郡山市
福島県の市 ウィキペディアから
福島県の市 ウィキペディアから
郡山市(こおりやまし)は、福島県の中通り中部に位置する市。中核市に指定されている。
こおりやまし 郡山市 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 福島県 | ||||
市町村コード | 07203-6 | ||||
法人番号 | 9000020072036 | ||||
面積 |
757.20km2 | ||||
総人口 |
319,431人 [編集] (推計人口、2024年8月1日) | ||||
人口密度 | 422人/km2 | ||||
隣接自治体 | 須賀川市、会津若松市、二本松市、田村市、本宮市、耶麻郡猪苗代町、安達郡大玉村、岩瀬郡天栄村、石川郡平田村、田村郡三春町、小野町 | ||||
市の木 | ヤマザクラ | ||||
市の花 | ハナカツミ | ||||
市の鳥 | カッコウ | ||||
郡山市役所 | |||||
市長 | 品川萬里 | ||||
所在地 |
〒963-8601 福島県郡山市朝日一丁目23番7号 北緯37度24分01秒 東経140度21分35秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
| |||||
ウィキプロジェクト |
東北地方有数の商工業都市であり福島県内第1位の人口を有し、これは宮城県仙台市に次いで東北地方で第2位でもある。また、仙台都市圏に次ぐ東北地方第2の規模を持つ郡山都市圏を形成している。1924年に市制施行。現在の郡山市は1965年に発足した。
郡山市の領域は、中央分水界となっている奥羽山脈の東西にわたる。市の西部は日本海側である猪苗代湖南岸に位置し、東部は阿武隈高地に及ぶ。
市街地エリアは栃木県の宇都宮市と宮城県の仙台市の中間に位置しており、東北新幹線・東北本線・東北自動車道・国道4号で繋がれている。西(日本海側)の会津若松市や新潟市と東(太平洋側)のいわき市へは、磐越自動車道や磐越西線・磐越東線および国道49号で移動する事が可能である。そのため、県内の交通の十字路として拠点化が進み、経済・内陸工業・流通・交通の要衝として、東北地方第2の人口と経済規模を擁する郡山都市圏を形成している。
このような郡山市の拠点性により県域放送をしているテレビ局2局とFM局1局が立地し、県庁所在地ではないにもかかわらず、福島県の情報集散地のひとつとしても機能している。民営事業所数15,927か所、商業事業所数4,341か所、年間商品販売額1兆4913億円(2007年度)で、いずれも経済分野で福島県内で第1位(東北地方で第2位)であり、「商都」「経済県都」とも呼ばれている[1]。
江戸時代には奥州街道の郡山宿があったが、郡山市の発展は明治時代に開削された安積疏水の寄与が大きい。安積疏水は農業用水として当地の開拓を進め、工業用水・水力発電・飲用水にも用いられて都市化を進めた。なお、郡山駅が鉄道路線の分岐駅となって人や物が集散し、大正時代には市制施行により、本市が福島県最大の都市となった。
戦後の高度経済成長期には京浜工業地帯の企業が多く進出し、関東地方との繋がりが強まった。
市西部の布引高原では風車33基、発電所出力65,980kW(国内2位)の「郡山布引高原風力発電所」が電源開発により建設され、2006年12月に運転を開始した。
2014年4月には産業技術総合研究所福島再生可能エネルギー研究所が開所し、郡山市でも公共施設に太陽光発電設備を導入するなど再生可能エネルギーの導入、普及促進に積極的に取り組んでいる。
2013年9月1日には推計人口が328,112人となり、それまで福島県内で最大だったいわき市(327,993人)の人口を上回り1966年以来約47年ぶりに県内最多となった。しかし、2016年1月1日段階で再びいわき市(349,190人)に県内最多の座を明け渡している。近年は両市の推計人口は僅差であり、2023年9月1日の推計より再び県内最多となった。一方、2015年国勢調査によると郡山市の人口密度は県内最高である。
2018年12月、政府により東京一極集中を是正し地方活性化の中心拠点となる中枢中核都市全国82市のひとつとして選定された。
2019年1月には、行政サービスや人口減少対策など各自治体の共通課題に連携して取り組む連携中枢都市圏構想の形成に向け、近隣14市町村と連携協約を締結した[2]。
郡山市は、福島県の中央部に位置する。安積原野または郡山盆地と呼ばれる海抜245mの平坦地を中心に市街地が広がっている。
西に猪苗代湖、東に阿武隈山地、北は安達太良山に接しており、市の中心部を南から北へ阿武隈川が流れる。
市域は広く、郡山駅周辺の市街地はビッグアイ展望台から望むことが出来る。
郡山市の気候は一年を通して風が吹き、乾燥した気候であり、市街地ではヒートアイランド現象の影響も強い。
冬期、1月の最低平均気温は-2.5℃、マイナス10度を下回ることは稀であり、21世紀に入ってから最も下がったのは2012年2月1日の-12.5度となっている。一方、日中の平均最高気温は4.5℃と低く、真冬日も珍しくない。
ただ、郡山市には気象台の測候所がなく中心市街地から少し離れた近郊の郡山カルチャーパークにあるアメダスのみである。アメダスには積雪計も設置されていないため、正確な積雪状況の把握ができない。冬期、1月の降水量平年値(アメダス)は、福島56.2mm 白河44.1mm 郡山40.9mmとなっており、福島県中通り地方の主要都市の中では郡山市が最も少ない。
夏は典型的な盆地の福島市ほどは暑くならず、35度を超えることは稀であり、または熱帯夜となることも少ないなど朝晩を中心に比較的過ごしやすい。
過去最高気温は2023年(令和5年)8月5日に観測された36.6℃、過去最低気温は1984年(昭和59年)3月2日に観測された-12.8℃である。
以上はアメダスのデータである。なお、奥羽山脈にかかる西部の気候はかなり異なり、旧湖南村は豪雪地帯に指定されている他、豪雪地帯指定はされていない旧熱海町も積雪が多い。
郡山 (1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 14.5 (58.1) |
18.6 (65.5) |
23.1 (73.6) |
29.5 (85.1) |
34.2 (93.6) |
34.8 (94.6) |
36.5 (97.7) |
36.6 (97.9) |
34.1 (93.4) |
29.5 (85.1) |
25.3 (77.5) |
18.7 (65.7) |
36.6 (97.9) |
平均最高気温 °C (°F) | 4.5 (40.1) |
5.5 (41.9) |
9.5 (49.1) |
16.1 (61) |
21.6 (70.9) |
24.8 (76.6) |
28.0 (82.4) |
29.4 (84.9) |
25.2 (77.4) |
19.4 (66.9) |
13.5 (56.3) |
7.5 (45.5) |
17.1 (62.8) |
日平均気温 °C (°F) | 0.9 (33.6) |
1.4 (34.5) |
4.6 (40.3) |
10.5 (50.9) |
16.2 (61.2) |
20.0 (68) |
23.5 (74.3) |
24.5 (76.1) |
20.4 (68.7) |
14.5 (58.1) |
8.6 (47.5) |
3.4 (38.1) |
12.4 (54.3) |
平均最低気温 °C (°F) | −2.5 (27.5) |
−2.3 (27.9) |
0.1 (32.2) |
5.0 (41) |
11.1 (52) |
15.9 (60.6) |
19.9 (67.8) |
20.7 (69.3) |
16.5 (61.7) |
10.1 (50.2) |
3.8 (38.8) |
−0.4 (31.3) |
8.2 (46.8) |
最低気温記録 °C (°F) | −12.0 (10.4) |
−12.5 (9.5) |
−12.8 (9) |
−4.4 (24.1) |
1.5 (34.7) |
7.8 (46) |
8.8 (47.8) |
12.0 (53.6) |
5.4 (41.7) |
−1.0 (30.2) |
−5.8 (21.6) |
−11.1 (12) |
−12.8 (9) |
降水量 mm (inch) | 40.9 (1.61) |
27.6 (1.087) |
66.1 (2.602) |
75.4 (2.969) |
92.2 (3.63) |
120.6 (4.748) |
191.2 (7.528) |
144.4 (5.685) |
162.7 (6.406) |
126.5 (4.98) |
57.8 (2.276) |
38.1 (1.5) |
1,143.3 (45.012) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 7.3 | 5.7 | 9.1 | 9.0 | 9.7 | 11.4 | 14.0 | 11.3 | 11.3 | 8.9 | 6.9 | 7.3 | 111.8 |
平均月間日照時間 | 128.8 | 140.0 | 170.9 | 181.6 | 195.7 | 148.9 | 138.2 | 164.3 | 125.9 | 133.0 | 129.2 | 124.6 | 1,781.1 |
出典1:気象庁[3] | |||||||||||||
出典2:気象庁[4] |
郡山市は、ご当地ナンバーである郡山ナンバー(福島運輸支局)が2014年(平成26年)11月17日から交付されていて、対象地域は当市のみである。
※2021年11月6日現在。
古代では7世紀の安積郡設置以来、安達・田村両郡が10世紀に分郡されるまで、現在の二本松市・田村市を含む広大な地域の中心地として機能していたとみられ、中心市街地直下に位置する清水台・咲田・虎丸遺跡が関係する遺跡として考えられている。また、8世紀に石背国が設置された際には方八町に国府が置かれたという説がある[5]。 ちなみに当時の古代律令制度の下で、郡の官人(郡司)が政務を執った役所のことを郡衙と言うが、「郡山」という現在の地名は、この郡衙が当地に置かれていたことに由来する。
11世紀になると、東部を中心として藤原氏や熊野の荘園が設置され、樹枝状の低地にも開発が進んだ。鎌倉時代には伊東氏の宰領する土地であったことが文献から推測されており、鎌倉時代末期には東部地域が南北朝の争乱地帯であった。
室町時代を迎えると、安積町に篠川御所が設けられたことで、南東北の政治的中心地として文献に当該地域の地名が頻出するようになる。しかし、郡山市域の伊東氏は早くから分家が分立した状態にあり、中世を通じて主体的な権力を保持する戦国大名に成長するには至らなかった。そのため、当地の政治状況は中期以降は検段職を有する白河結城氏に属し、末期になると蘆名氏や伊達氏の影響下にあった。その一方、経済的には、安積町の4号国道に沿った地域で実施された大規模な発掘調査によって、この地域が流通の拠点として機能していたことが判明している。調査では古代の街道と中世の街道が検出された他、多数の建物跡や堀・溝が発見され、出土遺物から12 - 16世紀に亘る年代観が与えられている。
豊臣政権下の上杉氏を経て江戸時代になると、二本松城に織田系大名であった丹羽氏が入封し、郡山は城下以外では本宮と並ぶ数少ない町であった。 江戸時代末期に宿場町となり、人々が集い始めた郡山であったが、当時の人口はおよそ5,000人に過ぎず、周辺は農家のための秣場や荒れた原野が広がる、「安積三万石」の地であった[6]。
しかし、この原野が開墾に向いていると明治政府が注目し、1877年(明治10年)ごろから、明治政府の国費による開発事業の第一号として郡山が選ばれた[7][8]。これが世に言う「安積開拓」である。
明治政府の士族授産と殖産興業の方針のもと決まった国営安積開拓事業は、もともと水利が悪かったこの地に、山を越えて猪苗代湖から疏水を開削して原野を開発し、封建制度の廃止により職を失った失業士族を入植させようというものであった。安積疏水の開削の決定を機に、当時約5,000人のまちの周辺に、9藩から約500戸、約2,000人の入植者がやってきた。第一陣として旧久留米藩の士族が入植し、これを機に岡山、土佐、鳥取、二本松、棚倉、会津、松山、米沢の各藩から人々が集まった。実に延べ85万人の人々が携わり、3年の月日を費やした大事業であった。
明治政府が郡山開拓にここまで力を注いだ背景には、戊辰戦争で明治政府に敵対した会津藩の本拠地である会津若松を危険視していたため、会津若松を監視して衰退させるために近隣に会津若松より大きな都市を作って、旧会津藩と関係の無い西日本各地から多くの旧武士を移住させたと言われる。そのため、東北本線の前身である日本鉄道が建設された際も、会津若松を無視して郡山を経由するルートで建設された。
農業水利として行われた安積疏水と安積開拓により郡山は肥沃な大地に生まれ変わった。もっとも地域経済に大きな効果を招来したのは疏水に伴う水力発電事業の方が大きかった。郡山市街地まで国内初の長距離送電を行った水力発電所「沼上水力発電所」として利用され、電力を自給すると共に余剰電力を安く供給して多くの工場を誘致。郡山には信州を始めとする各地の資本により紡績工場が多数進出し、鉄道網の拡充とともに近代化が加速された。
やがて製糸業、窯業、機械工業、化学工業などの製造業も盛んとなり人口も増え続け、1924年(大正13年)9月、市制を施行し「郡山市」が誕生。昭和期に入り太平洋戦争が始まると、市内の産業は軍需関連が中心となり、1944年(昭和19年)には軍都の指定を受ける。国による軍都整備事業や軍需産業により郡山はさらなる発展を遂げるが、1945年(昭和20年)4月、アメリカ軍のB-29爆撃機による大規模な空襲を受けた。その後、終戦までに3回もの爆撃があり、郡山駅周辺市街地及び工場地帯は壊滅的な打撃を受け、多くの犠牲者を出した。
終戦後の1946年(昭和21年)、戦災復興都市の指定を受け商工業都市としての復興が始まり、1964年(昭和39年)、新産業都市の指定、1986年(昭和61年)、郡山地域テクノポリスの指定を経て、1997年(平成9年)4月には東北初の中核市へ移行した。
明治時代の安積開拓に始まり、高度経済成長期にかけて商工業都市として急速に発達する一方で、人口が急増し、さまざまな人々が集まったことから暴力団抗争が相次いで起こり、治安の悪い街「東北のシカゴ」として名前が広がってしまった[9][10]。
そんな中、全国で「素人のど自慢大会」などが人気を集め、郡山でも町内会の演芸会などで音楽活動が盛んになり、いつしか音楽が市民の心の拠り所となっていった。やがて本格的なオーケストラの演奏会開催を望む市民の機運が高まり、1954年(昭和29年)、郡山音楽協会と郡山青年文化協会主催の「NHK交響楽団公演」が国鉄郡山工場の大食堂を会場として開催された。その後も合唱、器楽、学校音楽での活動や演奏会、当時日本最大のロックフェスティバルと言われた1974年(昭和49年)のワンステップフェスティバルなどの開催により、「東北のシカゴから東北のウィーンへ」としてイメージ改善を進め、2008年(平成20年)に「音楽都市宣言」を行い、「楽都郡山」をキャッチフレーズに音楽活動が盛んな街として情報発信を行っている。
県の地理的な中間部に位置に県庁がないことに不便だと訴えている市民により県庁を郡山に移転しようという動きが近代より現在に至るまで福島県内に根強く残っている[要出典]。1882年(明治15年)、郡山の生糸貿易商で安積開拓にも貢献した阿部茂兵衛を中心としたグループが郡山への県庁移転運動を開始し、福島の県庁まで行くのに不便だった浜通りや会津の人々の支持も得た[11]。明治18年の県議会において賛成37、反対16の大差で郡山移転決議がいったんは可決され、当時の県令である三島通庸から上申書が内務省へ提出された。しかし信夫郡・伊達郡・相馬郡など県北部の移転反対派が伊藤博文や西郷従道らに陳情を行い金品を贈るなどの攻勢を行ったこと、移転運動の中心だった阿部茂兵衛が同年(明治18年)に死亡して運動が勢いを失ったことなどから、内務省は結局県議会の決議を無視することになった[11]。こうして不明瞭な経過を経て却下されたことが現在まで尾を引いている[要出典]。福島県の北端である福島市に県庁及び国立大学、県立図書館、県立美術館、県立医大、附属病院などの公共施設が集中することから不便、不公平感を訴える県民の声が根強くあり[要出典]、東日本大震災を経て現在でも会津地方及び県南・県中地方の自治体などから請願書が県へ提出されている。
郡山市市域の変遷(年表) | ||
---|---|---|
年 | 月日 | 現郡山市市 域に関連する行政区域変遷 |
1889年 (明治22年) |
4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の町村がそれぞれ発足[15][16]。
|
1893年 (明治26年) |
2月3日 | 二瀬村の一部(下道渡・上道渡・谷田川)が分立し谷田川村が発足。 |
1889年 (明治27年) |
7月23日 | 巌江村の一部(南小泉・北小泉と芹沢の一部)が分立し小泉村が発足。 |
1924年 (大正13年) |
9月1日 | 郡山町・小原田村が合併し郡山市が発足。 |
1908年 (明治41年) |
1月1日 | 守山村は町制施行し守山町になる。 |
1925年 (大正14年) |
6月1日 | 桑野村は郡山市に編入。 |
8月1日 | 安積郡山野井村が町制施行・改称し日和田町となる。 | |
1937年 (昭和12年) |
4月1日 | 富久山村は町制施行し富久山町となる。 |
1940年 (昭和15年) |
4月1日 |
|
1943年 (昭和18年) |
10月1日 | 永盛村は町制施行し永盛町となる。 |
1954年 (昭和29年) |
2月1日 | 熱海町は安積郡に移行。安積郡熱海町になる。 |
3月31日 | 小泉村は富久山町に編入。 | |
9月1日 | 熱海町・丸守村が合併し熱海町が発足。 | |
11月1日 |
| |
12月10日 | 永盛町・豊田村が合併し安積町が発足。 | |
1955年 (昭和30年) |
1月1日 |
|
3月1日 | 二瀬村は田村町に編入。 | |
3月10日 | 穂積村・三和村と安積町の一部(川田)が合併し三穂田村が発足。 | |
3月31日 |
| |
4月1日 | 高野村・逢隈村が合併し西田村が発足。 | |
4月23日 | 河内村・多田野村が合併し逢瀬村が発足。 | |
11月15日 |
| |
1956年 (昭和31年) |
9月1日 | 宮城村・御舘村が合併し中田村が発足。 |
1965年 (昭和40年) |
5月1日 | 郡山市と富久山町・日和田町・熱海町・安積町・三穂田村・喜久田村・逢瀬村・ 片平村・三穂田村・湖南村・田村町が合併し郡山市が発足。 |
8月1日 | 西田村・中田村は郡山市に編入。 |
市制町村制以前の郡山市市域の変遷表 | |||||
---|---|---|---|---|---|
1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 | |||
安積郡 | 郡山村 | 明治9年 郡山村 |
明治12年 郡山村 |
郡山町 | |
横塚村 | 明治12年 横塚村 |
小原田村 | |||
小原田村 | 明治9年 永盛村 |
明治12年 小原田村 | |||
日出山村 | 明治12年 日出山村 |
永盛村 | |||
笹原村 | |||||
笹川村 | 明治12年 笹川村 | ||||
荒井村 | 明治9年 豊田村 |
明治12年 荒井村 | |||
成田村 | 明治12年 成田村 |
豊田村 | |||
川田村 | 明治12年 川田村 | ||||
福原村 | 明治9年 富久山村 |
明治12年 福原村 |
富久山村 | ||
久保田村 | 明治12年 久保田村 | ||||
八山田村 | 明治12年 八山田村 | ||||
堀之内村 | 明治9年 喜久田村の一部 |
明治12年 堀之内村 |
喜久田村 | ||
前田沢村 | 明治12年 前田沢村 | ||||
早稲原村 | 明治12年 早稲原村 | ||||
富田村 | 富田村 | ||||
日和田村 | 明治9年 山野井村 |
明治12年 日和田村 |
山野井村 | ||
高倉村 | 明治12年 高倉村 | ||||
八丁目村 | 明治12年 八丁目村 | ||||
梅沢村 | 明治12年 梅沢村 | ||||
大槻村 | 大槻村 | ||||
明治9年 桑野村 |
桑野村 | ||||
安達郡 | 中山村 | 高川村 | |||
石筵村 | |||||
高玉村 | |||||
横川村 | 明治9年 玉川村 | ||||
青木葉村 | |||||
安積郡 | 下伊豆島村 | 明治9年 喜久田村の一部 |
明治12年 下伊豆島村 |
丸守村 | |
上伊豆島村 | 明治9年 丸守村の一部 |
明治12年 上伊豆島村 | |||
安子島村 | 明治12年 安子島村 | ||||
長橋村 | 明治12年 長橋村 | ||||
明治9年 菱形村 | |||||
片平村 | 片平村 | 片平村 | |||
河内村 | 明治12年 河内村 |
河内村 | |||
夏出村 | 明治9年 丸守村の一部 |
夏出村 | |||
多田野村 | 明治9月 山野辺村 |
明治12年 多田野村 |
多田野村 | ||
大谷村 | 明治12年 大谷村 |
穂積村 | |||
山口村 | 明治12年 山口村 | ||||
駒屋村 | 明治8年 穂積村 |
明治12年 駒屋村 | |||
八幡村 | 明治12年 八幡村 | ||||
野田新田村 | 明治12年 野田村 | ||||
鍋山村 | 明治12年 鍋山村 |
三和村 | |||
富岡村 | 明治8年 稲津村 |
明治12年 富岡村 | |||
下守屋村 | 明治12年 下守屋村 | ||||
中地村 | 明治8年 中野村 |
箕輪村 | |||
安佐野村 | |||||
三代村 | |||||
舟津村 | 月形村 | ||||
舘村 | |||||
横浜村 | 明治9年 横浜村 |
明治17年 横浜村 | |||
浜路村 | 明治17年 浜路村 | ||||
福良村 | 福良村 | ||||
舘村 | |||||
赤津村 | 赤津村 | ||||
田村郡 | 山田村 | 巌江村 | |||
上舞木村 | |||||
下舞木村 | |||||
白岩村 | |||||
下白岩村 | |||||
阿久津村 | |||||
安原村 | |||||
横川村 | |||||
根古屋村 | |||||
芹沢村 | |||||
南小泉村 | |||||
北小泉村 | |||||
大平村 | 高瀬村 | ||||
下行合村 | |||||
上行合村 | |||||
金屋村 | |||||
小川村 | |||||
手代木村 | |||||
守山村 | 守山村 | ||||
山中村 | |||||
大供村 | |||||
岩作村 | |||||
大善寺村 | |||||
御代田村 | |||||
正直村 | |||||
徳定村 | |||||
金沢村 | |||||
細田村 | |||||
下道渡村 | 二瀬村 | ||||
上道渡村 | |||||
谷田川村 | |||||
糠塚村 | |||||
田母神村 | |||||
川曲村 | |||||
栃山神村 | |||||
栃本村 | |||||
丹伊田村 | 高野村 | ||||
土棚村 | |||||
高柴村 | |||||
板橋村 | |||||
鬼生田村 | 逢隈村 | ||||
木村 | |||||
三町目村 | 明治12年 高柴村 | ||||
三城目村 | |||||
大畑村 | 明治14年 大田村 | ||||
大田村 | |||||
赤沼村 | 宮城村 | ||||
高倉村 | |||||
上石村 | |||||
海老根村 | |||||
下枝村 | 御舘村 | ||||
柳橋村 | |||||
黒木村 | |||||
駒板村 | |||||
木目沢村 | |||||
牛縊村 | |||||
本郷村 | |||||
中津川村 |
市制・町村制以後の郡山市市域の変遷表 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1889年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||||
安積郡 | 郡山村 | 郡山町 | 大正13年9月1日 郡山市 |
郡山市 | 昭和40年5月1日 郡山市 |
郡山市 | 郡山市 | ||
小原田村 | 小原田村 | ||||||||
横塚村 | |||||||||
桑野村 | 桑野村 | 大正14年6月1日 郡山市 | |||||||
大槻村 | 大槻村 | 昭和15年4月1日 町制 |
昭和30年3月31日 郡山市に編入 | ||||||
富田村 | 富田村 | 富田村 | 昭和29年11月1日 郡山市に編入 | ||||||
昭和29年11月1日 喜久田村 | |||||||||
堀之内村 | 喜久田村 | 喜久田村 | |||||||
前田沢村 | |||||||||
早稲原村 | |||||||||
日和田村 | 山野井村 | 大正14年8月1日 日和田町に 町制改称 |
日和田町 | ||||||
高倉村 | |||||||||
八丁目村 | |||||||||
梅沢村 | |||||||||
福原村 | 富久山村 | 昭和12年4月1日 町制 |
富久山町 | ||||||
久保田村 | |||||||||
八山田村 | |||||||||
田村郡 | 南小泉村 | 巌江村 の一部 |
明治27年7月23日 小泉村分立 |
昭和29年3月31日 富久山町に編入 | |||||
北小泉村 | |||||||||
芹沢村の一部 | |||||||||
下舞木村 | 巌江村の一部 | 昭和30年11月15日 郡山市に編入 | |||||||
白岩村 | |||||||||
下白岩村 | |||||||||
阿久津村 | |||||||||
安原村 | |||||||||
横川村 | |||||||||
上舞木村の一部 | |||||||||
安達郡 | 中山村 | 高川村 | 昭和15年4月1日 熱海町に 町制改称 |
昭和29年2月1日 安積郡に移行 |
昭和29年9月1日 熱海町 | ||||
石筵村 | |||||||||
高玉村 | |||||||||
玉川村 | |||||||||
安積郡 | 下伊豆島村 | 丸守村 | 丸守村 | 丸守村 | |||||
上伊豆島村 | |||||||||
安子島村 | |||||||||
長橋村 | |||||||||
日出山村 | 永盛村 | 昭和18年10月1日 町制 |
昭和29年12月10日 安積町 | ||||||
笹川村 | |||||||||
荒井村 | |||||||||
成田村 | 豊田村 | 豊田村 | |||||||
川田村 | 昭和30年3月10日 三穂田村 | ||||||||
大谷村 | 穂積村 | 穂積村 | |||||||
山口村 | |||||||||
駒屋村 | |||||||||
八幡村 | |||||||||
野田村 | |||||||||
富岡村 | 三和村 | 三和村 | |||||||
下守屋村 | |||||||||
鍋山村 | |||||||||
河内村 | 河内村 | 河内村 | 昭和30年4月23日 逢瀬村 | ||||||
夏出村 | |||||||||
多田野村 | 多田野村 | 多田野村 | |||||||
片平村 | 片平村 | 片平村 | 片平村 | ||||||
中野村 | 箕輪村 | 明治25年7月21日 中野村分立 |
昭和30年3月31日 湖南村 | ||||||
三代村 | 明治25年7月21日 三代村分立 | ||||||||
舟津村 | 月形村 | 月形村 | |||||||
舘村 | |||||||||
横浜村 | |||||||||
浜路村 | |||||||||
福良村 | 福良村 | 福良村 | |||||||
舘村 | |||||||||
赤津村 | 赤津村 | 赤津村 | |||||||
田村郡 | 大平村 | 高瀬村 | 高瀬村 | 昭和30年1月1日 郡山市に編入 | |||||
下行合村 | |||||||||
昭和30年1月1日 田村町 | |||||||||
上行合村 | |||||||||
金屋村 | |||||||||
小川村 | |||||||||
手代木村 | |||||||||
守山村 | 守山村 | 明治41年1月1日 町制 | |||||||
山中村 | |||||||||
大供村 | |||||||||
岩作村 | |||||||||
大善寺村 | |||||||||
御代田村 | |||||||||
正直村 | |||||||||
徳定村 | |||||||||
金沢村 | |||||||||
細田村 | |||||||||
下道渡村 | 二瀬村 | 明治26年2月3日 谷田川村分立 | |||||||
上道渡村 | |||||||||
谷田川村 | |||||||||
糠塚村 | 二瀬村 | 明治26年2月3日 田村町に編入 | |||||||
田母神村 | |||||||||
川曲村 | |||||||||
栃山神村 | |||||||||
栃本村 | |||||||||
丹伊田村 | 高野村 | 高野村 | 昭和30年4月1日 西田村 |
昭和40年8月1日 郡山市に編入 | |||||
土棚村 | |||||||||
高柴村 | |||||||||
板橋村 | |||||||||
鬼生田村 | 逢隈村 | 逢隈村 | |||||||
木村 | |||||||||
高柴村 | |||||||||
大田村 | |||||||||
根古屋村 | 巌江村 の一部 |
巌江村の一部 | 昭和30年11月15日 西田村に編入 | ||||||
芹沢村の一部 | |||||||||
赤沼村 | 宮城村 | 宮城村 | 昭和31年9月1日 中田村 | ||||||
高倉村 | |||||||||
上石村 | |||||||||
海老根村 | |||||||||
下枝村 | 御舘村 | 御舘村 | |||||||
柳橋村 | |||||||||
黒木村 | |||||||||
駒板村 | |||||||||
木目沢村 | |||||||||
牛縊村 | |||||||||
本郷村 | |||||||||
中津川村 |
中心市街地には十数階建マンションが多い。高層建築は郡山駅前の通称「ビッグアイ(Big-i)」(24階建て1棟、ペデストリアンデッキで郡山駅と直結)が、駅前のランドマークとして定着している。2005年には、駅前大通りのシンボルロード化や、アーケードの建替工事などが始まり、2006年夏に完成した。
市内の南部地域では郡山南拠点土地区画整理事業を展開、ビッグパレットふくしまを中心核とした整備事業を行っている。なお、ここに現在郡山市麓山にある福島県郡山合同庁舎(旧郡山市役所)の移転計画があったが、県の財政難を理由に実現していなかった。2014年、県は新合同庁舎の建設場所や規模を含めた基本構想を2015年度に策定し、今後10年以内の開所を目指す方針を示した[17]。
中心市街地に位置する大町においても土地区画整理事業が2005年度より進められており、既に60億円近くの予算が投じられている。同地区には旧トポス郡山店(郡山大町センタービル)があり、1994年の閉店以降、市税滞納により市に土地と建物を差し押さえられていたが、2015年2月に差し押さえの解除と市内の不動産業者への売却が発表された[18]。解体後は当面の間、駐車場として利用される予定である。
交通体系の整備については、2019年1月、東北自動車道の郡山中央スマートインターチェンジが供用開始した他、磐越西線の郡山駅と喜久田駅のほぼ中間地点には新駅の郡山富田駅が設置され、2017年4月に開業した[19]。福島県内でJRの駅が新設されるのは1987年3月の磐越東線江田駅以来となる。
2007年度統計[20]において、民営事業所数15,927か所、商業事業所数4,341か所、年間商品販売額1兆4,913億円となっており、いずれも福島県内で第1位であり、東北地方では仙台に次いで第2位の経済規模である。
年間商品販売額の県内シェアでは、卸売業の40.8%、小売業の20.4%を占めており、このため福島県の「商都」「経済県都」[1]とも呼ばれ、郡山都市圏を形成している。
東京圏の200km圏内に位置し、東京駅と郡山駅を最短77分で結ぶ1982年開業の東北新幹線を始め、東北自動車道、磐越自動車道、近隣の福島空港と高速交通網が相次いで整備され、東日本の交通の十字路として拠点化が進み、経済・内陸工業・流通・交通の要衝として「陸の港」[21]とも称され発展を遂げてきた。市内には全国有数の敷地面積203,000m2を持つ郡山貨物ターミナル駅もあり、近年のモーダルシフトの進展により、物流の拠点としての重要性も増してきている。
福島県のほぼ中央に位置し、市内に5つのインターチェンジ(福島県内最多)と東北・磐越自動車道が交差する郡山ジャンクションを擁する地理的優位性があり、全国規模で展開する企業が福島県内に拠点を置く場合、その多くが郡山市を選択しており、支社・支店・地域子会社が集中する支店経済都市でもある。
郡山市では交流人口の拡大と地域振興を図るため、各種展示会や学会の誘致などに積極的に取り組み、コンベンション都市を目指すことを政策として掲げている。 ビッグパレットふくしまや郡山ユラックス熱海、ホテル・旅館などのコンベンション施設も充実していることから、イベントや会合、研修が盛んに開催されている。2014年度のコンベンション開催件数は850件であった[22]。
従来より福島県ハイテクプラザ、日本大学工学部の敷地内に設置した郡山地域テクノポリスものづくりインキュベーションセンターなどを通じて産業振興やベンチャーなどの起業支援に取り組んできたが、近年では国、県など産学官連携による再生可能エネルギー、医療機器産業を震災後の産業復興の柱に位置付け[23]、産総研福島再生可能エネルギー研究所(2014年開所)やふくしま医療機器開発支援センターの設置を起爆剤に大規模展示会やセミナー開催による企業誘致に力を入れている。
明治時代に開削された猪苗代湖を水源とする安積疏水(あさかそすい)、及び明治維新の全国各地からの下級武士の入植による安積開拓などにより広大な水田が開発された。これらの大事業により阿武隈川に向かって傾斜し、水源となる河川が少なく谷の多い水利の悪い丘陵地帯がほとんどの土地である安積原野が、三穂田町に代表されるような広大な水田地帯に生まれ変わり、市としては全国一の米の生産額であった。しかし、2005年に合併により誕生した新・新潟市にその座を奪われ、2006年度においては全国17位となっている。
近年は生産者による「郡山ブランド野菜」の取り組みや、三菱商事復興支援財団の出資によるふくしま逢瀬ワイナリー[25]でのワインやリキュールの製造・販売など農業の6次産業化に力を入れている。
また日和田町には福島県農業総合センターが立地しており、福島県における農業研究の拠点となっている。
製造品出荷額:8,544億円(2014年。県内2位、東北地方3位)[26]
主な工業団地
商品販売額:1兆4,913億円(2007年。県内1位、東北地方2位)
郡山市内の主な百貨店・複合商業施設
百貨店としては、地元資本であったうすい百貨店(現在は三越伊勢丹ホールディングス傘下)、大型店は西友(ザ・モール郡山)の店舗がある。かつて大型店では、ダイエー(後にトポス、1994年11月閉店)とイトーヨーカドー(2024年5月閉店)が、専門店系列では、丸井(2008年2月閉店)があった。
家電量販店は、ヨドバシカメラ、コジマ(コジマ × ビックカメラ)、ヤマダデンキ(YAMADA web.com 郡山本店、テックランドNew郡山南店、ヤマダアウトレット郡山店の3店舗)、ケーズデンキ(郡山本店[注釈 1])が出店している。
(株式公開企業)
(その他)
かつて東京証券取引所一部に上場し、その後セブン&アイ・ホールディングスの完全子会社となった食品スーパーヨークベニマルや、スポーツ用品販売大手のゼビオホールディングス、第二地方銀行の大東銀行、ラーメン店チェーンの幸楽苑などが本社や本店を置いている。
また、福島県内最大手の地方銀行・東邦銀行は1946年まで、自動車買取業者のガリバーインターナショナルは1996年まで本社を置いていた。
出典[27]
出典[28]
2009年1月1日現在
地区名 | 人口 | 面積 | 人口密度 | ||
---|---|---|---|---|---|
旧郡山 | 190,462人 | 56.53km2 | 3,369.22人 / km2 | ||
安積 | 35,085人 | 17.45km2 | 2,010.60人 / km2 | ||
三穂田 | 4,776人 | 44.55km2 | 107.21人 / km2 | ||
逢瀬 | 4,684人 | 72.01km2 | 65.05人 / km2 | ||
片平 | 7,171人 | 18.76km2 | 382.25人 / km2 | ||
喜久田 | 10,501人 | 15.75km2 | 666.73人 / km2 | ||
日和田 | 10,157人 | 22.52km2 | 451.02人 / km2 | ||
富久山 | 35,061人 | 16.35km2 | 2,144.40人 / km2 | ||
湖南 | 4,043人 | 167.73km2 | 24.10人 / km2 | ||
湖南の面積のうち猪苗代湖の面積26.01km2 | |||||
熱海 | 6,742人 | 151.17km2 | 44.60人 / km2 | ||
田村 | 20,355人 | 91.73km2 | 221.90人 / km2 | ||
西田 | 4,721人 | 27.28km2 | 173.06人 / km2 | ||
中田 | 5,728人 | 55.23km2 | 103.718人 / km2 | ||
総数 | 339,486人 | 757.06km2 | 448.43人 / km2 |
2021年1月1日現在
地区名 | 人口 | 面積 | 人口密度 | ||
---|---|---|---|---|---|
旧郡山 | 180,298人 | 56.53km2 | 3,184.35人 / km2 | ||
安積 | 33,057人 | 17.45km2 | 1,926.39人 / km2 | ||
三穂田 | 4,305人 | 44.55km2 | 96.81人 / km2 | ||
逢瀬 | 4,403人 | 72.01km2 | 55.58人 / km2 | ||
片平 | 6,271人 | 18.76km2 | 334.28人 / km2 | ||
喜久田 | 11,959人 | 15.75km2 | 768.08人 / km2 | ||
日和田 | 10,152人 | 22.52km2 | 450.60人 / km2 | ||
富久山 | 36,440人 | 16.35km2 | 2,200.48人 / km2 | ||
湖南 | 3,145人 | 167.73km2 | 18.75人 / km2 | ||
湖南の面積のうち猪苗代湖の面積26.01km2 | |||||
熱海 | 5,264人 | 151.17km2 | 34.81人 / km2 | ||
田村 | 17,069人 | 91.73km2 | 186.04人 / km2 | ||
西田 | 4,314人 | 27.28km2 | 158.08人 / km2 | ||
中田 | 4,597人 | 55.23km2 | 83.22人 / km2 | ||
総数 | 321,394人 | 757.06km2 | 424.45人 / km2 |
郡山市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 郡山市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 郡山市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
郡山市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
市内には福島県最大の病床数を持つ総合病院や大学病院などの高度医療機関、日常的な診察や健康管理などを行う「かかりつけ医」の役割を担うクリニックなどが多数集積している。 人口10万人あたり病床数は1815.5床(全国平均1236.3床)、医師数237.5人(同226.5人)、歯科医師数111.6人(同78.2人)となっている[29]。
なお「郡山市こども医療費助成制度」により18歳以下の市民の医療費は無料となっている[30]。
金透小学校
東北新幹線で東京駅から最短77分で結ばれており、郡山駅から磐越東線、磐越西線、水郡線が分岐、東北自動車道、磐越自動車道、国道4号、国道49号、国道288号、国道294号が縦横に結ぶ東日本でも屈指の交通の要衝であり、『陸の港』[31]と称されている。
郡山駅を中心に東西・南北方向、さらに東南方向にも路線が存在する。私鉄は存在せず、旅客輸送・貨物輸送は東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)が担っている。
※ このほか、JRと郡山市が安積永盛駅 - 郡山駅間に新駅(仮称・郡山南駅)の設置について要望中である。
郡山駅周辺・市中心部が中心だが、磐梯熱海などの観光需要も一定数ある。そのほとんどが小型タクシーである。西条タクシーグループはUberTaxi利用可。
郡山市から利用される空港。
詳しくは福島県内の通りを参照。
柏屋、三万石、かんのやなどの福島県を代表する菓子メーカーが市内に本店を構えている他、クリームボックスなどのご当地スイーツもあり、カフェやスイーツ店の新規開業も盛んであること[34]などから、市では菓子類を名物として紹介している[35]。
ラーメン店は市内に約600軒ほどあり個性的なラーメンで競い合う激戦区となっている[36]。
また日本でも数少ない地ウイスキーを販売する笹の川酒造を始め酒造会社も多く立地している。そして、JR郡山駅西口駅前は福島県内屈指の繁華街であり、駅前一丁目の通称「陣屋」と呼ばれる界隈にはスナックなどが多く立ち並び、日の出通りを始めとした駅前二丁目から大町界隈には昭和30 - 40年代の高度経済成長期にオープンしたレトロな居酒屋が今なお健在である。また本格バーも地方都市の中では有数の多さである[34]。
近年はグリーンカレーを新たな名物として売り出している[37]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.