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1990年の日本

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1990年の日本
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1990年の日本(1990ねんのにほん)では、1990年平成2年)の日本の政治、経済、文化など出来事についてまとめる。

他の紀年法

日本では、西暦の他にも以下の紀年法を使用している。なお、以下の紀年法は西暦と月日が一致している。

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5月
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6月
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周年

できごと

要約
視点

主なできごと(通年)

報道各社が報道した、本年の主要なニュース

日本国政府はイラクによるクウェート侵攻を強く非難し、日本国内にあるクウェートの金融資産を保全するための措置を講じた[2]
国連安保理が経済制裁決議を採択するのに先立って、日本は自主的に1990年8月5日にイラクに対する経済制裁措置を決定した[2]。これは(1)イラクとクウェイト両国からの石油輸入の禁止、(2) 両国への輸出の禁止、(3) 両国に対する投資、融資その他の資本取引の停止のための適切な措置の採用、(4)イラクに対する経済協力の凍結 - 以上4つを内容とする包括的なものだった[2]
2月19日に行われた第39回総選挙は、自民党はリクルート事件の影響で苦戦が予想されたにもかかわらず安定多数を確保し、幹事長として選挙戦を陣頭指揮した小沢一郎の手腕が高く評価された[3]
日本の自由民主党および日本社会党、そして北朝鮮朝鮮労働党の3党が、日朝国交正常化に向けた共同宣言を採択した。これは日朝間の関係改善に向けた重要なステップと見なされた。
  • 株価が大暴落した[1]
1990年1月4日の大発会(新年の取引開始の日)は日経平均株価は30,165円52銭でスタートしたのだが、その後に下落傾向を強め、1990年4月2日には28,002円まで暴落し、その後一時的に回復したものの、同年8月のイラクのクウェート侵攻(および湾岸危機)で再び下落し[4]大納会(本年最後の取引日)では23,848円となっており、つまりわずか1年で日経平均株価が38%も下落したのだった[5]
なお、本年は「バブル景気最後の年」であり、株価バブル崩壊の年である。翌1991年には土地バブルも崩壊し、株価と地価が下落した状態になったことで、保有資産を売却しても返済ができない債務者が増加し、銀行は貸し付けたお金を回収できず不良債権を抱え、融資を渋るようになった。企業は収益が低下し経営が困難になっても、銀行からの融資が受けられなくなり、倒産する企業が増加した[6]。こうして日本は、失われた10年、さらに2020年代になって振り返って失われた30年と呼ばれることになる、とても長い低迷期に入り込んでいった。

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

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海遊館(7月20日開業)

8月

9月

10月

11月

12月

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サンリオピューロランド(12月7日開園)

日付不詳

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社会

要約
視点

政治

在職者
国会
    • 第117回 (常会, 1989年(平成元年)12月25日-1990年1月24日)
    • 第118回 (特別会, 2月27日-6月26日)
    • 第119回 (臨時会, 10月12日-11月10日)
    • 第120回 (常会, 12月10日-1991年(平成3年)5月8日)
国外の政治環境

東西に分裂しており冷戦の象徴的存在だったドイツが、西ドイツ主導で東ドイツを再統一し、1945年以来の東西ベルリン市が首都に復帰した。一連の民主化を求める東欧革命の流れの中で急速に再統一が実現した。一方で冷戦構造で戦後世界に東側諸国の盟主として君臨してきたソビエト連邦は、構成連邦国家の独立宣言が相次いだ年でもあり、この年から翌年にかけて急速に有名無実化したソ連政府は、1991年12月25日に活動を停止する事をゴルバチョフ大統領が発表し、最大の構成主体共和国であったロシア連邦が主な後継国家として独立した事で、事実上ソ連は滅亡した。東欧では旧ソ連から独自性の高い地域であったウクライナベラルーシなどが新たな独立国となり、名実共に1950年代から続いた欧米地域の東西冷戦構造は解体されたが、中国の首都北京での民主化要求が挫折した天安門事件などを経た為に、東アジアや東南アジアでは冷戦期の国家が存続した状態で21世紀を迎えた。

経済

背景

1980年代の日本の自由民主党は、円高対策のために公定歩合を5%から2.5%に引き下げて日本円が市中に過剰に出回り続ける状態が放置された結果、"かね余り"状態になり[17]、おまけに法人税減税や個人への減税も行ったので[17]、その金が株や土地に対する投機にまわり、投機目的の売買により株価や地価が異常な上昇を続け、いわゆるバブルが発生した[17]。なお、株式投機や土地投機で"にわか金持ち"(成金)なった人々が多く、成金は自分が金を得たことを必要以上に他人に見せびらかそう、目立とうとし、人々の心を煽るので、日本はある種の狂乱状態になっていた。日本人のほとんどは、自分らが一時的なバブルという現象の中に入り込んでしまっていること、一時的な異常心理状態[注釈 2]に陥っていることに気づいていなかった。

無視された警告

ただし警告を発した日本人がひとりもいなかったわけではない。早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問を務めていた野口悠紀雄は、日本経済の異常さ(バブル状態)を指摘する声を発していた。野口は「地価高騰はバブルであり、このバブルが崩壊したら大変なことになる」と警告したが、日本人の誰も聞く耳を持っていなかった[18]。投機に狂乱し、あわよくば自分も投機で儲けようと考えていた当時の日本人(日本人のほぼ全員)には、野口の指摘を謙虚に聴く気持ちが欠如していた。

冷静に判断をする為政者がいさえすれば、過剰な金余りというものは、公定歩合を引き上げさえすれば抑制できるので、早めに公定歩合を引き上げておきさえすれば、バブルの異常な膨張やバブル崩壊は予防できたはずなのだが、自由民主党の国会議員は、バブルの投機で金儲け中の にわか金持ち(成金)たちからも政治献金を受けており、さらに言えば国会議員の中には自身で投機による金儲けに直接的に関与している者もかなりいたので、かけるべきブレーキをかけられず、異常に低い公定歩合を放置していた。

遅れて発動した対応(遅すぎた対応)

しかし、さすがの自民党国会議員にも、1989年春ころにはバブルへの警戒感が出始め、景気の過熱を抑える目的で公定歩合を段階的に引き上げることにし、日本銀行が動いた。概要としては、1989年5月から1990年8月にかけて、2.5%から6%まで引き上げた。

公定歩合の引き上げの詳細
  • 1989年は5月、10月、12月に3回引き上げ、合計で2.5%から4.5%まで上げた。
  • 1990年は3月、8月の2回引き上げ、4.5%から6%まで上げた。

なお、それまでの人々の熱狂状態があまりに極端になってしまっていたので、公定歩合の引き上げによる鎮静効果は1989年の引き上げですぐには現れず、一種の"慣性"のようなものが働き株価はしばらく上昇を続け、1989年末に日経平均は3万8957円44銭を記録した。年末年始の株式市場が閉じる期間、すなわち投機家も頭を冷やせる期間中にようやく、投機家の中に少し冷静に考える人々、バブル状態とそれが崩壊した先に起きることに警戒心を持つ人の割合が増えた。こうして潮目が変わり、1990年1月入ると株価が急落を開始し、一旦下落傾向に入ると、夢から覚める人が続出し、特に欲望に駆られて株式の信用買いの割合を増やしすぎていた人々は必然的に連鎖的な株式売却をせざるを得なくなり、こうして株価は大暴落してゆき、1989年末-1990年年始の最高値からわずか9ヶ月後の10月には一時2万円割れまで下落した。その後、翌年1991年にかけて不動産市場の過熱も次第に沈静化し、下落傾向となり、土地投機をしたばかりに大損し、行き詰まる人々・企業も続出するようになる。

なお、公定歩合を引き上げたから悲惨な状態になったわけではなく、公定歩合を低いまま長年放置しつづけて過度なバブルを発生させたことが根本原因である。為政者が市場の状態、経済の状態を冷静に判断して、公定歩合の早め早めの微調整を繰り返せば、経済は加熱しすぎず、冷えすぎず、適度な温度を保つことができたのだが、日本の為政者(自由民主党)にはそれができなかった。硬直的で、動きがとにかく遅すぎ、自由民主党は企業献金も受け取っているので、欲に駆られた "にわか金持ち"(成金)の影響を受けすぎていた。

労働

教育

女性史

交通

道路

鉄道

航空

イベント・行事

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自然科学

天候・天災 等

日本の天候、自然災害、および自然環境の変化など

  • 1年を通して気温が高く、特に北日本では戦後で最も気温の高い年となった。
  • 冬(前年12月 - 2月)は記録的暖冬。1月後半には強い寒波が南下して大雪・低温となったが、2月以降は平年を2 - 3℃上回る記録的暖冬となり、特に九州地方、北陸地方、東海地方では平年を3℃以上も上回る暖冬となった。
  • 11月17日 - 雲仙普賢岳198年ぶりに噴火島原大変肥後迷惑参照。
  • 盛夏期記録的な猛暑。空梅雨傾向であったため、各地で水不足深刻化。秋以降も太平洋高気圧の勢力が強く、残暑が続いた。9月以降は台風の上陸が相次ぎ、台風19号台風20号台風21号が同じようなコースで立て続けに上陸した。そして、12月間近の11月30日に台風28号が最も遅い上陸記録を出した。この年の日本への台風上陸数は6つで当時の最多記録となった。→ 1990年の台風
時系列
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建築

竣工
Thumb
東京都庁舎
解体

芸術、文化、サブカルチャー、スポーツ

要約
視点

ハイカルチャーから、サブカルチャー流行、スポーツなど幅広く

文学

演劇

映画

邦画

洋画

日本公開映画(本国公開は前年以前)
本国公開・日本公開ともに当年

漫画

アニメ

アニメーション映画
テレビアニメ
OVA

音楽

ヒット曲ランキング(オリコンチャート)[19]

ラジオ

テレビ

特撮

コマーシャル

さらに見る キャッチフレーズなど, 商品名など ...

ゲーム

ボードゲーム

将棋

コンピューターゲーム

アーケードゲーム

  • テトリス - 「ゲームマシン」誌 90年年間ベストヒットゲームズ25 テーブル型TVゲーム機 第一位[20]
  • スーパーフォーミュラ - 「ゲームマシン」誌 90年年間ベストヒットゲームズ25 テーブル型TVゲーム機 第六位(新製品)[20]
  • スーパーバレーボール - 「ゲームマシン」誌 90年年間ベストヒットゲームズ25 テーブル型TVゲーム機 第十一位(新製品)[20]
  • 麻雀大予言 - 「ゲームマシン」誌 90年年間ベストヒットゲームズ25 麻雀TVゲーム 第一位[20]
  • スーパーモナコGP(デラックス) - 「ゲームマシン」誌 90年年間ベストヒットゲームズ25 アップライト/コックピット型TVゲーム機 第一位[20]
  • アースシェイカー英語版 - 「ゲームマシン」誌 90年年間ベストヒットゲームズ25 フリッパー分野 第一位[20]


  • 4月26日 - SNKアーケードゲーム基板(または筐体)「業務用ネオジオ」(後の家庭用ネオジオとの区別のため、「MVS」という別称がある)を発売。以後、2004年までソフトを供給し、アーケード筐体(基板)としては異例の長期間現役となった。
  • 6月30日 - セガのアーケードゲーム『コラムス』のメガドライブ移植版が発売(10月にはゲームギア版も発売)。
テレビゲーム
Thumb
スーパーファミコン
携帯型ゲーム

流行

流行の商品

流行の服装

1990年の流行語

新語・流行語大賞の新語部門は「ファジィ」(松下電器産業)、流行語部門は「ちびまる子ちゃん (現象)」が金賞を受賞した。

スポーツ

総合競技大会

野球

日本プロ野球(NPB, Nippon Professional Baseball)
高校野球

サッカー

相撲

大相撲幕内最高優勝)

プロレス

モータースポーツ

競馬

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誕生

要約
視点

誕生した事に特筆性のある人物等(世襲制の跡継ぎ、絶滅寸前の生物の誕生、等)を記載しています。それ以外については、Category:1990年生を参照してください。

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

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死去

脚注

参考文献

関連項目

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