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1958年に行われた日本の衆議院選挙 ウィキペディアから
第28回衆議院議員総選挙(だい28かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1958年(昭和33年)5月22日に日本で行われた国会(衆議院)議員の総選挙である。
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第28回衆議院議員総選挙 | |||
---|---|---|---|
内閣 | 第1次岸内閣 | ||
解散日 | 1958年(昭和33年)4月25日 | ||
解散名 | 話し合い解散 | ||
公示日 | 1958年(昭和33年)5月1日 | ||
投票日 | 1958年(昭和33年)5月22日 | ||
選挙制度 | 中選挙区制[1] | ||
改選数 | 467() | ||
議席内訳 | |||
有権者 | 満20歳以上の日本国民 | ||
有権者数 | 5201万3529人 | ||
投票率 | 76.99%(1.15%) | ||
各党別勢力 | |||
党順 | 第1党 | 第2党 | 第3党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 自由民主党 | 日本社会党 | 日本共産党 |
党首 | 岸信介 | 鈴木茂三郎 | 野坂参三 |
就任日 | 1957年3月 | 1955年10月 | 1955年7月 |
前回選挙 | 新党 |
156 [注釈 1] | 2 |
選挙前議席 | 290 | 158 | 2 |
獲得議席 | 287 | 166 | 1 |
増減 | 3 | 8 | 1 |
得票数 | 2297万6846票 | 1309万3993票 | 101万2036票 |
得票率 | 57.80% | 32.94% | 2.55% |
得票率増減 | 新 | 3.73% | 0.57% |
選挙状況 | |||
| |||
< 1955年1960年 > | |||
1955年10月の社会党再統一と同年11月の保守合同により、保守政党の自由民主党と革新政党の日本社会党が対置される二大政党制、いわゆる55年体制が出現してから初めての総選挙であった。
なお、鳩山一郎内閣の時に単純小選挙区制法案(一部選挙区は定数2)が提出されたが、世論に加え自民党内からもハトマンダー批判を浴びたため参議院において審議未了で廃案となり、この総選挙は従来の中選挙区制により行われた。
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党派 | 計 | 内訳 | 男性 | 女性 | 公示前 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
前 | 元 | 新 | ||||||
自由民主党 | 411 | 287 | 74 | 50 | 406 | 5 | 290 | |
日本社会党 | 246 | 156 | 17 | 73 | 246 | 11 | 158 | |
日本共産党 | 114 | 2 | 15 | 97 | 114 | 0 | 2 | |
革新自由民主党 | 15 | 0 | 5 | 10 | 15 | 0 | 0 | |
大日本愛国党 | 2 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | |
大日本独立青年党 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | |
菊水会 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
国民同志会 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
新東方会 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
世界党 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
世界連邦促進戦争防止・水爆禁止死の灰禍対策・国民生活安定人道主義政治連盟 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
統一党 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
日本国民大衆党 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
日本人民党 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
日本プジャード党 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
日本民主社会党 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
日本立農党 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
福島県民主クラブ | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
立憲日本国民党 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
革命民族党 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | |
無所属 | 148 | 2 | 37 | 108 | 145 | 3 | 2 | |
合計 | 952 | 448 | 149 | 355 | 933 | 19 | 452 | |
出典:『朝日選挙大観』 | ||||||||
投票率76.99%は、男女普通選挙となってからでは最高の記録であり、2023年現在も破られていない。このことは、二大政党選挙への関心の高さを窺わせる結果であった。
自民党は好調な経済発展を背景に国民の支持を固め、日本国憲法に代わる自主憲法制定を主張して圧倒的多数の確保を目指した。前回は日本民主党・自由党両党公認だけで534人(さらに保守系無所属は27人)と定数を上回る候補が立ったことから候補者調整で定数内に抑えたが、かつての吉田茂と鳩山一郎の対立の遺物である自由系と民主系(その中でも鳩山・岸信介らの自由離党系と旧改進党系)との調整は難航し、定数を超える公認候補が立候補した選挙区も残った。それでも公認は413人と大幅に減少した(ただし保守系無所属が18人増え、公認漏れの一部候補者が革新自由民主党を結成し16人を公認した)。公認候補の得票合計は2万票弱の増とほとんど変わらなかったが、候補者を絞ったことが功を奏し、保守系無所属の追加公認を含めると自民党の議席数はほぼ現状維持となった。社会党の議席増が予想されていたことから、自民党には安堵感が漂った。ただし、憲法改正発議に必要な衆議院総議席(467)中3分の2の獲得には僅かに及ばなかった。
社会党は改憲阻止を主張し、246人と過半数を上回る候補を立てた。前回の社会系三党(左右社会党と労働者農民党)合計は259人であり、自民党より大幅に少ないとはいえ、相対的に強気に候補を立てた。結果は単独で衆議院議席数の3分の1を超え、自民党による改憲発議の阻止に成功した。得票も192万票増えた。しかし、議席数自体はほとんど伸びず、55年体制のもう一方の担い手として将来の政権獲得を視野に入れるという点では敗北と考えられた。その後、1959年の第5回参院選で自民党の躍進を許したことから党内の左右対立が激化し、最右派の西尾末広派は同年9月に社会党を離脱して、1960年12月の次回総選挙では新党の民主社会党(民社党)として出馬した。
共産党は、1955年6月の第6回全国協議会で1950年代前半の武装闘争路線を放棄し、党内の混乱を収拾して臨んだ再生の選挙になったが、党外からの視線は厳しかった上、二大政党の対立に埋没して、1949年に記録した35議席の回復には程遠かった。また、この選挙より、全選挙区に候補を擁立する方針が始まった。
この選挙は、追加公認を含めると自民党、社会党の両党で、定数467人中466人[注釈 2]を占め(自民党298人、社会党168人)、二大政党以外は共産党の1人(志賀義雄)のみとなり、日本憲政史上最も二大政党への議席集約が進んだ選挙だった。
社会党は自民党の半分の議席を確保し、外交・防衛・憲法問題で自民党と厳しく対立するが、長く野党第一党の地位に甘んじる「1と2分の1大政党制」が出現した。この与野党の議席比は、その後の民社党公明党の登場や共産党の勢力拡大でも急激には変化せず、また1960年の安保闘争などもこの選挙で構成された国会での激突で展開された。これらの点で、この総選挙は戦後日本政治史の大枠を定める重要な意味を持った。
党派 | 獲得 議席 |
増減 | 得票数 | 得票率 | 公示前 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
自由民主党 | 287 | 3 | 22,976,846 | 57.80% | 290 | ||
日本社会党 | 166 | 8 | 13,093,993 | 32.94% | 158 | ||
日本共産党 | 1 | 1 | 1,012,036 | 2.55% | 2 | ||
諸派 | 1 | 1 | 287,991 | 0.72% | 0 | ||
無所属 | 12 | 10 | 2,380,795 | 5.99% | 2 | ||
欠員 | 0 | 15 | - | - | 15 | ||
総計 | 467 | 39,751,661 | 100.0% | 467 | |||
有効投票数(有効率) | - | - | 39,751,661 | 99.27% | - | ||
無効票・白票数(無効率) | - | - | 293,450 | 0.73% | - | ||
投票者数(投票率) | - | - | 40,045,111 | 76.99% | - | ||
棄権者数(棄権率) | - | - | 11,968,418 | 23.01% | - | ||
有権者数 | - | - | 52,013,529 | 100.0% | - | ||
出典:総務省統計局 |
党派 | 計 | 内訳 | 男性 | 女性 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
前 | 元 | 新 | |||||
自由民主党 | 287 | 215 | 46 | 26 | 284 | 3 | |
日本社会党 | 166 | 122 | 11 | 33 | 158 | 8 | |
日本共産党 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
諸派 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | |
無所属 | 12 | 0 | 7 | 5 | 12 | 0 | |
合計 | 467 | 338 | 64 | 65 | 456 | 11 | |
出典:『朝日選挙大観』 | |||||||
| |
自民党 社会党 共産党 諸派 無所属
年 | 月日 | 選挙区 | 選出 | 新旧別 | 当選者 | 所属党派 | 欠員 | 所属党派 | 欠員事由 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1958 | 8.20 | 東京2区 | 繰上補充 | 前 | 菊池義郎 | 自由民主党 | 松岡駒吉 | 日本社会党 | 1958.8.14死去 |
8.25 | 神奈川2区 | 元 | 野田武夫 | 自由民主党 | 山本正一 | 自由民主党 | 1958.8.19辞職[注釈 3] | ||
8.26 | 宮城1区 | 前 | 保科善四郎 | 自由民主党 | 本間俊一 | 自由民主党 | 1958.8.20死去 | ||
- | 群馬3区 | (未実施) | 小渕光平 | 自由民主党 | 1958.8.26死去 | ||||
埼玉2区 | (未実施) | 松山義雄 | 自由民主党 | 1958.10.25死去 | |||||
北海道5区 | (未実施) | 森三樹二 | 日本社会党 | 1958.12.1死去 | |||||
1959 | 5.16 | 北海道1区 | 補欠選挙 | 前 | 横路節雄 | 日本社会党 | 横路節雄 | 日本社会党 | 1959.3.26辞職[注釈 4] |
新 | 高田富與 | 自由民主党 | 町村金五 | 自由民主党 | 1959.3.29自動失職[注釈 4] | ||||
- | 東京1区 | (未実施) | 鳩山一郎 | 自由民主党 | 1959.3.7死去 | ||||
大阪1区 | (未実施) | 山村庄之助 | 自由民主党 | 1959.3.18死去 | |||||
石川1区 | (未実施) | 辻政信 | 無所属 | 1959.5.2辞職 | |||||
福島2区 | (未実施) | 助川良平 | 自由民主党 | 1959.6.15死去 | |||||
京都2区 | (未実施) | 芦田均 | 自由民主党 | 1959.6.20死去 | |||||
群馬1区 | (未実施) | 五十嵐吉蔵 | 自由民主党 | 1959.6.24死去 | |||||
福島1区 | (未実施) | 粟山博 | 自由民主党 | 1959.9.20死去 | |||||
栃木1区 | (未実施) | 野沢清人 | 自由民主党 | 1959.10.18死去 | |||||
1960 | - | 高知全県区 | (未実施) | 林譲治 | 自由民主党 | 1960.4.5死去 | |||
大阪5区 | (未実施) | 小西寅松 | 自由民主党 | 1960.4.14死去 | |||||
青森1区 | (未実施) | 淡谷悠蔵 | 日本社会党 | 1960.6.6退職[注釈 5] | |||||
兵庫4区 | (未実施) | 大西正道 | 自由民主党 | 1960.7.15死去 | |||||
愛知1区 | (未実施) | 辻寛一 | 自由民主党 | 1960.8.18辞職[注釈 6] | |||||
岡山2区 | (未実施) | 犬養健 | 自由民主党 | 1960.8.28死去 | |||||
山口2区 | (未実施) | 橋本正之 | 自由民主党 | 1960.8.29辞職[注釈 7] | |||||
東京1区 | (未実施) | 浅沼稲次郎 | 日本社会党 | 1960.10.12死去[注釈 8] | |||||
出典:戦後の補欠選挙 | |||||||||
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