噴火するなど、異変は着実に進行していた。田所は危機が迫っていることを国民に知らせ、そのことに対する反応を見ようと故意に週刊誌とテレビで情報を暴露し、D計画を去る。
その後、コンピューターによるシミュレーションの結果、日本沈没が10か月以内に迫っていることが判明し、首相は日本沈没の危機が迫っていることを国会演説で発表する。休火山[注釈 4]までが活動を始めるなか、精鋭スタッフたちは死に物狂いで全国民の国外脱出計画「D-2」を遂行し、日本人を続々と海外避難させる。一方、あえて国内に留まり日本列島と運命を共にする道を選択する者もいた。
そして、日本列島は四国を皮切りに次々と海中に没していき、最後まで残っていた北関東が大爆発を起こした結果、完全に消滅する[注釈 5]。
197X年と書かれているが、執筆当時から予測される近未来と設定されており、当時はまだ完成していなかった施設のうちのいくつかが既に稼動しているものとして話が進められている。新東京国際空港(現在の成田国際空港)・青函トンネル・関西国際空港(小説上は神戸沖だが、現実の神戸沖には神戸空港があり、実際の関西国際空港は大阪南泉州地区沖にある[注釈 6])など。大型コンピュータ[注釈 7]のLSI化など確実に未来を予測したものもある。
実現しなかった未来の描写としては、水深1万メートルまで潜れるような深海潜水艇や超音速輸送機が多数登場する点が挙げられる。現実では、かなり未来のこととなったものを登場させているものとしては超電導リニアが全線の測量が終わり工事が始まっている。一方で東海道新幹線にビュフェがあるなど、その後の時代からみれば懐かしい描写もある。
国際情勢に関しても、執筆中に情勢が変化しているケースもあった(作中にはパプア紛争に介入する形で日本人の移住先確保を図ろうとする構想が描かれているが、発売直前にインドネシアが併合を強行している)。
日本列島を沈没させる科学設定のほかにも、「ナカタ過程」と呼ばれる架空の理論など、完全にフィクショナルな科学描写もある。
また、日本が沈没するのは人口増加率が減少に転じた数年後という設定もあり、そのため、ひそかに進められている海外移転計画が海外から「日本の人口対策ということはありえないと怪しまれる」という描写がある。
東宝映画・東宝映像の製作、東宝の配給で1973年(昭和48年)12月29日より正月映画として公開された[出典 6]。当初は同時上映に『グアム島珍道中』がつけられていたが、途中から本作品の1本立て興行に改められた[24]。
映画化の企画は東宝プロデューサーの田中友幸によって小説の刊行前から進められており[26][24][注釈 13]、「映画化のあと、TBSでテレビドラマ化する」という契約が交わされていた。このため、撮影現場にはテレビドラマ版のスタッフも2台のカメラを持ち込んで撮影参加している。
監督は黒澤明作品でチーフ助監督を務めた経験がある森谷司郎が、脚本は同じく黒澤作品に参加していた橋本忍がそれぞれ担当した[4][24]。製作期間は約4か月と短かったが、約880万人の観客を動員し、配給収入は16億4,000万円(1974年邦画部門配給収入1位)[27]を挙げる大ヒットを記録した[出典 7]。また、中野昭慶が監督した特殊撮影もアジア映画祭の特殊効果賞を受賞する評価を受けた[9]。本作品の成功で、森谷司郎は『八甲田山』などの大作映画を任せられる監督の地位を確立し、東宝も本作品に続く形で『ノストラダムスの大予言』(1974年)、『東京湾炎上』(1975年)、『地震列島』(1980年)までパニック映画を一つの路線として敷くこととなった[出典 8]。
アメリカ合衆国では、1975年にロジャー・コーマンのニューワールド・ピクチャーズにより『Tidal Wave』のタイトルで公開された[30][31]。ハリウッド俳優を使った追加撮影も行われたが、オリジナルより大幅に短縮されている[31]。アメリカでは100万ドルの配給収入を挙げた[32]。
以下の順番は本編クレジットに準拠。
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(以下はクレジットなし)
(以下は海外版のみ) |
テロップ非表示であるが、作中でマントル対流などを再現するアニメーションは月岡貞夫が作画を担当していたことが、後年に明かされている[37]。
本作品で特技監督を務めた中野昭慶は、東宝特撮映画では円谷英二・有川貞昌に続く3代目の同役職に就任した[38][39][注釈 23]。本作品では建物の倒壊に建築工学を考慮するなど、科学的に裏付けされた描写を重視しており、従来の怪獣映画などのような特撮のイメージを
東宝第7スタジオに建てられた富士山のセットは[注釈 25]、スタジオの外から望遠カメラで撮影し、空気感を再現している[40][34]。頂上の雪は、白い粉を撒いて再現している[40]。
倒壊する日本家屋のミニチュアは、ディテールを表現するため、壊れる描写からの逆算で1/10スケールで作られた[38]。都市のミニチュアには、『モスラ』(1960年)で制作されたものなど過去の造形物も総動員された[42]。振動にはコンピュータ制御による工業用のバイブレータが用いられた[42][19]。
コンビナートの爆破シーンでは、炎がステージの天井を焦がしている[43][44]。特殊効果の渡辺忠昭は、爆発が小さいと中野が指摘したため、ナパームを3倍に増やしてリテイクした結果であったと語っている[44]。特撮助監督の田淵吉男は、自身が渡辺にガソリンの量を多くするよう指示したのが原因であったと述べている[43]。また、渡辺は、本作品以降中野は火を好むようになったと証言している[44]。
泥乱流の描写は、本物の泥や富士山で採取した砂のほか、絵の具、顔料、煙など多数の素材を組み合わせて表現している[45]。撮影も7種類の手法をモンタージュしている[45]。
隅田川の洪水シーンは、操演の松本光司の提案により一発撮りで行われた[42]。倒壊する永代橋は、松本自身がミニチュアを手で押している[42]。
原作者の小松は、本映画の唯一の不満点として、潜水艦が進む海底が明るすぎることを挙げている[5]。
特撮班助監督を務めた川北紘一は、本作品がヒットしてもゴジラシリーズの予算が増えたということはなく、東宝本社は本作品が特撮の力で成功したという認識ではなかったと述懐している[46]。
『ゴジラ対メカゴジラ』では、本作品のコンビナート爆破シーンの映像やミニチュアを流用しており、美術助手の好村直行は流用を前提にコンビナートのシーンが設けられたと証言している[47]。
TBSなどが製作費20億円を投じて、東宝の配給で2006年7月15日に公開された。監督は、1973年版の映画を「自分が映画制作を志すきっかけとなった作品」と語る樋口真嗣が務めた。主演は草彅剛。初登場ランキング1位となり、興行53億4000万円の大ヒットとなった。海外の多数の国でも公開されている。
本作品のポスターはイラストレーターの生頼範義の描いた北海道、東京、京都、九州の「ご当地沈没」ポスターが4種類作成された。それとは別に中京地区の東宝宣伝部が独自に「名古屋沈没」のポスターを作成したため、急遽予定になかった名古屋崩壊シーンが追加されたいきさつがある。
タイトルの読みは監督の樋口によれば「にほんちんぼつ」。1973年版と紛らわしいことを理由に、樋口は旧作の読みは「にっぽんちんぼつ」であるとして使い分けている[50]。
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
本作品は、原作や前作と比較し、登場人物の設定や役回りが大きく異なっている。
監督の樋口は前作の映画のリメイクというよりも原作小説の再映画化というスタンスで挑み、前作に欠けていた一般の市井の庶民の視点を意識して取り入れたとしている。
肩書きは公開当時のもの。
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劇場公開時のクレジットでは「脚本 加藤正人」となっており、加藤の単独脚本ということになっていた[注釈 33]。しかし、DVDのクレジットでは成島の名前が追加されている。加藤は公開時の桂千穂との対談で、脚本は二人の共作(成島の名前は出していない)であるが、諸事情で自分の名前しか出ていないと話していた[51]。
1974年10月6日から1975年3月30日まで、TBS系列(一部地域を除く)・日曜20:00で全26回にわたって放送された(1975年12月31日には、総集編が放送されている)。おりしも、これに先駆けた19:30-20:00には同じく小松左京(他2名)が原作を務めた特撮サスペンスドラマ『SFドラマ 猿の軍団』が放送されており、90分間・2本連続で小松左京作品が放送された時代でもあった。
総製作費は前年の映画版同様の5億円、テレビドラマ史上空前となる巨額費用が投じられた[52]。
小松左京と東宝との「映画化の後TBSでテレビドラマ化する」との契約に従い、映画版(1973年版)と同時進行で撮影された。このテレビ版スタッフの撮ったカットには、映画版に使用されたものもあるという。『空の大怪獣ラドン』や『妖星ゴラス』、『ノストラダムスの大予言』[53]など過去の東宝特撮映画のシーンが映画版の特撮カット以外も流用されている。逆に映画『ゴジラvsモスラ』(1992年)は、名古屋城の破壊シーンに、本作品第4話の姫路城倒壊シーンを流用している[54]。
特撮(映画からの流用カットのみに頼ることなく、随所において意欲的な画面を作りあげた)だけではなく、ドラマ部分にも多額の予算が費やされ「キャスティング費用だけで1億円」といわれた[55]。田所博士役の小林桂樹以外は映画版と配役が異なるが[14]、下記の主要キャスト以外にも浜美枝、土屋嘉男、藤木悠ら東宝特撮作品でおなじみの面々をはじめ、豪華な顔ぶれがゲスト出演し、各回の物語を彩った。第14話「明日の愛」には、同名の主題歌を歌った五木ひろしも、玲子の機知で田所にあるデータを提供した航海士・桂省吾[注釈 35]役で出演している。1975年3月9日に放送された第23話「海に消えた鎌倉」には、松川首相の緊急記者会見を放送するテレビ画面に見入る一般国民として特技監督の川北紘一と俳優の大葉健二がカメオ出演している。
小説では中盤に大地震の発生によって大ダメージを受ける東京が終盤まで無傷だったり、幸長助教授(細川俊之)が海外調査という設定で途中から姿を消し(演者の降板による)[注釈 36]、代わりにそれまで対立していた野末技官(佐原健二)が田所博士の研究の補佐役に転じたり、小野寺の婚約者が第1回冒頭で地震に巻き込まれて死亡したり、小野寺の上司の吉村が会社の利益のために小野寺を利用し、玲子との仲を裂こうと暗躍したり、田所博士にマリアという生き別れの娘がいたりといったドラマ版独自の設定・展開がある。結末も、映画版では存在感を放っていた渡老人があまり登場せず、中田秘書官の台詞でその死が伝えられ、田所博士は生き残り、小野寺と玲子の逃避の成否を描かずに幕を閉じる(後に放送された総集編のナレーションでは、2人は生還しオーストラリアに脱出したとされている)。
本放送当時、関西でのネット局は朝日放送(ABC)だったが、後のTBS系列からNETテレビ(現在のテレビ朝日)系列へのネットチェンジの準備も重なっていた。奇しくも最終回が放送された3月30日は、ABCにおけるTBS系列として最後の放送日でもあった。
後に関西での再放送は、1987年秋から火曜深夜枠にて現在の系列局である毎日放送(MBS)にて流れた。
1995年に福岡県で深夜番組(早朝番組)として再放送されていたが、同年1月17日に第2話の放送が終わった直後、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が起こったため、3話目からの放送は打ち切られた。
さらに、2016年はCS放送の日本映画専門チャンネルで放送されていたが、熊本地震発生の翌日である同年4月15日午前中に放送された第7話をもって事実上の打ち切りとなっている[56]。
話数カウントは「第○回」である(第26回は「最終回」と表記)
回 | 放送日 | サブタイトル | 脚本 | 監督 | 特殊技術 | ゲスト |
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1 | 1974年 10月6日 | 飛び散る海 | 山根優一郎 | 福田純 | 田渕吉男 | 森下悦子:望月真理子 森下信介:下條正巳 悦子の母:今井和子 ニュースキャスター:新堀俊明 下田の消防団:加藤茂雄(ノンクレジット) 下田の消防団:今井和雄(ノンクレジット) 下田の消防団:里木佐甫良(ノンクレジット) 支配人:鹿島信哉(ノンクレジット) |
2 | 10月13日 | 海底の狂流 | 西村潔 | 森下悦子:望月真理子 土屋医師:佐々木勝彦 巡視船の船長:不明 | ||
3 | 10月20日 | 白い亀裂 | ジュン:関根世津子 刑事:鈴木治夫 小野寺の友人:石山克己 | |||
4 | 10月27日 | 海の崩れる時 | 長野卓 | 川北紘一 | 漫才コンビ ヒロ・タケシ:正司敏江・玲児 家政婦:江田正子 佐藤健 八木和子 アナウンサー:池水通洋 | |
5 | 11月3日 | いま、島が沈む | 長坂秀佳 | 絹川俊介:村井国夫 矢島教諭:津野哲郎 島民:木田三千雄 太一:新井つねひろ 少年:山瀬洋 少女:岩城けい子 看護婦:桂木美加 島民:草間璋夫 島民:夏木順平 島民:榊田敬二 | ||
6 | 11月10日 | 悲しみに | 西村潔 | 田渕吉男 | 絹川俊介:村井国夫 刑事:堺左千夫 佐々木一彦:頭師孝夫 刑事:加藤茂雄 後宮次長:守田比呂也 | |
7 | 11月17日 | 空の牙、黒い竜巻 | 山根優一郎 | トラックの運転手:広瀬正一 ドライバー:所雅樹 アナウンサー:池水通洋 ドライバー:宮村義人 家政婦:江田正子 フロント係:佐田淳 | ||
8 | 11月24日 | 怒りの濁流 | 山際永三 | 高野宏一 | 源さん:柳谷寛 官房長官:近藤準 科学技術庁長官:永井玄哉(ノンクレジット[注釈 44]) 総理府総務長官:田中志幸 建設大臣:相原巨典 ダムの職員:猪野剛太郎 管理人:和久井節緒 アキオ:八幡洋之 カズコ:松村みゆき 支配人:名川貞郎(ノンクレジット) D計画職員:大矢兼臣(ノンクレジット) 警備員:稲川善一(ノンクレジット) レストランの客:渡部猛(ノンクレジット) | |
9 | 12月1日 | 海底洞窟の謎 | 石堂淑朗 | 徳光春夫:大和田獏 徳光太左衛門:玉川伊佐男 大西良夫:三津田健 アナウンサー:池水通洋 D計画職員:大矢兼臣(ノンクレジット) | ||
10 | 12月8日 | 阿蘇の火の滝 | 長坂秀佳 | 金谷稔 | 川北紘一 | 沖田健司:大門正明 北川レイ子:新井春美 レイ子の父:高原駿雄 青木則彦:亀谷雅彦 藤田康之 大貫幸雄 高橋務 阿蘇山の饅頭売り:大村崑 |
11 | 12月15日 | 京都にオーロラが!! | 山根優一郎 | 高野宏一 | 日高:東野孝彦 | |
12 | 12月22日 | 危うし京の都 | 真船禎 | 日高:東野孝彦 藤田ゆみ 針谷弘之 藤井敏夫 吉川友子:夏純子 木村弘三:根上淳 アナウンサー:市川治、作間功 | ||
13 | 12月29日 | 崩れゆく京都 | 吉川友子:夏純子 木村弘三:根上淳 官房長官:近藤準 科学技術庁長官:斉藤英雄 総理府総務長官:田中志幸 建設大臣:相原巨典 ダグラス教授:トニー・セテラ 久米勲夫 竹渕真一 藤田ゆみ 住職:不明 | |||
14 | 1975年 1月5日 | 明日の愛 | 長坂秀佳 | 長野卓 | 川北紘一 | 天竜:荒谷公之 作業員:矢野間啓二 大田黒清吉:穂積隆信 現場監督補佐:柳生博 省吾の姪:和田麻里 ヒロシ:五藤義秀 マコト:益子隆充 桂省吾:五木ひろし 教授:竹内均(ノンクレジット[注釈 45]) |
15 | 1月12日 | 大爆発・海底油田 | 山内和美:浜美枝 山内弥作:柳沢真一 浜倉清司:新克利 ロバート・カスター:フランツ・グルーバー 老漁師:山田禅二 居酒屋の主人:池田生二 林寛一 漁師:吉中正一 漁師:貝武 和美の息子:安田泰三 カスターの声:辻村真人(ノンクレジット) | |||
16 | 1月19日 | 鹿児島湾SOS! | 山根優一郎 | 山際永三 | 高野宏一 | 結城ユカリ:田坂都 牛山社長:神田隆 職員:小松英三郎 巽:石井宏明 マダム:五月晴子(ノンクレジット) 主婦:岸井あや子(ノンクレジット) ウクレレ易者 牧震学:牧伸二 |
17 | 1月26日 | 天草は消えた! | 坂本和夫:林家木久蔵 坂本ハル:武智豊子 有吉光一:高津住男 北村主任:弘松三郎 天草の住民:細井利雄 D計画職員:石矢博 山田孝子 アナウンサー:市川殆 坂本ヤス子:木島幸 坂本リョウイチ:大沢総一郎 大浦隆 佐古雅美 | |||
18 | 2月2日 | 危機せまる小河内ダム | 西村潔 | 永井三郎:下條アトム 二本松直子:水沢アキ 安五郎の妻:石井富子 西崎所長:有馬昌彦 タクシー運転手:藤井敏夫 ダム職員:門脇三郎 坂本ハル:武智豊子(ノンクレジット) D計画職員:石矢博(ノンクレジット) 二本松安五郎:藤木悠 | ||
19 | 2月9日 | さらば・函館の町よ | 長坂秀佳 | 金谷稔 | 川北紘一 | 北條はな:千石規子 井上元太:保積ぺぺ 北條百合:竹井みどり 五郎:小原秀明 カズオ:福崎和宏 シゲル:鍋谷孝喜 操縦士:大理淳 |
20 | 2月16日 | 沈みゆく北海道 | 服部いく:加茂さくら 和田熊吉:草薙幸二郎 自衛隊員:宇留木康二 ミチ子:岩城睦子 サスケ:江村和紀 谷川村の老人:榊田敬二 シゲ:夏木順平(ノンクレジット) マサ:草間璋夫(ノンクレジット) 官邸職員:今井和雄(ノンクレジット) ミチ子の母親:川口節子(ノンクレジット) | |||
21 | 2月23日 | 火柱に散る、伊豆大島 | 長野卓 | 高野宏一 | 島本嘉門:吉田義夫 店主:小川安三 客室乗務員:伊藤よし子 アベック:中島公子 タエ子:山添三千代 コウヘイ:古堀宏 タエ子の母:川口敦子 大崎健一郎:福田豊士 タロー:カーリー カワサキ スヤマ号(渡紀エンタープライズ) | |
22 | 3月2日 | 折れ曲がる、日本列島 | 山根優一郎 | 石黒順一:小倉一郎 石黒房代:北沢典子 小里:水谷邦久 岸本:鈴木和夫 石黒弘二:高野浩幸 石黒サチ子:中村亜子 石黒泰三:土屋嘉男 | ||
23 | 3月9日 | 海に消えた鎌倉 | 金谷稔 | ヨウコ:山岸成美 中島外相:中村伸郎(ノンクレジット[注釈 46]) | ||
24 | 3月16日 | 東京都民・脱出せよ | 海上自衛隊幹部:永谷悟一 若者:寺本梢 若者:吉田めぐみ エミー:ポーラ野沢 若者:平野康 佐古雅美 石田徹 | |||
25 | 3月23日 | 福田純 | ヘリ整備係:山田禅二 救急隊員:今井和雄 岡山看護婦:若原初子 アナウンサー:田川恒夫 操縦士:大理淳 外国人女性:ハリー・ブラウン | |||
26 | 3月30日 | 東京最後の日 | 松本銀二:小鹿番 松本照子:曽我町子 自衛隊員:酒井郷博 松本夫妻の長男:池田義彦 |
映画版、テレビ版より早い1973年10月8日から1974年4月5日の半年間、毎日放送制作で、9:00 - 15分の帯番組として、月曜から金曜の毎日、全国ラジオネットワーク(NRN)系列局で放送された。全130回。
主人公小野寺の名前を俊夫から浩介へ、小野寺が乗る潜水艇の呼称をケルマデックからケマルデックへ、などの設定の変更がされている。また、小野寺の亡母が三保(現在の静岡市)で入水した、などの追加がされた。
上記のラジオドラマとは別に、1973年11月4日には文化放送にて『小松左京「日本沈没」より ここを過ぎて悲しみの都へ』と題したラジオドラマが放送された。原作から「日本が沈む」という設定だけを取り込み、政府の思惑や地殻変動の仕組みを知らない一市民が未曾有の大災害に翻弄される姿を描いた作品[58][59]。
第28回(1973年)文化庁芸術祭ラジオ部門優秀賞受賞[60]。
音源は放送ライブラリーで保存・公開[61]されていた一方、文化放送社内では長らく作品のことは「忘れ去られたまま」[62]だったという。その後、当時の放送を収録したオープンリールが小松宅で偶然見つかったことをきっかけに、2023年12月から2024年1月にかけて計4回放送された年末年始特番『小松左京クロニクル 「日本沈没」を探す旅』の中で、50年ぶりに再放送された[59][62][注釈 47]。
ほか
NHK連続ラジオドラマ(1980年「連続ステレオ小説」としてNHK-FMで放送、のちにAMで再放送)。1話15分の全10回放送。設定年代を「198X年」とした他はほぼ小説通りのストーリー展開である。FMでの初回放送の直前に総合テレビの『NHK番組ガイド』で取り上げられ、東京大地震の群集シーンの収録風景が紹介された。
1971年ごろに『日本沈没』を原作とした映画『日本列島沈没』を大映が製作発表した[23]。経緯としては、1971年ごろにマスコミで東京大地震が話題になっていたことに着目して大映社内で東京大地震を特撮映画にする企画が浮上。そんな中、1972年秋に『放送朝日』の対談記事で小松左京がその種の話を執筆していることが判明し、東京大地震のストーリー提供を打診したところ、『日本沈没』の執筆を教えられ、小松から出版前の生原稿を提供される。これを大映社内の企画会議で検討した結果、前向きに企画が動き出すことになる。ところが大映社長の永田雅一が、社内でこの企画を動かしていた担当者に何の連絡もなく独断で突然『日本列島沈没』を製作発表。制作費の目処が立っておらず、正式な契約書も交わしていない段階で小松に無断での発表だった。結局『日本列島沈没』の企画はそのまま棚上げとなり、原作の出版後に東宝が正式に映画化権を取得した[63][64][注釈 49]。
1973年末夕刊紙に東宝の翌年以降の大作ラインナップの広告が出された際、『エスパイ』、『ノストラダムスの大予言』などと共に発表された[65]。製作前の各作品に「抽選で50名を試写会にご招待」とまで告知された。
監督と特技監督には前作と同じ森谷司郎と中野昭慶を起用。タイトル横に付けられたキャッチ・コピーは「祖国を失った日本人は世界史から抹殺されるのか?」だった。プロットとしてはジュネーブで再会する小野寺と玲子、難民化した日本人の受難、日本政府の裏資金での国土調達活動などが描かれると言われた。しかし、小松の原作執筆が進まず、公開予定が1976年に延期されたのち、製作は立ち消えになり幻の企画となった[66][65]。
1995年から1998年にかけて、東宝により企画された再映画化案。北山裕章と映画『さよならジュピター』の監督を務めた橋本幸治がプロデューサーとされ、脚本家として米村正二らが候補に上がった。ストーリーには原発事故による複合災害や新島での日本再建といった要素が盛り込まれ、CGと特撮の併用による撮影が計画されていたが、同時期に企画されていた松竹の『日本沈没1999』が先行して映画化の許諾を得ていたことから、企画は立ち消えとなった[67]。
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『日本沈没1999』のティーザーポスター 1999年2月11日に閉館した映画館『松竹セントラル』入口付近のチケット売場にて。 |
1998年9月30日に銀座東急ホテルで、松竹が1999年12月から公開する2000年の正月映画として『日本沈没1999』の製作発表を行なった。監督には大森一樹を起用。ストーリー面では、大森と小松両氏が1995年の阪神・淡路大震災の被災者でもあることから、その経験を活かそうと阪神・淡路大震災当時に見られた若者たちのボランティア活動やインターネット上の動向を盛り込もうと意欲を見せたほか、原作小説におけるD-2計画に重点を置いたものになる予定であった。また、先述の『新日本沈没』と同様に原発災害を盛り込む案も存在した[68]。映像面ではスペクタクルシーンにCGを活用する方針を採用。光吉俊二、大原伸一といったスタッフの名前が挙げられ、パイロット映像も作成されていた。
総製作費12億円、配収目標30億円の大作になる予定だったが、業績不振の松竹は制作費を調達できず、1999年3月5日の記者会見で大谷信義社長が「検討中」とコメントし、同作の関係社員を異動させたことも明らかとなり、事実上の製作中止が確定した[69][注釈 50]。結局、2000年の松竹の正月映画には大島渚の監督作『御法度』が公開された。
小説の続編である『日本沈没 第二部』が、2006年の再映画化に合わせ、谷甲州との共著という形で2006年7月に出版された。
テレビでの対談において続編の構想について質問された小松は「日本沈没時、大量に発生した火山灰のため地球全体が寒冷化し、地球規模の食糧不足となり、そのような状況の下、世界各地に散らばった国を失った日本人がどうなるかを考えていたが、昨今の火山の噴火に伴う同様の状況の現出など、あまりに現実的すぎるテーマとなってしまい筆が進まないでいる」という趣旨の回答をしており、第2部においても「地球寒冷化」が「日本人の行く末」と並んで重要なテーマとされている。
後に小松と彼を慕う若手SF作家(谷や森下一仁ら)を中心として『日本沈没』の続編を執筆するプロジェクトが立ち上げられて、沈没後に残された日本人と地球がたどるであろう運命について議論が交わされて小松の元で基本的なプロットがまとめられた。だが、小松が既に老齢であったこともあり、実際の執筆は沈没後の日本人が活躍の舞台とするであろうアジア地域での生活が長かった谷が担当したが、出版後の2011年に小松は逝去することになる。
日本列島の大半が海底に沈んだ「異変」から25年が過ぎた。かつて日本列島があった海域は、領有権の主張はおろか、学術的な調査すらも凍結された状態で残されていたが、その付近には中国の海洋調査船がひそかに入り込んでいた。海上自衛隊のワタリ准尉らは、白山の一部[注釈 51]が岩礁として残っているのを発見する。
かつてのD計画の中心人物で、現在は日本国の首相となっている中田一成は、日本国を再建するために大和堆の上にメガフロートを建設する計画を進めようとする。しかし、それは中国をはじめとする周辺諸国との
ところがその矢先、地球シミュレータによるシミュレーションで、「異変」にともなって噴出した膨大なエアロゾルが地球の寒冷化を促し、新たな氷河期が近づきつつあることが判明する。
鳥飼外相は中田首相に対し、メガフロート計画を人類救済のために転用するように主張するが、中田は納得できず鳥飼は外相を辞任する。中田はアメリカとの軍事同盟に頼って事態打開を図るが、アメリカは責任を日本政府に押し付けるような情報操作を行ったうえで地球シミュレータを接取しようとする。
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第三部の構想もあった。2006年にラジオ番組『サントリー・サタデー・ウェイティング・バー』に小松が出演した際、「第三部をもし作るとしたら、第二部で生きてた日本人はもう宇宙まで行くしかない。宇宙にメガフロートを作ろうかと谷(甲州)と話している」といった趣旨の発言をしていた[70][信頼性要検証]。
『日本沈没』が執筆開始された後から『SFマガジン』に連載され、出版は1966年と『日本沈没』に先んじる形になった小松の別の長編小説『果しなき流れの果に』には、短いエピソードとして、国土を失ったさらに未来の日本人の行く末に触れており、ここでは宇宙に進出する日本人の姿が描かれている。また、「お祭り」というショートショート作品では、国土を失った日本の民族が宇宙開発を率先して進めたため、その貢献への返礼としてお盆に太平洋上で巨大「大文字焼き」を行う権利を得、月面や衛星軌道上から眺めるという新たな風物詩を定着させている、ということになっている。
地球物理学者の上田誠也(当時、東京大学教授)は、『中央公論』1973年7月号に掲載された小松との対談において、量子力学上のトンネル効果を援用したところが日本を沈没させるための「トリック」であることを指摘しており、小松も上田の指摘を認め、「あれ〔トンネル効果〕がないと、日本列島だけ沈んでくれないんですよ」と述べている[11]。
日本列島の土台は複数のプレートの運動によって形成された付加体である。これは大陸側のプレートと太平洋側のプレートの衝突によって、海洋プレートの上の堆積物が押し上げられる形で隆起したものである。よって、このプレートの動きが変わらない限り日本列島が沈没することはなく、むしろ沈下ではなく隆起している。実際にプレートの動きが変わっても完全に沈没するまで100万年以上かかると計算されており、差し迫って沈没時のための準備や心配、対策などをする必要はないとされている[71]。
また、愛媛大学教授の入舩徹男は、『ネイチャー』2008年2月14日号に発表した論文で、地表から地中に沈下したプレートは地下600キロ前後で滞留しそれ以上は沈下しないとしている[72]。
2006年版の映画において使用された「プレート」を爆破して沈没を防ぐというアイディアも、現実科学的にはありえない。これは、マグニチュード5.25クラスの地震でも史上最大級の核爆発による人工地震に相当しており、日本列島を沈没させるプレート幅は余裕で1000kmを上回る。これを破壊するためには、マグニチュード10クラスの地震を引き起こすだけのエネルギーが必要であり、その量はTNT換算で150億トンにも達するためである(日本最大の巨大地震として知られる「東北地方太平洋沖地震」がマグニチュード9で、40分の1の規模)。
上記のことは作者の小松も承知していることであり、作品中でも示唆されている通り「日本沈没」は「何十億年に一度かの天変地異が今起こったら?」という、あくまでも仮定の話である。仮定が現実となった場合であっても天変地異が日本列島のみに限定されることや、僅か数年の前触れだけで起こることは、まずあり得ない。日本周辺からプレートの繋がる各大陸での地殻変動、環太平洋地域の諸国への巨大津波来襲など世界規模の大災害につながるであろう。
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