Loading AI tools
毎年春に日本の兵庫県西宮市で行われる高校野球の大会 ウィキペディアから
選抜高等学校野球大会(せんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場を会場として、日本高等学校野球連盟(高野連)・毎日新聞社主催、朝日新聞社後援、阪神甲子園球場特別協力のもと、毎年3月中旬もしくは下旬から4月上旬に開催される高校野球の全国大会。
今シーズンの大会: 第96回選抜高等学校野球大会 (2024年春) | |
開始年 | 1924年 |
---|---|
主催 |
日本高等学校野球連盟 毎日新聞社 |
会場 | 阪神甲子園球場 |
チーム数 | 32チーム |
前回優勝 | 健大高崎(2024年) |
最多優勝 | 東邦(5回) |
公式サイト | |
www | |
1947年の第19回大会まで全国選抜中等学校野球大会という名称だった。第二次世界大戦による中断後、GHQから「全国大会を1年に2回も行う必要はない」と問題視されていたため、「今年限り」を条件に何とか再開に漕ぎ着けたのが第19回大会で、1948年から「全国」の文字を削除、回数もリセットし、学制改革による中等学校から高等学校への改編もあいまって、第1回選抜高等学校野球大会とした経緯がある[2][3]。ただし、優勝旗・準優勝旗には現在も「全国」の文字が入っており(返還の際に授与されるレプリカには入らない)、1955年の第27回大会から回数も通算に戻されている。
大会旗および優勝旗の色は紫紺。優勝旗は紫紺色のため「紫紺の大優勝旗」と呼ばれている。「春の甲子園」「春の高校野球」「選抜(センバツ)甲子園」「National High School Baseball Invitational Tournament[4]」などと表現されており、 5年に1度(大会回数が5の倍数となる回)は記念大会として実施されている。
歴代優勝校は、選抜高等学校野球大会歴代優勝校を参照。
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
夏の大会は地方大会の優勝校が出場校となるが、春の大会は選考委員会によって出場校が決められる。高野連は出場校の選考基準を
としている[5]。第88回大会(2016年)からの改訂により、選考における試合内容の考慮、および秋季大会の位置づけが明記された。
夏の大会における東京都勢と兵庫県勢のような、第1回大会(1924年)から途切れることなく出場している都道府県勢は春の大会には存在しない。第55回大会(1983年)から通常は32校、記念大会でも36校[注釈 2]であるため、出場校が1校もない府県が毎回生じる(北海道と東京都はそれぞれ単独の出場枠が与えられるようになった)。逆に、好成績の府県からは2校以上選出される可能性もある(#出場校に関する記録を参照)。
出場校の選考は21世紀枠→一般選考・明治神宮大会枠の順で行われ、各都道府県の高野連推薦校の中から秋季地区大会(北海道大会・東京都大会は地区大会に相当)と府県大会の実績と地域的なバランスを考えた選考を前提としている。ただし選考会では高野連役員の意思が反映されるため、秋季地区大会で初戦敗退ながらも選ばれる学校もある。出場校決定後に組み合わせ抽選会を行いトーナメント方式で頂点を決め、2校出場した都道府県代表校は決勝戦まで当たらない様に配置させる。そのため、同じ都道府県代表校の対戦の機会は非常に少ない。組み合わせ抽選会は毎年開会式1週間前の9時から行い、各地区の出場校が多い学校から決定する。選手宣誓は出場校全校の主将によるくじ引きで決定する。ただし、第83回大会(2011年)のみ奥島孝康日本高等学校野球連盟会長が抽選で選んだ。
選手の学年は年度を跨ぐため、新年度の学年で紹介される。
現在では、以下の枠が与えられている。
1947年、福岡の小倉中(現:小倉)が選抜大会で準優勝、夏の大会で優勝(九州勢としても初優勝)した。九州地区の中等学校野球熱は高まり、朝日新聞西部本社運動部の芥田武夫部長は全国に先駆け、「全国中等学校野球連盟九州支部」を組織し、同年秋に第1回九州地区大会を鹿児島の鴨池球場(現:鴨池市民球場)で開催し、大成功を収めた。一方、中野連(高野連)も1948年から選考委員会に地区別小委員会を設置するようになった[6]。他の地区でも九州地区大会を範にして1948年秋から地区大会を行うようになり[7]、1949年秋に中部地区から北信越地区、1956年秋に関東地区から東京地区がそれぞれ離脱し、全国10地区で行われるようになった。
新チームで臨む最初の公式大会(実質的な新人トーナメント戦)となる秋季地区大会・府県大会の成績が選抜大会出場校・並びに補欠校を決める際の重要な選考資料となっており、基本的には秋季大会の成績をもとに、出場29校と補欠(代表校の出場辞退に備えるもので、各地区につき1〜2チーム程度)を選出する。
一般選考枠一覧 | ||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
地区 | 2024年から現在 | 2004年から2023年 | 2003年 | 2002年 | 1991年から2001年 | 1983年から1988年 | 1973年から1982年 | |||||||
北海道 | 北海道 | 1 | 北海道 | 1 | 北海道 | 1 | 北海道 | 1 | 北海道 | 1 | 北海道 | 1 | 北海道 | 1.5 |
東北 | 青森 岩手 秋田 山形 宮城 福島 | 3 | 青森 岩手 秋田 山形 宮城 福島 | 2 | 青森 岩手 秋田 山形 宮城 福島 | 2 | 青森 岩手 秋田 山形 宮城 福島 |
2 | 青森 岩手 秋田 山形 宮城 福島 | 2 | 青森 岩手 秋田 山形 宮城 福島 | 2 | 青森 岩手 秋田 山形 宮城 福島 | 2 |
関東 | 茨城 栃木 群馬 埼玉 山梨 千葉 神奈川 | 4.5 | 茨城 栃木 群馬 埼玉 山梨 千葉 神奈川 | 4.5 | 茨城 栃木 群馬 埼玉 山梨 千葉 神奈川 | 4.5 | 茨城 栃木 群馬 埼玉 山梨 千葉 神奈川 |
4 | 茨城 栃木 群馬 埼玉 山梨 千葉 神奈川 | 5 | 茨城 栃木 群馬 埼玉 山梨 千葉 神奈川 | 4 | 茨城 栃木 群馬 埼玉 山梨 千葉 神奈川 | 3 |
東京 | 東京 | 1.5 | 東京 | 1.5 | 東京 | 1.5 | 東京 | 2 | 東京 | 2 | 東京 | 2 | 東京 | 1.5 |
北信越 | 長野 新潟 富山 石川 福井 | 2 | 長野 新潟 富山 石川 福井 | 2 | 長野 新潟 富山 石川 福井 | 2 | 長野 新潟 富山 石川 福井 |
2 | 長野 新潟 富山 石川 福井 | 2 | 長野 新潟 富山 石川 福井 | 2 | 長野 新潟 富山 石川 福井 | 1.5 |
東海[注釈 8] | 静岡 愛知 岐阜 三重 | 3 | 静岡 愛知 岐阜 三重 | 2 | 静岡 愛知 岐阜 三重 | 3 | 静岡 愛知 岐阜 三重 |
3 | 静岡 愛知 岐阜 三重 | 3 | 静岡 愛知 岐阜 三重 | 3 | 静岡 愛知 岐阜 三重 | 3 |
近畿 | 滋賀 京都 奈良 和歌山 大阪 兵庫 | 6 | 滋賀 京都 奈良 和歌山 大阪 兵庫 | 6 | 滋賀 京都 奈良 和歌山 大阪 兵庫 | 6 | 滋賀 京都 奈良 和歌山 大阪 兵庫 |
6 | 滋賀 京都 奈良 和歌山 大阪 兵庫 | 7 | 滋賀 京都 奈良 和歌山 大阪 兵庫 | 7 | 滋賀 京都 奈良 和歌山 大阪 兵庫 | 6.5 |
中国 | 岡山 鳥取 広島 島根 山口 | 2 | 岡山 鳥取 広島 島根 山口 | 2.5 | 岡山 鳥取 広島 島根 山口 | 3 | 岡山 鳥取 広島 島根 山口 |
3 | 岡山 鳥取 広島 島根 山口 | 3 | 岡山 鳥取 広島 島根 山口 | 3.5 | 岡山 鳥取 広島 島根 山口 | 3.5 |
四国 | 香川 愛媛 徳島 高知 | 2 | 香川 愛媛 徳島 高知 | 2.5 | 香川 愛媛 徳島 高知 | 3 | 香川 愛媛 徳島 高知 |
3 | 香川 愛媛 徳島 高知 | 3 | 香川 愛媛 徳島 高知 | 3.5 | 香川 愛媛 徳島 高知 | 3.5 |
九州 | 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 | 4 | 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 | 4 | 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 | 4 | 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 |
4 | 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 | 4 | 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 | 4 | 福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島 沖縄 | 3.5 |
第75回大会(2003年)から設けられる。明治神宮大会枠は11月の明治神宮大会優勝校が所属する地区に与えられ、その地区の一般選考枠が1つ増える形となる。第80回大会(2008年)は記念大会で1校増の2枠で、優勝校・準優勝校を出した地区に枠が与えられた。この枠ができ、一般枠の1道府県2校までが確定した。東京のみ、神宮枠を獲得し関東との比較により一般枠が2となった場合に3校出場の可能性がある[22]。
なお、大会で優勝した高校が自動的に「神宮枠」で出場できるわけではない。優勝した高校の地区で選考を最後に通過した高校が「神宮枠で選出」されたことにはなるが、高野連は「神宮枠」という扱いをしていない[23]。最後の枠が別地区同士の比較となる関東と東京、中国と四国は、その比較の前に該当地区から1校多く選出する[24]。
第93回大会(2021年)は前年(2020年)に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大防止のため開催中止。明治神宮大会枠の1枠は、後述の21世紀枠に振り替えを行った。
2001年が21世紀最初の年であることに因み、同年開催の第73回大会から設けられた。
部員不足やグラウンドがない、豪雪地帯といった学校・地域の特性などの困難を克服した学校や、ボランティア活動といった野球以外の活動での地域貢献で他校の模範となる学校を選出。推薦は2012年までは基本的に各都道府県の秋季大会で参加校数が128校を上回る都道府県ではベスト16、それ以外の県ではベスト8以上のチーム、2013年以降は128校を上回る都道府県ではベスト32、それ以外の県ではベスト16以上[注釈 9]と改定された。選考は各都道府県の高野連が推薦校1校を選出し、そこから各地区(全国9地区)の代表推薦校となった高校の中から2校が出場校に選出される。選考基準について大会を主催する毎日新聞は
とした上で、
学校を選出すると公表している[25]。
選考委員会ではまず推薦理由説明会において候補校のある都道府県高野連の理事長がプレゼンテーションを行い、続く特別選考委員会において主催者と外部有識者からなる委員との質疑応答を経て決定される[26][27]。2001年から2007年までは東日本と西日本から1校ずつ[注釈 10]。第80回大会(2008年)は記念大会による1校増の3校で「北海道、東北、関東・東京」(=東日本)、「北信越、東海、近畿」(=中日本)、「中国、四国、九州」(=西日本)から各1校が選出。第81回大会(2009年)からは東日本1校、西日本1校、地域限定なし1校の3校が選出されている。第85回大会(2013年)と第93回大会(2021年)は東日本2校、西日本2校の4校が選出された[注釈 11]。第96回大会(2024年)から再び2校となっているが、今回からは東西の地域限定の分け隔てなしで2校を選出する。
なお、21世紀枠で選抜大会出場校に選出されなかった高校は一般選考枠で選出対象となる[注釈 12]。
第73回大会(2001年)に前年優勝校枠以来の特別出場案として21世紀枠が誕生したが、公立進学校・伝統校や困難克服校が優先して選出される傾向にある。
“他校の模範であること”を根拠に名門の大学へ現役合格者多数、学校全体での「朝の読書」推進、「青少年赤十字部」の活動、生徒のボランティア活動、果ては災害被災地所在で頑張っている、など野球そのものとは直接関係のない事象により推薦されるケースがある。さらに、過去の選出校のほとんどが一般選考ライン一歩手前で敗れており、実質的には地区大会出場校の救済枠となっている。
過去に優勝経験のある学校や、県内では強豪といわれる学校が選考されている。2009年の利府、2010年の山形中央に至っては困難克服どころか、地元紙の特集において「恵まれた環境」[28]とされていた(普通科と別に専科が設置されているため、他の公立高校に比べ選手が集まりやすい傾向にある)。選考理由の1つに練習環境の困難さを掲げていた2016年の長田も実際には野球部公式サイトで特徴の1つとして「充実した練習環境」を掲げており、両翼100メートル、中堅115メートルのグラウンドを「神戸市内の県立高校では屈指の広さ」としてアピールしていた[29]。また、「他校の模範となるチーム」を選出する枠でありながら、2006年から2010年まで・2014年は都道府県推薦校が不祥事により推薦を取り消されたり辞退したりする事態[30]、果ては選出校がのちに部内暴力で連盟から処分される事態[31]までも発生している。また、2002年に「文武両道」を理由に選出された松江北の主戦投手は、学業に専念するため夏の大会を前に退部している(その後東京大学を受験し、現役での合格はならなかったが、一浪の末に合格している)[32]。2011年の第83回大会では見直しが行われるはずだったが、結局は地区大会の成績に「原則」が付記され、出場校選出の最終優先条件が「30年以上出場がない学校」から「出場から、より遠ざかっている学校」となったのみで、事実上の前例踏襲となった。2012年の第84回大会において洲本が30年以内に出場経験のある学校として初めて選出された。2023年の第95回大会では石橋・氷見・城東の3校が選出された理由として「マナーのいい、キビキビ動く校を選んだ」と委員からコメントがあり、有力視されていながら選に漏れた小野の監督・北垣賢高は「じゃあウチはそうじゃないのか(どの校だってそうなはずだ)」と疑問を呈した[33]。
なお、この枠で出場した高校は公立校がほとんどである。私立校は2013年の土佐1校のみである(2024年現在)。
2024年現在、初戦の成績は14勝49敗。通算成績は20勝63敗。21世紀枠で出場後、同年夏の選手権大会に出場した学校は2001年の宜野座(第83回大会)、2010年の山形中央(第92回大会)の2校である。2022年には丹生が広島商に7-22で大敗している。このためインターネット上では「21世紀枠には勝って当たり前」とまで言われている[34]。実際、第82回大会1回戦で開星が21世紀枠の向陽に敗退した際は試合後のインタビューで開星監督の野々村直通が「21世紀枠に負けたのは末代までの恥。切腹して死にたい」と発言[35][36]し、21世紀枠に対する高校球界の認識が窺える一幕となった。
21世紀枠出場校一覧(太字は選出後に甲子園大会に再度出場した学校。2020年の「結果」は甲子園高校野球交流試合での勝敗) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 | 地区 | 出場校 | 主な選考理由 | 結果 | |||
2001年 | 東日本 | 安積(福島) | 創立創部ともに県最古であり、質実剛健で考える野球を実践した。 | 初戦敗退 | |||
西日本 | 宜野座 (沖縄) | 部員全員が地元中学出身で地域貢献を果たす。 | ベスト4 | ||||
2002年 | 東日本 | 鵡川 (北海道) | 廃校の危機を乗り越え、希望の星となる。 | 2回戦敗退 | |||
西日本 | 松江北 (島根) | 県内屈指の進学校。 | 初戦敗退 | ||||
2003年 | 東日本 | 柏崎(新潟) | 豪雪地のハンディを克服。 | 初戦敗退 | |||
西日本 | 隠岐(島根) | 離島の過酷な条件を克服。 | 初戦敗退 | ||||
2004年 | 東日本 | 一関一 (岩手) | 県内屈指の進学校。 | 初戦敗退 | |||
西日本 | 八幡浜 (愛媛) | 生徒数大幅減少の中で文武両道を徹底。 | 初戦敗退 | ||||
2005年 | 東日本 | 一迫商 (宮城) | 地域密着の活動で過疎の町を勇気づけた。 | 2回戦敗退 | |||
西日本 | 高松(香川) | 県内屈指の進学校。 | 初戦敗退 | ||||
2006年 | 東日本 | 真岡工 (栃木) | 地元密着の選手育成。 | 初戦敗退 | |||
西日本 | 金沢桜丘 (石川) | 県内有数の進学校。 | 初戦敗退 | ||||
2007年 | 東日本 | 都留(山梨) | 部活時間確保のため、通常10分の休み時間を7分に短縮。 三宅島噴火による避難生活中だった都立三宅高校と合同練習や試合を行った。 | 初戦敗退 | |||
西日本 | 都城泉ヶ丘 (宮崎) | 県内有数の進学校。狭いグラウンドという悪条件を、工夫を凝らした練習で克服。 | 2回戦敗退 | ||||
2008年 | 東日本 | 安房(千葉) | 創立100年を超える文武両道の進学校。 房総半島の南端に位置し、小規模校の多い地元の中学出身者だけでチームを構成。 | 2回戦敗退 | |||
中日本 | 成章(愛知) | 創部100年を誇る県立の進学校。 試合会場まで長距離移動する地理的なハンディを乗り越え強豪私立高と接戦を演じた。 | 2回戦敗退 | ||||
西日本 | 華陵(山口) | 全校生徒が日本赤十字の会員で、青少年赤十字モデル校の指定を受けている。 過去4年間で春秋合わせて中国大会に6回出場。 | 3回戦敗退 | ||||
2009年 | 東日本[37] | 利府(宮城) | 地域の清掃活動に積極的に参加。運動部員が小学校へ出前授業をしている。生徒が梨農家の手伝いをしている。 | ベスト4 | |||
西日本[37] | 彦根東 (滋賀) | 右翼が左翼より30メートルも短い変形グラウンドという悪条件を、工夫を凝らした練習で克服。 | 初戦敗退 | ||||
地域限定 なし[37] | 大分上野丘 (大分) | 県内随一の進学校。放課後の練習は2時間までと決められていながら、2008年秋季大会では九州大会出場を果たした文武両道。 | 初戦敗退 | ||||
2010年 | 東日本[38] | 山形中央 (山形) | 野球ばかりでなくスキー、スケート、柔道なども全国トップレベルにある。 率先して学校周辺の清掃活動に取り組み、また部の方針に「感謝」を掲げ地域交流にも取り組む。 | 初戦敗退 | |||
地域限定 なし[38] | 向陽 (和歌山) | 旧制海草中学時代に嶋清一などの活躍で1939~40年に第25回、第26回と全国大会を連覇した名門校。 清掃活動など地域とつながりも深く、副主将は生徒会長を務めて学校生活にも熱心に取り組む。 | 2回戦敗退 | ||||
西日本[38] | 川島(徳島) | 少人数部員(18人)、グラウンドが共用で使える広さがダイヤモンドとほぼ同じという悪条件を、工夫をこらした練習で克服。 | 初戦敗退 | ||||
2011年 | 地域限定 なし[39] | 大館鳳鳴 (秋田) | 1898年創立の進学校。部員全員が地元出身で、冬はボランティアで除雪を行い地域に貢献。 「ベースボール」を「野球」と訳した中馬庚が大正期に校長を務めていた。 | 初戦敗退 | |||
東日本[39] | 佐渡(新潟) | 本州まで2時間半かけて遠征し練習試合を行う離島のハンディを乗り越え、2010年秋の県大会で準優勝。 60条からなる「野球部心得」を基に人間力向上に取り組む。 | 初戦敗退 | ||||
西日本[39] | 城南(徳島) | 創立・創部とも県内最古の歴史を持つ進学校。部員全員が近隣中学出身で、生徒会活動などに積極的に参加。 | 2回戦敗退 | ||||
2012年 | 地域限定 なし[40] | 女満別 (北海道) | 全校生徒134人の小規模校で野球部員は19人。 氷点下20度を下回る日が珍しくない寒冷地の中で、昨秋の北海道大会ベスト16と健闘した[41]。 | 初戦敗退 | |||
東日本[40] | 石巻工 (宮城) | 前年の東日本大震災で部員の殆どや自校のグラウンドが被災したものの、その年の秋季大会で準優勝を果たした。 | 初戦敗退 | ||||
西日本[40] | 洲本(兵庫) | 1953年第25回選抜高等学校野球大会優勝校。 阪神・淡路大震災当時に生まれた生徒が主力で、県内の強豪校と互角に戦い続けた[41]。 | 初戦敗退 | ||||
2013年 | 地域限定 なし[42] | 遠軽 (北海道) | 町唯一の道立校で、生徒の8割は町民。堀達也・元道知事や安彦良和の母校。 町内の催事に生徒や教職員が積極的に参加。 | 2回戦敗退 [注釈 13] | |||
東日本[42] | いわき海星 (福島) | 東日本大震災とそれに伴う大津波や福島第一原子力発電所事故の渦中でも夢を諦めずに頑張る姿は、風評被害に苦しむ県民に希望と元気を与えてくれる。 | 初戦敗退 | ||||
地域限定 なし[42] | 益田翔陽 (島根) | 他校の模範たり得るマナー、統合により誕生した学校で部員確保の苦労を克服し、ボランティア活動にも積極的に取り組んでいる。 | 初戦敗退 | ||||
西日本[42] | 土佐(高知) | 学校は1920年、野球部は1947年創立と歴史を誇る。 「文武両道」と共に掲げられるモットー「全力疾走」は全国的に有名。 | 初戦敗退 | ||||
2014年 | 東日本[43] | 小山台 (東京) | 都立の進学校。限られた練習時間や狭いグラウンドなどの練習環境を克服し、秋の都大会で私立の強豪校を破り8強入り。 | 初戦敗退 | |||
西日本[43] | 海南 (和歌山) | 旧制海南中学時代および統合した大成高校を含め春夏通算20回出場の伝統校。 校舎改築工事の影響でグラウンドが使用できない厳しい練習環境の中、秋の県大会で準優勝。 | 初戦敗退 | ||||
地域限定 なし[43] | 大島 (鹿児島) | 奄美大島の県立校でグラウンド周辺にはハブも生息。 試合時には鹿児島市内までフェリーで11時間かけて遠征する離島のハンディを乗り越え秋の県大会で4強入り。 | 初戦敗退 | ||||
2015年 | 東日本[44] | 豊橋工 (愛知) | 整備用トンボや防球ネットなど練習道具の多くを手作りし、工業高校らしい創意工夫で練習環境を整えている。 また、毎朝学校周辺を清掃し地域に貢献。 | 初戦敗退 | |||
地域限定 なし[44] | 桐蔭 (和歌山) | 和歌山中時代に1915年夏の第1回大会から出場し春夏計3度優勝した古豪。 高校野球100年の節目の年であり、草創期からの貢献が重視され53年ぶりの出場。 | 初戦敗退 | ||||
西日本[44] | 松山東 (愛媛) | 正岡子規らが学び夏目漱石も教壇に立った県内最古の伝統校。 文部科学省指定「スーパーグローバルハイスクール」で文武両道を実践し、史上最長ブランクとなる82年(77大会)ぶりの出場。 | 2回戦敗退 | ||||
2016年 | 東日本[45] | 釜石(岩手) | 東日本大震災で部員24人中9人が自宅を失い、親を亡くした部員もいる。 グラウンドを6つの運動部で共用する厳しい環境に負けず秋の県大会で準優勝。 | 2回戦敗退 [注釈 14] | |||
地域限定 なし[45] | 長田(兵庫) | 阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区にある県内屈指の進学校。 同じ敷地内に夜間定時制と通信制の高校が併設され、練習が制限される中で秋の県大会8強入り。 | 初戦敗退 | ||||
西日本[45] | 小豆島 (香川) | 部員17人ながら自主性を持って練習に取り組み、秋の県大会決勝で(その後の四国大会と明治神宮大会を制する)高松商を破って初優勝。少子化の時代に生徒減に悩む学校の希望の星となった。 | 初戦敗退 | ||||
2017年 | 東日本[46] | 不来方 (岩手) | 部員わずか10人[47] のため実戦形式の練習ができず、練習時間の9割を打撃に充て打ち勝つ野球を貫き、秋の県大会で準優勝。 | 初戦敗退 | |||
地域限定 なし[46] | 多治見 (岐阜) | 狭いグラウンドを他部と共用し、バドミントンのシャトルやテニスボールを使うなど工夫を凝らした練習を取り入れ秋の県大会で初優勝。小学生に野球教室を開くなどボランティア活動にも熱心。 | 初戦敗退 | ||||
西日本[46] | 中村(高知) | 過疎化が進む地域に位置するが、中学3年から高校の練習に参加できる中高一貫校の特例を生かした強化で困難な状況を克服し秋の県大会で優勝。 部員12人で準優勝し「二十四の瞳」として注目された1977年春以来40年ぶりの出場。 | 初戦敗退 | ||||
2018年 | 東日本[48] | 由利工 (秋田) | 「地域に愛される学校」を目標に掲げ、部員が率先して地域住民へあいさつ活動を行っている。 工業高校の技術を生かし高齢者施設の車椅子を修理するなどボランティア活動にも励む。 | 初戦敗退 | |||
地域限定 なし[48] | 膳所(滋賀) | 全国屈指の進学校。セイバーメトリクスを取り入れ、野球経験のないデータ分析専門の部員が対戦相手の打球傾向を分析し守備位置を調整。秋の県大会での8強入りを陰で支えた。 | 初戦敗退 | ||||
西日本[48] | 伊万里 (佐賀) | 公立の進学校で、平日は90分という短い練習時間ながら、分刻みのメニューを設定し効率的に練習。 部員が地元の少年野球大会の審判をボランティアで務め地域に貢献。 | 初戦敗退 | ||||
2019年 | 東日本[49] | 石岡一 (茨城) | 明治43年開校の農学校が前身で、部員の約4割が実習の授業が多い園芸科・造園科で学ぶ。 全員そろって練習できる時間が限られる中で秋の県大会で4強入りし、農業を通じた新しい形の文武両道を示した。 | 初戦敗退 | |||
西日本[49] | 富岡西 (徳島) | 野球を通じた町づくりを進める阿南市にある創部120年の伝統校で、休日には学校周辺の清掃活動を行っている。 2001年・2008年に続く3度目の四国地区候補校選出で、継続した取り組みも評価。 | 初戦敗退 | ||||
地域限定 なし[49] | 熊本西 (熊本) | 部員全員が地元中学出身で、2016年に熊本地震に見舞われ大半が避難所生活を送りボランティア活動を行った。 2018年11月の練習試合中に部員が頭部に死球を受け亡くなる事故もあった[注釈 15]。 | 初戦敗退 | ||||
2020年 | 東日本[50] | 帯広農 (北海道) | NHK朝ドラ『なつぞら』や漫画『銀の匙』のモデルにもなった農業高校で、部員の多くが農業や酪農の後継者。 実習が多く全体練習は土日のみで、学校産の野菜や牛乳で体作りに取り組み秋の北海道大会ベスト4。 | 勝利 | |||
地域限定 なし[50] | 磐城(福島) | 2019年10月の台風19号で浸水被害を受けたいわき市にある進学校。 当時は秋の東北大会の期間中で、地元が被災した直後の2回戦で逆境を乗り越え勝利し8強入り。大会後は泥除去などボランティア活動を行った。 | 敗戦 | ||||
西日本[50] | 平田(島根) | 過疎化が進む地域で野球の普及活動に力を入れ、地元の幼稚園・保育園の園児らを対象に野球体験会を開催。 2年連続3度目の中国地区候補校選出で、野球人口の増加に向けた取り組みを高く評価。 | 敗戦 | ||||
2021年 | 東日本[51] | 八戸西 (青森) | 進学校で練習時間が限られる中、学年や守備位置ごとのグループに分かれ効率的に練習。 監督が八戸高等支援学校に勤務する傍ら野球部を指導し、選手が支援学校の敷地清掃、支援学校の生徒が傷んだボールを修繕するなど相互交流を行っている。 | 初戦敗退 | |||
地域限定 なし[51] | 三島南 (静岡) | 地元の園児・小学生を対象に開催している野球教室には延べ1000人以上が参加し、NPB関係者も視察に訪れている。 選考委員会では最後の4校目の選出校として三島南と「富山北部・水橋」の連合チームで意見が分かれ、最終的に合意に至らず決選投票で三島南に決まった[52]。 | 初戦敗退 | ||||
西日本[51] | 東播磨 (兵庫) | コロナで活動が制限される中、「Zoom」や「LINE」などオンラインツールを活用し、監督が練習メニューを動画配信し質疑応答もSNS経由で行うなど新たな指導スタイルを確立。 | 初戦敗退 | ||||
地域限定 なし[51] | 具志川商 (沖縄) | 5年前には部員不足で他部の選手を集めて試合をするほど低迷していたが、OBが監督やコーチとして指導し地域の支援を受け復活。 生徒が仕入れや販売の実習を行う学校行事「具商デパート」に野球部員も積極的に参加。 | 2回戦敗退 [注釈 16] | ||||
2022年 | 地域限定 なし[53] | 只見(福島) | 全校生徒86人の小規模校。選手13人で困難克服に取り組む姿が「希望」になると判断。 過疎化で生徒数が減少し、只見町外から生徒を受け入れる「山村教育留学制度」を利用した選手と地元選手が一体となり、昨秋は福島県大会で初の8強。過疎地域の活力になっている。 | 初戦敗退 | |||
東日本[53] | 丹生(福井) | 地元(越前町)の道の駅や飲食店には野球部の試合や練習の写真などが飾られるほど地域に愛されている。 2021年秋の県大会3位決定戦で(その後の北信越大会を制する)敦賀気比に善戦しており、福井県勢で初の21世紀枠選出。 | 初戦敗退 | ||||
西日本[53] | 大分舞鶴 (大分) | 大分県内屈指の進学校で平日の練習が2時間と限られる中、3班に分かれて分単位でメニューをこなすなど工夫を凝らしている。 選手が主体的に取り組むことで、人事異動に伴う指導者の交代でも指導の継続性を維持し、昨年まで2年連続で夏の県大会で準優勝。昨秋も九州大会に出場するなど好成績を残している。 | 初戦敗退 | ||||
2023年 | 地域限定 なし[54] | 石橋(栃木) | 県内屈指の進学校。直近7年間の県大会で準優勝2回、4強入り2回、8強入り3回と上位進出の常連で文武両道を実践。 小学生を対象に肘・肩の検診を兼ねた野球教室を開催し地域に貢献。 | 初戦敗退 | |||
東日本[54] | 氷見(富山) | 部員数17人ながら秋の県大会で1試合平均12.8得点と圧倒的な打撃力で優勝し、北信越大会では8強に進出。 地元の小学生向けの野球教室を開き、普及活動にも積極的に取り組む。 | 初戦敗退 | ||||
西日本[54] | 城東(徳島) | 県内有数の進学校。選手はわずか12人で、女子マネージャーがノックを打つなどサポート。 グラウンドは他部と共用のためバントや走塁の練習に力を入れ、秋の県大会で機動力を生かし4強入り。 | 初戦敗退 | ||||
2024年 | 北海道 | 別海(北海道) | 一年の半分が最低気温0度未満の冬日で日照時間も短い中、農業用ビニールハウスを活用するなど工夫して練習。 選手16人ながら秋の北海道大会で4強入りし、人よりも牛が多い酪農の町別海町を盛り上げた。 | 初戦敗退 | |||
近畿 | 田辺(和歌山) | 監督がスクールカウンセラーと連携し精神面のサポートをするなど選手1人1人との対話を重視し、これからの時代の一つの在り方として評価。 秋の県大会で強豪の市立和歌山、智弁和歌山を破り決勝進出。 | 初戦敗退 |
21世紀枠選出回数一覧(2024年現在。都道府県の右の括弧は地区推薦回数)[55] | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
地区 | 選出回数 | 都道府県 | |||||
北海道 | 5回 | 北海道(24)[注釈 17] | |||||
東北 | 4回 | 福島(5) | |||||
3回 | 宮城(7)・岩手(3) | ||||||
2回 | 秋田(5) | ||||||
1回 | 青森(2)・山形(2) | ||||||
関東・東京 | 2回 | 栃木(7) | |||||
1回 | 茨城(5)・千葉(3)・山梨(2)・東京(2) | ||||||
0回 | 群馬(4)・埼玉(1)・神奈川(0) | ||||||
北信越 | 2回 | 新潟(5) | |||||
1回 | 石川(6)・富山(5)・福井(5) | ||||||
0回 | 長野(3) | ||||||
東海 | 2回 | 愛知(6) | |||||
1回 | 岐阜(5)・静岡(4) | ||||||
0回 | 三重(9) | ||||||
近畿 | 4回 | 和歌山(9) | |||||
3回 | 兵庫(4) | ||||||
2回 | 滋賀(6) | ||||||
0回 | 京都(2)・奈良(2)・大阪(1) | ||||||
中国 | 4回 | 島根(9) | |||||
1回 | 山口(4) | ||||||
0回 | 鳥取(5)・広島(5)・岡山(1) | ||||||
四国 | 4回 | 徳島(7) | |||||
2回 | 香川(6)・愛媛(6)・高知(5) | ||||||
九州 | 2回 | 沖縄(5)・大分(2) | |||||
1回 | 宮崎(5)・鹿児島(3)・佐賀(2)・熊本(1) | ||||||
0回 | 福岡(3)・長崎(3) | ||||||
第2回大会(1925年)から第9回大会(1932年)は、前年の優勝校は無条件で全国大会に出場することができた。第10回大会(1933年)からこの制度は廃止されたが、優勝校は次年度全国大会に出場し続けていた。1942年 - 1945年に大会が戦争で中断になったのを除き、優勝校が次年度全国大会に出場できなかったのは第20回大会(1948年)で優勝した京都一商(京都)が最初であった。
第75回大会(2003年)から第80回大会(2008年)まで設けられた。
一般選考の補欠校にもセンバツへの「希望」を残す狙いで、第75回大会から導入された。神宮大会枠を得た地区を除く地区の補欠1位校が対象。投手を含めた守備力のデータに従って決める。項目は第75回が被塁打、与残塁+失点、失策、第76回以降が被塁打、与四死球、失点、失策。第75回大会では明治神宮大会を除く直近5試合で各項目の1試合9イニング平均値を計算し、最初に被塁打数の多い3校、次に与残塁+失点の多い3校を除外し、残った3校のうち最も失点の少ないチームを選出するという方法が採られていた。
第76回大会から選出方法が変更され、明治神宮大会を除く直近4試合で各項目の1試合9イニング平均値を計算し、順位を得点化、合計がもっとも多い学校が選出されるようになった。
合計得点(第75回大会では失点)が同じ場合は得失点差の大きいほうを選出する。得失点差も同じ場合は、第75回大会では出場経験がない、もしくは古い方を選出するとされていたが、第76回大会以降は明示されていなかった。
希望枠は、明治神宮枠以外の地区の補欠出場順位第1位の学校の中からデータを比較の上、守備力に長けているチームを1校選出。ただし東京枠は2枠選出する場合においては除かれる。理由は同一都道府県から出場枠を21世紀枠を除く、3校選出を避けるためである。
2013年の第85回記念大会は通常の東北代表枠や21世紀枠などとは別に「東北絆枠」と題した特別枠として、東日本大震災からの復興を目指す東北地方の学校の中から「一般選考の中に含めつつも、何かキラリと光るものを持っているチームを選抜する」として制定しており、内容としては21世紀枠に準じたものである。
年 | 大会 | 都道府県 | 出場校 |
---|---|---|---|
1930年 | 第7回 | 兵庫県 | 第一神港商・甲陽中・明石中 |
1931年 | 第8回 | 兵庫県 | 第一神港商・甲陽中・明石中 |
1933年 | 第10回 | 愛知県 | 中京商・享栄商・一宮中 |
兵庫県 | 明石中・神戸一中・関西学院中 | ||
1934年 | 第11回 | 愛知県 | 東邦商・享栄商・中京商 |
大阪府 | 浪華商・日新商・堺中 | ||
1935年 | 第12回 | 愛知県 | 愛知商・東邦商・中京商 |
1936年 | 第13回 | 愛知県 | 愛知商・東邦商・享栄商 |
兵庫県 | 育英商・滝川中・姫路中 | ||
1938年 | 第15回 | 大阪府 | 浪華商・日新商・京阪商 |
兵庫県 | 甲陽中・明石中・滝川中 | ||
1940年 | 第17回 | 愛知県 | 東邦商・愛知商・中京商 |
1947年 | 第19回 | 京都府 | 京都一商・京都二商・京都二中 |
和歌山県 | 田辺中・海草中・和歌山中 | ||
1988年 | 第60回 | 大阪府 | 上宮・近大付・北陽 |
1995年 | 第67回 | 兵庫県 | 神港学園・報徳学園・育英 |
2001年 | 第73回 | 茨城県 | 常総学院・水戸商・藤代 |
2018年 | 第90回 | 滋賀県 | 近江・彦根東・◆膳所 |
第75回大会(2003年)以降、内規が改定され「一般枠での同一都道府県からの選出は2校まで」と定められている。ただし、21世紀枠を含めての3校選出は可能であり、2018年の第90回記念大会における滋賀県勢が初のケースとなった。
都道府県 | 年 | 回 | 出場校 |
---|---|---|---|
北海道 | 1952年(第24回大会)以降毎年出場 | ||
青森県 | 2024年 | 第96回 | 八戸学院光星・青森山田 |
岩手県 | 2022年 | 第94回 | 花巻東 |
秋田県 | 2023年 | 第95回 | 能代松陽 |
山形県 | 2020年 | 第92回 | 鶴岡東(開催中止[注釈 18]) |
宮城県 | 2023年 | 第95回 | 東北・仙台育英 |
福島県 | 2024年 | 第96回 | 学法石川 |
茨城県 | 2024年 | 第96回 | 常総学院 |
栃木県 | 2024年 | 第96回 | 作新学院 |
群馬県 | 2024年 | 第96回 | 健大高崎 |
埼玉県 | 2022年 | 第94回 | 浦和学院 |
山梨県 | 2024年 | 第96回 | 山梨学院 |
千葉県 | 2024年 | 第96回 | 中央学院 |
東京都 | 1941年(第18回大会)以降毎年出場 | ||
神奈川県 | 2023年 | 第95回 | 慶応 |
長野県 | 2021年 | 第93回 | 上田西 |
新潟県 | 2014年 | 第86回 | 日本文理[注釈 19] |
富山県 | 2023年 | 第95回 | 氷見(21世紀枠) |
石川県 | 2024年 | 第96回 | 星稜・日本航空石川 |
福井県 | 2024年 | 第96回 | 敦賀気比 |
静岡県 | 2023年 | 第95回 | 常葉大菊川 |
愛知県 | 2024年 | 第96回 | 豊川・愛工大名電 |
岐阜県 | 2023年 | 第95回 | 大垣日大 |
三重県 | 2024年 | 第96回 | 宇治山田商 |
滋賀県 | 2024年 | 第96回 | 近江 |
京都府 | 2024年 | 第96回 | 京都外大西・京都国際 |
奈良県 | 2022年 | 第94回 | 天理 |
和歌山県 | 2024年 | 第96回 | 耐久・田辺(21世紀枠) |
大阪府 | 1927年(第4回大会)以外出場 | ||
兵庫県 | 1924年(第1回大会)、1982年(第54回大会)、 2015年(第87回大会)、2018年(第90回大会)以外出場 | ||
岡山県 | 2024年 | 第96回 | 創志学園 |
鳥取県 | 2023年 | 第95回 | 鳥取城北 |
広島県 | 2024年 | 第96回 | 広陵 |
島根県 | 2020年 | 第92回 | 平田(21世紀枠・開催中止[注釈 20]) |
山口県 | 2023年 | 第95回 | 光 |
香川県 | 2023年 | 第95回 | 英明・高松商 |
愛媛県 | 2021年 | 第93回 | 聖カタリナ |
徳島県 | 2024年 | 第96回 | 阿南光 |
高知県 | 2024年 | 第96回 | 高知 |
福岡県 | 2024年 | 第96回 | 東海大福岡 |
佐賀県 | 2022年 | 第94回 | 有田工 |
長崎県 | 2023年 | 第95回 | 長崎日大・海星 |
熊本県 | 2024年 | 第96回 | 熊本国府 |
大分県 | 2024年 | 第96回 | 明豊 |
宮崎県 | 2021年 | 第93回 | 宮崎商 |
鹿児島県 | 2024年 | 第96回 | 神村学園 |
沖縄県 | 2023年 | 第95回 | 沖縄尚学 |
戦前の大会で外地から選抜された学校は2校ある。いずれも台湾の学校で第7回・10回大会に台北一中が、第12回大会に嘉義農林が選抜された。最高成績は第7回大会で台北一中が果たした準々決勝進出。他の2大会はいずれも初戦敗退だった。
準々決勝以降も再抽選を行う夏の大会と違い、1983年(第55回)以降は、組み合わせ抽選会で全ての組み合わせが決まり再抽選を行わない。併せて選手宣誓者も決定される。かつては、開会式の2日前に全選手を集め毎日ホールや兵庫県立総合体育館で行われていたが、1995年(第67回)以降は、毎日新聞大阪本社オーバルホールにおいて主将のみで行われている[57]。
1997年(第69回)以降、組合せ抽選会では同地区および同県の高校同士が早い段階で試合を行わないような措置が施されている。
そのため、抽選会では出場校の多い地区からの抽選となる(北海道が1枠の場合は3枠の地域に含む。関東・東京は同一扱い、中国・四国は別枠、21世紀枠は各校の属する地域に含まれる)。出場枠が同じ地区の場合は北から抽選。
上記の要件を満たすため、最大3段階で抽選を行う複雑な抽選方式が採用されている[57]。
1924年(第1回)のみ愛知県名古屋市中区広路町(現・昭和区滝川町)の山本球場で行われ、1925年(第2回)から兵庫県武庫郡鳴尾村(現・西宮市)の甲子園大運動場(現・阪神甲子園球場)へ移った。
1923年まで夏の大会の会場だった鳴尾球場が馬場内にある鳴尾競馬場は、同年に馬券発売が再開されてにぎわいが戻りつつあり、阪神電気鉄道(阪神)が鳴尾球場に代わる甲子園大運動場を建設中という時期に1924年(第1回)が開催された。関西には他に、大阪朝日新聞社(大朝)とライバル関係にある大阪毎日新聞社(大毎)が会場に選んでも不思議ではない、阪神のライバル企業である阪神急行電鉄(阪急)が豊中グラウンドに代わる新しい球場として1922年に開場させた宝塚球場があったが、1924年2月に設立された宝塚運動協会の本拠地になっており[58]、大毎は同じく1922年開場の山本球場を会場に選んだ。
大毎の社告によれば、名古屋で開催する理由として「関西勢の優勝率が高いのは関西で開催するからだとする風説(地元有利説)を確かめるため」と「中京(東海)の野球ファンの希望を無視できないため」の2点を挙げていた[59]。実際に、夏の大会では1923年の大会終了時点で8回中8回とも関西勢が決勝へ進出し、うち6回優勝していた。また、夏の大会がある関西、大学野球が盛んで東京六大学野球連盟発足前夜の関東に比べると、東海にはこれらに匹敵するような野球大会がなかった。
地元有利説に関しては、8校が出場した第1回大会における関西勢3校のうち2校が初戦で敗退、1校が2回戦で敗退したものの、地元東海勢の1校も2回戦で敗退、四国勢と関東勢による決勝(四国勢優勝)という、ほぼ因果関係のない結果となった。一方、東海の野球ファンの希望に関しては、特に1930年代に入り愛知県勢(中京商、東邦商、愛知商など)と岐阜商を中心に東海勢が中等野球で一時代を築き、1936年の職業野球(後のプロ野球)創設時に愛知県のチームが2チーム(名古屋軍、名古屋金鯱軍)できるほどに野球が盛んになる下地を作ったと言える。
大毎は各地方の球界に刺激を与えるため、会場を各地方へ移して開催する計画だったが[59]、1924年8月1日開場の甲子園大運動場で行われた同年の夏の大会で5万人収容のスタンドが満員になった現実の前に吹き飛んだ。中等学校野球の人気はここまで高まっており、5万人を収容できるスタンドを備えた球場など当時甲子園以外に存在せず、1925年(第2回)から会場を甲子園へ移し、以後定着して現在に至る。なお、1924年の夏の大会は関西勢が決勝へ進出しなかった。
国体、明治神宮大会を除くと、全国大会の会場が関西以外の球場となったのは春・夏を通じて山本球場が唯一の事例となっている。夏の大会では甲子園以外に豊中グラウンド、鳴尾球場、阪急西宮球場が会場となったが、いずれも関西の球場であり、とりわけ鳴尾と西宮は甲子園から至近距離にあった。
第1回(1923年)は4月1日 - 5日の5日間に渡って開催され、当初は1週間程度であった。第10回(1933年)では出場校が増えたため11日間に渡ったが、その後は記念大会を除き1週間前後の開催が続いた。第33回(1961年)から第74回(2002年)は、学校の春休み開始に合わせて3月25日 - 29日の間に開幕していた。
しかし、第69回(1997年)や第70回(1998年)のように試合日程の度重なる順延が影響して新年度の始業式や入学式に差し支えが出たケースがあったこと、プロ野球の試合数増加[注釈 21]により、阪神甲子園球場を本拠地としている阪神タイガースの試合日程に影響を来たすようになったこと[注釈 22]などから、第75回(2003年)より開幕日が繰り上げられ、遅くても3月23日[注釈 23]には開幕している[注釈 24]。
また、選手の健康管理を考慮し、第76回(2004年)からは準々決勝までに2日以上順延とならない限り、準々決勝を2日間に分けて開催するようにした[注釈 25]。
しかし、準々決勝が2日目のチームは決勝まで三連戦となるため、不公平感が生じることから、全チームが平等となるように第86回(2014年)より準々決勝4試合を1日で開催し、翌日を休養日とした。
同大会は、大会史上初めて準々決勝の翌日を休養日と設定(前述)していたが、3月26日に予定していた全試合が雨天順延となったほか、29日の第2試合・広島新庄対桐生第一戦が延長15回引き分けとなり、翌30日に急遽同カードの再試合(15時開始)のみ行われたため、翌31日に準々決勝4試合を行い、4月2日の決勝戦まで休養日を設けずに日程を消化した[注釈 26] 。
第88回(2016年)は、3月20日に開幕して以降、順調に日程を消化。休養日を挟んで3月31日に決勝戦が行われた。3月中に大会が終了したのは、第18回(1941年。3月28日終了)以来、75年(70大会)ぶり2回目となった[注釈 27]。
第93回(2021年)より準決勝と決勝の連戦を避けるため、休養日が1日追加された[注釈 28]。 そのため、同大会以降は13 - 14日間の日程が組まれている[注釈 29]。大会が準決勝日までに2日順延となった場合は準決勝翌日の休養日が削除され、また準々決勝日までに3日以上順延の場合は準々決勝の翌日の休養日も削除される[60]。
1日の最多試合数は4試合で1994年(第66回)までは、1回戦の2日目 - 4日目と8日目の準々決勝がその当該日であった。
しかし、阪神・淡路大震災による交通障害で応援団の来場スケジュール調整が必要なこと、また選手の健康管理面の問題などを考慮し1995年(第67回)より、4試合日は9日目の準々決勝のみとし、その前日までは、雨天順延などが無い限り1日3試合とした。
なお、1988年(第60回)以降における、大会回数が5の倍数となる記念大会(西暦下一桁3および8の年)は36校[注釈 2]参加のため、一部予め4試合設定の日がある。
2試合以上開催する場合、新聞社の発表では「試合時間2時間・練習とグラウンドの整備30分」と仮定し、3試合日の場合「(1)9:00、(2)11:30、(3)14:00」とそれぞれ掲載されているがあくまでも目安であり、実際にはグラウンド整備や事前練習の関係もあり、原則として前の試合終了から30分程度の時間を置いてから行う(早く終了した場合は、最大15分繰り上げられる場合もある)。
審判員は球審、3人の塁審、予備審判2人と控え審判員1人の計7人。ただし、ナイター下では2人の予備審判員が外審/線審として試合に加わる。
試合は9回で同点の場合は延長戦を行う。選抜では1959年(第31回)より「延長18回引き分け再試合制度」が導入されたが、1999年12月の高野連全国理事会において、2000年(第72回)より延長15回制に短縮された(詳しくは「延長引き分け再試合規定」を参照)。
2018年(第90回)より延長戦におけるタイブレーク方式を導入。延長10回から[注釈 30]試合が決着するまで行われる。そのため、選抜では1958年(第30回)以来60年ぶりに延長イニング数が無制限となった。
なお、コールドゲームは得点差では認められておらず、2021年(第93回)までは、雨天などの天候不良で7回以降の均等回を消化した場合のみに採用され、それ以前に試合を中断・打ち切る場合はノーゲームとなり、翌日以降に再試合が行われた。
2022年(第94回)より雨天などの天候不良で試合が中断された場合、翌日以降に中断された場面から再開し、9回あるいは勝敗が決定するまで行う。これによりコールドゲーム、ノーゲームがなくなった[62][63]。
1997年(第69回)までは主催者の職員が司会を担当していたが、1998年(第70回)以後は、前年度の「NHK杯全国高校放送コンテスト」(Nコン)の全国コンクールにおいて、朗読・アナウンス部門で上位に入賞した放送部の生徒、または新卒生[注釈 31] が2-3名程度[注釈 32] 出演する。
この節の加筆が望まれています。 |
この節の加筆が望まれています。 |
開会式・閉会式の国歌・大会旗の掲揚・降納は、甲子園が全面改修される2007年以前は、開会式は出場校の主将、閉会式は決勝戦を戦った選手全員がバックスクリーンの回転広告板の上(三菱電機の広告看板前)に集まって行っていたが、改修以後は選手衆はバックスクリーンに移動することなく、所定位置からバックスクリーン方向の掲揚台を向いて見守る形になっている。
なお、本大会においての連覇は2023年現在3例ある。詳しくは甲子園連覇を参照。
2024年(第96回)終了時点で、次の30都府県が優勝を経験している。
2024年(第96回)終了時点で、以下の17道県が一度も優勝したことがない。
地区 | 道県 | 最高成績 | (参考) 夏の甲子園 最高成績 |
---|---|---|---|
北海道 | 北海道 | 準優勝 | 優勝 |
東北 | 青森県 | 準優勝 | 準優勝 |
岩手県 | 準優勝 | ベスト4 | |
秋田県 | ベスト4 | 準優勝 | |
山形県 | ベスト4 | ベスト4 | |
宮城県 | 準優勝 | 優勝 | |
福島県 | ベスト8 | 準優勝 | |
関東 | 千葉県 | 準優勝 | 優勝 |
北信越 | 新潟県 | ベスト8 | 準優勝 |
富山県 | ベスト4 | ベスト8 | |
石川県 | ベスト4 | 準優勝 | |
近畿 | 滋賀県 | 準優勝 | 準優勝 |
中国 | 鳥取県 | 準優勝 | ベスト4 |
島根県 | ベスト8 | ベスト4 | |
九州 | 福岡県 | 準優勝 | 優勝 |
佐賀県 | ベスト8 | 優勝 | |
宮崎県 | ベスト4 | 準優勝 |
優勝旗のほかにも準優勝旗がある点が選抜大会の特徴のひとつとなっており、先述のとおり、「全国」の文字が入っている(レプリカには入らない)。
第4回大会(1927年)から、主催の大阪毎日新聞社が野球の本場メジャーリーグの見学や日米親善という趣旨によりこの年から優勝校のアメリカ遠征が行われるようになった。この制度によってアメリカに遠征した優勝校は和歌山中(和歌山)、関西学院中(兵庫)、第一神港商(兵庫)、広島商(広島)の4校。
アメリカ遠征は夏休みを利用して行い7月中旬から9月中旬までの長期に渡り、メジャーリーグの試合見学や地元高校との親善試合も行った。夏の大会開催中に主力選手がアメリカ遠征に行っているため、春の優勝校は控え選手で夏の大会予選を戦うことになった。その中で第4回の優勝校だった和歌山中は控え選手で夏の大会の予選を制し、全国大会に出場した。
第9回大会(1932年)より、外国チームとの試合を禁止する野球統制令を政府が出したことにより、それ以降は優勝校のアメリカ遠征は中止になった。
なお、春の優勝校のアメリカ遠征に関しては春の大会を主催していた毎日新聞社が、朝日新聞社の主催していた夏の大会の興味をそぐ目的があったという陰謀説も存在する。
1984年の第56回大会2日目(3月27日)までは、大会の歴代優勝校の校章が描かれた白いパネルボードが外野に掲げられていた。ところが同日の第1試合、高島対佐賀商戦で、佐賀商の中原康博が放った打球がワンバウンドしてラッキーゾーンを越えたため、本来ならばエンタイトル二塁打となるが、二塁塁審がこの打球を誤ってホームランと判定した。
これを受けて高野連は、この試合の本塁打判定を審判の誤審として謝罪した上『打球と外野の白いパネルが被って審判が判定しづらい』ことを理由に歴代優勝校のパネル掲額についてこの日の全試合終了後、直ちに廃止した。そのため、それ以後は歴代優勝校のパネルは掲示されていない。
また、大会名が記されたパネル(左中間・右中間)も優勝校パネルと同様の白地・黒文字だったのを、翌1985年の第57回大会以後は通常のフェンス広告と同じように緑地・白文字と変更された。さらに2010年の第82回大会から、外野フェンスの広告を解禁したため、これらはバックネット裏・回転看板スペースに掲示されている。
1998年(第70回)より応援団賞が設けられた。21世紀枠導入以降は21世紀枠校には最低1校には必ず優秀賞以上を与えることが不文律となっており、最優秀賞を受賞することが多くなっている。最優秀賞受賞校は第73回大会の桐光学園を除き公立校が占めている。また、21世紀枠以外の最優秀賞受賞校は第90回大会 で彦根東が受賞するまでいずれも春夏を通じて初出場となっていた(同大会までの7校中3校は21世紀枠導入前)。
審査規定
なお、同じ毎日新聞が主催する都市対抗野球大会における応援団賞は大会全試合が対象であり、さらに初戦を対象とした「ファーストステージ」(2011年までは試合日程の順番による「前期賞」「後期賞」)と、大会全試合を対象とした「期間賞」に細分されている。
年/回数 | 最優秀賞校 | 優秀賞校 |
---|---|---|
1998年 第70回 |
豊田西(愛知) | 創価(東京)・新発田農(新潟)・郡山(奈良)・関大一(大阪)・高鍋(宮崎) |
1999年 第71回 |
峰山(京都) | 高崎商(群馬)・駒大高(東京)・日大三(東京)・高田(奈良)・九産大九州(福岡) |
2000年 第72回 |
橿原(奈良) | 作新学院(栃木)・埼玉栄(埼玉)・国士舘(東京)・創価(東京)・丸亀(香川) |
2001年 第73回 |
桐光学園(神奈川) | 安積(福島)・智弁学園(奈良)・関西創価(大阪)・小松島(徳島)・宜野座(沖縄) |
2002年 第74回 |
三木(兵庫) | 前橋(群馬)・津田学園(三重)・金光大阪(大阪)・広陵(広島)・松江北(島根) |
2003年 第75回 |
隠岐(島根) | 花咲徳栄(埼玉)・浜名(静岡)・智弁和歌山(和歌山)・岡山城東(岡山)・秀岳館(熊本) |
2004年 第76回 |
八幡浜(愛媛) | 一関一(岩手)・常葉菊川(静岡)・八幡商(滋賀)・大阪桐蔭(大阪)・社(兵庫) |
2005年 第77回 |
高松(香川) | 慶応(神奈川)・愛工大名電(愛知)・如水館(広島)・西条(愛媛)・神村学園(鹿児島) |
2006年 第78回 |
金沢桜丘(石川) | 北海道栄(北海道)・早稲田実(東京)・高岡商(富山)・今治北(愛媛)・伊万里商(佐賀) |
2007年 第79回 |
室戸(高知) | 都留(山梨)・日大藤沢(神奈川)・県和歌山商(和歌山)・市川(兵庫)・鹿児島商(鹿児島) |
2008年 第80回 |
成章(愛知) | 安房(千葉)・長野日大(長野)・平安(京都)・興譲館(岡山)・下関商(山口) |
2009年 第81回 |
彦根東(滋賀) | 習志野(千葉)・掛川西(静岡)・PL学園(大阪)・今治西(愛媛)・大分上野丘(大分) |
2010年 第82回 |
川島(徳島) | 山形中央(山形)・東海大相模(神奈川)・向陽(和歌山)・自由ケ丘(福岡)・嘉手納(沖縄) |
2011年 第83回 |
東日本大震災の影響で応援団が甲子園に来られない学校があり 審査の公平性が保てないと判断したため実施せず[68]。 | |
2012年 第84回 |
宮崎西(宮崎) | 石巻工(宮城)・高崎(群馬)・愛工大名電(愛知)・三重(三重)・洲本(兵庫) |
2013年 第85回 |
土佐(高知) | 遠軽(北海道)・安田学園(東京)・春江工(福井)・済々黌(熊本)・尚志館(鹿児島) |
2014年 第86回 |
大島(鹿児島) | 佐野日大(栃木)・龍谷大平安(京都)・智弁学園(奈良)・広島新庄(広島)・池田(徳島) |
2015年 第87回 |
豊橋工(愛知) | 大曲工(秋田)・県岐阜商(岐阜)・大阪桐蔭(大阪)・今治西(愛媛)・糸満(沖縄) |
2016年 第88回 |
小豆島(香川) | 釜石(岩手)・常総学院(茨城)・木更津総合(千葉)・大阪桐蔭(大阪)・秀岳館(熊本) |
2017年 第89回 |
中村(高知) | 作新学院(栃木)・多治見(岐阜)・智弁学園(奈良)・大阪桐蔭(大阪)・創志学園(岡山) |
2018年 第90回 |
彦根東(滋賀) | 慶応(神奈川)・膳所(滋賀)・乙訓(京都)・おかやま山陽(岡山)・伊万里(佐賀) |
2019年 第91回 |
富岡西(徳島) | 習志野(千葉)・桐蔭学園(神奈川)・東邦(愛知)・履正社(大阪)・米子東(鳥取) |
2020年 第92回 |
新型コロナウイルスの影響により大会自体が中止。 | |
2021年 第93回 |
新型コロナウイルスの影響により実施せず。 | |
2022年 第94回 | ||
2023年 第95回 | ||
2024年 第96回[70] |
耐久(和歌山) | 別海(北海道)・豊川(愛知)・田辺(和歌山) |
第26回大会(1954年)よりテレビ中継開始、第38回大会(1966年)からカラー放送を開始した。第46回大会(1974年)までは総合テレビで中継できない時間帯(ニュースなど)は原則として中断していたが、同年夏の第56回選手権大会の準々決勝「東海大相模対鹿児島実」戦の延長戦中継方式を巡って、視聴者から苦情が殺到した(全国高等学校野球選手権大会#NHKでの中継を参照)。
そのため、第47回大会(1975年)より一部の試合で総合テレビと教育テレビ(現:Eテレ)とのリレー中継を開始した。これが好評であったため、同年の夏以降、この形でのリレー方式で完全生中継を行っている。地上デジタル放送開始以降はイベントリレー機能を利用し、リレー時の案内を実施している。
放送の形態は以下のとおりである。
第83回大会(2011年)のテレビ中継は東日本大震災関連番組の優先や電力事情の考慮のため、次のような特別体勢がしかれた。
第89回大会(2017年)は、8Kスーパーハイビジョンで準決勝・決勝の試験放送を行った[79]。また、投手の投球数と球速が交互に表示されるようになった。第90回大会(2018年)は4Kで準決勝・決勝の試験放送を行った。第91回大会(2019年)はNHK BS4Kで準決勝・決勝を地上波放送と異なる映像、実況・解説で中継した[80]。第93回大会(2021年)以降は決勝戦のみの中継になり、第95回大会(2023年)まで放送した[注釈 54]。
第91回大会(2019年)からは、前年夏の大会で採用された中継テーマソングである福山雅治の「甲子園」が使われている。ただし、第95回大会(2023年)は、連続テレビ小説『舞いあがれ!』の主題歌『アイラブユー』(back number)が入場行進曲に選ばれたため、中継でもテーマソングに準じた扱いでハイライトやエンディングで使用していた。
第94回大会(2022年)は準々決勝まで、日曜日と祝日を除く11時台はEテレで中継された。なお、土曜日の11時40分 - 12時は『週間手話ニュース』を通常通りに放送するため、当該時間帯はサブチャンネルで中継された。決勝戦も通常の平日であれば12時30分から総合テレビのみで中継されるが[注釈 55]、12時25分からEテレで中継を開始し、13時5分から総合テレビへとリレー中継された[81][82]。
第96回大会(2024年)より攻撃中のチームの打順が、画面左上隅に表示されるようになった。(表示例:現打者(白地黒文字)→次打者→次々打者(黒地白文字))
解説者については、高校野球解説者一覧を参照。
地上波テレビでは毎日放送、ラジオではMBSラジオ(2020年度までは毎日放送のラジオ部門)、衛星放送ではGAORA(同名の連結子会社が運営するCATV・CS放送チャンネル)で試合を中継している。
地上波中継では、テレビ・ラジオとも、長年にわたって大会歌(陽は舞いおどる甲子園→今ありて)のインストをオープニングとエンディングで放送。テレビ中継では第68回大会(1996年)より、ラジオ中継では第71回大会(1999年)から、入場行進曲を採用していた[注釈 59]。第77回大会(2005年)以降のテレビ中継では独自のテーマソング[注釈 60] を設定している。
テレビの放送席では、同局のプロ野球および高校ラグビー中継がインカム(ヘッドセットマイク)使用に移行してからも、スタンドマイク[注釈 61]を使用し続けている[注釈 62]。
テレビ・ラジオ・GAORAとも、中継での実況やインタビュアーを、毎日放送に所属する現役のスポーツアナウンサー(シニアスタッフ=嘱託社員を含む)が担当(MBSベースボールパークの当該項も参照)。第80回大会(2008年)までは毎日放送(ラジオのみ)、第81回大会(2009年)以降はGAORAで放送する大会序盤の試合中継が、毎日放送の新人・若手アナウンサーによる野球中継での実況デビューの場にもなっている。また、毎日放送公式サイト内の大会関連ページでは、同局のスポーツアナウンサー(主にGAORAでの中継の実況担当者)が試合ごとに戦評を記している。なお、2005年以降の全国高校野球選手権大会中継(毎日放送と同様の放送体制で朝日放送テレビが制作を担当)とは違って、地上波での系列局に所属するスポーツアナウンサーが、実況・インタビュー要員として大会期間中に派遣されることはない[注釈 63]。GAORAのプロ野球中継で実況・リポーターを務めるスポーツアナウンサーも、毎日放送からの出向者を含めて、当大会の中継には登場しない[注釈 64]。
毎日放送では毎年、大会期間中にハイライトのテレビ番組を制作。かつては、番販扱いで、他のJNN系列局の一部でも放送していた。第73回(2003年)以降の大会期間中に編成している『みんなの甲子園』では、地上波での放送を関西ローカルにとどめているほか、テレビ中継と同じテーマソングを使用。GAORAでも大会期間中に、前日(または当日の未明)の毎日放送放送分を当日の第1試合中継開始前に日本全国へ流している(2015年 - 2017年を除く)。
毎日放送では、第31回大会(1959年)から第74回大会(2002年)までは1回戦から決勝戦まで生中継していた。なお、第29回大会(1957年)、第30回大会(1958年)は第29回大会の4か月前に開局した旧大阪テレビ放送(現:朝日放送テレビ)が中継していた。大阪テレビ放送は1954年5月に創立され毎日新聞社、朝日新聞社、朝日放送(当時。ABC)、そして毎日放送の前身・新日本放送(NJB)との合弁企業だったためである。従って、この2回の高校野球の民放テレビ中継は大阪テレビの事実上独占放送だった。
テレビ中継のタイトルは、NHKと同じく「第〇回センバツ」である。かつて第66回大会(1994年)までは春も「第〇回選抜高等学校野球大会・中継」であった。ただしオープニングはグラウンドをバックにしたタイトル表示はあったが、最終試合以外の(例:第1〜3試合)エンディングは「第〇日(若しくは準々決勝、準決勝) 第(一〜三)試合 終。」だけだった(ニュース等の中断明けの時間を案内することもあった)。現在[いつ?]はグラウンドをバックに「第〇回センバツ」とOP、ED、イニング間もタイトル出しが行われている。
初期は完全放送を実施していたが(試合の幕間にMBSニュース、お天気のお知らせ、『水道完備ガス見込』などの帯ドラマを放送)、第38回大会(1966年)以降昼間時には平日は東京局(1975年3月30日まではNETテレビ、同年3月31日以降はTBSテレビ…「ネットチェンジ」参照)発の全国ネット番組を、日曜は自社製作の演芸、バラエティー番組(後年は日曜もTBSテレビ発の全国ネット番組)を編成するようになった(土曜と準決勝以降、後年は準々決勝以降を除く)。関西地区では、第52回大会(1980年)までは平日の午前中(関西地区の出場校が出場する試合を除く)はNHKが中継していなかったこともあり事実上の独占放送となったが第46回大会(1974年)までは土曜を除く12時台と平日の13時台前半は、NHKも中継していなかったためテレビの生中継が放送されなかった[83]。
しかし、朝日放送テレビのようなサンテレビなどの近畿圏独立局経由のリレー形式を取り入れる事は、すでに朝日放送テレビがこれら独立局と包括的な提携を結んでいたため、毎日放送にはそれができなかった。それに加え選抜高校野球大会の視聴率が1桁に低迷したこと、TBSテレビ発の全国ネット番組を編成するのに障害が生じてきたことや、夕方ワイド番組(『ちちんぷいぷい』→『ミント!』→『よんチャンTV』)を強化したい意向もあり、第75回大会(2003年)からは「センバツは別の形でお届けしたい」として準決勝2試合と決勝戦の生中継だけとなり、2015年以降は決勝戦のみとなった。なお第76回大会(2004年)の決勝戦は雨天により開始時間が大幅に遅れてナイターとなったため、地上波放送が取り止めとなっている。
決勝戦の中継開始は原則昼の『JNNニュース』終了後であるが、土曜日開催(当初の予定は金曜日)となった第95回大会(2023年)では『せやねん!』第2部(通常は11時58分 - 12時54分)を12時25分まで短縮放送した後に中継を開始した。日曜日開催(当初の予定は土曜日)となった第96回大会(2024年)では『アッコにおまかせ!』(通常は11時45分 - 12時54分)のネットを返上し、ガイドを経て11時50分より中継を開始した。
毎日放送制作の高校野球中継は関東地区では第32回大会(1960年) - 第34回大会(1962年)・第36回大会(1964年)・第41回大会(1969年)はNETテレビで、第35回大会(1963年)はTBSテレビで(スポンサード・ネット)、第37回大会(1965年) - 第40回大会(1968年)・第42回大会(1970年) - 第46回大会(1974年)は東京12チャンネル(現:テレビ東京)で多く放送され、特に当時放送番組に窮していた東京12チャンネルでは完全中継を実施したこともあった。このことにより関東地区では12時台と平日の午前中(関東地区の出場校が出場する試合を除く)はNHKが中継していなかったこともあり一時期は事実上の独占放送になった。ほかカードによりテレビ神奈川、千葉テレビで放送されたこともある。
名古屋地区では当初東海テレビ(第32 - 34回大会)でのち名古屋テレビ(1962年4月開局。第35 - 41回大会結果)から中京テレビ(1969年4月開局。第42 - 45回大会)で放送され、名古屋テレビと中京テレビの変則クロスネット解消後は岐阜放送、先述のネットチェンジ…「腸捻転解消」後は中部日本放送(現:CBCテレビ。但し決勝戦のみ)でも放送された。いずれも毎日放送がTBS系に移ってからはほとんど放送されなくなった。TBSテレビで放送されたのは今のところ第50回大会(1978年)の決勝戦が最後である。
広島県では1963年に広島テレビ(当時は日本テレビ・フジテレビ系列)で初めて放送され、その後中国放送(TBS系列)や広島ホームテレビ(NETテレビ系列)に移行した。広島ホームテレビでは1972年・1973年に午前・午後の自主編成枠で相当数の試合を放送した。1975年のネットチェンジで中国放送に再移行したが、その後放送を縮小・撤退した。
近年[いつ?]、地方局へのネットは長野代表校登場の際に信越放送、沖縄代表校登場の際に琉球放送(放送時間はかつての毎日放送に準ずる。編成上の都合で放送されない時もある)が行なっている。また、決勝戦のネットは東北放送(第73回・2001年、仙台育英)、中部日本放送(第77回・2005年、愛工大名電/第79回・2007年、大垣日大)[注釈 65]、長崎放送(第78回・2006年、清峰/第81回・2009年、清峰)、IBC岩手放送(第81回・2009年、花巻東)、青森テレビ(第84回・2012年、光星学院(現:八戸学院光星))、あいテレビ(第85回・2013年、済美)[注釈 65]、北海道放送(第87回・2015年、東海大四(現:東海大札幌))、山陽放送(現:RSK山陽放送、第88回・2016年、高松商)[注釈 66] 、大分放送(第93回・2021年、明豊)など、2000年代以降は決勝進出校が東京・関東地区以外であればネットされるケースが多い[注釈 67]。JNN系列局以外へのネットとしては、福井代表校登場の際に福井放送(日本テレビ系列)、第60回大会(1988年)で宇和島東が進出した決勝戦をネットした南海放送(日本テレビ系列、当時あいテレビは未開局)などの例がある。
第88回大会(2016年)からは、決勝戦の中継に赤星憲広が毎年ゲスト解説者として出演している。学生野球資格を回復済みのプロ野球経験者が、高校野球全国大会のテレビ・ラジオ中継で解説陣に加わる事例は、前述の全国高等学校野球選手権大会中継を含めても初めてである[84][注釈 68]。
大会中継のメインスポンサーは、長らく松下電器(現・パナソニック)と十川ゴムで、1990年代に入りJR西日本グループが務めた。
野球中継では、現在当たり前のようにあるバックスクリーン(球場によってはスコアボードや外野スタンド)からテレビカメラで写したり走塁ランナーの位置の表示(現在のようなレイアウトではない)を最初に行ったのもこの中継からである。またNHKに先駆けて松下電器が開発したサラウンドで初めて中継した。
毎日放送(2021年度よりMBSラジオ)では、「センバツ高校野球・実況中継」というタイトルで放送。新日本放送(NJB)時代の第24回大会(1952年)から、試合の生中継を開始した。ただし翌年からはもっぱら生中継は準決勝、決勝戦のみ行い、そのほかの試合は当日の12時、17時台(後年は22時台)にダイジェスト版を放送していた。また、この時期に開局した京都放送(当時KHK、現在のKBS京都)や四国放送(当時JR、現在のJRT)などの地方民間放送局へもネットしていた。決勝戦はNHKに対抗して「3元立体放送」(ステレオ放送とは意味が異なる)と題して、アルプススタンドや出場校の地元にリポーターを配して放送していた。その後第31回(1959年)からは和歌山放送(当時WBC、現在のWBS)で1回戦から一部の試合を中継。第35回大会(1963年)以降は毎日放送で全試合完全生中継を行い(ただしWBCは準決勝、決勝戦の放送をしばらくの間毎日放送とのサイマルで続行)、第38回大会(1966年)以降はJRN・NRNを通して全国に配信している。これ以降東京地区でも放送されるようになった。その後、「自社制作のローカル番組の編成を優先する」「スポンサーが付きにくい」「NHKでも放送されている[注釈 69]」などの理由から、地元校が準決勝あるいは決勝まで進まない限りネット受けを実施しない局が年々増加。JRN親局のTBSラジオでも、第71回大会(1999年)以降は中継を放送していない。NRN親局のニッポン放送や文化放送も、それ以前(1980年代)から中継の放送を取り止めている。ただし、近畿地方以外の出場校が登場する準決勝までの試合で、地元のラジオ局に向けて裏送り形式の中継を実施することがある(下記項目を参照)。
毎日放送では、第81回大会(2009年)から「民放には民放のやり方がある」という河内一友社長(当時)の方針で準決勝と決勝のみを中継[85]。準々決勝までの試合については、『春一番!センバツ甲子園』という速報を単独番組として放送したり、自社制作の生ワイド番組に内包させたりしていた。第88回(2016年)以降の大会では、中継の対象を決勝戦に限るとともに、『春一番!センバツ甲子園』を編成していない。また決勝戦の中継開始は2022年以降、土曜日を除き原則正午である[注釈 70]。
なおテレビ中継および『みんなの甲子園』のテーマソングは、毎日放送・MBSラジオによる大会および近畿地区代表校を告知するCM[注釈 71] を含め一切使用されなかったが、テーマソングが「第〇回センバツ MBS公式テーマソング」と銘打たれるようになってから(制定は2020年、実使用は2021年以降)は使用されるようになった[注釈 72]。
GAORAでは、1990年のスペース・ビジョン・ネットワーク開局から1994年までは当日の夜からダイジェストで放送[86]、1995年より全試合完全中継している。生中継ができない場合はこの時間の試合分を録画中継(ニアライブ)する[注釈 73]。
GAORAでは、大会終了後に、「センバツプレイバック」(全試合の再放送や過去の大会からの名勝負の映像で構成された1時間番組)などを随時放送。第86回大会(2014年)までは、大会期間中に『みんなの甲子園』の遅れ放送も実施していた。毎日放送が『みんなの甲子園』の放送体制を大幅に改めた第87回大会(2015年)から第89回大会(2017年)までは、大会期間中の放送を取り止める代わりに、毎日放送での放送内容を前・後編の構成で編集したダイジェスト番組を大会終了後に放送していた。第90回大会(2018年)には、ダイジェスト番組の放送を続ける一方で、『みんなの甲子園』本編の遅れ放送を再開する。
なお、TBS系の衛星放送(BS-TBS、TBS NEWS、TBSチャンネル)では、試合の中継や関連番組を一切放送していない。
2013年以降、中学時代にクラブチームに所属していた選手に関しては、打席時の選手紹介テロップにおいて出身中学名に代わり出身クラブチーム名を表示していたが、2021年から再び出身中学となった[注釈 74]。
毎日放送の公式サイト内に設けられる本大会のページでは、第70回大会(1998年)より試合速報の配信を開始。第71回大会(1999年)[87] から第87回大会(2015年)までは、NTTスマートコネクト(NTT西日本の子会社)からの協力によって、リアルタイム中継を実施していた。また、インターネットテレビ向けに、中継の動画を積極的に配信している。
リアルタイム中継の開始当初は、ラジオ向けの実況音声と、毎日放送のテレビカメラで撮影した映像を組み合わせた動画を配信していた。しかし、試合終了後のダイジェスト版へのアクセス件数が多かったことから、第78回大会(2006年)以降の試合ではイニングが終了するたびにビデオ・オン・デマンド形式(画面アスペクト比16:9)で配信する方式に変更。ラジオ中継が縮小された第81回大会(2009年)以降は、ラジオに代わって、GAORA・毎日放送のテレビ中継向けの実況音声を使用していた。ただし、第80回大会(2008年)では、準決勝・決勝限定でリアルタイム中継を復活させている。
第82回大会(2010年)では、Twitter(ID:@senbatsu)で得点経過や試合経過を知らせるサービス[88] や、Ustreamによる準々決勝以降の試合動画のライブ配信を開始[89]。第83回大会(2011年)では、ライブ配信の対象が、開会式から決勝戦までの大半の試合にまで拡大された。第84回大会(2012年)では、Twitterでの情報提供サービスを中止。その一方で、第84回大会から第87回大会(2015年)までは、第83回大会と同じ内容のライブ配信を、毎日放送公式サイト内の特設ページから実施していた。
第88回大会(2016年)からは、毎日新聞社と毎日放送によるコラボレーション企画として、毎日新聞社の公式サイト内に「センバツLIVE」(ライブ動画の配信に関する公式総合サイト)を開設。前年までと同様に、NTTスマートコネクトからの協力によって[90]、GAORAの中継映像・実況音声を活用した大会全試合のリアルタイム配信を無料で実施するほか、「ワンプレー速報」(テキスト形式の1球速報)やスマートフォン向けの専用アプリなどを提供している[91]。
第91回大会(2019年)からは、Yahoo!JAPANが運営するスポーツ総合サイト「SportsNAVI」でも、出場校選考委員会後の出場校発表、キャプテントーク(出場校の主将が一堂に会するトークイベント)、組み合わせ抽選会、大会全試合のライブ動画配信を実施する[92]。2019年には、「SportsNAVI」から配信される出場校紹介動画のナレーターに、女優の清野菜名を起用した[93]。
なお、以上のリアルタイム中継ではいずれも、各イニング間(以前は対象カードに登場する高校の校歌が流れるシーン(2回表終了後・2回裏終了後および試合終了後)、番組テーマソングが流れている時間帯(中継のオープニング、エンディング)も含む)に配信を一時中断。他のシーンでも、同様の措置を講じることがある。
2019年からは各地区秋季大会もライブ配信を行う(2019年は毎日新聞ニュースサイト、2020年は「SportsNAVI」サイト内)。対象試合は地区によって異なるが概ね準々決勝もしくは準決勝以降となる[94]。2022年は対象試合が全地区の準々決勝以降に拡大。「SportsNAVI」サイト内でも対象全試合の見逃し・ダイジェスト配信を行っている。
2020年、新型コロナウイルスの感染拡大防止で中止となった第92回選抜高等学校野球大会の代替大会2020年甲子園高校野球交流試合では、朝日新聞社、朝日放送テレビが運営する「バーチャル高校野球」と「センバツLIVE」がライブ配信で競作した。
第95回大会(2023年)からは、株式会社運動通信社が運営するインターネットスポーツメディア「スポーツブル」と、在京キー局、在阪局、電通などで出資した株式会社TVerが運営する「TVer」でも配信を開始した[95][96]。
毎日放送が運営しているサービスMBS動画イズムにて、第82回大会(2010年)以降の試合の動画が有料で視聴可能である。
1959年開局時は連日春の大会を中継し、その後は春・夏とも1回戦から地元校の試合をネット受けにより中継してきたラジオ局の和歌山放送が第81回大会(2009年)は開局記念番組として、地元出場校である箕島の試合を1回戦から準々決勝(敗退)までアナウンサーとゲスト解説者(1・2回戦はOBでもある尾藤公が担当)を自局で派遣して中継した。以下はラジオでの事例を述べる。
第86回(2014年)は、琉球放送(RBCiラジオ)が沖縄尚学の試合(1回戦)をアナウンサーと解説者を自局で派遣し中継した。
第87回(2015年)は、南海放送が今治西、松山東の試合(1回戦)を中継した[97]。
第88回(2016年)は、西日本放送が小豆島、高松商の全試合を毎日放送からの裏送り[98] で中継した[99]。
第89回(2017年)は、栃木放送が作新学院の試合(1回戦)を毎日放送からの裏送り[100] で中継。
第90回(2018年)は、栃木放送が國學院栃木の試合(2回戦・3回戦)を毎日放送からの裏送りで中継。
第91回(2019年)は、四国放送が富岡西の試合(1回戦)を毎日放送からの裏送りで中継。
第96回(2024年)は、和歌山放送が田辺、耐久の試合(1回戦)をMBSラジオからの裏送りで中継。
第86回大会(2014年)からニコニコ生放送が新規参入。NHKでの放送を見ながら実況する「テレビ実況生放送」として配信(メインMCに愛甲猛)。基本的に全試合で行われているが、第88回(2016年)は準々決勝から[101] に縮小されている。第90回大会(2018年)は出演者はなくユーザーがコメントする形のみに変更された。
第85回大会(2013年)から、オスカープロモーションおよびNTTドコモ(第87回大会まで)→大塚製薬「ポカリスエット」(第88回大会以降)とのタイアップにより「センバツ応援イメージキャラクター」が制定され、大会PRポスターのモデルやGAORAの開会式中継にゲスト出演[注釈 75]することなどが慣例となっている(NHKは、放送法第83条(広告放送禁止規定)に抵触する「個人広告」とみなされるため、出演が禁止されている)。
衣装は一貫してブレザー型(ブレザーの代わりにカーディガンやベストを着用する回もあり)の学生服で、第95回大会(2023年)以降はボトムがスカートからスラックスに変更されている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.