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青森市
青森県庁所在地 ウィキペディアから
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青森市(あおもりし)は、青森県の津軽地方[1]・東青地域にある市。青森県の県庁所在地及び人口が最多の都市であり、県内では八戸市とともに中核市に指定されている。面積はむつ市に次いで県内2位。
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概要
要約
視点
本州最北の県である青森県のほぼ中央に位置する。県の西半部を指す津軽地方においては北東部に位置し、東津軽郡の町村と東青地域を構成する。青森平野を中心とし、北は陸奥湾の支湾である青森湾に面し、南部から東部にかけては奥羽山脈の北端部にあたる八甲田山・東岳山地の山が連なり、西部で市域は津軽半島の脊梁山脈である梵珠山地や津軽平野に広がる。市街地は青森湾沿いの中心市街地から青森平野上を扇状に展開しており、行政都市・商業都市・交通都市・港湾都市の性格を有する。1999年の 「青森都市計画マスタープラン」において「コンパクトシティの形成」を掲げ、都市機能を郊外から中心市街地へ集積することを目指し、「都市のコンパクト化」による効率的で効果的な都市づくりに取り組んでいる[2]。
東北地方を縦貫する路線および本州と北海道をつなぐ路線の結節点であり、北日本における交通・物流における要衝である。西の津軽半島と東の夏泊半島に抱かれた青森湾奥に青森港があり、函館港との青函航路をフェリーが運航している。鉄道は新青森駅が東北新幹線の終点、北海道新幹線の起点となっている。また、青い森鉄道線(旧東北本線)と奥羽本線が青森駅で合流して終点となり、津軽線が津軽半島の青森湾沿いを北に延びている。道路は東北自動車道が青森インターチェンジで終点となり、国道4号と国道7号も中心部で終点となって接続している。南西部の丘陵地には青森空港がある。
陸奥湾はその大きさに対して湾口である平舘海峡の幅が狭いため外洋の影響を受けにくい。湾外から入った波浪は広い湾内で拡散するため、波高が小さく穏やかで、また潮汐によって流入または流出する海水が限られるため干満差も小さい。こうした安定的な海域環境は養殖業や港湾に適し、沿岸ではホタテの養殖が営まれ、湾奥の青森港は岩礁もなく静穏度が高い天然の良港となっている。
南東部の八甲田山一帯は十和田八幡平国立公園に指定されており、四季を通じた観光地となっている。北東部の浅虫地区は浅虫夏泊県立自然公園に指定されている。市内には温泉が多く、八甲田山麓の酸ヶ湯や湾岸の浅虫温泉などがある。
人口
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青森市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 青森市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 青森市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
青森市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
2015年の国勢調査における人口は2位の八戸市、3位の弘前市を抑え県内1位だった。また前回調査からの人口増減率はマイナス3.96%で長崎市のマイナス3.21%、甲府市のマイナス2.95%を上回り、県庁所在地としては最大の減少率だった[5]。
隣接している自治体

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地理
要約
視点
地形
山地は青森平野を囲むように存在し、奥羽山脈に属する南部の八甲田火山地と東部の東岳山地、および津軽山地に属する西部の梵珠山地に分けられる。田代平湿原がある田代平は八甲田カルデラ(田代平カルデラ、先八甲田カルデラ)のカルデラ湖の跡であり、その北東の山列はカルデラの外輪山。八甲田山はカルデラに噴出した南北2つの中央火口丘群の総称であり、約20体の火山体で構成される。
丘陵地は八甲田山の山麓部になっている火山性の八甲田火山丘陵と梵珠山地の山麓部になっている非火山性の大釈迦丘陵がある。
青森平野は主要部の深沢平野と北西部の上磯平野に分けられる。深沢平野は堤川などによって形成された沖積平野で、上磯平野は海底が隆起した海岸平野。島は浅虫地区に湯ノ島と裸島がある。
河川・湖沼
気候
ケッペンの気候区分の定義上は青森市街は温暖湿潤気候(Cfa)、観測所のある酸ヶ湯は亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属する。市内全域が特別豪雪地帯に指定されており、降雪量は多いものの年間の降水量は1350mm程度と決して多くない。東北地方の日本海沿岸にあり、青森市と同じく雪国というイメージが強い秋田市や酒田市と比較すると、かなり少ない。
春から初夏にかけての4月から6月までは日照時間が長く、降水量も少ない。盛夏期は比較的蒸し暑く、再暑月である8月の平均気温は23.5℃で、平均最高気温は27.8℃である。最高気温の極値は1994年8月12日に記録した36.7℃であり、猛暑で月平均気温が28.0℃を記録した2023年8月にも破られていない。9月から10月にかけてはさわやかな晴天の日も見られるものの、秋が深まるにつれ雨天の日が多くなり、11月には長い冬を予感させる初雪が降る。
冬は降雪が多く、最深積雪の平年値は101cmである。年間降雪量の平年値は旭川市(557cm)を上回る567cmで、中核市クラスの都市としては最多である。最低気温の極値は1931年2月23日に記録した-24.7℃であるが、-20℃以下を観測したのは過去6回のみでいずれも戦前の記録となっている。1990年以降は、最低気温が-10℃以下を記録する年も少なくなっている。最低気温の上昇は顕著で、1961-1990年の平年値と1991-2020年の平年値を比較すると、1月が-5.0℃から-3.5℃に、2月に至っては-5.2℃から-3.3℃に上昇した。
- 青森空港の気候
- 市南西部の青森空港がある大谷(アメダス名:青森大谷)は標高が198mと高く、都市化の影響も小さいために、冬の朝の気温は4 - 5度ほども低くなり、2018年2月2日には-17.7℃を観測している。
- 酸ケ湯の気候
- 市南東部の八甲田山麓にある酸ケ湯温泉は、標高890mに位置し、非常に寒冷な気候として知られている。1月の平均気温は-7.5℃と亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属し、1月の平均最高気温は-5.1℃にしかならず、醜寒で有名な北海道内陸の幌加内町(-3.9℃)、占冠村(-3.4℃)や陸別町(-2.5℃)などの地域の最高気温よりも低い。厳寒期には日中でも氷点下10度以下となることも少なくなく、しばしば日中の気温が日本一低い場所となることもある。日本屈指の豪雪地帯でもあり、1996年寒候期の積雪量は2376cmに達し、過去最深積雪は2013年2月26日の566cmである[9]。
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歴史
要約
視点
前近代
縄文時代には集落が築かれていた(三内丸山遺跡)。室町時代には南部氏支族である堤氏の領地であった。堤氏は戦国時代末期に津軽氏に攻め滅ぼされ、外ヶ浜は弘前藩の領地となった。青森は弘前藩(津軽藩)初代藩主津軽為信のときに開港が計画されたといわれ[10]、構想を引き継いだ2代藩主津軽信枚とその家臣である森山弥七郎によって寛永期に港町が築かれ、その後商港および北方との交通港として発展した。
居城弘前城の建設(慶長16年〈1611年〉)と城下町弘前の整備を終えた弘前藩は江戸との海運を目的とした港の開発を企図した。信枚は森山を開港奉行に任じ、寛永元年(1624年)善知鳥村(うとうむら、青森の古名)に港を開いたが(廻船運航の許可を得た寛永2年(1625年)または町割りがされた寛永3年(1626年)が開港年とされることもある)、このとき海岸付近にハイネズ(浜松・磯馴松(そなれまつ))が繁茂する高さ一丈(約3メートル)ほどの小丘があり、「青森」と呼ばれて漁船が帰るときの目標物になっていたことから、開港に際してその名を採って青森村と改称した。次いで寛永3年(1626年)に信枚は森山に青森の町づくりを命じ[11]、浜町・本町(大町)・米町の3町がつくられ、青森町が成立した(当時は「青盛町」との表記もあった)。同年、土地と建築資材の無償提供、10年間の免税などの条件が示されて移住が奨励されると、近江・越前などから移住が相次ぎ、開港からわずか数年で戸数1000ほどの町が形成された。
江戸中期以降弘前藩最大の港および城下弘前に次ぐ町となった[10]。
- 浪岡
- 浪岡には室町時代北畠親房の子孫が移り住み(浪岡北畠氏)、浪岡城を拠点に戦国大名化して北津軽・東津軽に勢力を張ったが、大浦為信(津軽為信)に攻め滅ぼされた。江戸時代、青森と弘前の中間に位置する浪岡は羽州街道の宿場として栄え、多くの人や物資が行き交った。
- 年表
-
- 縄文時代前期中葉 - 中期末葉(約5500年 - 4000年前) - 三内丸山遺跡(特別史跡)の集落が繁栄する。
- 縄文時代後期前半(約4000年前) - 小牧野遺跡(国の史跡)の環状列石が構築される。
- 平安時代(10世紀ごろ - 12世紀ごろ) - 高屋敷館遺跡(国の史跡)の環壕集落。
- 文治 6年(1190年) - 大河兼任軍と鎌倉軍が善知鳥前の梯(現在の善知鳥崎)で戦う。
- 応永年間(1394年 - 1428年) - 北畠親房の子孫が浪岡に来住。
- 応仁年間(1467年 - 1468年) - 浪岡北畠氏、浪岡城(国の史跡)を構築[12]。
- 明応 7年(1498年) - 南部信時の四男堤光康、横内城を構築。
- 天正 6年(1578年)7月[13] - 浪岡城、大浦為信(津軽為信)に攻められて落城。
- 天正13年(1585年)3月 - 大浦為信、外が浜にある油川城を攻略[13]。一帯は大浦氏(津軽氏)の領有となる。
- 元和年間(1615年 - 1624年) - 野内番所が置かれる。
- 寛永元年(1624年) - 弘前藩、善知鳥村に港の建設を始める。
- 寛永1625年6月19日) - 弘前藩、津軽から江戸へ廻船を運航する許可を幕府より得る。 2年5月15日(
- 寛永1626年5月1日) - 弘前藩、森山弥七郎に町づくりを命じる[14]。 3年4月6日(
- 寛文11年(1671年) - 仮屋(藩の出先施設)が設置される。元治元年(1864年)から陣屋と称し明治2年(1869年)に仮屋にもどした[15][16]。
- 天明 3年(1783年)7月 - 青森騒動[17][18]。
- 嘉永 6年(1853年) - 大火で安方町の湊番所などが焼失[19]
- 元治 2年(1865年) - 幕府より蝦夷地(北海道)への渡海地に指定される。
近現代
明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県で弘前藩は弘前県となる。政府は同年9月4日、弘前県に七戸県、八戸県、斗南県、黒石県、館県の5県を併合し( 太政官布告『七戶八戶斗南黑石館ノ五縣ヲ弘前縣ニ併ス』。ウィキソースより閲覧。)、翌9月5日に熊本藩出身の野田豁通を大参事(知事)に任命した。野田は箱館戦争の際に官軍の拠点となった青森町に駐在した経験から当地の地勢に通じており、県域の中央に位置し、港もあって各方面への交通に利便がある青森町に県庁を置くよう、大参事就任前に政府に伺書を提出していた。政府は野田の建言を受け入れ、直後の9月23日に県庁を青森町に置くことを定めて県名も青森県に改めた(
太政官布告『弘前縣ヲ靑森ニ移シ靑森縣ト改稱』。ウィキソースより閲覧。)。
1873年(明治6年)3月に大区小区制が実施されて第一大区一小区となった。以下の青森27町で構成された。
27町 | 竪町 | 14町 | 新町、寺町、鍛冶町、大工町、松森町、米町、馬喰町、安方町、越前町、大町、塩町、多葉香町、浜町、蜆貝町 |
横町 | 13町 | 一念坊小路、大手通、御倉通、柳町、寺通 (3) 、福士通、上林通、横町通、馬喰町新角、弟飴角、堤町 |
1878年(明治11年)の郡区町村編制法では、10月30日に大区小区制が廃止されて第一大区は東津軽郡となった。1883年(明治16年)に第一組戸長役場が設置されて青森18町を所管した。役場の名称は1884年(明治17年)11月から青森安方町外十七ケ町戸長役場となった。
18町 | 青森米町、青森安方町、青森新安方町、青森浜町、青森新浜町、青森蜆貝町、青森新蜆貝町、青森大町、青森塩町、青森莨町、青森博労町、青森堤町、青森松森町、青森大工町、青森鍛冶町、青森寺町、青森柳町、青森新町 |
1889年(明治22年)の市制・町村制の実施(明治の大合併)では、従来の青森18町に造道村から独立していた栄町と造道村字浪打・大野村字長嶋を加えた区域をもって4月1日に町制を施行し、青森町が発足した。
19町 | 安方町、新安方町、大町、米町、浜町、新浜町、新町、柳町、寺町、鍛冶町、大工町、松森町、博労町、堤町、莨町、蜆貝町、新蜆貝町、塩町、栄町 |
2大字 | 大野、造道 |
1897年(明治30年)10月1日に浦町村、滝内村大字古川を編入、1898年(明治31年)4月1日に市制を施行して青森市となる。1939年(昭和14年)6月1日に油川町、1951年(昭和26年)4月1日に滝内村を編入。
昭和の大合併では、1954年(昭和29年)5月3日に大野村、1955年(昭和30年)1月1日に筒井町、横内村、東岳村、高田村、同年1月15日に浜舘村、荒川村、同年3月1日に新城村、奥内村、原別村、1956年(昭和31年)9月1日に後潟村を編入した。1962年(昭和37年)10月1日に野内村を編入。
平成の大合併では、2005年(平成17年)4月1日に浪岡町と合併して青森市を新設し、旧浪岡町の区域に地域自治区浪岡を設置。2006年(平成18年)10月1日に中核市に移行した。
- 年表
-
歩兵第五連隊第二大隊遭難記念碑 青森大空襲後 - 1872年(明治 5年)11月6日 - 大火。700戸が焼失する[20]。
- 1873年(明治 6年)2月11日 - 開拓使、青森 - 函館間に定期航路を開設。
- 1875年(明治 8年)12月16日 - 歩兵第4連隊第2大隊が弘前から青森に移転。
- 1876年(明治 9年)4月 - 歩兵第4連隊第2大隊が歩兵第5連隊第1大隊となる。
- 1888年(明治21年)12月6日 - 東奥日報が創刊。
- 1891年(明治24年)9月1日 - 東北本線青森 - 盛岡間開通により、青森 - 上野間全通。
- 1894年(明治27年)12月1日 - 奥羽本線青森 - 弘前間開通。1905年(明治38年)9月14日に青森 - 福島間全通。
- 1897年(明治30年)3月5日 - 青森電燈株式会社、配電を開始。
- 1902年(明治35年)1月23日 - 八甲田山雪中行軍遭難事件。
- 1908年(明治41年)3月7日 - 青函連絡船が就航。
- 1909年(明治42年)
- 1910年(明治43年)5月3日 - 青森大火。
- 1924年(大正13年)8月 - 青森築港が竣工。
- 1926年(大正15年)
- 1933年(昭和 8年)
- 5月 - 初代「青森市民歌」を制定。
- 6月 - 青森飛行場が完成。
- 1935年(昭和10年)8月21日 - 夕方から降り始めた豪雨のため浸水家屋2000戸以上[22]。
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 東京 - 仙台 - 青森 - 札幌間に日本航空輸送の定期航空便が就航。
- 1941年(昭和16年)4月17日 - NHK青森放送局が開局。
- 1942年(昭和17年)9月15日 - 新蜆貝町の民家から出火。重油が保管されていた県漁連倉庫に延焼して火勢が拡大し、328戸(211棟)が全焼[23]。
- 1944年(昭和19年)5月 - 青森医学専門学校が開校。
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年)5月17日 - 古川町、長島町で大火。約350棟が焼失。同年8月11日、市内に昭和天皇の戦後巡幸があった際には、天皇が車中から焼け跡を視察[25]。
- 1950年(昭和25年)6月 - 青森競輪開始。
- 1951年(昭和26年)12月5日 - 津軽線青森 - 蟹田間開通。
- 1957年(昭和32年) - 青森市教育委員会が「青森市民の歌(愛市の歌)」を選定。
- 1963年(昭和38年)5月21日 - 昭和天皇、香淳皇后が市営球場、青森県立あすなろ学園、県庁などを行幸啓[26]。
- 1964年(昭和39年)11月5日 - 青森空港開港。1965年(昭和40年)6月1日に東京定期便が就航。
- 1968年(昭和43年)7月21日 - 東北本線が南方に移転。
- 1970年(昭和45年)2月6日 - 青森市市議会が自主解散。議長選出をめぐる贈収賄容疑を受けたもので、同月26日に告示された出直選には75人が立候補した[27]。
- 1972年(昭和47年)7月26日 - 市章・市旗・市民憲章(初代)・2代目「青森市民歌」(「青森市民の歌(愛市の歌)」より改題)の制定告示が行われる。
- 1979年(昭和54年)9月27日 - 東北自動車道青森 - 大鰐弘前間開通。1987年(昭和62年)9月9日に青森 - 川口JCT間全通。
- 1984年(昭和59年)6月30日 - 青森隕石が落下。
- 1986年(昭和61年)4月24日 - 青森県観光物産館アスパムが開館。
- 1987年(昭和62年)7月19日 - 新青森空港暫定開港。1990年(平成2年)3月24日に全面供用開始。
- 1988年(昭和63年)
- 1992年(平成 4年)7月27日 - 青森ベイブリッジ供用開始。1994年(平成6年)7月に全面供用開始。
- 1993年(平成 5年)4月1日 - 青森公立大学が開学。
- 2003年(平成15年)
- 2月1日から8日 - 2003年アジア冬季競技大会。開閉会式、フィギュアスケート競技、カーリング競技を開催。
- 9月28日 - 青森自動車道青森 - 青森東間開通。
- 2005年(平成17年)12月26日 - 新市民歌「大きな朝に」を制定。
- 2007年(平成19年)3月17日から25日 - 2007年世界女子カーリング選手権大会を開催。
- 2008年(平成20年)6月7日・8日 - 第34回主要国首脳会議(洞爺湖サミット)の関連会合であるG8エネルギー大臣会合および5か国エネルギー大臣会合を開催。青森宣言を採択。
- 2010年(平成22年)12月4日 - 東北新幹線新青森 - 八戸間開業により、東北新幹線全通。これに伴い、並行在来線である東北本線青森 - 八戸間がJR東日本から青い森鉄道に移管。
- 2016年(平成28年)3月26日 - 北海道新幹線新青森 - 新函館北斗間開業。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町制施行により東津軽郡青森町が成立。
- 1897年(明治30年)10月1日 - 浦町村(字奥野を除く)、滝内村の一部(大字古川)を編入。
- 1898年(明治31年)4月1日 - 市制施行により青森市となる。単独市制。面積5.89 km2。
- 1927年(昭和 2年)4月1日 - 滝内村の一部(大字古川、大字沖館、大字新田)、造道村の一部(大字造道、大字八重田)を編入。11.40 km2。
- 1932年(昭和 7年)6月1日 - 大野村の一部(北金沢、北片岡)を編入。12.14 km2。
- 1939年(昭和14年)6月1日 - 油川町を編入。19.88 km2。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 滝内村を編入。57.02 km2。
- 1954年(昭和29年)5月3日 - 大野村を編入。71.15 km2。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 筒井町、横内村、東岳村、高田村を編入。277.02 km2。
- 1955年(昭和30年)1月15日 - 浜舘村と荒川村を編入。477.53 km2。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 新城村、奥内村、原別村を編入する。630.06 km2。
- 1956年(昭和31年)9月1日 - 後潟村を編入。665.46 km2。
- 1962年(昭和37年)10月1日 - 野内村を編入。692.94 km2。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 青森市及び浪岡町が合併し、改めて青森市が発足する。824.57 km2。
- 2007年(平成19年)9月1日 - 藤崎町との境界を変更。824.52 km2。
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行政
市長
- 西秀記:2023年(令和5年)6月5日 -
市役所
→詳細は「青森市役所」を参照
- 庁舎 - 本庁舎、駅前庁舎、柳川庁舎、浪岡庁舎
- 支所 - 浜館支所、奥内支所、原別支所、後潟支所、野内支所
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議会
市議会
→詳細は「青森市議会」を参照
県議会
→詳細は「青森県議会」を参照
- 選挙区:青森市選挙区
- 定数:10名
- 任期:2019年(平成31年)4月30日 - 2023年(令和4年)4月29日
衆議院
- 選挙区:青森1区(青森市、むつ市、東津軽郡、上北郡(野辺地町、横浜町、六ケ所村)、下北郡)
- 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
- 投票日:2021年10月31日
- 当日有権者数:342,174人
- 投票率:51.84%
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行政機関
県の機関
国の機関
司法機関
- 青森地方裁判所 本庁
- 青森家庭裁判所 本庁
- (管轄地:青森市(旧青森市)・東津軽郡(平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町))
- 青森簡易裁判所 本庁
- (管轄地:青森市(旧青森市)・東津軽郡(平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町))
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施設
要約
視点
警察
- 青森県警察本部
- 青森警察署 - 青森南警察署の管轄区域を除く区域を管轄
- 青森南警察署 - 浪岡の区域を管轄(青森空港の区域を除く)
- 鉄道警察隊
- 青森県運転免許センター
消防
- 青森地域広域事務組合消防本部
- 消防署 - 中央消防署、東消防署、浪岡消防署
- 消防団 - 青森市青森消防団、青森市浪岡消防団
医療
医療機関
- 国立病院機構青森病院
- 県立病院
- 青森県立中央病院
- 青森県立つくしが丘病院
- 市立病院
- 青森市民病院
- 青森市立浪岡病院
保健
郵便
郵便局
直営郵便局
|
|
- 青森問屋町簡易郵便局(84773)
- 青森南簡易郵便局(84738)
- 青森流通団地内簡易郵便局(84794)
- 桜川簡易郵便局(84783)
- サンロード青森内簡易郵便局(84787)
- 松丘簡易郵便局(84776)
文化施設
- 文化施設
- 劇団
- 催事
- ゆきのまち幻想文学賞
- 津軽三味線日本一決定戦
- あおもり国際版画トリエンナーレ
運動施設

- スポーツ施設
- スポーツチーム
- 青森ワッツ(バスケットボール)
- ラインメール青森FC(サッカー)
- チーム青森(カーリング)
- 催事
- 全国高等学校カーリング選手権大会
- AOMORIマラソン大会
- 青函カップヨットレース
- 青森県民駅伝競走大会(9月第1日曜日)
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対外関係
姉妹都市・提携都市
国内
海外
多都市間交流
国内
国際
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経済
要約
視点
- 市内総生産:1兆129億6000万円(平成18年度市民経済計算)
- 就業人口:14万2993人(平成17年国勢調査)
- 第一次産業:5724人(4.0%)、第二次産業:2万3147人(16.2%)、第三次産業:11万1754人(78.2%)
農業
工業
商業
- 主な商業施設
-
- 百貨店
- 寄合百貨店・複合ビル
- 総合スーパー
- イトーヨーカドー青森店
- ショッピングセンター
- イオンタウン青森浜田
- イオンタウン青森東
- イオンタウン浪岡
- ガーラタウン・アオモリウエストモール
- サンロード青森
- ドリームタウンアリー
- 東青森ステーションショッピングセンター
- ラ・セラ三内ショッピングセンター
- ラ・セラ東バイパスショッピングセンター
- 仲卸
- その他の商業施設
金融機関
支店を置く金融機関
通信
- マスメディア
教育
要約
視点
大学
- 公立大学
- 私立大学
- 私立短期大学
- その他の大学の施設
- 東北大学大学院生命科学研究科附属浅虫海洋生物学教育研究センター
- 東北大学学術資源研究公開センター植物園八甲田山分園
- 弘前大学北日本新エネルギー研究所
- 弘前大学食料科学研究所
学校法人青森山田学園青森短期大学は平成25年3月に閉校。
高等学校
県立
※以下は廃校。
- 青森戸山高等学校(2013年・青森東高等学校へ統合)
私立
中学校
市立:19校(五十音順)
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※以下は廃校。
私立
小学校
市立:45校(五十音順)
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※以下は廃校。
- 鶴ヶ坂小学校(2009年・新城中央小学校へ統合)
- 戸門小学校(同上)
- 孫内小学校(同上)
- 金浜小学校(2010年・荒川小学校へ統合)
- 栄山小学校(2012年・泉川小学校へ統合)
- 野沢小学校(2012年・荒川小学校へ統合)
- 浅虫小学校(2013年・東陽小学校へ統合)
- 久栗坂小学校(2014年・原別小学校へ統合)
- 後潟小学校(2020年・北小学校を統合新設)
- 奥内小学校(同上)
- 西田沢小学校(同上)
- 大栄小学校(2022年・浪岡北小学校へ統合)
幼稚園
私立
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特別支援学校
- 青森県立盲学校
- 青森県立青森聾学校
- 青森県立青森第一養護学校
- 青森県立青森第二養護学校
- 青森県立青森若葉養護学校
- 青森県立青森第一高等養護学校
- 青森県立青森第二高等養護学校
- 青森県立浪岡養護学校
専修学校・各種学校
専修学校(私立:11校)
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各種学校(私立:1校)
- 青森タイピスト養成所
学校教育以外の施設
- 公共職業能力開発施設
- 独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構青森支部青森職業能力開発促進センター
- 青森県立青森高等技術専門校 - 職業能力開発校
- 認定職業能力開発施設
- 青森職業能力開発校
- 浪岡共同高等職業訓練校
- あおもりコンピュータ・カレッジ - 情報処理技能者養成施設
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交通
要約
視点




青森市は東北以北の県道庁所在地で唯一、市内にフル規格新幹線、空港、高速道路、港が揃う都市であり、北日本における交通の要衝となっている。
空港

国内線
国際線
鉄道・索道


道路


バス


船舶


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観光
要約
視点
観光情報・交流・物産・道の駅

- 青森県観光物産館アスパム
- 青森市観光交流情報センター
- 青森市文化観光交流施設 ねぶたの家 ワ・ラッセ
- 青森市浪岡交流センターあぴねす - 浪岡駅に併設
- 市場
- A-FACTORY
- 道の駅
自然
博物館・美術館


- 博物館
- 青森県立郷土館 - 登録博物館
- 青森県近代文学館 - 青森県立図書館に併設
- 青森県営浅虫水族館
- 青森市森林博物館
- あおもり北のまほろば歴史館
- 青森市中世の館
- 青森市八甲田山雪中行軍遭難資料館
- 縄文時遊館
- 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸
- 東北大学植物園八甲田山分園
- 陸上自衛隊青森駐屯地 防衛館
- 美術館
- 青森県立美術館 - 博物館相当施設
- 青森市民美術展示館
- 青森公立大学国際芸術センター青森
- 常田健 土蔵のアトリエ美術館
- 棟方志功記念館
歴史・遺跡・社寺・記念碑


公園
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レクリエーション
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温泉
その他
文化・名物
祭事・催事
食文化
出身・関連著名人
要約
視点
公人
文化人
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芸能人
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スポーツ選手
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マスコミ関係者
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その他
ゆかりの人物
青森市を撮影した映画作品
- 風が通り抜ける道(2024年公開/イオンエンターテイメント)
ギャラリー
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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