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秋元康

日本の音楽プロデューサー、作詞家、放送作家 (1958-) ウィキペディアから

秋元康
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秋元 康(あきもと やすし、1958年昭和33年〉5月2日 - [1])は、日本音楽プロデューサー作詞家放送作家作家脚本家映画監督実業家

概要 秋元 康, 基本情報 ...

東京都目黒区大橋出身[2]。株式会社秋元康事務所所属[3][注釈 1]

略歴

最終学歴は中央大学附属高等学校卒業(中央大学文学部中退)。

妻は女性アイドルグループおニャン子クラブの元メンバー高井麻巳子(現姓は秋元)。

弟はY&N Brothersの代表取締役社長の秋元伸介[5]

協同組合日本映画監督協会会員[6]一般社団法人日本放送作家協会理事長[7]一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)元理事[8]テレビ朝日放送番組審議会委員[9]

内閣府クールジャパン推進会議(第1期)議員[10]公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事[11][注釈 2]

京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)元教授、元副学長[8]東京藝術大学客員教授[13]株式会社代々木アニメーション学院名誉学院長兼総合プロデューサー[14]株式会社KeyHolder特別顧問[15][16]。株式会社Fanplus特別顧問[17]株式会社サイバーアソシエイツ取締役[18]。株式会社ブランジスタゲーム総合プロデューサー[19]日本直販総合プロデューサー[20]。株式会社gift最高顧問[21]。ブロックチェーンゲーム「SNPIT」ストラテジックアドバイザー[22]。株式会社YOAKE entertainment 総合プロデューサー[23]

ACC CM FESTIVALマーケティング・エフェクティブネス部門審査委員長[24][25][26][27]、シーバスリーガル ゴールドシグネチャー・アワード 2019 presented by GOETHE特別審査員[28]。東京藝大アートフェス2021ゲスト審査員[29]

とんねるずのブレーンおよびプロデューサーとして世間に認知されて以降、ジャンルを問わず多数の楽曲の作詞を手掛ける。2000年代以降は、AKB48グループ坂道シリーズのプロデューサーとしてほとんどの楽曲の作詞をしている。

多数のヒット作品を手掛けていることから「稀代のヒットメーカー」と称される[30]

プロデューサーを務めるアイドルグループ等については後述

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来歴

要約
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生い立ち

百貨店勤務の父、専業主婦の母、9歳下の弟(秋元伸介)の4人家族[31]。幼少期を東京都目黒区大橋で過ごす。当時は、高速道路ができる前で、都電が走っていた[2][注釈 3]

小児喘息を患い、「空気のいいところに」ということで、小学1年生の時に保谷市(現・西東京市)に引っ越し、西東京市立中原小学校へ入学した[2]。体が弱かったこともあり、外で野球をしているよりも勉強しているタイプの子で、テレビを観たり、音楽を聴くこともなかった[2]。中学受験をするために塾に通っており、塾では絶対に受かると言われ、模試でも良い成績だったのに、開成中学校を受験し不合格[32]。「自分より成績が悪くて僕が勉強を教えていた同級生たちがみんな開成を初めとする進学校に合格しました。その時、世の中には不条理があるんだなと思いました」と話しており[33]、一連の体験を秋元は「半ズボンの挫折」と呼んでいる[2]

親の勧めもあり中央大学附属高等学校に進学[2]。当時は男子校で私服だったので、仲間と遊んでばかりいた[2]。高校2年生の時、そろそろ勉強しないと東京大学に入学できないと思い、受験勉強を開始した[34]

放送作家の活動

高校2年の冬、大学受験の合間にニッポン放送せんだみつおの足かけ二日大進撃!』を聴いていた際、ラジオドラマを自分でも書けそうな気がして、せんだみつおを主人公とした『平家物語』のパロディを、受験勉強のために用意したノート20枚にわたり書き上げた[注釈 4][32][35]。募集されていたわけではなかったが、同級生の薦めもあってノートをニッポン放送へ送ったところ、ニッポン放送制作部副部長だった亀渕昭信[注釈 5]と、大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属していた奥山侊伸の目に留まり[36]、ニッポン放送へ遊びに来るように言われ、出入りするうち奥山の弟子となり、大橋巨泉事務所に所属した[37]。高校生でありながら頭角を表し、同年齢の山口百恵の番組を担当し放送作家として原稿を書き続けた。その後、中央大学文学部に進学し、放送作家の活動を本格的に始めた[37]。当初は放送作家をアルバイトと考えていたが、放送作家業によって当時のサラリーマンの4倍近い収入を得ていた[37]。しかし、本人はそれをあぶく銭だとしていた[37]。「思えば、道草から始まった人生」と自身は回想している[38]

1980年、フジテレビの深夜バラエティ番組『ザ・ラストショー』に放送作家として参加、当時駆け出しの港浩一と初めて仕事を共にする。以後港とは『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』、とんねるずの番組等で仕事をすることになる(詳細は秋元康#交友関係を参照)[39]

作詞家の活動・おニャン子クラブのブレーンとしての活動

放送作家業に物足りなさを感じ、また放送作家業の将来性に不安を感じていたところ、亀渕からニッポン放送の子会社だったパシフィック音楽出版(後のフジパシフィックミュージック)の朝妻一郎を紹介され、作詞を手掛けるようになる[34]。朝妻はその時を振り返り「秋元くんという構成作家がいるのだけれども、作詞家として才能があると思うから、会ってあげてくれ」と亀渕に言われたと話している[40]。朝妻は「詩を見せてもらったら、言葉の使い方やシチュエーションの構成の仕方がすごくて、『君は才能があるから、ぜひうちで仕事をしよう』と言って、仕事を一緒にさせてもらうようになりました。私が探したというよりは、亀渕さんという人が秋元くんを送り込んでくれたというラッキーな立場です」「すごいセンスがありました」とも話している[40]。これらの経緯から、作詞家としてはフジパシフィックと契約している[41]

1981年、フジテレビ系で放送されたアニメ『とんでも戦士ムテキング』の挿入歌「タコローダンシング」[注釈 6]で初めて作詞家としてクレジットされる[42]

アーティストに初めて提供した作品は、Alfee(現・THE ALFEE)のシングルレコード「通り雨」(1981年10月21日発売)のB面「言葉にしたくない天気」である[37][注釈 7]。これ以降、作詞家としても活動を開始した。1982年の稲垣潤一ドラマティック・レイン」、1983年の長渕剛GOOD-BYE青春」で作詞家としての知名度を獲得した[34]

放送作家としてテレビ番組『ザ・ベストテン』『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』の構成を担当して高視聴率を挙げる一方、さまざまなジャンルの楽曲の作詞を手掛ける[43]。1985年の小泉今日子なんてったってアイドル[44]、同年のとんねるず「雨の西麻布」などの楽曲をヒットさせる[45]

1985年からは女性アイドルグループ・おニャン子クラブの楽曲を手掛け、全楽曲の作詞を担当した。後に総合プロデューサーとして関わるAKB48とは異なり、おニャン子クラブは先述の『夕やけニャンニャン』が最初にありきで、秋元自身は、おニャン子クラブについては共同作業であるとし、自分は仕掛け人ではないと説明している[46]。また、国生さゆりは「構成作家の秋元さんはスタッフの一員、いい意味で他のスタッフと同列だった」と述べている[47]。1986年のオリコンウィークリーチャート52週のうち36週でおニャン子クラブ関係の楽曲が1位を獲得[42]。1987年には長者番付のその他の部門で16位となり、納税額は1億61万円であった[48]

1988年、おニャン子クラブのメンバーだった高井麻巳子と結婚した[49]。結婚と同時に渡米し、ニューヨークに1年半ほど滞在[43]。帰国後、美空ひばりの遺作となった「川の流れのように」の作詞を担当した[43]。これにより作詞家としての地位を不動のものにした[45]

AKB48グループ・坂道シリーズなどのプロデュース

2005年、KRKプロデュース代表の窪田康志office48代表の芝幸太郎電通らと協力し『秋葉原48プロジェクト』を発足した[注釈 8]。東京・秋葉原で女性アイドルグループAKB48を立ち上げ、総合プロデューサーに就任した[51][注釈 9]。2006年、AKS[注釈 10]を、東京都港区白金台(KRKプロデュース社内)に設立し、AKB48の運営・管理業務を行う。

2010年初頭、インタビューで秋元は「将来は国内7大都市に劇場を建て、選抜メンバーでJAPAN48を作りたい」と語り、実際に国内外にAKB48の姉妹グループを立ち上げた[注釈 11]。JAPAN48が結成されることは結局なかったが、AKB48シングルの選抜メンバーには多数の姉妹グループメンバーが抜擢されており、事実上の「日本選抜」が実現していたといえる。

2011年にAKB48の公式ライバルとして乃木坂46を立ち上げ、2015年からは坂道シリーズと称して欅坂46(現・櫻坂46)、けやき坂46(現・日向坂46)、2018年には吉本興業所属の芸人・タレントによる吉本坂46を立ち上げた[53][54]

2013年、ジャーナリストの田原総一朗との対談の中で、将来的にはAKB48のプロデュース業から退くことを示唆している[注釈 12]

2023年、乃木坂46の公式ライバルとして僕が見たかった青空をプロデュースすると発表した[56]。8月30日、シングル『青空について考える』でCDデビュー[57]

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人物

要約
視点

身長は166.7 cm[注釈 13]。愛称は、やすす[59]、秋元先生[60]、秋P、あっきー[注釈 14]、アッキー[62]、アキモ[62]。2001年3月、第1子である長女をもうけた[63]。毎日の睡眠時間は3時間ほどである[64]。座右の銘は「人生無駄なし」[34]。嫌いな食べ物は[注釈 15]

放送作家

  • 放送作家としてデビューして以来、2012年8月に毎日新聞のインタビューで尋ねられるまで、プロフィール上の生年を1956年としていた(実際の生年は1958年なので2歳上に鯖を読んでいたことになる)。その理由は、高校2年でラジオの台本を書いていたころ、同級生の親友からニッポン放送でアルバイトをしたいと言われて局に相談したところ「大学生でなければダメ」と言われたので、親友を大学1年であるとごまかし、秋元もそれに倣って大学1年としていたからで「いまさら直すのも面倒」ということでそのままにしていた[66]JASRACなどには当初より実際の生年で届けている[67]
  • 放送作家としての活動を開始した当初は高校生だったため「どんな会議でもずっと最年少でした」「だから予測がはずれようが、バカな思いつきを口にして呆れられようが、失うものは一つもない」と話しており、期待されていない立場だったからこそ自由に活動することができたと話している。でも、だんだん「秋元さんお願いします」と言われることが増え、確実性を重視するようになった(「バットを短く持って当てにいく」と表現している)[68]
  • エンターテインメントの基本は予定調和を破壊することにあると考え[69]、予定調和を嫌う傾向にあるとされており[70]、「エンターテイメントでいちばんつまらないのは予定調和」「それがないからAKBはおもしろいんだ」とも話している[71]。正確には、予定調和を破壊することに狙いがあるのではなく、既成概念にとらわれないという意味でこの言葉を用いている[72]。また「予定調和を壊す」とは、奇をてらったり、裏をかくことではないとも話している。「奇をてらったり裏をかこうとすると、必ず『裏なんだ、裏なんだ』と、反対向きのこれまた予定調和になっていくからです。たとえば『AKB48は清純なアイドルです。だから、奇をてらってストリップショー[注釈 16]をやりましょう』と言っても、それは振り子が正反対に振れるだけだから、すぐに想像できてしまう。だから、奇をてらうのではなく、何も制限をかけないのが正解です。(中略)どんな提案でも先入観を持たずに『いいんじゃないの』と考える。それをどこまでできるかなんです。」と語っている[74]
  • 放送作家の時代は、短期間継続的にヒットを出さなければならない立場にあったため、確実性を求め、市場の最大公約数に従う企画を制作していたが[75]、その結果として技術が平均化し、突出した試みができず[76]、真似されやすく、過当競争に巻き込まれる危険性が高いことから、のちに企画の優位性・差別化を重視するようになった[77]。秋元がいつもスタッフに言っている言葉に「みんなが行く野原には野イチゴはない」があり、みんなが思いつく場所には絶対に美味しいものは残っていないという信条がある[78]

作詞家

  • JASRAC作品データベース検索サービスJ-WIDによれば、2025年1月現在、「秋元康」名義で登録されている楽曲数は4817曲[79]。多いときは1日で10曲の作詞をする[80]。2022年の時点で年に200から300曲の作詞をする[81]
  • AKB48とその姉妹グループ(および派生ユニット)、坂道シリーズとその関連グループのほとんどの楽曲の作詞を手掛ける。2012年2月現在、AKB48関連だけで700曲を超える(ステージ公演曲やシングルCD・アルバムなどを含む)。AKB48や乃木坂46の楽曲を決めるにあたっては、通常のシングルの場合、デモ音源が20曲くらい入っているCDを20枚から25枚くらい(つまり400曲から500曲)一人で聴き、いいものに丸印をつけていく。なかなか決まらないときは、1000曲くらい聴くこともある。そのうち5曲くらいをアレンジに出し、アレンジャーがあげてきたものを聴き、最終的に1曲に決めてから、作詞にとりかかる[82]
  • 自身の作成した歌詞は「詩」ではなく「詞」と考えており、誰の口からその言葉が発せられるのかを念頭に作詞しているため、多少違和感があっても、耳に残るような歌詞や声のニュアンスを重視している[83]
  • 通常は作詞を終えた後にタイトルを付けるスタイルを採用している[84]。例外として、美空ひばりの「川の流れのように」はタイトルを先に決めて詞を書いた[84]
  • 秋元康という名前が出ることで企画性が強いとか何かを狙っている仕掛け的な捉え方をされて音楽のアーティスティックな部分より売る意図が注目されすぎるデメリットがある場合、作詞をしても裏方に徹してクレジットに名前を出さないことがある[85]
  • 作詞家のデビュー前、相談も兼ねて歌詞をやしきたかじんに見せたところ「全然アカン、話にならん。持って帰れ」と厳しく評定された[86]。たかじんに言わせると「単なる文章であって歌詞とはいえない」という評価であった[86]。しかし、結果的にその歌詞の中からヒットする作品が出ることとなり、たかじんは「えらいことした。あの中からなんぼかもろといたらよかった」と話のタネにし、これに対して秋元も「たかじんさんはこだわりが強いから、納得できる歌詞を書くのは至難の業」と語っている[87]。また、たかじんによるとこの時歌詞を見せただけではなく、秋元は「このまま放送作家だけを続けていても、せいぜい一千万や数千万の収入で天井が見えている。自分はこのままで終わりたくない」という趣旨の相談をしていたという[88]。それから30年あまりの時を経た2010年に、たかじん生涯最後のシングルとなった「その時の空」で歌詞の提供が実現している[89]
  • 秋元本人が歌唱に参加している楽曲が一つある[要出典]。とんねるずと番組スタッフから成る野猿の「First impression」のカップリング曲「TODAY」で、作曲の後藤次利と共に全スタッフとして参加した[要出典]。『とんねるずのみなさんのおかげでした』で歌の披露に参加した[要出典]

プロデューサー(音楽・演劇)

以下、プロデューサーとしての年譜である。

アイドルグループ・音楽ユニット・劇団・ロックバンド

イベント

  • 2006年5月、東京ドームで開催された韓国人俳優イ・ビョンホンのイベントの総合演出を手掛ける[105]。2007年秋には日本全国4か所で開催されたイ・ビョンホン『アリーナツアー』の演出を担当した[106]

企業・官公庁・プロデューサー(音楽・演劇以外)

セガ
ライブドア
日本郵政公社
  • 2005年、日本郵政公社(後の日本郵政グループ)の「手紙ドキドキプロジェクト」の総合プロデューサーに就任し、オリジナルネットシネマやキャンペーンソングの作詞を手がける[109]
文部科学省
  • 2013年、文部科学省がグローバル人材育成事の一貫として実施した官民協働の海外留学創出キャンペーン「トビタテ!留学JAPAN」をプロデュースした。同年12月15日にプレス発表が行われ[110]、翌2014年2月14日にネット公開された[111]
アイペット損害保険
  • 2018年3月31日付でアイペット損害保険の株式を47,000株(持株比率1.0%)保有していたが[112]、その後の保有状況は有価証券報告書からは明らかではない。なお、現在同社の全株式は、アイペットホールディングス株式会社が保有している。
KeyHolder
  • 2018年6月18日、KeyHolderの特別顧問に就任することが発表された[113]。また同日、秋元らを割当予定先とする新株予約権の募集が開示され[114]、同年7月24日に、発行価額の払込が完了した。発行価額は1株あたり1円で、秋元への割当数は25,066,600株、発行価額の払込総額は、25,066,600円だった[115]
  • 2020年3月2日、上述の経緯により秋元に割り当てられていた新株予約権(第2回新株予約権)の強制行使条項が発動し、予め定められた期間内(2028年7月23日まで)に、発動時の時価の約2倍という不利な条件(行使価額は1株あたり125円で25,066,600株。払込総額31億3,332万5千円。なお、同年2月28日の終値は62円)でKeyHolderの新株を強制的に引き受けることとなった[116]
  • 2024年6月30日付で株式会社KeyHolderの株式を144万株(持株比率7.65%)保有している[117]
ブランジスタ
  • 友人の近藤太香巳が創業したNEXYZ.Groupの上場子会社、ブランジスタの株式を、2023年3月31日付を83,980株(持ち株比率0.65%)保有していたが[118]、その後の保有状況は有価証券報告書からは明らかではない。
ギグワークス・日本直販
  • 2023年9月、日本直販の総合プロデューサーに就任[20]
  • 2023年12月、ギグワークスは秋元康、実弟の秋元伸介と共同で出資する合弁会社「株式会社Green Light」の設立を発表した。同社への秋元の出資比率は35%である[119]
「うんこや」
  • 青山で、「うんこ」をコンセプトとする飲食店「うんこや」をプロデュースしていた。メニューに「たっぷりうんこして帰ってください」と書かれており、箸置きがうんこの形など、かなり変わったカフェバーだった[120]

記録・受賞

交友関係

亀渕昭信・朝妻一郎・奥山侊伸
  • 放送作家デビューのきっかけとなったニッポン放送の亀渕昭信と、作詞家としての才能を見出した朝妻一郎とは、長年の親交がある。朝妻は秋元を「秋元くん」と呼んでいる[134]
  • 秋元は奥山侊伸を「放送作家の師匠」と仰ぐ。「テレビの仕事を手伝わせてくださって、それが『ザ・ベストテン』の立ち上げの時で、それから『ベルトクイズQ&Q』とか、とにかく色々な番組をやりましたね」と話している[2]
港浩一
  • フジテレビ元社長の港浩一が1980年に『ザ・ラストショー』という深夜バラエティ番組でディレクターデビューした時の構成作家が秋元であり、『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』、とんねるずの番組等を通じて、深い親交がある。港は「さん付けすると他人行儀になる」という理由で「秋元」と呼び捨てにしており、秋元のことを「長年の盟友」と称している[39][135]
  • 秋元は、港社長の肝いり[136]で始まった『オールナイトフジ』の後継番組『オールナイトフジコ』の総合プロデューサーを務めている[注釈 27]
見城徹
  • 幻冬舎社長見城徹とは、40年近い親交がある。秋元は2022年、自身が企画を務めるラジオ番組『TOKYO SPEAKEASY』において見城との対談を行い、見城が月刊カドカワ編集長をしていた時「小説を書かないか」と秋元を誘い、ケンカしたと話している。その後しばらく見城は「敬遠してた」と語っており「それでまあ再会して、またお付き合いさせていただくようになったのはこの10年ちょっとぐらい」と話している。秋元は放送当時の見城との関係について「今や見城会の仲間」とも話しており、見城は秋元について「再会して、深く付き合ってみるとずるさのみじんもないからさ。本当に謙虚だからさ、本当にびっくりしたんだよ」と語っている[138]
  • 秋元は見城の著書に帯コメントを寄せたことがあり[139]、幻冬舎は秋元がプロデュースするアイドルグループの写真集等の書籍を多数出版している[注釈 28]
  • 秋元は見城が2012年に設立した幻冬舎の出版ベンチャーである株式会社giftの最高顧問を務めた[21]。なお同社は2014年に株式の81.5%がパス株式会社に売却されており、売却後の同社に秋元が関与しているかどうかは不明である[141]
  • 見城は秋元が委員を務めるテレビ朝日放送番組審議会の委員長を務めているほか[9]、秋元が総合プロデューサーを務めていたブランジスタゲームのかつての親会社ブランジスタの顧問を務めている[142]
安倍晋三
  • 秋元は、政府が2013年2月に設置した「クールジャパン推進会議」に有識者として参加しており、同年3月に行われた初会合を機に安倍晋三首相(当時)と急接近したとFRIDAYが報じている[143]。その会合において、秋元と安倍が会話している様子を収めた写真が首相官邸Facebookに公開されており、首相官邸は「日本の眠れる『宝』(音楽、映画、アニメ等のコンテンツ)をどうやって海外に売り込んでいくのか(中略)秋元康さんなど世界で活躍されている方々に集まっていただき、議論を始めました」と説明している[144]。同年10月、秋元は自宅に安倍首相、下村博文文部科学大臣小泉進次郎復興政務官(肩書はいずれも当時)を招き昼食をともにした[145]。秋元は、2014年1月、産経新聞で安倍と対談し、クールジャパンをいかに盛り立てていくかを語り合っている[146]
  • 2015年6月、FRIDAYは、かつて首相官邸として使用され、大臣達が組閣時に記念撮影を行っていた首相公邸の西階段で前列に安倍首相を挟む形で秋元康、見城徹らが並んで立っている写真を入手し「組閣ごっこ写真」として報じた[143]。ウェブメディアのリテラは「歴史的な場所を私物化し、憲政の伝統を踏みにじる行為」と批判した[147]
  • 安倍と見城は親交があり、安倍と秋元にとって見城は共通の知人といえる[148]
堀江貴文
  • 実業家の堀江貴文と親交があり、ライブドア事件が起きる前、ライブドアの子会社の取締役を務めていた(詳細は秋元康#ライブドアを参照)ほか、堀江は「ホリエモンというニックネームを世に広めたのは秋元康さん」と証言している[149]
  • 堀江は、秋元のアイドルプロデュース業に「テレビ局に依存すると、テレビ局が全部ライツを持っていく」「テレビ局に依存するな」とアドバイスしている[150]。結果的にこのアドバイスは生かされたといえ、秋元は特定のテレビ局に依存しない形でアイドルのプロデュースを行った[注釈 29]
  • 秋元は、堀江の著書『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』に「本の表紙があまりにもきれい過ぎる。これじゃあ、ミリオン(100万部)いかねぇぞ」とダメ出ししており、その理由を「お前の魅力って思われてる部分っていうのは、ある意味"いかがわしいホリエモン"みたいなモノも込みのキャラクター、価値だから。それが無くなっちゃうと、みんなが魅力を感じなくなる」と指摘した。堀江はこの指摘について「秋元さんは、本当に常に考えてるなって思って。プロデューサーとしてはかなわないなって思います」と感服していた[151]
  • 秋元は「堀江貴文氏仮釈放後第一弾プロジェクト」として立ち上げられたトークアプリ「755」のアカウントを2014年9月に開設しており、仕事仲間とコミュニケーションをとったり、ファンからのコメントに「ね。」と短く返信するなどしていた(2025年1月現在、最新の投稿は2022年4月3日付となっている)[152][注釈 30]
熊谷正寿
  • GMOインターネット創業者熊谷正寿と親交があり、熊谷のXやインスタグラムに秋元と会食している様子がたびたび投稿されており、熊谷は会食を共にした秋元達を「尊敬する大先輩達」と称している[153][154]。また、熊谷が所有するプライベートジェットに秋元らが搭乗し、鳥取までカニを食べに行った様子が、エイベックス創業者の松浦勝人の公式YouTubeチャンネルに投稿されている[155]。なお、いずれの会食にも見城徹が同席している。
  • 2014年5月、秋元が見城と共にシャンパーニュ騎士団のシュバリエに叙任された際は、熊谷が会場に出向き祝福したことを自身の公式サイトで明かしている[156]
  • GMOインターネットは従業員を出演させたGMOインターネットVer.の『恋するフォーチュンクッキー』と『心のプラカード』のミュージックビデオを製作しており、AKB48の公式YouTubeチャンネルで公開されている[157][158]
  • GMOインターネットが運営するお名前.comのCMにAKB48が出演したことがあるほか[159]、GMOが主催するゲームイベントに乃木坂46と欅坂46のメンバーが登壇したこともある[160]
  • 熊谷は、上述の「首相公邸での記念撮影」の被写体となっている[147]
松浦勝人
  • エイベックスの松浦勝人と親交があり、上述のプライベートジェットに同乗しているほか[155]、秋元を含む経営者仲間を「いつものメンツ」と称し、会食を共にする様子をたびたびSNSに投稿している[161]
  • 秋元にとって松浦はビジネスパートナーでもあり、秋元がプロデュースする劇団4ドル50セント僕が見たかった青空SHOW-WAMATSURIにはエイベックスが関係しているほか、秋元の実弟である秋元伸介が代表を務めるY&N Brothersとエイベックスが共同出資するエイベックス・AY・ファクトリーの子会社には兒玉遥岡田奈々村山彩希が所属している(かつては、元欅坂46の今泉佑唯も所属していた)。
  • 松浦は株式会社gift設立時に名誉会長を務めていた[21]
藤田晋
  • サイバーエージェント藤田晋と親交があり、秋元のInstagramに見城徹、松浦勝人と共に開いた食事会の様子が投稿されている。秋元は藤田らを「気心の知れた仲間」と表現している[162]
  • 藤田は株式会社gift設立時に同社の取締役副会長を務めていた[21]
近藤太香巳
  • NEXYZ.Groupの創業者、近藤太香巳と親交があり、上述のプライベートジェットに同乗しているほか[155]、2015年の近藤の誕生日には、秋元からサプライズの祝福があったことを近藤自身のFacebookで明かしている[163]
  • 近藤は、NEXYZ.Groupの上場子会社、ブランジスタの取締役でもあり、秋元が総合プロデューサーを務めるクレーンゲームアプリ「神の手」の発案者である。秋元に企画を持ち込んだところ、その場でプロデューサーを引き受けたことを、近藤は自身のFacebookで明かしている[164]。なお、秋元は「神の手」リリースに際し寄せた手紙の中で、「1年くらい前に、友人からスマホゲームの企画を相談されました」「新たな景品を企画開発したいと聞いて、プロデュースをお引き受けすることにしました」と明かしている[165]
  • NEXYZ.Groupの従業員がパフォーマンスする『恋するフォーチュンクッキー』のミュージック・ビデオがAKB48の公式YouTubeチャンネルにアップロードされている[166]
  • 近藤は、上述の「首相公邸での記念撮影」の被写体となっている[147]
  • 近藤は、2019年、ビジネスを通して社会に貢献した人物を顕彰する「シーバスリーガル ゴールドシグネチャー・アワード」を受賞しており、特別審査員を務めた秋元は、近藤について「人を惹きつける力があり、人にエネルギーを与え続けるということがそれだけで社会貢献であり、働くことや生きることの楽しさを与えてくれる力は本当にすごい」と、「人間力」を高く評価するコメントを残した[28]
西山知義
小山薫堂
  • 放送作家の小山薫堂とは、メールをやりとりする関係であり、秋元との対談において、小山は秋元からメールがきた時の心境を「秋元さんからメールがきた! 何とか秋元さんを喜ばせなきゃ!」「頼られてる!」と話しており、相手が想像している以上の答えを出したときに自分が認められると思ったことを明かした[168]
  • 秋元と小山は、幻冬舎が刊行する雑誌「ゲーテ」の「美食を探求する4兄弟」に選ばれており、見城徹が長男、秋元は次男、小山は三男である[169]
  • 小山は、秋元が教授と副学長を務めていた、京都芸術大学の副学長と芸術学部の教授を務めている[170][171]
中田英寿
  • 元サッカー選手で実業家の中田英寿と親交があり、2014年5月には大阪でトークショーを行っているほか[172]、2023年3月、秋元は中田とのツーショットを自身のInstagramで公開している[173]
  • 中田は「ゲーテ」におすすめのレストラン情報を寄せており、「美食を探求する4兄弟」の四男でもある[169]
桑田佳祐
長渕剛
  • 長渕剛とは、長渕が初めてのラジオパーソナリティを担当した番組の放送作家として知り合った。
古舘伊知郎
寺田恵子
  • メタルバンド・SHOW-YAの作詞を手がけたことがあるが、寺田恵子と言い争いになったことがある[176]
小室哲哉
後藤次利
  • 作曲家・後藤次利とは「ゴールデンコンビ」と言われている[177]
田原総一朗
  • ジャーナリストの田原総一朗はAKB48の大ファンであり、秋元との対談本(秋元康#書籍を参照)を出版しているほか、著名人が劇場公演をプロデュースする特別公演の一環として、田原総一朗プロデュースによる「ド〜なる?!ド〜する?!AKB48」公演が実施された[178]
つんく♂
  • 同じ作詞家でアイドルプロデューサーという共通点を持つつんく♂と親交がある。つんく♂の楽曲を網羅したガイドブック『ALL THE SONGS OF つんく♂』の中で、秋元との対談が実現している[179]
  • つんく♂の著書『だから、生きる。』では、秋元から「プロデュースは、教え子と結婚してこそ完結だから」と言われたことを明かしている。一方、つんく♂は産経ニュースのインタビューで、1997年、アイドルのプロデューサー業に乗り出すにあたり「まず、自分が高校生のファンだとして、『どんな問題が起こったら、そのアイドルの応援をやめるだろうか』と考えました。メンバーとプロデューサーの距離が近すぎたら、本気でむかつくだろう、もし何か間違いが起こったら発狂するだろう、と思ったので、モーニング娘。のシングル3 - 4枚目までは、テレビの同じ画面には絶対に収まらないようにしていましたね」と、アイドルとの距離感を厳格に管理していたことを明かしている。このエピソードは、自らがプロデュースするアイドルと結婚した秋元と好対照をなすエピソードといえる[180]

映画への思い

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作品

要約
視点

番組

2025年現在放送中

定期・不定期

過去

テレビドラマ

テレビアニメ

OVA

  • ICE(2007年) - 企画・原案

映画

舞台

  • PSST PSST〜シブがき隊ROCK PERFORMANCE〜(プロデュース)
  • 古舘伊知郎 TALKING BLUES(総合プロデュース)
  • 雪蛍恋乃滝(脚本・演出)[233]
  • スタンディングオベーション(企画・原作)[234]
  • アドレナリンの夜(企画・原作)[235]

書籍

著書

  • ジェリービーンズの片想い』CBS・ソニー出版、1987年2月14日。
  • 『35m/mの原稿用紙。』集英社、1988年1月20日、1-207頁。ISBN 978-4-08-780099-9
  • 『みーんな、わがまま』マガジンハウス、1988年1月、1-227頁。ISBN 978-4-89578-004-9
  • 秋元康『バスルームのキリンたち 秋元康詩集』マガジンハウス、1988年3月、1-85頁。ISBN 978-4-8387-0018-9
  • さらば、メルセデス(1988年、マガジンハウス / 1991年、角川書店 / 2010年、ポプラ文庫[236][237][238]
  • 『101人のクズたち』マガジンハウス、1988年11月、1-141頁。ISBN 978-4-8387-0029-5
  • 『恋について僕が話そう』大和書房、1991年4月、1-189頁。ISBN 978-4-479-68035-2
  • Rooms
    • 『Rooms』フジテレビ出版、1994年11月、1-141頁。ISBN 978-4-594-01574-9
    • 『僕がいない日には Rooms 2』フジテレビ出版、1995年3月、1-137頁。ISBN 978-4-594-01693-7
    • 『〈もしもし〉の捨て場所 Rooms編』フジテレビ出版、1995年3月、1-299頁。ISBN 978-4-594-01692-0
  • 明日があるさ(2001年、勁文社) - 共著[239]
  • 『なるほどね、そーゆーことか』青春出版社、2003年8月、1-173頁。ISBN 978-4-413-00646-0
  • 着信アリ
    • 着信アリ(2003年、角川書店)[240]
    • 着信アリ 2(2004年、角川書店)[241]
    • 着信アリ Final(2006年、角川書店)[242]
    • 着信アリ テレビドラマ版(2005年、角川書店) - 原作[243]
  • 『贅沢な遺言』主婦と生活社、2004年7月、1-239頁。ISBN 978-4-391-12974-8
  • 象の背中
  • アドレナリンの夜
    • アドレナリンの夜 珠玉のホラーストーリーズ(2009年、竹書房[247]
    • アドレナリンの夜(2015年、竹書房)[248]
    • アドレナリンの夜 悪夢ノ檻(2016年、竹書房)[249]
    • アドレナリンの夜 霊界ノ呪(2016年、竹書房)[250]
    • アドレナリンの夜 猟奇ノ血(2016年、竹書房)[251]
  • 『恋工場 珠玉のラブストーリーズ』竹書房、2009年8月、1-297頁。ISBN 978-4-8124-3914-2
  • AKB48の戦略! 秋元康の仕事術(2013年1月25日、アスコム) - 田原総一朗と共著[252]

原案

原作

ゲーム

イベント

その他

  • 秋元康作詞塾 AKIMOTO YASUSHI SCHOOL 全4巻(日本音楽教育センター)
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作詞

要約
視点

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

ら行

わ行

アーティストなし

チャート1位シングル

以下、週間チャート1位となったシングル作品。

さらに見る No., リリース日 ...
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出演

テレビ

ラジオ

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CM

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関連文献

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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